たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

邪馬台国 の検索結果:

高尾山古墳は物部氏の大新河命の古墳で、駿河の地名自体も彼が起源かもしれない話

…く伝わってません。 邪馬台国に対立した狗奴国の首長級の人物だとか、あとは駿河の有力者という説が出ています。 しかし歴史書から推し量るに、物部(もののべ)氏の古墳という話で間違いない感じでした。 古来、駿河(するが)国(静岡東部)が3世紀頃から物部氏の土地であったことは、「先代旧辞本紀」から読み取れます。 おそらく静岡東部の駿河地方は、卑弥呼の時代から物部氏の拠点でした。 崇神天皇の年代については、崇神紀で百姓反逆、疫病蔓延などあり、倭国乱的な背景などが読み取れるし、当ブログで…

武漢と武蔵・・・過去からの出来事と今が繋がる不思議

…たのは、卑弥呼率いる邪馬台国だったかという気がするだけです。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ ・古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2019年の総(千葉)の崩壊が雛形なのだとしたら、扶桑(日本)の崩壊も待ったなしだなと、昨年中からおもっていたりして、ツイッターでもつぶやいていました。 それがどんな方法なのかはわかりませんが。 首都直下型地震、南海地震、火山噴火、隕石、核兵器。とにかく扶桑が総の…

親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係

…れは想像ですが、倭の邪馬台国は大陸系語学に堪能な集団でした。 魏へお使いした難升米と都市牛利も。漢文の詔書を読み書きできたにとどまらず。 彼らはバイリンガルかトリリンガルくらい、語学力があったのではないかと。 それもそのはず、彼らは純粋な倭人というか、中央アジアや西域から帰化した倭人だったのだから。 難升米という名前は、明らかに烏孫王、難兜靡の名を受け継いでました。 都市牛利はタジキスタン人の住むタシュクルガンの古名、塔什庫爾干を元にしてる印象を受けます。 難升米 nan-s…

癒(いやし)の語源と邪馬壱国(病国)から気づいた「卑弥呼のキリスト信仰らしきもの」と言霊の仕掛け

…癒の「癒」といえば、邪馬台国の倭国大乱を鎮め、癒やしたらしいのが卑弥呼でした。 この邪馬台国と卑弥呼は、どうも「病(やまい)」とも無関係では無かったようです。この辺から、想像し難かった西側世界との奇妙な繋がりも見えてきたりしました。 ○いつも助かっております アシダカグモ ちなみに17日に風呂にいた、アシダカグモ。つかまえてビニール袋に入れて観察してみた。 胴体が笑ったおじさんの顔や髑髏に見えるのは、長い年月を経て人の顔に擬態した結果だとか。 この蜘蛛はこんなめちゃくちゃ悪魔…

平城京の名前の由来が平塚だったかもしれない件

…ところで安本先生 ・邪馬台国は筑紫の朝倉で、卑弥呼の居城は平塚川添遺跡 ・筑紫の地名が奈良盆地に移された(筑紫と奈良は地名が全くおんなじだから) ・邪馬台国は筑紫から奈良盆地に移転している(邪馬台国東遷) そう断言してるのが安本さんですが、別に個人的に信奉してるとかそういう訳ではないです。物的証拠(地名)を備えている、信じられる仮説だなと思って色々参考にしています。 筑紫=元奈良(首都) だから地名が一緒 この仮説を元にすると、平城京(ならのみやこ)の名の由来も分かる気がして…

太陽と月と日本の139

…、139 ・卑弥呼の邪馬台国は北部九州(東経130度)奈良(東経135度) (邪馬台国の位置は、最初の邪馬台国が筑紫平野、のちに奈良盆地に移ったという東遷説を支持) こんなふうに、よくもぴったり。 太陽と卑弥呼に、39と139が結びついていますね。 これってやっぱり偶然合っているのかと。 はたまた2~3世紀の卑弥呼が、未来に計測される太陽のkmの数字や東経の数字を何らかの方法で知って、それを語呂合わせで暗示していたのかと。 能力的な、巫覡の力? それともやっぱり卑弥呼は未来視…

魏略の魚豢は卑弥呼に近い倭人だったかも

…倭 肥 ニ 奴 の キア 国 国 「キア」とは国という意味 で、倭とフェニキアの関係は漢字の使い方からも読み取れます。 倭人はどうも大陸情勢を逐一収集していたようで、大陸の倭人コミュニティが活用されて、常に邪馬台国に情報が集結していたようですね。 ともかく魚豢はそうした情報網の統括的な役割で、倭人の代表として魏の中で情報発信役をしていたと。そんな想像はできたわけです。 美味海鮮・漬魚セット 7種14切 おいしい漬け魚のセット これ美味しそうじゃないですか。玄米ごはんのお供に。

