心身の疲労が酷くて駄目になりそうな昨今ですが、神武天皇についてまとめました。
神武東征には謎の人物、棹根津彦(さおねつひこ)が登場するんですが。この方が浦島太郎だったら、神武東征はアレだった、という妄想の話。
本日のお絵かき・棹根津彦
これは神武天皇の伝承に登場する、巨大亀に乗った棹根津彦です。まぁ適当に描いてみました。浦島太郎なので白髪になりました。角髪(みずら)は古式にしてみました。
絵本に加えたいと思います。
浦島太郎あらすじ
ここで浦島太郎の昔話を、あらすじで振り返ってみます。
昔々、漁師の浦島太郎が、浜辺で子供らにイジメられてる亀を助けた。
助けた亀の背に乗って、竜宮城へ行って乙姫に出迎えられた。
楽しく過ごすも、地上が気になり帰還することになった。
乙姫から謎の玉手箱を渡されて、亀に乗って帰った。
村に帰ると状況は変貌していて、知る人は誰もいなかった。
玉手箱を開けたら白い煙が出て、浦島太郎は白ひげ爺さんになった。
こんな感じでした。
棹根津彦あらすじ
片や「日本書紀」や「古事記」に出てくる、棹根津彦の話もまとめてみました。
神武天皇が東征をしている途中。
速吸門(はやすいのと)に差し掛かると、漁師の珍彦(うずひこ)が現れた。
古事記では、亀の背に乗って珍彦が現れたという。
日本書紀の場合は豊予海峡、古事記の場合は吉備の児島湾か明石海峡のあたり。
神武天皇は珍彦に椎の棹(さお)をわたし、椎根津彦(しいねつひこ)、棹根津彦と名付けた。
椎根津彦は倭の賊軍との戦いで貧しい身なりの老翁に扮し、天香山の土を取ってきた。
こんな感じみたいでした。
浦島太郎と棹根津彦が同一存在なことを示す玉手箱
浦島太郎と棹根津彦は、どちらも「亀の背に乗ってた」という点で一緒でした。それで同一人物説が存在してます。つまり浦島太郎=棹根津彦なのかもしれんのです。
その場合、ちょっと衝撃的な事実がわかってくるのですが。
浦島太郎は老人になった後に、神武天皇に遭遇し、天皇軍の案内人となりました。そして倭国造の祖となってます。つまり日本人の多くが、浦島太郎の子孫ってことになるわけです。
これには実は、興味深い関係する話がありまして。
その安寧天皇の日本書紀での和風諡号をみると、「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」となってるんです。古事記のほうでも「師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)」。
「玉手看(玉手見)」なわけなので、安寧天皇は「浦島太郎が持ってた玉手箱を見た」と考えられるわけなのですよ。
これが神武天皇が出会った椎根津彦は、浦島太郎と同一人物だったことの暗示になってます。それが真相だったのでしょう。
そうすると浦島太郎の昔話というのは、相当古い時代の話だと分かるわけなのですが。日本書紀の年代に合わせると、神武東征の開始が紀元前660年頃ですし。ただし日本書紀の天皇家の年代は合ってないかもしれんですが。それでもかなり古い昔話。
浦島太郎と玉手箱のは長い時間経過を暗示した
浦島太郎が竜宮城から地上に戻ると、風景も変わって見知った人もいなかった。とすると浦島太郎って、数百年後の未来の時代に行ってしまったかもしれないです。
これが浦島太郎の昔話が、世界的にも稀な「タイムトラベルしたみたいな物語だ」と言われる理由でした。
浦島太郎が宇宙空間で高速移動したから、地上で長い時間が過ぎ去ってしまったと解釈されてます。これアインシュタインの相対性理論でも取り上げられてるとかで、日本ではウラシマ効果と言われる現象です。
その場合、浦島太郎が乗った亀とは高速移動する宇宙船で、竜宮城は何処かの宇宙基地か惑星だった感じになってきますが。
紀元前に存在したタイムトラベルの物語って、世界的に見ても少ないと思いますが。日本の浦島太郎の昔話は、世界でも稀な、タイムトラベルを題材にした物語でした。
さてそんな浦島太郎が、神武天皇~孫の安寧天皇の世代に関わってるのは、1つの示唆を与えてる感じです。
つまり神武天皇や安寧天皇のあたりは「実際より長大な時間が経過してる」ということの暗示になってるんではないかと。
これについては、神武天皇から初期の頃の天皇(欠史八代含む)の年齢を見ると、わかってくる気がしました。歴代天皇の年齢はこんな感じになってました。
第1 神武天皇 127歳第2 綏靖天皇 84歳第3 安寧天皇 67歳第4 懿徳天皇 77歳第5 孝昭天皇 114歳第6 孝安天皇 137歳第7 孝霊天皇 128歳第8 孝元天皇 116歳第9 開化天皇 111歳第10 崇神天皇 119歳第11 垂仁天皇 139歳第12 景行天皇 143歳第13 成務天皇 107歳
初代~13代天皇のうち、10名までもが100歳超えてます。まるで盛りすぎて溢れ出したスパゲティのような年齢。
ちなみに初代神武から21世紀の今上天皇まで、全ての天皇の平均寿命は50歳くらいみたいです。
