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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

出て行けと言われて出てきた。新たな住処で引きこもり

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4月18日、海に寄った。

 

新たな生活の場に選んだ、新居にやってきた。

兄に出て行けと言われて2年。集ストにおもちゃにされ続ける、かすかべ生活は終わった・・・(表面上)。

 

もう住みはじめて、はや1週間になろうとしてる。

富士山が近くにあるけど、山深くて自宅からは見えない。

この場所は高原地帯で、車がない俺にとって、命綱は今のところ電動アシスト自転車のみ。

 

新居と言っても、俺よりいくらか年上な中古住宅。かなりの年月、ずっと空き家だったらしくオンボロ状態でした。ベランダはぶっ壊れてたから除去、屋根も壊れてるから直さないといけない。

応急処置的なリフォームはしてもらったけど、まあこれから余裕があれば、直して行こうと思っていますが。まあ10年くらい住めたらいいかなと。

10年後は知らない。

カビ殺菌除去、ホコリの拭き取り、昆虫の処置はかなり進んで、一応住みやすくなってきた。あとは「ありの巣コロリ」。

 

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周囲は半径100メートルに10軒未満しか無い。学生の奇声も聞こえないし、咳の嵐もない。うるさくて嫌がらせ脳で思考盗聴の集ストもほとんどいない。

ストレスが激減。不便だけどこんな生活もありだと思った。

 

当然ヒキコモリな俺は、ほとんど家から出ないで仕事したり研究したりで没頭する予定ですが。

基本的にかすかべでも引きこもって仕事と研究していて、コンビニ行くのも支払いのために月に一回程度だったわけだし。山の中に引きこもっていても、あんまり変わらないような。坂道は多いから大変そうだけど。

 

これまで通り、買い物は99%ネット通販、ネットスーパーに頼る予定。

文明が崩壊しなければ、ここで引きこもっていても生きていけそうな気がします。 しかし北朝鮮がミサイルを撃ち込むかもしれないとか、首都直下・東海・南海大地震だとか、第三次世界大戦が始まるだとか大変な世の中らしい。なるようになれ。

 

俺はどうなっちゃうんだろうか。あ、野菜の種も買おう。

 

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倭の古墳時代のギザギザ住宅とバビロンのイシュタル門(日ユ同祖論)

俺はこの家にいらない子・・・。ついに今週は引っ越し週間。

やっと動ける。

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倭の古墳時代の形象埴輪について。

奇妙な住宅の姿が見られます。

こんなの。

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柵形埴輪 - Google 検索 より

 

柵型埴輪っていうタイプですが、なんかギザギザとしていて特徴的です。中央に窓がついているので、住居か倉庫兼、塀みたいな役割なのかもです。

当時の住宅自体も、ギザギザとした外観だった様子で、家形埴輪にもまったく同じギザギザつきのものがあります。柵型埴輪は、有名どころでは継体天皇稜といわれる今城塚古墳でも出土しています。

 

ギザギザ+建物=倭の様式

 

これは学校のテストには出ませんが、重要らしいです。

とにかく倭の時代はこんな風景があったなんて、なんか奇妙すぎる。

 

仏教でも、塔婆が連続するとギザギザの形になってたり。あるいは縄文土器でもギザギザ模様の釣手土器が稀にはありますが。

塔婆の場合は人が入る建物ではないし、 縄文土器の釣手土器は香炉や火鉢みたいに、火を灯す役割なので、ギザギザが炎を表しているということだから家屋じゃないみたいです。

 弥生時代のギザギザ建物洋式ですが、アジアでは当時日本だけだったかもしれません。

 

しかし極東を遠く離れた場所では、ギザギザが倭と同様、建物に頻繁に利用されていたみたいなんですよ。

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中東のギザギザ+建物

 

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イシュタル門 - Wikipediaより

イシュタル門


イシュタル門(英語: Ishtar Gate、アッシリア語:ܕܵܪܘܲܐܙܲܐ ܕܥܵܐܫܬܲܪ 音訳: Darwaza D'Ishtar, ペルシア語: دروازه ایشتار、アラビア語: بوابة عشتار)は、バビロンの北域に位置する、8番目の門。

紀元前575年、新バビロニアネブカドネザル2世により建設された。青い釉薬瓦で、バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、オーロックスの浅浮き彫り(en)などが描かれている。

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イシュタル門 - Wikipediaより

 

ギザギザ+建物=バビロンの様式

だったんですね。

 

古代イスラエル人は、なにかとバビロンとは縁がありましたし。ネガティブな意味でも。

これは「日ユ同祖論」とか「大和民族の中東起源」 から解いてみたほうが、手っ取り早いのではと思ったりします。

つまり倭のギザギザ建築は、バビロンの記憶を受け継いだものなんですかね。他の同祖論的なところにもリンクしてるふうに思います。

 

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「日月神示で動いてる日本」の痕跡を探す・・・日航機墜落事故の御巣鷹山(高天原山)と俺

 「日月神示」は詳しくないですが、たまにチラっとネットで見てました。

日月神示は簡単に言うと、大本から出た岡本天明が、原初の神である国常立尊(くにとこたち)、艮金神(うしとらこんじん)とも言う、の神言を千葉県の麻賀多神社で自動書記したものだとか。

それが終戦間際の1944年(昭和19年)のこと。

 

この内容をひとことで言うなれば、どうやら「ヨハネの黙示録」の日本版みたいなものかもしれません。

「二二八八れ十二ほん八れ(富士は晴れたり日本晴れ)」ではじまり、国常立尊についてや、神界、霊界の話だとか、人は普段から何を食べるべき、こう生きるべきだという指南、それに「御霊を磨いて真当な人間にならないと、これからの苦難を越せない」みたいな啓蒙の意味が凝縮されてます。

  

三千世界

 

日月神示のなかでこれから来たる苦難とは、「世の建替え」「大峠」「三千世界の大洗濯」みたいに言われる出来事。

その苦難を超えて来るべき世界が「ミロクの世」「三千世界」とか言われています。終末論的な話が根幹にあるみたいなんですよね。この苦難はどうやらまだ来てないらしいです。

この世の建替えというのは、かなり人類にとっては苦痛を伴う道らしいですが、これを乗り越えた三千世界の弥勒の世界とは、

「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世」

こんな感じが弥勒の世、三千世界らしくて。

まあキリスト教で言うところの理想郷「千年王国」のことに近いです。ほんとにこんな世界になったら人類のこれまでの生活は一変してますね。

 

そういえば近年、なんか見えないものが見え始めたみたいなニュースが増えてるらしい。

 

中国に何度か現れたらしい空中都市。

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Floating "Ghost City" Appears AGAIN Over China Skies? 1/18/17 - YouTube

 

ザンビアに現れたとかいう巨大な人型

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Shoppers Flee As Creepy Shadowy Human-Like Figure Appears In Clouds - YouTube

これはフェイク写真という話も。

 

まったく同じ頃、日本ではこんなのが。

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神戸、大阪で不吉な地震雲が見つかる… - YouTube

妖怪いったんもめん出現。こっちは実際に浮かんでいたとか。

 

なんか世界が異次元と繋がって、あちらの生物が溢れ出すみたいな漫画や映画って、けっこうあります。

映画「ミスト」

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The Mist (film) | Stephen King's The Mist Wiki | Fandom powered by Wikiaより

これは異世界と重なった場合の、悪いパターンですけど。 

 

日月神示で言うところの、「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世=三千世界」というのが、「この宇宙には別次元の宇宙が重なっている」という宇宙理論に繋がってます。

重なっているけど見ることができなかった「パラレルワールド」と、この世界が融合するみたいなことを言い表すようですね。

つまり別次元の地球では、あんな空中都市が浮かんでたり、いったんもめんが飛んでいるような摩訶不思議ファンタジー世界がリアルなのかもしれませんが。

それがこちらの地球と重なりだしている前兆現象みたいなものが、空中都市だったりいったんもめんだったりするわけですかね。

 

関連してこんな記事が。

現実になった「シュレーディンガーの猫」! やはりこの世界はふたつの現実が重なっていた!

俺もそう言えば、「日本書紀」の記述は、大陸と日本の九州と奈良の状況を、全て奈良に重ねて書いているっていう本やブログ記事書いてますが、似たようなことですね。

そういえば「来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世」的なハリウッド映画は他にもあったけど、何ていう映画か忘れました。

 

2つが重なる

 

別世界との融合はが起こるなんて信じられないですが、日月神示で言うところは「神霊界と現世の2つの世界が重なる」と言い換えることもできるみたいなんです。このモチーフは、実は俺の身近なところにも見られたのです。

 

かすかべで昭和29年(1954年)に制定された旧市章は、2つの円が重なる図案。

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1985年、8歳の時に行った記憶がある、つくば万博のロゴマーク。三角形のプロビデンスの目の上で、2つの円が重なる図案。

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wikipediaつくば万博より

マスコットキャラは「コスモ星丸 」といって、宇宙に関係してた万博だったみたいで、そう言えばつくば市内には高エネルギー加速器研究機構の電子陽電子衝突型加速器SUPER KEKBみたいな宇宙を解き明かす研究施設ありますし。これは有名なスイスのCERNの数十倍の能力を持ってるとか。CERNがやばいやばいと騒いでる人は多いですが、CERNよりヤバイものが東京の近くにあるんですよね。異次元世界を重ねるなんて朝飯前か。

最近太陽系にニビルの楕円軌道が重なってるとかいう話も、なんか2つの円の重なりに関係するのかもしれませんし。

古墳時代の双円墳、数字の8。

 

