高床式な家のせいか、なんか異常に寒い。布団に入るだけじゃなく、寝袋に入って寝てます。
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○いつも助かっております
中国人が復元した烏孫人の衣服は、なにか中国風というか、インディアン風な印象もあったのですが。
下の画像のように、本来に近い復元がされている場合もあるようでした。衣に、袴といったスタイル。
https://kknews.cc/history/ombpqkm.html
烏孫に隣接したソグディアナ、サマルカンドなどの壁画を見ると、中央アジアは概ね、こんな格好だったとか。
この衣服って、昔の日本の衣と袴みたいではないですか。
古墳時代以前の日本は、埴輪を見ればいろんな形態の衣服がありました。それこそ1つの民族と言えないほどに。
一方で倭の貴族の衣服は、ヤマトタケル像みたいに、こんな衣と袴だったんですよ。これ、着物とは全然違って不思議に思ってませんでしたか。東アジアでも特異な衣服だとは思っていましたが。
じつは古墳時代の衣・袴のセットは、中央アジアに似てたのですよ。そりゃあっちから貴族階級が流入してるのだったら当然なことですが。
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中国の清の時代の書物に「古今図書集成」ってのがあるんですが。
この書物は、中国の古代から中世に至るまでの情報を網羅してる百科事典みたいなもの。 ここに、変な絵があるのを見つけたんです。これは日本のサイトには無くて、中国の方にありました。
File:Imperial Encyclopaedia - Borders - pic038 - 烏孫國.svg - Wikimedia Commons
このなんか野暮ったい妖怪みたいなのが、烏孫人なのだとか。
明らかにネガティブな思考を元にして描いていますよね。江戸時代の日本人が西洋人を描くと、こんなふうになったみたいな。
裸足、半裸、手足の指が3本、毛深い、鉢巻。これってなんか、日本人にいてもおかしくない、特徴な気がしました。
むかしの倭人は裸的な姿も好んだらしい
ちょっと倭人の絵を調べてみると、中国に「職貢図」というものがあったりするのです。
倭人といっても色んな種類がいて、衣服も様々にあったことは、古墳時代の埴輪を見ることで分かってきますが。
File:Dam yeom rip bon wang hee do, from Gugong Bowuguan China, 6th century.jpg - Wikimedia Commons
倭人の使者は、裸足で棟をあらわにして、上着を上半身に巻きつけた感じで、普段は上半身裸で過ごしてるんじゃないかって感じありあり。
朝鮮半島の人は全身の体毛は薄毛の傾向があるそうですが、日本人の場合は東アジアでも毛深いという特徴がありますね。このへんでも烏孫と共通したとか。
毛むくじゃら、下履きの形状、上半身が裸、そうすると上にある、烏孫絵的な印象を受け取れます。あとこの方が色黒なのは、どうも日本人意外の人種との混血なようにも見えますね。サカ、インド系のほうが入っているような。
海で暮らす海人、海女系の倭人というのは、裸足に半裸が基本であったと考えられますね。今でも日本では裸祭、相撲などでは、伝統的に裸の姿をする習慣があったりします。
これって、縄文人の風習なのか、それとも古代エジプト的な風習なんですかね?
地中海周辺の民族は半裸を好んだらしい
古代ローマ、古代エジプト、古代ギリシャ、古代イスラエル・ユダ系・・・アッチの方の人というのも、昔は倭人みたいに、割りとラフな格好を好んでいたんです。
たとえば、古代ローマの場合はこんな感じ。
この画像はなんか罪人の首を取ってきたモチーフみたい。
画像検索すると裸のレリーフなど山ほど出て来る。
烏孫でも裸体を好む人がいたのは、地中海地方から移り住んだ人々が烏孫に多かったから当然なのですが。
倭人というのは明らかに地中海地方、烏孫と関わりがあると見ているので、すると衣服のほうも、つながっているんじゃないかと。
ということで、倭人と烏孫人は衣服も似ている。これは日本と天皇家の烏孫起源をどんどん調べている自分としては、納得できる話でした。
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