たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

烏孫 の検索結果:

尽、次、突、作、時・・・月の名の由来考

…に。 とすると古代の倭では、月にはmoonみたいな名前もあって、それが今では物=monoの中に集合されて隠されてるのかと思う。 天皇家が烏孫からの流れを組む、八咫烏に守護された人々であったので金烏。歴史上で当初から天皇家の守護者となっていた物部氏。 物が月なら、物部氏は東トルキスタンの地域で烏孫に寄り添った月氏に該当するのではないかと。想像するだけですが。 関連記事・ウンサンギガは月に居るか - たっちゃんの古代史とか にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

大嘘鳥が証明する、古代ギリシア~烏孫~日本の繋がり

…よりお菓子作りから、烏孫が日本の前身であるとの信じがたいお話まで展開してきました、このブログ。 今回は真っ黒けなカラスについて、思うところがありました。隣のおばさんにイジメられつつ、ちょっと短めにまとめています。 日本のカラスの語源は古代ギリシアにあったか 八咫烏 - Wikipedia その昔タリム盆地のそばで名を馳せていた、騎馬民族国家の烏孫。その名を見れば、「カラスの孫」みたいな直訳、してしまうじゃないですか。 これ、たぶん烏孫に伝わっていた神話を元にした国名かとは、思…

親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係

…いう名前は、明らかに烏孫王、難兜靡の名を受け継いでました。 都市牛利はタジキスタン人の住むタシュクルガンの古名、塔什庫爾干を元にしてる印象を受けます。 難升米 nan-sho-bei 難兜靡 nan-to-bi(烏孫の王) 都市牛利 to-shi-gyu-ri 塔什庫爾干 ta-shi-ku‐ru-gan(タジキスタン人の街) そういうことなのではないかと。 以前の記事 ・中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ この烏孫とタシュクルガンは中国の新疆ウイ…

イライラの語源はイラ、アバヨの語源はアベオだった。古代日本語に古典ラテン語が含まれている件

…れに乗って、ひとまず烏孫や月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。 さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。 彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国に流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・日本語は…

アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか

…。倭に入ってきている烏孫系や月氏系には、東征したバクトリア(ギリシア北部)のアレクサンドロス大王の軍団の子孫のギリシア系や、インドグリーク王朝の子孫が含まれたのだから。 古代佐賀の吉野ヶ里遺跡 一方で佐賀の吉野ヶ里遺跡ですが。最近劣化したとか言われてる、グーグルマップで航空写真をみました。ここは近年も遺跡の範囲が拡大していて、遺跡公園の拡張工事中らしいです。 それでグーグルマップの3D仕様や国土地理院地図のほうで拝見すると、この吉野ヶ里遺跡は高台にあることがわかったりします。…

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

…F-8C 八色の姓と烏孫と西域諸国 さて、前回の記事のとおり、真人が秦人に掛けている言葉なのは、個人的には確実視するのです。それは天武天皇が秦の始皇帝と道教の信奉者だったから。 もうひとつ、真人のあとに来る朝臣が、強烈な示唆を含むことがわかるのですが。 それは、朝臣と呼ばれている姓。 これがどうも、「烏孫」を元にしている言葉であるのではないかと。 何故かと言うと、真人が秦人ならば、国名を列記していておかしくないなと考えたからです。それは秦より西側の西域諸国が殆どを占める感じが…

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話

…実に近いのではといった予感を受けました。・・・自己満足的ですが。 加治木さんといえば、著書のなかで烏孫起源説に言及している数少ない作家の一人です。天皇が烏孫から来ていると言う著書を出しているのは栗本慎一郎さん、卑弥呼が烏孫から来ていると書いているのが加治木さんです。 と、ここで話を終わらせても良かったのです。でも天武天皇の制定した八色の姓の真相は、もっと別のところにあったのではと、気づいたので次回に続けることにします。 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

…つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。 「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか 烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。 烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経緯度的には日本と何ら接点はないようですが。…

