たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジア の検索結果:

キルギスと日本の神話が似通ってる件について考える

…ご利益がある動物だと考えられていたようです。 ・・・・・・・・ この他にも神武天皇一家と似てるキルギスの王様一家の話もあるのですが。それについては関連記事を見てください。 ぽちされたすかり 関連記事 ・(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果 ・かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして ・日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ ・キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか 人気ブログランキング

吉野ヶ里遺跡の石棺は古代フェニキアに関係する気がする件

… まぁシルクロードで中央アジア、中東と繋がっていて、古代にペルシア人が来ていた記録もあるわけなので、中東の人々や文物や文化風習が到達していてもおかしくないわけですけども。 ホシサン デコポン 火の国ぽん酢 石棺がフェニキア形 それで石棺の写真をじっと見つめたのですが。分割したサツマイモか、埼玉みたいにいびつな形で奇妙な感じを受けますね。 佐賀・吉野ケ里「謎のエリア」に石棺墓https://t.co/jf6KQuH3OU佐賀県は29日、#吉野ケ里遺跡 で弥生時代後期後半-終末期…

古代の大陸と日本列島を照らし合わせてしまった妄想地図の最新版

…たのは、極東=関東、中央アジア=近畿、中東・地中海=九州と言った感じの、実用的な日本列島の大陸ひな形論でした。これにはちゃんとした根拠があります。 まず中国の関東は、日本の関東であるのは、わかりやすい一致です。そして大陸の古代国家と、似通っている名前の日本の律令時代の国郡名は、同じような配置になっているのは明らかでした。 大陸の主要な国名や地理的な名前が、日本の各地に当てはめられて国郡名や地理的名称になっているようです。 大きな地名で一致しているほど、日本人に関係が深い土地な…

古代に三輪山の大物主神になったらしき崑崙山の西王母

…がしましたね。結局は中央アジアや西域あたり、ギリシャ人やら景教徒やらが入り込んだ地域だから、当然ちゃ当然な感じだったんではないかと。 秦の始皇帝が神仙思想の崇拝者で、不老長寿の仙薬を求めて倭に調査の移民を送ったのでしたが。始皇帝が崇めたのも結局は仙界の王である西王母、大物主神だったんですかね。蟠桃園があるという崑崙も調べたんでしょうが、見つからなかったんですかね? あと、三輪山に大物主神が移動する以前から、三輪山には神の信仰があったようですが。三輪山に元々いらした神の性質も、…

「これから麒麟が現れる」って言うので何かと思ったら、東京で麒麟が闇を抜けて光を浴びようとしてる件

…昔から書かれている、中央アジアやスキタイ・サカ族方面からの「月派系」渡来人の「月・女性を崇拝する」思想も、かいま見ることができる気がします。月派のうち、隼人(赤黒白)系の王族は、「シン(秦)時代」が来るとアピールしていますね。 朝日が昇るうさぎ年。地獄の本番の中に天国エリアが広がっていくだろーか 通りすがりさんのコメントでした。まぁコメント欄で、何度かやりとりがあったのです。気になる話が色々出てきました。 艮金神の復活(弥勒)、夜明けの時代、蘇民将来、牛頭天王の復活、麒麟はユ…

天岩戸神話の根源にはパミール高原や崑崙山が関係していることの証明

…らに追求してみると、中央アジアと西域(新疆)のパミール高原や崑崙山あたりに関連づいていることが、分かったりもするのです。今回はそんな話。 ポチされてたすかります 天岩戸神話の神々 天岩戸 - Wikipedia まずざっと岩戸神話に係わる八百万(やおよろず)の神さまについて確認。 記紀神話からリストアップすると、こうなっています。 思兼神(おもいかねのかみ):思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥を鳴かせた 手力雄命(たぢからおのみこと):岩戸を開き天照大神を引き出した 天鈿女命(あめ…

中国南部の「天岩戸」そっくりな神話を見ると、日本には天照大神の他に太陽神が複数いたことが浮き彫りに

…す。しかし個人的には中央アジア発祥か経由なんじゃないかな、という感じもしていますが、その理由はまた後ほど。 日本には天照大神の時代、太陽神が複数いた Sun dog - Wikipedia 説明しました通り、中国神話では太陽や月が8個も10個もあったとか言ってるので、とても奇妙な感じがしますね。 そういえば日本の太陽神と月神、「日本書紀」を見ると2か所で登場してるように見えるのも変なことでした。 1ヶ所目はイザナギが日向のあわき原で禊ぎをした時、左目を洗って太陽神が生まれ、右…

