前回虹の記事を書いてたので、記念に文字を虹色で重ねてみた。
さて何と描いてあるでしょうか。
いろは歌が成立した奈良時代の後、平安時代にはすでに五十音の基礎があったそうな。江戸時代以降に、今と完全に似たものが成立したとか言う話ではないですか。
五十音については、何かいろは歌的な怪しい意味を察知していましたので、今回色々といじくってみました。
○いつも助かっております
いろは歌は意味ある折句の文章だった
五十音以前に成立したいろは歌は、誦文(ずもん)と呼ばれるらしく、全体が意味ある文章(折句)になっていました。
いろはにほへとちりぬるを 色は匂へど散りぬるを
わかよたれそつねならむ 我が世たれぞ常ならむ
うゐのおくやまけふこえて 有為の奥山今日超えて
あさきゆめみしゑひもせす 浅き夢みじ酔ひもせず
こんなふうに。
従いまして、いろは歌を受け継いでいるはずの五十音も、もしかするともしかする。そんな可能性は捨てきれなかったわけです。
このいろは歌は、8~9世紀の弘法大師空海が生み出したと伝わってるのです。
これを作れたのは頭の良い空海くらいだろうという、不確定な予想らしいですが、実際は誰が作者なのか不明だとか。
いろは歌の特徴としては、暗号説が昔から囁かれていました。
ウィキペディア引用すると、
暗号説
巷間の一部に、いろは歌の作者が折句で暗号を埋め込んでいるとする俗説が古くから流布している。
暗号とからめて表面上の文意にも二重三重の異なった意味なども指摘される。『金光明最勝王経音義』など古文献の一部では、七五調の区切りではなく、下のように七文字ごとに区切って書かれていることがある。
この書き方で区切りの最後の文字を縦読みすると「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となる。これをもっていろは歌には作者の遺恨が込められており、源高明を作者とする説が出た。
しかし大矢透はこれを「付会」としている[15]。また作者は高明ではなく柿本人麻呂であるとし、同じく五文字目を続けて読むと「ほをつのこめ(本を津の小女)」となる(本を津の己女、大津の小女といった読み方もある)。つまり、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」といった解釈もある。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
義太夫浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」とは、赤穂浪士四十七士をいろは仮名四十七文字になぞらえたものだとされているが、じつはこの「とがなくてしす」の暗号が当時広く知られていることを前提として「仮名手本」と付けられたのだともいう。
すなわち赤穂浪士たちが「咎無くして死んだ」ことを意味するというものである[16]。江戸時代はこの読みは偶然という見方が主流だったが、縁起が悪いので教育に用いるべきではないという意見もあった。
日ユ同祖論的な解釈
コレに関連して、日ユ同祖論では、ヤハウェとイエス・キリストのことを暗号として含んでいると。そういう仮説がありました。
「日本とユダヤ運命の遺伝子」(久保有政著)p320あたりからです。
7文字で並べて縦読みすると、
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
いちよらやあゑ イーシ・エル・ヤハウェ
とかなくてしす 咎なくて死す
いゑす イエス
こうした折句は、平安時代か紀貫之ら歌人の間で流行していたそうですね。
ヤハウェとイエス・キリストのことを正確に書いているので、こっちのほうが正解だと思いますね。
しかし保守的で日本史は日本国内のことが基本だ的な人々は、こういう日ユ同祖論は、全部切り捨ててしまうんです。
それでホントの歴史からかけ離れた解釈で、溢れていくというわけです。
さてここから度肝抜かれて、鳩が豆鉄砲を食ったような話になってきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五十音から出て来る意味ある文章
そんでもって五十音のほうも、いろは歌と同じ特徴を備えていておかしくないと、怪しく見える気持ちを新たにできました。
これは単純に、5文字づつ並べて見ていくと分かることがあったのです。
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やゆよ
らりるれろ
わをん
これが現代人が知ってる五十音の基礎なんですが、おかしいです。四十六音しかない。
それでこれを、もう少し昭和初期的に書くと、こうなるのです。