「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

…の成果でした。いずれ烏孫起源説の電子書籍に使おうと思ってましたが、なんか無理そうです。 個人的な見解は既に過去の記事でも書いてますが。 bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。 ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひ…

ハツクニシラススメラミコトの極秘情報

…ブログでは神武天皇と烏孫の昆莫を同一視しているのですが。 すると海を渡った天皇で神がつく、神功皇后(元天皇扱い)と、その皇子の誉田別命(応神天皇)が、何故ハツクニシラススメラミコトじゃないのかという疑問に当たりました。強大な統治者だったら、みんなハツクニシラススメラミコトになれるってわけでもなかったようですね。 崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解 記紀伝承にある通りだとすると、崇神天皇のハツクニシラススメラミコトは不可解でした。 ハツクニシラススメラミコト=「建国者…

ウンサンギガは月に居るか

…ならないようです。 烏孫と月氏 古代に東トルキスタン地域で、ウサと月が合わさっていました。 烏孫と月氏。この2国は常に隣り合わせな関係でしたので。 月氏を月とするなら、烏孫は臼で、月のウサギが餅つきをするという話は、もしかして烏孫と月氏のことではと考えたりしました。 ウサギとウンサンギガ 月の神ナンナを崇めたシュメール人ですが、彼らは自らをこう呼び表しました。 ウンサンギガ ウンサンギガ・・・ウサギガ・・・ ウサギか!\(^o^)/ シュメール人がウサギみたいなウンサンギガだ…

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明

…いですけど。 亀茲は烏孫から妻を娶ったので、当初は烏孫と親しく、漢とも友好的でした。 西暦6世紀の頃、もしタリム盆地の亀茲人が、消毒しながら東へ行けば、数ヶ月~1年で倭まで到達していたんではないかと。 13世紀のマルコポーロは、イタリアのヴェネチアを出発して、わずか3年半でモンゴル帝国の夏の首都である上都(張家口市、北京の隣)まで達していました。6世紀と13世紀のシルクロードの交通手段が、そんな大きく変わるものだと思えません。 聖徳太子は、そんな亀茲から出発して、6世紀の日本…

欠史八代の孝元天皇「大日本根子彦国牽」が牽牛と高句麗の名を持ってた

…史八代が中央アジアの烏孫の昆莫王から出た後、1~2世紀頃に東アジアの東夷(扶余・高句麗・半島)の土地を通って、倭に移ってきたことを書いてました。 同時に崇神天皇が卑弥呼と同一人物であり、朝鮮半島の倭から九州に渡ってきたということも書いていました。 いわゆるトンデモ本で良いわけなのですが。近頃はなんか、トンデモのほうが真実だったと、明らかになってきてるらしいですね。 これは日ユ同祖論とか、天皇の大陸起源説で、ユーラシア大陸を超えてきたという発想を理解できる立人なら、納得できる話…

むかしの烏孫人は倭人と似た衣服を身につけていた

…・・・・・・・・・ 烏孫の衣服は日本の古墳時代に似てるものがあったようで 中国人が復元した烏孫人の衣服は、なにか中国風というか、インディアン風な印象もあったのですが。 下の画像のように、本来に近い復元がされている場合もあるようでした。衣に、袴といったスタイル。 https://kknews.cc/history/ombpqkm.html 烏孫に隣接したソグディアナ、サマルカンドなどの壁画を見ると、中央アジアは概ね、こんな格好だったとか。 サマルカンド 壁画 - Google …

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

…てみました。 あとは烏孫の昆莫一家とビシケク、神武天皇の3者の名前比較ですね。このへんもやっとこうかと。 (タバラット)TAVARAT 日本製 マフラー 【 マルチストライプ リバーシブル ウール混 メンズ 】 TAV-010 ニギハヤヒに対応するのがクルマンベック・ハン ビシケクの物語をみると、最初のキルギスの王様として、クルマンベック・ハンなる人物が登場しています。最初の王様ですが、いつの間にかビシケクのほうに王位が移っているのですね。 いっぽう神武天皇の前には、大和にニ…

