たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

烏孫 の検索結果:

キルギスと日本の神話が似通ってる件について考える

…らくキルギスにあった烏孫がその大元であり、烏孫には日本神話の原型があったんじゃないかと思うわけですが。 今回はキルギスと日本の神話比較から、真相に迫ってみようかと。 創造神ジャラトカンと国常立神 Genesis creation narrative - Wikipedia ジャラトカンはキルギスで最も重要な神さまだったとか。 キルギス族の神話において,宇宙とその中の万物を創造し,作成した者は「ジャラトカン」と言い,かれは人間以前に宇宙を創造し,その後に天,地,コイカプの万物を…

古代の大陸と日本列島を照らし合わせてしまった妄想地図の最新版

…tango(京都) 烏孫wusun 宇治uzi(京都) 烏孫wusun 宇陀uda(奈良) イシクisyk 磯城siki(奈良) アショカ王ashoka 飛鳥asuka(奈良) タジクtajik 但馬tajima(京都) 仏教・仏陀 仏教・仏陀の山々(奈良・和歌山) 西域・烏孫 磯輪上の秀真国(しわかみのほつまのくに) アフ・エフaf,ef 淡路awaji トハリスタンtohari 針間harima(兵庫) そして京都と言う名も、なにか匈奴とかけ合わせてる感じがしました。 そ…

古代に三輪山の大物主神になったらしき崑崙山の西王母

…和民族は、崑崙を経て烏孫を経て、サカ人と月氏人を引き連れ、倭に入り込んだといった感じで。 あと、大物主が蛇神で医療の神で、アスクレピオスの杖みたいな感じがしましたね。結局は中央アジアや西域あたり、ギリシャ人やら景教徒やらが入り込んだ地域だから、当然ちゃ当然な感じだったんではないかと。 秦の始皇帝が神仙思想の崇拝者で、不老長寿の仙薬を求めて倭に調査の移民を送ったのでしたが。始皇帝が崇めたのも結局は仙界の王である西王母、大物主神だったんですかね。蟠桃園があるという崑崙も調べたんで…

「崑崙山と西王母の神仙思想」は奈良の三輪山周辺に秘められていた件

…方の天山山脈の付近は烏孫でしたが、4世紀頃になると弓月国があったのです。ここは景教徒(ネストリウス派キリスト教)の国でした。 新羅や百済から渡来したという秦氏は、弓月国から来たと言ってます。これ、百済から来たという意味ではなくて、天山山脈の弓月国の方だと思っています。 それで奈良盆地のほう見てみると、やっぱり三輪山のすぐ北のところに、弓月ヶ岳があるんですよね。ここが弓月国と鏡合わせになってる証拠です。 ・烏孫 そして以前にもお伝えしましたが、奈良盆地とは烏孫の居場所をも示して…

天岩戸神話の根源にはパミール高原や崑崙山が関係していることの証明

…イシクのようなので、烏孫人かと。慕士塔格山の鉄を使って矛を作った武器職人かと。 豊玉神(とよたまのかみ) 名前が龍宮城の豊玉姫(乙姫)と同じなので、同一の神とも言われています。系図をみると、神武天皇の祖母にあたります。 玉なので玉の産出地である崑崙やタリム盆地を現すのかと。豊玉を別の読みにすれば「ホータマ」なので、やはりタリム盆地のホータンを現している感じ。 山雷神(やまつち) パミール高原には前漢時代に無雷国があったのです。無雷出身のかたであるかと。 野槌神(のづち):鹿屋…

【日ユ同祖論】「大陸のヤマト地図」の検証。歴史作家の推定移動ルートに照らし合わせる

…ますが、ここらへんは烏孫だったと思われます。烏孫の昆莫は神武天皇と共通点が非常に多いことは、過去に記事にしていました 神武東征ことイスラエル王の到達地点が烏孫で、神武天皇の物語烏孫の昆莫の物語だろうと、想像するのですが。 イスラエルから烏孫までが、神武東征の日向から奈良までの経路と同じだと思っています。「古事記」など見ると奈良のあたりに烏孫のような地名が多くなっているのも、これを表すと考えていました。 パミール高原のあたりに烏孫の前衛国とみられる「難兜」がありました。烏孫の始…

