たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

崑崙山の西王母が日本と古代イスラエルを結びつける(日ユ同祖論)

 

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崑崙山脈 - Wikipedia より

 

西王母イザナミの中に生きている

 

古代から中国では西王母の信仰があり、当初の西王母は中国西方の崑崙と呼ばれる山岳に住む、半人半獣で人の死を司る鬼神でした。

やがて漢代になると道教と結びつき、三千年に一度の仙桃を持って不老長寿をもたらす、冥界の主というイメージで定着したそうです。

古代の倭では、伊弉諾命(イザナギ)が桃によって黄泉醜女を振り払っているし、桃太郎が鬼退治をするという伝承もありますよね。それに加え、倭では弥生時代から古墳時代にかけて、西王母が刻まれた銅鏡が流行しました。

これはまさに古代の西王母の信仰が倭に入り込み、桃が魔除けとなったことをあらわす典型みたいです。

 

奈良県葛城市の棚機(たなばた)神社。ここは七夕(たなばた)の名で分かるように、織姫と彦星に関係する神社です。中国の古典演劇である京劇では、織姫と彦星の仲を裂いたのは西王母になっているとか。

西王母は機織や織物の神となっているので、機織を職業とした倭人の女性が信仰対象としたのは当然のことでした。 

 

でもこんなふうに絶大な影響を誇った西王母が、日本神話には決して登場していないように見えるのは不思議でした。

たぶんその答えは、西王母の禍々しい姿と死を司る役割が、倭で死を司る黄泉の女神伊弉冊(イザナミ)の中に、習合されたからです。女神イザナミの対極にある男神イザナギが、桃を魔除けアイテムとして使っているのが、西王母信仰が歪んだ形で入ったことを表してますね。

 

ところで、現在のチベット高原の北方にある崑崙山脈アルティン山脈のあたりが、西王母の住まう場所とされました。ここは古代の倭に流入している、月氏突厥など中央アジアの遊牧騎馬民族が居住したところです。

とくにアルティン山脈はテングリ(天)の神が住まう場所として、遊牧騎馬民族の信仰対象となっていた山です。

テングリ - Wikipedia

すると西王母が、遊牧民のテングリに関係があるのかと考えたのですが、これがドンピシャで正解だったようでした。

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西王母の拠点が何故か古代イスラエル王国にあったとか

 

古来より中国では西王母の拠点は崑崙山で決まっていましたが、実はもう一か所、かなり遠方で、西王母が住まうのだと指摘される場所がありました。

これは「史記列伝」に記録があります。

 

史記列伝五大宛列伝第六十三

条枝は、安息の西数千里にございまして、西海(地中海)に臨んでおります。暑気と湿気がひどく、農耕をし、稲を植えます。巨大な鳥がいて、その卵は瓷ほどあります。人口はなはだ多く、ところどころに小首長があります。しかしながら、安息がこの国を支配下に置き、植民地としております。国民は奇術が上手です。安息の年寄りたちの伝承によりますと、条枝には弱水という川があり、西王母という仙女がいるとのことですが、まだ見たことはないそうです。

 

史記列伝 五 p79 岩波文庫より

 安息とはアルサケス朝パルティア(アルシャク朝パルティア)のことで、B.C(ビフォーキリスト)の247年からA.D(西暦)228年まで中東に存在した国です。

 条枝とはパルティアの西にあり、定説的には地中海に面しているシリアのことです。

 

ここで気になるのが「巨大な鳥」。

世界最大の鳥といえば、飛べない鳥のダチョウで、いまの生息区域はアフリカ大陸のエジプトより南側のみです。ここに登場する巨大な鳥というのは、ダチョウのことだと考えられます。卵の大きさは直径20センチ、重さ15キロにもなるとか。

キリストの頃、サハラ砂漠は今より乾燥しておらず、ダチョウの生息域も地中海に近い地方も含まれていました。

旧約聖書でも「イザヤ書」にダチョウが登場します。古代イスラエル南方のエドムに関する記述に登場するから、エドムがあるシナイ半島にも、ダチョウが生息していたかもしれません。

 

 条枝とは定説上はイスラム国でしっちゃかめっちゃかのシリアのことです。

しかしアルファベットで書くと「Jo-si」になります。ユダヤ人を表すジューイッシュ(Jewish)に漢字をあてて条枝としているように見えます。

jo-si

jew-ish

するとここに登場する条枝の弱水とは、ヨルダン川のことですね。

 

シリアや古代イスラエル西王母がいた、というのは不思議でしかないです。

これの回答ですが、西王母とそっくりな特徴をもつ神が崇められていたので、「史記」の編者である司馬遷は、その神に対して西王母の名を当てていると見られます。

 

イザナミ西王母=イシュタル

 

西王母は日本では原初の女神イザナミと書きましたが、イザナミによく似た性格の神が、中東でも崇められていました。

それはシュメール神話に登場する、愛と戦と豊穣の女神イシュタル(イナンナ)です。

『イシュタルの冥界下り』

天界の女王らしい華美な装いをして冥界に降りたイシュタルは、冥界の門番に門を開けるよう指示する。門番からイシュタルがやって来たことを聞いたエレシュキガルは激怒し、門番に「掟に従い彼女(イシュタル)をもてなせ」と命じた。「綺麗な着物を着てはならない」など冥界での禁忌を犯した出で立ちでやってきたイシュタルは、門番が開く7つの門をくぐるたび身に付けている物を剥ぎ取られる。エレシュキガルのもとに辿り着いたときには、彼女は既に全裸だった。イシュタルはエレシュキガルによって冥界に閉じ込められ、死神ナムタルから60の邪気(=病魔)を体に放たれた。冥界から帰れなくなったイシュタルの影響で、地上は不毛の地と化してしまった。生者たちの嘆きを聞いたエアは無常の人間アスシュナミルを創って生命の水を持たせ、冥界へ送り込んだ。エアの知恵が功を奏してイシュタルは冥界から解放されることとなり、門をくぐる過程で剥ぎ取られた着物や宝飾品なども全て、取り戻すことができた。

イシュタル - Wikipedia

 死して黄泉の世界で雷神をまとい化物となって、イザナギと再開するイザナミの話と似ているじゃないですか。これは比較神話学で取り上げることができます。

イシュタル(イナンナ)と、イザナミと、西王母は非常に性格が似通ってるんです。

西王母は女神で、冥界に君臨し、死を司る立場であるので、司馬遷が条枝のイシュタルに、西王母と名付けたことはしっくり来る気がします。

すると中央アジアの遊牧騎馬民族が信仰した、崑崙山やアルティン山脈に西王母がいたという意味合いが、当初よりちょっと違ってきました。

 

崑崙山の西王母とは、実は古代にシュメールから発祥したイシュタルのことであり、シュメールから東方崑崙山へ移住した中東の人々が信仰していた神だと考えられますし。

古代中国人は、イシュタルを西王母と改名して、道教の信仰にも取り入れたというわけです。司馬遷はこれを知ってて、崑崙山の西王母を、条枝(シリアかエルサレム)にも配置したのでは。

そのイシュタルこと西王母を、東方の倭人が信仰していたのも、倭人が西方にルーツを持つとわかっていてのことだったんじゃないかと。日ユ同祖論的には、そんな風に考えてみました。f:id:kl117cr233:20170817061849j:plain

グーグルマップで崑崙山と表示される場所から、条枝、倭国の両方に距離を計測すると、なぜか両方ともほぼ4200kmと同じ数字が表示されました。崑崙山はちょうど、条枝と倭国の中間地点にあったんですね。

この崑崙山の場所、歴史上ではチベットですが、崑崙山のすぐ北はタリム盆地で、西域とよばれる異民族の文化圏です。崑崙山の北東の敦煌烏孫の本拠であり、タリム盆地は元々全域が月氏の土地、その北の天山山脈がサカ(塞)の土地でした。

 

今回はここまでにして、次回、西王母がいる場所が、崑崙山な理由も明らかにします。

 

 

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百済が桃太郎の名を持っていることから導かれる道筋

「古代の天皇朝鮮半島から渡ってきた」と言うと、保守層から袋叩きにされたりするのですよね。でも自分的には、それは本当だと考えていますが。

尤も朝鮮半島は通り道であって・・・天皇と付き従った大和民族の根幹は扶余であり、遡って烏孫であり、さらに遡って中東から来ているというのは、要するに天皇大和民族の大陸起源説は肯定してるわけなんですが・・・。

 

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それを証明する1つが「桃太郎」だった

 

以前に書いた記事。

桃太郎は卑弥呼にとって弟かそれとも分身か

 

この記事を要約すると、

1・桃太郎は、皇族の吉備津彦、または倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫が男装した姿

2・桃太郎は、九州の天皇卑弥呼勢力が、鬼ヶ島(狗奴国)に攻めた話

3・桃太郎は、西の申(猿)・酉(雉)・戌(犬)の地から、東北の鬼門を攻めた

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これが基本的にありました。

 

しかし桃太郎の物語には、もう一つの秘密がありました。

それは、朝鮮半島倭人地から九州へと、倭の英雄が入った英雄譚です。

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 もう一つの桃太郎 朝鮮半島南部の倭人地、任那馬韓百済は「桃の地」だ

 

次の解説図は桃太郎の物語を表しています。

図1

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桃は川上から流れてきましたが、「桃」→「鬼」というのが桃太郎の簡単な骨子です。

桃太郎の起源はの土地だった、まずこれが肝。

 

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図2

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日本語では、桃(もも)=百(もも)。

桃太郎の「桃」の字は、天皇家の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の「百襲姫」の「百」に置き換えることができました。

百襲姫=桃そ姫で、吉備津彦と桃そ姫でワンセットです。

 

すると1つのことに気づくのですが、朝鮮半島南端は卑弥呼の時代以前は倭人居住地であり、そのことは「日本書紀」や「後漢書」「魏志」などの中国正史から読み解けます。

詳しくはこの記事。

倭国の本拠地の変遷(推定) - たっちゃんの古代史とか

 

半島にあった倭人地の名は、任那馬韓、のちに扶余人が治めて百済になったのです。

これがじつに不思議な事に、「桃」っぽかったのですね。 

朝鮮半島南部倭人居住地は桃っぽい地名

 

百済 百もも momo 百をももと読めば、百済ももだら・ももたら→桃太郎

馬韓 馬むま muma 馬韓の後継国が百済

任那 任みま mima 馬韓南部は歴史的に倭人域で任那と重なる

こんなふうに。もも、むま、みま。

 