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

…ころです。 実はそこには、烏孫が深く関係していました。そしてこのキルギスの高貴な一家を記録していたのは、キルギス人だけじゃなく、漢人も記録してたみたいなのです。 このへんの答えは次回に。 関連記事 ちなみに古代イスラエル・ユダの神武天皇の名前については、こちらの記事。 ・(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた キルギスの関連記事はこちら ・キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

紀元前の倭人は「なまず人」だった。出雲の大国主=大なまずの国だったからだ、と納得してたら古代エジプトに繋がる

…主王権を誕生させて、それが東鯷人とよばれる王国で20余りに分かれていたと、そう読み解けるわけなのですが。 まぁ、これだけじゃないんですけどね。 関連記事 ・「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか ・出雲国の日ユ同祖論を境界線で解いてみた ・電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(下)第7章を試し読み2と3 ・むかしむかしあるところに大国主命が3人以上いました~烏孫と出雲に居た大国主命~ にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

…がり ・神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる こんな関連記事がありました。 と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。 古代に「唸り」は犬のことだったか もう一つ気づいたことがありました。 よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。 実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛…

電子書籍の新刊、やっとでました

…ズ」は、前方後円墳の真の役割など、当ブログで公表している歴史研究成果がテーマ。 1~2年のうちに5巻くらいまで出す予定です。と言っておいて、集ストに妨害をされまくったりして、余裕で2年遅れるのが俺ですが・・・。 既に出ている電子書籍も書き直します。その後も生きていれば、崇神天皇=卑弥呼の新刊、烏孫起源説の本も出る予定です。 人生で10冊以上本を出版が目的ですが、電子書籍ならなんとかなりそうですね。 気長に、お楽しみに。 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

崑崙山の西王母が日本と古代イスラエルを結びつける(日ユ同祖論)

…と、なぜか両方ともほぼ4200kmと同じ数字が表示されました。崑崙山はちょうど、条枝と倭国の中間地点にあったんですね。 この崑崙山の場所、歴史上ではチベットですが、崑崙山のすぐ北はタリム盆地で、西域とよばれる異民族の文化圏です。崑崙山の北東の敦煌は烏孫の本拠であり、タリム盆地は元々全域が月氏の土地、その北の天山山脈がサカ(塞)の土地でした。 今回はここまでにして、次回、西王母がいる場所が、崑崙山な理由も明らかにします。 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

百済が桃太郎の名を持っていることから導かれる道筋

…は扶余であり、遡って烏孫であり、さらに遡って中東から来ているというのは、要するに天皇と大和民族の大陸起源説は肯定してるわけなんですが・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それを証明する1つが「桃太郎」だった 以前に書いた記事。 ・桃太郎は卑弥呼にとって弟かそれとも分身か この記事を要約すると、 1・桃太郎は、皇族の吉備津彦、または倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫が男装した姿 2・桃太郎は、九州の天皇(卑弥呼)勢力が、鬼ヶ島(狗奴国)に攻めた話 3・桃太郎は、西の申(猿)…

<烏孫起源説>中国二十四史ではどうして倭だけ「倭人」と表記するのか

…に、天皇と大和民族の烏孫起源説で展開します。 「三国志」は創作された物語のほうは漫画ではよく見てました。 一方で歴史書のほうの「三国志」、こちらは「魏志倭人伝」が含まれている、陳寿による書物のことです。 魏志倭人伝 - Wikipedia 日本人の歴史研究は、倭人伝ばっかりに囚われる傾向にあるとか。でもこれはあんまり良くない傾向で、何故かと言うと倭人はシルクロード民族の吹き溜まり、ごった煮みたいなものだから。 「魏志倭人伝」と言われるものは、正確には「三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝…

