たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

小説「首都消失」にまつわる勝手な妄想

これは「自分の存在が世界に波及しちゃってる」に関係する内容なので、否定的に見られておかしくないです。また低学歴がなんか言ってる程度の、変な読み物として取り扱ってください。

 

この傾向の話をすれば、単なる妄想とか与太話であろうとか、「自分が特別だとでも思ってるのか」的に嘲笑されてしまう感じです。

といっても俺の場合、ご承知か存じませんが、生まれる前から全てが特殊な事情で満たされていましたので。無視はできないところなのですよね、個人的に。

 

 

首都消失(徳間書店)kindle版

                                                                 

小松左京

 

一時期ちょっとハマった小説といえば、小松左京のSF作品なのでした。

この人は日本三大SF作家とか言われるくらいの凄腕の破壊論者です。とにかく人類滅亡や日本滅亡ネタにこだわりが半端ないようで、幾度となく日本は滅亡しているのでした。

手元にある滅亡系だと、「こちらニッポン・・・」「復活の日」、短編集の「霧が晴れた時」「ゴルディアスの結び目」なんかに滅亡系が入ってました。

あと読んだことがあるのは「日本沈没」「物体O」でしたが、「首都消失」はまだ読んでなかったです。

外で騒音が鳴るたび、隣のおばさんが毎日毎日床や壁ゴンゴン。ドアでドッカンドッカン、深夜も早朝もゴンゴンゴン・・・俺じゃない音でも俺のせいにされて叩き返されイライイライラ・・・そんな理不尽な仕掛けが酷い上に仕事も意外と大変なせいで、この話題について書くのをすっかり忘れてました。

 

 

首都消失と物体O

 

ともかく気づいたことを書いていこうかと。 この小説が発表されたのは1983年12月~1984年12月のことだとか。

俺はこの頃はまだ6歳くらいだったと思われ、6歳って確か小1?小2?もはや隔世の感も広がってきました。

 

首都消失 - Wikipedia

 

内容を簡単に述べておくと、ある日突然巨大な円形の雲が首都圏を覆って、内部と隔絶されて大混乱。後に地球外生命体の仕業だと判明するという、そんなパニック系SF小説なのでした。この破滅的な雲は作中で「物体O」と呼ばれています。

じつはこの名前、小松左京がこれよりずっと前の1964年に執筆していた「物体O」をモチーフとしている作品だったとか。

1964年の「物体O」は、大阪を中心として本州を覆うほどの謎の巨大リングが出現し、日本を麻痺状態に陥らせていましたが、今度はその東京版でした。

 

さて「首都消失」の作品が、なんで気になるかといえば・・・。自分との接点が色々あるからなのです。

6歳当時から、既に「波及しちゃってる感じ」なのですが。

 

主要な登場人物は、当然ながら名前が「達」だったりしました。主人公が朝倉達也で、首相代行の名前も小室達夫だったりするのです。

あとはなにか6歳当時の自分じゃ想像もつかない、未来の自分に関係する名前や地名が連発してたと、最近になって気づいたもので、なんだろなと。

そのあたりはあらすじからも見えてくるのですが。

 

  あらすじ

S重工顧問で理学と工学の二つの博士号を持つ大田原剛造は、S重工中央研究所と城南医大の協力を得て、横浜新道が国道16号線とクロスする地点付近で“雲”の調査を行う。調査には、朝倉の高校・大学の先輩で、北九州のローカル紙『西部新報』の編集局次長格であり、たまたま伊豆の総理別荘を取材しに来ていた田宮も同行する。“雲”は竹槍を突き刺してもはじき飛ばされ、拳銃の銃弾すらもはじき返した。

その晩、厚木中央研究所に近い厚木基地で、外務省国際連合局の堀江局次長の同席のもと、自衛隊在日米軍との緊急予備会談が開かれた。在日米軍側は日本側に対し、早急な日本政府の再建を求める。寝酒を求めて厚木中央研究所を訪れた堀江は、そこにいた田宮に事情を話す。田宮は事態の深刻さに発奮し、翌日、古巣のA新聞関西本社に赴き、日本政府再建のための奔走を始める。

“雲”発生から10日ほどして、緊急全国知事会議が名古屋で開かれ、全国知事会副会長である小室兵庫県知事を臨時首席代表とする「臨時国政代行会議」が樹立された。

一方、“雲”からは強力な粒子ビームが発射され、上空を飛行していた飛行機や人工衛星が被害を受ける。アメリカが“雲”の軍事利用を画策、ソ連では日本の外交官が拘束されるなど、日本に対する外圧も強まっていく。

翌年1月、三八豪雪の状況に酷似した異常寒波が日本列島を覆う中、ソ連が北海道近海に大艦隊を送り込む。だが、そのさなかに根室沖で巨大地震が発生し、ソ連艦隊は津波により打撃を受ける。

“雲”出現から4か月ほど経った3月末、“雲”の国際調査が行われ、“雲”は地球外の知的生命が送り込んできた自動的観測装置である可能性が高い、という結論が発表される。そして4月初め、“雲”は現れた時と同じように、突然姿を消した。

首都消失 - Wikipedia

 

 

出回り始めた2019年にまつわる色んな告知的な警告

 

出回りなだけに、デマわりならどれだけ良いことか。しかしアメリカの同時多発自演テロ「911」は、何十年も前からメディアで予告されていたという噂も周知の事実だったりしますが。要するに人為的、陰謀だったとか。

あらゆるメディアって、なんか予告や予言が大好きな業界でした。これから実際に起きる出来事について、前もってほのめかしたりするのですよ。

これ実は、日本の東日本大震災でも、色々でていたんではないかと。

そして2019年に来る(かもしれない)という、未曾有の地獄絵図でも、前もって予告的な告知的な警告が出回って久しいのじゃないかと。そういう話してる人は、ネット上にもけっこういるようです。

小松左京の「首都消失」もこれと同様の予言的な役割かもしれないです。しかも次回やってくる災害の予言・告知的な出来事には、いろんな伏線も張られてるのですよ。

 

天皇陛下の退位

2019年の4月に今上天皇が退位しちゃうらしいです。「2019年に東京で一つの時代の終りが来る」という出来事は紛れもなく歴史の事実として刻まれるのでした。「首都消失」や「アキラ」に合わせてるとか、そういうことかは知りませんですが。

 

 銀座に登場した津波告知

 これは去年だったかと思いますが、銀座の街に東日本大震災のとき東北沿岸域を襲った津波の高さ表示が出たんですね。16か17メートルらしいですけど。なんで東京の銀座なのかと疑問だったのですが、首都消失を前提とした予告だったと考えるとしっくり来ますね。

 

・東京が更地になったポケモンゲーム

先日なんかのネットニュースでみましたが、 ポケモンの東京の画面から建物が消失して、ぜんぶ更地になってたらしいです。

 

・新国立競技場完成

漫画の「アキラ」のなかでも新国立競技場を建設してましたが、これも2019年でした。漫画では完成をみることなく、東京もろともアキラ君のサイキックパワーにより崩壊しました。

 

・いろんな漫画や小説で東京が崩壊している

近頃は東京や日本の、破滅をともなう内容の漫画や小説はすごく多いです。これもなにか今の時代に合わせているようで看過できないところ。

 

・Qは9?

近頃はネットの陰謀系サイトみてると、やたら「Q」がでてきますね。知らんですけど。キューは日本語では「9」で、形もQとqと9は似た者同士で、「kyu」という発音も一緒なのですね。結局は「Qは日本語のkyuに絡めて9」を言いたいのかもしれないですね。 じゃあ2019の日本がキーワード?

 

これらと、「首都消失」や「アキラ」を組み合わせてみると、なんかしっくりとくるものがありますね。

 

 

俺ってなんなのか

 

 ところでなんで一々、世の中の事象と俺という一個人を関連付ける必要があるの?と言われてもアレですが・・・。

人生を振り返るとやりたい放題にイジメられてきたので、俺って別に重要人物でもなさそうですし。単純にそういうスイッチなのかもしれないです。

首都消失」の主人公の達也が俺と実際のところ関連付けされてるか、地名や登場人物に俺と関わりがあるか、波及したかどうかは置いといて。

 

何よりも達也が物体Oと呼ばれる破滅的な雲に遭遇した年齢が、気になってしまったんですよ。

映画では主人公の朝倉達也の年齢は42歳でした。俺がその年齢になるのは、2019年なんですよね。もう来年のことなんですよね。

罠にはめられ、イジメられまくってたらもうそんな年齢になってました。

2019年という年で気になるのは、漫画の「AKIRA」でもそうでした。アキラでネオ東京が壊滅するのも、2019年でしたので。偶然ってスゴイなと。

・・・2020年のオリンピック、あるのかな?と。

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Akira (manga) - Wikipedia

 

やたら妙な出来事に関連づく、おのれの不気味で意味不明な存在感というのは、これまでも書いてた通りです。

生まれる前から決まってたらしき俺の運命

変なことばかり起こる日常

気になる映画「予言」と俺にまつわる数字

俺にまつわる陰謀の証明

「日月神示で動いてる日本」の痕跡を探す・・・日航機墜落事故の御巣鷹山(高天原山)と俺

謎の超能力者ってマジで言ってるんだろうかと考える泡沫の日々

 