決定的なのが、百済(くだら)を訓読、大和言葉的にすると、百済ももたら)になることですね。

百済は桃太郎

・百 もも

・済 だら・たら

 

百済=桃太郎

なんで百済が桃太郎になっているのかというのは不思議。

でも、朝鮮半島南部の任那が、桃太郎=天皇家の本来の土地だったから、とすれば話は辻褄が合います。

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図3

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半島の百済は、元々は馬韓の土地でした。

馬韓の南方は倭人の居住地で、弁韓から対馬海峡に面した狗邪韓国にかけてが倭人の本拠であり、「日本書紀」の任那と重なる地域でした。

馬韓南東の倭人地区には「卑弥国」があり、女王となった卑弥呼の名とまったく同じであるので、これが無関係なほうがおかしいです。

だから今回の桃太郎の話と合わせれば、

 

 

卑弥呼は死ぬと百人が殉葬した(生贄)、この出来事が百襲姫(百人を襲う姫)の名の由来である

卑弥呼朝鮮半島南部の倭人地=卑弥国から、九州に渡り女王卑弥呼になった

・倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫=卑弥呼は桃太郎である

 

これの説明がつくのではないかと。

関連記事

古代皇族の殉死と埴輪のこと。2

倭迩迩日百襲姫の謎。3

 

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図4

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崇神天皇の名は、御間城入彦五十瓊殖天皇

 

任那(みま城)の名を持っているのが、崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)。

任那の「みま」は馬韓の「むま」と同じです。

御間城入彦の「みま」なんですよ。だから崇神天皇朝鮮半島倭人居住区域から来ていることは決定だと考えてるわけなのですが。

 

任那からきて、五十瓊(委奴)へ入った」から「御間城入彦五十瓊殖」ですね。

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関連記事

崇神天皇が任那から九州へ移動したことを証明する新説

 

要するに、図1・図2・図3と、同じ骨子が見えてくるのですよね。ああ、これも桃太郎ルート(朝鮮半島倭人地→九州ルート)なんだと。

 

 さきほど言いましたように、天皇家=桃太郎なんですよ。

 

御間城入彦=御間太郎=桃太郎で、上記の卑弥呼と同じじゃないですか。 

人物名をまとめると、

・桃太郎 momo taro(百済 momo taro、馬韓 mima、任那 mima)

・百襲姫 momo(弟はきび団子の吉備津彦

・百人殉葬の卑弥呼 momo(卑弥呼は百人襲った姫)

・御間 mima→ momo 御間太郎(崇神天皇

桃太郎(天皇家の百襲姫)と卑弥呼崇神天皇をつなげるキーワードは、桃=百だったのだと。

 

あ、これで拙著「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」の、証明方法がひとつ増えましたw

 

・・・・・・卑弥呼崇神天皇だと言っても、信じない人のほうが多いかもですが。

崇神天皇とは、卑弥呼が男装した姿であると。卑弥呼と壱与を合わせて崇神天皇だと。

バチカンにあるっていう、過去を見れる機械があったら、真相はわかるのだとは思いますけど、誰か見てきてくれないかな。 

 

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変なことばかり起こる日常

 俺が引っ越してきてから、近隣の騒音が発生する傾向が強まった?

・・・・・・。

飛行機や工作員などを使って、イルミ集ストが、大規模な騒音嫌がらせを仕掛けてきてるかもしれない。

お隣さん、俺をぶっ叩いても解決しないので、イルミの偉い人に文句言って来てほしい。

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奇妙なこと、怖いこと、ありえないこと、よくわからないことが、俺の近くではすぐ起こる。

それはまるっきりの偶然だったり、自分が原因だったり、何者かが意図的に計画的に起こしてる陰謀だったりするのですが・・・。

伊藤潤二のあの漫画を思い出さずにいられませんけど。

 

伊藤潤二傑作集8 うめく排水管」の、「超自然転校生」

この漫画に束野(つかの)という高校生が主人公的な形で登場するのですよ。

束野がただそこにいるだけで、何もないところに滝が現れ、巨大湖が現れ、巨大生物が現れ、人が空を飛び、死人が蘇り、超能力で攻撃できるようになる。束野がいなくなると、全ての現象は跡形もなく消え去ってしまう奇跡の男。

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まぁ、たしかに俺も束野君と同じく不思議を求めて散歩してるだけなんだけど・・・。奇妙に俺の人生が。作中の人物と一致する偶然。 

 

つねに超常現象に付きまとわれる場合、最初だけですよね偶然と言われるのは。

そういや涼宮ハルヒの憂鬱という漫画も、似たテーマだったとか。

要するに神、創造主としての能力を保持する人間の物語だったのですけど。

 

あとは伊藤潤二作品ではこれですよ。

伊藤潤二傑作集6 路地裏」の、「道のない街」

以前にブログで書いてました。

この漫画の要点は

・夢と現実がごっちゃになっている

・主人公はのぞき見され、常に悪者にされてしまう

・街は人をのぞき見する人々で溢れかえっている

・のぞき見する人々は、のぞき見してない!と言いつつ、のぞき見している

・住人にプライバシーがない

 

以前の記事 気になる漫画より

 

俺の周囲では、常に変なことが起こる。

それが運命的に決まっているなんて、嫌な感じでしかない。

 

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集スト

 

「集スト」については、いまだに存在を否定する人がいるらしいです。

簡単に言えば

「さまざまな権力が発注し、個人に対して組織的なつきまとい・嫌がらせ・盗撮・自殺追い込みなどを仕掛ける裏稼業」

が集ストと言っていいかもですが。

 集ストは人海戦術のつきまといのみならず、なにか目に見えない理解しがたい、訳がわからない出来事と、常に関連づいているのも通常の範疇です。

 

関連記事

日本国内は工作活動者で溢れてるという想像

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ある人が言いました。

普通な感じだけど、失敗をありえないほど何度も繰り返す人、何度も異常行動を見せる人は、外部からの人為的または電磁波を用いた、悪意のコントロールがつきまとっているのだと。それを世間一般では、統合失調症、危険人物、駄目な人などと言って誤魔化しているのだと。

 

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埼玉での異常

 

俺の場合、埼玉では幼少時に異常行動が見られたそうです。

・3歳の時に1.3キロ離れた病院まで1人でよちよち歩いていったらしい

・幼稚園まで夢遊病の経験があった

・小学校時代、何かの存在に呼ばれ、意識ここにあらず状態で、2階にフラフラと歩いていったらしい

・頻繁に幽体離脱して空中を彷徨った経験

 

人はこれらは霊的な現象だと言ってたけれど、何かにコントロールされたというのはあったのかも。

 

子供の頃から悪いことする同級生が普通にいて、悪影響も受けてしまったのですが、何故か大人になっても悪者扱いされているのは俺だけでした。

鼻息や体臭がありえない激臭になったり、精神的にすごく落ち込むことが多くて、そんなことが影響して学校も教習所も辞めたりと、かなり悲惨な若い頃を経験しました。

近年は、

・自宅にいればヘリコプターが寸分も狂いなく真上を飛んでいく

・近隣の小中学生や近隣の大人が自宅前だけで執拗に叫びまくる

・大声や咳やくしゃみや嫌味などどこでも聞かされる

・毎日キーキーキーキー不快な音を鳴らしまくる老人がいた

・クラクションを出す車が頻繁に現れる

・暴走族がブンブンブンと煽って通り過ぎる

・パトカーが毎日のように自宅前を通る

・彼らは9:31とか19:31みたいな語呂合わせにやたら拘っている

・2014年に両親が2ヶ月の間に他界した

・自宅周辺は近年になり、殺人、強盗、通り魔、大事故、大火事、行方不明が頻発した

 

兄軍団

 

両親の死は予想外すぎました。

母が死んだことについては、兄が「母親はお前のせいで死んだ」と意味ありげな言葉をぶつけて来たのが、記憶に残って離れません。

 

予想外といえば、ここ2年ほどは、兄が完全に他人みたいな態度になり、声をかければものすごく嫌そうな表情で返答するのが、通常モードになったのも印象的でした。

「兄軍団」は俺の行動に対して、いつも異常なつきまとう行動を見せていました。

・盗撮してるようで、こちらの行動にぴったり合わせ声や爆笑や音を出す

・毎日深夜まで何をするでもなく自宅1階に入り浸って騒ぎまくる

・大声でむかつくセリフや大爆笑や爆音車の音を外から頻繁に聞かせてくる

・異常な行動を問い詰めても「知らねーよ」の一点張り

 

それに加えて近隣中学生の罵声・奇声。連日莫大ストレスが過剰になりすぎて、精神的に忍耐のギリギリ状態になってたのがここ数年です。 

もう俺には、家族なんか無いんだと気づいた2014年~2017年でした。家族も親戚づきあいも全部終わりでいい。

 

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静岡でも

 

出て行けと言われて、なんとか静岡に引っ越してからも、当初から異常なことが起きました。

ともかく、なんか運命的に決まってたのか?と思わせて仕方ない情況が、新天地には存在したことに、薄々気づいてしまったのです。一応まとめてみました。

 

・住所

今の静岡の住所は、正式書面の住所と、普段使う住所2つに別れてるのです。

最初に購入したばかりの時、正式住所の方しかわからない情況だったのですが、あとで普段の住所を確認してみると、気づきました。

なぜか自分の誕生日1月30日の130が、新天地の住所に含まれてる事を。なんだこれ・・・と。

それだけじゃなくて、郵便番号にも、何故か130が含まれていることも分かってしまい、なんだこれ✕なんだこれ=なんなんだこれこれ。

と調べていたら、上空をうるさい飛行機が通ったから、FlightRadarで調べてみたらC130輸送機が表示されてた・・・自衛隊機は普段は非表示なのに。

 

・◯◯さん

埼玉県の兄軍団の、いじわるな人、通称岡◯さん。

引っ越した先の静岡の家、おとなりさん・・・同じ名前でした。

俺が元々育ったのは、まぎれもなく埼玉県の豊春という土地です。小学校も中学校もこの名前でした。

静岡のお隣さんも、豊が付く名前だった・・・。

何もかもビンゴすぎるのだが、なんで?

