たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

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最近も日ユ同祖論を否定する傾向が高いようですね。

個人的には何でもいいですが、今後も日ユ同祖論支持の方向で行きたいと思います。

 

前回の記事

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話

 

 

耶蘇

 

例の犯人はヤスでした。

しかしむかしの日本では、キリスト教といえば耶蘇教なんて言われてました。

この耶蘇というのは「Jesus」の音写だったりしたのですが。

Jesus→耶蘇→ヤソ→YAS→YES→イエス」だったりしました。要するにイエス(jesus)に漢字を当てて耶蘇としたのです。

 

 

世界大百科事典内の耶蘇の言及

耶蘇会日本通信】より …1598年ポルトガルのエボラで出版された《日本シナ両国を旅行せる耶蘇会のパードレおよびイルマンなどがインドおよびヨーロッパの同会会員に贈った1549年より1580年に至る書簡》,いわゆる《カルタス・ド・ジャポンCartas do Japão》の日本訳の書名。耶蘇会(イエズス会)の耶蘇はJesusの近代中国音訳語〈耶蘇〉を音読みしたもの。

耶蘇(ヤソ)とは - コトバンク

 

これは中国が清となった近代、イエズス会が中国に入ったときに、イエスという音を漢字にあてはめて耶蘇としたことに由来します。

日本でも江戸時代の頃、キリスト教は長らく耶蘇教と呼ばれていたとか。

蘇は現代中国語のピンインでsuなので、耶蘇はyasuですかね。日本語の呉音で「蘇=ス」、漢音で「蘇=ソ」というわけで。

すると、むかしの中国人が耳にしたJesusは、「ヤソ・ヤス」に近い発音だったと見られます。これ、どこの地域の発音なんだろうかと。気になりました。

 

 

ヘブライ語のJesusはヤシュだった

 

ヘブライ語でJesusの発音を調べてみると、こうでした。 

Jesus の発音: Jesus の 英語, ポルトガル語, スウェーデン語, ラテン語, ヘブライ語, タガログ語, ドイツ語, スペイン語, 北サーミ語, アフリカーンス語 の発音

ヘブライ語「Jesus=ヤシュ」

に聞こえてしまうんですよ、しってましたか。

つまり、驚くほどに、耶蘇(ヤソ)っぽい。

 

ということは、中国の清朝に入ってた宣教師は、ユダヤ人だった可能性が高いです。

なにしろ欧州人は、Jesusをイエススやジーザスと呼んでたっぽいからです。

 

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ちなみにこの絵は昨日てきとうに描いてた絵です。ほんとはイラストをもっと描きたいですが、時間がないので無理な感じがします。

 

 

耶蘇の意味

 

ここで興味深いのは、漢字の意味も整合させてることでした。

キリスト教のことはイエスの偉人伝を読んだ以外は詳しくシリマセンが、イエスのことを御父とか御子だとか表現していたりするのです。

そんでもってイエスと言えば「最後の晩餐のあとにとっ捕まって磔の刑となり、一度槍で貫かれて死んだのだけど、生前に予言した通りに棺の中でこっそりと甦った」とかいう話が伝わってたりしますね。

 

耶蘇の「耶」は、「父」という意味

耶蘇の「蘇」は、「よみがえる」こと

 

だからむかしの中国人は、イエスに「耶蘇」の字を当てたというわけだったりしました。

 

 

八色とイエス

 

そんでもって本題となる、「八色の姓(やくさのかばね)」ですが。

耶蘇とはまるで関係ない話のようですが、実はこれ、関係してました。

何しろ、八色を別の読み方にすると、ヤショクで、夜食?いいえ、「ヤショ」だった。

あるいは、八色はヤシキで「ヤシ」が入っていたんですね。

なんかヤショとかヤシとか、「耶蘇」に似てる。つまり、イエスに通じるものがあるんだなと。

 

 あと「旧約聖書」のあっちの世界では神のことを「ヤー」と呼んだりします。

八を「ヤー」と呼ぶのは日本語ですが。

日本では神様と関係する物や土地には、やたらと「ヤ」がついたりします。八百万神、八重垣、八千矛、八幡神八咫烏、八咫の鏡、八岐大蛇、八十神、ヤマ(山岳)、ヤマト(大和)。

 

あと「旧約聖書」では神の名をエルとか言って、エロヒムとも呼ばれてますが。これがどうもラリルレロで当てはめて、エラ、エリ、エル、エレ、エロという神様の五段活用が当てはまっていたりしますね。

で、騎馬民族のほうでは、エルからイリ、イルみたいなほうに転訛していたわけなのです。そのイリ、イルに一字を当てはめるとしたら、「色」もありだったりしたのかなと。

 そうするとこうなるのです。

八(ヤ) = yah=神

色(イロ)= iro=ir=el=神

 八色と並べると、意図的に「神神」となるように、八色の2字を選び出しているのではないかと。

 

それは前回の記事でも記したとおり、秦の始皇帝が神であり、自らを始皇帝の生き写しとし、道教の神を信奉しまくった天武天皇が、秦と神にやたら こだわったことに関係するのではないかと。

そうすると空海の作と言われる「いろは」歌が、なんで「色は匂へど散りぬるを」で色から始まっているのか、そしていろは歌を7文字7列に並べると隅っこに「イヱス」が出現し、一番下に「トカナクテシス(咎(とが)なくて死す)」が現れてくるのかとか、色々と関連を調べたくなってくるのですが・・・。

 

ところで、油性ペンの八色を思いついたので貼っときます。

 

 

ゼブラ 油性ペン マッキー 極細 8色 MCF-8C

 

 

八色の姓烏孫と西域諸国

 

さて、前回の記事のとおり、真人が秦人に掛けている言葉なのは、個人的には確実視するのです。それは天武天皇が秦の始皇帝道教の信奉者だったから。

 

もうひとつ、真人のあとに来る朝臣が、強烈な示唆を含むことがわかるのですが。

それは、朝臣と呼ばれている姓。

これがどうも、「烏孫」を元にしている言葉であるのではないかと。

何故かと言うと、真人が秦人ならば、国名を列記していておかしくないなと考えたからです。それは秦より西側の西域諸国が殆どを占める感じがしました。

 

真人・・・しんじん・・・秦人

朝臣・・・あそん・・・烏孫(うそん)

 これだけ見ると、もう確実視出来る感じがするのですが。この2つの国は時代は100年違っていますが、月氏の土地に隣り合うという位置関係でよく似ていました。

一説に秦の始皇帝月氏から出ているとされるし、月氏自体はコーカソイド系でイランとか地中海方面が出自だと言われます。

烏孫のほうは、西から月氏の土地に入り込んで常に隣り合う位置関係を示しました。個人的に烏孫古代イスラエル系だったと考えていたところなので、月氏と隣り合っていたのも必然に感じました。

それでほかの八色の姓についても、西域を中心に当てはめられる感じがしました。

つまり天武天皇八色の姓とは、秦系と西域系を優先する身分制度だったのではないかと、考えてしまいます。

 

朝臣(あそん)以下の、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲木(いなき)。

これらを八色と同様に、本来の読みとは違った読み方をすれば、

 

真人・・・シンジン・・・秦人

朝臣・・・アソン・・・烏孫(西域)

宿禰・・・スクネ・・・ソグド・サカ(西域)ソグドはユダヤ

宿禰・・・ヤドネ・・・ユダヤ(中東)ユダヤからソグドが出た

忌寸・・・キズ・・・危須・亀茲(西域)亀茲から聖徳太子が来た

忌寸・・・インキ・・・焉耆(西域)

道師 ・・・ドジ・・・タジク(西域)万里の波(長城)を超えた田道間守

臣・・・元々倭にあった(倭人

連・・・元々倭にあった(倭人

稲置・・・イナ国・・・委奴国(倭人

 

というふうに、秦・西域・日本の身分の高い人々を、「一番昔まで遡った先祖の出身ごと」区分けしたのが八色の姓」かもしれないなと。

この区分けが合っているかは分からないですが。天武天皇は筆者と同様に、「天皇大和民族烏孫起源・西域起源」を信じていた可能性がある予感。

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

 

 

八色の姓と 西域をつなぐ景教

 

で、ここに八色(ヤシュ・・・Jesus)が関わってきます。それは彼ら西域人や西域出身倭人が、5世紀のネストリウス派景教)か、それ以前の原始キリスト教を信仰に入れていたからではないかと。

3世紀以前、歴史的に倭国にはキリスト教は入ってないとされますが。

しかし「魏志倭人伝」では「持衰(じさい)」という人柱の風習で、吉凶を占ったとかいう話がありました。これがどうもジーザスではないかと、そんな解釈をしている人もいました。

天比登都柱から見えてくる倭国の人柱文化

 

日本書紀」では聖徳太子の項目に、明らかにキリストの死と復活を記したようなヶ所が登場してたりします。

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日本の古墳を掘ってみたら「双魚佩(そうぎょはい)」という謎の飾りが出たりします。これは2匹の魚がくっついていて、上になんかパンみたいなものが乗っかっているやつ。

2匹の魚っていうのは、実は中東や西洋では、イエスそのものを表すシンボルだったりするのですが。日本の歴史学者の人は、これはキリスト教の遺物だとかは言わないで、大陸系の護符だとか言っているようです。

 

つまり天武天皇のいた7世紀はもちろん、聖徳太子のいた6世紀はもちろん、卑弥呼のい・た3世紀には、既に原始キリスト教騎馬民族遊牧民の移動に伴い、倭人のなかにまで入り込んでいたのではないかと。

一方の西域の東トルキスタンのほうは、5世紀頃にはもう西域ではキリスト教が支配的な勢いだったといいます。

しかしじつはキリストの死の直後の1~2世紀の段階で、原始キリスト教騎馬民族の流れに乗って、西域まで入っていたんではないかと考えられました。

 

こうしてなんで「八色の姓」が、キリストを表す八色と、西域諸国の名前という、異なるキーワードで繋がっているのか、真相が見えてきたわけですが。と言っても、これも想像に過ぎないんですけどね。

 

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神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件 

烏孫 の検索結果 

 