これ全部みると、やっぱり俺の人生はヘンなのがわかりますが・・・。

自分の考え方が突拍子もなくヘンなのですね。別に本気に捉えなくて良いです。へんな読み物としてみてもらえれば。 

 

自分の存在が世界に波及しちゃってる系の話は、単なる妄想とか思い込みの範囲で捉えるのが至極一般的な捉え方ではありますが。

はたまた、これは大いなる意思の計画に基づいて、自分が物事の秘密を明かすキーパーソンになっているのかと、そんな思想に入る人も居ると思いますが。 信じるかどうかは人それぞれです。

 

しかし東海地震、南海地震東南海地震、首都直下地震、富士山大噴火、鬼界カルデラ大噴火ナドと、色々破壊的な自然災害が起こるぞ起こるぞと言われてきているので。

誤差も考えないといけないのですが、2019~2020年あたりは果たしてどうなってるのかと。当たるも八卦当たらぬも八卦と言った感もあり、起こるかどうかは八卦で占ってみたいところです。

 

以上、波及についての妄想でした。 

 

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「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

中国には「ヤマト」という地名が彼方此方に散在している・・・それをグーグルマップで調べ尽くしたのは、2012~2014年頃でした。

それで2014年出版の電子書籍に、その地図を入れていました。

 

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電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」より

 

野馬図(ヤマト)、野場吐(ヤマト)、邪瑪吐(ヤマト)・・・

明らかにヤマトみたいな地名が大量です。古代に扶余や匈奴のあった範囲と重なるようでした。

内蒙古自治区の架瑪吐は「カマト」なのでは?と指摘されそうですが、現地で「ジャマト」の音が残ってきていたと考えられて、そういえば倭の邪馬台は「ジャマト」と読めてしまうので、ここに取り上げていました。

楊木屯はヤンムトンですが、ヤマトに漢字を当てて転訛したかもしれないので、取り上げてみました。

 

 

宇宙戦艦ヤマト2202 ヤマト型一番艦 宇宙戦艦ヤマト 第一次改装型 1/1000スケール 色分け済みプラモデル

 

 

消えていくヤマト

 

しかし不思議なことに、調べるほどに地図上で年々、ヤマトの地名が減っていくような気がしていました。ヤマトは暗殺されてしまうのだろ~かと。

それで2018年段階では、これらの地名はグーグルで確認できるだろうかと。調べました。

 

もし見つからない場合でも、既に4年前に座標と英語版マップのアルファベット地名も全部メモしていました。だからグーグルマップに座標を入れることで、確認できる地名もあります。

 

吉林省

・楊木屯1 https://goo.gl/maps/qNa1nZirEoy

・楊木屯2 https://goo.gl/maps/HwtzpvotMby

・楊木屯3 https://goo.gl/maps/7HrmNYpcUim

 

遼寧省

・腰木闘 検索で非検出

・養馬大(養马大)検索で非検出

・野馬套海(野马套海)検索で非検出

 

河北省

・伊瑪図(伊玛图)https://goo.gl/maps/Q35ga9zHhMy

・伊瑪図鎮(伊玛图镇)https://goo.gl/maps/T49NMrrFBGn

 

内蒙古自治区(東部)

・雅馬托(雅马托)https://goo.gl/maps/7NZQKiL1YE52

・雅馬吐(雅马吐)https://goo.gl/maps/f8xwZ7ayPXK2

・野馬図(野马图)検索で非検出

・雅瑪図瓊査(野马图瓊査) 検索で非検出

・架瑪吐(架玛吐)https://goo.gl/maps/UQ9zrKHX7dz

・一馬吐溝(一马吐沟)https://goo.gl/maps/SMMRXuFJMqB2

 

ここまでが電子書籍で紹介した範囲でした。偶然だよで片付けても、別に構いませんけれど。

しかしこれより西側にも、大陸のヤマトは並んでいたので、偶然説は無くなってきました。

 

これより西側のヤマト地名

 

四川省

・邪馬台 https://goo.gl/maps/rjXUfUWkyL12

 

青海省

・野馬台(野马台) 検索で非検出

 

新疆ウイグル自治区

・雅馬特(雅马特)検索で非検出

・野瑪多山 検索で非検出

・亜馬台果潤烏蘇(亚马台果润乌苏 yamatai)https://goo.gl/maps/GmN81W5LrET2

・雅瑪図(雅玛图)検索で非検出

・牙馬特 検索で非検出

 

一部のみ掲載。 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

酷いです。グーグルマップでは中国のヤマトやヤマタイが、ほとんど消去されていたりします。せっかく何年もかけてメッシュ探索を行った成果だったのに。

俺が出してる騒音じゃなくても執拗に叩き返してくる隣のおばさんくらい酷い。

 

中国の詳細な地図が入手できたら、発見できそうですが。

しかし中国にヤマトに邪馬台までもがあるとは、なかなか興味深いところじゃないですか。

 

そして2年前までに調査済みのヤマト地名の地図がこちら。

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 これがメッシュ探索の成果でした。いずれ烏孫起源説の電子書籍に使おうと思ってましたが、なんか無理そうです。

 

個人的な見解は既に過去の記事でも書いてますが。 

bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる

と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。

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ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひとつ「想像力」という知的能力を踏まえた話するだけなので、専門知識を持ってるかたも参考にとどめてください。

今の科学技術というのは、表向きの役割のほうは明確化していますが、「裏の役割」というのは余り語られないのです。スマホもテレビも車もインターネットも、実際は意地汚い裏の役割だってあるはずです。身近に機械があるだけで、情報収集やイジワル目的で、盗撮とか盗聴とか尾行とか遠隔操作とか、好き勝手に使われちゃっちゃり。

表向きは安全とされる食品だって、実際は「人減らし」の目的という裏の役割があって毒物と変わらなかったりするかも・・・。

低学歴の貧乏人的に言えば、最先端の学問すらも、おんなじなんじゃないかという気がしています。医学、天文学歴史学、遺伝子学・・・表向きには公表されない研究成果って、どのくらいあるのですかね?

今の遺伝子学で、表向きの基礎的に提示される日本人の遺伝子の解釈は、1万年前後に入ってきた縄文人だとか紀元前3,000~飛鳥時代以前に入ってきた外国人=渡来人が根底にあるとか言いますね。

 しかしこのヤマト地名マップは、いわば表沙汰にならぬ裏ルートをよく表されたものです。縄文人や渡来人とは全く別系統の話で、すなわち天皇家とそれに付随してきた大陸系ヤマト民族が移動するたび、その土地にヤマトを名付けてきて、倭まで到達してるのです。学会とか専門家は完全に否定する、トンデモと言われちゃうほうです。

2世紀頃の天皇家ルートが、ユーラシアのヤマト地名ではないかと。そういうことをブログでずっとまとめてきていますが。

なんで烏孫なんだ、2世紀なんだと言えるのかといえば、それは烏孫の昆莫の後継の王族が、おそらく東へ移動を開始したのが2世紀前半頃と見積もれて、邪馬台国卑弥呼崇神天皇(自説)が九州に上陸したのもこの頃だからです。

詳しくは過去記事で。

 

妄想ですけど。  

 

関連記事

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鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

 

 

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胆振のアイヌとヘブライとフルとイシンの関係

 

 胆振ヘブライ

 

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アイヌ - Wikipedia

 

胆振(いぶり)って変な地名だなと思ってました。燻り(いぶり)とか、燻り出し(いぶりだし)のいぶり。

胆振支庁というのは北海道の南部にある地域。

胆振の観光名所でいえば、洞爺湖だとか有珠山昭和新山だとか。都市で言えば苫小牧、登別、室蘭といったところ。あと気になる地名では、ホロホロ山、オロフレ山、ハッタオマナイ岳とか。変な山が多いです。

これらの地名は全部アイヌ語を元にしてるらしい

 

この前もブログに登場した飛鳥時代斉明天皇の頃、胆振鉏(いぶりさえ)という蝦夷が登場するのが最初で、後に胆振国(膽振國)となってますが、彼らは古墳時代以前からいたのではないかと。

 

この胆振というのが、イブリー(ヘブル・ヘブライ)の名を受け継いでいるのではないかと。これがネット検索で、2チャンネルの日ユ同祖論に出てくるのですが。

胆振

イブリー 

IVRY 

ヘブライ 

以前は「アイヌユダヤ起源説」とか言われて実しやかだったのですが。今は日ユ同祖論自体を全否定する風潮が強いらしいです。

遺伝子的に違うとか、あっちから来てるわけないという先入観が影響するので。

 

 

振から出てくるフル

 

胆振とIVRYという、表面的な発音だけが一致すれば偶然だけど。しかし複数も日ユ同祖論に符合していたなら、ちょっと無視できなくなるのです。

 