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やゐゆゑよ(やいゆえよ)
らりるれろ
わいうえを
ん
ゐ=うぃ、ゑ=うぇ。
や行は単純に「やいゆえよ」にする傾向もあるとか。
わ行は、あ行とほとんど一緒なんですね。あいうえお、わいうえお。つまりあ行とわ行は、1対の関係にさせられてるんですよ。
それに「いうえ」が2つあるという、奇妙な特徴も。
このへんは、なにかいろは歌の端っこを集めると「いゑす」になるのと共通してますね。「いゑ」がはいってるので。同じ意味合いが込められてる可能性がありそう。
ではこの文字列から、どんな意味ある言葉が出てくるのかを考えてみました。そしたら、「タテ読み」が正解を導くのだと。そんなふうに想像しました。
あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゐ ゆ ゑ よ
ら り る れ ろ
わ い う え を
ん
これを、縦読みすると、以下のようになります。
・あかさたなはまやらわ
・いきしちにひみゐり
・うくすつぬふむ
・うえけせてねへめゑれえ
・そとのほもよろ
残念ながら全てはわからなかったですが、何か意味が出て来る感じがしませんか。
ちょっと解読してみましたら、妙な意味を導くことができました。
そんなふうに直感したのですが、ちょっと解説を挟みます。
(1)あかさたな はまやらわ
この最初の一文で、すでに意味が通じている文章になってるんですよね。
何が明かされたのか。我(あ)が里とは、倭国のことで。
あいうえお、わいうえをが、一対の関係になってることで、あを「わ」と読めという指示になってるわけなのです。
破魔矢とは神社で貰える魔除けの矢。それは想像すれば、我が里(倭)の兵士を「我が里の破魔矢等」と呼んでいるんですね。倭国大乱に出兵した兵士なのかと。
(2)いきしちに ひみいり
行き死地に姫(卑弥)入り(生き死地に姫(卑弥)入り)
倭国大乱の時はまさに「死地に赴く」のであり、行き死地に。
あるいは生死を別かつ戰であるから、生き死地に。
そんなひどい場面に入った姫こと卑弥呼が、女王に擁立されたのでした。
ひみゐりは姫入りであり、「ひみ」だから「卑弥呼」なのではと。
だから、卑弥呼が倭で破魔矢(鬼道・霊能力)を用いて、敵地の魔除けが達成されたので、埒が明かない状態から、埒が明かされた、「明かさたな」と。
さらに拙著の「崇神天皇=卑弥呼説」と関連付ければ、崇神天皇は「入彦」の名を持っていたので、「ひみゐり」で卑弥=入(崇神天皇)であると、ここで示されているようでした。
(3) うくすつぬ ふむゆる
浮くす角(つぬ)踏む夜(ゆる)
角といえば都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)でヒボコのこと。
だけどここでは、踏まれた角とは、狗奴国の鬼=原住民のことではないかと。
桃太郎が鬼ヶ島こと狗奴国の鬼退治をした、つまり卑弥呼=桃太郎としているんです。倭の鬼退治をしたので「鬼を浮かして角を踏んだ」と表している感じです。
その倭国大乱の時間は、まさに倭の終末であり、夜に例えられました。
「寂しいゆるは愚民だ」の「ゆる(夜)」でした。
(4)うえけせてねへ めゑれえ
上消せてねえ命令
倭国大乱が卑弥呼による鬼退治だとしても、鬼の上位は消せてませんでした。それは卑弥呼が消すなと命じたから。鬼の上位は地方の長になったりしたのです。鬼と呼ばれた兵士以外の住人は、倭人の中に融合しているのです。
この時点で、狗奴国の本拠の卑弥弓呼という人と仲が良くない対立関係が続いていることが「魏志倭人伝」に書いてある。
ちなみに「めゑれえ」はどう見ても「命令(めえれえ)」じゃないですか。
古代からの熟語と、江戸後期以降に積極的に作られた和製漢語は、一般の日本人でも区別は不能です。しかし、命令はどうも和製漢語の一覧に含まれてないです。江戸時代以前に造られた熟語かも。
(5)そとのほもよろ
外の方も宜(よろしい)
外の方も宜しい。これは倭国大乱のあと、卑弥呼の邪馬台国が倭を平定した結果として、邪馬台国の中枢のみならず、鬼のいた外側の国の方まで宜しい状態にした、支配地にした、そのへんを書いているようじゃないですか。
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という感じで、意味不明な文字列もあったのですが、全部「卑弥呼によるの倭国平定」を書いているような情報が、五十音の暗号=縦読みから出てきたというのは、偶然じゃないと思うわけですが。もちろん想像です。
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