国常立尊(艮金神)

 

日月神示とは、「国常立尊の言葉そのもの」と言われるわけで、国常立尊が最重要視される神です。遠くない過去に、国常立尊にまつわる気になる大事故が起きていました。

日本航空123便墜落事故 - Wikipedia

この大事故が起きたのは1985年で、ちょうどつくば万博が開催されていた年。この事故の舞台になった群馬県上野村の「御巣鷹山」については、知らない人はいないほど有名になってます。

でもこの御巣鷹山の本来の名称が違っていることは、あまり知られてないようです。俺はネット検索で学びましたが。

高天原山

これが御巣鷹山の本来の名称です。高天原山の尾根の一部が御巣鷹山と呼ばれてるということらしいです。

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グーグルアースで確認。

 

つまり日航機墜落事故の舞台は、高天原山だったと言い換えることもできました。

 高天原という名の山は日本列島に幾つかあり、その中の1つがここです。

日本の神さま、国常立尊をはじめとした神の集う場所として、「日本書紀」に登場するのが高天原という天界でした。

要するに日航機JAL123は、高天原の天界に突っ込んだ、そんな示唆が含まれていました。

 

これだけじゃなく、御巣鷹山の近くではこんな奇妙すぎる話もあります。

JAL123便の520人の犠牲者: zeraniumの掲示板

このブログで気になる話があったので引用します。

JAL123便の520人の犠牲者

(前略)

 なぜJAL機は、高天原に落ちたのか?
 なぜ123便であったのか?
 なぜ犠牲者は520人だったのか?
 そこには理由があるはずです。

 そこは高天原(たかまがはら)という、特別な名前のついた山でした。
 周知のように、そこは古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる神聖な場所を意味します。123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず、結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、犠牲者が520人となったことなど、偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。

 この世界には偶然というものは存在しません。
 ですからそこには大きな意味があります。
 行き着いたのは、高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。
 その神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)です。
 古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして家臣に恐れられ、暗殺されました。そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川、暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ)、そしてその三つの川の源流こそが、高天原です。

 その神社に国常立尊(くにとこたちのみこと)が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。そして納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間、国常立尊が蘇えるという伝説があります。この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったとわかって、「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。520人は無駄に犠牲になったわけではなかったのです。彼らは国常立尊となり、日本の国を守るために蘇えったのです。

(中略)

「ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました」
田村珠芳著 徳間書店

 

日月神示を解読したもの=ひふみ神示=123神示=JAL123

御巣鷹山高天原山=神々の集いし場所

国常立尊高天原山に葬られた伝説

国常立尊を祀る神社に、復活祈願のための520体の石仏があった。そこで520人の死亡事故

 

まぁ確かにこれが偶然だったらすごいですね。日航機墜落事故には陰謀説が出てますが、そのへんは置いといて。国常立尊は、これにより蘇ったということ?

 

富士山と神殿

 

高天原山の真南には、富士山があります。

高天原山の北には御巣鷹山

じゃあ西には何山があるかと見れば、八ヶ岳

じゃあ東には何が・・・と見ていたら、なんか変なことに気が付きました。

 

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高天原山御巣鷹山の真東には、俺が住んでる街があって、正確にはこの街にある「首都圏外郭放水路」を指していました。この施設は国土交通省が首都圏の洪水対策のために建設したもの。

計画されたのはJAL123便墜落事故の直後のことで、着工が1992年のことです。

地下の巨大な柱の林立する貯水施設は、通称で「神殿」と言われていて、まるで神が降臨する神籬みたい。しかも「龍Q館」があるんですよね。

龍Q館ていうのは、岡本天明も信仰した大本の、「大本神論」における国常立尊が降臨する場所、変性女子の住まう場所「竜宮館」とおなじですね。

この施設の奇妙な点についてはこの記事で。

この街の特異な地下神殿と竜宮の館

 

 

何か巨大なものに取り憑かれている俺について

 

なにか、色々と嫌な思いばかりの腐った人生なのですが。もう引っ越しも迫ってきていることだし、俺がいったい何に取り憑かれているのか、はっきりさせておきたいです。

なんでここで唐突に、自身のことを書き始めたのかというと、なんかあらゆるものが関連づいてしまうからです。

俺の情報を見て、なんか気づいた人が居たら連絡をください。

 

・昭和52年1月30日生まれ

水瓶座で巳年

・かすかべ

・両親が丑年と寅年(2015年にいっぺんに死んだ)

・名前が達(たち

・子供の頃から体調が狂った

・日本で稀に見る猛烈レベルの大規模集スト

・神殿と龍Q館の街

・真南に寸分の狂いもなく赤坂御用地

俺にまつわる陰謀の証明

皇居宮殿と、この街の市役所が同じ経度上にある謎

 

関係あるかな?

 1892年(明治25年)1月30日(辰年旧正月元旦)、56歳のなおは『艮の金神、元の国常立尊』と宣言する神と出会う霊夢を見た

出口なお - Wikipedia

 

H・G・ウェルズの予言 

うららかな 春の日に ももの花 さく
美しく けだかき婦人 そは 富士の山
愛しき 数々の思い出 うましたからの島
ふたたび 見られぬは そなたの顔か?

 

涼宮ハルヒの憂鬱  りょうぐうはるひ・・・竜宮春日

クレヨンしんちゃん 春日部 暮れ夜の神示ゃん・・・終末的な

 

一々俺に関連付きやがって・・・ダメぽ星人の権化みたいな俺に、神さまやら偉い人は、なんか用事があるのかと。

 

というふうに、日月神示で動いてる日本の片鱗は見えてくるような。

ちなみに俺は今月中に死ななければ、何故かわからないけど春日部から富士山の見える場所に移住することになってしまってます。日月神示やウェルズの予言がますます気になるこの頃。

 

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太陽は単なる恒星なんかじゃない気がする件。中に入れる生命体?

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太陽の塔 - Wikipedia より

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お天道さまはお見通し

 

体調が悪くて、あと何年間生きられるのかとう考えるこの頃です。

しばらく重曹水をやめていたら、各所の痛みが悪化。重曹水を本格的に再開してみたら、痛みも消えてきているので、やっぱり重曹水は効くんではないかと実感。生きている限り、ずっと毎日飲み続けようかと。

それにしても。

俺の人生にとっては、人間付きあいの大部分は、傷つくためにあるみたいなものでした。ただでさえダメな人なのに、集ストされて俺じゃないのに俺のせいにされたり罵声を浴びる日々。

差別やイジメが蔓延るこの世界で、人間関係でのデメリットを感じてしまう人は、少なからず居るのが実情になっているし。

攻撃的な人とは会わずに生活。人間関係は最小限に留める。好きなことをして生きていきたい。この本音を実現するというわけで、山奥の森の中に住むことになりました。

俺が死ぬときは、葬式・戒名不要で、遺骨は散骨だから墓も不要。。死ぬ前に個人葬(火葬式)を予め業者に依頼しよう。これは何年後か分かりませんが。

 

ひとまず2017年は、4月の引っ越し旅行は目前となってきました。俺と一緒に世界も様変わりすることは確実ですが。戦争が始まる、大災害が起きるなんて言われますが。

「おてんとう様は全部お見通し」なんて、悪人に対しては昔から言うらしいです。みんなが太陽を見ているように、人類の個々もずっと太陽に見られているんだろうか。人類の悪事や営みもすべて。

 

お天道様・・・太陽は意志を持ち、宇宙だけでなく個々の地球人を眺めているんですよ。昔のひとはそんなふうに認識していたみたいです。

太陽光線を浴びることで、見られてしまうなんて言う想像してみました。そもそもこの世界は光が存在しなかったら、真っ暗で何も見えないということを踏まえると、光こそが視覚の根源というのは当然なんですよね。「旧約聖書」の「創世記」神は最初に「光あれ」といって光が満ちましたが。光が、太陽という生命体の目や感覚の一部なのかもしれないってことで。

そのへんは古代エジプトのアテン神の姿でもわかりますね。太陽円盤から太陽光線が降り注いでいる姿。人間に腕を伸ばすかのようにして干渉する太陽の姿。

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アテンを崇拝するファラオアメンホテプ4世と彼の家族。アテン - Wikipediaより

 

プロミネンスがうねりを上げては大爆発したり、黒点やコロナホールを変化させて見せたり、地場の細胞分裂みたいな現象が起こるとか。ほんとにまるで生命体のように、変化にとんだ活動をするのが太陽です。

実際に太陽が生命体という見方は、大昔からあるらしいです。地球という惑星が1個の生命体であるという「ガイア理論」は、1960年代にはすでに提唱されていたそうです。地球の親分である太陽という恒星にも、ガイア理論と同じものが当てはまっていて当然かと。

古代エジプトでは太陽円盤は蛇で表現されていたし、日本では神武天皇の御宇以来、熊野の八咫烏は太陽の中のカラスで表されました。太陽は生命体であることを、太陽の蛇やカラスで表したのですかね。

 

イソップ童話の「北風と太陽」の物語は知られてますが、元々は「太陽神アポロンと北風の神ボレアスの話」で、紀元前のギリシャ神話だということなんです。

この物語では太陽が擬人化されて、顔が描かれてるのですが。やっぱり太陽は人に影響を与える存在として、古代から認識されていたんですね。

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北風と太陽 - Wikipedia より

 