最初から決まってたのだろうか。

 

・130号線

最近、静岡にこんな道路があるとわかった。

静岡県道130号伊豆長岡三津線
路線データ
起点:静岡県伊豆の国市長岡(静岡県道129号韮山伊豆長岡修善寺線交点)
終点:静岡県沼津市内浦三津(静岡県道17号沼津土肥線交点)
実延長:3,963m

沿革
1960年(昭和35年)4月1日 - 認定

静岡県道130号伊豆長岡三津線 - Wikipedia

 3,963m・・・俺の人生にいつも登場する数字、3・6・9。これが130号線。

まるで1960年から待ち構えていたみたいだ。

 

・鍵

今の中古住宅の鍵は、購入が決まってから不動産に預かったのです。その鍵はこの家が建った当時のまんま変わらず、見た目も年季が入っている印象でした。

それだけなら何ともなかったのに、この鍵のスペアを作る時に、ナンバーが◯◯◯だと知って驚きました・・・同じ数字が3つ並び。

しかもこの数字は・・・。なんで俺がこれを手にしたのだろうと、しばし動揺。

 

・騒音

埼玉では騒音でずっと嫌な思いばかりだったので、新天地は騒音が無さそうな場所で・・・ということで現在地に引っ越してきました。

ところが引っ越した先も、一日中飛行機が飛び交い、なんかどーん!という爆発音が連日聞こえ出すし、隣の◯◯さんが外の音なのに俺のせいにしてぶっ叩きまくって来たりという展開で、ここでも静かな生活は保証されないらしい。

 

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気になることが・・・

 

かつて大本の出口王仁三郎が、「大本で起きたことが日本で起こる」みたいなこと言ってましたが。

最近の俺の周囲で起きたことと、日本列島で起きていること。シンクロしているんですよ。まるで俺の出来事が日本全体に波及してるんじゃないかって思ってしまうほど。なんか超自然転校生の束野や、涼宮ハルヒ状態ですよ。

まるで俺に起きたことが日本で起こってるんじゃないかってくらいに。俺はいつから神様なのかと。

単なる偶然ならそれはそれで良いけれど、あまりにシンクロするので、俺につきまとう異常な現象は、これから日本で起こることの予兆、予型なのかもしれないなと、そんな想像を巡らすばかりです。これについてはまた詳しく書きます。

 

関連記事

(動画)高原の森林に自衛隊演習場と飛行機の爆音が響くと、近隣の爺婆が俺のせいにしてぶっ叩かれる日々

俺じゃないのに俺のせい

 

気になる映画「予言」と俺にまつわる数字

皇居宮殿と、この街の市役所が同じ経度上にある謎

この街の特異な地下神殿と竜宮の館

 

 

その他はこちら

嫌がらせ の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

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富士山が仏教徒から須弥山として見られていたことの痕跡

日本の富士山

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富士山 - Wikipediaより

 

これによく似てると言われるのが、

インドネシアのスメル山

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スメル山 - Wikipediaより

 

グーグルアースで

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富士山  標高3,776メートル

スメル山 標高3,676メートル

 

・大きな島の火山。

・見た目がそっくり。

・標高は数字がほとんど一緒

・( ̄▽ ̄ )

こんな自然の偶然が。

 

インドネシアのスメル山と富士山の共通点は他にもあります。

ジャワ島にはスメル山という名の山もあり、別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)である。

須弥山 - Wikipedia

マハ・メル山とは「偉大なるメル山」であると尊大に持ち上げていますね。

富士山もかつては「福慈岳」(福のある慈しみの山)、不二山(ふたつとない山)、不尽山(尽きぬ山)と賛美、賛称するような文字が用いられたのも、似てますね。

 

それに、富士山はかつてはハラミ山と呼ばれてたのと、なんか似てますね・・・。

ハラミ  haーraーmi

マハメル maーhaーmer

言葉を組み替えたアナグラムみたいなものにも思えたり。

やはり元が須弥山=スメル山なので、山の名ももともと同じ発想だったのだろうか?

 

 以前も書きましたが、富士山は仏教的な別名を持つ八神峰があり、釈迦の割れ石があるなど、仏教要素で満ち満ちていました。

仏教伝来以降に、仏教関係の地名が次々に付けられていったのですね。

関連記事

封じは晴れたり日本晴れ。八に纏わる富士山

富士山の別名がハラミ山だったことから分かる仏教思想の影響

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須弥山

 

ところで須弥山とはなにかを、あらためてウィキで調べると。

須弥山

(しゅみせん、旧字体:須彌山、サンスクリット:Sumeru)は、古代インドの世界観の中で中心にそびえる山。インド神話のメール山、スメール山(su- は「善」を意味する接頭辞)の漢字音訳語。

 

古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教仏教ジャイナ教ヒンドゥー教にも共有されている。

インドで形成された宗教のうち、とりわけ仏教が中国や日本に、ヒンドゥー教インドネシアなどに伝播するにともない、この世界観も伝播した。ジャワ島にはスメル山という名の山もあり、別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)である。

仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山(てっちさん、Cakravāḍa)があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。

 

仏教における須弥山世界観

『倶舎論』によれば、風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最下面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際(こんりんざい)という。なお、このことが俗に転じて、物事の最後の最後までを表して金輪際と言うようになった。

周囲の鉄囲山(てっちせん)にたたえた海水に須弥山に向かって東には半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう videha-dvpa、あるいは勝身州)、南に三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごかしゅう godnya-dvpa)、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう kuru-dvpa)がある。南に位置する贍部洲(Jambūdvīpa)は我々が住んでいるインド亜大陸を示している。

須弥山中腹には日天と月天がまわっている。須弥山の高さは八万由旬(yojana)といわれ、中腹に四大王天がおり四洲を守る。さらにその上の山頂の忉利(とうり)天には帝釈天が住むという。須弥山の頂上に善見城がありインドラ(帝釈天)が住んでいる。須弥山には甘露の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。

須弥山 - Wikipedia

 

富士山がそびえ立つのは山梨県静岡県ですね。じつは静岡県は過去に須弥山の「須」の字を頭文字に使ってた時代がありました。

それは律令制時代の頃、今の静岡県東部は「駿河(するが)国」言われて、いまも駿河の名はぜんぜん廃れてませんですね。ここに須弥山が隠れているんじゃないかと考えました。

 

なぜならば駿河という漢字は、当初「須流河」と書いていたからです。ここに須流河国造が置かれていました。

須弥山

須流河

富士山が須弥山にならぞえられたので、漢字の一字を拝借したんじゃないかって、考えられることなんですよ。

スメル山とは、おそらく漢字では「須弥流山」となるわけなのですが、

須 弥 流 山(すめる山)

須   流 河(するが)

こうするとスメル山の2字を取って、スルガにしていることがわかるんですよね。

やっぱり静岡、そして富士山は須弥山だったのではないかと。

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金と鉄と海

 

他にも関係するキーワードがありました。

富士山の頂上には八神峰、釈迦の割れ石などと一緒に、金明水と銀明水という溶岩の隙間から流れる雪解け水の湧水があるのです。

須弥山には、須弥山下方の金輪・金輪際と 須弥山を取り巻く鉄囲山があったのと、対応するようです。

富士山 金明 銀明

須弥山 金輪 鉄囲

 あとは富士山の周辺の山の名前です。

 

仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山(てっちさん、Cakravāḍa)があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。

ウィキペディア

f:id:kl117cr233:20170730002806j:plain

 関係するのかわからないけれど、一応関係しそうな地名は上げておきました。

金 金峰山、金丸山、金明水

鉄 鑵子山(鑵=鉄の容器)、剣ヶ峰、東剣(剣は鉄)

八海 富士五湖芦ノ湖田貫湖駿河湾

日天月天 日月神社

まあ富士山の周囲を取り巻く、七つの湖と駿河湾で八海になるのは面白いとしても、ほかはあんまり関係ないかも。

 

痕跡は希薄でしたが、富士山山頂に仏教関係の八神峰、釈迦の割れ石があることなどを踏まえると、駿河(須流河)と須弥山・須弥流山の関連はあっておかしくないかな、と言った感じ。

 

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「志賀島の金印発見劇」は徳川将軍家による演出だった説

なんかおかしいと思っても、古代の出来事の場合は真実にたどり着くのは至難の業です。

タイムマシンでもないと、調査の結果が真実かどうか確かめる術はなかったりします。

でも調べてみるのと調べないのでは、大違いなんですよね。何でもそう。

定説が存在していても、調べてみると誰も知らない事実が、ぼわ~っと見えて、今までの定説っておかしくない?となれば革命の一歩。

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志賀島の金印

 

漢委奴國王印志賀島から出土した、1世紀の歴史上の遺物であり、いまは国宝になっているそうです。

この金印については、1世紀の情報が詰まった「後漢書」の、以下の文とも整合していました。

後漢書』の記述との対応

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

漢委奴国王印 『後漢書』の記述との対応 - Wikipedia

 

志賀島の出土地と、金印が見つかった経緯は、ウィキペディアで以下のようにあります。

出土地

1914年(大正3年)、九州帝国大学中山平次郎が現地踏査と福岡藩主黒田家の古記録及び各種の資料から、その出土地点を筑前国那珂郡志賀島村東南部(現福岡県福岡市東区志賀島)と推定した。その推定地点には1923年(大正12年)3月、武谷水城撰による「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建立された。その後、1958年(昭和33年)と1959年(昭和34年)の2回にわたり、森貞次郎、乙益重隆、渡辺正気らによって志賀島全土の学術調査が行われ、金印出土地点は、中山の推定地点よりも北方の、叶ノ浜が適しているとの見解が提出された[3]。

1973年(昭和48年)及び1974年(昭和49年)にも福岡市教育委員会九州大学による金印出土推定地の発掘調査が行われ、現在は出土地付近は「金印公園」として整備されている。


発見の状態について

江戸時代天明年間(天明4年2月23日(1784年4月12日)とする説がある)、水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したとされる。発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説もある。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。発見された金印は、郡奉行を介して福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥は『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると同定したという。

なお、糸島市の細石神社には、「漢委奴國王」の金印が宝物として伝わっていたが江戸時代に外部に流出したとの伝承(口伝)がある。

 

その他

前略

三浦佑之は著書『金印偽造事件―「漢委奴國王」のまぼろし』において、
発見時の記録にあいまいな点が多いこと
江戸時代の技術なら十分贋作が作れること
滇王之印に比べると稚拙

などの点を根拠に亀井南冥らによる偽造説を唱えた[29]。

 

漢委奴国王印 - Wikipedia

志賀島の金印、すごいですね、志賀島に埋まってたんですね。

めでたしめでたし。でも別に良いんですが。

 