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totoのAfricaを見てたら気づいた不思議な既視感

日常を過ごしていて、自分の運命を感じる出来事とか。
偶然に自分と状態や出自と重なりあうと感じる出来事とか。
あったりしませんか、なんとも偶然的なかんじで。

偶然というのは、意図せず物事が整合している状態のことですが。
しかし果たして偶然とは、こんなに都合よく練り上げられるものかと。
偶然なんか、この世界には1つもないという発想は、よく考えるようになりました。
世界は太古より一貫して、偶然や自然に見せかけられた作り物だという仮説が、頭をもたげてしまいました。

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https://youtu.be/FTQbiNvZqaYより


舞台はなにやら古びた建物。
怪しい装飾が壁を飾り、無数の本が棚に整列してる。
そこはジャングルの歴史研究所か、図書館らしい。
偉そうなメガネの女所長がいる。

男は謎の断片を手にしてる。
断片には謎の古そうな絵が描かれてる。
断片の元である本を探している男は、単なる歌手より学者のよう。
演奏するトトは、何故か積みあがった本の上にいる。

突如として何者かによる襲撃があった。
すると同時に、謎の絵を収めた本のページが開かれた。
絵はジグザグ模様の盾を手にした伝説の戦士だった。
偶然にも襲撃者の盾は、絵にある戦士と全く同じだった。
伝説の戦士が攻めて来たのだ。

倒れたランプの火が、偶然にも男が探し求めた本に引火した。
まるで伝説の戦士が、証拠を隠滅したかのよう。
男は何故か本が燃えるままにして、手の断片も燃やした。
謎解きが済んだからだろうか。運命に抗わない主義なのだろうか。

男は別の本に興味をもって、あらたな研究を始める。
まるで目の前で起きた戦士による襲撃や火災が、なかったかのように。
積みあがって傾いた本の上で、独り佇んで過ごしている男。

youtu.be


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普段は音楽なんかはあんまり話題にしないブログですが。
自分探しの過程で、とても気になる内容だったので取り上げることにします。
この曲はたまたま先日なんかのメディアの記事になってたのが、目に入ったのがきっかけですた。

以前から耳にした曲でしたが、pvは自分史上で始めて、じっくり観察してみました。

この曲の歌詞は「探し求めるものはそこで待ってるから、迷わず行けよ」みたいな内容になってるし。、また好き勝手に考えを巡らせます。


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https://youtu.be/FTQbiNvZqaYより


totoの「Africa」が完成して発表されたのは1982年のことだそう。
これはアルバムの「Joe FM Hitarchief 1982」に収録されていたとか。
このころの自分は、夢遊病を体験し、夢か幻か地獄みたいな異世界を垣間見てしまった5歳のころでした。
とは言え、totoとか世界の歴史や陰謀なんかもまるでご存知ない年ごろでした。

このアフリカのpvは自分的にとても不可思議でたまらないのです。
取り上げざるを得ませんでした。

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まず襲撃を仕掛けてきた盾の戦士は、不思議の塊みたいなやつさん。
この戦士がどうしてこの研究所を攻撃したのか?それはこのpvで最大の謎ですが。
pvの内容から推測すると、戦士が戦争を仕掛けた目的は「自分の姿を描いた本の消滅」でしたっす。

それ以外にあるとしたら私怨だとか、白人の奴隷制度の歴史に感化されての、民族的な怒りかもですが。
あるいは、偶然に本の中の戦士が登場して、怒りを見せて攻撃したのは、いわゆる「異世界からの召還」をあらわすのかと考えたり。
・・・

とにかくオカシイのは、以下のところ。

1・男が盾の戦士のことを調べてると、不意に偶然に本人が現れた

2・男は偶然に見つけた断片の本を探しているだけなのに、戦士は男に探されていることや、本の存在まで把握してる

3・戦士は槍を1回投げただけなのに、完璧に狙ったように、偶然にお目当ての本にランプの火を完璧に引火させ、証拠を隠滅させた

4・戦士が槍の手をちょっと動かすだけで、偶然にも本が崩れる描写がある。まるで超能力的なものを使っているよう

5・男はそんな無茶苦茶な目に遭いながらも、まるでなにも無かったかのように次の本を手にとる。それは襲撃と本の消滅により、記憶すらも失われたかの如くに。


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そりゃこれは架空のお話だから変で当然だとか、思ったりします。
しかし、この世の中にはあらゆる事象、モノにすら2つ以上の意味があると考えてるのですよ。
このpvも何かの示唆的な情報が、入っていると見てしまいます。

何が奇妙で不可思議と感じ取れたかと言えば、簡単に言えばこれです。

「何か未来の俺を題材にしてる」的な目で見れたから。

今の自分に当てはまる要素ばかり盛り込まれているようで、ひょっとして自分の未来が暗示されていたのかもしれないなと。
ジャングル、古い家、古代史研究、傾いた床、謎の外敵による攻撃、偶然の出来事の連鎖、toto・・・

なんで有名な歌手グループが、見ず知らずの地球の裏の5歳の子供を取り上げ、しかもその子供が40台を迎えた未来を、ネタにしなきゃいけないんだと。
そういう突っ込まれるところはあるかもしれないですが。
何も意図せず、単に偶然に俺にとって意味ある映像が出来上がったんだろーかと。
それともtotoは1982年に映像を紡ぎだしているのだろうかと。
運命の存在、人生に対する他者の介入、未来視的な観点、かけられた呪詛。

何にせよ、俺とAfricaが合致する今この時に、何の意味があるのだろうかと考えてしまうわけなのです。

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天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話

こんにちわ、以前に書いたとおり、何も教えられず悪い方悪いほうに導かれて、フルボッコにイジメ抜かれて生きてまして愛国心も消失してしまった日本人です。

ちなみに家紋は鷹の羽の家でしたが、もうどうでもいいです・・・。

 

そんなこんなで不条理コースを突き進む中、ある時に天武天皇のことが頭によぎることがありましたので、死ぬ前にちょっと書き残しておきたいと思います。

それにしてももう死ぬとか言ってから25年は経っているので、なかなかしぶとい俺って。

 

 

八色の姓(やくさのかばね)は何か変

 

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天武天皇-ウィキペディアより

脳裏をよぎった天武天皇

このかた、7世紀に壬申の乱で先代の弘文天皇をぶち殺し、そのまんま皇位についちゃった・・・。そんなハイクラスな破天荒をぶちかまし天皇でした。それでも狂ってたのかといえば、そうではなかったようです。

神道も仏教もどちらも基礎的なところから大切にして、いわば神仏習合の基礎を固めていった現人神といった具合でした。この方が最初に天皇という称号を使ったといわれています。

そして八色の姓という氏姓制度を新たに制定したことは、むかし教科書でも習ったことかもしれません。これは簡単に言えば

天武天皇以前まで雑多になっていた臣や連といった高位豪族を、皇族系貴族と地方豪族とに明確に分け隔てる制度」でした。

これにより皇族はヤマト王権の中で優遇度が格段に上がり、例えば官吏はみんな皇族出身者にするとか、なんかズルい待遇の変化が出るようになりました。

 

そこで誕生した八色の姓は以下の8種でした。


真人(まひと)

朝臣(あそみ・あそん)

宿禰(すくね)

忌寸(いみき)

道師(みちのし)

臣(おみ)

連(むらじ)

稲置(いなぎ)

 

 ・八色の姓 - Wikipedia

これはもう見る影もない制度です。しかしなにか奇妙な毛色を持っている、自分的にはそう感じ取るしかなかったです。

この八色の姓の何が変なのかと気になりますね。しかしそれはひとまずは置いといて、とりあえず天武天皇諡号のほうを見てみます。

・・・と書いていたら、呪いをかけてくるおばさんが、いつものように玄関ドアをバン!とかやるのでイラっと来てしまった(2月13日)。

 

 

 天武天皇諡号を見ると

 

すると、天武天皇諡号にはなにか不思議な漢字の羅列が見られたりします。ここに八色の姓が刻み込まれていることも分かるのです。

天武天皇の和風諡号

天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)

 

こんな名前の人がいたら、あま君としか呼ばれない感じがしました。どうでもいいですが。

天渟」というのは、天地開闢のあとに伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が天の浮橋の上から天之瓊矛(天之沼矛・あめのぬぼこ)により海原を掻き回してしたたる塩の塊が淤能碁呂島になったとかいう、あのときの矛の名前ですね。これにより天の創造神であるが如くの意味合いを込めたのかもしれないです。

淤能碁呂島(おのごろしま)が「自ずと転がる島=地球」であるとするなら、天渟中原というのは地上世界の真中のことです。   

そもそも「中原」というのは中華思想における世界の中心、中国で言うところの黄河流域の華北平原のことでしたので。この当時の中原に当てはめられた日本の土地が、奈良盆地の明日香村の飛鳥浄御原宮のあたりでした。

それで「瀛(えい)」というのが道教でいう東方三神山のひとつ、瀛洲のことでした。この一字を以て「東瀛」とかも言って、それが日本の異名、雅称だったんですよ。

つまり訓読みの「瀛=おき(oki)」というのが日本の異名にあっておかしくないです。そう考えると、おそらく本州の本来の古名「秋津洲(あきづしま)」の「あき(aki)」に転訛している関係だろうと、考えたりするわけなのです。

そんでもって「真人」というのも中国由来の言葉だったのです。これは道教でいうところの「優れた道士」のことでした、というのは正直言えばウィキペディアで知りました。

天皇」という称号についても中国由来でした。道教の思想のなかに三皇五帝という神話上の皇帝が出てくるそうです。

三皇とは天皇地皇泰皇、あるいは伏儀、女媧、神農の3人の神であるとか。

三皇五帝 - Wikipedia

どうも天武天皇はこの天皇を気に入って、大王(おおきみ)の代わりに天皇を使いだしたとか。

 

というわけで、天武天皇という人は、完全に道教的思想の持ち主だったことは事実でした。このかたは道教に繋がる陰陽道占星術なども取り入れていたので、まさに中国の思想で頭がいっぱいでした。

それを元にして一応は日本の伝統も守ろうとはしたようです。原初の神道に思い入れが強かったらしく、天照大神の信仰を重視していました。

そして天武天皇がどうしてやたら中国に傾倒したのか、そのへんは天皇家の本来の出自に関係しているのですが。そのへんは以前の記事でも読むとわかりますが。

 

天渟中原瀛真人天皇、この諡号を踏まえて次の話へ。

 

 

秦人と始皇帝

 

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始皇帝-ウィキペディアより

 