①1~16代(神武~仁徳) :平均在位60.6年、寿命111歳②17~39代(履中~弘文) :平均在位11年、寿命56.歳、
③40~99代(天武~後亀山):平均在位11.9年、寿命45.6歳、
④100~125代(後小松~上皇):平均在位24.5年、寿命52.8歳。
②~④の平均は、在位14.7年、寿命49.6歳であり昔は人生50年と言う俗説に近い。
そういえば古代天皇がやたら長寿だった理由を説明する時、「日本人は昔は長寿だった」とか言う人います。「魏志倭人伝」にも、倭人は80~100歳の老人もいたとか書いてありますし。
しかし縄文~弥生時代から出土する人骨の多くは「多くが若年で死んでる」ことを示してます。平均年齢でいうと、弥生時代の平均寿命は20歳代だったらしいです。つまり病気やら事故やら戦争やらで、若くして死ぬ人が多かった。
これらを踏まえると、「昔の歴代天皇はみんな長寿だった」は無理があるかと。裕福な古代の天皇家でも、100歳以上に至るのは難しかったんじゃないですかね。
つまり神武天皇~古代の歴代の天皇は、「年齢を盛ってる」みたいです。
そこで神武東征~安寧天皇の話に、棹根津彦こと浦島太郎が登場しているのは、何を意味するんだと考えてみると。
・神武東征の記録は、浦島太郎のように記録がぶっ飛んでいることを示す
・神武東征にかけた時間の膨大な長さ(数百年)を表す
これを言いたいんではないかと、思ったりします。
さらに深読みすると、
・神武天皇は複数世代の集合体だけど、1人にまとめ上げてある
というようなこともあるかと。それで初期の天皇の年齢が長くなってる説明つきますし。
亀も乙姫も竜宮城も時間を象徴する
浦島太郎の昔話に出てくる、亀も乙姫も竜宮城も、じつは時間を象徴する存在だったりします。
むむむ
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2025年2月22日
神武=かむ→亀
亀=ひさし→久しぶり
亀=久し、で時間経過を現すみたいです。
道を辿る→たどる→タートル
打倒された亀→ダトー→タートル
竜宮城の乙姫
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2025年2月22日
乙=釣り針、だから浦島太郎は釣られた
乙=物事がつかえて進まない意味、だから時間経過に関わる文字 pic.twitter.com/Hhmx1nIpne
亀=ひさし(訓)=久しぶり 時間経過
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2025年2月22日
乙姫 乙=物事がつかえて進まない 時間経過
竜宮城 竜=辰(干支)八時前後 時間
浦島太郎はタイムスリップ、数百年の時を過ごしたということで、物語の全てが時間に関わってます。
大陸の出来事の融合
これ以降は読まなくてもいいですが。
わたすは以前から日本列島はユーラシア大陸の雛形だと思ってました。エジプト、欧州、アジアの地名や種族などの情報が、日本列島に投影されてるんです。
だから神武天皇の物語も、天皇が古代イスラエルから、中央アジア烏孫あたりへ移動した出来事を元にしてると思います。そして神武天皇の子孫が、中央アジアから日本列島に到達しているんじゃないかと。
実はユーラシア大陸には神武東征の話と、非常に似通った話が存在しているんですよ。高句麗神話の朱蒙の物語だとか、アレキサンダー大王の東征だとか。
棹根津彦=浦島太郎を見ると、地元→竜宮城→地元→神武東征→大和と、とんでもない大移動してますのでね。
しかもウミガメとは、海を渡る存在だったりする。
そこで神武東征に出てきて、海亀に乗ってる棹根津彦こと浦島太郎が与えている別の示唆が、
・海を隔てた遠い場所で起こった、大移動の出来事である
・海を隔てた遠い場所(大陸)での出来事を、日本列島に投影している
ということだと思うのですが。
実は棹根津彦や浦島太郎の話に出てくる地名や名前自体も、なんかユーラシアの土地を元にした名前っぽいなと、思ったりします。
棹根津彦のいた場所が「速吸門(はやすいのと)」だったのですが、むかし中東のアルメニアは「ハヤスタン」だったんですよ。ハヤスタン→ハヤスイ(速吸)
で神武東征の頃の紀元前7世紀のアルメニアは、「ウラルトゥ」という国だったんですね。すると浦島太郎って、ウラルトゥ人だったのかと思ったり。ウラルトゥ→ウラル島(トウ)→ウラシマ(浦島)
棹根津彦の元の名の珍彦(うずひこ)ですが、これがどうもウズベクのウズに通じるようでもありますし。ウズベク→ウズベコ→ウズビコ→ウズヒコ(珍彦)
まぁ想像の話ですが。詳しくは以前の記事で。
それにしても、弥生時代は移民が盛んだったようですけど。まぁもう現在の日本には、移民は来なくていいですよ。
ぽちされたすかりm
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