志賀島で金印が出たというけど、これってなんかおかしくないですか?って思ってる人は、過去にもいたようです。

出土地については、これまで漠然と志賀島だと思っていましたが、志賀島といっても意外と広く、南北に3.3キロ、東西に2.4キロほどもある島なんです。

 

上にある記述を元にして、志賀島の金印推定出土地を地図に示してみました。

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 1914年(大正3年)から1974年(昭和49年)にかけて、都合3回も出土地点が移動していたんですね。

叶ノ浜については、グーグルマップで検索すると志賀島の南西が表示されたので、ウィキペディアの記述と合っていません。地図ではグーグルの表示に従って表示。

 

発見地点が3カ所も移動してるということは、発見場所の特定には困難を極めた様子。

江戸時代の1784年、甚兵衛、秀治、喜平という3名の人物が水田耕作中に金印を見つけた巨石の場所は、はっきりせず漠然とした情報しか残って無かったらしいです。

要するに現在の金印公園の場所も、ほんとうの金印発見地点じゃないかもしれないんですが。まあ分かんないし、このへんでいいや、みたいな・・・。

 

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志賀島の金印にまつわる陰謀

 

まぁそれはともかく、なんで金印は、歴史上ではそれほど重要拠点もなかった志賀島にあったのかは、気になりますね。

一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。

 

それに、金印を志賀島の巨石の下に仕込んだのは誰なのかということも。

A・1世紀を含む弥生時代、奴国王印を受け継いだ何者かが、志賀島の巨石の下に隠したのか

B・甚兵衛を利用し、金印が志賀島から発見されたように見せかけた、謎の人物がいたのか

 

関連して、こんな本があったとか。

あの国宝「志賀島金印」発見は、大芝居だった?
著 明石散人
講談社講談社文庫 [歴史ミステリー] 国内

果たして、国宝金印は本当に志賀島から出土した物なのか

天明四年当時、全国の大名達は硬直した藩政に対し、立て直しの優秀な人材を要職に抜擢するために続々と藩校を開校させていた。しかし、福岡藩では三代にわたる城主の夭折に見舞われ、推進役の相次ぐ不幸に藩校の開設は頓挫。熊本藩より遅れること三年目にしてようやく開校に漕ぎつける。
だが、この時期に儒学者亀井南冥は、既にある藩校を差し置いて明らかに異例な第二の藩校の開校を主張していた。結果は福岡藩四人の重臣の意見は真っ二つに割れ、苦肉の策として二つの藩校が認可、南冥は破格の大抜擢を受ける事になったという。
こうして、藩儒筆頭三百石の名門出の竹田定良が率いる「修猷館(しゅうゆうかん)」と、かたや十五人扶持儒医の亀井南冥の「甘棠館(かんとうかん)」というライバル校の並立が始まった。そして、お坊ちゃんと叩き上げという二つの藩校の館長は、開校当時から学問以外でも悉くいがみ合うのだ。
当然ながら主流の修猷館の方が規模も大きく正統性を主張。また現実には門下生の勢力修猷館が六百人余りで勝り、甘棠館はその三分の一程度であった。

果たして、劣勢の甘棠館でも後には退けない亀井南冥が勝てる機会はあるか?

福岡藩における奇異な二つの藩校の同時開校。志賀島の金印は、実にこの両校が開校した天明四年の二月、まさにその月に合わせた様な発見だった。
志賀島百姓「甚兵衛口上書」から端を発した島内の叶の崎から出土したという金印。第一発見者の甚兵衛が実在不明であることや発見場所の特定と出土年月日の記載がない鑑定書など、不可思議な事実が浮かび上がってくる。
また発見に関わった人物像も、甚兵衛の後見役の庄屋から郡奉行に至る七人全てが、この亀井南冥と繋がっているという奇妙な関係。
この金印発見劇の以前より、南冥が自身の専門領域で修猷館竹田定良に対する古文辞学の論争を仕掛けるための下工作だったのか。ライバル学者同士の功名争いが絡む金印にまつわる騒動は、印章研究家の第一人者藤原貞幹や文人上田秋成と大田蜀山人国学者本居宣長をも巻き込んだ一大事件となる。
福岡・江戸間は三千里余り、この時代の距離と時間をして異常に早い情報伝達と自説を有利に運ばせる論文のリーク。江戸・大坂・京都在住の学者達にまたがる南冥の周到な根回しと画策はあったのだろうか。文献を基に次々と明るみに出る綿密な考証は、実に知的なミステリーとして舌を巻く展開となっているのである。

【書評】明石散人:七つの金印―日本史アンダーワールド【ブックレビューサイト・ブックジャパン】

これはこれで面白い展開ですが、真相は別の所にあったかもしれないんですね。

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糸島市の細石(さざれいし)神社

 

志賀島から南方へ15キロ離れた糸島市に、金印が志賀島から発見された真相のヒントがありそうです。

なぜかというと。

なお、糸島市の細石神社には、「漢委奴國王」の金印が宝物として伝わっていたが江戸時代に外部に流出したとの伝承(口伝)がある。

ウィキペディアより

こんな伝承があったとか。

 

そうすると、やはり甚兵衛という人物がなんか怪しい感じがしますね。何らかの理由で細石神社の金印を手にしてしまった甚兵衛が、金印の処遇に困って巨石の下から発見したことにしたみたいな。

志賀島で巨石の場所すらも明確でないのも、「巨石自体が存在していなかった」ことが影響していそうですが。

 

細石神社

細石神社(さざれいしじんじゃ)は、福岡県糸島市にある神社。古くは「佐々禮石神社」と表記されていた。祭神は磐長姫と木花開耶姫の姉妹二柱。旧社格は村社。

細石神社 - Wikipedia

この神社、弥生時代の伊都国の中心地に位置したと考えられているのですよね。

つまり奴国が受けた金印は、後に伊都国が所有するところとなり、そのまま細石神社が保管してきたという流れが考えられました。

細石神社は「佐々禮石」と書くわけなのですが、これは日本国国家の君が代で、

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

とある、「さざれ石」と同じ名称ですね。

あるいはこの神社の場合、長らく保管した金印のことを、さざれ石と隠語で呼んでいたことは、あるかもしれない、そう考えることもできるのですよ。

 

佐々禮石

この漢字を使ってるのは意味深ですね。

・・・金印は西方の漢の洛陽から来た。西というのは方位に照らせば左

・・・これは祭礼のお供え物


字源
会意形声。、「示」+音符「豊(「豐」の略体ではなく、元来からの文字)」。「豊」は「豆(たかつき)」に形よく供え物をならべた様。形よく整えられた祭礼を意味。

禮 - ウィクショナリー日本語版

 

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金印と君が代と徳川家との関係

 

おそらくこの「志賀島金印発見事案」には、大きな権力が絡んでいると見て間違いないと思うのです。

その理由は意外なことに「君が代」から見つけることができるのですよ。

和歌としての君が代

 テキストと作者

作者は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていたとある木地師で、当時は位が低かったために詠み人知らずとして扱われるが、この詞が朝廷に認められたことから、詞の着想元となったさざれ石にちなみ「藤原朝臣石位左衛門」の名を賜ることとなる。[要出典]

歌詞の出典はしばしば『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番)とされるが古今集のテキストにおいては初句を「わが君は」とし、現在採用されているかたちとの完全な一致は見られない。


我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

君が代 - Wikipedia

 

結果的に君が代の作詞家として、21世紀の今も存在感を見せていると言えるのが、9世紀に皇族に仕えた木地師の、藤原朝臣石位左衛門という人でした。

 

ここで金印が発見された年代に注目。

 

 江戸時代 天明年間(天明4年2月23日(1784年4月12日)

天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇光格天皇江戸幕府将軍は徳川家治徳川家斉

徳川家治(いえはる)・徳川家斉(いえなり)という征夷大将軍が日本のトップにいて、この当時の天皇光格天皇でした。

金印が見つかった時代に日本を統治したこの人たちのことは、まあ何も知らなかったのですが、調べていると何だか変なことに気づいてしまいました。

 

昔の人は後の本名と幼い頃の名(幼名)が違っているのが普通でした。

徳川将軍の場合、 

徳川家治の幼名・・・竹千代

徳川家斉の幼名・・・豊千代

 

徳川家の跡取りの幼名は、千代が付いている場合が多かったようです。初代江戸幕府将軍の家康から、秀忠、家光、家綱までみんな竹千代だったし。

 

あれ?なんか、さっき見ませんでしたかこの名前。

そうそう、糸島市の、細石(さざれいし)神社で、見かけました。

 

・さざれ石・・・千代にやちよにさざれ石の・・・千代

 

これに加えて、登場してきたあらゆる情報が、何故か偶然にリンクしていることがわかってきました。

・竹・・・さざ=笹=竹

・豊・・・佐々禮石の禮=示+豊

・治・・・発見者の1人=秀治・・・家治の治

・いと・・・甚兵衛の甚は「いと」と読み、細石神社があるのは元伊都国

・なり・・・徳川家斉の「斉(なり)」と関係者の喜平の「「平(なら)」

・甚平・・・甚兵衛とは甚平と同じだが、甚平は元は武家の衣服の陣羽織が起源

 

まとめるとこうなる。

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これは偶然こうなったというか、・・・計算ずくな気がするのですが?