どうして諡号の「真人」を、八色の姓の一番上に持ってきているかです。

真人を「まひと」とよめば 極めて日本的な印象を持てたりします。

しかし元々道教の「真人」に起源があるので、真人は「シンジン」と読むのが本来だったはずです。これがどうも大陸の「秦人」と同じ読みであることはたやすく理解できます。秦というのは秦の始皇帝が知られていたりしますね。

 

じつは始皇帝というのは、道教の大元である神仙思想を突き詰めて政治を行った人でしたので。そして始皇帝の元からは、東の蓬莱や瀛洲に徐福がたどり着いたりしていました。徐福とは方士であり、後に方士とは道教の使い手のことを指す言葉になっていました。

そうするとなぜ天武天皇諡号に瀛洲の「瀛」が入っているかも、なんか関連が見えてきたりします。なぜならば始皇帝の本名が、「贏政(えいせい)」だったからなのです。

つまり、 

  日本    秦

1 天武天皇  始皇帝  

2   中原  中原   居場所

3    瀛  贏    えい

4   真人  秦人   しんじん

5   天皇  皇帝   みかど

6根幹に道教  根幹に道教 道教

 というふうに、天武天皇は思想の根幹に道教を置いて、すべてにおいて秦の始皇帝風な政治を取り仕切った。そういうホントのところが、天武天皇自信の諡号に込められてるという感じがします。

何しろ、自分の名前に始皇帝の贏を入れ、サンズイを足して瀛に置き換え、秦人と同じシンジン(真人)を入れ、中華の中心となる中原まで含めてしまっているくらいですので。

八色の姓のトップに真人があるのも、始皇帝=秦人の思想こそが一番であると、そのへんを暗に込めて居る気がします。

気がするだけですが、筆者のヤマカンは割と当たっていたりします。

 

これもネットを探しても出てこない話だったりしませんか。と思って検索してみたら、こんな記事が。。

天武天皇は始皇帝を手本にした ( 歴史 ) - 歴史徒然:History Tsuredure - Yahoo!ブログ

言語学者の加治木さんが書いてたらしい・・・ただこの記事は天武天皇諡号のなかにまで秦の始皇帝が隠されているとは書いていないので、ここはオリジナルだったようです。

秦の始皇帝の事績が、天武天皇に似ているとは知らなかったことでした。やはり今回想像できた天武天皇道教崇拝と諡号のナゾは、真実に近いのではといった予感を受けました。・・・自己満足的ですが。

 

加治木さんといえば、著書のなかで烏孫起源説に言及している数少ない作家の一人です。天皇烏孫から来ていると言う著書を出しているのは栗本慎一郎さん、卑弥呼烏孫から来ていると書いているのが加治木さんです。

  

と、ここで話を終わらせても良かったのです。でも天武天皇の制定した八色の姓の真相は、もっと別のところにあったのではと、気づいたので次回に続けることにします。

 

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「東経ヒミコ度」が示唆する運命の存在

 

 以前から個人的運命とか世界的な運命については書いてたのですが。今回は卑弥呼ちゃんが教えてくれる、運命的むすびつきについてちょっと。 

 

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本日の散歩の写真(2月5日)

 

ところで爆音飛んできたり、隣のおばさんに深夜から朝まで壁をぶっ叩かれ過ぎて動悸が酷くなった心臓、近ごろもまだ胸が苦しかったりする。股間の異常があったり、なにより思考の異常で悩まされていたりする。

それにしても、接続が頻繁に切れて一生懸命かいた仕事用記事が全部消えたり。

連日爆音が飛んできたり、隣のおばさんはそれを俺のせいにして叩き返したり。

世の中や芸能人がうざかったり。年上な複数の大人からも、中学生のいじめや差別みたいなことされ続けたり・・。

山で引きこもりで暮らしていても、なにかとイヤなことはあるものだなと。

とりあえず複数の医者から放置プレイされ周囲にも教えられず悪化した蓄膿症は、消毒のおかげか沈静化したとか。 

 

とにかく今は自宅で出来ることをやる。たまに自転車ダウンヒルとかバイク乗れるくらいまで、リハビリしようかと。

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それにしても、冬の樹木は影絵みたいで魅力的だと感じますね、今回もすぐ自衛隊が飛んできたのもいつも通り。

 

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異端児卑弥呼

 

異端過ぎる筆者がいうのもアレですが、卑弥呼ちゃんは異端性に満ちていました。

そのあたりについては、陳寿がのこした「魏志倭人伝」でも語られていましたが。

 

倭国で長い間の殺し合いが続く狂気の中、倭人を代表して幼い卑弥呼が女王に擁立された(救い主)

・鬼道を用いて民衆を惑わせた(鬼道=祈祷という神道的なだじゃれ?)

・奴婢1,000人を居城で従えた

・魏の皇帝が金印紫綬を卑弥呼に送った(当時のアジアでは最高の評価)

・城にこもって民衆に姿を見せなかった(ひきこもりの元祖)

 

どんだけ個性的で酔狂な女王様だったかと。普通とかけ離れた異端児だったかと。

 

それで以前、卑弥呼にはこんな秘密があるのではと、想像して本やブログに書いたことありました。

 

一・卑弥呼朝鮮半島倭人地出身

一・卑弥呼の親(天皇)は扶余にいた

一・卑弥呼は海を渡って九州へ入った

一・卑弥呼崇神天皇と同一視できる

一・卑弥呼倭迹迹日百襲姫命と同一

一・卑弥呼は男装して外に出てた

一・卑弥呼は桃太郎のモデルだった

一・卑弥呼の名は自ら希望し名付けた

一・卑弥呼の名は崇神諡号と共通する

一・卑弥呼の名に徐福が込められた

一・卑弥呼の名前は三角形で表される

一・卑弥呼筑後平野に拠点を置いた

一・卑弥呼の名に前方後円墳の意味がある

他にもあるかもですが。まぁ筆者が想像しただけの仮説なんですけど。

世の中に出回っていない誰も知らない超テキトウな仮説がどんどん湧いてくるので、俺の前世は卑弥呼だったので、遺伝子レベルでテキトウに知ってたのだろうかと考えてみたりしました、テキトウだけど。

まぁ、それぞれの仮設はブログに納めてありますので、暇つぶしに読んでみてください。

 

 

倭人は言葉遊びを好んだ

 

むかしの人が文字に頼らなかった頃、伝達は話し言葉が中心を成した。

古来の大和言葉は音韻(音と響き)が重視されて、呪術を司る巫覡や巫女の役割を持った人々が、霊力や呪詛を蓄えた言葉「言霊」として作用させていました。

それで言葉は呪詛としての役割を持って、人を祝い呪い、生かし殺す武器にもなったわけなのでした。

たとえば罵声と嘲笑と嫌がらせを受けて、人が自殺するような出来事。これは呪詛や言霊を意図してなくても、自然と呪詛や言霊として機能をしてしまって、人の命を奪うに至ったと考えることができたりします。

それから適当な話をしますが、じつは大和言葉というのは、大陸の西から東へと縦断してきたのではないかと、誠しやかです(自分のなかで・・・)。

そのために、大陸各所の言語をやたら混ぜこんだようなものが、大和言葉であるようだと感じとれます。

仮に中東や中央アジアあたりで「bc3~ad3あたりに使われ始めた複数の単語」があり、それとそっくり似通った大和言葉がみつかるとすればどうですか。

するとそれらが偶然の範囲を逸脱して多数含まれるなら、大和言葉というのは縄文時代由来じゃない、中東や中央アジア由来な言語であることが、浮き彫りになるのではないかと。これはあとで調べてみたいですが。

 

さらにこれはホントの話ですが、漢字を取り入れてまた変化をし、時代を経て訛りの影響を受け合い、転嫁を続けていまの日本語になったようなのですが。

あとは、だじゃれ的な言葉遊びというものは、「万葉集」のなかでも見られたりしますよ。「日本書紀」をみれば、弥生時代の頃、頭に角がある人なので「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という名前で知られるかたもいました。

弥生時代からだじゃれという言葉遊びは、あって然るべきでした。

しかも卑弥呼という人が、どうも指摘したとおりに言葉遊びを好んでいたような感じなのですよ。わずかな三文字から取れる情報量がすごいですから(自分のなかで)。

                                                              

ちょっとおすすめ

封印された叡智の回復 (1): 前方後円墳と神社に秘められた矢印機能 (たっちゃんの古代史とか出版) Kindle版

 

 

未来と繋がる言葉遊び

 

それで卑弥呼が未来に繋がる謎のメッセージを残してるのですう。

たぶんそれは彼女が意図した、というよりは、自然とそうなってしまった方が強い気がします。それは運命だからです。

或いはこの時代にそぐわない未来を知る存在が、卑弥呼に御近づきになり過ぎたがために、こうなっているのではないかと。

その辺の想像力を、いま開示しようかと。

 

 

1・卑弥呼の居城は「東経ヒミコ度」

 

卑弥呼の住んでた場所とは、卑弥呼の語呂合わせの土地にある。

そんな妄想を炸裂させるようになったのは、近年のことでした。

 

卑弥呼の語呂合わせというのは、

卑・・・ひ=1

弥・・・み=3

呼・・・こ=5(ご)、9(ここのつ)

この語呂合わせ。

これがどうも、弥生時代末期よりあったかも知れないなと、考えられたので酢。

それは「古事記」の物語から、紡がれちゃった話ですよ。大物主神にまつわる記述があり、そこには

「糸を3回巻いた回数=三勾(みわ)」と、「三輪(みわ)山」を掛け合わせた一文が出てくるのです。

はたと気づいたのですが。卑弥呼の時代から、数字の語呂合わせがあるんだと。

 

それで、以前に筆者がテキトーに書いた記事が、ここで関与するんですよ。

緯度経度というものが運命的に或いは陰謀的に結び付くというアレですが。

 

 近世にはいってより一般化したはずの緯度経度は、どうも卑弥呼のいた土地または卑弥呼の関与する土地では、「東経ヒミコ度」が当てはまってしまうという奇想天外な想像力なのですが。 

 

 

福岡の平塚川添遺跡

 

まず個人的に最初に卑弥呼の居城があったと直感するのが、筑紫平野でした。ここは佐賀平野とか筑後平野とかややこしい地名ですが、邪馬台国の範囲を考えると、筑紫平野全域に渡っていておかしくないかと。