平氏は吐火羅(トカラ)に起源があったかもしれない。文字と照玉姫から導かれる平氏のトカラ起源説

…シアでいうと、西域と烏孫に対応されたと見ています。 すると奈良の桓武平氏がまず関東の坂東平氏を立ち上げた理由も、説明がつくことです。トカラ系の移民が大陸の奈良と対応する西域から、東の日本に移動したことを、日本列島での移動で表しているのだろうと。 日本書紀には、西暦645年、吐火羅国から舎衛など数人が、日本に渡来した記録があるのですが。 作家のなかには、舎衛という人はペルシャの王族であっったと解釈する人もいます。トカラは一説に月氏系といわれ、月氏はペルシャからの流れがあるともい…

トート・ヘルメスを意図したらしき倭迹迹日百襲姫命

…に個人的には卑弥呼は烏孫から東漸した皇族で扶余生まれかもしれないと考えてきましたが。詳しくは過去記事で。 (5)名前 じつは倭迹迹日百襲姫命と、トート、ヘルメスの名前自体が、明らかな相似点を持ってました。 t-t tho-to トート to-to 迹迹 h-m-s her-me-s ヘルメス hi-mo-so 日百襲(倭迹迹日百襲姫命) hi-mi-ko 卑弥呼 hi-mi-tsu 秘密 これは太陽神天照大神の別名とされる、オオヒルメもそうですが。 oh-hiru-me オオ…

古代にあった真番辰国は日本に通じるという話

… これは過去記事で「烏孫(wu-zon)-倭人(wa-zin)」にかけ合わせたものと解釈したのですが、「倭+辰の関係を含ます」意味があるのかと。「倭辰→倭人」としているのかと。いう妄想もでました。 辰や真番はジッポンになったか 日本の名の由来については、「旧唐書」に「倭の名を憎み、日の本にあるから日本とした」みたいな取って付けた話があります。 日本いまはニッポンですか、古代の当初には「ジッポン」の読みだったという説があるんですよ。 これは13世紀のベネチアの商人マルコ・ポーロ…

天津甕星は戦いの神マールスと同源だったか

…ら渡ってきた人々が、言語や風習とともに持ち込んだ。弥生人と言われるが、実態は西洋系もいたに違いないので。 古代中国の漢には、古代ローマ人が作った街もあったし、チベットの月氏はイラン系、新疆の烏孫はおそらく古代イスラエル系+ギリシャ系だった。倭人も同様だったのではないかと。 ユーラシアを東漸する過程の長い年月で、ほとんど人種が入れ替わってしまい、古代欧州の神話や風習や伝承だけが、倭人に伝えられてきているというのは、天津甕星の伝承に限った話ではないようです。 人気ブログランキング

【出雲御免】 出雲大社の八雲の図と国引き神話から見えてくる穢貊の影

…つつ東進して、西域の烏孫、月氏、匈奴がうまれ、東の扶余、高句麗などを巻き込みながら、数百年かけて中東的な文化は踏襲しながら、だんだん東洋人的な割合を高めながら、東へ移動したというのは当たってる話なのです。 だから日本人の遺伝子しらべても、中央アジアより西側の遺伝子はなかなか出てこなかったりするのも当然かと。 すると八雲之図についても、鮮やかな仏教壁画の絵柄が中央アジアで彼らの中に取り入れられ、移動とともに満州の東夷の穢貊や沃沮にも入り、やがて海を隔てた倭の出雲まで至った。 だ…

邪馬台・大和の名は烏孫を改造したものが起源だった説

久しぶりに、烏孫関係で閃いたので、いちおまとめておきます。 このブログではたびたび日本の烏孫起源説をとりあげてまして、記事数もかなり多いです。一冊本が書けそう。 しかし最近はいいこともあるとは言え、貧乏だわ、ウソみたいな奇妙な出来事はありすぎるわ、頻繁にイライラさせられるで、人生がひどいのは相変わらず。 全てボクチンが悪いのだろうか。 ○いつも助かっております var nend_params = {"media":70381,"site":356601,"spot":1057…

尽、次、突、作、時・・・月の名の由来考

…)は餅に通じ、それが「うさぎの餅つき」に通じるといった具合に。 とすると古代の倭では、月にはmoonみたいな名前もあって、それが今では物=monoの中に集合されて隠されてるのかと思う。 天皇家が烏孫からの流れを組む、八咫烏に守護された人々であったので金烏。歴史上で当初から天皇家の守護者となっていた物部氏。 物が月なら、物部氏は東トルキスタンの地域で烏孫に寄り添った月氏に該当するのではないかと。想像するだけですが。 関連記事・ウンサンギガは月に居るか - たっちゃんの古代史とか