 

さらにもう一度、志賀島の金印発見情況を見てみる。

甚兵衛の供述

一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。すなわち金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。

ウィキペディアより

 これを図案化するとこうなるのだが、

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ドラえもんの絵描き歌みたいに描いてみたら、なんか徳川家の家紋になってしまった・・・。

 

三つ葉葵 - Wikipediaを使用。

 

 志賀島からの金印発見には徳川将軍家が大きく関係しているんじゃないかって、そんな想像を膨ませてしまう、理由がわかりましたね。

 

徳川将軍家が、漢委奴國王の金印を表に出すために、甚兵衛らを使って一芝居打った、というわけなのかわかりませんが。

言葉の語呂合わせ、家紋風の発見状況などを利用して、真犯人は徳川家ですよ!と徳川将軍様は遊び心いっぱいに匂わせていたのですが、今まで誰も気づかなかったようです。

 

そもそも将軍が金印を日本じゅうに大公開する目的があったとしても、こんな回りくどい発見劇にした理由とは何だったのか。

将軍系の幼名と細石神社の名前など、いろいろ掛け合わせてあるということは、昔から徳川将軍家は金印のことを把握して、家宝として重視してきたことの表れかもしれません。

 

しかし情報が少ないので、これ以上のことは想像できません。

 

 

そういえば、 

志賀島(しかのしま)

然り(しかり)

〔「しかあり」の転〕
そうである。そのようである。そのとおりである。

金印が志賀島で見つかることもまた然り。運命であったということで、志賀島が金印発見劇の舞台に選ばれたんだろうか。

  

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後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった

なんかおかしな出来事に満ちているので、そのことを書こうかと思っていたら、帥升のほうが気になりだしたのでお先に帥升

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外国の歴史書で、最初の名のある倭人は一体誰だったかというと。

後漢書」の2世紀初頭の頃の記録に、倭国王帥升(すいしょう)」の名前が出て来るのが最初。

後漢書倭伝

安帝の永初元年(107年)、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。

「中国正史日本伝(1)」石原道博編訳

 卑弥呼帥升の後の時代に登場します。

帥升がいた西暦107年は今から1900年以上前ですが、歴史の通説ではこの2世紀の頃にも、天皇家の先祖が日本列島を支配していたことになってます。

 

帥升はたった2字で、これだけの情報量しかないのですが、たった2字でもあれば想像を膨らませるには十分でした。

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発音と字義

「学研漢和大字典」によれば、秦代の上古音でも、日本の呉音の「スイショウ」に近いみたいでした。

帥 

意味 ①軍を率いる大将、②最高の指導者、かしら、ひきいる

解字 𠂤(タイ)は堆積物や集団をあらわし、ここでは隊の意。巾は布の旗印をあらわす。

古訓 イクサ、ヒキヰル、アツマル、イクサキミ、イクサタチ、ニハカニ

 

意味 ①升目の単位、②ます、③のぼる

解字 「ます+手」の会意文字で、穀物や液体をますに入れて持ち上げ、はかるさまを示す。

古訓 アカル、アク、イツ、スエ、ススム、ノホル、ヒロフ、ヨシ

 

以上「学研漢和大字典」より

これだけみると、帥升というのは 「大将の升さん」みたいな感じだったかもしれないなと思ったり。

あるいは倭では「イクサキミのススムさん」みたいに言われて大和言葉の名称だったものを、漢字に直訳して帥升になったのかもしれないなと。

 

これに加えて、元帥の「帥」にそっくりな漢字で、師匠の「師」のほうも気になりました。つくりの上方に横棒がついてるかついてないかだけの違いなんですけど。

これはウィクショナリーで調べてみると、


字源
会意。「𠂤(タイ)」+「帀」。「𠂤」は積み重ねること、「帀」はあまねく行動することで、多くの人を集めた集団、また、それを率いる人(藤堂)。「𠂤」は生贄の肉、「帀」はそれをさばく刀で、戦争に際して、先勝を願う祭祀を行なうこと及びその祭祀を行なう人(白川)。

師 - ウィクショナリー日本語版

祭祀で生贄を刀でさばくとか・・・かなり意味合いが変わってくるようでした。

帥、師、どちらにしても左側の𠂤編は生贄という意味がありました。

後漢書倭伝で、「安帝の永初元年(107年)、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う」とありましたが。

 

 生口というのは、解釈としては奴隷のことだというのが通説で、漢の安帝に対して倭人の奴隷を160人、プレゼントしたということが書いてあります。

  倭人はまちがいなく生贄や奴隷を用いた人々だったんではないかと。

 

帥升には生贄の文字が入っているわけですが、実は贄は天子のみに許された文字であったらしいです。

これは崇神天皇の和風諡号「みまきいりひこいにえ」でも最後に「贄」が入っているのが見えますが、自らを神の元に近い贄とした思想が見えますね。

 

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四角形

 

升は「ます」と読むので、日本人はお酒の枡を思い浮かべるしかないですね。


升(しょう)とは、尺貫法における体積(容積)の基準となる単位である。10合(ごう)が1升、10升が1斗(と)となる。その量は時代や地域により異なる。日本では、メートル法採用後の1891年(明治24年)に、立方メートル(立米、m3)を基準にして1升を 2401/1 331 000 立方メートルと定めた(後述)。これは、約 1.803 906 837 リットル (L) に当たる。

 

升は元々は両手で掬った量に由来する身体尺であった。当時の升は 200 ミリリットル程度、現在の升の10分の1程度であった。それが時代とともに大きくなっていき、現在は元々の量の10倍程度になっている。

「升」という文字は柄杓の中に物を入れた形をかたどったものである。そこから量を量る「ます」の意味、およびそれによって量られる容積の単位を意味するようになった(これとは別に、柄杓で物を掬い上げることから「のぼる」の意味もある)。後に容器の方は「升」に木篇をつけて「枡」と書き分けるようになったが、実際にはあまり区別されていなかったようである。上述のように、1升という量があってそれを量る枡が作られたのではなく、先に物を量る枡が定められ、その量が「升」と定められた。

升 - Wikipedia

 

これは四角形、立方体を意味する漢字です。

すると歴史上でも四角形や立方体を表す、神が住むモニュメントみたいなものがあったと気づくのですよね。

それは方丈。

 

方丈 - Wikipedia

方丈

方丈(ほうじょう)は、
1.  1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事で、「方」には四角形の意味(例:方墳、正方形など)が在り、「丈」の長さをもつ「方」ということ(本項目で記す)。
2. 古代中国において、仙人が住む島とされた東方三神山(蓬萊・瀛州)の一つで、神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる。方壷(ほうこ)とも呼ばれる[1]。


大きさ

1丈は、10尺であるので、1方丈は、約3.030m 四方ということになる。その面積は、100平方尺であり、約9.1827 m2である[注釈 1]。

京間(6尺3寸×3尺1寸5分 = 約1.9091 m ×約0.9545 m )の四畳半の一辺は、約2.8636 m であり、その面積は約8.2004 m2 であるから、1方丈は京間の四畳半の1.12倍程度の広さである。     

建物

方丈は簡単に構築でき、また簡単に解体する事ができたため、僧侶や隠遁者に愛用された。鴨長明の『方丈記』は、方丈の庵で書かれたことによる題名である。

また『維摩経』に書かれているように、維摩詰の方丈を訪れた文殊菩薩とその一行がその狭い空間に全員収ることができたという逸話から、仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれ、そこから寺院の住職が生活する建物を特に方丈と呼ぶようになった。室町時代中期以降は仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担う建物となった。今日の日本の曹洞宗においては住職本人のことも方丈と呼ぶ慣わしがある。

方丈 - Wikipedia

現代の学者は、宇宙は自然と楕円形に近いかたちになったと認識していますよね。

ところがむかしの仏教徒は、「宇宙が四角い」と認識していたんですよね。知的生命の手が加わらなければ不可能な四角い形状、それが宇宙であると考えていたなんて、なんか意味深ですね。

 

帥升という人が、四角形や立方体を象徴する漢字「升」を使っている のは、中国人からみても、数字の単位、四角形の家など、規則的で知的な要素が垣間見える人物だったからに他ならないと思われます。

これは秦の徐福の存在を思わせるには十分な感じ。なぜかというと徐福はあらゆる知識を詰め込んだ生き字引、歩く百科事典みたいな人だったからですよ。

 

以前の記事。

神武天皇が派遣した天富命、始皇帝の下から旅立った徐福は奇妙な一致を見せる

方士というのは、 

 

方士

中国古代の方術を行なった人。方術とは,卜筮,医術,錬金術などをさす。『史記』の「封禅書」と「秦始皇紀」に初めてその名がみえる。戦国時代の後期から燕や斉の地方を中心に不老不死の仙薬について説いた人で,その説を秦の始皇帝漢の武帝も信仰した。この呼称は三国時代まで使われ,晋代に入っておもに「道士」といわれるようになった。

方士(ほうし)とは - コトバンクより

 

集合知、物知り博士、生き字引、賢者みたいな存在が、まさに除福だったわけなんですよ。

 

と、書いていたように、徐福と帥升の間には、賢者としての共通点がよく見えてきてしまいましたから。

 

それに徐福と帥升の字を見比べると、両者は意外な共通点で繋がっていました。

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とっくりとマス

・お酒を入れる容器   徐福の「畐(とっくり)」

・お酒を飲む・測る容器 帥升の「升(ます)」

 

まあ弥生時代当時の升というのは、柄付でひしゃくの形をしてたものだから、上にある絵とは一致しないですが・・・。

 

徐福と天富命は共に「畐(とっくり)」でつながっていたのと同様に、徐福と帥升も「お酒繋がり」だったとか。

 

 徐福の血統と知識を受け継いだ、倭の権力者、帥升

こうして見ると、なんか帥升に対する見方も、違ってきてしまいました。

 

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1000年のキーワード

1000年に1度、1000年ぶり。

なんで増えたのかって、気になるのですが。

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2017年6月30日

ハザードマップ.洪水時の浸水予想 宇都宮市が改定版作成/ - 毎日新聞

見直しに当たっては、想定する降水量を100年に1度から1000年に1度の規模に引き上げ。

 

2017年6月24日

洪水浸水想定区域 見直し 淀川水系5河川、大規模豪雨に備え 伊賀広域 /三重- 毎日新聞

 

2017年6月23日

古文書から紐解く巨大地震発生Xデー 第1弾「南海トラフ」|ニフティニュース

明応地震の際に起きた津波は、“1000年に一度の震災(千年震災)”によって起きたとも言われているのです

 

2017年6月22日

国土交通省近畿地方整備局 大阪・京都

1000年に1度の大雨で大阪・淀川河口「18日間浸水」 :日本経済新聞

 

2017年6月15日

1000年目で初公開

若狭歴史博物館 十一面観音坐像 17日から初公開 /福井 - 毎日新聞

約1000年もの間、地域を見つめてきたすばらしい仏像を見てほしい

 

2017年6月14日

大連古代ハス 一瞬のはかなさ 松山市考古館で咲く /愛媛 -毎日新聞

中国・大連市で出土した約1000年前の種から育てた「大連古代ハス」が松山市南斎院町の市考古館の玄関前で花を咲かせ、

 

2017年6月14日

群馬県

1000年に1度の洪水 主要18河川で水害対策強化  : 上毛新聞ニュース

 

2017年6月11日

眞子さま 佳子さま 皇居ご訪問 fnn-news.com

代々の天皇をまつる皇霊殿では、1,000年前のこの日亡くなった三條天皇の千年式年祭が行われ、天皇陛下が儀式に臨まれたほか、皇太子さまや秋篠宮ご夫妻、眞子さま、佳子さまなど皇族方が参列された。