中枢となる城が、おそらく吉野ヶ里遺跡と平塚川添遺跡なのではないかと

で、何で平塚川添遺跡かといえば安本美典氏の一説「奈良と筑紫平野の地名の一致」が確かな証拠だからですね。それにこの遺跡の北には、三輪山と名前も見た目もそっくりな大三輪山もありますのでね。

卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地

あ。

 

あと地名で言うと、平塚川添遺跡のそばには杓子(しゃもじ)の地名が残ってることは必見でした。

何しろ卑弥呼の卑は、しゃもじの意味を持つのだから・・・・。 

しゃもじの女王卑弥呼 - たっちゃんの古代史とか

あ。

 

それで、この地点の東経が、130度39分なのは興味深いですね。

 

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平塚川添遺跡

130度39分

13039

139

1+3+9=13

 

あらま。

 というわけで、杓子の平塚川添遺跡の130度39分は、卑弥呼的に意味があった。

果たして偶然だろうか?と。

 

 

奈良の纏向遺跡

 

次に、奈良の纏向遺跡卑弥呼の居城だという学者もいるのですが。ここは卑弥呼と同一視される倭迹迹日百襲姫命に縁の深い、大物主を祭る三輪山が近いこともあり、たしかに無視できない土地なのですが。個人的にも、邪馬台国東遷説を支持していて、卑弥呼の拠点の2か所目と考えます。

この土地の東経が何度かといえば、135度でした。

 

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纏向遺跡

135度

135

ひみこ

 

あらら。

 

・・・・・・・・・

 

緯度経度というのが九州で正確に130度、奈良で135度が西洋世界で定まったのは、江戸時代だったのです。

 

弥生時代の最高に高い評価の人物

・当時から現代まで、135、139が当てはまる位の高い人物といえば日本では卑弥呼

 

これはなにか、卑弥呼がこの場所に居城を築いた出来事が、遠い2~3世紀の過去から運命的に決まってたかのような感じなのですよね。

なにか邪馬台国といいうのも、もしかすると邪馬台(サバト)国で、魔女の国でもおかしくない、そんな気にさえなりました。

 

 

卑弥呼の逆さ読み

 

もう1つ、卑弥呼の未来的な不思議要素があるのです。

卑弥呼という名は2世紀の頃に命名されたのですが、どうもアルファベット表記すると違うものが見えたりします。

 

ヒミコ

himiko

 

何の変哲もなくて、なんとなくセレブ感がでるhimikoです。

これを逆から読むと、

 

okimih

 

オオキミ

大王

 

大王(おおきみ)・・・天皇の古称ですコレ。つまり、

 

卑弥呼天皇だった情報が、アルファベットの逆さ読みに秘められていた

・アルファベットが日本に導入される江戸時代以降になって、初めて分かることだった

・大王=天皇なので、卑弥呼天皇だった(個人的には崇神天皇であるとする)

 

という話になり、やはり緯度経度の135、139の時と一緒で、過去と未来の繋がりが、卑弥呼から現れたじゃないっすか。

これも、偶然なのだろーかと。運命なのだろうかと。奇妙キテレツ摩訶不思議ではないですか・・・。 

  

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冬景色 2019年1月

先日、1時間ほどの登山した時(近所を歩いただけ)の冬景色。

 

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平野部

 

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青い空にたなびくような枝 

 

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斜面 

 

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尾根 

 

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ちょうど正面に飛んできた自衛隊

 

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駿河湾も見える

 

青い空に葉っぱが無くなった落葉樹の写真が、かなり素敵に撮れた1枚であった。

やるべき命題は完了していない。まだ俺は死ねない。 

 

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緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

  

緯度経度から数秘術が導き出せるのか

 

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地球儀 - Wikipedia

 

緯度や軽度というのは普段まるで意識しないですが。世界で最初に経緯度線が描かれたのは、2世紀の古代ローマの学者プトレマイオスが記した「ゲオグラフィア」の地図だったとか。

このころには西洋では極東の地形は認識されておらず、当然ながら日本が東経135度などという数字に当てはまるとは、誰も知らなかったようです。

初期の世界地図 - Wikipedia

 

東経線や北緯線が日本の古地図に描かれだしたのは、江戸時代の中期ごろだったとか。

そして九州は東経130度、京都は東経135度、江戸は東経139度というふうに、グリニッジ子午線を基準としていまと同様の数値になったのは、1886年のことだったとか。

 

それでなんとなしに緯度と経度を調べてたら、これって数字の一つ一つがなにかに似てるなと思う処があり・・・。それは人間の生年月日ですが。

 

俺の場合は1977年01月30日なのですけども、この一つ一つを足して合算して突き詰めていくのが数秘術の基本にあるとか。

数秘術(すうひじゅつ、英: Numerology)とは、西洋占星術や易学等と並ぶ占術の一つで、ピタゴラス式やカバラ等が有名である。「数秘学」とも言う。 一般的な占術の方法は「命術」で、占う対象の生年月日(西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占う方法である。

数秘術 - Wikipedia

経度を見ると、日本の東経130度19分7秒とかいう地点もあるわけなので。カバラの秘数術な占術は、経緯度にはうってつけなのではないかと。

 

 

数秘術の世界 Modern Numerology Lesson―あなたの人生を導く『数』の神秘

 

 

キリ番的な緯度と経度

 

 むかしから何かとキリ番という、区切りの良い数字が、重視されていました。

例えばどこかの観光的な施設で、入場者10万人目おめでとうとか言って。キリ番になると何故か記念品が貰えたり名前が残ったりして。なんでかわからないけれど、キリ番は重要らしいですね。

それで世界的に見て、緯度と経度のキリの良い数字というのはわずかにしか存在しないものと分かるのですが。

 

最近の緯度はイギリスのグリニッジ子午線近くの、本初子午線を起点とするらしいですね。

東経0度~180度

西経0度~180度

 

経度は赤道を起点とする。

北緯0度~90度(北極点)

南緯0度~90度(南極点)

 

このなかで要するに緯度のほうのキリの良い数字とは

子午線0度(東経と西経で共通)

東経10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、110、120、130、140、150、160、170度

西経10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、110、120、130、140、150、160、170度

日付変更線の180度(東経と西経で共通)

グリニッジの本初子午線の0度、日付変更線近くの180度は、1本づつしかない。だから合計を数えると世界に36本しかないですね。

 

そして経度のほうでキリの良い数字は、

赤道0度(北緯と南緯で共通)

北緯10、20、30、40、50、60、70、80、90度(北極点)

南緯10、20、30、40、50、60、70、80、90度(南極点)

こちらも両方の0は赤道なので、合計で19本しかないですね。

同一経度線の諸国の人々というのは、ほぼ同じ時間に朝と夜を迎え、意図せず同じ時間帯に食事を取り、仕事をしていたり。または同一緯度線の諸国では、気候条件が似通ったりしますね。

こういうのもある意味で運命的な一致なのかと。

 

 

ゾロ目的な緯度と経度

 

コレに加えて、さらに気になる数字がありました。エンジェルナンバーとかいうやつ。その中でも同一の数字の並び、日本語で言うところの「ゾロ目」ですが。

それで気づく人は気づきますが、このゾロ目のエンジェルナンバーというのは、西洋の占星術とかいろんな占いに用いられたりするわけです。だからもう緯度と経度が占いだとか、カバラに使われていることも想像ができるのです。

 

例えば60進法の緯度でゾロ目を言い表すと、東経33度33分33秒みたいなやつ。

度・分・秒の6桁が揃っている場所というのは、地球上ではかなりレアになってたりします。

東経・西経00度00分00秒(本初子午線)

東経11度11分11秒

東経22度22分22秒

東経33度33分33秒

東経44度44分44秒

東経55度55分55秒

西経11度11分11秒

西経22度22分22秒

西経33度33分33秒

西経44度44分44秒

西経55度55分55秒

この11本しかなかったです。

なぜ11本しかないかといえば、60進法の緯度・経度の場合は、時計と一緒で「分と秒」が使われているので。限界値が59分59秒までということだから。

 

 緯度のほうもゾロ目を割り出すと、

北緯・南緯00度00分00秒(赤道)

北緯11度11分11秒

北緯22度22分22秒

北緯33度33分33秒

北緯44度44分44秒

北緯55度55分55秒

南緯11度11分11秒

南緯22度22分22秒

南緯33度33分33秒

南緯44度44分44秒

南緯55度55分55秒

 この11本しかでてこないのでした。

 

 

北緯と南緯の12桁のゾロ目地点

 

そしてさらにレアな地点も存在してました。それは北緯6桁と南緯6桁の合わせて12桁が全部同じ地点のことですね。

 ちなみにその地点を割り出してみると、本初子午線と赤道が交わる地点を始めとして、

 

 0・東経西経00度00分00秒、北緯南緯00度00分00秒 アフリカのギニア湾、ガーナ沖合

1・東経11度11分11秒、北緯11度11分11秒 アフリカのナイジェリア

2・東経22度22分22秒、北緯22度22分22秒 アフリカのリビア

3・東経33度33分33秒、北緯33度33分33秒 地中海、レバノン沖合

4・東経44度44分44秒、北緯44度44分44秒、ロシア南部

5・東経55度55分55秒、北緯55度55分55秒、ロシア中部のシベリア

みたいな具合に、Xを描くようにして合計で21地点が存在してました。

これらはアフリカ(ナイジェリア・リビアボツワナ)、地中海上、ロシア、大西洋上にしか存在しないので、かなりレア過ぎて誰も気づいてなかったりします。

 

あとは最初の東経・西経の度を3桁の数字にすると、さらに世界にもっと存在するようです。

 東経111度11分11秒、北緯11度11分11秒

とか。

 

 

日本のキリ番のゾロ目地点

 

日本が関係している数字で調べてみると、以下の地点を発見しました。

・北緯30度00分00秒・東経130度00分00秒 鹿児島県口之島東方沖

・北緯30度30分30秒・東経130度30分30秒 鹿児島県屋久島北方沖

・北緯33度33分33秒・東経133度33分33秒 高知県高知市

・北緯40度00分00秒・東経140度00分00秒 秋田県大潟村

・北緯40度40分40秒・東経140度40分40秒 青森県青森市

・北緯44度44分44秒・東経44度44分44秒 北海道オホーツク海

というふうに、日本は意外と多くてレアな土地がありました。町おこしには使えるかと・・・。

 

 

語呂合わせと緯度経度

 

