たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

【お絵かき付】神武東征の「棹根津彦=タイムスリップした浦島太郎」から分かった新たな回答

心身の疲労が酷くて駄目になりそうな昨今ですが、神武天皇についてまとめました。

神武東征には謎の人物、棹根津彦(さおねつひこ)が登場するんですが。この方が浦島太郎だったら、神武東征はアレだった、という妄想の話。

 

 

本日のお絵かき・棹根津彦

 

これは神武天皇の伝承に登場する、巨大亀に乗った棹根津彦です。まぁ適当に描いてみました。浦島太郎なので白髪になりました。角髪(みずら)は古式にしてみました。

絵本に加えたいと思います。

 

 

浦島太郎あらすじ

 

ここで浦島太郎の昔話を、あらすじで振り返ってみます。

昔々、漁師の浦島太郎が、浜辺で子供らにイジメられてる亀を助けた。

助けた亀の背に乗って、竜宮城へ行って乙姫に出迎えられた。

楽しく過ごすも、地上が気になり帰還することになった。

乙姫から謎の玉手箱を渡されて、亀に乗って帰った。

村に帰ると状況は変貌していて、知る人は誰もいなかった。

玉手箱を開けたら白い煙が出て、浦島太郎は白ひげ爺さんになった。

こんな感じでした。

浦島太郎 - Wikipedia

 

 

棹根津彦あらすじ

 

片や「日本書紀」や「古事記」に出てくる、棹根津彦の話もまとめてみました。

神武天皇が東征をしている途中。

速吸門(はやすいのと)に差し掛かると、漁師の珍彦(うずひこ)が現れた。

古事記では、亀の背に乗って珍彦が現れたという。

日本書紀の場合は豊予海峡古事記の場合は吉備の児島湾か明石海峡のあたり。

神武天皇は珍彦に椎の棹(さお)をわたし、椎根津彦(しいねつひこ)、棹根津彦と名付けた。

椎根津彦神武天皇の水先案内人となった。

椎根津彦は倭の賊軍との戦いで貧しい身なりの老翁に扮し、天香山の土を取ってきた。

天皇椎根津彦の土で土器を作り、神を祀って勝利に結びついた。

後に椎根津彦は、倭国造、大倭直の始祖となった。

こんな感じみたいでした。

 

 

浦島太郎と棹根津彦が同一存在なことを示す玉手箱

 

浦島太郎 - Wikipedia

 

浦島太郎と棹根津彦は、どちらも「亀の背に乗ってた」という点で一緒でした。それで同一人物説が存在してます。つまり浦島太郎=棹根津彦なのかもしれんのです。

その場合、ちょっと衝撃的な事実がわかってくるのですが。

浦島太郎は老人になった後に、神武天皇に遭遇し、天皇軍の案内人となりました。そして倭国造の祖となってます。つまり日本人の多くが、浦島太郎の子孫ってことになるわけです。

これには実は、興味深い関係する話がありまして。

神武天皇の孫にあたるのは、第3代目の安寧天皇です。

その安寧天皇日本書紀での和風諡号をみると、「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」となってるんです。古事記のほうでも「師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)」。

「玉手看(玉手見)」なわけなので、安寧天皇は「浦島太郎が持ってた玉手箱を見た」と考えられるわけなのですよ。

これが神武天皇が出会った椎根津彦は、浦島太郎と同一人物だったことの暗示になってます。それが真相だったのでしょう。

そうすると浦島太郎の昔話というのは、相当古い時代の話だと分かるわけなのですが。日本書紀の年代に合わせると、神武東征の開始が紀元前660年頃ですし。ただし日本書紀天皇家の年代は合ってないかもしれんですが。それでもかなり古い昔話。

 

 

浦島太郎と玉手箱のは長い時間経過を暗示した

 

浦島太郎が竜宮城から地上に戻ると、風景も変わって見知った人もいなかった。とすると浦島太郎って、数百年後の未来の時代に行ってしまったかもしれないです。

これが浦島太郎の昔話が、世界的にも稀な「タイムトラベルしたみたいな物語だ」と言われる理由でした。

浦島太郎が宇宙空間で高速移動したから、地上で長い時間が過ぎ去ってしまったと解釈されてます。これアインシュタイン相対性理論でも取り上げられてるとかで、日本ではウラシマ効果と言われる現象です。

その場合、浦島太郎が乗った亀とは高速移動する宇宙船で、竜宮城は何処かの宇宙基地か惑星だった感じになってきますが。

紀元前に存在したタイムトラベルの物語って、世界的に見ても少ないと思いますが。日本の浦島太郎の昔話は、世界でも稀な、タイムトラベルを題材にした物語でした。

 

さてそんな浦島太郎が、神武天皇~孫の安寧天皇の世代に関わってるのは、1つの示唆を与えてる感じです。

つまり神武天皇安寧天皇のあたりは「実際より長大な時間が経過してる」ということの暗示になってるんではないかと。

これについては、神武天皇から初期の頃の天皇欠史八代含む)の年齢を見ると、わかってくる気がしました。歴代天皇の年齢はこんな感じになってました。

第1 神武天皇 127歳
第2 綏靖天皇  84歳
第3 安寧天皇  67歳
第4 懿徳天皇  77歳
第5 孝昭天皇 114歳
第6 孝安天皇 137歳
第7 孝霊天皇 128歳
第8 孝元天皇 116歳
第9 開化天皇 111歳
第10 崇神天皇 119歳
第11 垂仁天皇 139歳
第12 景行天皇 143歳
第13 成務天皇 107歳