 

2017年6月8日

宮城県

浸水区域見直し 想定は「1000年に一度」 | 河北新報オンラインニュース

 

 2017年6月6日

百鬼夜行の大群を率いて戦え!毎日10連ガチャができる古今東西の妖怪によるタワーディフェンスRPG『妖怪大合戦』 | andronavi(アンドロナビ) - アンドロイドの日本最大級アプリ紹介サイト

総大将を決めるため、1000年に一度の大合戦をするそうな。妖怪っぽいね。

 

2017年6月5日

1000年の眠りから覚めた!隋唐時代の寺が成都の繁華街に出現―中国 - エキサイトニュース

 

2017年5月28日

<千年希望の丘>津波よけ3万本最後の大植樹 | 河北新報オンラインニュース

2013年に始まり5回目で、大規模な植樹活動は今回で最後となる。

 

2017年5月10日

富士山 同時噴火の痕跡 1000年前、最低2カ所で 溶岩の磁気データ一致- 毎日新聞

 

2017年4月18日

『トランスフォーマー/最後の騎士王』新予告映像公開 1000年に及ぶ歴史が明らかに|ニュース|映画情報のぴあ映画生活(1ページ)

冒頭では、トランスフォーマーと人間の繋がりが1000年以上前から始まり、独立戦争ナポレオン戦争第一次世界大戦などの歴史のターニングポイントにトランスフォーマーが深く関わっていたことが判明するなど、シリーズ最大の謎が描かれている。

 

2017年3月9日

植樹会 どんぐり1000年の森をつくる会、育苗…活動の株主募集宮崎市で19日 /宮崎 - 毎日新聞

 

2017年3月3日

新作ゲーム紹介:「ホライゾン ゼロ ドーン」 1000年後の地球が舞台 機械の獣を狩る - MANTANWEB(まんたんウェブ)

ゲームの舞台は文明が崩壊してから1000年後の地球で、人類は狩猟採集時代に逆戻りしているという設定だ。

 

2017年3月2日

地球で1000年ぶりの「大地変動の時代」がはじまった!(鎌田 浩毅) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

 

2017年2月20日

文明崩壊から1000年の時の流れ──『Horizon Zero Dawn』最新映像「タイムラプス映像(千年の軌跡)」公開! | PlayStation.Blog

本作の舞台は、大災厄によって人類文明が闇に包まれてから1000年後、人類に代わって機械の獣たちが大地を支配する世界。

 

 2017年2月8日

1000年の歴史ある塔が観光客の落書きだらけに、鉄柵で覆うも... - Record China

浙江省杭州市の安楽山は山頂に「安楽塔」という1000年以上前に建てられた塔があることから、地元では「宝塔山」と呼ばれ親しまれている。しかし、観光客の落書きがひどく、

 

2017年1月18日

千年動いたイラン伝統の風車、存続の危機に | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 

2017年1月10日

米カリフォルニア州、車が下を通れる「トンネルツリー」が暴風雨で倒壊 樹齢は1000年超とも - ねとらぼ

 

2016年8月5日

「ベルセルク無双」、ストーリー「千年帝国の鷹篇」を公開 - GAME Watch

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これって何?と考えると、 千年王国

 

千年王国
千年王国(せんねんおうこく、英語:Millenarianism、あるいはMillenarism)は、キリスト教終末論の一つ。千年王国説を信じる者は、英語で「millenarian」や「millenary」と呼称されている。

終末の日が近づき、キリストが直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になったと説く。千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する。また、至福の1000年間の終わりには、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っているとされる。千年王国に直接言及する聖書の箇所は、ヨハネの黙示録20章4節から7節。

千年王国 - Wikipedia

 

現実のものとなるから、飽くこと無く、1000年をリアルに反映させているのやら?

 

f:id:kl117cr233:20170708232640j:plain

最後の審判 - Wikipedia

 

 

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(動画)高原の森林に自衛隊演習場と飛行機の爆音が響くと、近隣の爺婆が俺のせいにしてぶっ叩かれる日々

どーん!どーん!どーん!

近隣でこんな音が聞こえる日常を送ってる方は必見。

 

次の映像はイヤホンじゃないと聞きづらい。

 

とある静岡の高原の森林では、よくこんな騒音が聞こえます。

 

自衛隊東富士演習場の演習のドーンという爆音とか。自衛隊東富士演習場の爆音が届く(市役所の話)

・ジェット旅客機のゴーゴーいう風の音、下水管を流れる水みたいな音。飛行機によるドーンとかいう爆音は深夜でも。上空が飛行機の航空路になってて飛行機の爆音が鳴るわけですが。

・遠くから伝わってくるトン、トン、トン、トンという変な音(おそらく遠くの飛行機が響かせている上空の衝撃の波)、

・お隣さんの猫がうちの床下でガチャガチャやってる音。

 

が聞こえると、隣はドン、ドン、ガン、ガン壁やらなにやら、深夜も早朝もぶっ叩く場合があるのですよね。爺さん婆さん一家が騒音を俺のせいにして、ぶっ叩き出してるようなのですが。

それに加えて近隣で、雨戸パーン!鉄パイプガチャーン、大音量のはくしょんおじさんとか、でかい音コレクションが始まったりしたんだけど。なにこれ、アレか。

 

俺じゃないのに俺のせい。

 

この高原特有の騒音が原因なのに、私のせいにしてるようなのですが、どうすればよいでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そんなお隣に「この森の騒音はなんですか?」と聞いてみれば、

「富士山の演習の音です」とか、昔からこの音はあるみたいなこと言って、はっきり原因となる騒音源を認識してた。え?俺をぶっ叩きたいだけ?

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

この地域では以前から知られた現象どーん

 

ネットでこの地域の爆音についてないかと調べたら、ありました。

 

mixi 2007年

******さん
2007年11月16日 08:33

東部に住んでる方なら誰か知ってるかも……
と思い、トピ立たせていただきます。

私は函南に住んでます。
昔からなんですが、朝とか昼間に家が振動するような、
「ドン!」という音が1時間ほど続く時があります。
この音の正体はなんなのでしょうか?
幼い頃は、雷だとか自衛隊の演習だとか聞きました。
最近毎日音を聞きます。
どなたか正体をご存知でしたら教えて下さい。


11月16日 08:42

自分は伊豆の国が実家で、今でもちょくちょく帰っていますが、
その音は中学くらいからずっと気になっていました。

自分も回りに聞いてみると、御殿場にある基地の演習との事でした。
確かに気になりますよね^^;

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=546923&id=25126779

 

ヤフー知恵袋 2011年

静岡県富士市、冨士宮、裾野、御殿場、沼津で今日地鳴りのような音がすごいです。

*****さん
2011/5/2420:14:57

静岡県富士市、冨士宮、裾野、御殿場、沼津で今日地鳴りのような音がすごいです。
 自衛隊かな? とおもったのですが今日はやってないとかという情報もあり…ほかに考えられるのは火山とかでしょうか?朝からすごい鳴ってます
補足
家の中にいればわかりませんが外にでてればわかります

 

*****さん
2011/5/2508:10:06
私も気になっていました。
 昨日は遠くで雷?とも思いましたが、午後晴れても鳴っているし、自衛隊?にしても、夕方6時過ぎてもなっているし・・・。
 今も聞こえています。ドーン、ドーンと・・・。
 気になりだすと余計ですよね。
 何の音なのかわかれば安心なのですが・・・。
 
*****さん
2011/5/2523:39:22
しばらく前から聞こえています。
 飛行機が上空を通過するときのような音ですよね?
 昼間はわかりませんが、夜中はずっと聞こえています。

ちなみに私の住まいは富士市の南部です。
 音は南の方から聞こえます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463003034

 

地震前兆掲示板 2013年

地鳴り?

2013年01月30日21:52
静岡の伊豆の国市〜ですが、先程から引きずる様な音なんだか、雷みたいな音なんだか…
ゴロロロロ…と鳴っています。
 雷かと思い少し外に出てみましたが、風も無いし、空も星空で綺麗…
自衛隊演習→こんな時間に?ですかね…?

 

2013年01月31日07:09
こちらは静岡県三島市
 一日中そのような音が発生してます。
 何処からかが不明です。

 

2013年01月31日11:25
西熱海ゴルフ場近くですが
北側から地鳴りのようなどーんという音と
窓が少し空振で揺れます。
 昨夜と今朝も。
 北側というと御殿場方向です。

 

2013年01月31日10:30
伊豆市です、やっぱ鳴ってますよね!?
ずしーんずしーんと響いてます。
 何なんなでしょう 怖いです。

 

2013年01月31日10:52
30日夜から確かにずっと聞こえてますね。
 情報をまとめると伊豆市〜沼津〜熱海で聞こえる。
 富士宮では聞こえない。

 御殿場の方などではどうなのでしょう?

東海地震の予測震源域は県西部なので多分違うとは思うのですが。
 予測があたるとも限らないですしね。

ちょっと大雑把ですが・・・地図に書いてみました。
 赤丸が音の聞こえる範囲。
 青丸が東海地震の予想震源域です。

http://jisbbs.com/nodes/id1945.html

 

ヤフー知恵袋 2012

神奈川県西部(小田原付近)に在住しているんですが、雨も降っていないのに雷のよう...