それでこれは深く考えてないですが。ある種の人は緯度経度の10進法と60進法の数も駆使して、語呂合わせと数秘術など色々駆使して未来を占うとか、何かしらの物事と関係させるみたいなこともしている気がしているのです。

時間では使いまくってるようですが。19時3分はいくさ(戦)みたいなもので。そのへんはまた考えたいと思います。

 

 

緯度経度の数秘術で運命的な結びつきが生まれるかも

 

それでこうして地球を緯度と経度を元にして、ぐるぐる回して見ていました。すると、数字がまるっきり同じ地点というのが必ずでてくる事がわかるのですね。

例えば分と秒なら、世界中に同じ数字の地点はいくらでもあったりする。

最初の度を見ると、日本は東経122度~145度、北緯は25度~45度まで幅広いですが。

これと世界を照らし合わせてみた時に、一致するのは

東経122度~145度、北緯は25度~45度 日本列島

東経122度~145度、南緯は25度~45度 オーストラリア

西経122度~145度、北緯は25度~45度 アメリカ西海岸

西経122度~145度、南緯は25度~45度 フランス領ポリネシア

東経22度~45度、北緯は25度~45度 イスラエル・シリアなど中東

東経22度~45度、南緯は25度~45度 南アフリカ

西経22度~45度、北緯は25度~45度 大西洋アゾレス諸島ポルトガル

西経22度~45度、南緯は25度~45度 ブラジル

この地点ではないかと。

近隣諸国や、中国など同一緯度線、ロシアなど同一経度線での結びつきもありますが、それ以外で、運命的に結びつきがでてきたりする「かもしれない」地域になっているのではないかと。

 実際なにかと歴史的にも話題的にも、つながりがあるところが多い気がしました。

オーストラリアは捕鯨問題で。

アメリカは第二次大戦と同盟国で。

フランスは食文化の影響で。

南アフリカ、この国はアパルトヘイト(人種隔離政策)が何より有名ですが。日本人はいつしかある種の人々から「名誉白人」という称号を受けていたとか。今もなにやら名誉白人だから何だかんだと持ち出している、ネットの書き込みが見られたりしますね。この日本人に対する奇妙な称号は、南アフリカに関係してたらしいですね。

黒人のどっかの政治家は、アパルトヘイトは日本人観光客のせいとか言っていたとか。背後で暗躍する日本人の影を見たのですかね。

ポルトガル安土桃山時代以来より、日本でのキリスト教と西洋化の先導者であり、その影響力は計り知れないものがありました。

ブラジルは日本の真裏に位置することで、運命的な結びつきというのは昔から指摘される土地でした。

 

こんなの偶然だ、で済む話かもですが。自分的に無関係にできなかった理由が、以下の話です。

 

  

気になるのは中東のシリアとの運命的な経緯度

 

なんでシリアがあそこまで完膚なきまでに叩き潰されるのかと、ずっと疑問だったのですが。何かの陰謀的なものなら、日本と結びついていておかしくないなと。

それの一つの仮設が、この緯度経度を元にした数秘術による運命の一致、ですかね。

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この比較図を見て分かる通り、シリアと日本の東京は全く同じ緯度経度の数字を示す土地だったんですね。江戸時代の頃から。

(追記ですが、最初意図せずテキトーにこの地点を選んでしまったのですが、どうも10進法表記のほうだと、666が湧き出ていたとか・・・。)

 

シリアが破壊の中心地というのは、過去の第二次大戦との鏡合わせというなら運命的ですが。

もし、日本にこれから来るかもしれない南海地震やら東海地震やら首都直下地震やら極東有事やら、未来の予言的なものだとしても納得できたりしますね。

 

 

それにしても日ユ同祖論的には

 

日本の邪馬台国の中枢は諸説ありすぎて、どこだったかはっきりしません。

しかし西日本で、「九州から近畿のどこかであろう」という話にすれば、多くの歴史・考古学者が納得できる妥協案になるかと思われます。当たり前すぎて。

この「九州~近畿」を緯度経度で表すとこんな具合でした。

北緯31度、32度、33度、34度

東経130度、131度、132度、133度、134度、135度

 

その上で、古代イスラエルユダ王国のことであれこれ思考を重ねるとですね。緯度・経度の一致に行き当たったりするわけです。意味深に感じざるを得なかったりするわけでした。

イスラエルエルサレム中心 北緯31度46分、東経35度13分

シナイ山(セントカテリーナ)北緯28度33分、東経33度57分

エジプトのカイロ中心 北緯30度1分、東経31度12分

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というふうなわけで、緯度経度の数秘術で見てみれば、同じような結果が出ます。日ユ同祖論というのは、なにか運命的なものなのであろうと。 

 

 

数秘術で突き詰めると中央アジアも関係ある

 

つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。

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「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか

 

烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。

烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経緯度的には日本と何ら接点はないようですが。しかし数秘術で紐解くと、

奈良 東経135度(1+3+5=9)

烏孫 東経81度(8+1=9)

と、同じ数字が導かれますね。

烏孫 の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

 

こんな誰も知らない諸々の情報を元にして、過去・未来の出来事というのは、もしかすると占える、垣間見えるかもしれないなと。その可能性にちょっと近づいた自分がいました。

近頃は起きてるあいだじゅうパソコンに張り付いて仕事してるのだけど、なかなか上手くいかない。疲れてしまうし、たぶんライターが向いて無いんじゃないかと思う。

世間からノゾキ見られて使われてるという感覚は、常につきまとっているし嫌になる。元々体は異常体質で、周囲の誰も指摘してくれず、医者も治してくれない人生だったのだが、隣のおばさんに叩かれ過ぎたりストレスが猛烈過ぎて、頭と心臓のほうもおかしくなっているのだが・・・。

自分の未来もなにか見えてこないかと、思いついては探す日々。

 

 

  

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歌川国芳の浮世絵に現れる未来視の暗号

 

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歌川国芳 - Wikipedia

 

明けまして別におめでたくありませんでした。

そもそも新年とかどうでもいいし。灰色、曇り空をモットーに引きこもりで生きていきますが。

自称正義による猛烈な悪意が襲いかかってきて、普通の人は死ぬレベルです。不愉快極まって殲滅されればいいのにと思いながら、地道に受け流してやっていこうかと。

・・・・・・・・・・

 

 

江戸時代のスカイツリー

 

そう言えば一度も行ったこともないし、今後も行かないであろう、東京スカイツリーです。2011年に完成して以来、

「どうも江戸時代からその存在を予見されてたのでは?」という見方がありますね。

 

その主役は、江戸後期に浮世絵師だった歌川国芳という人が、「東都シリーズ」に描いてる「東都三つ股の圖(図)」。 

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馬込と大田区の歴史を保存する会

 

コレ見るとなんか、気づくことあります。

 

1・隅田川のほとりの本所(墨田区の西部)に巨大な塔が2つ描かれてる

2・左側の塔が、当時永代橋の東側の佐賀町にあった火の見櫓だとか

3・巨大な塔のほうは江戸時代に何の記録もない

 

あと気になること・・・

 

4・船大工の焚き火の煙がやたらとうねってるのは何でか

5・雲が何故か左右対称になってるのが意味深

 

 

東京スカイツリーと本所の火の見櫓

 

火の見櫓は江戸の市街地にはかなりの数があり、街中にタケノコニョッキと聳えていたとか。

高さは高いものではビル4~5階相当で、15~20mになったらしい。

墨田区隅田川に沿うあたりは本所と呼ばれて、永代橋の近くの本所佐賀町にも高い火の見櫓があったとか。

これが「東都三ツ股の図」にある火の見櫓らしい。

 

しかし火の見櫓の右側の巨大なタワーは、江戸時代には記録がないみたいです。

ネットでは東京スカイツリー歌川国芳のイメージを何らかの方法で知り得た結果だとかいう話がぼこぼこ沸いて来ています。

しかしより現実にちかい解釈を望む人々によれば、「当時に江戸の屋敷で掘られていた、井戸堀りの櫓ではないか」という話もまことしやかです。

 

回答を探すと、

A・偶然スカイツリーに似たなにか

B・特別高い、井戸堀り櫓が描かれた

C・歌川国芳東京スカイツリーを夢や幻で見たから描いた

D・歌川国芳はその時の気分で適当な塔を描いた

E・歌川国芳は何者かにこの塔の存在を知らされて描いた

 

どれか。

 

 

東京スカイツリーの幻影を見た国芳

 

かりに歌川国芳が東京にタイムトラベルしたなら、もっと21世紀の都会的な風景を取り入れた浮世絵を、しっかり残したのではないかと。

そもそも浮世絵師は想像力を発揮して奇抜な絵柄を描くのを取り柄としたじゃないですかー。

だから未来をはっきり見れば、すぐ表現に邁進したんじゃないかと。

しかしそんな浮世絵は、国芳さんどころか過去の浮世絵師は誰も残してないですね。

 


だから歌川国芳は夢や幻、アカシックレコードに、無意識のうちに触れているのかもしれないですが。

あるいは「何者かに影響を受けた説」もアリそうな話でした。

 

 

 

「三ツ股」に込められたスカイツリー

 

それは多分、「東都三ツ股の図」というタイトルからも判断できるのですけどね。

何故ならスカイツリーは「下部の構造が三ツ股」だからなのです。地上のエレベーター室の上辺りで、三つの柱が連結して地下に繋がる構造なんですよね。

そして地下深くのナックルパイル・ナックルウォール構造と呼ばれるところも、三つ又になってたりするんですよね。

 

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「ナックル・パイルおよびナックル・ウォール工法」 建築技術性能証明を取得|株式会社大林組のプレスリリース

 

「東都三ツ股の図」とは、隅田川あたりの地名と、スカイツリーの三つ又の特殊構造に、かけあわせてるんではないかと。

そうなら「東都三ツ股の図」に三ツ股のスカイツリーが描いてあって、当然のようじゃないですか。

 

 

船の櫂と煙から導かれるスカイツリー

 

全体の構図を見たとき、船と煙がやたら幅を利かせてるところは気づくではないですか。

煙はなんか「S」みたいに見えるのは、西洋のよくある隠し絵的な手法ですかね。

それでこの絵がさらに不自然なのは、船のすぐ横で焚き火をしているのに、その上に船の櫂(かい・オール)を3本立ててるところですね。燃えてしまうではないかと。

当時の和船は、櫂も含めて木製だったんです。ここで、なんか歌川国芳はこんな暗号を残した気がしました。

 