 

初代~13代天皇のうち、10名までもが100歳超えてます。まるで盛りすぎて溢れ出したスパゲティのような年齢。

ちなみに初代神武から21世紀の今上天皇まで、全ての天皇の平均寿命は50歳くらいみたいです。

 

①1~16代(神武~仁徳) :平均在位60.6年、寿命111歳
②17~39代(履中~弘文) :平均在位11年、寿命56.歳、
③40~99代(天武~後亀山):平均在位11.9年、寿命45.6歳、
④100~125代(後小松~上皇):平均在位24.5年、寿命52.8歳。
②~④の平均は、在位14.7年、寿命49.6歳であり昔は人生50年と言う俗説に近い。
 
古代天皇紀年論の新考察 化学工学会SCE・Net
 

そういえば古代天皇がやたら長寿だった理由を説明する時、「日本人は昔は長寿だった」とか言う人います。「魏志倭人伝」にも、倭人は80~100歳の老人もいたとか書いてありますし。

しかし縄文~弥生時代から出土する人骨の多くは「多くが若年で死んでる」ことを示してます。平均年齢でいうと、弥生時代の平均寿命は20歳代だったらしいです。つまり病気やら事故やら戦争やらで、若くして死ぬ人が多かった。

これらを踏まえると、「昔の歴代天皇はみんな長寿だった」は無理があるかと。裕福な古代の天皇家でも、100歳以上に至るのは難しかったんじゃないですかね。

つまり神武天皇~古代の歴代の天皇は、「年齢を盛ってる」みたいです。

 

そこで神武東征~安寧天皇の話に、棹根津彦こと浦島太郎が登場しているのは、何を意味するんだと考えてみると。

・神武東征の記録は、浦島太郎のように記録がぶっ飛んでいることを示す

・神武東征にかけた時間の膨大な長さ(数百年)を表す

・神武~初期天皇の年齢はメガ盛りしてる

これを言いたいんではないかと、思ったりします。

 

さらに深読みすると、

神武天皇は複数世代の集合体だけど、1人にまとめ上げてある

・記録から抜けた天皇の年齢を、歴代の天皇に合算してる(だから長寿)

というようなこともあるかと。それで初期の天皇の年齢が長くなってる説明つきますし。

 

亀も乙姫も竜宮城も時間を象徴する

 

浦島太郎の昔話に出てくる、亀も乙姫も竜宮城も、じつは時間を象徴する存在だったりします。

 

 

 

浦島太郎はタイムスリップ、数百年の時を過ごしたということで、物語の全てが時間に関わってます。

 

 

大陸の出来事の融合

 

これ以降は読まなくてもいいですが。

 

わたすは以前から日本列島はユーラシア大陸の雛形だと思ってました。エジプト、欧州、アジアの地名や種族などの情報が、日本列島に投影されてるんです。

だから神武天皇の物語も、天皇古代イスラエルから、中央アジア烏孫あたりへ移動した出来事を元にしてると思います。そして神武天皇の子孫が、中央アジアから日本列島に到達しているんじゃないかと。

実はユーラシア大陸には神武東征の話と、非常に似通った話が存在しているんですよ。高句麗神話の朱蒙の物語だとか、アレキサンダー大王の東征だとか。

棹根津彦=浦島太郎を見ると、地元→竜宮城→地元→神武東征→大和と、とんでもない大移動してますのでね。

しかもウミガメとは、海を渡る存在だったりする。

そこで神武東征に出てきて、海亀に乗ってる棹根津彦こと浦島太郎が与えている別の示唆が、

・海を隔てた遠い場所で起こった、大移動の出来事である

・海を隔てた遠い場所(大陸)での出来事を、日本列島に投影している

ということだと思うのですが。

 

実は棹根津彦や浦島太郎の話に出てくる地名や名前自体も、なんかユーラシアの土地を元にした名前っぽいなと、思ったりします。

棹根津彦のいた場所が「速吸門(はやすいのと)」だったのですが、むかし中東のアルメニアは「ハヤスタン」だったんですよ。ハヤスタン→ハヤスイ(速吸)

アルメニア - Wikipedia

で神武東征の頃の紀元前7世紀のアルメニアは、「ウラルトゥ」という国だったんですね。すると浦島太郎って、ウラルトゥ人だったのかと思ったり。ウラルトゥ→ウラル島(トウ)→ウラシマ(浦島)

棹根津彦の元の名の珍彦(うずひこ)ですが、これがどうもウズベクのウズに通じるようでもありますし。ウズベク→ウズベコ→ウズビコ→ウズヒコ(珍彦)

まぁ想像の話ですが。詳しくは以前の記事で。

 

それにしても、弥生時代は移民が盛んだったようですけど。まぁもう現在の日本には、移民は来なくていいですよ。

 

ぽちされたすかりm

 

 

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