太陽はおひさまで「日」の1字であらわされるけれど、これに「生きている」を加えたのが「星」。

だから、日=太陽は生きているのが古代中国人の宇宙観だったのですね。これも古代エジプトと一緒じゃないですか。

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そう言えば 筒井康隆の小説で「星は生きている」なんてのがあったと思い出しました。星が1個の生命だという題材の小説はいくつか覚えています。

 

太陽の塔の秘密

 

1970年に大阪府吹田市で開催された大阪万博

芸術は爆発だ」とか言って、奇抜な芸術作品を生み出すことでおなじみだった故・岡本太郎制作の「太陽の塔」が、この万博のシンボルになっていたとか。

太陽の塔は高さ70メートルと巨大で、太陽をあらわす顔が上、前、後、地下に4つあり、それぞれの太陽には意味が込められていました。

 

太陽の塔の顔の意味

黄金の太陽の顔 正面最上部 未来

・白い太陽の顔 正面中央 現在

・黒い太陽の顔 背面 過去

・地下の太陽の顔 地下 太古

 

こんな感じで1つの塔は時間をあらわすんだとか。太古の太陽の顔は、すでに失われてしまったらしいのは、何か意味深。

太陽の塔は翼を広げた鳥みたいですが、実際にモデルになっているのは岡本太郎が飼ってたカラスだそうです。太陽の中の八咫烏のイメージが、この塔に関連付けられて採用されているみたいです。

太陽の塔の内部には、高さ45メートルの「生命の樹」が下から上に伸びていて、エスカレーターが設置されて上に登れるとか(いまはどうかわからん)。内部では動物と自然の展示があるということです。

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太陽の塔とは太陽そのものであり、いうなれば、

・太陽の内部に入ることが出来る

・太陽は生命を宿す生命体である

・太陽は時間を超越する

こんな驚天動地の示唆が、塔に込められているみたいな妄想をしてしまいますが。

 

あと、黄金とか生命の樹とか、なにか宗教的な思想が入っているようです。黄金の未来というのは日月神示生命の樹ユダヤ教ですかね。ペルーのインカ帝国時代の太陽神殿は、黄金によって埋め尽くされていたとか。日本では八咫烏と同一視もされる「金鶏」の伝説が「日本書紀」にありますし。

太陽の塔に顔が4つあったように、日本の太陽神は天照大神をはじめとして、蛭子(昼子)、大日孁貴(おおひるめのむち)だとか、太陽の名を持つ神は多くいました。 

ところで、日本人はとかく日本史ばっかり研究してる人は、日本を中心に見ていく傾向がありますね。

日本人はたとえば味噌や納豆や豆腐は日本固有の伝統食なんて言いますが、実際のところ味噌や納豆や納豆は東南アジアや中国にもあって、あちらのほうが原産地じゃないかって言われています。

だから物事を日本中心に見てる人は、本来最初にあった大陸のものを知らずに見過ごしたり、軽視しがちになったりするのではないかと。

神社の由来についても、日本発祥だとは言うけど、どうして神社では狛犬というライオンが守り神なのか?日本にはそもそもライオンが生息していなくて、ライオンがいたのは遠くアフリカなのに、なんで神社を守るのがアフリカのライオンなのか?という疑問点にすら届かなかったりするのですよ。

日本の神社は遠く大陸のはるか果ての文化を集合しているからこそ、ライオンが守り神になってるんですよ。

だから視点を自分視点から切り離して、遠い場所の第三者目線を拾っていくことは、重要ではないかと。まあ俺もなかなかできないことなんですが。

 

太陽の塔の中に入れる。このこともなんか「太陽の中に入れることの示唆」かと。内部に空洞でもあるのか、

それとも一部で言われてるように、恒星とは異次元ポータルとして機能をしていて、別世界へ行ける入り口だったりするのか。だから太陽の塔には太古、過去、現在、未来の4つの顔があるんだなんて考えると、自分で納得してたりしますが。

だから太陽の塔と太陽の存在を踏まえると、タイムマシンはあって然るべきだなんて思いますし。

 

太陽の塔が着工したのは1968年のこと。俺が太陽の塔のことを調べて妄想記事を書いたのが2017年。・・・岡本太郎は49年以上前に、太陽の凄さや本当の機能(生命体であることや異次元ポータルであること)を知っていたのですかね。まあここに書いてあることが事実とすればですが。

とにかく謎ばっかりの太陽は意外と好きです。

 

関連記事

天照大神は古代オリエントの太陽神の習合だったってことで

 

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近所の子供が十数年間も不快なほど叫び続けた相手はほとんど飛行機だった

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Roller coaster - Wikipedia より

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俺を苛立たせるのが仕事の1つらしい、防犯パトロール兄軍団が、たまにバイクの音をブンブン出しているが、

 

バイクと飛行機の音は全然ちがう。

 

飛行機の騒音がするたび、ジェットコースターみたいに絶叫する子供ってなんなの?

「叫べ」って指示されて叫んでるの?

 

大型プロペラ機

youtu.be

 

自衛隊輸送機

www.youtube.com

 

セスナ機

youtu.be

 

 

youtu.be

 

 

自衛隊ヘリコプター

youtu.be

 

youtu.be

 

チェーンソー

youtu.be

 

 

こういう音が聞こえるたびに、

住宅地で大絶叫する子供が大勢いるんだが。

 

ほか、爆音の車、バイク、バックホー(ショベルカー)など重機 

彼らは何百回と飽くことを知らず、叫びまくっていた。

 

人間は、濡れ衣を着せて、他人を不条理に責め立てるものらしい。

人間は、自分の大声の迷惑には、気づかなかったりするものらしい。

そこに理性はなかった。

 

騒音の正体を見分ける、聞き分けるができない人々は、音の聞き分けをやってみてほしい。親も先生も教えてくれませんし。

 

以前の記事 2012年12月12日

騒音発してないのに騒音源だと決めつけられ罵声を浴びる

 

 

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桃太郎は卑弥呼にとって弟かそれとも分身か

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Momotarō - Wikipedia より

 

日本を代表する昔ばなしの桃太郎って、とことん倭の女王卑弥呼に関係してたんですね。妄想を極限に膨らませてみました。

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 桃太郎と桃そ姫

 

桃から人が生まれた桃太郎の話を簡略化。

むかしむかし、婆さんが川上から流れてきた桃を拾った。婆「ポケ桃ゲット」。桃から男の子が生まれた。爺と婆は桃太郎と名付けた。桃太郎は大きくなると、村を荒らす鬼を退治すると言うので、婆がこしらえた黍団子持って出ていった。途中で犬、猿、雉をお供にして鬼ヶ島へ。悪い鬼を根こそぎ退治して、鬼の財宝を持ち帰って幸せに暮らしたんだとさ。めでたしめでたし。

桃太郎ってなんなんですかね。

梨太郎、柿太郎、葡萄太郎、蜜柑太郎、パイナップル太郎なんていうのはなくて果物では、桃太郎だけ。

 

桃の名前を持ってる歴史的人物は、いたかなと考えると、

モモずきん、ももぼんはゆるキャラだし、桃パイパイ、剣桃太郎は漫画だし。

で調べたら、

 ・歴史上の人物の名前で「桃」の字がある人っていますか? - 【... - Yahoo!知恵袋

いました。

桃井直常、桃井氏、仙桃院桃園天皇、後桃園天皇などなど。でもみんな、中世以降のひとで、古代にはいなかったんですかね。

 

あ、「日本書紀」にいました、イザナギが黄泉の国から逃げ帰るとき、黄泉醜女(ヨモツシコメ)を撃退するため、投げた桃。この桃、イザナギに誉められて、大神実命(おおかむづみ)の名を頂いているのだから、桃の界隈では英雄的な桃だとか。まあこれは桃だし・・・。

 

と駿巡を重ねていたら、

「百(もも)」なら、古代には居たなと、思い付いたのでした。

 

倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめ)。百襲姫。

もしかして百襲媛って、桃そ姫なのでは?

という連想をすると、「桃が襲う姫」だから、イザナギが投げた桃の役割そのままな印象があります。

ももそひめ、このかたは長らく卑弥呼と同一視されている巫女で、恐らく「卑弥呼の巫女人格が独り歩きした存在」なのではという話は、拙著にもあります。

倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼説の新説 -

 

この桃太郎と桃そ姫は、かなり緊密な関係があったようです。そのへんをちょっと詳しく見てみます。

 

桃太郎は吉備津彦だったのか

 

桃太郎が吉備津彦だとの説は、熱心に信じる人もいますが、それだけの信憑性はありました。

日本書紀」では紀元前の天皇である第七代の孝霊天皇と、妃だった倭国香媛とのあいだに、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)と吉備津彦命(きびつひこのみこと)という子供ができました。

・倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼説があり、百(もも:桃)の名を持っています。

・吉備津彦は黍(きび)団子のキビの名があり、桃の弟だということ。

それで、吉備津彦は桃太郎なのではないかと。

 

この仮説を裏付ける話があり、

伝承・信仰

吉備津神社岡山県岡山市備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら・うんら・おんら)という鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社の釜の下に封じたという。この伝説は物語「桃太郎」のモチーフになったともいわれる。吉備地域には伝説の関係地が多く伝わっているほか、伝説に関連する吉備津神社の鳴釜神事は上田秋成の『雨月物語』中の「吉備津の釜」においても記されている(詳細は「温羅」を参照)。