スカイツリーの頭文字=S

・S+櫂(かい)=スカイ

・櫂の素材=木=ツリー

・3本の櫂=スカイツリーの三つ又構造

 

 

「S=秒」で時間をあらわすSI 

 

たちのぼる煙の形を今一度眺めてみれば、

となっていませんか。煙は下から上に登っていくので、順序的には「S→I」と読めるのですよね。

このSIというのは、メートルとかkgとか身近によくある「国際単位系International System of Units)のことです。1954年の第10回国際度量衡総会 (CGPM)にてはじめてSIが制定されたとか・・・。

国際単位系 - Wikipedia

 

Sの1文字だけでも、時計の「秒」の単位を表してるんですよね。

このISとかS(秒)という時間の概念に関わる文字が、何を意味してるのかというと、もうアレじゃないかと。

この浮世絵が、タイムトラベルに関係しているのであると、言いたいのかもしれないなぁと。

未来にこのあたりに、東京スカイツリーが現れるよという情報を、散りばめているのではないかと。それに付随して、20世紀の時間の単位を含むSIも知っているよと、伝えているのではないかと。

この浮世絵が描かれた江戸後期に、20世紀以降を知る人物がいて、歌川国芳の浮世絵に影響を与えてることを意味するのですが・・・。

歌川国芳自身が知っていたのはもちろん、やっぱり何者かの影響があって描かれたことは、疑ってしまうところです。

 

 

W≒ω

 

あと上空の不自然な左右対称の雲に言及するなら、雲のなかに、ω(オメガ)の形を見いだせることに気づきますかね。

このω(Ω)というのはギリシア文字の24番目で、最後の文字ということから最終局面や終着地点を表しているのですよ。

どっかの神さまが言ってました。「私はαでありΩである」と。この言葉は最初から最後までという意味のほか、αとΩは重なりあい、すなわち前にも後ろにも自在と行き来することも意味するようです。神がいれば、時間旅行もお手の物であるはずですよ。

そのW(ω)が浮世絵の空を覆っているわけで・・・。

 ・・・・・・・・・・・・

 

もちろんタイムトラベルなんか、できるわけないだろ的な意見もあったりするわけですが。

それは今だけの話であって、未来には完成しているとしたら、もう未来人などそこら中にうじゃうじゃいますよ。いるとすれば、巧妙にカモフラージュして現地人に成り切ってるのですね。

ともかく歌川国芳は、21世紀の東京スカイツリーの場所も、名前も知ってたんではないかと。彼は何らかの方法で、未来を知り得る立場にあった、そんなふうに感じてしまいました。

 

あ、「うたがわしい」という疑問符がつくことすらも、歌川国芳は計算ずくだったらしい。何しろ、彼は「うたがわ」なのだから・・・。

  

 

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鳩槃荼と件と艮の金神

止めどなく穢れた思考が涌き出て、ぐるぐるループする苦しい日々が続いた。
べつに嫌いでもない人の名が唐突に思い浮かぶと、ののしる言葉が付きまとってはそれを打ち消した。
嫌がらせや嘲りを楽しんでいる無数の人々の悪意が、澱み無くまっすぐに伝わってくる。
無理やり悪人に仕立て上げて粗探しをしては面白がる、そんな汚れた風潮を肌身にずっしり感じる。
頭痛がしたり不眠、あるいは寝すぎなど体のリズムも乱れてる。
本日は昼過ぎの2時まで寝てしまった・・・。


夢や幻想やお伽噺はリアルに隣り合う

せいぜい一富士二鷹三茄子程度の目出度い夢なら、何も問題なかったのに。

・・・子供の頃から俺が見てきた夢があるのですが。
それは世界を闇が覆って空がうすぼんやりな視界のなかで、なにか地獄のような世界を眺めながら、なにか重たい巨大な真っ黒いものと一緒に飛んでいく、というか俺が身に背負って飛んでいくみたいな。重力が何倍にもなったような寝心地で、目覚めると軽いはずの布団がやたら重たかったりしたのです。これは幾度となく繰り返し見てきた夢でした。

あとは大量殺人をしでかす悪夢で、目覚めたら心臓がバクバク状態。実際のことなんじゃなかったのかと、途轍もない不安になったりして、夢だと分かってホッとするみたいなことは幾度もあったり。
先日も何十年も前の夢の続きのように、何故か死体がゴロゴロしている家を散策している夢を見ていました。

自分の子供の頃からの不幸な体質や病気も何故か治されもせず問題ないと言われて悪化し続ける理不尽、連日近所の中学生に罵倒嘲笑されるような出来事、誰も解決に導いてくれば不条理が成せる業なのかと、考えてたのですが。

こういうこと書いてると世間では「このひとコワーイ」「危険人物よ~」とか、好き勝手言うのだろうけど別に仕方がない。
そんなの夢なんだから別に夢でいいじゃないかとか、言われたりするかもだけど、何度も同じ夢を見続けるというのは意味があるようで、無視ができなくなっています。(べつに殺人しようとまで考えませんが)

夢というのは自らの印象的な体験や何気ない体験や願望や不安、表に現れない深層心理、世間に渦巻いている情報、さらに外的に霧のように常に漂っている怨念めいたもの、あるいは電磁波的なものが働きかけて、形作られるものだったりするのだと考えています。

無視できないのは正夢ですね。夢で見たことがリアルに起こってしまう。これは世間でいうところの予言とか、前兆現象とも考えられれはなしで、信心深い人からすると天の啓示、天啓になるようですね。

夢は天啓的な種類もふくめて、じつは「日本書紀」でもたびたび登場してたりしました。それで平安時代の頃まで、日本では重要人物の夢を元にして「夢解き・夢占い」を行って、国の政策を決定したりとか普通なことだったのは、同書物を読むと分かってくる話です。

四十八年春一月十日、天皇崇神天皇)は豊城命(とよきのみこと)、活目命(いくめのみこと)に勅して「お前たち2人の子は、どちらも同じように可愛い。何れを後嗣とするのがよいのか分からない。それぞれ夢を見なさい。夢で占うことにしよう」と。(中略)それぞれ夢を見た。
(中略)天皇は夢の占いをして、2人の子に「兄はもっぱら東に向かって武器を用いたので、東国を治めるのによいだろう。弟は四方に心を配って、稔りを考えているので、わが位を継ぐのによいだろう」といわれた。
四月十九日、活目命を立てて皇太子とされた。豊城命に東国を治めさせた。これが上毛野君・下毛野君の先祖である。

日本書紀(上)全現代語訳」宇治谷孟著p130より

盆の時期、霊魂が枕元に現れたとか言う話はよくありますね。これは幽霊が隣に居る話ではありますが。もしかすると眠りに落ちそうなまどろっこしい時間帯に、そんな夢が視覚に重なり合っているのかもしれないとすれば、それは夢と現実は区切れないものである現れだし。

正夢とか「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」なんていう何かの歌詞を聞いて確かにそうかもしれないなんて感慨に耽ったりするではないですか。そうすると悪夢ですらも、叶うもの、それは正夢になってもおかしくないのであろうと。

その悪夢は前世と関係在るのかとか、予言とか前兆みたいなものだったのかという考えはあったのですが。
近頃ネットニュースを見ていたら、なにか鳩槃荼(くばんだ)、そしてくだん(件)の名が出てきていることに、関係するかなと。



鳩槃荼とは

むかしむかし厩戸皇子なる人がいまして、このひとがのちに「日本書紀」で聖徳太子と呼ひ表される世紀の傑物でありました。
その正体については、以前にこんな記事かいてました。

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 - たっちゃんの古代史とか

遠くの国から来たのではないかと。勝手に考えてるだけですが。


聖徳太子は10人の話を聞き分けたとか、馬で空を飛んだとか、未来を予見する能力があったと言われていました。
「未来記」なる書物を書いたのですが、それは既に一部が伝えられるのみで、散逸しています。一説にはまるまる書写されたものが残っているという話も、出ていたりしますね。どこぞの先生が言ってたりしました。

この本が最初だったのではないかと。
聖徳太子「未来記」の秘予言 (プレイブックス) 新書 – 1991/9/15

この書物の中身についてにはいろんなブログに書いてあるのをかいつまむ程度ですが、黒龍の来訪、都の東方遷移などが書いてあって、これが幕末のペリーの黒船来航と東京遷都をあらわしているとかいう話です。
そして東京遷都から200年のちに、鳩槃荼が来て東京を汚し、八つ裂き状態にするみたいなことも書いてあるとか。まるで「ヨハネの黙示録」か日月神示みたいな終末予言が、飛鳥時代に残されていたのですね。

そこで災厄をもたらすのが、コイツだとか。
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Kumbhanda - Wikipedia

鳩槃荼(くばんだ)は、インド神話の魔神で、仏教では護法神(鬼神)の一族である。弓槃荼・倶満拏とも書く。サンスクリットではクバンダ (Kumbhāṇḍa)、パーリ語でクバンダ (Kumbhaṇḍa)。

陰嚢のような形をしていることから陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼と漢訳される。また、人の睡眠を妨げて災難を引き起こすことから厭魅鬼・厭眉鬼とも呼ばれる。
鳩槃荼の形象について説く経典がないことから、鳩槃荼の形象については不明である。

胎蔵界曼荼羅最外院の南方に首から上が馬で体が人間の形をした二神がそれぞれ鼓とばつ鈸(ばつ)を持つ姿に描かれるが、これは緊那羅とする説もある。なお、奈良興福寺では八部衆の一人として一面二臂で武人形の像があり、八部衆の夜叉に当てられる。

カバ(クンバ)は「瓶」を意味し、瓶のような性器をもつとされ、男性を誑かしては精気を吸い取るといわれている。瓶そのものに変身することもできる。

元来は女性しかいないとされていたが、密教では男女の区別があるとされており、身長3mで、黒い肌をした馬頭の人間の姿をした怪物とされた。
鳩槃荼 - Wikipedia

容貌風采は、陰嚢(きんたまぶくろ)とかひどい言われようだったり、瓶とか馬頭とかに別れていました。なんか瓶に入っててそれがバケモノになるとか、試験管で培養実験されて産み出されるバケモノを連想しますが。これは聖徳太子による終末予言の種類ですが、日本の古代史の中で十七条憲法を定めて存在感ばりばりの聖徳太子が、夢のような予言を言い残していたとかは、学校じゃ教えてくれない秘密なのでした。