******さん
2012/1/3021:55:28 

神奈川県西部(小田原付近)に在住しているんですが、雨も降っていないのに雷のような地響きが聞こえます。
 調べたところによると富士山付近に自衛隊の訓練場があるとのことでした。
しかし夜でも聞こえます。

これは本当に自衛隊の訓練の音なのでしょうか?
なんだか地震と関連してないか不安です…


******さん
2012/2/208:30:14

最近、地震が続いてますものね…
自分も神奈川西部ですが、毎日のように聞こえてくるので不安ばかりが募っています。
 今日も頻繁に鳴ってますね。

 先日伊豆の国市に行ったのですが、同じ音がもっと大きく聞こえました。
なので、厚木方面からの音とは考えにくいですよね。

 気にしすぎと笑われますが、非常袋を玄関に出してあります。
ゴーグルも買ってこようと思っています。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1280486252

 

伊豆の国市の別荘地に住む人のブログ 2010年

2010年8月29日 (日)
富士総合火力演習について

表記の演習が本日10:15~12:00の間、静岡県御殿場市東富士演習場(畑岡地区)に置いて実施されました。

我が家は伊豆の国市の山の中にありますが、開放部が富士山方向に向けて建っていることと標高の関係で射撃練習の際の音は遮るモノがないので相当の振動で伝わって来ます。

尤もこの演習に限らず、常にその騒音と振動は伝わって来ますが、今日は矢張り量的なモノの所為か一段と激しかったです。

我が家ですらこう言う状態なので近場の方で地理的な条件が合ったお宅はそれはそれは大変でしょう。

http://am-izu.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-878f.html

「この演習に限らず、常にその騒音と振動は伝わって来ますが、」とあるので、やはり以前から騒音が1年中ある地域なんじゃないかと。

他にも検索をすると、2009年にはすでに同様の書き込みが多数ありました。

これは静岡県東富士演習場が完成していた時代(明治時代)から、あるいは現在のジェット旅客機の航空路が静岡県上空に定まった1960年台以降から、すでに聞こえていたんではないかと。

 

神奈川県の自治体の公式見解どーん

神奈川県伊勢原市役所 よくある質問


断続的な地鳴りのような重低音について
公開日 2014年12月26日

 

市内において断続的な地鳴りのような重低音や微小な振動が感じられることがあります。

これらについては、自然現象によるもののほか、防衛省自衛隊東富士演習場等において行われる訓練に由来するものであると思われます。

地鳴りのような重低音や微振動が断続的に続くときは、同演習場等における訓練に由来するものである可能性があるため、冷静な対応をお願いいたします。

なお、東富士演習場静岡県御殿場市)において行われる「大きな音のする可能性のある訓練等の予定」については、防衛省自衛隊 富士学校のホームページ内演習場情報から御確認いただくことができます。

また、大山を含む丹沢山地は、約1,700万年前、太平洋の海底火山として誕生し、約100万年前の伊豆半島の衝突により隆起と侵食が起こり、その原形が作られたもので、活火山(概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山)ではありません。

http://www.city.isehara.kanagawa.jp/faq/2014122600015/

  

箱根山周辺というのは、自衛隊の爆音、飛行機の爆音、自然現象の爆音、いろいろなものが入り混じった騒音が届く地域、というのは自治体でも理解があり。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でもどーんは、

飛行機が上空を通過するときの衝撃波が山にぶつかる音どーん

 これが原因としては、一因にあると思うのですよね。f:id:kl117cr233:20170702153929j:plain

FlightRadar24より

 

静岡県は航空路ですよ。

飛行機が通過するときに、衝撃波が山肌にあたって、どーんという音が出るんではないかという仮説ですが。

2011年の時点で、夜間や深夜にドーンと聞こえていることがあると書き込みありますし。飛行機の音だって言ってる人いましたし。↓

2011/5/2508:10:06
私も気になっていました。
 昨日は遠くで雷?とも思いましたが、午後晴れても鳴っているし、自衛隊?にしても、夕方6時過ぎてもなっているし・・・。
 今も聞こえています。ドーン、ドーンと・・・。
 気になりだすと余計ですよね。
 何の音なのかわかれば安心なのですが・・・。
 
*****さん
2011/5/2523:39:22
しばらく前から聞こえています。
 飛行機が上空を通過するときのような音ですよね?
 昼間はわかりませんが、夜中はずっと聞こえています。

ちなみに私の住まいは富士市の南部です。
 音は南の方から聞こえます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463003034

深夜のどーんや雷のような引きずる音・・・これは上空を頻繁に行き交う飛行機が原因。ジェット旅客機は、天候によって色んな音を出すようですね、とくに山に衝撃がぶつかり跳ね返るこの地域では。

専門家は知らないようなので、航空機による未知の現象ですね。

 

それの証拠映像が最初にアップした動画なんですけど、聞き取りにくい。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これは昔からある音なのに。どーん

 

なんで近隣は過剰反応をし始めたのか。

なんで俺のせいにしてぶっ叩いたり、嫌がらせをするのか。

やっぱアレか、ミッションなのか。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

関連記事

富士山の別名がハラミ山だったことから分かる仏教思想の影響

俺じゃないのに俺のせい -

山間部に響き渡るドーンという爆発音の正体はジェット旅客機のソニックブームなのか

近所の子供が十数年間も不快なほど叫び続けた相手はほとんど飛行機だった

 

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崇神天皇陵と投入堂の間に横たわる退っ引きならない秘密

近頃なにかと話題になっているのが、鳥取県投入堂

世界で異彩を放っている建物ランキングがあったら、上位に入ってくるんじゃないかと。

f:id:kl117cr233:20170626171808j:plain

投入堂 - Wikipedia

 

投入堂(なげいれどう)は、鳥取県三朝町にある三徳山三仏寺の奥院。山の断崖の窪みに建造された平安時代の懸造り(かけづくり)木製堂で、三仏寺の開祖とされる役小角蔵王権現などを祀った仏堂を法力で山に投げ入れたという言い伝えから「投入堂」と呼ばれる[1]。平安密教建築の数少ない遺構であり[1]、国宝に指定されている。

投入堂 - wikipedia

役小角(えんのおづぬ)が開祖だとのことで、この人は日本中を法力で飛び回ったという伝説の持ち主で、日本のあちこちの山を信仰の山に変えた張本人だとか。

 

似たタイプの断崖の穴の中の建築物としては、福岡東峰村の岩屋神社。断崖の穴の中にすっぽり入っていて、高床式なところも似てるんですよね。 

ほか、ただ断崖に造られているだけな感じで、佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社京都市清水寺、千葉県館山の崖観音、千葉県長生郡の笠森寺みたいなのが有名所。

そういえばこの近所は、この家も含めて別荘の高床式タイプが多いです。

 

最近の投入堂ニュース

 

投入堂は最近になり話題を提供していました。

 

2017年3月21日

三仏寺投入堂、地震で損なわれた参拝道の復興決定 わずか数日でクラウドファンディング成功 - ねとらぼ

 

2017年4月16日

絶壁の国宝「投入堂」への参道再開…鳥取地震で亀裂、ネット浄財で整備 鳥取・三朝

 

2017年6月18日

日本遺産・山陰の「物語」の世界へ鳥取編 大山牛馬市・癒しの三朝 | トラベルニュースat「今すぐにでも出たくなる旅」山陰鳥取特集

 

 どうやら昨年2016年に鳥取で起きた鳥取県中部地震の影響で、投入堂も倒壊危機だったところ、今年春になり修復が完了したとか。

・・・・・・そういえば俺がこの高床式の家を購入、リフォームして、移り住んだ時期と妙に重なってるのは気のせいですか。

2016年10月21日 鳥取県中部地震投入堂の参道破損で参拝が禁止に

2016年10月   埼玉でいまの静岡の家(高床式)に興味を持つ

2017年12月   静岡の家を購入、リフォームも決定

2017年4月15日 静岡の家のリフォーム完成

2017年4月18日 投入堂の新しい参道が完成、参拝再開

2017年4月20日 静岡の家に移住

まあ気のせいですよね。役小角(えんのおづぬ)とか・・・。

あ、最近噴火して地震も発生してる御嶽山も、役小角が702年に開山したのだとか。

御嶽山 - Wikipedia

 

御嶽山といえば国常立命を祀っている山で、御嶽山の山頂にあった白川大神の石像の首が吹っ飛んだことで話題になってました。

そういえば、御嶽山って、5,000年前に噴火をして以降は長らく休止していたのに、俺が生まれた後に噴火してるんですね。

1977年1月 俺が生まれてすいません

1979年10月 御嶽山5,000年ぶり大規模噴火してすいません

2014年9月 大規模噴火で白川大神の首が飛んですいません

2017年6月 俺が最大級にイラついたら御嶽山ふもとの王滝村で震度5強

・・・投入堂の話に戻ります。

そんな俺と関連づいているみたいな気がするだけの投入堂ですが、やっぱり関連づいてました。

 

崇神天皇投入堂の関係

 

前方後円墳の中心軸の前後に、被葬者の名前に関係する遺跡があるというレイラインの仕組みに気づいたのが2010年頃だったかと思います。個人的に前方後円墳矢印説といってブログに発表していました。

ところが1980年代にすでに「前方向法則」という名で歴史作家の井上赳夫氏が発表をしていたと教えられました。この井上氏の仮説は、現在では全く相手にされないもので、死仮説となっていたのですが、なんとなく思いつきで調べているうちに井上氏と同じところに到達していたのでした。

崇神天皇関係の本を書いたのが2012年のことです。その後色々研究をして、また 出版しようとしたら上手く行かず。でまさかの両親とも揃って他界するという展開により、ますます続編は遠くなり、今日に至りますが研究はしていました。

 

崇神天皇陵と投入堂の関係については最近になり気づいたことです。

崇神天皇陵とはこんな形をしていて、中心軸は西北方面から南東方面に向かっています。

f:id:kl117cr233:20170627202655j:plain

 

このラインを び~っと引っ張っていくと、こんな感じになるのです。

f:id:kl117cr233:20170627193958j:plain

寸分も狂いなく、投入堂が建っているということでした。

何の関係があるの?って感じですが、この崇神天皇陵と投入堂がどんなふうに結びついているのか、互いの情報を比較すると見えてくるものがあります。

 

崇神天皇

諡号「御眞木入日子印恵命みまきいりひこいにえのみこと古事記

・御眞木=みまき=三真木

・入

・神(崇神天皇=漢風諡号

 

投入堂

・三朝町

三徳山三仏寺投入堂

・三輪氏(役小角)による開山

蔵王権現=三尊(釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩

・入 

・神(役小角諡号神変大菩薩

三徳山三仏寺投入堂は、三徳山という山の断崖に建てられています。 

要するに神の諡号を持つ役小角=三輪氏が建てた、蔵王権現三尊を祀る、三朝町の三徳山三仏寺投入堂の漢数字の「三」と「入」と「神」が、崇神天皇諡号に合致してくるんです。

 

さらに崇神天皇陵から西北へと伸びているライン、これはもう一つの意味合いを持っていました。

f:id:kl117cr233:20170627204023j:plain

崇神天皇陵からの延長線と、三徳山三仏寺に所属する複数の堂宇は、すべて平行する方角を意図して建てられていることが明らかだったのです。

これで投入堂を含む三仏が、崇神天皇陵に関係しているモニュメントである可能性が出てきたというワケです。

 