【日ユ同祖論】「大陸のヤマト地図」の検証。歴史作家の推定移動ルートに照らし合わせる

…ているようでした。 中央アジアから西ではメソポタミアの土地に通り、地中海沿岸のトルコだとかイスラエルのあたりまで続いていることがわかりました。 代表的なヤマト地名を取り上げると、 新疆 キルギス zamantoo タジキスタン yamit ウズベク yamantol トルコ yamadi などあります。 2000年以上が経過しても、なかなかヤマトぽいまんまではないですか。ヤマトの地名を名付けることで、ヤマトの民が存在した証拠を残していたんではないかと。いわばヤマトの印…

災害の具象化である八岐大蛇。伊邪那美の眷属か同一存在だったか

…と伝わる大ナマズ。次回にご紹介します。 関連記事 ・中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話 ・草薙剣とアロンの杖はあまりに似すぎてる件 投げ銭 ユグドア|チップの送金を世の中全てのホームページへ。 「チップの送金先ホームページアドレスを入力」に、URLを貼り付けるだけ。 「 https://twitter.com/t7a7t0o1 」か、 「 https://mobile.twitter.com/t7a7t0o1 」 少額でもお願い申し上げ増。 人気ブログランキング

神道の御幣とユダヤ教のメノラー。類似を確認してたら気づいたこと(日ユ同祖論)

…ですが。 話によると中央アジアのウズベキスタンの博物館に、日本の御幣にそっくりな飾りがあるんだとか。そうすると、メノラーがウズベキスタンの土地で御幣のように変化し、日本にそのまま入ってるのかもしれない? そのウズベキスタンの御幣の写真を探してみたんですが、見つからなかったのは残念です。 アマゾンで一番売れてる水 ★★★★★12,572個の評価 御幣とメノラーの比較 じゃ御幣とメノラーは、見た目的にどれほど似てるのか?ということですが。 並べてみると、一見しては完全に一致してな…

未来人2062の暗号写真を妄想解読してみよう② 謎のオブジェ写真は拡大で読み解く 

…東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 未来人2062は、この全ての写真暗号を解かないと生き残れないみたいなニュアンスで話していました。 解釈すると、2022年以降、もっとも被害を受けるのが、関東平野のタワーのある都市、箱根山、東海地方の浜岡原発、伊豆半島付近であると言いたいのかもしれないです。 実際に、近ごろは富士山で地震が頻発したり噴火がささやかれ、箱根山で水蒸気が頻繁に上がり、首都直下で震度4の地震。…

日ユ同祖論を解くカギとなる古代筑紫の恪勒国 

…九州が中東で、近畿が中央アジア新疆で、関東が東アジアです。 これが古代における日本大陸雛形論の、じぶんなりの解釈でした。 筑紫 ツロの紫(フェニキアの色は紫) 筑紫(チクシ) チグリス川(チグース→チクシ) 由布(ユフ) ユーフラテス川(由布ラテス) 白日別(シラヒ) シリア(白日訳は福岡の古名) 白日 バビロン(白日ロン) 佐賀(サガ) サカ、イッサカル 肥国(ヒノクニ) フェニキア(フェニキニ→ヒノクニ) 熊襲(クマソ) ケモシュ(クマシュ→クマソ) 松浦(末羅) アフラ…

平氏は吐火羅(トカラ)に起源があったかもしれない。文字と照玉姫から導かれる平氏のトカラ起源説

…筆者は、平氏の起源は中央アジアや西域にあったと見ています。 ペルシャ人は、シルクロード途中の各地に、拠点をもったことが考えられました。そのどこかの土地の名をとって「タイラ」と名乗ったのかも。 中国の西域(新疆)のタリム(tarim)が語源かもしれない。タリム盆地は西域一帯に広がり、いまではタクラマカン砂漠がある土地。tarim→taira。 またはタラス→タイラス かもしれない。タラスはソグドや吐火羅に近い西突厥の古代都市で、ゾロアスター教の中心都市だった。 しかして平氏の大…