福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

…ら。 ・神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる ・蕨 蕨は縄文時代からある植物で、倭人やアイヌの絵柄にもよく使われています。蕨文、蕨手文と言われます。これは倭固有ではなくて、エジプトや中央アジアでも古くから用いられたデザインで、蕨文の模様は古代から世界共通だったのですよ。 で、この壁画に描かれているのは、実際には蕨じゃなくて、中央アジアの国を表すものかもしれません。 渦はウズで突厥が烏孫を呼んだ音が「ウズ」だったので、2つのウズがあ…

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

…真ん中は中央アジアの烏孫や月氏を経て、東は扶余や呉や三韓を通って倭に到達したと考えていて、過去記事もこんなのがあります。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ この梶山古墳の地図というのは、妄想している経路とぴったり合うものなのではないかと。 西のミカドと輪(倭人)は、シルクロードを経て、東に移転しているんですよ。 それを2つの△と◎と魚の進行方向とシルクロードの地図で表した、っていうことです。 出発点となるのが西はエジプト、古代イスラエル王国、トル…

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

…、とくに中央アジアの烏孫の存在を匂わすヒントは、たしかに奈良盆地に残されていのですよ。 そして今回は、奈良盆地に「イシク湖」があった件について。 大和湖(奈良湖) その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆地には巨大な湖がありました。 それは歴史的には「大和湖」とか「奈良湖」と命名されているそうです。かなりマイナーな存在。 以前に作った地図があったと思い出して、探したら2012年の記事にあった。 古地名図(畿内編) 大和湖は関東地方でいえば、今は殆ど見る影も無くなっている「見…

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

…・・・・・・ ・C 烏孫の時代 バクトリア→難兜国→烏孫(月氏の土地)→烏孫(イシク湖) 紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。 昆莫 ・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみ…

アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

…代の頃までのことなのではないかと。 だから実は、日本のY染色体のD型には、1万年以上前からの縄文系D型と、弥生時代以降にキルギスや烏孫を含む中央アジアから入ったD型の、2種類がありました。両者は大きな時代差を経て日本列島で融合している、といっても同じD型なので、現時点で区別がついてないのかもしれないのでした。そんなことあるだろうか。 なんてい う、アイヌの古名から導かれた、俺の想像ですけれど。 世界史 ブログランキングへ にほんブログ村 ↑ペチっとお願いしますm(_ _)m。

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

…し→こし→腰 ・臍=烏孫 烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視 ・玉\(^o^)/) タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。 ・ちん◯\(^o^)/ 中国読みの秦(ちん)がちん。マラは不明。縄文語か。 ・女陰\(^o^)/ 「ほと」はホータン。 ・ひざ=波斯(ペルシア) 波斯→はし→ひさ→ひざ。ひじも。 ・腿=ペルシア むかし、中国では桃(もも)の起源をペルシアと言っていたんですよ。そうすると腿…

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

…スラエル・ユダ王国と烏孫の「形状」が、日本列島に投影されてたっていう話。あとアレクサンドロス大王に従軍した地中海系王族が、烏孫の昆莫の先祖であり、卑弥呼や天皇家の先祖だっっていう話。 倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 ほかにもあり。 ウガヤフキアエズの鵜戸神宮や、神武天皇の高千穂宮が、なぜ日向の国でなければならなかったのか?それは日向がイスラエル・ユダ連合王国の形を模したものだったから。 日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真…

日本列島雛形論は4種類あると発想できたわけですが

…ーラシア大陸中央部の烏孫、扶余、日本列島の九州、出雲、機内、関東、北海道の一部、に投影している。 (電子書籍で九州系地名と呼んでいるものも実は同じか) 日本の根幹には日ユ同祖論がある、という話は以前からありました。 しかしじつは、「日本の地域の形状自体が、古代イスラエルユダ連合王国の形で表されていた」という発想です。これは完全に自説です。 これは古代出雲(島根県あたり)と古代イスラエルの形状を比較してみたもの。 どうだろうか。この発想が卑弥呼の時代からすでにあったが、早い段階…