世界大百科事典 第2版の解説
カナン【Canaan

パレスティナおよび南シリアの古代の呼称。イスラエルの民は,エジプトを脱出した後シナイやネゲブの荒野を彷徨(ほうこう)していたころ,神から約束されていながらまだ手にしていない〈乳と蜜の流れる地〉としてあこがれた。前2千年紀の初めころから,エジプト人はこの地方をレテヌRetenu,そしてその住民を〈アジア人〉と呼んでいた。しかしトトメス3世の時代(前15世紀前半)には,エジプト語の文献は同じ地方に対しフルHurruという名称も使用するようになる。

カナンとは - コトバンク

 パレスチナ地方、いまのイスラエルだとかヨルダンの地域ですが、ここは古代イスラエルユダ王国ヘブライ王国と重なっています。

紀元前15世紀ころには、このへんはフル(huru)と呼ばれていたとか。

これが胆振の「振(フル)」だとすると。胆振がIVRYでヘブライなのと整合してますね。なんで胆振鉏のアイヌは、胆振の漢字を当てられたんですかね。

 

 

胆振から出てくるイシン

 

つぎに胆振という名全体でみますが。いぶりというのは訓読みですね。

じゃ音読みにすると、「イシン」なんですね。これで分かることも有りました。

イシンで古代ヘブライに関連する歴史的名称があったんですね。

 

イシン(シュメール語: I3-si-inki[1], Isin)は、紀元前20世紀に繁栄したメソポタミア南部の都市である。シュメール時代のイシン王については知られておらず、「イシン王朝」といえば、ウル第3王朝の衰退に乗じて独立を果たした南部メソポタミアのアムル人国家「イシン第1王朝」のことを指す。都市神はグラ(Gula。Nintinugga, ニンイシンナとも)。

紀元前2017年にイシン第1王朝

紀元前1157年にイシン第2王朝

ちょうどヘブライの時代ですね。

イシン王朝はシュメールのマルドゥク神を崇拝していたのですが。

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 マルドゥク

バビロニア - Wikipedia

 

 この胆振が音読みすれば「イシン(胆振)」であり、イシン王朝の名を意図するとすれば?

イシンは紀元前1,000年頃からアッシリアの一部となっていますね。アッシリアはカナンの地も支配下に置いていたので、フルの名を持っていることも、地理的・民族的にも整合しているようですね。

不思議じゃないですか。なんで胆振鉏のアイヌは、胆振の漢字を当てられたんですかね。

 

 

頭ごなしに否定できない低学歴

 

低学歴的な観点で、これは果たして、頭ごなしに否定しても良いものなのかという考えは、以前からあったのですが。

 

「遺伝子的に違うから古代のヘブライ人はアイヌと無関係だ」というのは、完璧な理論じゃないんですよね。

なぜかというと、

異民族のリーダーが、とある民族に自分たちの伝統文化を受け継がせること・・・これは、過去にずっと起こってきたことなのですよね。

日本人が洋服を着ているのだって、文明の利器を利用してるのだって、同じですからね。明治当時の西洋人の遺伝子は日本人に入ってなくても、当時の西洋文化は脈々とつながって今も日本人は西洋服にかぶれているのだから。

 

それがアイヌに起こっていたとすれば、

ヘブライ人がアイヌにIVRYの伝統を受け継がせた結果、胆振(IVRY、フル、イシン)の名が残っている」として、なんらおかしくないのだし。

当時の伝道者の遺伝子が残らなくても、記憶は受け継がれたことになるのだから。

これは日ユ同祖論全般に言えることですが。

全てを遺伝子だけで語ろうとする、遺伝子学の人はどうかしてましたね。

 

それに、何しろ一般ピーポーは、デタラメの歴史、科学技術、医学、天文学を、知らぬ間に世界の支配者から押し付けられ、それを世界の常識なのだと、疑いもなしに理解させられちゃっているのだから(想像)。

それを元にすればひょっとして、間違った遺伝子の解釈を押し付けられているというのも、滑稽じゃない気がしましたね。

なにしろ、医学や天文学と同じく、一般人じゃ遺伝子の本質を確かめようがないですからね。御用学者のやりたい放題じゃないですか。

気がしただけですけどね。

  

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爆音と隣のおばさん

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これ、ふと思い出したのですが、2017年9月30日にでてきた、ウィンドウズ10のスタート画面なのです。

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「謎と魔法の世界」らしいです。うちの近くの風景そっくりそのままでした。

 

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こんな感じで。ここは超常現象が起きる、謎と魔法の世界らしい。

そういえばこんな記事もかいてたし。

生まれる前から決まってたらしき俺の運命

 

それはさておき。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「ドーン!」「ドドーン!」、「ずううううーーん!」

相変わらずの爆音。

 

市役所の人は東富士演習場自衛隊の訓練の音」だというのですが。

市役所の人、2名に聞いて同じ回答でした。東京電力の人も同じ回答でした。

 

個人的には、知られざる技術により、旅客機が衝撃波のようなものを落としてると、当初から思ってたのですが。何しろ旅客機がゴーーーっと飛ぶときに、丁度ドーーン!と落とされる感じがするので。

 

山間部に響き渡るドーンという爆発音の正体はジェット旅客機のソニックブームなのか

世の中には不都合を伏せる傾向があるので、おそらくこれもそうかと。

 

そして何故か、俺が出してる騒音だとか、近隣でデタラメの噂を流したジジイがいるらしく、去年から散々な目に合いました。

しかし俺が引っ越してきてからタイミング合わせて成り始めたのだろうか。

 

埼玉に住んでた時も、バイクや車をやたら吹かしたがる集ストが近所じゅうにいたり、飛行機の重低音がやたら響いたりして、何故かそういった騒音が全部俺のせいにされて、中学生に罵声を浴びせられてました。

とにかく俺の場合、そういった工作の規模が凄いので。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

しかも隣のおばさん、騒音が鳴ると、何故か俺に対してブチギレて一々壁や床で叩き返してくる。

あるいは自宅ドア開閉を繰り返して、ドカンドカンドカン!とやるのだが。

 音は俺が出してるんじゃないのに。

 

・何故か爆音が飛んでくる「どーん!」「どどおーーん」→ 隣のおばさん「バン!バン!」

・何故か近くの高圧線が鳴ってる「ボンボンボンボン!」 →隣のおばさん「バン!バン!バン!」

・近隣の車のドア「バン!」→ 隣のおばさん「バン!」

・近隣の工事「カーン!カーン!」→ 隣のおばさん「バン!バン!」

・隣の猫がうちの床下で暴れる「ガタガタガタ!」 →隣のおばさん「バン!バン!」

・屋根に檜の枝や雪の塊が落ちてくる「バン!」 →隣のおばさん「バン!」 

・近隣ジジイの大声くしゃみ「ハクショーン!」→ 隣のおばさん「ハクショーン!」

 

俺じゃないのに俺のせい。

 

さらに

・俺が外に出る→ 隣のおばさん「ドカンバタン!」

・俺が外仕事をしてる→ 隣のおばさん「ゴシャー!バンバン!」

 しかも俺が外に出た時には、意味深な罵声と嘲笑を浴びせてくるからたまらない。

 

もうウザさを極めるつもりかと。

 

これまで最高にウザい日は、24時間ずっと床や壁を叩かれた日。

数秒おきにドン!を深夜も早朝も続けられた。そんな元気があるなら働きに行けばいいのに。

 

1年半続いたのだが、

誰も隣のおばさんに説明してくれる人がいないというのが、なんとも計画的な感じが否めないわけですよ。俺の周囲には、混乱やイジワルを好む人々が、どうしてもつきまとってくるわけなので。

死ぬまでずっと続くのかと。

 

 

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皇極天皇(斉明天皇)が意識した女王卑弥呼と女王壱与

近ごろは疲労が抜けないし暇も無いので、ブログ更新がなかなか出来なくなってきますた。

ところで、未だ歴史作家も触れていない卑弥呼に纏わる真実は、まだまだ俺の頭の中に湧いてくるようです。・・・想像ですけれど。

史書では卑弥呼の人生について、ほんの数行しか書いてないけれど、実際には卑弥呼の人生は50年以上に及んだのだから、卑弥呼の手がかりは根掘り葉掘りすれば何かしら、あるだろうと思うわけで。

尤も探す方法が分からなければ、なんにも分からないわけなのですが・・・。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

諱からわかる皇極天皇卑弥呼の関係

 

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斉明天皇 - Wikipedia

 

手がかりの1つは、皇極天皇の記録から見つかったのは僥倖でした。

わかったのは、飛鳥時代皇極天皇って実は女王卑弥呼と女王壱与に信奉し、生き様もコピーしたんではないか、という突如頭を擡げた仮説なのです・・・。

それはまず皇極天皇の諱(いみな)、本名を見るところから、分かってきます。

 

皇極天皇重祚して斉明天皇

諱 寶女王(たからのひめみこ/宝女皇)

諡号 天豐財重日足姬天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)

年代 594~661年

斉明天皇 - Wikipedia

 

歴史上で重祚した天皇は少ないですが、そのうち1人が寶女皇でした。

重祚とは退位した後に同一人物がワンモアチャンスという、何かの拍子にもう一回やっちゃったという稀有な出来事。

35代皇極天皇(寶女皇)→36代孝徳天皇(弟)→37代斉明天皇(寶女皇)

 