トート・ヘルメスを意図したらしき倭迹迹日百襲姫命

…が、邪馬台国の中枢は中央アジア系の人々でかためられてたようでした。あちらの言語にも詳しかった、トリリンガルだった感じもします。実際に会ってみないとわからんですね。とにもかくにも卑弥呼はトート神のように、知識と知恵を持っている女王様だったと考えています。 ちなみに個人的には卑弥呼は烏孫から東漸した皇族で扶余生まれかもしれないと考えてきましたが。詳しくは過去記事で。 (5)名前 じつは倭迹迹日百襲姫命と、トート、ヘルメスの名前自体が、明らかな相似点を持ってました。 t-t tho…

【出雲御免】 出雲大社の八雲の図と国引き神話から見えてくる穢貊の影

…るっきり同じですよ。中央アジアの仏教美術を元にしたものが、古い時代に出雲に入ってたようですね。 以下はかなり自分本位の想像ですが 当初の騎馬民族は、西から東へ東へと向かいながら新天地を征服し、土地の異民族を殺し、または従順ならば配下に従え交わりながら拡大し、反旗を翻されて栄枯盛衰を繰り返す人々だったのですよ。 かれらは西はイスラエル、サカ、さらにギリシャ人が融合しつつ東進して、西域の烏孫、月氏、匈奴がうまれ、東の扶余、高句麗などを巻き込みながら、数百年かけて中東的な文化は踏襲…

尽、次、突、作、時・・・月の名の由来考

…砂漠地帯がある中東や中央アジアでは、涼しい夜の神、月神こそが人々に尊ばれました。そこにはturkの民もいた。 トルコや中央アジアのトゥルク系は、古代からギリシアの月の神アルテミスを崇めました。 現在でもイスラム国家のうち半数が、月と星のマークを国旗に採用するのも、そうした意味があったようで。 その流れを組む人々は、弥生時代に日本の中枢に入ったらしく、日本語にはトルコ語によくにた言葉が多かったりする。邪馬台国の要人の名前だ中央アジア系だから察しがつくのですが(過去記事参照)。 …

大嘘鳥が証明する、古代ギリシア~烏孫~日本の繋がり

…数多くのギリシア人が中央アジアやインドに移住したとか。 紀元前2世紀からは中央アジアからインド北部にかけては、ギリシア人が支配していました。(インドグリーク王朝)。そのためクシャーンはギリシア文字を公用語として採用してたりしたとか。 烏孫のあった頃にタリム盆地に栄えた月氏(小月氏)、バクトリアに移住した大月氏はイラン系とも言いますが。国名自体はギリシアの音写とも考えられるし(ギリシア→ゲッシ→月氏)。 天山山脈には、ギリシアのヒュドラや、日本のヤマタノオロチのような多頭竜退治…

武漢と武蔵・・・過去からの出来事と今が繋がる不思議

…日本は中東 ・畿内は中央アジア ・関東は東アジア といったふうな関係を表していると考えてまとめていました。 おそらくこれを始めたのは、卑弥呼率いる邪馬台国だったかという気がするだけです。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ ・古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2019年の総(千葉)の崩壊が雛形なのだとしたら、扶桑(日本)の崩壊も待ったなしだなと、昨年中からおもっていたりして、ツイッターでもつぶや…

親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係

…純粋な倭人というか、中央アジアや西域から帰化した倭人だったのだから。 難升米という名前は、明らかに烏孫王、難兜靡の名を受け継いでました。 都市牛利はタジキスタン人の住むタシュクルガンの古名、塔什庫爾干を元にしてる印象を受けます。 難升米 nan-sho-bei 難兜靡 nan-to-bi(烏孫の王) 都市牛利 to-shi-gyu-ri 塔什庫爾干 ta-shi-ku‐ru-gan(タジキスタン人の街) そういうことなのではないかと。 以前の記事 ・中国史書を見る限り倭国の中…

【口耳王】聖徳太子が亀茲から来たことは叡福寺と太子墓が証明する

…iūzī)は、かつて中央アジアに存在したオアシス都市国家。現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ県(庫車県)付近にあたり、タリム盆地の北側(天山南路)に位置した。丘茲、屈茲とも書かれ、玄奘の『大唐西域記』では屈支国(くつしこく)と記されている。 亀茲 - Wikipedia その記事をまとめると以下のようになる。 聖徳太子が亀茲から来た理由 (1)・聖徳王と承徳王 聖徳太子の名は、亀茲の王だった承徳王とにてる。 (2)・聖徳と亀茲 聖徳には耳、口、目、心という…