崇神天皇の桑間宮と池から想像できた吉野ヶ里遺跡の正体

…魏志倭人伝に登場する邪馬台国の位置は、九州の第1邪馬台国+畿内の第2邪馬台国=1つの邪馬台国としてしまっているようです。 だから文章の邪馬台国までの距離や方角の説明がおかしい具合だったりするのです。これは又別の機会に。 神功皇后 - Wikipedia 男装した神功皇后。「日本書紀」には、神功皇后と卑弥呼とを同一視する解説がある。しかし実際の神功皇后の実在年代は、4世紀であることが判明している。 2・崇神天皇こと卑弥呼は筑紫平野(佐賀平野含む)にいた説 福岡の朝倉の平塚川添遺…

「東経ヒミコ度」が示唆する運命の存在

…やこしい地名ですが、邪馬台国の範囲を考えると、筑紫平野全域に渡っていておかしくないかと。 中枢となる城が、おそらく吉野ヶ里遺跡と平塚川添遺跡なのではないかと で、何で平塚川添遺跡かといえば安本美典氏の一説「奈良と筑紫平野の地名の一致」が確かな証拠だからですね。それにこの遺跡の北には、三輪山と名前も見た目もそっくりな大三輪山もありますのでね。 ・卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地 あ。 あと地名で言うと、平塚川添遺跡のそばには杓子(しゃもじ)…

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

…同祖論的には 日本の邪馬台国の中枢は諸説ありすぎて、どこだったかはっきりしません。 しかし西日本で、「九州から近畿のどこかであろう」という話にすれば、多くの歴史・考古学者が納得できる妥協案になるかと思われます。当たり前すぎて。 この「九州~近畿」を緯度経度で表すとこんな具合でした。 北緯31度、32度、33度、34度 東経130度、131度、132度、133度、134度、135度 その上で、古代イスラエル・ユダ王国のことであれこれ思考を重ねるとですね。緯度・経度の一致に行き当…

「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

…前半頃と見積もれて、邪馬台国の卑弥呼=崇神天皇(自説)が九州に上陸したのもこの頃だからです。 詳しくは過去記事で。 妄想ですけど。 関連記事 ・聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 ・(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして ・中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら 人…

ハツクニシラススメラミコトの極秘情報

…ニシラスから導かれる邪馬台国と女王 大陸移動どうこうは兎も角、始馭天下と御肇國の2つの間には共通点がありました。 それは始(はじめ)と肇(はじめ)という発音と意味の共通性意外にも。 始馭天下之天皇のほうは、倭国の支配者である、そのへんを意図した意味が込められているようでした。漢字を編と旁に分解してみると分かってくることがあります。 筆者の想像にすぎないですが、「始馭」の2字を分解すると、「女台馬又」となり、これは誰が見ても「邪馬台国の女王」のアナグラムとして機能してますよ。情…

卑弥呼の居城は「上座」の環濠集落という想像

…言えば奴国、投馬国、邪馬台国など、小国の中枢が置かれた場所が、「水城」として作られていたのです。 環濠集落は各地に見つかってますが、全国で数が極めて少ないです。それは当然、それぞれが元々地方豪族や国王の都なのだから、多数あったらおかしいわけで。 弥生時代の諸国の首都が置かれた場所だけ、環濠集落が作られました。首都機能が移転すれば、環濠集落は土に埋められてしまったのも、当然のことでした。あれは自然に衰退したんじゃなく、意図的に埋められていますね。 だから弥生時代の「魏志倭人伝」…

倭のシンメトリーな配置から見えてくる倭国の構造

…この頃。 そんな中で邪馬台国について考えていました。そしたら、そういえばそうだったと思いだしたことがあり。 ○いつも助かっております 倭の諸国について もう何十回と読んだかわからない、「魏志倭人伝(中国正史日本伝(1)石原道博編訳、岩波文庫)」を改めて熟読してました。 そこにはいつ眺めても変わらぬ、倭の諸国の紹介文があり、こんな国名が登場しています。 女王国の範囲(30国) 1・狗邪韓国(金官伽耶) 2・對海国(対馬) 3・一大国(壱岐) 4・末盧国(松浦) 5・伊都国(糸島…

卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地

最近邪馬台国はやっぱ奈良の纏向だったみたいなニュースを目にしました。 邪馬台国論争「新たな段階」纒向遺跡で発見続々 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) でもまだ日本中を納得させるような流れには、なってないのでは。 ○いつも助かっております 卑三輪 「古代人の名は地名を含む場合がある」という発想。 これはもう20年近くも前、江上波夫著「騎馬民族国家」を呼んで始めて知りました。この書物自体は意外と古く、初版が1967年だったので、自分がオギャーするより、…