この伝承では、温羅は討伐される側の人物として記述される。しかし、吉備は「真金(まかね)吹く吉備」という言葉にも見えるように古くから鉄の産地として知られることから[10]、温羅は製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人であるとする見方や[11]、鉄文化を象徴する人物とする見方もある[12]。また、吉備津神社の本来の祭神を温羅と見る説もあり、その中でヤマト王権に吉備が服属する以前の同社には吉備の祖神、すなわち温羅が祀られていたとし、服属により祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったと指摘されている[13]。

吉備津彦命 - Wikipedia

ということで、桃太郎と吉備津彦は共に鬼退治をしているのです。だから同一人物だという話は、信じても良いかもしれません。

しかし個人的に、もうひとつの仮説も浮かんできました。

 

桃太郎は男装した女性だったとしたら

 

桃太郎が男装した女?そんなわけあるかと、思われるかもですが。桃太郎については、こんな伝承があるとか。

香川県では桃太郎が女の子だった、とする話がある(生まれてきた女の子があまりにも可愛らしいので鬼にさらわれないように桃太郎と名づけた)。

桃太郎 - Wikipedia

というふうに、香川県では、桃太郎は女の子でした。

 

香川県に見られる桃太郎の土地
田村神社 (高松市)
・桃太郎神社 (高松市)
・女木島 (鬼ヶ島)
・鬼無

 

香川県はうどんと共に桃太郎関係の土地が集中していて、しかも「桃太郎女の子説」が出ているというのは、何か無視できない状況が揃っています。 

ヒーローが実は男装した女の子っていう話は、日本の漫画でも良く見られるモチーフだったりします。古典的なアニメでいうと「リボンの騎士」とか「ベルサイユのばら」ですかね。男だけど子供の頃にハマって毎回見てました。

歴史上だと、西洋ではジャンヌ・ダルク、日本だと天照大神神功皇后あたりが男装の記述があります。

個人的には天照大神と同一視している卑弥呼も、男装をしていたはずではないかと。卑弥呼と同一視できる崇神天皇は、じつは卑弥呼が男装した姿ではないかという話で、本を書いてました。

卑弥呼は男装して出歩いてた・・・複数の記録に分断された卑弥呼

さらにそれ以前から、卑弥呼崇神天皇説を提唱してました。

 

これで気付いたのですが、桃太郎の「桃太郎女の子説」と、「卑弥呼男装説、卑弥呼崇神天皇説」は、イコールか≒(ほとんど等しい)になりうるのではないかと。

桃そ姫も桃太郎も、「男女の性別の区別がつかない」共通項があったのだと、自分のなかでは納得です。

 

 桃太郎(卑弥呼)の鬼退治

 

すると、「桃太郎の鬼退治」とは、もしかすると「卑弥呼の鬼退治」なのではないかという発想が出ました。

戌、申、雉をお供にしたというのは、卑弥呼が倭の豪族を味方につけて、鬼門の方角の島に攻め入ったということです。

ちょうど記紀神話で、天照大神が、武甕槌命経津主命大国主のところに送り込み、国譲りを成し遂げた話に重なるんではと。または、卑弥呼と狗奴国との対立構造の後、おそらく卑弥呼軍が狗奴国を攻め滅ぼしたことにも。

狗奴国(クナ)は「鬼ノ国」と解釈できるのですし。

 

桃太郎のお供になった戌はいぬで、福岡の委奴(いぬ)国人、猿は道案内の猿田彦の一族、雉は鬼人(きじ)か鬼島(きじ)で、元は鬼の一種だろうか。だから道案内には長けていたわけなのか、などど想像してみたり。 

 

桃太郎と方位

 

桃そ姫=卑弥呼=天照大神だと仮定すると、卑弥呼がいたのは日向=九州で、すると鬼門の鬼ヶ島とは、卑弥呼のいる九州から見た、秋津島(本州)かもしれないてことになるわけですよ。そこに鬼ノ国(狗奴国)があったと。

この桃太郎の昔ばなしですが、明らかに東西南北の方角に関係してるのは気づいてました。調べてると、こんな記事が。

【衝撃】昔話 桃太郎は陰陽道の話だった - NAVER まとめ

 

これは本当のことなのでは。

戌、申、酉(雉)は西をあらわし、牛の角と虎のぱんつを履いた鬼が北東を表す、というのは。桃太郎は西から出発して、東へ向かって鬼を退治したというのは。

 

西海道・・・昔の律令時代の、九州のなまえは西海道

だから、九州に桃太郎(卑弥呼)がいて、対岸の鬼門の島といったら、本州か四国…。

 

などと書いてたら、カラパイアからこんな記事が出ました。

karapaia.com

 

何故か猫に群がるニワトリ・・・。

俺に群がる人々を表現する状況かと思ったり。

 

そういえば猫って、十二支に入ってない動物なんですよね。猫はネズミに騙されて、遅刻して十二支に入れなかったとか。つまり猫とは13番目の干支なんですよ。

俺の想像によると、実は十二支のサークルの横には、1つ小さな猫サークルがあるのです。こんなふうに、北の子(鼠)の横に猫が配置されます。

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 猫の自由奔放な感じからすると、十三番目の席というのは居心地は悪くなさそうですね。

 

そうそう、四国をわすれていました。四国というのは、鬼の島かもしれないわけなんですよ、古代には。

本州と四国で、「鬼」がつく地名はかなりあって、要するに本州と四国中が、鬼ヶ島だったんではないかと。

どうやら鬼地名は、九州は少ない模様です。

 

いわば桃太郎の鬼とは、縄文系統の毛深い倭人かもしれないなと。弥生系統は体毛の毛並みが薄くて、だから平安貴族の絵画では、のっぺりした顔でヒゲも生えそうにない弥生顔が主流になっていて、毛深い貴人は少ないでしょう。 

かつて東日本に住んでいた人々は蝦夷とか東夷と呼ばれたほか、「毛人」と呼ばれていました。それは顔を広範囲まで毛で覆われた、昔のアイヌ民族みたいな風貌の人が大勢を占めたからでしょう。

 

倭人蝦夷はいつも対立関係にあって、蝦夷が鬼と呼ばれる人々だったわけで。大和に抵抗したアテルイも、当時は鬼と呼ばれていたし。

蝦夷(えみし)を討伐しようと、ヤマト王権から歴代の征夷大将軍が誕生して、東方の征伐に躍起なっていました。

征夷とは、それは桃太郎(吉備津彦・百襲姫)という、天皇家の人々による 鬼退治から始まっていると言えるものかもです。

 

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福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

何ということでしょう。毎日の膨大なストレスで、若干ハゲが加速してきました。

 

さて、前回の記事は鳥取県だったんですが、今回は福岡県の古墳から、古代地図を引き出して見たいと思います。

 

屋形古墳群

珍敷塚古墳、原古墳、鳥船塚古墳、古畑古墳の4基の円墳で構成される。現在、墳丘が残っているのは、古畑古墳と原古墳のみである。昭和61年(1986年)2月25日に国の史跡となった。

珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)

奥壁と壁の腰石のみが残り、墳丘は古い時代に破壊されたと考えられる。壁画には点と線を多様に使った絵が書かれている。

屋形古墳群 - Wikipedia

 最初は誰でも「ちんしきつか」と読んでしまうのが通過儀礼らしき珍敷塚古墳。ちんしきちんしき・・・とリズミカルに何度か口ずさんでいると、シーチキンになってきました。この古墳の年代は、古墳時代後期(6世紀)だとか。

何が一体珍しいのかというと、古墳石室の壁画です。

 

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3時間くらいかけて描いた、壁画の写し。

 

これに何が描かれているのか、一般的な解釈を捉えてみたら、こんな感じ。

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左から、太陽、船をこぐ人、烏(からす)、靫(ゆき)、靫、靫、蕨(わらび)、蛇、兵、盾、蛙、猪、太陽、烏、船着場

一般的にはこんな解釈がされています。

 

これはこの古墳被葬者にとって、思い入れの深いもの、動物、何らかの物語を描いたと言われています。いずれにしても昔の倭人が、倭の筑紫(福岡)あたりの思い出の光景を描いた、そういう認識が一般的。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ところで、一番左側のここについては、別の解釈があります。

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エジプト考古学の吉村教授が、珍敷塚古墳の壁画は、エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画と全く同じテーマで描かれていると述べています。

『ファラオと死者の書古代エジプト人の死生観 (小学館ライブラリー1994/05)吉村作治

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 『ファラオと死者の書』 吉村 作治 | 考えるための書評集 より

 

確かに全く同じように太陽、船、右側の舳先の鳥という題材がすべて揃っているわけなので、納得できるところはあります。

 

じゃあ、

「珍敷塚古墳の左端は、エジプトなんだ」

と考えて、壁画を見ていったらどうですかね。ここからは珍敷塚古墳の左の船と太陽の部分はエジプトだという前提で話をススメます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

珍敷塚古墳の壁画で気になるのは、登場する人や動物の進行方向が、全部足並みを揃えて右向きという点にもあります。進行方向を矢印で示してみました。

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こんな風に。船の人、船の烏、船の方向、蛇、兵、蛙、猪、船着き場の烏・・・すべてが右向きなんですよね。

左側の太陽と船の位置を出発地として、船着場のある場所が到着地であると考えていけば、壁画全体で何を表しているかは朧気に見えてきました。

 

つまり壁画の中で、太陽の船のある場所はエジプトです。

壁画の一番右側が到着した土地であり、現在の珍敷塚古墳の位置であるということ。

途中の靫(ゆき)は、ユーラシア大陸の途中の中継地点、国を起こしたのか、とどまったのかということです。弓矢や点々が、国に満ちた人の数を表しているでしょうね。

全ての人や動物が、右方向を向いているということは、左のエジプトが「西」であり、右の船着き場の到着地が「東」で、船着き場は倭の筑紫(福岡)の珍敷塚古墳のあたりなことを、意味していると読み取れますね。

