たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

天津甕星は戦いの神マールスと同源だったか

「戦わなきゃ現実と」(😽ドラえもん談)

 

○いつも助かっております

 

 

 

熒惑(けいこく)

 

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マールス - Wikipedia

 

古代ローマを含む西洋では、火星は戦いの神であるとか。

アルファベットだとmarsで、ローマではマールス、英語だとマーズになる。

火星が戦いの神というのは、古代インドも同じらしいです。

 

じゃ日本は。

そもそも、日本に表立った火星の神様は見当たらなかった。

星の神様といえば、太陽の天照大神。月の月読命。星の天津甕星(あまつみかぼし)こと天香々背男(あまのかかせお)。

鼓星(つづみぼし)はオリオン座。七夕の織姫星はこと座のベガ。彦星はわし座のアルタイル。

火星のウィキペディアを見ても、日本人は古代に火星には関心がなかったようで。

まぁ肉眼でみるのは、マズ無理な感じがするし、マーズなだけに・・・。

 

しかし、なんか飛鳥時代になると、火星をあらわす古語も出てきました。

熒惑(けいこく、けいわく)。熒惑星。またの名を、夏日星。

このサイトによると、熒惑のことは、聖徳太子が知ってたらしいです。

夏日星

 

熒惑を辞書で調べると、いろいろ出てくる。

デジタル大辞泉の解説

けい‐こく【×熒▽惑】

五星の一。火星の異称。光度の変化や逆行がはなはだしいので、その大接近は災いの前兆と考えられての名。けいわく。

 

世界大百科事典 第2版の解説

けいわく【熒惑 yíng huò】

火星の古代中国名。五星の一つ。五行説では火に配するので火星とも称するようになった。古代中国では天上世界の執法官と考えられ,熒惑の出現した星座に対応する地上の分野に,戦争,飢饉,疫病などの政治的社会的混乱を禍罰として下す夭星(ようせい)として恐れられた。しかも,みかけの軌道が予測困難であったため,古来その動向の観測は天文官の重要な任務とされ,多くの記録が残されている。【麦谷 邦夫】

 

熒惑とは - コトバンク

熒惑=火星は中国でも、災いをもたらすとかマズい性格で、要するに戦乱をもたらすと考えられたようで。これは古代ローマと一致してました。

すると日本でも聖徳太子の話が事実なら、熒惑とは戦いの星、戦乱の神であると認識されたんだろうなと。

「警告」って、これを意図して近代に作った熟語な気がする。

 

他方、学研漢和大字典の「熒」を見ると、全然違うことが書いてます。

学研漢和大字典

①ひかり。ひかりの環にかこまれた小さなともしび。まるく小さなひかり。

②遠く小さくきらきらと輝くさま

③ほたるのこと

④まどわす。

解字 この冖(わかんむり)は同じの原字冂(どうがまえ)であろう。三つの火+冂の会意兼形声文字で、とりまくの意味を含む。

古訓 ヒカリ、メクルヘク

学研漢和大字典 p800

 

ここまで情報集めると、なんか閃くものがあった。

 

 

火星の人 Kindle

 

 

倭人はマールスを継承してた

 

古事記」に登場する星の神、天津甕星。この神については戦いの神であろうというのは、以前から思う所がありました。

どうやら、金星のことであるという仮説もあるけども、定かではないです。

ウィキペディアを見ると、

 

天津甕星

 

日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文
一(ある)に云わく。「二神、遂に邪神(あしきかみ)及び草木石(くさきのいわ)の類を誅(つみな)いて、皆已に平(む)げ了(おわ)る。其の服(うべな)わぬ者は、唯星神香香背男(ほしのかがせお)のみ。 故また倭文神(しとりがみ)建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わせば、則ち服いぬ。故、二神天に登る。倭文神、此を斯圖梨俄未(しとりがみ)と云う。」

【現代語訳】

一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。 そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

 

日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二)

一書に曰く、天神、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)を遣して葦原中国を平らげ定めせしむ。 時に二神曰く、「天に悪しき神有り。名を天津甕星、亦(また)の名を天香香背男と曰う。請(こ)う、先ず此の神を誅し、然る後に下りて葦原中国を撥(はら)わん」。

【現代語訳】

ある書によれば、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。 その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った。

 

天津甕星 - Wikipedia

 

といった感じで、簡単に触れられてるのみです。

しかし調べていくと、不思議なことがわかってきました。

日本の天津甕星は、ローマ神話のマールス、マーズの情報を秘めているようなのですよ。

その理由はこう。

 

(1)天津甕星は戦いの神である

其の服わぬ者は、唯星神香香背男のみ

 戦う場面があるのだから、戦士、戦いの神。

 

(2)天津甕星は「あまづ」だから「天マーズ甕星」になる

(天津→アマヅ→アマーズ甕星)

(^o^;)w

 

(3)天津甕星の別名は「天香香背男」であるが、この名は「天ノかかせ男」で「天ノ火火星男」となり火星を含む

(天香香背男→天ノかかせ男→天ノ火火星男)

(^o^;)w

 

(4)けい惑のけいは「まるく小さな光」だから「マル」でマールスに似る

 

(5)けい惑の惑は「まどわす」で「まど」は「mad」だから「maz(marz)」とよく似る

惑 mad まず

marz まず

 mad max…

 

(6)ローマ神話のマールスは、元は「草木の精霊」であった。

一方で古事記天津甕星は「邪神及び草木石の類いの一人」だった。

マールス 草木の精霊

天津甕星 邪神・草木石の類

 完全に一致した。

 

あらら、天津甕星がマーズで、天香香背男が火星男で、熒惑がマルでmadで、どちらも草木だったり・・・。ここまで一致するとなると。

もう西洋の神話がまるまると、古代の倭の中に持ち込まれたのは、事実として見てよい感じがしました。あるいは倭の天津甕星という存在と、古代ローマのマールスが合体していると、言う感じで。

大陸から渡ってきた人々が、言語や風習とともに持ち込んだ。弥生人と言われるが、実態は西洋系もいたに違いないので。

古代中国の漢には、古代ローマ人が作った街もあったし、チベット月氏イラン系、新疆の烏孫はおそらく古代イスラエル系+ギリシャ系だった。倭人も同様だったのではないかと。

ユーラシアを東漸する過程の長い年月で、ほとんど人種が入れ替わってしまい、古代欧州の神話や風習や伝承だけが、倭人に伝えられてきているというのは、天津甕星の伝承に限った話ではないようです。

 

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