イライラの語源はイラ、アバヨの語源はアベオだった。古代日本語に古典ラテン語が含まれている件

…まず烏孫や月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。 さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。 彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国に流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・日本語は夫余語か ・トル…

アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか

…神アテナのアクロポリスが、女王卑弥呼のアクロポリスとして、佐賀に再現されてたとして、決しておかしくない気もしてしまいます。 倭の卑弥呼の周辺には、古代ギリシアの情報もかなりあったかもしれんです。先祖伝来の記憶や大陸から収集した情報によって。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件 ・中央アジア の検索結果 - たっちゃんの古代史とか 人気ブログランキング

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

…2世紀の段階で、原始キリスト教は騎馬民族の流れに乗って、西域まで入っていたんではないかと考えられました。 こうしてなんで「八色の姓」が、キリストを表す八色と、西域諸国の名前という、異なるキーワードで繋がっているのか、真相が見えてきたわけですが。と言っても、これも想像に過ぎないんですけどね。 関連記事 ・聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 ・神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件 ・烏孫 の検索結果 人気ブログランキング

「東経ヒミコ度」が示唆する運命の存在

…れます。 仮に中東や中央アジアあたりで「bc3~ad3あたりに使われ始めた複数の単語」があり、それとそっくり似通った大和言葉がみつかるとすればどうですか。 するとそれらが偶然の範囲を逸脱して多数含まれるなら、大和言葉というのは縄文時代由来じゃない、中東や中央アジア由来な言語であることが、浮き彫りになるのではないかと。これはあとで調べてみたいですが。 さらにこれはホントの話ですが、漢字を取り入れてまた変化をし、時代を経て訛りの影響を受け合い、転嫁を続けていまの日本語になったよう…

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

…数秘術で突き詰めると中央アジアも関係ある つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。 「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか 烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。 烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経…

「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

… bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。 ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひとつ「想像力」という知的能力を踏まえた話するだけなので、専門知識を持ってるかたも参考にとどめてください。 今の科学技術というのは、表向…

ヒルコはヴァンパイアだったか

…ていたのです。 あと中央アジアの遊牧民イッセドネス人は人肉食をしていたし、匈奴は死者の血を飲んだというのですね。このへんの遊牧騎馬民族の風習がヴァンパイアの起源としてもおかしくなかったです。 事実古代ペルシアは、リリスという人の血を飲む悪魔の少女について、記録していたのでした。これは地理的な位置から検討すると、スキタイ人のことでおかしくない気がします。 しかし欧州のほうでは、意外にも初期の吸血鬼といえば、ドラクエに登場するスライムみたいな不定形の生命体でした。吸血鬼が形のない…

モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

…事(旧約聖書含む ・中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話 イザナギ・イザナミというのは特に「イザ」の名を持つことで、イザヤのことだとかいう説があったりしました。しかし名前が似ているだけで、事績の一致は乏しかったのです。 実際には、イザナギとイザナミに習合された大陸の登場人物は、以下のような方々でした。 イザナミが黄泉(冥界)へと降っていく神話は、よく指摘されていますが、シュメールのイシュタル(イナンナ)の冥界下りとよく似ているのでした。 さらにイザナギが黄泉から帰…

奈良・明日香村 酒船石遺跡の正体は「天皇家の血統の視覚的表現」だった件

…話ですが、この時代、中央アジア人やら、ペルシャ人やらが、多数日本に来ていたのです。ヒンズー教、キリスト教、ユダヤ教のことも知ってたはずですね。 斉明天皇は、大陸人など遠方からの使者を特別扱いで饗応して、一々諸国の最新情報や歴史的な話を聞き出したことが想像できます。 ちなみに須弥山とは。 古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されている。 インドで形成された宗教のうち、とりわけ仏教が中国や…

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明

…してみればキュウト。中央アジアから東アジアまで席巻した匈奴と似てます。馬とはそもそも紀元前の中央アジア原産の動物でしたので。これもアッチから来たことを表すのかも。 (5)・耳 「馬の耳に念仏」というのは「念仏唱えたって何の効果もない」ことの比喩的ことわざでした。しかし実はこれ、聖徳太子を示唆することわざだということに気づくのですが。 「馬の耳」というのが「厩舎で生まれた豊聡耳」こと聖徳太子を表していました。 念仏というのは聖徳太子も学んだ仏教のことで、「仏法を知り尽くした聖徳…