しかし東京になんでパンダがいるのかも、運命的なきがしました。クバンダなだけに、クパンダ・・・・。


くだんとは

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件 - Wikipedia


ところでこの聖徳太子の「未来記」から1,000年のちの江戸時代の後期、八百八町の江戸を含む各地を騒がす、件(くだん)なるバケモノがが現れたとの話が、まことしやかに各地にあらわれていました。

件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる妖怪。「件」(=人+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている[1][2]。

その姿は、古くは牛の体と人間の顔の怪物であるとするが、第二次世界大戦ごろから人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れた。

幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また、件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。

別の伝承では、必ず当たる予言をするが予言してたちどころに死ぬ、とする話もある。また歴史に残る大凶事の前兆として生まれ[3]、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ、とする説もある。

江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある。
件 - Wikipedia

くだんはどうやら人面牛の場合と、牛面人の場合があるようです。それで人偏と牛旁を合わせて件なのだと。
大凶事の予言を的中させてしまうので、これが登場すると恐ろしいという考えが出ますね。しかし考えようによっては人に破滅を事前に知らせているのは、生存率を高める意味であり、実はありがたい存在のように思われます。


くだんと鳩槃荼と東京

これがどうして東京の前身である江戸でも話が広まったのだろうと考えると、なにか鳩槃荼に関係しているふうに思えてなりませんでした。

ところで、地図を見ると東京都心の皇居のすぐ北側に、東京招魂社=靖国神社が鎮座しています。世界大戦などの英霊を祀っていながら、何かと問題が巻き起こってしまう劇場みたいな神社です。
「魂(たましい)を招く社」と、なにか今回のブログのテーマに沿うこの神社ですが、場所は千代田区の「九段(くだん)」と呼ばれる土地名だったりするので気になりました。神保町から靖国通りに沿っている一帯です。

ここらへんが九段というのは、靖国神社に接する九段坂上から、東の九段下駅にかけて9段の階段の坂道「九段坂」だったことに由来するとか。
それでこの九段坂のすぐ南に江戸城のお堀があり、このあたりは「牛ヶ淵」の名がありました。
偶然に、東京のくだんと牛が一緒になってたんです、かね・・・。


「牛馬(うしうま)」というのは盂蘭盆で精霊棚に備えるものだったり、「牛馬のように働かされる」とか「牛馬童子」とかなにかと一対の存在として考えられてる動物なんですね。
牛のくだんと、馬のくばんだ。名前が似てますね。アナグラムのように入れ替えているような。
災厄に関係してるバケモノという意味でも似てますね。片や災害を起こし、片や予言する役割みたいな。

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並び替えると「ばくだん」・・・爆弾?

こういうのが見えてくるので、運命的な結びつきとか、人智を超越する存在はは確かにこの世界にはあるのだろうなと、考えてみたくなるのですが。

>>
くだん   牛
くばんだ  馬
九段    牛
牛ヶ淵   牛
江戸(武家)馬
厩戸皇子  馬<<

鳩槃荼による未来の崩壊を言い出した聖徳太子こと厩戸皇子は、馬小屋で生まれた伝説や、死人の蘇えり伝説が「日本書紀」なかに登場しているのであって、それは明らかにイエス・キリストを意図したものともっぱらの評価です。原始的なキリスト教の思想を守る景教徒(ネストリウス派)だったからではと。

その厩戸(馬屋)を司る聖徳太子が、馬頭の鳩槃荼が未来の東都に現ると言い放ち、日本一武家の馬が多かった江戸に馬の鳩槃荼に似た名前の牛妖怪くだんが度々現れたと話題になり、東京の九段の牛ヶ淵に東京招魂社が建立され、クバンダによく似たパンダが東京のアイドルになっていると。
それは必然的な流れだったのではないかと。


艮の金神と鳩槃荼

あと気になったのは、国常立尊(くにとこたちのみこと)と鳩槃荼やくだんとの関係でした。
ここには日月神示大峠とか、世の建て替えみたいな話も連動しているような感じだなと。

なにしろ日月神示で世の建て替えをする神さまというのが国常立尊とされていて、この神が別名はなんと呼ばれているかといえば、「艮の金神(牛寅の金神)」なのだから。
くだんとは艮の金神が送り出す予言者であり、鳩槃荼とは艮の金神が送り出す大峠の仕事人なのだろうか。知っていてもヘラヘラして何も教えてくれないイジワル人ばかりな中で、何かしら教えてくれるバケモノのほうがまだ人のためになっているような感じでした。

穢れや汚い発想が、街やメディアや作家の作品にに溢れてることに気づくだろーか。
世界はまるで敵対を奨励したかの如くに、対立を見せてるのに気づくだろーか。

それは俺の人生が何か穢れたもの汚いものと認識されたり、敵対する人が続々現れる出来事だらけなのに似ているような。
俺の悪夢というのも、この流れの中に入っているのかもしれないなと。つまり未来にある破滅的な出来事に、反応してるのかもしれないなと。勝手に納得をしているところもあります。

「この人こわーい」それでも別にいいや。

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天比登都柱から見えてくる倭国の人柱文化

人生が崩壊している低学歴低収入の隠遁者です。

それにしても幸福だけど頭がアレな人々による、不幸のどん底に落とす呪術と策略が蔓延っている世界について考えてばかりいてもアレなので、明るい話題で書いてみようと以前から気になってた天比登都柱についてちょっと思いついたことをしたためていたのですが、いつもどおり暗い内容になってまいりました。どうぞ。

 

 

人口と生口

 

人の口と並べて書けば、それは人間の数を表す「人口」になったりする。これは考えようによっては、なんか奇妙な表現に感じたりするところ。「人数」「頭数」といえばいいところを、ヒューマンのマウスで人口だなんて。

口は食べ物を取り込む口のことで、つまり人口というのは「食事する人の数」なんですね。これは昔の食いしん坊バンザイな中国人が言い出したことらしい。

 

それから「魏志倭人伝」を読んでると「生口(せいこう)」と呼ばれる人々のことが書いてありますね。倭国から魏の国に対して、貢物と一緒に送り届けられていたある種ワイルドな人々のこと。

ポジティブな書物の解釈によっては、生口は留学生だったとか、派遣労働の漁民だったとか言ってるようですが。

しかしこの生口の解釈としては、奴婢や捕虜といった解釈が一般的でした。逆に漢から入ってくる人を生口と呼んでませんからね。倭国は東アジアを制する超大国の漢に対して、生口と呼ばれる奴婢を定期的に収めていたんですね。それは三国時代の魏との関係でも同じだったとか。

 

この生口という人々は、実は倭人も人間扱いしないで用いていたのではないか、とわかる記述が「魏志倭人伝」にあるのですよ。

持衰(じさい)とかいう風習で、倭人は奴婢の生口に対してこんな扱いしてたとか。

持衰

「その行来・渡海、中国に詣るには、恒に一人をして頭を梳(くしけ)らず、(きしつ)を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名付けて持衰と為す。もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、もし疾病あり、暴害に遭えば、すなわちこれを殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。」

中国正史日本伝(1)石原道博編訳p46

つまり生口というのはゴミクズ扱いされて最後は殺されてポイ捨てされも構わなかった、そんな人々のことなんでした。

その生口が何度も魏に献上されていたきろくがあるというのは、弥生時代倭国が奴婢、奴隷階級制度の社会だったことの現れですね。

それが江戸時代の士農工商の下に位置づけられた穢多・非人の身分制度の最初の姿でせうね。

 

ということは生口とは要するに直訳すれば「生の食べ物」であり、言い換えれば「まっとうな身分の人が生きるための贄」であり、それは生贄と書いても違わぬものだったのでは。

 

 

人柱による防衛と壱岐島の関係

 

この持衰(じさい)とやらの役割はまるっきり人柱なのですが。人柱は簡単にいえば生贄を捧げて事業を成し遂げる生命保険みたいなものでした。

 

人柱

人身御供の伝説の一つ。架橋,築堤,築城などの水利,土木工事技術が未発達の時代,柱の強化の目的で,生きている人間を水底や土中に埋めたこと。神の心をやわらげ,人身のもつ霊質が柱に乗移るようにするためといわれる。日本には人柱の伝説が多いが,実際に行われたかどうかは定かではない。 (→人身供犠 )  

人柱(ひとばしら)とは - コトバンク

 

いまでも建築現場では神主の祈祷による地鎮祭がおこなわれて、土地の怪しい神さまに対しては清酒、お米、水、塩、海の幸山の幸が供物とされていますね。

昔はアブナイ土地の場合、これに加えて人間一人が埋められてたというのは、何ともコンクリ詰めみたいなヤクザ稼業を思い起こさせてくれます。

この生贄、人柱となる考え方というのは、昔から国家規模の道路工事や橋工事、お城の工事でも行われてたりしたようです。

 

そして人柱の発想というのは、「大八洲(おおやしま)と呼ばれて神が生んだ日本列島そのものにも適用されてた」んではないかと。

なぜならとある古代の要所的な海域に、人柱的な痕跡が見えてくる島があるからなのです。

 

 

・・・壱岐島

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壱岐島 - Wikipedia

 

壱岐島というのは福岡のほうに近いのに、長崎県に所属してる島です。ここは奈良時代から江戸時代にかけては、西海道壱岐国でした。

「隋書」では対馬國のあとに一支國とあり、「魏志」では対海國(対馬)のあとに一大國とあるのが壱岐国のことです。

手元の「日本書紀」のほうをチラリと読んでみれば、壱岐嶋として、神産みの大八洲のなかにも「一書によれば」として、散逸した別伝で一応含まれていたようでした。

 

 

 別名を天比登都柱という壱岐島

 

この壱岐には不思議な別名が「古事記」のなかに伝わっているのでした。

その名も天比登都柱(あめひとつばしら)といって、国生みの最初の方に登場して、それ意向はぱたりと出てこない名前でした。

比登都とは「ひとつ」のことなので、「天に向かうひとつの柱」といえば淤能碁呂島のでイザナギイザナミがぐるぐる回ってはイチャイチャしたという、天御柱と同じものではないかとする考え方も出てしまうところ。

しかし壱岐を見渡しても、天御柱らしき跡地も伝承もさっぱり出てこないです。

 