 

前回は

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

で、壁画のイクトゥスから古代天皇家大和民族が中東から移住してきた、そんな結果を読み取れました。

今回のこの壁画も「珍敷塚古墳に葬られた倭人(の先祖)の移動を示しているユーラシア大陸の地図だ」っていうことが、なんとなく見えてくるわけなんですよ。

では1つ1つの要素を細かく見て行っちゃいます。

 

・蛇

蛇というのは古来から世界中で信仰対象となっていた動物でした。古代エジプトでは、ハヤブサの頭部を持って、図上に太陽円盤を乗せた太陽神ラー。太陽円盤を取り巻くのは蛇なのであり、蛇とは古代エジプトでは太陽と権威の象徴たる動物で、ファラオは王冠にヘビの頭のウラエウス(蛇型記章)を取り付けていました。

 蛇形記章 - Wikipedia

 日本のイザナギイザナミは元々は蛇神だったのではないかという説があり。ナガとは蛇であり、ナミとはギザギザの波形(~~~~)だし、ミは巳ということで蛇を表しています。原初には天の沼矛をかき回し、天御柱の周囲を回転する様子があって、これらがギリシャの2匹の蛇がからまった蛇ケリュケイオン、シュメールのニンギシュジッダ、中国の伏儀・女媧と共通するモチーフでもあるのですよね。

参考記事

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

 ということで蛇神信仰は、西のエジプトから、東の倭へ到達している可能性は、この壁画から見えるかもしれないことです。蛇の進行方向は西のエジプトから、東の倭となっているわけなので。

そういえばこんな記事も

・極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件

 

 ・靫

弓矢を入れて背負う、ランドセルやリュックサックみたいな道具、それが靫。ゆぎ、うつぼ、箙(えびら)、矢筒(やぐない)ともいうとか。

壁画の中では3つの靫があって、東へと進むにしたがって靫の大きさも弓矢の数も点々の数も増しているようです。これは東へ進むごとに、エジプトから出発した勢力が増していったことを意味するでしょう。

エジプトから出発した民というと、やっぱりモーセ出エジプトをした、古代イスラエルの民ってことなんじゃないかと。だから珍敷塚古墳の一族の先祖はやっぱりアッチ系なんじゃないかと思ったりしますが。

靫の形状は何故か漢字の「月」形をしているのは、「月氏の土地を通った」ことを表しているようです。月氏は大陸の中央から漢の近くにまで、進出していました。

中央アジアバクトリア(のちの大月氏の地)、タリム盆地の西域諸国(歴史的に月氏の地)、甘粛省青海省土地(のちの小月氏の地)を経ていることが、壁画の靫=月で表されてるのではないかと。

そういえば思い出した。

 

日本の奈良県と、神武東征記録に月氏系の地名や人物名が、とにかく多いことについての記事はこちら。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

 ・蕨

蕨は縄文時代からある植物で、倭人アイヌの絵柄にもよく使われています。蕨文、蕨手文と言われます。これは倭固有ではなくて、エジプトや中央アジアでも古くから用いられたデザインで、蕨文の模様は古代から世界共通だったのですよ。

で、この壁画に描かれているのは、実際には蕨じゃなくて、中央アジアの国を表すものかもしれません。

渦はウズで突厥烏孫を呼んだ音が「ウズ」だったので、2つのウズがあることは、2つの烏孫を表していますね。烏孫は歴史上で、少月氏の土地に難兜靡が建てた烏孫が最初にあって、後にキルギスのイシク・クルのほとりに昆莫が烏孫を建てたということで、2つの渦がここで表されているのがひとつ。

もうひとつは、この蕨手文みたいな地形が、中央アジアに実在することから、正体が見えてくるのではないかと。これについてはまた今度。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

それで、出た結論がこれ。 

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(1)まずセン・ネジェムの壁画によって、珍敷塚古墳の被葬者の部族が、古代エジプトから出てきた(モーセ率いる古代イスラエル人の「出エジプト」の出来事?)ことをあらわしている。

(2)全ての人や動物を右向きにすることで、西のエジプトが出発地点であり、東へ向かったことを意味している。 

(3)月の形をした靫により、月氏の領域=中央アジアに拠点を持ったことをあらわしている。

(4)渦によって烏孫(ウズ)をあらわしている。また蕨文の形状は中央アジアタリム盆地天山山脈、バルハシ湖の領域を表している。

(5)蛇は長い道のり。

(6)盾はトンであり、中国の唐(トン)と同じ。だから中国大陸を渡ってきたことを示している。またはトルコ系の遊牧民で、極東まで到達したタタルが倭まで来ているから、それを表している。盾の古語は「たた」なので、タタルを表すのに丁度よい。

(7)蛙は、中国に「月に蛙がいる」との神話があり、中国を通ったことを意味する。または扶余の金蛙王のことで、蛙は水棲だから海を泳いで渡ってきたことを意味する。

(8)猪は「いぬしし」で、倭の最初の国「委奴国」(いぬ国)に到着したことを示す。

(9)輪(◎)により「倭」をあらわしている。

(10)八咫烏が出発地点から船人の道案内をし、到着地である倭の船着き場にもいることで、はるかエジプトから渡ってきた民であることを表している。個人で渡ってきたというより、先祖代々を経ての記憶を描いているのだとおもう。

(11)セン・ネジェムの古墳の年代は、ラムセス2世(紀元前1314頃 - 紀元前1224年)の頃。月氏は紀元前3世紀から西暦1世紀。烏孫は紀元前2世紀から西暦5世紀。扶余は紀元前2世紀から西暦5世紀。委奴国は西暦1世紀。珍敷塚古墳は6世紀。

 

月氏烏孫、扶余、委奴国と通ってきたとすると、紀元前5世紀~西暦1世紀頃の移住で、やはり居住期間に、かなり世代を重ねているのでは。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というふうに、珍敷塚古墳の壁画から、色々な情報を読取ることができたわけなんです。

重要なのは、この珍敷塚古墳と全く同じテーマの壁画が、他にも複数存在しているということ。倭人のかなり多くがエジプト方面から端を発し、中央アジアを経て来ていることを、表していますね。

どうして古代エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画を、左端に描いたのかの理由が分かってくるではないですか。壁画の真ん中と右側を、見るべきだったのであると。考古学の先生も、この壁画全体を見直してほしいですね。

 

遺伝子として残っていないのは、東アジアでの交配が、かなり進んだからということなのですね。あるいはよく言われるように、Y染色体のD系というのが中東系の遺伝子であるから、いま「縄文人の遺伝子」といわれているものが、実は「紀元前5世紀から弥生時代末期・古墳時代にかけて移住してきた倭人モーセ古代イスラエル人→烏孫人・月氏人)の遺伝子」なんじゃないですかね。

とすると何で、弥生時代の大陸奥地から渡って来た遺伝子が、縄文時代に大陸から渡ってきた遺伝子だという風に言われているのか?という疑問が出てきてしまいますが。

まあ低学歴の仮説ですけど。

 

この記事と完全に整合する内容の記事を、先日書いてた。

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

こちらも合わせて読むと理解が早いです。

 

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鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

人間が一生に受けるストレスは、平均で1000ポイントだとしますね。

俺は1日で100ポイントを超えた日が過去に何度かあり。

それは自宅前で、中学校の複数の生徒の集ストによって大絶叫爆撃の雨霰を受け続けた日々であるとか。

出先で何故か自分を見失って混乱し、右も左も何していいかもわからなくなった日だとか。原因不明の臭いに悩まされた時だとか。・・・。

そんなことが色々と積み重なって、俺の人生40年でストレスは1000万ポイントは溜まっていますよ。早くポイント交換で豪華商品を貰いたい、この頃。

追い込みが加速して、もうこのままココに居ると殺される勢いなので、ちょっと寿命を伸ばすために4月には転居をする予定です。

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梶山古墳。

知らない人のほうが多そうなこの古墳、実はかなり重要な古代の情報を秘めているのではないかと。それはずっと追い求めている、「天皇大和民族の中東起源説」を示す、ちいさな証拠みたいなものではないかと。


梶山古墳(かじやまこふん)は鳥取県鳥取市国府町岡益にある古墳。1978年(昭和53年)に中国地方で初めてとなる彩色壁画が発見されて注目され、1979年(昭和54年)に国の史跡に指定[1]された。その後の発掘調査で、日本最古の方形壇を持つ変型八角形古墳であることも確認された。

 

・石室と彩色壁画

石室は墳丘の南面にある。内部には凝灰岩を切石とした横穴式石室を構築している。石室の全長は9メートルほどで、幅60~80センチメートルあり、玄室・玄門・前室・羨道の部分からなり、玄室の高さは1.8メートルほどある。前室部の高さは2.1 メートルほどで、石室の中では最も高い。

石室の奥壁にはベンガラ(赤黄色の彩色)で魚や同心円(日・月)、竜文、三角文を描いている。石室は早くから開口しており、子供の遊び場となっていたが、1978年(昭和53年)5月、梶山古墳を訪れた同志社大学教授・森浩一により、彩色壁画であることが確認された。後になって、石室奥壁の壁画のことを地元の小学生が作文に書いていたことも分かった。

壁画の主題である魚は体長53センチメートルで、鮭か鯉を描いたと見られる。鮭は死者がもう一度よみがえり、生前の姿を見せてほしいという追慕の気持ち、鯉は滝を登ると竜に変わる『竜文の鯉』という中国の故事に由来しており、いずれにしても死者を弔う祈りの印である。