大嘘鳥が証明する、古代ギリシア~烏孫~日本の繋がり

…よりお菓子作りから、烏孫が日本の前身であるとの信じがたいお話まで展開してきました、このブログ。 今回は真っ黒けなカラスについて、思うところがありました。隣のおばさんにイジメられつつ、ちょっと短めにまとめています。 ○いつも助かっております var nend_params = {"media":70381,"site":356601,"spot":1057984,"type":1,"oriented":1}; 日本のカラスの語源は古代ギリシアにあったか 八咫烏 - Wikipe…

親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係

…いう名前は、明らかに烏孫王、難兜靡の名を受け継いでました。 都市牛利はタジキスタン人の住むタシュクルガンの古名、塔什庫爾干を元にしてる印象を受けます。 難升米 nan-sho-bei 難兜靡 nan-to-bi(烏孫の王) 都市牛利 to-shi-gyu-ri 塔什庫爾干 ta-shi-ku‐ru-gan(タジキスタン人の街) そういうことなのではないかと。 以前の記事 ・中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ この烏孫とタシュクルガンは中国の新疆ウイ…

イライラの語源はイラ、アバヨの語源はアベオだった。古代日本語に古典ラテン語が含まれている件

…れに乗って、ひとまず烏孫や月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。 さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。 彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国に流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・日本語は…

アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか

…。倭に入ってきている烏孫系や月氏系には、東征したバクトリア(ギリシア北部)のアレクサンドロス大王の軍団の子孫のギリシア系や、インドグリーク王朝の子孫が含まれたのだから。 古代佐賀の吉野ヶ里遺跡 一方で佐賀の吉野ヶ里遺跡ですが。最近劣化したとか言われてる、グーグルマップで航空写真をみました。ここは近年も遺跡の範囲が拡大していて、遺跡公園の拡張工事中らしいです。 それでグーグルマップの3D仕様や国土地理院地図のほうで拝見すると、この吉野ヶ里遺跡は高台にあることがわかったりします。…

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

…F-8C 八色の姓と烏孫と西域諸国 さて、前回の記事のとおり、真人が秦人に掛けている言葉なのは、個人的には確実視するのです。それは天武天皇が秦の始皇帝と道教の信奉者だったから。 もうひとつ、真人のあとに来る朝臣が、強烈な示唆を含むことがわかるのですが。 それは、朝臣と呼ばれている姓。 これがどうも、「烏孫」を元にしている言葉であるのではないかと。 何故かと言うと、真人が秦人ならば、国名を列記していておかしくないなと考えたからです。それは秦より西側の西域諸国が殆どを占める感じが…

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話

…天武天皇の道教崇拝と諡号のナゾは、真実に近いのではといった予感を受けました。・・・自己満足的ですが。 加治木さんといえば、著書のなかで烏孫起源説に言及している数少ない作家の一人です。天皇が烏孫から来ていると言う著書を出しているのは栗本慎一郎さん、卑弥呼が烏孫から来ていると書いているのが加治木さんです。 と、ここで話を終わらせても良かったのです。でも天武天皇の制定した八色の姓の真相は、もっと別のところにあったのではと、気づいたので次回に続けることにします。 人気ブログランキング

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

…つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。 「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか 烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。 烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経緯度的には日本と何ら接点はないようですが。…

「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

…の成果でした。いずれ烏孫起源説の電子書籍に使おうと思ってましたが、なんか無理そうです。 個人的な見解は既に過去の記事でも書いてますが。 bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。 ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひ…

ハツクニシラススメラミコトの極秘情報

…ブログでは神武天皇と烏孫の昆莫を同一視しているのですが。 すると海を渡った天皇で神がつく、神功皇后(元天皇扱い)と、その皇子の誉田別命(応神天皇)が、何故ハツクニシラススメラミコトじゃないのかという疑問に当たりました。強大な統治者だったら、みんなハツクニシラススメラミコトになれるってわけでもなかったようですね。 崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解 記紀伝承にある通りだとすると、崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解でした。 ハツクニシラススメラミコト=「建国者…