この方、どうも完全に「卑弥呼+壱与」を意識していたと確信しますが。それがどうも「生まれた時から決まってた」的な、運命に従ったかのようです。

 そもそも「日本書紀」の皇極天皇の条の序文に、「古来の道に基づいて政治を行われた」(「日本書紀全現代語訳」p134)とあるので、その古来の道とは卑弥呼が行った政治なのかと考えました。

 

 

女王卑弥呼と寶女王

 

まずその諱(いみな)からして、卑弥呼的な印象が見て取れましたが、その理由はこれ。

寶(宝)

呉音・漢音:ホウ、慣用音:ホ

唐代以降は天子の印のこと

古訓:オコル、シルシ、タフトフ(とうとい) 

 

「学研漢和大字典」より

この漢字の意味も含めて、いろいろ気づくことがありました。

 

 

TaKaRa 焼酎ハイボール ラムネ割り 350ml×24本

 

 

女王と女王

 

まずすぐに感づいたのがこれですが。なにしろそのまんまなので。

 

卑弥呼は女王

皇極天皇は寶女王

 

というわけで、 皇極天皇の本名に「女王」が含まれるんですよね。普通は「たまたま女王を使っただけ」か「偶然同じ女王なだけ」、で終わってしまいますが。

女王の一致に気づいた時点で、女王卑弥呼を意図したんでは?という発想は湧いていました。

今でも過去の偉人から1字もらって命名するなんて、普通にあることなので。まず女王卑弥呼・壱与の女王を意図して、命名されているのではないかと。これが1つ。

 

 

天子の印

 

以前にも書いていましたが、卑弥呼の弥とは「古代中国の公用印」のことでした。卑弥呼の場合は魏の天子(皇帝)から授かった金印紫綬がそれです。

一方で寶女王の「寶」は、「唐代以降は天子の印のこと」(学研漢和大字典)なのです。皇帝は天子であったのだから、皇極天皇が寶の一字を名付けられたのは、卑弥呼を意図してのことだったようですね。

 

 

古来の道とは

 

すると皇極天皇は「古来の道」を元にして、つまり「古来の卑弥呼の主導した道」に倣ったと考えられるのです。すると皇極天皇の行動自体が、卑弥呼が行った政治に直結すると捉えられました。

 

じゃ皇極天皇の古来の道がどんなだったか見てみると。

天皇は工事を好み、やたら長い溝を掘らせ、狂心の梁(たぶれごころのみぞ)を作り、しばしば須弥山を作らせ、盂蘭盆会により蝦夷と大陸人を饗応し、都を造営し、神社を建てさせ、船に乗って移動し、蝦夷討伐を行い・・・といった感じですが。

こうした皇極天皇斉明天皇)の行動は、もしかすると全て、卑弥呼と壱与のやり方を踏襲したものなのでは?と、「古来の道」の言葉と、皇極天皇の名前から全てが想像されるばかりですが。

 

 

女王→男王→女王 

 

これは「魏志倭人伝」を何度も熟読した人なら、「あ」と納得できるところです。

女王卑弥呼が死去した後、倭国では男王を立てるも、国内は従わずに戦争状態となってしまったのです。そこで卑弥呼の後釜に、壱与という少女を女王として擁立することで、事態を収拾しました。

卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩、殉葬する者、奴婢百余人。更に男王を立てしも、国中服せず。更々(こもごも)相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、国中遂に定まる。」

(中国正史日本伝(1)石原道博編訳)

要するに女王卑弥呼と女王壱与の時代、

①女王(卑弥呼)→②男王→③女王(壱与)

 

という流れになっていたのですが、一方で皇極天皇斉明天皇)は、

①寶女王→②孝徳天皇(男王)→③寶女王

といった形で、「魏志倭人伝」の卑弥呼・男王・壱与の間に繰り広げられた王位継承の流れを、再現して見せていました。

 

 

男王は卑弥呼の弟だったかも

 

ここまで寶女王が、卑弥呼の歴史を写し取るのであれば。

寶女王の後に即位した孝徳天皇が、寶女王の弟だったことにも、意味があるのではないかと閃くものがありました。

それを紐解けば、

・寶女王(皇極天皇)の後に即位したのは、実の弟(孝徳天皇)である

・だから女王卑弥呼の後に即位した男王とは、卑弥呼の実の弟である

まぁ、皇極天皇が「卑弥呼+壱与」を自分一人で再現するには、真ん中に男王の役割が必要だったわけです。

孝徳天皇は、皇極天皇を盛りたてるダシ、盛り上げる前座として、まんまと使われたんですね。

  ・・・

 

 ということで、皇極天皇摂政と生活をおこなった宮殿の場所もまた、卑弥呼・壱与を踏襲していておかしくなかったです。

皇極天皇の拠点がどこだったか、それを調べると、女王卑弥呼と壱与の居場所に繋がるのではないか、というわけですが。

これまたいつか。

 

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ハツクニシラススメラミコトの極秘情報

 

 以前に公開したブログ記事で、こんなのありました。

ハツクニシラススメラミコトの謎

 

3年ぶりにハツクニシラススメラミコトの答え合わせしようかと。と言っても想像を膨らませた当てずっぽうですが。いつもどおり。 

ところで隣のおばさんが化け物に取り憑かれたように、深夜も朝も構わず壁や床を数時間も連打することがあるんですが。

屋外で鳴る爆発音から飛行機の音まで、全部俺のせいにしてぶっ叩きまくるおばさんには、何を言っても叩き返しても、話が通じません・・・。

4日も夕方16:00~24:00まで、猛烈にゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴンと叩きまくられて精神的にちょっとイラッときているし、仕事が止まってしまったり心臓に悪いという悪影響があるので、対策を考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ハツクニシラススメラミコト2名様

 

この呪文のような言葉は、神武天皇崇神天皇に共通している称号でした。しかし漢字が違っています。

神武天皇 始馭天下之(ハツクニシラス)天皇(スメラミコト)

崇神天皇 御肇國(ハツクニシラス)天皇(スメラミコト)

見ればむちゃくちゃな当て字です。非力彬でフィリピンだとか、氷島アイスランドとか、浮渚在之平地(うきじまりたいら)みたいなもんですね。

漢字の意味が通れば音はなんでも良いみたいな。しかしフィリピンに非力彬を使っているのは何か悪意があるような・・・。 

 

ところで、

ハツクニシラススメラミコトについては幾つかの謎が横たわっていました。

・なぜ倭国にハツクニシラススメラミコトは神武と崇神の2人いるのか

・なぜハツクニシラススメラミコトの漢字が違うのか

・なぜ応神天皇はハツクニシラススメラミコトじゃないのか

 

日本列島の倭国という1つの地域にあって、初めて国を建国した主が、神武天皇崇神天皇、2人いるのはおかしいじゃないかと。昔から言われてたらしいです。

結局は神武・崇神の同一人物説や、それぞれの単なる称号説で良いじゃないかと落ち着くのですが。

ところがなんか、思いついた発想と異なっていたので、これ以外の別の意味があるのだろうと勘ぐりました。

 

 

大移動をした天皇

 

漢風諡号に神が付く天皇は、「渡海を含む大移動」をしている天皇であると考えられます。 これは私見ではありますが。

・神武 神武東征

崇神 対馬海峡を移動して九州へ(*1)

・神功 対馬海峡を移動して新羅

・応神 対馬海峡を移動して新羅

 こんなふうに。

(*1)について

崇神天皇は古典三書での記録上は渡海してないですが、和風諡号の「御間城」を任那と解釈すれば、海を渡っていることになるので。

 すると崇神天皇以前の神武天皇も、大陸で東征をしていた可能性が出てくるわけで、それで当ブログでは神武天皇烏孫の昆莫を同一視しているのですが。

 すると海を渡った天皇で神がつく、神功皇后(元天皇扱い)と、その皇子の誉田別命応神天皇)が、何故ハツクニシラススメラミコトじゃないのかという疑問に当たりました。強大な統治者だったら、みんなハツクニシラススメラミコトになれるってわけでもなかったようですね。

 

 

崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解

 

記紀伝承にある通りだとすると、崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解でした。

ハツクニシラススメラミコト=「建国者」が、同じ倭国王朝の中で、2名出てきてしまうのだから。

記紀伝承では

奈良盆地神武天皇が王朝をたてた

奈良盆地崇神天皇が王朝を継承した

これが書いてあることなので、つまり「崇神天皇は建国者ではない」のに。

それなのに崇神天皇には、称号としてハツクニシラススメラミコト=建国者が与えられているのだから。これは崇神天皇というよりは、神武天皇の立ち位置がオカシイと考えるのは当然でした。

 それで筆者は変な方向性に向かうのが得意なので、変なことを考えました。なにしろ神武天皇とは、満州の「朱蒙の東征」とあまりにも似ていたのだから。

それでブログ内で一時期、神武天皇烏孫の昆莫説で盛り上がってたわけなのですが。電子書籍もまだまとまっていません。

 

 

ハツクニシラスから導かれる邪馬台国と女王

 

大陸移動どうこうは兎も角、始馭天下と御肇國の2つの間には共通点がありました。

それは始(はじめ)と肇(はじめ)という発音と意味の共通性意外にも。

 

始馭天下之天皇のほうは、倭国の支配者である、そのへんを意図した意味が込められているようでした。漢字を編と旁に分解してみると分かってくることがあります。

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筆者の想像にすぎないですが、「始馭」の2字を分解すると、「女台馬又」となり、これは誰が見ても「邪馬台国の女王」のアナグラムとして機能してますよ。情報を意識的に含めていることが明らかです。

「女・又馬台(ゆまたい・ゆまと)になるわけなので。これは恐らく西の九州から東方を支配権に置いた卑弥呼と、神武天皇をかけ合わせているのです。偶然と言って切り捨てればそれ迄ですが。

 

ちなみに「学研漢和大辞典」によれば、「始」の一字だけで、「女性が胎児を始めて孕んだ様子」を意味しているのですね。

やっぱり奈良時代天武天皇の頃の天皇家は、神武天皇卑弥呼を関連付けていたようです。行動の面で。しかし本来の両者は別人同士だと思いますが。

あと「始」の一字は、古訓に「セム」とあって、神武天皇セムというのはやっぱりアレだなと思いました。分かる人にはわかるはなしで・・・。 

 

 

次に崇神天皇の方を見れば、

 

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こちらは漢字は抜きにして、発音の「おじょうこく」のアナグラムとして「じょおうこく」つまり「女王国」と掛け合わせてあることがわかります。

「おじょう」というのは「お嬢様」とも言うので、やはり高貴な女性を意味しますね。女王とお嬢様が、崇神天皇の称号として名付けられているんではないかと。

これは神武天皇のハツクニシラススメラミコトのほうで「女」が含まれているのとリンクしているようです。

これまで筆者が「崇神天皇卑弥呼」といっていた情報が、「御肇國天皇」からも導かれたというわけでした。

 まあこれも偶然と言われたらそれまでですが。

 

崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム

 

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卑弥呼の居城は「上座」の環濠集落という想像

人生における障害の多さ競争なら、上位に入っておかしくないと確信しているこの頃。

近ごろ心臓が変になってから、屋根修理も進まないし、散歩もできなくなった・・・。それでも生活費くらいは稼ぐため、ライターの仕事しなきゃ生きていけないし、というわけで電子書籍もブログ更新も停滞してきました・・・。

俺もう死ぬんじゃないだろうかと、心によぎることが多くなったので、卑弥呼の居城について気づいたことをまた少し書き残しておこうかと。

 

 

 日本の上と下

 

日本では昔から偉い人が座る場所として、「上座」というのが決まってたんですよ。ビジネスマナーとかいう、俺には無関係な分野ですが。

部屋とかテーブルで言うと正面奥、車でいうと後部座席の運転席側。部屋全体を眺められる奥が上座となったとか。それ以外は下座で序列も決まって、下っ端は安い席に座るのが常だったとか。

地方自治体でも上座・下座が地名に反映されてましたね。例えば北関東では京の都に近い側が上野国(こうずけのくに)、京から遠い側が下野国(しもつけのくに)で、これがいまの群馬・栃木ですよ。

あとは今でも日本という国単位で見て、上座といえば皇居、京都御所みたいなことも当てはまっていますね。だから国道・高速道路や鉄道では多くの場合、上りと言えば東京向き、下りと言えば東京から地方へ向かう意味なわけで。

 

昔は平安京大内裏平城京大極殿が、上座にあたってました。

弥生時代にも上座があったかどうか。これは学者の意見を見たことがとことん無いけれど、しかし古代には女王、大王(おほきみ)という支配者が厳然とあったのだから。地名でも大王室マナーとしても、上・下があったのは確実です。

そうすると、つまり弥生時代の女王卑弥呼の居城は、必然的に「上座」だったはずなのですよ。これは女王が記録された以上は絶対的です。

 

 

大規模環濠集落

 

いま環濠集落と呼ばれている特殊な古代の集落があります。古代の集落なのだと言っていて、教科書にもそう書いているのです。

しかし、実はあれ、普通の集落じゃありません。高貴な人々、豪族、王族、天皇家の一族や眷族が住まう居城でした(想像だけど)。

安土桃山時代や江戸時代、各地の武将や藩主一家が住まう、周濠の城郭と機能的には同じでした。 弥生時代で言えば奴国、投馬国、邪馬台国など、小国の中枢が置かれた場所が、「水城」として作られていたのです。

 

環濠集落は各地に見つかってますが、全国で数が極めて少ないです。それは当然、それぞれが元々地方豪族や国王の都なのだから、多数あったらおかしいわけで。

弥生時代の諸国の首都が置かれた場所だけ、環濠集落が作られました。首都機能が移転すれば、環濠集落は土に埋められてしまったのも、当然のことでした。あれは自然に衰退したんじゃなく、意図的に埋められていますね。

 

だから弥生時代の「魏志倭人伝」に登場する、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国不弥国、投馬国、邪馬台国・・・といった数々の古代国家の「首都をみつけたい」となれば、環濠集落を探せばいいのではないかと。

 

つまり弥生時代の女王国の頃にあっては、ある特別な居城を含む集落が、当時の上座にあたっていました。その中でも邪馬台国卑弥呼の居城は、上座中の上座であり、1,000人の従者が住まう規模があってどこより大規模だったことは、「魏志」にある通りです。

建物は高殿、櫓、住居、倉、会堂、食堂、兵舎など含み100棟~500棟もあったと想像できます。 

全国の環濠集落のなかでも、直径300メートルを超える大規模環濠集落の場所は極めて限定的でした。

近畿なら

・唐古鍵遺跡

・池上曽根遺跡

 九州では

・吉野ケ里遺跡

・平塚川添遺跡

こんなところではないかと。

筆者は九州の環濠集落遺跡の、佐賀県の吉野ケ里遺跡、福岡県の平塚川添遺跡、この2つのいずれか、あるいは両方ともが、当初の邪馬台国の中枢だったと見ています。

 ちなみに奈良の纏向遺跡は環濠らしきものは確認されていませんが、複数の河川を自然の環濠としていたと見て間違いなさそうです。邪馬台国東遷後の邪馬台国=大和の都ではないかと。

 

 

卑弥呼の居城のキーワードは三輪山大和三山 

 

卑弥呼のいた最初の居城には、三輪山大和三山が切っても切り離せない。

と、そんな気がしました。

三輪山と、大和三山の天の香具山は、神代の時代からすでに登場していて、倭迹迹日百襲姫命の逸話にも登場してました。

卑弥呼天照大神倭迹迹日百襲姫命と重なる人物であれば、「三輪山大和三山のそばに、卑弥呼は居住しなければならない」のであると。そう考えたのです。

  

福岡県の筑後平野には、奈良盆地にヤマトが東遷する以前の、ヤマトの首都がありました。と言ってもこれは個人的に支持する仮説です。

その理由は、安本美典氏の著書「天照大御神卑弥呼である」にあるとおり、奈良盆地とそっくり同じ地名が残されているから。

 

九州と近畿にあった、むかしの大きな地名を比較するだけでも、こんなに一致してました。 

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今はなき拙著「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」より。

 

 筑後平野には奈良と同じように大三輪山があり、ここが大物主神を祀っていたであろうことは想像が付きます。倭迹迹日百襲姫命三輪山の大物主に嫁いだのだとすれば、この 筑後平野の大三輪山が、その舞台だったかもしれません。

その情報を、東遷した後の奈良盆地でも再現して見せ、邪馬台国が奈良に東遷、三輪山が誕生していると考えられます。

 

 

吉野ケ里遺跡は神の土地にある

 

国の特別史跡、吉野ケ里遺跡のほうは、環濠集落の中にさらに複数の環濠の中枢が作られているようでした。

こんな構造は当時の都市でも破格の構造であり、弥生後期の戦乱時代の王都というにふさわしく思われました。

しかも古代の自治区分けでは「神埼郡」の範囲にありました。古代の国郡里制で、「神」が付く地名はほんのわずか。

神の土地であったというのが、卑弥呼の支配地の居城として説得力を増しています。

上座は神座なので。

 

 

平塚川添遺跡

 

もうひとつの平塚川添遺跡のほうは、三重環濠集落として知られる遺跡でした。

個人的に崇神天皇卑弥呼であろうと、考えているわけですが。

その崇神天皇の居城、瑞籬宮(水垣宮)が「三つの水の垣」をあらわすとするなら、元々の水垣宮とは三重環濠集落である、平塚川添遺跡の可能性がおおきくなるんではないかと。

 

平塚川添遺跡には、竪穴式住居が大小が300軒、住宅や倉庫など多目的に使われたと見られる高床式は、100軒確認されていているとか。居住人口は1,000人を超えたと見られます。

奈良の三輪山のそばには三輪山大神神社があり、その南方に崇神天皇の瑞籬宮伝承地があるのですが。

その位置関係が、福岡の筑後平野の大三輪山大己貴神社と、平塚川添遺跡の間で一致していました。

 ・卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地

 

 

平塚川添遺跡は上座にある

 