・被葬者

被葬者については不明であるが、675年(天武4年)に因幡に配流された皇族の麻績王(麻続王)(おみおう)であるとの説が有力である。

八角形の墳丘・壁画の魚・南面するプランなどは道教思想が濃厚であること、石室の切石の精巧な技術、壁画の技術などから大陸文化の影響が強くうかがえ、被葬者は相当に身分の高い人物であったことが想像される。

 

梶山古墳 - Wikipedia

 梶山古墳についてはこのサイトが詳しいです。

http://yz-t.com/bunbun/kokufu/kajiyama/kajiyama.html

 

サイトの現地の案内板の写真から、写し取った梶山古墳の彩色壁画の様子。

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こんな奇妙な壁画があるとか。

これはおそらく「絵文字」として機能してるに違いない。 

 

ウィキペディアでは、この壁画は道教の思想と関連すると結論付けて紹介されてますね。しかし、これは絶対に道教だけに関係すると、決めつけちゃって良いんですか。

俺の見方によれば、魚にはイクトゥス(ジーザス・フィッシュ)が関係するので、別の見解が浮かんでくるわけなのですよ。まぁこれは追々分かってきます。

 

 梶山古墳の被葬者は「皇族の麻積王(麻続王)」だった。

というところから、この壁画は個人の思い入れあるモチーフを描いたか、はたまた天皇家に関係するモチーフを描いた可能性がありますね。

 

冒頭で、私的な移住の話を出しましたが。

古代の天皇家率いる大和民族の豪族集団が、広大なユーラシア大陸を、西の端から東の端へ渡って移住してきたのであるというこの仮説は、このブログで当初からのテーマのひとつになってきました。

梶山古墳の壁画によっても、この仮設は証明されることです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では壁画に何が書いてあるか、意味を解きたい欲求がスゴイですが、この梶山古墳の彩色壁画の解釈は、すでに5年前くらいに出していました。

 

△について

 

卑弥呼を象徴する数字と三角形から導かれる「女王卑弥呼は天皇だった」

この記事で、「△=ミカド=帝=天皇」を意味する記号であると書いています。 

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 3つの角があるから、ミカド。

超安易な発想ですが、たぶん文字を使わない昔の倭人は、こうしたいろんな記号を絵文字として機能させたのは確実です。または漢字を使うことを避けた皇族も、あえて記号に意味を込めたんです。

これは三位一体の神を表すのだとか、いろんな解釈があります。

 

縄文時代にはペトログリフという文字があったらしいです。

神代文字もよく話題にのぼりますが、神代文字の殆どは江戸時代以降に創作された傾向が見えるとか。なぜなら神代には8母音あったはずなのに、いま伝わる神代文字は5母音のものばかりが残っているから。5母音化して以降に創作された神代文字が、いま蔓延っているわけですが、全部が捏造というわけでもないとか。

縄文時代ペトログリフでは、

◎=太陽

D=月

~=蛇

みたいに解釈がされます。なるほど~と頷けるような、極めて単純な記号を絵文字として使っていたと。それは縄文時代あとの弥生時代でも継承されていて、古墳によく描かれているのを見かけます。

現代人でも実は絵文字は使っていますね。ネットのSNSでは顔文字で感情を表したりとか。

 

そもそもミカドって、いつからミカドって呼ばれ始めた?という答えは、おそらく弥生時代以降のこと。

ヨセフ・アイデルバーグの説によると、ミカド(帝)= ミガドル(高貴なお方)。

神言語ヘブライ語と日本語の共通点多すぎ!!日本人のルーツは“失われたイスラエル10支族”ユダヤ人なのか!?籠目文、鳥居、君が代、共通点他にも多数… |

 個人的には日ユ同祖論を含めて、大陸各地の発祥のものが融合しているのが日本文化や日本語の正体であり、天皇という家系そのものが同様だと認識しているので、日ユ同祖論的な解釈も断然アリかと。するとミカドは弥生時代天皇家大和民族が渡ってきたのと一緒に、倭へともたらされた言葉なのかと。

 

彩色壁画で、左と右に2つ、△があるというのが注目点。

・・・

 

◎について

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倭ではいにしえより、◎印は太陽を表しているのは明らかで、これはエジプトと倭の共通した文字(記号)でもあります。

日本は日の丸の国旗を用いていますが、日の丸の中央の赤い丸は、天照大神を表しているということは、知らない人もいるかもですが。

つまり現代日本人も、◎という絵文字を太陽の象徴として継承して来ているわけですよね。

 

とすると梶山古墳の壁画では、太陽もまた左右に2つあるということになって、これは奇妙だということ。

大友克洋の「アキラ」で、「アキラがふたつ」現れた場面が思い起こされてしまいました。

・・・

 

魚について

 

単刀直入に言えば、これは道教じゃなくてキリスト教における、イクトゥスです。個人的にはそう解釈します。

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イクトゥス(イクテュス、ichthys ichtus、ギリシャ語: ΙΧΘΥΣ/ ἰχθύς 発音 [ikʰtʰýs]) は、弧をなす2本の線を交差させて魚を横から見た形に描いたシンボルである。初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして用いた。

英語では、イクサス (ichthys, ichthus[ˈɪkθəs][1]) のほか、ジーザス・フィッシュ (Jesus Fish) やクリスチャン・フィッシュ (Christian Fish) とも呼ばれている。

 

頭文字の符牒

イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。

 

古代ローマにおける用法

ミラノ勅令以前のキリスト教徒は、迫害や処刑されるおそれがあったため、信仰を公にできなかった。そのため、 隠れシンボルとして次のように用いられたといわれる。まず、1人の人間が明らかにランダムな直線や曲線を砂の上に描き、その線のうち1本を円弧にする(イクテュスの半分)。もし、もう1人が地面に線を何本か描き足す中でイクテュスの形を完成させれば、2人はお互いがキリスト教徒であると確認できた。

また、キリスト教ユダヤ教の流れを汲む宗教であるため、当初は偶像崇拝を禁止していた。そのため、3 - 5世紀頃の初期キリスト教美術では、イエスやその信徒を表す場合には魚やヒツジなどの動物に置き換えて描かれた[2]。

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イクトゥス - Wikipedia

 

梶山古墳の壁画の魚は右を向いているので、進行方向は右向きだろうなと。

そして右を向いた魚の進行方向と、壁画上部の「曲線文」が関係していました。

・・・

 

曲線文について

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ぱっと見て、何だかわからないものが目の前にあるとき、人は今まで人生で培った知識をフル回転させて判断しますが。東洋史を中心に研究した人が、道教に関係すると言ったり、曲線文は龍を描いた四神の青龍だ、みたいな発想してもまた遠く外れてはいないです。

でも梶山古墳の壁画の曲線文は、はっきり言えば「地図」が正解なのではないかと。こんな単純な線のちずがあったとして、伯耆の国(鳥取)の狭小な範囲なのか、日本列島かと考えますが、違いました。

 

これはユーラシア大陸の「シルクロード」を表しています。

個人的に天皇家大和民族は、西はエジプト、古代イスラエル王国、トルコからはじまり、真ん中は中央アジア烏孫月氏を経て、東は扶余や呉や三韓を通って倭に到達したと考えていて、過去記事もこんなのがあります。

関連記事

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

 

この梶山古墳の地図というのは、妄想している経路とぴったり合うものなのではないかと。

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 西のミカドと輪(倭人)は、シルクロードを経て、東に移転しているんですよ。

それを2つの△と◎と魚の進行方向とシルクロードの地図で表した、っていうことです。

出発点となるのが西はエジプト、古代イスラエル王国、トルコからはじまり、真ん中は中央アジア烏孫月氏を経て、東は扶余や呉や三韓を通って、さいごに倭に到達してます。

 

これと同じものが、実は福岡県の珍敷塚古墳をはじめとして、全国の古墳壁画にも描かれているのですが。それは次回。

 

梶山古墳自体が、日ユ同祖論が正解であることをあらわす回答の一端であることが、分かってきますよね。 

でも日ユ同祖論を熱心に否定するひとは、この解釈も捏造だとか歪曲というかもしれません。このことを証明するのは難しいですが、被葬者と伝わる麻績王と梶山古墳自体の存在からも、「天皇大和民族の中東起源説」は見えてきます。

 ・・・

 

麻績王について

 

 この古墳の被葬者は麻績王(麻続王)が有力とのことで、ウィキってみると、


麻績王(おみのおう、生没年不詳)は、7世紀末の皇族。麻続王、麻積王とも称される。

出自をめぐって大友皇子天智天皇の太子)、美努王橘諸兄の父)、柿本人麻呂など諸説ある。また、年代的に無理があるが、聖武天皇の別名ともいわれる。

日本書紀』には、675年5月17日(天武天皇4年夏4月18日)の条に天武天皇によって「三位麻続王に罪あり、因幡に流した」とあり、この他に『日本書紀』には、麻績王の子の1人を伊豆諸島の伊豆大島に流罪にし、もう1人を血鹿嶋(長崎県五島列島)に流罪にしたとある。また、『万葉集』巻第一では伊勢国の伊良虜の島(愛知県渥美郡伊良湖岬)に流罪されたとある[1]。さらに、『常陸国風土記』には常陸国行方郡板来村西の榎木林に居らせたとあって、流罪先も諸説ある[2]。