そしてこの不思議な名称はどうも、古代の段階で壱岐の名に合わせていたのではないかと、そんな発想も浮かぶのでした。

以下の表は壱岐の別名を比較してみたもの。

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というふうに、それぞれの別名は「ひとつ」に対しての並々ならぬコダワリを見せているようです。

さらに「支(ささ)」という言葉に対しても一致を見せていたり、4種の異名には「き」が含まれていたり、人に関係する漢字(支・大・主)が入ってるといった共通点もあったり。

ようするに壱岐、一支、一大という3つが「ひとつ・ささえる・き」という共通の発音や意味を見いだせるのは、天比登都柱に合わせているから、そう考えて差支えないかのようです。 

 

 

 

比登都柱と人柱

 

「日本の海」とか「飛騨の山」みたいに助詞で使う「の」は、古語では「つ」が用いられる場合がありました。

例えば「天つ神」「国つ神」「沖つ島」みたいな用法で。 

 

ならば天の比登都柱の「都」は助詞で「の」であるとすると、

「天の比登の柱」になって、言い換えれば

「天の人柱」

であるかもしれないなと。

 

その昔、壱岐は大陸との交易路の拠点で、「岐」や「支」に表される分岐であったのです。これは地理的、地政学的な分岐なだけでなく、「当時ここを取られたら生きるか死ぬか」と言うくらいの要所だったのは、間違いなかったです。

 

つまり壱岐は「 生き(いき)」なのであり、それは生け贄、人柱と関係するから、天の人柱、比登都柱だったのではないかと。

 

大陸との接点という倭国でも重要な防衛拠点に、呪術的な生け贄のごとき人柱効果を求めて「天の人つ柱」を設置しているのだとしたら。それは倭国にとっての防衛の要としては、なかなか納得出来る話になったりするのですが。

そして天比登都柱という島の別名は一大国であることを踏まえるとひとつ思い浮かびます。当時倭国を検閲し恐れられてたという一大率なる集団が、この島の管理を行っていたのではないか、という想像。

 

 

人柱 書道家が書く漢字Tシャツ

 

ということでまたなんか、掘り返しちゃいけない封印された話を掘り出したのかと・・・。

まぁ昔の倭というのは、いろんな呪いと怨念が渦巻く呪詛の国で、今もあんまり変わらないのでした。

おわり。

 

 

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高千穂の大量殺人事件と天岩戸神話の接点

 

人生のあらすじ

 

何故か家族や親戚からも医者からも、悪いところも直されず注意もされず放置され、駄目なほう駄目なほうばかりトコトン進んで常に失敗を繰り返したりして、何故か瞬時に完全な悪者とであると周知が行き届いていて、知らない大勢から膨大な嘲笑と嫌がらせを連日食らう日常が当たり前で、これら一連の流れがどんな時でも常に固定化されていて、傷つけられては牙をむいてきたような人生の低学歴でした。

きょうも隣のおばさんが玄関ドアでドッカン!ドッカン!嫌がらせ。飛んでくる騒音を俺が出してると決めつけ、一々キチガイ風に暴れるおばさんなのでイライラする・・・とはいえ気になる出来事があったので、腐った脳みそで考えを巡らせてみました。 

 

 

 善悪二元論と善悪同源

 

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ルシファー - Wikipedia

  

ところでこの世界は、善悪二元論が幅を利かせてたりするのです。

ネット見てると「悪は滅ぶ」と、書いてるブログを頻繁に見ますけど。・・・無理なんじゃないかと。

なにしろ、人間は誰しも、僅かでも悪心を抱くことがあるのだから。

正義と悪の根底にあるのが、「善悪同源」「正悪同源」なのではないかと、思ったりするので。

結局の所、正義と悪は同じ泉からこんこんと湧いて出ているんではないかと。

 

分かりやすくいえば、「アンパンマンバイキンマン」という正悪の対立構造。昔から当たり前に描かれてきたじゃないですか、桃太郎に対する鬼、坂上田村麻呂に対する阿弖流為戦勝国に対する敗戦国みたいな。

しかしこれはみかん箱の、綺麗なみかんと腐ったみかんの違いを見ているに過ぎない話ではないかと。

これをもっと俯瞰的に見ると、世界が変わってきたりするのですが、それは、

「正悪の対立構造は作者から湧いて出る」という発想ですよ。

 

みかん1個どころか、みかん畑の雑草からダンボール箱まで一括管理し、腐れ具合も自在と操れる感じで、作者が世界を支配しているのです。

作中のヒーローこと正常なみかんと、悪の親玉こと腐ったみかんは、作者の手のひらの上で踊らされてるだけです。作者が正悪の両面を持っているから、正悪の二面が対立し続ける。

だからこの世界という巨大な作品の中で、よく目立つ悪の親玉的な組織を滅ぼしたところで、そんなに代わり映えもしないんではないかと。政財軍の集合体という巨大な正悪混成の作者が君臨する限り。

正悪の対立や悪という概念そのものは不滅であり、善悪の割合の変動や、天を動かし地を揺るがす事象すらも自在に操られているんではないかと。

 

 

そもそも古代の神様も善悪両面を備えた

 

「神様は正しい」とかいうけれど、この言葉は「神が勝利者」と言い換えることができてしまうんですよね。

旧約聖書」を見れば神がどれだけ正義の名の元に圧倒的な力を駆使して悪を滅ぼしている(大量殺戮を行っている)様子がはっきりと描かれてます。

殺しはもっとも重い罪だと断罪される世の中でありつつ、正義の殺しは正当化されちゃう。戦争の殺しは正当化されちゃう。これは古来から信仰が続けられた神様の正体であり、いまも戦争の絶対的な基準だったりしますね。

じつは日本神話でも、「気持ち悪い」という理由で、月読命が善良な保食神をぶち殺してたりしてるんですよね。

イタズラ目的でスサノオが巫女をぶち殺してたり。新天地に出向くと根こそぎ先住民を土人扱いして殺戮するのが当たり前だったりするのですよね。

強いものや勝利者こそが正義だという発想は、古代から日本でもどこでも一緒でした。

もっとも尊いとされる三貴士(みはしらのうずのみこ)すら、記紀神話を読めばむちゃくちゃなことをしていたりしました。まさに神様の世界からも善悪同源は読み取ることができたんですね。

 

・・・低学歴の独り言が長くなってきましたが、今回の主題が、高千穂の大量殺人と天岩戸神話のことだった件を思い出したので、本題に入ろうかと。

 

 

高千穂の6人殺人事件

 

事件の内容は適当にネット検索すればわかります。この大量殺人の背後に見えてくる神さまの存在には、最初からピンときていました。

なにしろ「高千穂」というのは、日本神話の世界に登場して、重視されている土地なわけなので。調べていくとかなり興味深いものが見えてきました。

 

電子書籍の「封印された叡智の回復(1)」では、前方後円墳に秘められた被葬者情報について取り上げていました。

それで高千穂のこの大量殺戮についても、「並んでいるのではないか」という同じ発想ができました。

 

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(1)一家6人殺人事件の現場は高千穂峡の南西の山奥

(2)天安河原天岩戸神社を、殺害現場と結びつける

(3)神話に登場したり名高い神社など重要な地名がずらりと並ぶ

これは全然偶然じゃなかったです。その理由を取り上げます。

 

 

天の岩戸神話の舞台

 

そもそも記紀神話に伝えられる、天の岩戸神話は以下のような話です。

・神代の高天原にて、天照大神スサノオに激しい攻撃をされた

・怒った天照大神は、天香具山のそばの岩戸にこもって世界が暗闇に包まれた

八百万の神が相談して、主要な神々が天岩戸前に集結した

・神々の手により天照大神を岩戸の中から引き出すと、世界に再び光が戻った

・悪役のスサノオを天界から追放した(直後に八岐大蛇を退治して一転ヒーローになっている)

 

この時に天岩戸神話の登場する舞台の名は、簡単に言えば以下の場所でした。

(1)天岩戸・・・・天照大神が引きこもった場所

(2)天安河原・・・八百万神が相談した場所

(3)香久山・・・・八百万神が祭祀具を用意した場所

 

地図を見ての通り、この3要素が高千穂町には揃っているのですね。

それだけじゃなく、なぜか一直線に並んでいたりするのは、全国的に見てもここだけではないかと。。

 

香久山より南西には櫛触神社と櫛触峰があるのですが、ここは天孫降臨神話の舞台となったところ。

荒立神社は創造神で艮の金神でもある国常立尊を祀っている神社だったりします。

その延長線上をたどっていくと、国の名勝として有名な高千穂峡があり、さらに山を挟んで谷あいの棚田が見られる農村地帯に、一家惨殺の殺人事件現場があったというわけです。

 

 

神話の舞台の線上に大量殺戮現場の意味とは

 

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天岩戸神社 - Wikipedia

 

そもそも6人殺害の容疑者と見られる人も亡くなっているらしいので、真相はわかんなくなっていますね。

メディアでは容疑者が一家と険悪度が増して、乱心した結果的な解釈で幕を引きそうですが。実際のところは目撃情報もなし、証拠もないのでわからないのに。

かなり山奥のことだし、実際にはどこかの暗殺部隊が暗躍し、全員を殺して容疑者を仕立て上げて「こつが犯人だった」と決めつけることだって自在にできちゃうのではないかと。

 

しかしこの事件の場合は、天岩戸神話の舞台に関連づいているという毛色が違った部分があったのですね。

だから個人的には容疑者とされている人の犯行とは、断定して見てないです。

八百万の神が相談したという天安河原」とい象徴的な土地も関連づいているので、何らかの組織的な計画の末、何者かが何らかの方法で大量殺戮を起こしたという線で見てしまいますが。

 

作者連中が、これから日本に起こることの暗示として機能させていたり、あるいはそれを起こすための生贄を伴う呪術に関係している気がしますが。

 

 この事件によって表されているところは、

天安河原・・・一連の出来事は計画的である

・天岩戸・・・いったん闇に閉ざされ混迷を極め、後に光が復活する

・荒立神社・・・国常立尊を祭神とする。「大本神論」や「日月神示」で言われるところの艮の金神と同一であり、大峠、世の建て替えをする神という。

・櫛触峰・・・天孫降臨神話の舞台。神が降りてきて天皇家となった

  

 要するに良く言われる世界の破滅的な出来事が、暗示されているのではないかと。妄想するばかりですが。

 

 

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