五十音の暗号から出てくる解読結果は何でか卑弥呼の話だった

…宜(よろしい) 外の方も宜しい。これは倭国大乱のあと、卑弥呼の邪馬台国が倭を平定した結果として、邪馬台国の中枢のみならず、鬼のいた外側の国の方まで宜しい状態にした、支配地にした、そのへんを書いているようじゃないですか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ という感じで、意味不明な文字列もあったのですが、全部「卑弥呼によるの倭国平定」を書いているような情報が、五十音の暗号=縦読みから出てきたというのは、偶然じゃないと思うわけですが。もちろん想像です。 人気ブログランキング

イスラエル「虹の下には地獄の釜」日本「虹は地獄のお釜のつる」

…描写があるんですが、あの天の浮橋は虹の上という話もあります。すると原初の地上は地獄だったのか?と考えてしまいます。 そうすると、イザナギとノアの関係というのも、アリそうな気がしました。イザナギはおそらくいろんな伝説上の神や人物を習合しているようではありますが。 という風に、虹というキーワードからも日ユ同祖論的な共通点が浮かんでくるということでした。 関連記事 ・変なことばかり起こる日常 ・倭と邪馬台国はキリストと12使徒の名が伝わった最果ての国だったのか 人気ブログランキング

天照大神は純粋に卑弥呼じゃない 複数の時代の神と人を重ねた存在な理由

…は謎でしたが、どうや邪馬台国の時代から天照大神の化身的な存在だったのかこの人でした。 そうならば、徐福が倭人にもたらした養蚕と、天照大神がもたらした養蚕という情報、両方を兼ね備える必要があったので、「呼」の一字によって徐福(ヨフ)を現していておかしくなかったです。 他にも時代を特定する要素は幾つか。 天照大神の時代に馬の登場 (月夜見尊が保食神を殺し、天照大神が激怒した後) 「保食神は本当に死んでいた。ところがその頭に牛馬が生まれ、額の上に粟が生まれ、眉の上に蚕が生まれ・・・…

日本の神話と邪馬台国からにじみ出てくる北欧の世界樹・ユグドラシル

…ことができますね。 邪馬台国との関係 もう一つ、ユグドラシルと邪馬台国が関係する可能性がある気がしました。 邪馬台国(邪馬臺国)あるいは邪馬壱国(邪馬壹国)とは、邪な馬と書いて、邪悪な馬かなんかのように思えるのですが、馬がいなかったはずの2世紀にどうして馬の字を用いるのかは不明でした。ここにユグドラシルが関係するかもしれないと気づいたのですが。 ユグドラシルの語源が、 "Ygg's horse" (恐るべき者の馬) "Yggr" および "Ygg" は主神オーディンの数ある異…

卑弥呼・壱与は徐福の血筋だと漢字で表されてるらしい

…当時の王権に入って、邪馬台国王家に受け継がれている、これも必然ですね。 安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。 「後漢書」(中国正史日本伝(1)より ここに登場している帥升については、以前こんな記事かいてました。 ・後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった ・お酒を入れる容器 徐福の「畐(とっくり)」 ・お酒を飲む・測る容器 帥升の「升(ます)」 徐福の「畐」はお酒を入れるとっくり、帥升の「升」はお酒を入れる容器、 それで徐福の子孫が帥升であ…

紀元前の倭人は「なまず人」だった。出雲の大国主=大なまずの国だったからだ、と納得してたら古代エジプトに繋がる

…雲の国譲り=狗奴国が邪馬台国に国譲りした出来事 個人的な仮説なのですが。 どうもこの出来事は卑弥呼の時代に起きた、西暦180年代の、「倭国大乱」と関係していましたね。 2世紀には朝鮮半島に本拠を置いた倭国、その女王となった卑弥呼が、日本列島の狗奴国攻め入って、九州に倭国を遷都したのが、倭国大乱だと思っています。 つまりここでいう出雲国とは、本州全域を支配した狗奴国のことです。「狗(い)奴(ず)」が出雲ってことで。その名は委奴や伊都などの漢字にも受け継がれていましたが。 九州に…

西殿塚古墳から引き出せる公開可能な卑弥呼の情報

…るが、研究者の間では邪馬台国の女王卑弥呼の後継者・壱与や初期大和政権の大王の墓とする説がある。 盗掘されたのは昨年8月13日。巡回中の書陵部職員が男性を見つけた。 男性は前方部の頂上部にある「方形壇」と呼ばれる遺構を掘っていたという。 方形壇の下には埋葬施設がある可能性が指摘されている。 http://hosyusokuhou.jp/archives/29411809.html どうもタイミング的に、俺が西殿塚古墳につうて思考を巡らせたことが、西殿塚古墳の盗掘に波及しちゃった…

崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム

…わずと知れて、倭国の邪馬台国の女王だったのです。 一方で崇神天皇は男性天皇なのが常識でしたが「古事記」で「賢しき后」とあり、「后」は女性の高貴な奥様に対して使われる妃(きさき)、女性を現す文字でした。だから崇神天皇が女性だという情報源が、おそらく太安万侶にはあったんじゃないかと思われました。 崇神天皇の諡号には「日本書紀」では御間城があり、異名には御肇國がありますが、これがどうも音訓を混ぜて発音する事によって、一つの重要な情報を含めていたようです。これもいわば暗号みたいなもの…

倭と邪馬台国はキリストと12使徒の名が伝わった最果ての国だったのか

…すが。 そもそも倭の邪馬台国を見ていると、そこかしこにキリスト教的な要素が見え隠れするという話は、指摘している人もかなりいるようです。まとめました。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております (1)邪馬台国 邪馬台国はマタイ国なのか 「魏志倭人伝」を成立させたのは陳寿という人物で、3世紀の後半には完成していたそうです。中身は2世紀末から3世紀後半までの倭国について詳しく、卑弥呼の時代を著した最たるものとして価値が高いです。ただ邪馬台国はどこかという国を巻き込んだ…

九州と畿内2つあった邪馬台国。それが後に1つとして記録された魏志倭人伝

…」の侏儒国によって、邪馬台国の位置が九州だと特定できることを伝えました。 侏儒(土蜘蛛)国から分かる卑弥呼の邪馬台国の場所 ついでに「隋書倭国伝」や「四海華夷総図」からも邪馬台国が九州である情報が読み取れると記しました。 九州に当初の邪馬台国があったことを示す隋書と四海華夷総図 しかし邪馬台国のことを調べるにつけ、どうも「邪馬台国東遷説」だけじゃ説明が付かないことが多いな、と考えるようになりました。 問題になるのは 1・邪馬台国までの行程が説明できない(水行20日+水行10日…

九州に当初の邪馬台国があったことを示す隋書と四海華夷総図

…、日本に最初にあった邪馬台国は九州であり、後に奈良盆地に移ったという「邪馬台国東遷説」を支持しているので。これを書き忘れていました。 2つが融合してる邪馬台国の話については、また今度。 前回 侏儒(土蜘蛛)国から分かる卑弥呼の邪馬台国の場所 - たっちゃんの古代史とか ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております とにかく「隋書倭国伝」は九州の邪馬台を記録した 九州にあった邪馬台国について、もう少し情報を補足します。 卑弥呼の頃の邪馬台国の場所が九州であることを、知…

侏儒(土蜘蛛)国から分かる卑弥呼の邪馬台国の場所

…、 女王卑弥呼のいた邪馬台国の位置が分かるかもしれないんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております ところで侏儒ってなに?というところから始まります。 焦僥人 『山海経』の大荒南経には、焦僥、僬僥(しょうぎょう)、海外南経には周饒(しゅうじょう)と呼ばれる小人たちが住んでいると記されている。焦僥・周饒はともに「侏儒」(しゅじゅ)という言葉が変化したものであり、「小人」ということを示す同一の呼び名であると考えられている。この事から焦僥人と周饒人は同一のもので…

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

…部を書いています。 邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由 倭国の本拠地の変遷(推定) 魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった 妄想まとめ画像 まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。 ・天津神と縄文人神の融合 縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。 火焔土器 - Wikipediaより 縄文人が用いて…

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

…ら弥生時代、卑弥呼と邪馬台国が倭を支配した頃に、日本語が作り変えられているでしょう。いつしか日本人は、この叡智を忘れ去ってしまったんですよ、俺の世界初の仮説ですが。 これいまからずっと前、30歳くらいの時、世間にぶっ殺されそうになってたピークの頃に原案を思い付いて、ファイルに閉じていました。で、最近やっとまとめる気が出たので、組み立ててみました。 北東アジア諸国との対応 紀元前3世紀~2世紀頃の東アジア情勢に対応しています。 ・心臓は高句麗 高句麗(ko-ku-ri)はこころ…

(日ユ同祖論)倭と伊蘇国に秘められた日ユ同祖論

…紫のI-S 個人的に邪馬台国であって、その後に奈良に邪馬台国が東遷した「邪馬台国東遷説」を支持しているのですが。 元邪馬台国だった筑紫のあたりには、イスラエル(ISRAEL)っぽい名の子音「I-S-R」の羅列が残っているのですよ。それを探ってみます。 伊蘇国 むかし筑紫国に五十跡手(いとて)という人がいまして、「筑紫国風土記」によればこの人は高句麗人であり天日矛(あめのひほこ)の子孫でした。 五十跡手は仲哀天皇によって「伊蘇志」という名をつけられて、それを元にして五十跡手がい…