万葉集』には、伊勢国の伊良虜の島に流された麻績王の事を悲しんだ人が「打麻を 麻績王 白水郎(海人)なれや 伊良虞の島の 珠藻刈ります」と歌ったのに対し、麻績王が答歌として「うつせみの 命を惜しみ浪にぬれ 伊良虞の島の玉藻刈り食む」と詠んだというの和歌が伝えられている。

なお、鳥取県鳥取市国府町岡益にある梶山古墳は麻績王の古墳であるともいわれてる。

麻績王 - Wikipedia

親子ともども波乱万丈といった感でした。このかたも、もしかすると大勢に責め立てられて、ストレスは軽く1000万ポイント超えているかもですね。

麻績王(麻続王)は、麻績(麻続)と書いて「おみ」と読ませているのは、当て字というわけです。直感的には近江国滋賀県)の生まれに因んで、「おみ(近江)の王」なのではと発想しますが。

 

「麻績」は、別の読み方をすると「マシャク」。

マシャと言ったら、メシア(マーシアハ)のことだとしたら。

要するに梶山古墳の壁画に何故、ジーザス・フィッシュ(イエス魚)が描かれているかの説明が付くわけなんですよね。

梶山の梶という1字は、「神に捧げる神聖な植物」ということだったので、やはりキリスト教に関係している地名、それが梶山だったのでは。

 

古代に俺の妄想のセンサーを飛ばしてみると、

 

近江のほとりで生まれた麻績王(おみのおう)は、

景教ネストリウス派キリスト教)の信仰者となり、

自らの名を「マシャ=メシア=救世主」として、異教を熱烈に信仰し、

日本の国政に影響させようとしたために、

「麻続王に罪あり、因幡に流した」等と、一家ともども流刑させられ、

鳥取に自分の墓(梶山古墳)を造った時に、

神に捧げる神聖な梶の木の名を取って梶山とし、

自らの信仰であるキリスト教の印「イクトゥス(ジーザス・フィッシュ)」を密かに描いて信仰をあらわし、

憚って誰も口にしなくなった、天皇家の先祖の辿った道筋(古代中東からシルクロードを経てやって来た)を描いた

 

という話は想像しただけです。

こう考えると、なぜ壁画にジーザス・フィッシュ(イエス魚)があるか、被葬者の名前がマシャ(救世主)なのか、全ての辻褄が合ってくるわけなので。

 

そうすると、梶山古墳装飾壁画について、学者が「中国の道教の影響を受けた壁画だ」と結論づけていることについて、違和感を感じるしかないということんですよ。

まぁちょっとだけ「これはアリだな・・・」と思ってくれたら、それが積み重なって、「天皇大和民族の中東起源説」や日ユ同祖論が真実の日本史の根幹にあることを、多くの人が認識できるようになって行くかもしれないなと。

 

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かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

ユーラシア大陸諸民族が想像以上に、大きく倭へ影響を与えていると言っても、なかなか俄には信じられなかったりしますね。日本人は子供の頃から日本文化は日本固有で日本独自で唯一無二だと思い込まされてきましたし。

でも中央アジア、とくに中央アジア烏孫の存在を匂わすヒントは、たしかに奈良盆地に残されていのですよ。

そして今回は、奈良盆地に「イシク湖」があった件について。

 

大和湖(奈良湖)

 

その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆地には巨大な湖がありました。

それは歴史的には「大和湖」とか「奈良湖」と命名されているそうです。かなりマイナーな存在。

以前に作った地図があったと思い出して、探したら2012年の記事にあった。

古地名図(畿内編)

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大和湖は関東地方でいえば、今は殆ど見る影も無くなっている「見沼」という巨大湖と存在感を重ねることができそうです。見沼はいま「見沼田んぼ」となって、首都圏で数少ない広大な田園地帯になってますが。

奈良県の大和湖の跡地も、昭和時代までは田んぼや池や集落があるばかりでしたが、いまや盆地内全体の都市化が進み過ぎて、面影もほぼ少なくなったとか。奈良県は田舎というイメージがあったのに、食料自給率は47都道府県でも下位のほうで、それだけ都市化してしまったとか。

 

でも奈良盆地には何故か小さな池が無数にあり、実はそれらが、かつての大和湖の跡を示しているようです。たとえば大和湖の北端にあたる、大和郡山市のあたりでは、かなり残ってるのでは。

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こんなふうに。新木町のあたりは特に集中してます。

 

大和湖全体の地図をもう少し詳しく見てみる。

大和湖が広がっていたのは、ちょうど奈良盆地の中央部の西側。大和川、曽我川、葛城川、竜田川、富雄川などの幾つもの川が合流している地点。地域名でいうと生駒郡、葛城郡、磯城郡のあたりになる。

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Flood Mapsは海水面が上昇したらどこまで水が行くか、様子が分かる地図。これをもとに作ってみた、大和湖の想像図。

 

奈良盆地に巨大な湖があったのは、盆地という山に囲まれて水が溜まりやすい地形だから不自然ではないことでした。奈良盆地には海水棲生物の縄文貝塚が無いということだし、地震時にも特に塩がにじみ出るという害も無いので、大和湖というのは海水面が上昇してできたのではなく、山の水が溜まったことによる淡水湖ですね。

そしていま、奈良湖のあたりの地名を調査すると、湖に良く見られる地名が幾つか見つかるんです。

・北浦・・・広陵町の北浦の「浦」とは、海や湖の入江や浜辺を現す言葉なので、いま大きな湖がない広陵町に、浦があったことは大和湖の存在を伝えているよう。

・保津・・・田原本町の保津の「津」とは港のことで、川がないのに港ということは、かつての大和湖の港を現すのかと想像。

・磯城・・・磯城郡の「磯」とは岩の多い海岸をいう。

やはりむかし湖だった情報は、てんこ盛りなのでは。

 

何故に大和湖が消滅したかといえば。

奈良盆地という人が居住しやすい平地の開発を行った弥生人がいました。生駒山地に流れる大和川の岩盤を掘削し、湖の水を抜くことによって土地を増やして開発を進めたという説があり。

ほか、農業で自然と土砂が湖を埋めたという説、しぜんと川が開削されて水が抜けたという説があるようです。

 

本当の湖の名称を見つける

 

この大和湖がむかし、何という名前だったのかは、完全に不明で、いま暫定的に奈良湖とか大和湖と呼ぶのです。別に大和湖や奈良湖で良いじゃないかと思われますが、古代にあったものを探るのが歴史を研究する人の本能というものですし。

ヒントは磯城郡

大和湖のあった地域は、古墳時代律令制度のころから、広域的に「磯城郡」があったことから、湖のほんとの名称を想像するこては可能でした。

磯城郡は当初の名を式群、磯城群といって、昔から式上(しきじょう)・式下(しきげ)、あるいは城上(しきじょう)・城下(しきげ)などと名称が変遷しました。

城の1字だけでシキと読むようです。

 

想像によれば、当初の大和湖は、磯城湖という名前に近い名称だったのではないかと。

では磯城郡と大和湖の範囲を重ねてみる、すると大和湖中心部と磯城郡域はぴったり重なることがわかりました。

次に奈良湖の周辺にシキという地名がないかを探してみます。するとこんな感じになった。

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不思議とシキ系地名が奈良湖を取り囲んでるではないですか。

磯城(シキ)、城上(シキノカミ)、城下(シキノシモ)、信貴山シギサン)、椎木(シギ)志紀(シキ)、石切(イシキリ)、石木(イシキ)、石上(イシカミ・イソノカミ)、石川(イシカワ)、新木(ニキ=シキ)。

この大和湖を中心とした場所だけ、シキ、イシキ系の存在感ある地名で取り囲まれてますよね。なんでだろ。イシキだけに意識高い系なのだろうか。

 

なんか中央アジアイシク湖的な音が見えてくるのですが。

イシク・クル


イシク・クル(ウイグル語:Ysyk-Köl[1]、キルギス語:Ысык-Көл、ロシア語: Иссык-Куль)は、天山山脈の北、キルギスの北西に在る内陸湖。イシク湖、イシククル湖、イスィククリ湖などとも表記される。イシク・クル州に位置しており、この湖の北岸はイシク・クル地区と呼ばれている[2]。

古称は熱海(呉音:ねつかい、漢音:ぜつかい)。唐代の詩人岑参は、「側聞陰山胡児語、西頭熱海水如煮。海上衆鳥不敢飛、中有鯉魚長且肥。」と詠んでいる。

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イシク・クル - Wikipedia より

 

熱=トルコ語で「イシ」

 

イシク湖トルコ語で「熱い湖」の意味があるので、古代から中国語表記は「熱海」になってるんですね、

世界で「熱海」があるのは、キルギスと日本の共通点なんですが。これも、「日本雛形論」にリンクしているようで意味深。

試しにトルコ語で調べてみたら、トルコ語の「イシ(isi)」は日本語では「熱い」という意味だった。さっきの奈良盆地の地図みると、大和湖は「石」の地名で取り囲まれています。

大和湖がイシクであることを表すために、「石」という漢字を用いていると考えることができるわけです。

 

結論は大和湖=イシク湖だった

 

結論としては、やはり大和湖とは、キルギスイシク湖を日本列島に置き換えた存在、大和湖をイシク湖と呼んだ権力があったということではないかと。

広い目で見れば中央アジアだけでなくユーラシア大陸全体の地名が、日本列島に移植され、漢字表記されていると見て良いと思いますが。

そうしたことを行った理由は、「中央アジア人を含むユーラシア諸国の人々が、倭人の中枢にいたから」ですね。

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

 

