「古代の天皇は朝鮮半島から渡ってきた」と言うと、保守層から袋叩きにされたりするのですよね。でも自分的には、それは本当だと考えていますが。
尤も朝鮮半島は通り道であって・・・天皇と付き従った大和民族の根幹は扶余であり、遡って烏孫であり、さらに遡って中東から来ているというのは、要するに天皇と大和民族の大陸起源説は肯定してるわけなんですが・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それを証明する1つが「桃太郎」だった
以前に書いた記事。
この記事を要約すると、
1・桃太郎は、皇族の吉備津彦、または倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫が男装した姿
2・桃太郎は、九州の天皇(卑弥呼)勢力が、鬼ヶ島(狗奴国)に攻めた話
3・桃太郎は、西の申(猿)・酉(雉)・戌(犬)の地から、東北の鬼門を攻めた
これが基本的にありました。
しかし桃太郎の物語には、もう一つの秘密がありました。
それは、朝鮮半島の倭人地から九州へと、倭の英雄が入った英雄譚です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○いつも助かっております
もう一つの桃太郎 朝鮮半島南部の倭人地、任那=馬韓=百済は「桃の地」だ
次の解説図は桃太郎の物語を表しています。
図1
桃は川上から流れてきましたが、「桃」→「鬼」というのが桃太郎の簡単な骨子です。
桃太郎の起源は桃の土地だった、まずこれが肝。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
図2
日本語では、桃(もも)=百(もも)。
桃太郎の「桃」の字は、天皇家の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の「百襲姫」の「百」に置き換えることができました。
百襲姫=桃そ姫で、吉備津彦と桃そ姫でワンセットです。
すると1つのことに気づくのですが、朝鮮半島南端は卑弥呼の時代以前は倭人居住地であり、そのことは「日本書紀」や「後漢書」「魏志」などの中国正史から読み解けます。
詳しくはこの記事。
半島にあった倭人地の名は、任那、馬韓、のちに扶余人が治めて百済になったのです。
これがじつに不思議な事に、「桃」っぽかったのですね。
こんなふうに。もも、むま、みま。
決定的なのが、百済(くだら)を訓読、大和言葉的にすると、百済(ももたら)になることですね。
百済は桃太郎
・百 もも
・済 だら・たら
百済=桃太郎
なんで百済が桃太郎になっているのかというのは不思議。
でも、朝鮮半島南部の任那が、桃太郎=天皇家の本来の土地だったから、とすれば話は辻褄が合います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
図3
馬韓の南方は倭人の居住地で、弁韓から対馬海峡に面した狗邪韓国にかけてが倭人の本拠であり、「日本書紀」の任那と重なる地域でした。
馬韓南東の倭人地区には「卑弥国」があり、女王となった卑弥呼の名とまったく同じであるので、これが無関係なほうがおかしいです。
だから今回の桃太郎の話と合わせれば、
・卑弥呼は死ぬと百人が殉葬した(生贄)、この出来事が百襲姫(百人を襲う姫)の名の由来である
・卑弥呼は朝鮮半島南部の倭人地=卑弥国から、九州に渡り女王卑弥呼になった
これの説明がつくのではないかと。
関連記事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
図4
任那(みま城)の名を持っているのが、崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)。
御間城入彦の「みま」なんですよ。だから崇神天皇は朝鮮半島の倭人居住区域から来ていることは決定だと考えてるわけなのですが。
「任那からきて、五十瓊(委奴)へ入った」から「御間城入彦五十瓊殖」ですね。
関連記事
要するに、図1・図2・図3と、同じ骨子が見えてくるのですよね。ああ、これも桃太郎ルート(朝鮮半島の倭人地→九州ルート)なんだと。
さきほど言いましたように、天皇家=桃太郎なんですよ。
御間城入彦=御間太郎=桃太郎で、上記の卑弥呼と同じじゃないですか。
人物名をまとめると、
・桃太郎 momo taro(百済 momo taro、馬韓 mima、任那 mima)
・百襲姫 momo(弟はきび団子の吉備津彦)
・御間 mima→ momo 御間太郎(崇神天皇)
桃太郎(天皇家の百襲姫)と卑弥呼と崇神天皇をつなげるキーワードは、桃=百だったのだと。
あ、これで拙著「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」の、証明方法がひとつ増えましたw
・・・・・・卑弥呼は崇神天皇だと言っても、信じない人のほうが多いかもですが。
崇神天皇とは、卑弥呼が男装した姿であると。卑弥呼と壱与を合わせて崇神天皇だと。
バチカンにあるっていう、過去を見れる機械があったら、真相はわかるのだとは思いますけど、誰か見てきてくれないかな。
人気ブログランキング