平塚川添遺跡が所在しているのは、福岡県の朝倉市です。この地名はいにしえに女性天皇である斉明天皇が営んだ「朝倉橘広庭宮」、通称朝倉宮の名が元になっていました。

この地名の由来は斉明天皇よりも前に筑後平野にあった、「上座郡」にあるのではと考えてみました。

というのも古い書物では、上座と書いて「かみつあさくら」と読ませているのです。福岡県の朝倉宮や、朝倉市の名の元になってました。

朝倉宮の名は、奈良の初瀬朝倉宮と1対の関係をあらわすために、名付けられたのかもしれないなっと。

 

古代の上座・・・というからには、この上座郡の土地が、どこより高貴な人が住まう場所だった可能性があります。なにしろここには巨大な平塚川添遺跡の環濠集落もあるのだから。

 そして平塚川添遺跡こそが真の卑弥呼の居城で、しかも崇神天皇の瑞籬宮で、邪馬台国の中枢じゃないかと考える理由は、したの図で表しました。

 

筑後平野に「元大和三山」があったのではないか、という想像は2014年の電子書籍の中で書いていました。

それで、奈良の大和三山と比較すると以下の通りです。

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筑後平野       奈良盆地

雲野尾峠(うのび)  畝傍山(うねび)

香山(かぐ)     香久山(かぐ)

耳納山(みのう)   耳成山(みみなし)

三輪山(大物主)  三輪山(大物主)

この仮説「筑後平野の元大和三山」の解釈は、わたくし如きの戯言ではございますが・・・。

 

 筑後平野の元大和三山を結びつけると、二等辺三角形になるのですが、この中心線をまっすぐ引いていくと、筑前町の大三輪山に達してひし形を描くことは気がついていました。

この構造は奈良盆地でも同じで、奈良盆地大和三山を結びつけると、中心線の先に三輪山がこんもり姿を見せるのですよ。

 

  この2つの土地は、図にある通り、大和三山三輪山によって描かれるひし形を中心としていたようなのです。

筑紫の場合、このひし形の北側が、ちょうど上座郡でした。

しかもここに平塚川添遺跡が存在しているというのは、おそらく奈良盆地でも同じように対応させてあるようです。

「三重環濠集落の平塚川添遺跡」に対応するのが、崇神天皇の「瑞籬宮(3つの垣の宮)」であることは、計画的だったわけです。

纏向遺跡も平塚川添遺跡と対応する首都なのかもですが、図に描き忘れました。

 

ともかく平塚川添遺跡が、弥生時代後期の上座で、三重環濠集落が卑弥呼の居城であったという条件は揃っているふうにみえます。

そういえば、平塚川添遺跡のあたりは「卑弥呼の里」として既に売り出してるとか。平塚川添遺跡が発掘されて以降、安本美典説(邪馬台国朝倉甘木説)がかなり受け入れられているらしく。

 

ちなみにこの図に描いた、佐賀の吉野ヶ里遺跡に対応している環濠集落が、奈良の唐古鍵遺跡であると考えられました。両者は互いに役割や血縁でつながりがあるのでは。

  

 

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ヒルコはヴァンパイアだったか

死ぬかと思うほどひどかった、呪詛的な動悸、息苦しさ、梅核気が軽減してきた。正露丸・・・じゃなくて救心を買おうかと思ってたくらいなので、まァかなり解除できたのかと。しかしまだ胸の違和感は抜けてないですが。何しろ色んな手法の嫌がらせで、ストレスを与えようとする人々が、多すぎなので・・・。

そろそろ屋根の部材を購入して、修理も始めないといけないかと。

 

 そんな中で、ヒルコについて思いついた話を少し。

 

 

怖いヒル

 

蛭児(蛭子)というのは、イザナギイザナミが生み出した原初の神の1柱でした。

神話によれば、天照大神月読命素盞嗚命という三貴士よりも、早い段階で生まれてました。

間違った方法で生み出された不具の子だったので葦舟で流されたと。記紀神話ではそれしかないですが、この蛭児はどうもちょっと恐ろしい神だったのではないかと。そんな気がしました。

なぜなら、ヒルコが「蛭」だから。

 

 

 

 

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Leech - Wikipedia

湿地に入ったり川遊びしたりすると、いつのまにか体に黒くて細長いものがくっついてたりする・・・。蛭は蚊と並んで身近な「吸血動物」の代表格でした。

蛭というのは手足が無くて、人の地をすすって生きる、まさに吸血鬼みたいな奴。その虫に「蛭」という字が使われているのは意味深でした。

「至」は「矢と土」をあらわし、行き着く処、到達点の意味があるとか。

そしてヒルという音からすると、料理に使うヘラと似ているところがあるので、関係するのかと。

北部九州のほうでは、毒ありヘビを「くちなわ」と言い、毒なしヘビを「へらくち」というとか。やはりヘビとはヘラなのですね。

ということは、ヘミ→ヘビ→ヘラ→ヒルのように関連が導かれますね。結局は細長い小型の動物を表す名前が、ヒルだったのではと。

 

 

世界は蛇神(太陽神)に支配されている中で

 

古代エジプトでは、太陽は蛇の輪で表されていました。倭は「輪」と同じ音であり、もしかすると古代エジプトの太陽の蛇の輪や、古代ギリシアの「ウロボロス」という永遠性の象徴の意味も、込められている気がしました。

日本では天照大神と同一視された卑弥呼が、蛇子(へみこ)だったり。

同じく天照大神と同一視された倭迹迹日百襲姫命が蛇神(大物主神)の妻であり、

日百(ひもも)=ヒモ=蛇の意味が込められていたり。

太陽神天照大神の父母であるイザナギイザナミは、凪と波により「~~~~」という蛇的要素が込められていたり。

オノゴロ島の天御柱ではイザナギイザナミが回転して合体することにより、伏義・女媧という古代中国の蛇神や、果てはシュメールのニンギシュジッダという蛇神的な姿が示唆されていたりするのですよ。

 太陽神が蛇であるというのは、古代世界の信仰の根底にあったようです。

 

それでヒルコが「失敗作の太陽神」なのではないかというのも、頷けたりします。

蛭(ヒル)とは太陽が高く登った昼であり、太陽が登る様子を表す日本語もまた、「ヒル」なのだから。

 

 

 原初の吸血鬼

 

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Vampire - Wikipedia

 

ここで古代ヨーロッパのほうで、吸血鬼(ヴァンパイア)と呼ばれていた怪物君に登場していただきます。このヴァンパイアは20世紀頃から、血を吸う怪物や人の姿として描かれていました。

吸血鬼の起源といえば、ドラキュラ伯爵を思い浮かべました。あの、闇夜では無敵で、心臓に杭を打つか太陽光を浴びせないと死なないとか、ニンニクが嫌いでバーベキューできないとかいうドラキュラです。

しかしこのドラキュラというのは、19世紀末にナントカいう作家により創作されたキャラなんですね。

そういえば欧州人が吸血鬼の一種として、認識してたかもしれないのが、紀元前に東ヨーロッパに割拠したスキタイという遊牧騎馬民族でした。この方々は髑髏杯の風習をもっていて、最初に倒した敵の血をゴクゴク、ぷはーと言っておいしく頂いていたのです。

あと中央アジア遊牧民イッセドネス人は人肉食をしていたし、匈奴は死者の血を飲んだというのですね。このへんの遊牧騎馬民族の風習がヴァンパイアの起源としてもおかしくなかったです。

事実古代ペルシアは、リリスという人の血を飲む悪魔の少女について、記録していたのでした。これは地理的な位置から検討すると、スキタイ人のことでおかしくない気がします。

 

しかし欧州のほうでは、意外にも初期の吸血鬼といえば、ドラクエに登場するスライムみたいな不定形の生命体でした。吸血鬼が形のない血吸い虫だったなんて意外過ぎます。

そして初期の不定形なヴァンパイアを調べていると、興味深い事実がありました。

 

 

 「ヒル」は欧州語と似ていた

 

ここでちょっとばかり、外国でヒルってどんな呼称なのだろうかと。疑問が湧いてきました。それで調べてみたところ、

スペイン語 Hirudinea
バスク語  Hirudinea
フランス語 Hirudinea
イタリア語 Hirudinea
ラテン語  Hirudo
ルーマニア語Hirudinea
日本語   Hiru (Hiruko)

これは、なかなかおもしろい結果がでました。なんと、日本の吸血動物ヒル(蛭)は、欧州語でもヒルだった・・・。アジアではヒルと似ても似つかぬ名称ばかりなのに、欧州語のほうに回答があるのです。

こんなとこでも、日本語と欧州語の繋がりが見えてくるわけですが。

 

 

ヴァンパイアの語源もヒルだったかもよ

 

そしてヴァンパイアの語源については、調べてみても納得行かなかったのです。ヨーロッパ人は、ヴァンパイアの語源をこんな風に考えてるようです。


語源

諸説有るが、1730年代における英語の出版物に「vampyre」の文字があるため、それ以前の時期から使われていた語とされている。一般的にはリトアニア語の「Wempti(飲む)」由来とされる他、トルコ語の「uber(魔女)」、セルビアクロアチア語の「Pirati(吹く)」も提唱される。

ただしヴァンパイアという言葉が一般的に使用されるようになる18世紀[4]以前から世界各地に吸血鬼伝説があり、それぞれの名前で呼ばれている[1]。中国では、キョンシー以外にも、古来より「吸血鬼」という語があり、これは血を吸う悪霊・亡者という様な意味であったが、転じて現代では欧米風のヴァンパイアの意味としても使われている[6]。

吸血鬼 - Wikipedia

なんか欧州の専門家の解釈では、「Wempti(飲む)」「Pirati(吹く)」がヴァンパイアの語源だなんて言ってたのですが。無理やりなこじつけ過ぎて、全然納得できない。

しかしヒルの欧州語がヒルっぽかったことで、納得がいきました。なぜなら、ヴァンパイアの中にヒルが見いだせるから。

Vampire

Vam pire

ここにpireが含まれていますね。

ヒルは日本語の古語ではpiruになっていると考えられますね。ということは

Vam-pire

Vam-piru

Vam-hiru

ヴァン-ヒル

というふうにヴァンパイアの中に、「ヒルちゃん」を見いだすことができてくるのです。

不定形な形状のヴァンパイアとは、うねうねしたヒルが妖怪として解釈されたような存在だったのではないかと。そんな気がしました。

 

 とするとまた一つの仮設が浮上してしまいました。

それはヴァンパイアという存在に混同されがちな、デビル のことです。デビルもビル・・・ヒルの仲間なのかもしれないと。ギリシア語のディアボロスがデビルの語源とはいえ、どうしてデビルという、ヒルを含む名前に定着したのかというところで不思議です。

 

 

ヒルコは吸血鬼だったか

 

そうすると、日本神話に登場する蛭児(水蛭子)とは、欧州で言う処の不定形な形状をしている吸血鬼と、同じようなものだったのではないかと。

そもそも蛭児は不具の子と形容される神様なので、手足のない蛭という虫で例えられておかしくないような。

生まれてからすぐ、蛭児は葦舟で流されてしまったのは、ヒルコが蛭の神であり、高天原の神に害をもたらす吸血神だったから・・・とすれば納得行くような気がしました。

何しろ害をもたらした素盞嗚命もまた、高天原から追放されたことが、記紀神話には書いてあるのだから。

 

 

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イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論

前回

モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

の続きっぽい。 

 

f:id:kl117cr233:20180726173630j:plain

十の災い - Wikipedia

 

前回は「イザナギの逃走劇とは、モーセヘブライの民の逃走劇(出エジプト)に等しい」という結論を導きました。

つまり先祖の逃走があってこそ、今の世界があるということでした。「逃げるが勝ち」というのはもしかしてイザナギモーセが起源なのかもしれないなと。

人が物事から逃げると嘲笑する風潮っていうのは、勝者の理論かもしれないですが、神様は弱者の立場を応援する傾向があったわけなのでした。

それにしても日ユ同祖論とは、「英単語が漢字に置き換えられたようなもの」ではないかと。漢字化していても、調べれば中身が似たものだとわかってくるみたいな。

 

さて、イザナギの逃走劇が、モーセ率いるヘブライ人(イスラエル人)の出エジプトであるとしたら、それの前後に起きている出来事も同じで然るべきでした。

だからエジプトで起きた「十の災い」も、イザナギの描写に含まれているのではないかと。

 

  

十の災い

  

災いの内容について

 

出エジプト記に記載されており、概要は以下の通り[1]。

なお、理由は定かではないがローマ時代にこれらを説明しているフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』と偽フィロンの『聖書古代誌』といった本の記述では4番目の災いに当たるものがヘブライ語の記述とも七十人訳聖書の「犬蝿」とも異なり、「様々な種類の野獣」としている[注釈 1]


1.ナイル川の水を血に変える(7:14-25)
2.蛙を放つ(8:1-15)
3.ぶよを放つ(8:16-19)[注釈 2]
4.虻を放つ(8:20-32)
5.家畜に疫病を流行らせる(9:1-7)
6.腫れ物を生じさせる(9:8-12)
7.雹を降らせる(9:13-35)
8.蝗を放つ(10:1-20)
9.暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
10.長子を皆殺しする(11章、12:29-33)

十の災い - Wikipedia

 古代エジプトモーセとアロンが、神の杖を使って見せた神業というのはこんな感じでした。魔法、魔術といわれるものですが、日本神話でも魔法的な描写はかなり多いようです。

では記紀神話に、モーセらが起こした「十の災い」が、そのまんま入ってるかと言えば、何処にも入ってませんでした。

ちゃんちゃん。おわり。

・・・しかし記紀神話からは、何か十の災いに似通った流れみたいなものは、感じ取れて来るので、まだ終わらせません。

 

 

旧約聖書の十の災いの分類

 

まずエジプトで起きた十の災いを分類してみます。十の災いは、生物の大量発生、気象現象、疫病などに大別できることがわかります。

 

・生物の大量発生系: 2蛙、3ぶよ、4虻、8蝗(いなご)

・気象現象系: 7雹、9暗闇

・病気系: 5家畜の疫病、6腫れ物

・その他: 1川の水が血に、10長子皆殺し

ということに。

目立って生物の大量発生系の神業が最も多く、とくに昆虫が3つを占めていました。気象現象や疫病も複数ありました。

その他、川の水が血になるのは、自然現象に含められるかもしれません。近頃も世界のあちこちで、水が赤くなる現象が報告されてますが、それは有害な工場排水だったり、なんらかの物質の化学反応だったり、生物由来の現象(赤潮や生物の大量死に寄る血液)だったりするわけです。

エジプトの長子だけを皆殺しにしたというのは、自然のチカラでは不可能なことですが、単純な子供が死ぬという話に置き換えれば、病気に含めて良いかも知れないです。

 

これらに似た現象が、記紀神話イザナギの黄泉下りの記述から、出てくるかどうかを探しました。

 

 

苦難

紀元前2,000年頃、エジプトにはヘブライの指導者ヨセフがいました。ヨセフの兄弟と一家は飢饉に苦しんでいましたが、実り多いエジプトへ移住することで飢饉を逃れて当初は優遇され、苦しみと無縁になりました。しかしヨセフがいなくなって数百年後、彼らは奴隷となってこき使われていました。その子孫のモーセ が、時のファラオと対立する場面は、彼らの苦難の歴史を表しました。

それに対して、イザナミが死んだ後、イザナギが黄泉の国へ追いかけて行くと、魑魅魍魎の親分と化したイザナミが。2人が出会う出来事は、イザナギにとっての苦難であり、これらを以てモーセらの苦難に対応させたのではないか考えられました。

なにしろその後、両者とも苦難の地から逃げているのだから。

 

 

生物の大量発生

記紀神話を読んでいくと、最初に昆虫の文字が登場するのは、国生みの時の「蛭児・水蛭子」ですが、これは神の名に蛭が使われているのでした。

明確に「昆虫が昆虫のままに登場する」場面は、イザナギが黄泉の世界に入ってからの場面です。

日本書紀」によれば、腐ったゾンビと化したとイザナミの体には、うじが湧いていたと書いています。これにより「生物の大量発生」が表されていました。

 

気象現象

イザナミは、八種の雷神を体にまとっていたと書いてあります。雷という気象現象で、旧約聖書の十の災いの雹が降る出来事に対応しているようです。どちらも雨雲、積乱雲など雲から発生する気象現象です。あるいは「様々な種類の野獣」とは雷神により表されているかも。

 

疫病

イザナミの肉体は腐って虫がわき、まるで疫病の患者の成れの果てみたいな姿でした。これが、十の災いの各種の疫病発生に対応していました。

 

暗闇

イザナミは、地下空間の暗闇のなかにいました。ここで十の災いの暗闇の要素に対応しています。

 

不思議な神技

モーセとアロンは、ファラオに対して、神の杖を用いて十の災いという不思議な技を見せつけました。それに対応させていると見られるのが、イザナギイザナミから逃走する時の描写です。

 蔓草の飾りを投げて葡萄に变化させ、爪櫛を投げて筍(たけのこ)に变化させ、放尿して大河に变化させたなどの魔法の数々で、ゾンビの泉津日狭女軍団から逃げ延びました。

 

 

禍事

 

ここまで読んでみて、「10個ないじゃん」と思ったかもしれないですね。

しかしここは10個とかそういう数で数える出来事じゃなく、全てを1つとして捉えたほうがいい出来事かもしれません。

エジプトの古代名としては、ミスルだとかケムトなんていう呼び名もありました。「旧約聖書」では古代エジプトを「ミツライム」と呼んでいました。

それで十の災いは、原語では「makot mitzraiym」と表記し、英語ではPlagues of Egypt(エジプトの疫病)と呼ばれています。10という数字を用いず、全ての災いを、ひとつの出来事としてひとくくりにしているからです。だから日本で言われているところの「十の災い」とはニュアンスが違うのです。

 

マコト・ミツライム(疫病 エジプト)というのは、なにか日本語的な響きだと思いました。なぜならマコトは「誠」「実」であり、ミツライムという地名も何か日本神話に似た響きを見い出せるから。美豆良、御稜威、見辛い、忌む?