大陸と日本をリンクさせた日本雛形論の思想が、弥生時代後期から倭人の権力者のなかにあったのだと。こんな仮説は、なきにしもあらずというか、あっておかしくないですね。

磯城郡志紀郡信貴山のシキというのは、イシク=イシキのイが抜けた地名だろうし、石切や石木はそのままイシク湖の地名を漢字に置き換えたんですよね。

 

実際、奈良県あたりの地名と、烏孫キルギスの地名を比較すると異様に似かよったものが見えてきますし。

 

奈良県中央アジアの地名比較 

奈良 中央アジア

磯城 イシク

石切 イシク

弓月岳 弓月国

宇治 ウジ(突厥による烏孫の呼び名)

宇智 ウジ(突厥による烏孫の呼び名)

太秦(ウズマサ) ウズ(烏孫=ウズ)ウズベキスタン

橿原(カシハラ) 月氏

河内 月氏

大阪 サカ

 サカ

 

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

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これにイシク湖を加えておきたいです。 

 

関連記事

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

 

ほか、ブログ内検索やグーグル画像検索で「烏孫」を検索すると関連記事出てくるかと。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、俺を漫画などで貶めている、特定の人々に対して言えることですが。

俺は別に人を惑わせたりするために、ブログを書いて諸説出して見せてるわけではないし、自分を立派に見せる目的も無い。そもそも低学歴だし。誰でも自己流解釈というのは持っていて歴史の仮説を発表することは悪いことじゃないはず。小説や漫画を書くことも想像力を膨らませて公開してるだけであって、子供の頃から何かと発表癖を付けられてきた日本人にとっては当たり前なことだし悪いことじゃないはず。

俺の場合、何かを発表するたびに「嘘書いてる」「惑わせてる」というふうに否定的に捉えられ、立場を曲解され、大々的に貶められる、そんな傾向があるんじゃないかと想像をしているわけですが。なぜ俺の場合だけ。

俺がこの世界に絶望していて、世の仕組みをすべて変えて欲しいと願ってるからなのか。しかし考えてみれば、ブログアクセス数が1日わずか300前後の者が、世界にどれほどの影響力を持ってるのだろうか。そんな小物をみんなで穿った視線で重視してみんなでまともなカオしつつこっそり色んな意地悪を浴びせかけて、どんな得をしてるのか。俺はいったいなんなのか、教えて欲しいですよ。

 

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「思考盗聴は存在しない」という一般論は本当かどうか検証

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画像:Brain–computer interface - Wikipedia より

 

裏の先端科学技術

 

戦後あるいは戦前から、人類の「裏の最先端科学技術」は、すでに21世紀初頭のレベルに達していたとか。

今現在、秘密裏に開発が進んでいる未公開の技術レベルは、20~50年先に進んでいると見ていいらしい。いろんな知識人が、そんなこと言ってます。

つまり俺が生まれた1977年の段階で、人類の最先端技術レベルは、既に21世紀レベルか、それより遥か先まで進んでいたと見ていいのだと。

この理論でいうと、2017年の段階で、ようやく何十年も前に開発された技術が、いま公表され出しているということになるのですね。

UFO、人造人間、ロボット、バイオテクノロジー、病気治療、火星到達、タイムトラベル、スターゲイト、ワープ航法、思考読み取り、人間リモコン・・・

表向き、こうしたものは現時点ですべて初歩的な技術レベルだったり、完全に実現するのは遥か先の未来だ、あるいは不可能だ言われ、闇雲に信じる人がいたりしますね。

でも実際にはほとんど完成している水準であったりして、世界中の権力者はこれらの大部分に関わったり利用したり、できちゃってるのだとしたら?

(極秘裏にUFOに乗って楽しんでいたりして)

そうした存在をいち早く公開して「ネタバレ」して見せていたのが、ハリウッド映画を始めとしたSF作品やアニメなのだとしたら。

そういえば戦前の白黒写真や映画で、今の時代の携帯電話・スマホみたいなものを操作している人が写ったりしてるのがいくつもあるとか。巷ではそれをタイムトラベラーだなんて言い表したりします。しかしこれも実は、現在の通信技術に匹敵するものが、すでに戦前に存在したことを、写真や映画の中で仄めかししていると考えることもできますね。あるいは本当にタイムトラベラーなのか。

タイムトラベラー - Google 画像検索

 

思考盗聴について

 

思考を読み取る「思考盗聴」は、一般には存在しないと言われていますね。なぜかわからないけれど、必死に否定をする人もたまに見かけます。

集スト参加者は「こちらの考えていることを口にする・考えていることを話の種にしてからかって見せる」という行動を頻繁に取っているということです。

集ストされている人は、その半数近くが、思考盗聴は実際にあることだと考えているようです。スマホに、集ストターゲットが思考した文章が受信され、見られていることは想像がつく話。俺自身も思考盗聴は存在すると考えているほうです。

 

思考盗聴に関連する国家的な人体実験が存在したことを知っていますか。

漫画やテレビアニメや映画では、昔から「他人の思考を読み取る場面」が不自然なほど、頻繁に登場していたのを知っていますか。

しかも、近年は思考を読み取れるというニュースが相次いでいました。

 

1949年

1984年 (小説) - Wikipedia

イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。1949年刊行。

あらすじ

市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。

 

1950年

MKウルトラ計画 - Wikipedia

 

1974年

CIA文書に書かれているマインドコントロール計画の隠蔽事実(思考盗聴・電磁ハラスメント・マイン)|国際連合の地下に核爆弾情報

1974年までに、スタンフォード研究所が、磁気脳造影装置上の被験者の種種の脳波を相関し、特定の命令群により、心を読み取ることができるコンピュータシステム[80]を開発している

 

1976年

小松左京「ゴルディアスの結び目」

サイコダイバー・シリーズ - Wikipedia

この作品の中核となるアイディアはサイコダイブである。これは、人の精神に潜り込み(ダイブし)、対象の持つ記憶情報を入手すること、対象の隠されたトラウマを発見すること、そこから派生して精神操作まで行うことが可能という技術である。「テレパシーのような超能力ではなく、素質と専門知識をもった人間が専用の機器を用いて行う科学技術である」という前提

 

1988年

ドラえもんのひみつ道具 (さ) さとりヘルメット- Wikipedia

さとりヘルメットは、「さとりヘルメット」(てんとう虫コミックス39巻に収録)に登場する。このヘルメットをかぶると、テレパシーによって半径30メートル以内の人間の考えを読み取る(悟る)ことができる。

 

1999年

コフィンシステム - Wikipedia

 

2010年

インセプション (映画)- Wikipedia

ドミニク・コブ(通称ドム)とアーサーは、標的の無意識に侵入する軍の実験段階の技術を用いて、標的の夢から重要情報を引き出す、「引き出し人」と呼ばれる産業諜報員(産業スパイ)だった。

インテル、人の思考を読み取るソフトウェアを披露--最先端技術の研究で - CNET Japan

 チップメーカーのIntelは米国時間4月7日、マンハッタンで開催された同社イベント「Tech Heaven」で、かなり制限された状況下ではあるが、脳波を読み取ることにより、人の思考を知ることのできる、開発中のソフトウェアをデモした。

さまざまな単語に対する脳のパターンをコンピュータで解析した後、被験者らは、2つの新しい単語のうちの1つを思い浮かべるよう求められた。そしてコンピュータにより、先ほどの脳スキャンの結果に基づいて、被験者がどちらの単語を思い浮かべているかを判定させた。今回の実験では、コンピュータによる正答は10件中10件、つまり正答率は100%であった。

 

2012年

日本発!ブレインマシンインターフェース新時代 医学書院/週刊医学界新聞(第2959号 2012年01月02日)

 

 2016年

頭の中で考えてることを読み取り言葉にするデバイスが実現間近(米研究) : カラパイア

“思考”で複数のドローンを同時に飛ばす技術が公開される | ROBOTEER

映画『マインド・エスケープ』あらすじネタバレ結末と感想(85点) | MIHOシネマ

マインド・エスケープの概要:人の心を、コンピューターを使って読み取る、という禁断の領域に手を出した2人の天才の行く末を描いたサスペンス映画。原題は「LISTENING」。監督はカリル・サリンズ。

 

2017年

脳の血流で全身まひ者の思考を解読、科学者らがシステム開発 | ロイター

「念じて動かす技術」BMI 難病治療の現場に広がる|健康・医療|NIKKEI STYLE

個人の思考を読み取る「脳ハッキング」に成功:米大学実験(1/2ページ) - 産経ニュース

 

ここに取り上げたのは一部だけです。

総合的に判断して、「思考盗聴は存在しない」は、事実を誤魔化すための、フェイクニュースということではないかと。

巨大な組織によって、何十年も前から思考盗聴は実用化され、無線でスマホで受信できるほどに高度化し、基本的には監視や娯楽のために悪用されているのでは。

スーパーコンピューターの演算能力が当初の何万倍にもなっているし、わかりやすいところだと、PCのHDD容量が1970年代はメガバイト級だったものが、2000年代にはギガバイトになり、現在はテラバイトになるといった飛躍を遂げているなど、コンピューターのスペックの高度化を踏まえると、2017年の思考盗聴技術は、20世紀よりずっと完全なものになっているはずです。

解決方法は、思考盗聴を世界的に禁止にする条約が制定されるか、電波の完全に遮断された家に住むか、電波の届かない地下で生活するか、死ぬかといった感じで、ちょっと無理なところまで進んでいる気がします。

 

 
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