三仏寺の開山者は修験道の開祖である役小角で、この人は舒明天皇6年(634年)に大和国の生まれだそうです。一方の崇神天皇は私見によれば卑弥呼そのものであるので、実在年代は2世紀末から3世紀半ばということです。もし崇神天皇卑弥呼じゃなくても崇神天皇は同じ頃にいたと思います。

崇神天皇陵は崇神天皇の死後100年が経過した4世紀の建造物ですが、役小角が大和でものごころ付いた頃には、見る機会があったでしょうね。

きっとこの崇神天皇陵の「前方向法則」については、秘密の叡智を保持する三輪氏・賀茂氏の系統である役小角も学んでいて、その方角に三徳山三仏寺を開山したということはありうる話です。

役小角の後の平安時代に建てられた投入堂も、そんな崇神天皇陵との関連を示すために、入の一時を取り入れて、投入堂と命名したんではないかと。

あるいは投入堂役小角の頃、初期投入堂としてすでにあって、それは今は見る影もないというわけなの加茂しれないです。

 

まぁこれまでこんな真相があったのに知らなかった、投入堂の関係各位の皆様には、突然こんな無鉄砲をぶちまけて申し訳ないですが。

これも今後いつ完成するかわからない電子書籍に加えておきますね。

 

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<烏孫起源説>中国二十四史ではどうして倭だけ「倭人」と表記するのか

視線を感じて、ふと背後を見ると部屋に虫がいるみたいな、第六感の日常。

6月21日は豪雨。

今日は雨がスゴイなと思って、窓の外を見れば、ちょうど地面に何かモソモソと動く気配が。

今回はまさかのカニ・・・。

f:id:kl117cr233:20170621131318j:plain

キャッチして撮影。まるで歩く宝石みたいでかわいい。そしてリリース。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりに、天皇大和民族烏孫起源説で展開します。

 

三国志」は創作された物語のほうは漫画ではよく見てました。

一方で歴史書のほうの「三国志」、こちらは「魏志倭人伝」が含まれている、陳寿による書物のことです。

魏志倭人伝 - Wikipedia

日本人の歴史研究は、倭人伝ばっかりに囚われる傾向にあるとか。でもこれはあんまり良くない傾向で、何故かと言うと倭人シルクロード民族の吹き溜まり、ごった煮みたいなものだから。

 

魏志倭人伝」と言われるものは、正確には「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条」というらしいのですが、ここには倭=日本だけじゃなく、多数の国と民族が紹介されています。

烏丸、鮮卑、夫餘、高句麗、東沃沮、挹婁、濊、韓、倭人

というふうに、3世紀頃の東アジア諸国・諸民族がいました。

 

原文をみると、なぜか倭だけ「人」がくっついて倭人になっているのですね。

鮮卑人、高句麗人、韓人というふうには表記しないのに、なんで倭だけ倭人なのかは疑問に思うしか無いことでした。

 

さらに「三国志」に含まれる西域の諸国を見ればこんな感じ。

西域南道鄯善国(構成国:且志国、小宛国、精絶国、楼蘭国)
于寘国(構成国:戎盧国、拘弥国、渠勒国、穴山国、皮山国)
西域北道高昌国
焉耆国(構成国:尉梨国、危須国、山王国)
亀茲国(構成国:姑墨国、温宿国、尉頭国)
疏勒国(構成国:楨中国、莎車国、竭石国、渠沙国、西夜国、依耐国、満犁国、億若国、榆令国、損毒国、休脩国、琴国)
ジュンガル盆地からイリ地方車師後部王(構成国:東且弥国、西且弥国、単桓国、畢陸国、蒲陸国、烏貪国)
烏孫
ソグディアナからインド康居国
大宛国
月氏国(構成国:罽賓国、大夏国、高附国、天竺国)
臨児国
車離国(礼惟特、沛隸王)
盤越国(漢越王)
西アジアからヨーロッパ安息国(構成国:羅国)
條支国
烏弋国(排特)
大秦国(犁靬)(構成国:澤散王領、驢分王領、且蘭王領、賢督王領、汜復王領、于羅王領)

 

さらに「後漢書」を見るとこんな感じ。

巻85 東夷列伝 夫餘・挹婁・高句驪・東沃沮・濊・三韓・倭
巻86 南蛮西南夷列伝 南蛮・巴郡南郡蛮・板楯蛮夷・西南夷西南夷夜郎・滇・哀牢・邛都・莋都・冉駹・白馬氐
巻87 西羌伝 羌無弋爰劒・滇良・東號子麻奴・湟中月氏
巻88 西域伝 拘彌・於窴・西夜・子合・德若・條支・安息・大秦・大月氏・高附・天竺・東離・栗弋・厳・奄蔡・莎車・疏勒・焉耆・蒲類・移支・東且彌・車師
巻89 南匈奴列伝 南匈奴
巻90 烏桓鮮卑列伝 烏桓鮮卑

 

中国の歴史書二十四史を調べてみると、やはり「魏志倭人伝」の「倭人」という

ふうに「人」をくっつけている国名は他にないですね。「倭人」は特殊であるみたいです。

 

倭人に「人」が付く理由は? 

 

極めて短絡的にいえば、中国人は倭人を人間扱いしたんじゃないかって想像は、出てくるんじゃないかと。

中国は古来より四方八方の異民族を蛮夷として害獣扱いし、人間として見なかったわけなのです。そんな中で、陳寿から見て、唯一人間として見られたのが、倭人だったと。

だからあえて、人を付けて目立つようにしたのかもしれないです。

そもそも「倭」という文字には人編が付いているので、「人委人」みたいに、人に人を重ねてより人間らしいことが強調されているかの如く。

陳寿が殊更に倭人に対する傾倒した思いを抱いていたと、これも考えられることです。実は陳寿が倭系の人物なのではないか、という疑惑はあったのです。

実際「魏志」の記録をよむと、倭人伝はすごく丁寧に、全国の地名と地方の首長と副長の名前を、一人ひとり取り上げていたりします。こういった倭人伝の傾向は、他の東夷の諸国では見られない特徴でもありました。

 

倭人烏孫との関係

 

陳寿は魏呉蜀という三国の西側にあった、西域と呼ばれる中央アジア地域のことも、東夷の倭人のことも、同様に見識を深めている人でした。

魏の国の都だった洛陽の皇帝の宮殿には、しばしば倭人朝貢しに訪れていたし、地理志編纂者の陳寿は、東西南北の蛮夷と接する機会もあり、実際倭へ赴いていなくても、洛陽で倭人から話を聞く機会はありました。だからこそ魏志倭人伝も完成させることができたのだと想像します。

だから陳寿は、東西の民族の違いを見分ける目を持っていたので、倭人のなかに西域人が入り込んでいれば、きっとそれも気づいたに違いないです。

 

そこで陳寿は気づいてしまったのではないですかね。

倭人の中に烏孫の王族と民が入り込んでいることに。

その証拠が、「倭人」なnおかもしれないのですよ。これも勝手な想像ですが。

倭人 wa-zin

烏孫 wu-zon

こんなふうな感じで、名称を烏孫に合わせているがために、倭に「人」をくっつけて発音を似せて、倭の正体の示唆を与えてみたのではないかと。

 

倭人伝に登場してくる人物には、難升米をはじめとして、中央アジアに関係するのではないかと見られる人物が多数出てきます。

 

塞曹掾士張政

魏の帯方郡の武官です。塞曹掾士(さいそうえんし)張政(ちょうせい)という人が、倭の担当をしていました。

塞というのは中央アジアのサカの中国表記なのですよ。

なんで倭人との対応に、サカ人担当者が当てられたのかは、従来の考えではまったく説明できないことです。この人は塞(サカ)の言語を駆使できたと思われます。

倭人にサカ人担当官が当てられたのは、それなりに意味があったと考えたほうがいいです。

 

・難升米

難升米はナンショウマイとかナシメというのですが、最近気づいたのですが、この人は烏孫の末裔でした。なぜかというと、烏孫の昆莫の父親の名が「難兜靡」というからなのです。

難升米 nan-sho-mai
難兜靡 nan -tou-mi

 

・都市牛利

シギュウリ、トシゴリなんて読まれます。従来は倭人は変な名前を持ってたのだと言って、それでオシマイでした。でも中央アジアに関連付けて考えてみれば分かりまs。

これはタジグリと読みます。タジキスタンの都市、塔什庫爾干(タジュクルガン)のことです。タジクというのは中央アジアに、漢の時代からある地名でした

都-市-牛-利
塔-什-庫-爾(ru)

も~完全に一致。

 

・伊声耆

ここまで中央アジアが揃っているのだから、この人も中央アジア関係です。イセイキと読んで、お伊勢参りの伊勢行きなのかとおもいきや、これも烏孫でした。烏孫のあったキルギスには、この地域を代表する大きな湖「Issyk Kul」があるのですが、つまりこういうこと。

伊-声-耆
 i-ssy-k

 

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった  より

 

神武天皇綏靖天皇については。

(1)神武=昆莫、神=昆莫

 これは名前を比較すれば分かってくることですが。

昆莫 kun-mo(kuen-mo)

神武 kan-mu(神武をカンムと読んだ場合)

神  ka-mu(神武天皇諡号「神日本磐余彦(かむやまといわれびこ」)

 

 

第2代天皇綏靖天皇

諱(本名)は「日本書紀」によると「神渟名川耳」っていうのですよ。

古事記」では「神沼河耳」で、「かんぬなかわみみ」、「かむぬなかはみみ」。

 

この名前、烏孫の昆靡名(王名)にありました。

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

神渟名をカンジョウメイと音読みした場合、なんでこんなに似てるんですかね。。

「渟」は音読でジョウ。

 

さらに軍須靡には別名があって、「岑陬(ジンゾー・またはジンス/ジンシュ)」っていうのですが、これも神渟名川耳の中にちゃんとありました。

神渟 jin-jou

神沼 jin-sho

岑陬 jin -zou(jin-su/jin-shu)

神渟でも神沼でも、岑陬と一致させることができるんです。こんな偶然は無いんじゃないかと。つまり必然なんじゃないかと。

 

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

 

こうした天皇大和民族と、烏孫の間に見られる明らかな一致については、膨大に見つけていきました。過去記事で取り上げていたので、それを見ればよく分かると思います。

 

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第2代綏靖天皇と、烏孫の軍須靡の名が似すぎている件

 

だから中央アジアの西域と、東アジアの東夷を知り尽くした陳寿が、倭人という国名により烏孫が関連付けていたとして、不思議はないです。自分の中では。

 

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