マコトは濁らせればマゴトですが、これは「禍事(まがごと)」を縮めたような響きをもっています。現代人は「禍々しい」と畳語(繰り返し語)でしか使われない「禍」は、日本の古代にあっては「災い、災厄、不幸」の意味で使われました。

疫病と言えば悪性の伝染病のことで、これを古代の日本では禍事の要素に含めて、恐れられていました。

 

要するに比較してみれば、

古代エジプト語 makot(疫病=禍事)

日本語     magoto(禍事=災い、疫病)

というふうに、両者は似通った意味合いを 備えていたのですね。もしかして古代エジプト語が日本語の中に入っているんではないか、そういった仮説に関わる見方です。

とすると古代の倭人の髪型「美豆良(角髪)」というのも、ミツライムの髪型だったから美豆良と言っていておかしくない気がしました。なにしろ古代エジプトの王族や、イスラエル人は、美豆良みたいな髪型をしていたのだから。

 

 

 話の流れの一致

 

ではこれまでのまとめ。話の流れが一致しているところを、答え合わせ。

旧約聖書

日本神話

 

1ヨセフがエジプトへ行く 

1伊弉冊(イザナミ)が黄泉へ行く

 

2ヨセフの兄弟がエジプトへ行く

伊弉諾イザナギ)が黄泉へ行く

 

3両者はエジプトで出会う 

3両者は黄泉で出会う

 

イスラエル人が奴隷になる

イザナミが黄泉に囚われる

 

5十の災い(疫病や不幸)

イザナミの体の状態が疫病や不幸を表す

 

モーセと民のエジプトからの逃走

イザナギの黄泉からの逃走

 

7葦の海の奇跡

7ここでイザナギが生み出した神々の名に、葦の海の奇跡が描写されていた(前回の記事)

 

8新天地(シナイ半島)にたどり着く

8日向の檍原にたどり着き、禊ぎ祓いをする

というふうに旧約聖書のヨセフからモーセまでの物語が、イザナギの出来事に一致するのではないかと。これは日ユ同祖論的に言えば、日本神話は旧約聖書の形を変えて、取り込んでいるという話になりそうです。

しかし日本に入り込んだ他の大民族の神話や、日本列島の出来事や地名と一体化しているために、分かりづらいものに なっていると。そういった気がしています。

 

 

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モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

死ぬほど苦しくなって、もうそろそろ黄泉から醜女のお迎えが来るのかと思っていたら、あれよあれよと3週間生きてます。

 

ということで、黄泉言えばイザナギイザナミのことを思い出したので、ちょっと日ユ同祖論ネタで。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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The Ten Commandments (1956 film) - Wikipedia

 

 

イザナギイザナミに習合された大陸神話

 

かねてより日ユ同祖論では、日本の神代の世界に、旧約聖書の世界観までもが習合されていると言われてきました。 

そこでこんな等式が成り立つのではないかと。

神世=日本列島の出来事+大陸の伝承や祖先の出来事(旧約聖書含む

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

イザナギイザナミというのは特に「イザ」の名を持つことで、イザヤのことだとかいう説があったりしました。しかし名前が似ているだけで、事績の一致は乏しかったのです。

 実際には、イザナギイザナミに習合された大陸の登場人物は、以下のような方々でした。

 

イザナミが黄泉(冥界)へと降っていく神話は、よく指摘されていますが、シュメールのイシュタル(イナンナ)の冥界下りとよく似ているのでした。

さらにイザナギが黄泉から帰還し、左目から天照大神、右目から月読命、鼻から素盞嗚命が生まれた件は、中国の道教の神である盤古の神話そっくりそのままであるし。

ほかにも大陸各地の神話が、イザナギ神話の中に組み込まれていました。たとえばカグツチから見いだせるニムロドだとか。

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

 

そしてイザナミの中には、旧約聖書の主役のひとりだった、モーセが含まれていました。その場面とは、出エジプトにつながる下りです。

 

 

出エジプトと出黄泉の流れ

 

 旧約聖書の、出エジプトの出来事は、以下の構成でした。

エジプト脱出

ヤコブ後のエジプトにおけるユダヤ人の状況(1章)
モーセの物語(2章 - 4章)
・ファラオとの交渉と十の災い(5章 - 11章)
・民のエジプト脱出と葦の海の奇跡(12章 - 15章)
シナイ山への旅(16章 - 19章)

出エジプト記 - Wikipedia

ヘブライ人(イスラエル人)はエジプトで奴隷としてこき使われて不満が鬱積しているなか、モーセが誕生。モーセはエジプトのファラオと対立し、神から授かった杖で十の災いを起こし、エジプトを脱出するときには海を真っ二つに割いて海底を進み、シナイ山へと向かうのでした。

 

一方で「古事記」や「日本書紀」のイザナギの記述を見ても、出エジプトなんかあるわけないと、そう考えてしまいますね。

 

黄泉の流れ(日本書紀

イザナギが、死んだ妻イザナミの後を追って黄泉へ入る

・黄泉のイザナミに再会すると、腐った死体だったので逃走した

・怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄泉日狭女)8人を放ってイザナギを追わせた

イザナギは不思議な力を駆使して逃走する

イザナギは黄泉平坂で出口を塞ぎ、イザナミと別れた

・穢れたと言って日向の檍原で禊祓いをした

 じっと見ていると、浮き上がってくる接点がありました。巧妙に、「日本書紀」のイザナギの記述に隠れているようでした。

 

 

十戒 (字幕版)

 

 出エジプトと出黄泉の比較

 

 

まず、ゾンビみたいな気持ち悪い黄津日狭女(よもつひさめ、古事記では黄泉醜女)が、イザナギを追った場面。

怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄津日狭女・よもつひさめ)8人を放ってイザナギを追わせた

 これが、出エジプトの時に、ファラオが軍隊を出してモーセヘブライの民を追跡した出来事と、重なり合うようでした。

しかもこの時、イザナギは、「海を渡った」ことを示唆させる魔法を使っていました。

一説では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は大樹に向って放尿された。これが大きな川となった。黄津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾尊はもう黄泉平坂につかれたともいう。

日本書紀 (上)全現代語訳p27

 ほーにょー。

 

そして、イザナギが黄泉平坂に到達して、もう一歩で地上に出るというところです。

するとここで、呪怨の伽椰子が知性を残したかのような黄泉大神(イザナミ)と、イザナギが対峙することになりました。

この時にイザナギは色んな神を生み出すのですが、この神々の名を見た時に、モーセ出エジプトの代表的なシーンが脳裏をよぎりました。

 

 黄泉でイザナギが生み出した神々

1・岐神(ふなとのかみ)・・・杖から生まれた

2・長道磐神(ながちわのかみ)・・・帯から生まれた

3・煩神(わずらいのかみ)・・・衣から生まれた

4・開囓神(あきくいのかみ)・・・猿股(褌)から生まれた

5・道敷神(ちしきのかみ)・・・履(くつ)から生まれた

6・道返大神(ちかえしのおおかみ)・・・ふさがる磐

 

これらの神の名が、モーセが起こした海が割れる奇跡に対応しているようでした。

ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ[14]。

モーセ - Wikipedia

 

 この「葦の海を渡った出来事」が、先ほどの「日本書紀」の神々の名前として集約してあったので、解読してみます。

 

(1)・まず杖から生まれた岐神により、モーセが杖を天に掲げた場面を表していました。

ここではモーセ役がイザナギで、追うファラオ軍がイザナミと黄津日狭女軍なのであります。

(2)・帯から生まれた長道磐神が、モーセの杖により、海が割れて出来た、細長い道筋を示していました。

(3)・煩神の煩いとは心を悩ませること。海に出来た長い道を見て、当然ながら人々は煩いを見せます。

(4)・モーセと民は、ぽっかりと開いた海の道に囓(食)われるように、歩き始めたので、ここで開囓神の名が出てきました。

(5)・靴から生まれた道敷神は、まさに海の道を靴で踏みしめて歩く様子でした。

(6)・道返大神は、塞がる磐。つまりモーセ一行は海の道を渡り切ると、道がふさがり、ファラオ軍は海に飲み込まれました。この出来事は黄泉日狭女 が道返大神を超えてこなかったことで示されていました。 

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というふうに、イザナギが生み出した神々の名に、モーセの海の奇跡が封印されていたようではないですか。ほーにょーの出来事と合わせて。

 

 

出来事と人物の対比

 

ということは、イザナギが向かった黄泉とはエジプトのことである可能性が高くなるようです。ここで登場する場面や人物を対比してみれば、

イザナギ・・・・・・・・モーセ

黄泉・・・・・・・・・・エジプト

敵対するイザナミ・・・・敵対するファラオ

追う黄津日狭女・・・・・追うファラオ軍

黄泉平坂・・・・・・・・葦の海

イザナギが生んだ神・・・海の割れる奇跡

 こんなふうにバッチリ対応したではないですか。

 

ではモーセとアロンが神の杖によって起こした、「十の災い」も、日本のイザナギ神話の中に存在するのでは?という点も気になってきました。

 

 その点は、まだ生きてれば次回に。

 

 

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