たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

百済が桃太郎の名を持っていることから導かれる道筋

「古代の天皇朝鮮半島から渡ってきた」と言うと、保守層から袋叩きにされたりするのですよね。でも自分的には、それは本当だと考えていますが。

尤も朝鮮半島は通り道であって・・・天皇と付き従った大和民族の根幹は扶余であり、遡って烏孫であり、さらに遡って中東から来ているというのは、要するに天皇大和民族の大陸起源説は肯定してるわけなんですが・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それを証明する1つが「桃太郎」だった

 

以前に書いた記事。

桃太郎は卑弥呼にとって弟かそれとも分身か

 

この記事を要約すると、

1・桃太郎は、皇族の吉備津彦、または倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫が男装した姿

2・桃太郎は、九州の天皇卑弥呼勢力が、鬼ヶ島(狗奴国)に攻めた話

3・桃太郎は、西の申(猿)・酉(雉)・戌(犬)の地から、東北の鬼門を攻めた

f:id:kl117cr233:20170328182929j:plain

これが基本的にありました。

 

しかし桃太郎の物語には、もう一つの秘密がありました。

それは、朝鮮半島倭人地から九州へと、倭の英雄が入った英雄譚です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 もう一つの桃太郎 朝鮮半島南部の倭人地、任那馬韓百済は「桃の地」だ

 

次の解説図は桃太郎の物語を表しています。

図1

f:id:kl117cr233:20170809015050j:plain

桃は川上から流れてきましたが、「桃」→「鬼」というのが桃太郎の簡単な骨子です。

桃太郎の起源はの土地だった、まずこれが肝。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

図2

f:id:kl117cr233:20170809015504j:plain

日本語では、桃(もも)=百(もも)。

桃太郎の「桃」の字は、天皇家の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の「百襲姫」の「百」に置き換えることができました。

百襲姫=桃そ姫で、吉備津彦と桃そ姫でワンセットです。

 

すると1つのことに気づくのですが、朝鮮半島南端は卑弥呼の時代以前は倭人居住地であり、そのことは「日本書紀」や「後漢書」「魏志」などの中国正史から読み解けます。

詳しくはこの記事。

倭国の本拠地の変遷(推定) - たっちゃんの古代史とか

 

半島にあった倭人地の名は、任那馬韓、のちに扶余人が治めて百済になったのです。

これがじつに不思議な事に、「桃」っぽかったのですね。 

朝鮮半島南部倭人居住地は桃っぽい地名

 

百済 百もも momo 百をももと読めば、百済ももだら・ももたら→桃太郎

馬韓 馬むま muma 馬韓の後継国が百済

任那 任みま mima 馬韓南部は歴史的に倭人域で任那と重なる

こんなふうに。もも、むま、みま。

 

決定的なのが、百済(くだら)を訓読、大和言葉的にすると、百済ももたら)になることですね。

百済は桃太郎

・百 もも

・済 だら・たら

 

百済=桃太郎

なんで百済が桃太郎になっているのかというのは不思議。

でも、朝鮮半島南部の任那が、桃太郎=天皇家の本来の土地だったから、とすれば話は辻褄が合います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

図3

f:id:kl117cr233:20170809020007j:plain

半島の百済は、元々は馬韓の土地でした。

馬韓の南方は倭人の居住地で、弁韓から対馬海峡に面した狗邪韓国にかけてが倭人の本拠であり、「日本書紀」の任那と重なる地域でした。

馬韓南東の倭人地区には「卑弥国」があり、女王となった卑弥呼の名とまったく同じであるので、これが無関係なほうがおかしいです。

だから今回の桃太郎の話と合わせれば、

 

 

卑弥呼は死ぬと百人が殉葬した(生贄)、この出来事が百襲姫(百人を襲う姫)の名の由来である

卑弥呼朝鮮半島南部の倭人地=卑弥国から、九州に渡り女王卑弥呼になった

・倭迹迹日百襲姫命=桃そ姫=卑弥呼は桃太郎である

 

これの説明がつくのではないかと。

関連記事

古代皇族の殉死と埴輪のこと。2

倭迩迩日百襲姫の謎。3

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

図4

f:id:kl117cr233:20170809020029j:plain

崇神天皇の名は、御間城入彦五十瓊殖天皇

 

任那(みま城)の名を持っているのが、崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖天皇)。

任那の「みま」は馬韓の「むま」と同じです。

御間城入彦の「みま」なんですよ。だから崇神天皇朝鮮半島倭人居住区域から来ていることは決定だと考えてるわけなのですが。

 

任那からきて、五十瓊(委奴)へ入った」から「御間城入彦五十瓊殖」ですね。

f:id:kl117cr233:20170810015403j:plain

関連記事

崇神天皇が任那から九州へ移動したことを証明する新説

 

要するに、図1・図2・図3と、同じ骨子が見えてくるのですよね。ああ、これも桃太郎ルート(朝鮮半島倭人地→九州ルート)なんだと。

 

 さきほど言いましたように、天皇家=桃太郎なんですよ。

 

御間城入彦=御間太郎=桃太郎で、上記の卑弥呼と同じじゃないですか。 

人物名をまとめると、

・桃太郎 momo taro(百済 momo taro、馬韓 mima、任那 mima)

・百襲姫 momo(弟はきび団子の吉備津彦

・百人殉葬の卑弥呼 momo(卑弥呼は百人襲った姫)

・御間 mima→ momo 御間太郎(崇神天皇

桃太郎(天皇家の百襲姫)と卑弥呼崇神天皇をつなげるキーワードは、桃=百だったのだと。

 

あ、これで拙著「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」の、証明方法がひとつ増えましたw

 

・・・・・・卑弥呼崇神天皇だと言っても、信じない人のほうが多いかもですが。

崇神天皇とは、卑弥呼が男装した姿であると。卑弥呼と壱与を合わせて崇神天皇だと。

バチカンにあるっていう、過去を見れる機械があったら、真相はわかるのだとは思いますけど、誰か見てきてくれないかな。 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村

↑ クリックお願いしますm(_ _)m。