ウンサンギガは月に居るか

…ならないようです。 烏孫と月氏 古代に東トルキスタン地域で、ウサと月が合わさっていました。 烏孫と月氏。この2国は常に隣り合わせな関係でしたので。 月氏を月とするなら、烏孫は臼で、月のウサギが餅つきをするという話は、もしかして烏孫と月氏のことではと考えたりしました。 ウサギとウンサンギガ 月の神ナンナを崇めたシュメール人ですが、彼らは自らをこう呼び表しました。 ウンサンギガ ウンサンギガ・・・ウサギガ・・・ ウサギか!\(^o^)/ シュメール人がウサギみたいなウンサンギガだ…

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明

…いですけど。 亀茲は烏孫から妻を娶ったので、当初は烏孫と親しく、漢とも友好的でした。 西暦6世紀の頃、もしタリム盆地の亀茲人が、消毒しながら東へ行けば、数ヶ月~1年で倭まで到達していたんではないかと。 13世紀のマルコポーロは、イタリアのヴェネチアを出発して、わずか3年半でモンゴル帝国の夏の首都である上都(張家口市、北京の隣)まで達していました。6世紀と13世紀のシルクロードの交通手段が、そんな大きく変わるものだと思えません。 聖徳太子は、そんな亀茲から出発して、6世紀の日本…

欠史八代の孝元天皇「大日本根子彦国牽」が牽牛と高句麗の名を持ってた

…史八代が中央アジアの烏孫の昆莫王から出た後、1~2世紀頃に東アジアの東夷(扶余・高句麗・半島)の土地を通って、倭に移ってきたことを書いてました。 同時に崇神天皇が卑弥呼と同一人物であり、朝鮮半島の倭から九州に渡ってきたということも書いていました。 いわゆるトンデモ本で良いわけなのですが。近頃はなんか、トンデモのほうが真実だったと、明らかになってきてるらしいですね。 これは日ユ同祖論とか、天皇の大陸起源説で、ユーラシア大陸を超えてきたという発想を理解できる立人なら、納得できる話…

むかしの烏孫人は倭人と似た衣服を身につけていた

…も助かっております 烏孫の衣服は日本の古墳時代に似てるものがあったようで 中国人が復元した烏孫人の衣服は、なにか中国風というか、インディアン風な印象もあったのですが。 下の画像のように、本来に近い復元がされている場合もあるようでした。衣に、袴といったスタイル。 https://kknews.cc/history/ombpqkm.html 烏孫に隣接したソグディアナ、サマルカンドなどの壁画を見ると、中央アジアは概ね、こんな格好だったとか。 サマルカンド 壁画 - Google …

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

…てみました。 あとは烏孫の昆莫一家とビシケク、神武天皇の3者の名前比較ですね。このへんもやっとこうかと。 (タバラット)TAVARAT 日本製 マフラー 【 マルチストライプ リバーシブル ウール混 メンズ 】 TAV-010 ニギハヤヒに対応するのがクルマンベック・ハン ビシケクの物語をみると、最初のキルギスの王様として、クルマンベック・ハンなる人物が登場しています。最初の王様ですが、いつの間にかビシケクのほうに王位が移っているのですね。 いっぽう神武天皇の前には、大和にニ…

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

…情報を持ち込んだ この辺は知りたいところです。 実はそこには、烏孫が深く関係していました。そしてこのキルギスの高貴な一家を記録していたのは、キルギス人だけじゃなく、漢人も記録してたみたいなのです。 このへんの答えは次回に。 関連記事 ちなみに古代イスラエル・ユダの神武天皇の名前については、こちらの記事。 ・(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた キルギスの関連記事はこちら ・キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか 人気ブログランキング

紀元前の倭人は「なまず人」だった。出雲の大国主=大なまずの国だったからだ、と納得してたら古代エジプトに繋がる

…のナルメル王の流れを組む人々が、大国主王権を誕生させて、それが東鯷人とよばれる王国で20余りに分かれていたと、そう読み解けるわけなのですが。 まぁ、これだけじゃないんですけどね。 関連記事 ・「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか ・出雲国の日ユ同祖論を境界線で解いてみた ・電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(下)第7章を試し読み2と3 ・むかしむかしあるところに大国主命が3人以上いました~烏孫と出雲に居た大国主命~ 人気ブログランキング

そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

…がり ・神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる こんな関連記事がありました。 と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。 古代に「唸り」は犬のことだったか もう一つ気づいたことがありました。 よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。 実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛…