たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

猫ちゃん

すでに電子書籍ではデビューしてる猫ちゃん。

 

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モサ猛者。

 

デザイン固定のために、再度描いてみた。

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一人称は、わし。

漫画かくならこいつをかきたい。

俺の中で「想像される世界のしくみ」を漫画にする。

 

 


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なぜ日本語のデブ系語彙がヨーロッパ語と共通するのか

昔からふとっちょな人が登場すると、一々デブとか言ってる。

ネット眺めてたらデブの話が出てきたので気になったので、今回はそんな不思議なデブについての一考。


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でぶの類義語

 

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肥満の女(病草紙から)肥満 - Wikipediaより

 

ちなみに日本人の平均的な体重を調べるならここ。

BMIと適正体重 - 高精度計算サイト
体重と身長の関係から肥満度を示す体格指数(BMI)と適正体重を計算します。

BMI指数は、22の時に最も病気になりにくくなります。
肥満度が高くなると、生活習慣病(糖尿病、高血圧、高脂血症)の確率が高くなります。

 

俺の場合BMIは25くらいだったので、肥満度1らしい。適正体重より10キロオーバーしてた・・・。自分が若干デブなことが分かったところで、本題にはいります。

 

日本語では太ってることを示す言葉はいろいろあり。

語感が良い

 ・ふとっちょ

 ・恰幅が良い

 ・ふくよか

 ・豊満

 ・ぽっちゃり

 ・太め

語感が悪い

 ・デブ

 ・肥満

 ・ぶた

など。

 

webioではこんな感じ

ふくよかな体 ・ 豊満な体 ・ 豊満なボディ ・ ぽっちゃり系 ・ 肥満 ・ ファッティ ・ デブ ・ 肥満体 ・ ポッチャリ系 ・ ポッチャリ ・ おデブ ・ 肥満体質 ・ 巨腹 ・ 太鼓腹 ・ 豊満な肢体

デブの同義語 - 類語辞典(シソーラス)

ファッティなんか使ったことがない件。英語圏でfat manのことをfattyというのだろうか。

おデブって、デブに丁寧語の「お」を付けただけで、丁寧なデブになるとでも言うのだろうか。

じゃ片っ端から「お」を付けてみたらどうだろうか。おでぶ、おぽっちゃり、お肥満、お豊満、お恰幅・・・

 

デブの語源

 

日本人はなんで、太っていることをデブというのか。

これはもっともらしい定説としては、こんなのがありました。

江戸時代から「でっぷり」という擬態語が使われており、短縮・繰り返しのオノマトペ「でぶでぶ」という言葉が名詞化されたというのが一般的である。

デブ - Wikipedia

 でっぷり、でぶでぶ。これが定説上の語源らしい。

 

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大陸とデブの関係を探る

 

でも当ブログではユーラシア大陸の諸民族の言語が日本に入ってるらしいことを、逐一紹介してきました。

それでやっぱりデブも大陸から入り込んだんではないか・・・入り込んだ外来語なのではないかと思い、グーグル翻訳こんにゃくで調べてみました。

 

肥満をグーグル翻訳

西欧

・英語 Obesty

・ドイツ語 Fettleibigkeit

ラテン語 Obesitas

ポルトガル語 Obesidade

東欧

ハンガリー語 elhízottság

クロアチア語 gojaznost

ルーマニア語 Obezitate

スロベニア語 Debelost

アジア

トルコ語 Obezite

キルギス語 семирүү(semirüü)

モンゴル語 таргалалт(targalalt)

タガログ語 Katabaan

・韓国語 비만(biman)

・中国語 肥胖(Féipàng)

 

グーグル翻訳では太っちょやぽっちゃりも翻訳できることがわかったので調べました。
 
太っちょをグーグル翻訳

西欧

・英語 Fat Person

・ドイツ語 Fat Person

ラテン語 Fat hominem,

ポルトガル語 pessoa gorda

東欧

ハンガリー語 kövér

クロアチア語 Fat osoba

ルーマニア語 persoana grăsime

スロベニア語 Fat oseba

アジア

トルコ語 şişman kişi

キルギス語 semiz adam

モンゴル語 өөх хүн (öökh khün)

タガログ語 taba tao

・韓国語 뚱보(ttungbo

・中国語 胖子(Pàngzi)

 
ぽっちゃりをグーグル翻訳
・英語 BBW(big beautiful woman)
・韓国語 풍만(pungman)
 
ほかにも日本みたいに太っちょみたいなスラングがあると思われますが。
こうしてみると、日本語のデブと太っちょに関係する言葉が見えてきました。
スロベニア語 Debelost
・欧州語 Fat
この2つが、日本語に関係しているように見えますよ。
 
やっぱ日本語の「太い」と「Fat」の関係ですよ。
・日本語 Futo(Futoi)
・欧州語 Fat
 
そしてスロベニア語と日本語の共通する「deb
スロベニア語 Debelost
・日本語    Debu
 
これは偶然ではないように見えますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ブタも欧州語と共通するか
 
となるとデブを表す言葉としても悪用される「ブタ」。
ブタの語源は「ブーと鳴くからブーだ」なんだと言えばそうかもしれませんが。実はブタも欧州語なのではないかと考えられたのですよ。
ブタは古来より使われた呼び名とみられるのですが、古語だと猪と書いて「シシ」とか「イノシシ」と言っていました。
ブタは大陸から家畜としてもたらされたとする説が幾つかあり、そうすると本来は家畜という意味を持っていたかもしれないので、その点を含めて調べました。
 
「ブタ」をグーグル翻訳
・カザフ語 шошқа(şoşqa)ショシュカ?

キルギス語 чочко(çoçko)チョチュコ?

・中国語の古語 豕(シー shǐ)、wikipediaブタより

「シシ」と同じ音を2回繰り返すのは、中央アジアの呼び方に似ていますよ。やはり中央アジア系の人がもたらした名残が、シシにはあるのでは。

 

「家畜」をグーグル翻訳

・フランス語 bétail betaが含まれる

ブルガリア語 добитък(dobitŭk)bituが含まれる

マケドニア語 добиток(dobitok)bitoが含まれる

日本語のbutaに近い呼び名が、欧州では家畜という意味だったのですよ。これは弥生時代には本来家畜という意味で入ってきたブタが、いつしか豚という特定の動物を指す名称に変わったことを意味するのではないかと。

ブタという動物そのものと、家畜化という文化、この2つの起源が日本列島でなく大陸にあることも、これを裏付ける要素になりそうですよ。

 

ブタはブッダかという驚天動地の仮設

あと一つ思いついたのが、ブタの語源は仏陀であるという、とんでもない罰当たりな仮説を考えていました。

かつて日本は古墳時代までは、表向きは神道を敬う国だった(実際には道教景教ユダヤ教ミトラ教だのが混在するとみられる)ところに、6世紀に仏教伝来があって、激しい対立があったんですよ。だから神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏で対立が起こったりして、寺が焼き払われるなんてこともありましたし。

そんな中で神道派は寺を焼いたり、ブッダの像を破壊したりと、仏教をやたらおとしめようとするわけなんですよ。その一連の流れで、それまでシシと呼んだ豚という家畜にブッダと名付けて蔑んだ、これが定着したなんてこともあり得るかと考えたんですけどね。

 

ちなみに肥満児の絵をかいてみた。ちゃんとペン入れもしてみた。漫画の練習。

 

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 モノクロ。

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そして色つけてみた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、デブ、太い、ブタという3種のぽっちゃり語彙に関しては、アジアの近隣じゃなくて、欧州語・中央アジア語に近いのではないかということが分かってくるのでした。
弥生時代の段階で日本語に組み込まれてると考えたら興味深いところ。

 

 

過去の関連記事はこちら。

日本の野菜は殆ど外国原産

日本語は夫余語か

日本語のまじない(majinai)と、英語のmagicの語源は同じ?

トルコ語と日本語は似てるとか

ウズベク語と日本語は似てるというド素人研究

神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか

日本語の大陸起源 事物と言葉の歴史的経緯から探ってみる

参考に。

 

 

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「危機意識商売」の仕組みを想像してみる

(2022年追記。まぁ俺もブログで危機を書いて、すこし収益化してるから人のこと言えないですけども

 

アレが危ない、アイツが危ない、地震が来るぞ、世界が滅ぶぞ、

といって危機意識を高めるのは良いとして、

 

これを商売にしている人が、大勢存在しているのはなぜだろう。

純粋に人類や日本の危機を訴えているのかもしれないけれど、確実にお金儲けに繋げているらしいですね。

 

例えば何十年も前から「首都直下型地震がすぐ来るぞ、明日来るぞ」と言い続けて、もう30年、40年が経過してるわけですよ。

この危機意識を元にして人々の関心をあつめ、「地震がすぐに来るから、うちも耐震化しようかしら」という気になったり影響を受けた人が、何百万・何千万人とでた。全国の市街地で耐震化工事が行われて、とんでもない金額が動いた、政治家も建設業も啓発活動者も儲けに繋げたわけですよ。

 

実際のところ「首都直下型地震が予言されてから30~40年も起きなかった」というのは、危機意識を高めたという功績はあるにしても、予想や予知としては大外れだった。

騙されているのは事実だと思いますけど。

これは地震だけじゃなくて、「こうしないと病気になってしまいますよ系」だとかあらゆる分野で同じ感じで、商売の基本なのかもしれないっすけど。

政府も個人もやってるらしい。まー大地震はいずれ来るのだろうし、悪いことじゃないから、やればいいと思いますけど。

 

そして地震が実際に来たら「ほら見ろ!大地震が来た!私の言ってることがあたった!」とか喜ぶ。注目されて、本の売上が伸びる。

これが「危機意識商売」というやつですよ(想像)

 

簡単な図で説明。

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ちなみにこの図はお金儲けの方法だけを書いていますが、「注目を集めて儲け増」 のところには、「自己正当化、批判や悪口の正当化、集スト(監視・おしおき)正当化」などがセットになっている場合があると思われます。となると看過できない。

ここに俺も危険人物として組み込まれて、金づるにされてるらしい。「あの人は危険人物だから監視をしたほうがいい、おしおきすべき」とかいって事業費や動員費が動く。

 

想像をしただけ。おわり。

 

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アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

前回

淤能碁呂島には沈んだアトランティスの情報が含まれるのかもです

 

今回はさらに妄想を広げてみる。

 

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・淤能碁呂島と同じくアトランティスは天から降ってきた島だったのか

 

淤能碁呂島はイザナギイザナミが、天沼矛を用いて原初の海をかきまぜたときに、滴り落ちる塩の塊が累積して島となった。

つまり淤能碁呂島は

1・地上で生まれ、

2・いったん空(宇宙)に上がって

3・その後また地上に降り立った

4・天に届く柱を建てた(天御柱

ことになるんですよね。

 

そうするとアトランティスというのがなぜ、淤能碁呂島の天御柱と同じく、天のはるか高くまで柱を持っているのかという描写は、意味がわかる気がしますね。

アトランティスと淤能碁呂島、両者とも宇宙との繋がりを示していることは明らかですが。

そういえば宇宙エレベーターっていうのはまだ構想段階らしいんですが、カーボンナノチューブという超絶頑丈な素材を使うことで、地上からはるか上空に宇宙エレベーターを建設しても持ちこたえられるとか。

それはともかくアトランティスが天から降ってきたとするとなにか意味深。アトランティスは島や大陸というか、巨大な人工物体。しかも空を飛ぶ、

それがアトランティスの正体なんだとしたらですね。淤能碁呂島が全く同じものを表している可能性があるだけに、興味津々ですねこりゃ。

 

言い換えると、

1・地上で作られたものが

2・一度天空に上がって、

3・再び地上に降り立ち

4・栄華を極め

5・海中(地中)に没した

という淤能碁呂島=アトランティスの流れが見えるのですが。この点は最後にまとめます・・・。

 

 アトランティスエデンの園、淤能碁呂島は同じ場所か

アトランティス アトラス神 蛇(ゴルゴン) 柱    火山

エデンの園   エバ    蛇     生命の樹 回転する炎の剣

・淤能碁呂島   イザナミ  蛇      柱    回転 炎(カグツチ

前回の記事より。 

 

・八尋殿はメトロポリスに対応するのか

 

アトランティスには蛇の柱、淤能碁呂島には蛇の天御柱、という共通する建造物がありましたが。もうひとつの建造物。

アトランティスには「メトロポリス 」という街があったらしいです。メトロポリスとは

Metropolis=meter(母)+polis(都市)

これが淤能碁呂島の「八尋殿(やぴろどの)」に対応してたみたいです。

「新版古事記 角川文庫」

伊邪那岐命伊耶那美命の二柱の神(中略)其の沼矛を指し下ろして画かせば、塩こをろこをろに画き鳴して、引き上ぐる時に、其の矛の末より垂り落つる塩の累積り嶋と成る。是れおのごろ嶋なり。其の嶋に天降りに坐して、天の御柱を見立て八尋殿を見立てたまふ。

 

気になる言葉を分解して調べてみる。

ヤピロトノ

yapirotono

ya-pi-ro-to-no

 

メトロポリス

metropolis

me-to-ro-po-lis

 

ためしに、「ヤピロトノ」を逆から読んで「ノトロピヤ」として見る。 

me-t-ro-po-lis メトロポリス

no-to-ro-pi-ya ノトロピヤ

メトロポ=ノロトピ

metropo=notoropi

 

八尋殿を逆から読むと、メトロポリスだったのか。アナグラムといっていいですが。何で逆から読むとメトロポリスっぽくしたのかというのは、

それは淤能碁呂島の八尋殿が、アトランティスメトロポリスに対応するから、として考えられることでした。

 

アトランティスという言葉は記紀神話にないのか

 

もし仮にアトランティス記紀神話に記録してあったら。アトランティスは漢字に置き換えられていると考えられました。それはどこにあるんだろう。

おそらく書いてあるなら、国生み・神産みの神話の中だと考えられたので、すぐに調査しました。すると、気になる神様が並んでいました。

 

古事記では」天之御中主神高御産巣日神神産巣日神という造化三神が誕生し、そんな中で国常立神(国之常立尊)が登場しますね。

 

以前、国常立尊についてこんな解釈してましたが。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

この記事の結論から言うと、国常立尊とは、

国常立尊=葦牙=三角錐=昔塩=潮満玉=淤能碁呂島。

だったのですよ。

 

つまりここまでの仮説でいくと、

国常立=淤能碁呂島=アトランティス

ですが。

 

で、実は「古事記」の描写では、国常立神以降の神様も、どうやら「淤能碁呂島の成り立ちを表している」んではないか、そんな風にも見られたわけなのです。

原文をうつすと、

 (前略)次に成りませる神の名は、国之常立神。次に豊雲野神。此の二柱の神も、独りが神と成り坐して、身を隠したまふ。

次に成りませる神の名は、宇比地邇神(うひぢにのかみ)次に妹須比智邇神(すひぢにのかみ)。次に角杙神(つぬぐいのかみ)次に妹活杙神(いくぐいのかみ)。次に意富斗能地神(おおとのじのかみ)次に妹大斗乃弁神(おおとのべのかみ)。次に淤母陀琉神(おもだるのかみ) 次に妹阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。次に伊邪那岐神(いざなぎのかみ)次に妹伊邪那美神(いざなみのかみ)。

上の件、国之常立神より以下、伊耶那美命より以前を、并せて神世七代と称ふ。

 神世七代はワンセット。切っても切れない関係性があるわけなのですが、神世七代全体が、国常立神といっしょの存在と考えると、ここに国常立神=アトランティスの情報が入っていて然るべきでした。以前に解釈した建設者としての神世七代とは、違った解釈をしてみます。

 

a・宇比地邇(うひじに)
 
地の上に浮い(浮比)ている(空中を浮遊する)

 古事記原文では縦書きで

 宇 (浮)
 比 (ひ)
 地 (地)

とかいて、まさに「地の上に浮ひている」と書いてあるのですよね。

b・須比智邇(すひじに)
 
水(須比)と智(地)に接続する(地上に降り立つ)

c・角杙(つぬぐい) 
 地上に杙(杭)を打ち建設を始める(角)(固定し都市開発)

d・活杙(いくぐい)  
 杙(杭)で固定後に生活しはじめる(都市で人の生活)

e・意富斗能地(おおとのじ)
 意冨(ア=大)斗(ト)能(ノ)地(ティ)アトランティスである

f・大斗乃弁(おおとのべ)
 大(ア)斗(ト)乃(ノ)弁(ワケ=別=土地)(アトラン、または敵対するアテナの土地になったことを表している

g・淤母陀琉(おもだる)
 面足(顔が満足)したが、琉れた(完成と崩壊)

h・阿夜訶志古泥(あやかしこね)
 阿夜(なんとも不思議なことに)訶志古(畏ろしく)も泥に沈んだ(崩壊)

 

 こうしてみるとアトランティスの「誕生、栄華、滅亡」が組み合わさっているようでした。アトランティス伝説に足りないのは、「空中を浮遊して地上に降り立った」という部分ですが、そこは淤能碁呂島の記述が補完してるというわけなのですよ。

国常立神=淤能碁呂島=アトランティス説はアリなんじゃないかと思えてきたわけなのですが。どうでしたでしょう。

 

さいごにまとめると、

 国常立尊=葦牙=三角錐=昔塩=潮満玉=淤能碁呂島=エデンの園アトランティス

 

 仮説の域です。

 

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下野市の三王山南塚が豊城入彦命の墓であることの証明(補強)

セミが地中から抜け出てミンミン鳴きはじめる夏が来たのに、俺はまだ家から抜けだせていませんが・・・。

だめな奴なので、何事も躓いてばかり、すんなり行かない。

 

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ひまがない

 

古代の天皇陵や天皇家の墓というのは、なかなか不確定要素に満ちていて、はっきりと決まってるわけではなかったりするんですが。たとえば欠史八代天皇陵は、ほとんど実際の天皇陵ではないんですよ、「天皇陵総覧」によると。古墳時代以前の天皇陵と伝わってるうち、何割が正解なのだろうか。古代に遡るほど、不正確要素に満ちているんだと思いますけど。

豊城入彦命のお墓とされる場所も不明瞭だったのですが、以前の記事で、下野市の「三王山南塚1号墳・2号墳」がそれではないかとの指摘をしました。ほんとは論文にまとめたほうが良いんでしょうが、ひまがないので・・・。

この仮説を補強する材料があらたに見つかったので、低学歴なりに適当に公表したいと思います。

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関東地方で、豊城入彦命が祭神となってる、または豊城入彦命の伝承のある神社をグーグルマップ上にプロットしてみました。その上で、それぞれの神社の社殿が、どちらを向いているのかを調べています。

ポイントから伸びている線の方向が、神社の社殿の真正面に向かう線ということになります。

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ここで分かったことは、

(a)・豊城入彦命に関係している神社の方角は、太陽とはほとんど無関係なものが多く見られた

(b)・豊城入彦命の多くの神社は、特定の方向に向いていること。それはすなわち

 ①赤城山に向いてる 9社

 ②三王山南塚1号墳・2号墳に向いてる 7社

 ③筑波山に向いてる 4社と古墳1基

 

豊城入彦命に関係する神社の社殿が、この③カ所に集中していたということは予想外なことでした。

つまり素人的な見地から推察してみるに、おそらく神社というのは

「信仰対象に向かって社殿を建てる」

という目的が古代の神道黎明期からあったのではないか、という予想がつくことでした。これは豊城入彦命の神社だけでなく、日本の江戸時代以前に創建された数万社の神社は、ほとんど全てがそうだったはずです。

近年は都会に新たに神社を創建する場合、道路の道に沿って建物を造営したり、土地の区画に社殿を合わせる傾向があるみたいです。本来の神社の向きについては、こだわらなくなってしまっているようですが。これは多分本来の意味合いが失われたことが影響してるかもです。

ということで従来からあった「太陽の冬至夏至や南中高度の方向に神社を向けてる」という神社の向きの仮説だけじゃ、社殿の向きは説明がつかなかったんですね。

 豊城入彦命の神社の場合は、信仰対象として選ばれた方角が赤城山であり、筑波山であり、三王山南塚だったわけなのですよ。ここで問題なのは、なんで神社の信仰対象に三王山南塚が含まれてるかってことでした。

・・・

 

赤城山

赤城山というのは前回の記事までは、未調査で触れていませんでした。豊城入彦命に関係する重大な役割があったと気づいて、さっそく調べてみたのです。

f:id:kl117cr233:20160712105900j:plain写真は赤城山 - Wikipedia より

赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)
社伝では、豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に山と沼の霊を奉斎したという。

赤城神社 (前橋市富士見町赤城山) - Wikipedia

 赤城山というのはつまり、豊城入彦命が最初に信仰対象とした山なんではないかという予想はつきました。豊城入彦命の崇拝した赤城山だから、豊城入彦命を祀る神社9社が赤城山に向けられている、これは至極単純で納得の行きそうな話。

・・・

 

筑波山

次に豊城入彦命の複数の神社が、なぜ筑波山に向いているのか。について。

筑波山は元々は東毛野を象徴する信仰の山だったことは、疑いの余地がないことでした。かつての豊城入彦命の治めた毛野国とは、北関東(群馬、栃木、茨城、埼玉)を中心とした土地。このあたりが豊城入彦の支配地の中心をなすところで、筑波山は支配地の東に位置します。

筑波山という山自体が筑波山神社の祀っているご神体そのもので、昔から淤能碁呂島であるとも言われてきたとか。筑波山の山頂は男体山と女体山の2つに分かれ、それぞれに筑波山神社の本殿が置かれています。男体山本殿で筑波男ノ神=イザナギを祀り、女体山本殿で筑波女ノ神=イザナミを祀っています。

筑波山の斜面の南方にある筑波山神社は拝殿だとのことです。つまり筑波山神社の拝殿に拝むということは、筑波山そのものとイザナギイザナミに拝むことに等しいというわけでした。

むかし一説に日本武尊が祭神とあったそうなのですが、その名残をとどめているのが筑波山神社の境内にある随神門です。現在の随神門では、拝殿向かって左側に倭健命(やまとたけるのみこと=日本武尊)の随神像が立っているんです。そして興味深いのが、随神門の右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと=豊城入彦命)の随神像も立っているというところ。この随神門は文化8年(1811年)の再建ということでしたが、最初の随神門が建立されたのは寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光の寄進だったということなのです。

つまり江戸時代初期頃までは、筑波山神社では日本武尊といっしょに豊城入彦命筑波山神社の祭神の一柱だった可能性があるわけなんですが。そもそも筑波の山のあたりは豊城入彦命の支配地であったので、この可能性はあってしかるべきだったのですよ。

だから関東の豊城入彦命の関連神社の社殿が、筑波山に向いているのはあるていど納得できる話ではありました。

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筑波山神社 - Wikipedia より(右側にチラッと見えてる豊城入彦命の像)

 

 ②三王山南塚1号墳・2号墳

ということで、豊城入彦命の崇拝した・崇拝された山だった、「赤城山」「筑波山」に、豊城入彦命の神社の社殿の向きが整えられている、この事実を踏まえれば、三王山南塚に豊城入彦命の関連神社の社殿が向いている、このことの意味はおのずと分かってきました。すなわち、

「三王山南塚1号墳・2号墳が、豊城入彦命墓所であることを示している」

これの信ぴょう性は高いものだと思うわけなんですよね。この点についても電子書籍に加えたいところ。

ということでこれについての説明は省略するので、あとは前回の記事「電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 パート1~9」を参照してください。

 

参考
電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 パート1~9」

パート1

パート2

パート3

パート4

パート5

パート6

パート7

パート8

パート9

 

 

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南九州に旧約聖書的な記録が見つかるのは何故か

当初「古語拾遺」に烏孫の情報が入ってることを書こうとしたら、なぜか「翰苑」にまつわる日ユ同祖論のほうが気になってきました。そこでそっちを優先して記事にすることにしました。

 

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地図の痕跡

 

以前に日向国出雲国が、古代イスラエル・ユダ連合王国の形をしてるということ述べていましたが。

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こんなのとか。

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こんなのとか。

 ちなみに個人的にイスラエルとかユダヤ人の宗教や思想を信仰信奉みたいなことしてるわけではなく、あくまでも興味があるから調べているだけですので悪しからず。 

 

以前の記事はこのあたり。 

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった。その1

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった2 日ユ同祖論を証明する大和国の境界線

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 

出雲国の日ユ同祖論を境界線で解いてみた

 

南九州には宮崎県以外の県でも、古代イスラエル人・ユダ人の痕跡が残ってるんじゃないかということは前々からぼちぼち考えていたことで。

そのなかの1つ「翰苑」の気になって寝れない記述について触れておこう。

 

とりあえず魏志倭人伝

 その前に、とりあえず九州の古代の地名について「魏志倭人伝」から調べます。

魏志倭人伝」に登場してくる諸国名(地名)を現在の日本列島に当てはめる比定作業は、研究者がいるだけ仮説が登場してしまう。いわば現状では定説がなくなっているような事態で、何がホントかさっぱりわけわからんです。

この点について、当ブログでは最初から「魏志倭人伝に登場する諸国は数珠つなぎになってる説(略して数珠つなぎ説)」を提唱していたわけでした。

魏志倭人伝」に登場する地名(国名)は、

対海国、一大国、末盧国、伊都国、不弥国、投馬国、邪馬台国、斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、華奴蘇奴国・・・・・・

 これ以降もずっと並んでますが。これらの国は全国各地にランダムに当てはめる傾向があるらしいですが、陳寿としては地理的に並んでる順番に、倭人伝に書き記して行ったと考えられたのです(実際そのほうが分かりやすいし覚えやすい)。

 

ここまでの国名(地名)を検討し、現在の地名に照らすと以下のようになっているんです。

1・対海国 対馬国対馬市

2・一大国 壱岐国壱岐市

3・末盧国 松浦郡唐津市松浦市

4・伊都国 怡土郡糸島市

だいたいここまでは現時点で多くの研究者に概ね支持されていますが、これより先は意見が千差万別に別れてしまうわけなんですが。

では個人的に考えてる数珠つなぎ説ではどうなってるか。

5・不弥国 宇美(宇美町

fumi→umi

6・投馬国 宝満山太宰府のあたり

投馬(toma)→宝満(homan)

7・邪馬台国(邪馬壱国) 甘木地方(朝倉市)=元ヤマト

安本美典説支持

安本氏の提唱してる「邪馬台国朝倉甘木説」というのは、どのくらい支持があるのだろう。拙い拙著でも支持して取り上げてるのですが、ほんとうに朝倉市付近と奈良県奈良盆地の地名はかなり一致しているのですよ。つまり朝倉にあった邪馬台国が、地名をそっくりそのまま東方の大和国に移し、ヤマト王権は東遷を果たし居座ったことが明らかだろうというのが、邪馬台国東遷説の骨子です。

そして、これより先はこんなふうに考えているわけですが。

8・斯馬国 杵島郡と島原

杵島郡佐賀県八代海に面した土地。島原は雲仙普賢岳とかあのへん。杵島や島原というのは海に浮かぶ島のことではなくて、キシマ、シマバラという島に関係ない地名から名付けられてるのだ。とすると当初は杵斯馬、斯馬原だったんではないか。

9・己百支国(いわき国)芦北郡

「中国正史日本伝(1)」では、明治43年の「卑弥呼考」(著内藤虎次郎)から引用し、「己百支」を「伊勢石城、磐城」などとしているので「いわき」説を取っているのです。熊本県の芦北郡は、古名を「葦分」といったのですよ。葦は「い」と読むので、「葦分(いわき)」が「己百支(いわき)」のことではないかということになるわけで。

10・伊邪国 伊佐郡伊佐市

そのまんま伊佐市

11・都支国 高城郡(たき)

最近、川内原発再稼働反対とか話題になってましたが、薩摩川内市のあたりに高城郡があったとか。

12・弥奴国 出水郡(出水市・水俣市

弥奴(みぬ、みづ)は「水」のことで、出水市と水俣市が水の土地。

13・好古都国 鹿児島郡鹿児島市

好古は「好(こ)古(ご)」で、こご島→鹿児島というわけではないか。

14・不呼国 日向国(宮崎県)

不呼(hu-ko)が、日向(hi-ko)に対応してるってわけなのです。

15・姐奴国 曾の国(鹿児島県曽於市

鹿児島県の東部は「曾」という一字があてられ、熊曾というのは熊と曾という2つの地域を合わせたらしいのですよ。で、いまでも曽於市という名が残っていますね。ソナ国といわれていたようです。

ここまで「魏志倭人伝」の諸国名は、北九州から南九州まで数珠つなぎに表されてることになるわけなんですよ。(ほぼ)

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魏志倭人伝」でこれより以降に記載のある諸国についても、九州~四国~瀬戸内海~中国~近畿~中部というふうに、明らかに順番に書いてあったんですよ。今回は長くなるので省略。

これが「邪馬台国諸国名の数珠つなぎ説」の真相なわけですが。詳しくはこのブログの最初のほうにある記事で。

 

「翰苑」も見る

じゃ今度は「広志」の逸文「翰苑」から倭の情報を見てみる。

とても短いので全文を乗せてしまう。

倭国東南陸業五百里、到伊都国、又南至邪馬台国、自女国以北、其戸数道里、可得略載、次斯馬国、次己百支国、次伊邪国、案倭西南海行一日、有伊邪分(久)国、無布帛、以革為衣、蓋伊耶国也」(中国正史日本伝1より)

適当に翻訳してみると、

倭国は(中国の)東南にあり、陸業で5百里いくと伊都国に至る(船行は省略しちゃったらしい。適当すぎる)。また南に行くと邪馬台国に至る(邪馬台国が伊都国の南にあるとなっているので朝倉甘木が該当している)。みずから女王国より北はその戸数や道のりや距離を得ることが可能なので掲載省略する(なんかやる気が無いらしい)。次は斯馬国(杵島・島原)、次は己百支国(熊本の葦分)、次は伊邪国(鹿児島の伊佐)。案ずるに倭国の西南の海路を1日行くと伊邪分(伊邪久)がある(最初の伊都国から伊邪分国まで船では1日ということか)。布には帛(はく、絹のこと)が無い。革を以って衣類と為す(狐やら鹿やらの動物の毛皮着てたのか)。蓋は伊耶国なり(蓋=蓋、覆う、つまり伊耶国がこの地域を治めてるということか)」

 

地名がいくつかでてきた。斯馬国、己百支国、伊邪国は前述とおなじ。

 ほかに、

伊邪分(イザワク・イサフ)または伊邪久(イサク)国、

伊耶国(イヤ)

があった。伊邪国と、伊邪分(伊邪久)と、伊耶国は名前が似てるが書き分けているので、それぞれ違った国らしい。

伊邪国が伊佐市のあたりだとすると、伊邪分(伊邪久)はその近隣にある地名ということだと思うんドSが。「魏志倭人伝」の伊邪国以降の名前「都支国、弥奴国、好古都国、いずれとも違ってますね。どこにあったのだろう。 

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路線図みたいになってしまいましたが・・・。

己百支国イワキ、伊邪分(イザワキ、イザフ)・伊邪久国(イサク)、伊邪国イザ(イサ)はよく似てるようなので、熊本県南部から鹿児島県北西部あたりに伊邪分(伊邪久)が合ったと見ていいんだろうか。

そういえば鹿児島県西部の日置市の海岸に、「伊作田」という地名が有るのが気になっているんですよね。どう考えてもどう見ても「伊作=伊邪久」 みたいで。

 

旧約聖書的な発想

ともかく伊邪分とか伊邪久と聞くと、なにかピンとくるものがあるんですよね。そうそう、伊邪分(イザワ)はイザヤ、伊邪久はイサク。という旧約聖書の人物名を想起してしまうということで。日ユ同祖論的な発想が入ってきてしまうわけですが。

 

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こういう絵柄でもいいならすぐにでも漫画描くのですが。ちなみに戦闘シーンも一応適当に描けますが・・・

 

伊耶国というのはおそらく伊予国のことではないかと思う。むかし四国全体を伊予島といって、愛媛県伊予国といったのだが、伊耶は伊予の音をとどめているようだ。

 

で、不思議なのだが、南九州の地域を旧約聖書的にこう解釈してみる。  

日向国(宮崎)は古代イスラエル・ユダ連合王国の形をしている

・ケモシュとクマソは似てるとか。これは「日本書紀と日本語のユダヤ起源」(ヨセフ・アイデルバーグ著)より。要約してみると、

古代イスラエルの南側にモアブの民がいたのだが、モアブは別名をケモシュ(ケモシ)と言った。ケモシュがイスラエルを攻めた時、エフドという英雄が短剣を隠してケモシュの宮殿に乗りみ、ケモシュの王を貫いた。

一方で日向国の西南にはクマソがあった。景行天皇のとき日本武尊ヤマトタケルノミコト)は短剣を隠してクマソの宮殿に乗り込み、クマソの王を貫いた。

ke-mo-sh 英雄エフド

ku-ma-so 英雄日本武尊

・伊邪分 イザワク→イザワさん 預言者イザヤ。「ヤハウェは救いなり」の意味。

・伊邪久 イサク アブラハムの子。「イサクの燔祭」が有名。

・伊耶国 イヤーで旧約聖書の神のことか。じゃなかったら「耶」というのは「耶蘇」の耶。耶蘇というのはJesus・yesのことなんですよね。なぜJesusの耶を用いているんだろう。別の漢字はいくらでもあるのに。いろいろ意味深なわけですよ。

「翰苑」は7世紀の書物でした。中国には漢の時代に既にキリスト教ネストリウス派景教)が入っていたのでおかしくはないのですよね。Jesusの意味を持つ耶蘇を倭国の中に含めたというのは、倭国のなかにキリスト教的なものを見いだしたから、そうした意味を込めたのやら。

「蓋伊耶国也」とあるのは、もしかすると卑弥呼の後の女王壹與(いよ)が倭国を治めた情報と、四国の伊予国を混同してしまっているのかもですね。壹與(いよ)と伊予が合わさり「蓋伊耶国也」なのかもしれませんが。

 

こんなふうにいろいろ妄想してたのですが、この話はさらに膨らますことが可能だったんですよ。次回は九州に封印されたかもしれない古代エジプトについて。

 

 

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春日部の爆弾事件と世界の爆弾事件とのシンクロ

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爆発 - Wikipediaより

 

○いつも助かっております

 

 

ばくだん

 

去年に続いて、自宅前に連日のように時限爆弾を仕掛けられてる。

犯人が用いているのは、癇癪玉(クラッカーボール)という、圧力によって炸裂するタイプ。爆竹と同じような音がする。

実は俺も子供の頃、癇癪玉で遊んでいたので、人のことは言えないかも知れない。しかしそれは超幼少の頃の一時期の話・・・。

癇癪玉 - Wikipedia

癇癪玉は、道路上の車のタイヤが通行する場所に置かれるので、不特定の車が踏んでパン!という音を出す。炸裂音がした時には、犯人はすでに遠くに逃走しているので、道路を見たところで、犯人の姿はどこにもない。

車の音がしないときにパン!と炸裂するのは、自転車が乗り上げているからだろうか。歩道に置いているものを足で踏むのだろうか。実際の場面を見て確かめるしかないが、巧妙にこちらの行動とタイミングをずらしているようなので確認が難しい。 

連続爆弾犯人は、この家の前に癇癪玉を仕掛けて通り過ぎていくわけなのだが、ここ数日の爆弾炸裂の日時をメモした。

・6月18日(土)14:55 昼

・6月20日(月)06:13 朝

・6月22日(水)11:21 昼

・6月23日(木)07:51 朝

        17:28 夕

・6月24日(金)06:45 朝

        16:03 夕

これは記録できた爆発だけで、他にも寝てる時などにも爆発があったかもしれない。

 学校に登校する時、下校してくるときに仕掛けていくらしい。いちいちパン!という暴力的な音がして癪に障る。

11時台にしかけられるのは、高校の受験生で帰宅が早まるからだろう。「イルミ」の語呂合わせの時間帯に炸裂しているのは、仕掛けられた爆弾を踏む役割の者が存在するからだろう。

うちの前では防犯パトロールや宗教一家の子供が叫んでいくみたいなのだが、爆弾まで使って執拗に嫌がらせを仕掛けて面白がっているというわけだ。以前からずっと、大声での絶叫をする中高生の標的になっているのだが、最近は大声を出す代わりに爆弾を使うことを覚えたということなのか。癇癪玉というのは「癇癪を起こす」ことに掛けているみたいだ。

俺を悪者にして「あいつが悪い」とかいって当然の報いみたいに嫌がらせを仕掛けているが、明らかに俺じゃないことまで俺のせいにして悪評流して嫌がらせしにやって来るので、愉快犯的な側面が大きいと思われる。

6月23日にkさつに通報したが、それをあざ笑うかのように翌日24日朝にも仕掛けられた。クラクションや大声での嫌がらせが発生した日時も合わせてみると、犯人像がもっとよく見えてくるようだ。

 

ちなみに俺の身の回りで起こる出来事は、世界の何処かでリンクしたり波及してるとかんがえられるようなところもあるんだが。

不思議な事に、春日部の自宅前連続爆弾事件と時を同じくして、

6月20日以降「爆弾」がキーワードのニュースが激増した。


■配信日時:2016年6月24日(金) 15時10分
Record China-1 時間前(2016/6/24)
2016年6月24日、韓国・京郷新聞によると、韓国の中央省庁の一部機能が首都ソウルから移されている世宗市の政府世宗庁舎内で模擬爆弾が爆発した。テロ攻撃などに対応するための政府施設の訓練だったのだが、庁舎の防護はあっさりと ...

 

■米国、中国鉄鋼に522%「関税爆弾」
中央日報-7 時間前(2016/6/24)
中央日報 latest news. 韓経:米国、中国鉄鋼に522%「関税爆弾」. 2016年06月24日09時35分 [ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]. comment: 0. share · mixi. 米国貿易委員会(ITC)が中国の鉄鋼製品輸出で米国の業界が打撃を受けたと判定した。

 

■映画「人間爆弾『桜花』」 沢田監督「何かを感じて」
茨城新聞-7 時間前(2016/6/24)
笠間市旭町にあった筑波海軍航空隊の元操縦教官で、「神風桜花特別攻撃」の出撃隊員の選出に携わった元海軍大尉、故・林冨士夫さん(昨年6月4日死去)へのインタビューを収めたドキュメンタリー映画「人間爆弾『桜花』」が県内外で公開 ...

 

ケンドーコバヤシ、ドラマ「火花」PRイベントで安村に爆弾投下
スポーツニッポン-9 時間前(2016/6/24)
物語にちなみ下積み時代のつらかった仕事を聞かれると、同席したとにかく明るい安村(34)に「浮気がバレたのはつらいか?」と爆弾を投下。4月に不倫疑惑があった安村は、「行為はしてません」と大慌てだった。今月3日から動画配信の世界 ...

 

■「爆弾パック」「冷蔵コスメ」が韓国で流行
日経ビジネスオンライン-16 時間前(2016/6/24)
シゴトタビ~知られざるアジアの姿~」のバックナンバー. シゴトタビ~知られざるアジアの姿~. 2016年6月24日. 「爆弾パック」「冷蔵コスメ」が韓国で流行.

 

■リアル爆弾処理ゲーム『爆弾紳士の挑戦状』大好評開催中!謎解き×演劇の新たな体感型謎解きコンテンツ!
ValuePress! (プレスリリース)-2016/06/22
どちらかを切れば爆弾は止まる・・・。そんな緊迫した状況の中、実際に導線を切る緊張感と爆弾を止める快感を味わってもらえる、新感覚の体感型謎解きゲームコンテンツです。単なる謎解きゲームではなく、2名の役者が芝居をしながらイベント ...

 

■中国:恋人を“爆弾男”と偽通報、痴話げんかで飛行機止める
newsclip.be-2016/06/22
【中国】中国チベット自治区ラサ市中級法院(裁判所)はこのほど、2015年に「爆弾を持った男が飛行機に乗り込んだ」とする偽の110番 ... これに腹を立てた女は飛行機の離陸を止めようと、恋人を“爆弾男”と名指しする110番通報を行った。

 

■ロシア軍、シリアでクラスター爆弾使用か
TBS News-2016/06/22
シリアの反体制派が公開したこの映像は20日のアレッポ北部のものとされ、反体制派側はこれがクラスタ爆弾だとしています。映像からは爆撃の主体は明らかでないものの、反体制派はアサド政権を支援するロシア軍による爆撃だと主張し ...

 

■姫路の中学校に爆破予告メモ 「爆弾仕掛けた」も不審物見つからず
47NEWS-2016/06/21
22日午前8時ごろ、兵庫県姫路市飾西の市立大白書(だいはくしょ)中学校で、登校した生徒が同校への爆破予告とみられるメモ書きを見つけた。同校は姫路署に通報し、全生徒を帰宅させた。同署員らが校内を調べ …

 

■また「爆弾仕掛けた」騒動 姫路の中学校、期末テスト中止に
産経ニュース-2016/06/21
22日午前8時ごろ、兵庫県姫路市飾西の市立大白書中の校内に「爆弾を仕掛けた」という趣旨のメモがあるのを女子生徒が見つけた。姫路署によると、爆発物は見つかっておらず、威力業務妨害容疑で調べている。 同署によると、メモは1階 ...

 

■「爆弾を仕掛けた」 茨城・笠間市役所岩間支所に予告電話 不審物発見されず
産経ニュース-2016/06/21
21日午後7時25分ごろ、茨城県笠間市下郷の笠間市役所岩間支所に、男の声で「爆弾を仕掛けた」という電話があった。電話を受けた女性職員が110番通報し、警察の指示で職員11人が屋外に退避した。 駆け付けた笠間署員ら警察官12 ...

 

■アフガンで爆弾テロ相次ぐ カブールなどで23人死亡
産経ニュース-2016/06/20
アフガニスタンで20日、爆弾テロが相次ぎ、計23人が死亡した。首都カブールでは、小型バスが自爆テロの標的になり、AP通信によると、カナダ大使館へ向かう途中のネパール人警備員14人が死亡。さらに、地方議会議員の乗った車を狙っ ...

 

■容疑者「爆弾持ってる」…事件時、脅しの電話
毎日新聞-2016/06/20
さらに「数日中にISの攻撃が行われるだろう」と予告した。 ナイトクラブから逃げ出した客らが「容疑者は爆弾の詰まったベスト4着を人質に着せると話していた」と警察に伝えたが、捜索で爆発物は発見されなかったという。

 

■爆弾テロ計画を摘発
毎日新聞-2016/06/20
テヘラン田中龍士】イラン内務省は20日、首都テヘランなど国内の複数地域で爆弾テロを計画した疑いで、イスラム過激派組織を摘発したと発表した。スンニ派に属するワッハーブ派の複数人を逮捕し、大量の爆弾や爆発物を押収したとして ...

 

爆弾でニュース検索

https://www.google.co.jp/?gfe_rd=cr&ei=xxJtVez5PIiT8QelgIHQCg#q=%E7%88%86%E5%BC%BE&tbm=nws&start=20

6月24日(今日)は5つも登場してる。

6月18日より以前の「爆弾」キーワードのニュースは、まばらにしか存在していない。

つまり6月18日以降に発生した春日部の連続爆弾事件は、あきらかに同じ時期の世界の爆弾ニュースとシンクロしているように見えるのだが、

偶然だろ~か。

うちの前に仕掛けていく近隣の高校生やら何者かが、イルミナティとか集ストに関係している自覚があるなら、爆弾での関連付けは行われていておかしくないことなんだよ。 

 

2015年に起きた連続爆弾事件のことも書いておこう。

 春日部連続爆弾テロ事件

春日部市増富で連続爆弾事件発生

2015年10月28日~11月6日の10日間 これ以降もあったか。

 

この時にも、世界ではこんな爆弾事件が起きてた。

・パリ同時多発テロ事件

2015年11月13~14日 死者130人、負傷者352人

俺の誕生日の数字、昭和52年1月30日なのは何でだろう。

 

まぁとにかく俺の周囲では変なことばかりが起こるんですよね。

明日は何が起こるのだろう。

  

 

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淤能碁呂島には沈んだアトランティスの情報が含まれるのかもです

古代ギリシャプラトンが語った、海に沈んだ島と王国「アトランティス」。じつはアトランティスは、日本神話に記録されてた・・・とかいったら?そんな話。かなり長いです。

 

○いつも助かっております

 

 

 ギリシャ神話

 

まずは日本神話にはギリシャ神話が含まれてるっぽい、そこから見てみる。

ヘラクレスヒュドラ退治(ウィキペディア・ヒュドラーより)

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日本神話

素盞鳴尊の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治

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ヘラクレス(英雄)ヒュドラー(9頭の竜)

素盞鳴尊(英雄) 八岐大蛇(8頭の竜)

 

 

オルペウスの冥府くだり

オルペウスの妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルペウスは妻を取り戻すために冥府に入った。(中略)
「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それが最後の別れとなった。

オルペウス - Wikipedia

 

伊邪那岐命、黄泉へ降る

是に其の妹伊耶那美命を相見むと欲ほし、黄泉国に追ひ往でます。しかして殿のとぢ戸より出で向かへたまふ時に、伊邪那岐命語りて詔りたまはく、「愛しき我がなに妹の命、吾と汝と作れる国、いまだ作りをへず。故、還るべし」とのりたまふ。しかして伊耶那美命答へ白さく、「悔しきかも、速く来まさず。吾は黄泉戸契為つ。然あれども愛しき我がなせの命、入り坐せる事恐し。故還らむと欲ふ。しまらく黄泉神と相論はむ。我をな視たまひそ。古事記 角川文庫)

 

私的な適当な現代語訳

イザナギは妻イザナミに会いたいな~と思って黄泉に追いかけて行った。御殿でイザナギは妻に「いとしい妻よ、一緒に作った国はまだ出来てないから帰ってこい」と言った。イザナミは答えて「残念なことです。もうすこし早く来てくれたらよかったのに。私は黄泉のごはんを食べてしまいました(つまり化け物になってしまいました)。貴方様がここまで来たとは恐縮で~す。仰るとおりに帰りたいので、黄泉の神と交渉してみますから、その間わたしのことを、絶対に見ないでくださいませね」

 

古事記 角川文庫の注釈

ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの冥府の物語と類似する。死界の食物を口にしなかったために帰還し得た説話は「カレワラ」「霊異記」「今昔物語集」などにもある」古事記 角川文庫)

 

ギリシャ「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」

日本「仰るとおりに帰りたいので、黄泉の神と交渉してみますから、その間わたしのことを、絶対に見ないでくださいませね」

 

というふうに、ここに取り上げた例にかぎらず、ギリシャ神話と日本神話はよく似てるところがあるとか。

どちらが先か?というのは、ほとんどギリシャ神話が先という気がしないでもないですが。日本が超古代文明を引き継いでるとか言う人は、日本神話が先でギリシャに影響を与えたとか言うかもしれないですが、それはさておき・・・。

 

ということは、ギリシャで語り継がれたアトランティスの伝説についても、日本神話に含まれている可能性が出てくるのかと。

 

 

アトランティス

 

アトランティスの語源

本来古代ギリシア語の「Ατλαντίς アトランティス」という語は、ギリシア神話ティーターン族の神 Ἀτλας アトラスの女性形であり、「アトラスの娘」「アトラスの海」「アトラスの島」などを意味する。

アトラス神

「Ἀτλας アトラス」は(1)『支える』を意味する印欧祖語の dher に由来する(2)ベルベル諸語の語が元で、ベルベル人アトラス山脈への信仰に由来するなど、その語源には諸説ある。アトラス神への言及はホメロス(紀元前9-8世紀頃に活躍)の『オデュッセイア』が初出で、「大地と天空を引き離す高い柱を保つ」と謳われている(Hom.Od.i.52)。 一方、ヘシオドス(紀元前700頃に活躍)の『神統記』以降は、ティーターノマキアーにおいてティーターン族側に加担した罪で、地の果てで蒼穹を肩に背負う姿として叙述されるようになり、フルリ人やヒッタイト人の神話に登場するウベルリの影響を受けたものと考えられている。また、アトラスが立つ地の果ての向こうの大洋には島があり、ニュクス(夜)の娘達とされるヘスペリデスが、ゴルゴン族の傍らで黄金の林檎を守っているとされ(Hes.Theog.213-216,275-280,517-521) 、後にアトラスの娘達として知られるプレイアデスやアトランティデスなどと同一視されるようになる(Diod.iv.27.2; Paus.v.17.2,vi.19.8)。

アトランティスの語源・アトラス神 - Wikipedia

 

ここで気になる記述。

 アトラスが立つ地の果ての向こうの大洋には島があり、ニュクス(夜)の娘達とされるヘスペリデスが、ゴルゴン族の傍らで黄金の林檎を守っているとされ(Hes.Theog.213-216,275-280,517-521)

これって完全に「旧約聖書」のエデンの園の、リンゴの木とアダムとエバの物語にかぶってくるみたいな感じですが。

 

旧約聖書はさておき、ここでわかったことが、

 ・アトランティスとは、ティーターン(巨人)の神「アトラス神」の女性形

・アトラス神とは、語源は「支える」で、「柱」を意味している

・アトラス神は大地と天空を引き離す高い柱を保つ

 

そうですか。

つまりアトランティスとは「巨大な柱」を持った島だったんですか。

 

ではギリシャ語で「柱」は何て言う言葉だろうと調べてみると

柱=kolona コロナ

 おや。ここにきて、なにか日本の古代史とか神話の研究をしている俺にとっては、どこかで見かけたような要素が出てきましたが。

 

 

アトランティスは日本語になった?

 

じゃあアトランティスやアトラスに似た言葉は、日本語にあるんだろうか。と思って「明解古語辞典」で探してみた。

・あたら【惜】惜しむべき。もったいない。 

アトランティスが沈んでしまって惜しい、もったいないということでアタラなのか。

 

・おとる【劣る】減る。ついえる。

アトランティスがついえたのでアトル→オトルなのか。

 

・おどろかし【驚かし】驚くべきだ。恐ろしい。

アトランティスが沈んだのでアトラカシ→オドロカシ、恐ろしいのか。

 

・おとろふ【衰ふ】勢いが弱くなる。力が弱る。

アトランティスが沈んで衰えたことを、アトラフ→オトロフといったのか。

 

というこじつけをしてみた。

しかしアトラスに似ている、あたら、おとる、おどろかし、おとろふは、総じて滅び去ったかのような意味をもつ、ネガティブな言葉なのは偶然なのだろ~か?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

淤能碁呂島とアトランティスは似てた

 

 ではこれより、アトランティスと日本神話のオノゴロ島を比較してみますが。

 イザナギイザナミがつくったオノゴロ島の記述は、「古事記」「日本書紀」に登場するので、そこから特徴を時系列で導いてみると、

 

1・伊弉諾尊イザナギ)と伊弉冉命イザナミ)が天浮橋から造った原初の島

2・天沼矛で原初の海をかきまぜ、矛からしたたる塩の累積によりできた

3・イザナギイザナミが最初に降り立った場所

4・オノゴロ島の中央に天御柱(あめのみはしら)という天まで届く柱を建てた

5・オノゴロ島には八尋殿(やぴろどの)という御殿を建てた。

6・天御柱の周囲を回り、いちゃついてから国生み神生みを行った

7・イザナミ火之迦具土神カグツチ)を生んだときに病となって死ぬ

8・イザナミは黄泉の国へ向かい、イザナギがそれを追いかけ黄泉へむかった

 

この後淤能碁呂島は放置プレイになったことは想像にかたくないのですが、淤能碁呂島とアトランティスを比較してみると、似ているところが分かってきますね。

 

(A)天まで届く柱があった

アトランティスはアトラス神の柱を意味していて、「大地から天空まで届く柱」というのだから、バベルの塔のようなのを想像してしまう。一方でオノゴロ島の天御柱は「天まで届く柱」ということだから、ここで関連を見いだせてしまう。

 

(B)コロナとオノゴロ

ギリシャ語で柱のことをコロナというのだが、天御柱の立っている淤能碁呂島は、おの「コロ」島とも読めるのだから、両者は柱とコロっとした感じという2つの要素で、繋がりを感じられるではないですか。

Colo-na

Ono-Coro

オノコロナ島・・・。

 

(C)アトランティスのゴルゴン族、オノゴロ島の蛇神

さきほどアトランティスの特徴は、「旧約聖書」のエデンの園に通じると言っていました。その理由は、ゴルゴンというのはいわゆる「蛇の髪を持つ女」だからです。

エデンの園には林檎の木と蛇、アトランティスに林檎の木とゴルゴン(蛇)がいるというところで一致してたんですね。

ゴルゴーン(古希: Γοργών, Gorgōn)、またはゴルゴー(古希: Γοργώ, Gorgō)は、ギリシア神話に登場する醜い女の怪物である[1][2]。その名は「恐ろしいもの」の意。

長母音記号を省略し、ゴルゴン、ゴルゴともいう。英語読みはゴーゴン(Gorgon)。

概要

ポルキュースとその妻ケートーの子で、髪の毛の代わりに生きている蛇が生えている。オーケアノスの流れや「ヘスペリデスの園」の近くの世界の西の果ての島に住んでおり、グライアイ3姉妹の姉でもある。

しばしば黄金の翼、青銅の手、イノシシのような牙を持つとして描かれており、壷絵には下半身が馬の腹から下になっている姿で描かれる事もある。神話によると、ゴルゴーンの顔を見たものは石になってしまう。 

 ゴルゴーン - Wikipedia

一方で日本神話のイザナギイザナミ、じつはこの両者は「蛇神」の特徴を持ってたのですよ。中国神話の蛇神である伏儀と女禍を日本神話にあてはめたような存在が、イザナギイザナミみたいなんですよね。しかもこの神は、もともとシュメール・メソポタミアの神なのではないかと。ニンギシュジッダみたいな。

関連記事

tacchan.hatenablog.com

 

イザナギイザナミが、天御柱の周りをぐるぐる回る構図って、儀式として考えるほかは意味不明ですが、これを可視化できる絵にすると、伏儀女禍とニンギシュジッダみたいな絵面になるわけなんですよ。

で、

イザナギのナギ=ナガで蛇

イザナミのナミ=巳は蛇

 

凪も波も

~~~~~~~~~~

こう表わせるのですが。蛇のようにうねる水面。

実際、昔の人は水と蛇は同じ系統のものと考えてたのですよ。蛇は水の化身、水神となっていて、身近な存在だったわけなのですが。

 

 そしてゴルゴンと、オノ「ゴロ」島なので、ここでも言葉の一致が見られますね。

 Gor-gon

Ono-Goro

こうしたものも、偶然ではなく。

 

アトランティスは柱のあるゴルゴン=蛇神の島

淤能碁呂島は柱のあるイザナミ=蛇神の島

だから淤能碁呂ゴン島と呼んでみても良いかと。

・おどろかし【驚かし】驚くべきだ。恐ろしい。

アトランティスが沈んだのでアトラカシ→オドロカシ。これもあながち無関係じゃないかも。いろんな偶然が重なってくるようですけど。

 

ゴルゴンが醜い化物とあるので、イザナミは醜くない、むしろ絶世の美女だったはずだという願望を持ってる殿方も、ぼちぼちいらっしゃることでしょうね。これについてもしっくり来る解釈ができますよ。

イザナミは黄泉へ下ると恐ろしい醜い姿の黄泉大神へと変身し、黄泉醜女というバケモノを従えて、イザナギを襲ったのでしたね。まさにゴルゴンが醜い女の化物と言われているのとぴったり符合してるみたいですけどね。

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(D)エデンには燃え盛る炎の剣があった

もし旧約聖書のエデンとアトランティスが同じ場所であるとすると、淤能碁呂島も同じ場所のことを語っている。そうすると気づくことがあって、エデンの園の東には回転する炎の剣が置かれていたということ。つまり

 

アトランティス アトラス神 蛇(ゴルゴン) 柱    火山

エデンの園   エバ    蛇     生命の樹 回転する炎の剣

・淤能碁呂島   イザナミ  蛇      柱    回転 炎(カグツチ

 

こうして含まれる要素を対応させていくと、同じ場所を違った切り口で語っているのがアトランティス、エデン、淤能碁呂島の3者ということのように見えてくるんですが。

この部分だけでも覚えておいてください。

 

(E)海に沈んだアトランティス、地底に沈んだイザナミ

ということで、淤能碁呂島は、いわばイザナミの分身、雛形といって良い存在でした。記紀神話では淤能碁呂島の最後は伝えられていませんが、イザナミが地底世界へ向かった事自体が、淤能碁呂島の最後を物語っているような気がしました。

 

それに、アトランティスと同じ最後を遂げたという想像はできました。

アトランティス=海の底へ沈んだ

イザナミ=地底の黄泉へ沈んだ

 

つまりアトランティスと淤能碁呂島は、同じ運命をたどっていたかもということではないかと。イザナミが地底の黄泉へ下ったという表現自体が、淤能碁呂島自体が地底に没したことを意味していたのでした。

イザナギが黄泉大神となったイザナミ黄泉醜女に追いかけられた舞台になっているのは、地底に沈んだ淤能碁呂島そのものなのではないかという可能性も出てくる・・・。

淤能碁呂島は地上に存在しなくなったので、日本神話では黄泉以降の記述でイザナギが訪れることもなく、登場することがなくなったということなんですよ。

 

そうするとやっぱり淤能碁呂島の神話には、ギリシャで伝えられてたアトランティスの物語が、習合されていると見ても良いのではないかというわけで。

 

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 それから以前に淤能碁呂島について、適当に書いてたことがあり。

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淤能碁呂島というのは、ひとつだけの存在ではなく、かつて伝えられていたいくつかの西アジア~地中海方面の神話・伝説が重なって居る存在なのかもと考えられますた。

複数の神話・伝説の集合体が淤能碁呂島。

まさに塩が累積してできたが如く、淤能碁呂島のなかには異世界の神話が累積しているのでは。

 

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電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 part9 豊城入彦命を祭神とする複数の神社が複合的に三王山南塚を示していた

パート9回でひとまず終わります。電子書籍では全体の一部です。
詳しくはいずれ発表の電子書籍で。まあ順調なら数年以内に。 

パート1

パート2

パート3

パート4

パート5

パート6

パート7

パート8

 
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豊城入彦命を祭神とする複数の神社が複合的に三王山南塚を示していた

 

この世では複数の事物を散りばめることにより、特定の1つの解答を指し示す例があります。クロスワードパズルはマス目の中のキーワードを埋めていくことで、特定の解答が得られる仕組みになっているが如くです。

これと同様に、日本に古来よりある、特定の種類の神社が、意味ある配置になっており、それによって1つの回答を導き出している場合が存在している、筆者はそう考えました。これが当てはまっているのが、栃木県宇都宮市下野市を中心とした、豊城入彦命を祭神とする複数の神社です。

「三王山南塚1号・2号墳=豊城入彦命陵である」ことを示す矢印のモニュメントは、これまでに調査した結果だけに留まらなかったのです。しかも今回の場合は特大の矢印でした。宇都宮市周辺の豊城入彦命を祀る神社に、今一度注目してみます。

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解説図の通り、これらの神社には規則的な配置が見て取れます。「栃木県の神社」サイトの方によると、栃木県内(下野国)で豊城入彦命を祀る神社は割と少ないそうです。最初に掲載している、関東の豊城入彦命を祀る神社分布図も参考にしてください。

宇都宮二荒山神社は、豊城入彦命の本拠があった特別な神社であり、当初の毛野氏の中心地でもあったことを前提とします。そして二荒山神社の社殿・参道からの延長線を、主軸線とします。この二荒山神社を中央の礎石と考えます。五重塔を建てる時、中央と4つ角に、塔の重要な礎石を配しますが、二荒山神社の周囲には豊城入彦命を祭神とする神社が、規則正しく四角形を描いて並んでいることが理解できます。5つのポイントは左右対称に見える位置関係で配置されており、これは偶然に起こったというよりも意図的に配置しているように見えます。該当しているのは高龗(たかおかみ)神社、今宮神社、鷺宮(さぎのみや)神社、矛(ほこ)神社境内社二荒山神社の4社です。

今度は三王山南塚1号・2号墳の近くに目を落とします。こちらには、3箇所の豊城入彦命を祀る神社があります。白鷺神社相殿、蒲生神社、星宮神社の3社です。こちらも同様に、規則的に三角形が配置されているように見えます。

全体を俯瞰すると、北側の四角形の中心の二荒山神社の社殿から巨大な矢印が放たれ、その先端に三王山南塚1号墳と2号墳が所在していることになるわけです。これらの他に豊城入彦命に関係する神社は、この地図上では存在していませんでした。

宇都宮市から下野市にかけての、全ての豊城入彦命関連神社と三王山南塚1号・2号墳は、「全体で一つの複合体を形成」しており、豊城入彦命の御陵を指し示す矢印として機能していると見ることができるのではないかと考えられたのです。

 

最初の方に掲載した、「豊城入彦命を祭神とする神社と御陵の候補となる古墳図」に再び目を戻します。下野国(栃木県)の豊城入彦命の神社と、上野国群馬県)・武蔵国(埼玉・東京)の豊城入彦命の神社の間には、空白地帯が広がっています。丁度、旧大日川(渡良瀬川)と鬼怒川(衣川)に挟まれた地域のことです。

さらに、下野国常陸国茨城県)の間にも空白地帯があります。空白地帯は旧河川の流れに沿って南方へ伸びています。つまり栃木県の豊城入彦命関連神社は、丁度周辺の関連神社からは、離れ小島のようにして隔離されています。まるでこの宇都宮付近だけを特別視するかのように。

これらの神社は、豊城入彦命の御陵を築造するに際し、全体計画にもとづいて配置されたと考えておかしくないと考えられる所以です。神社、祭神、社殿、伝承、古墳、配置の全てが、計算され、全体計画の下に造られていると見ることができるのです。

複数の豊城入彦命の神社が、「豊城入彦命陵=三王山南塚1号・2号墳」(のいずれか、あるいは両方)であると、1400年近くも指差し続けていたことになります。さまざまな観点から、「豊城入彦命陵=三王山南塚1号・2号墳」である可能性が浮かび上がった、そう言って過言ではないことでしょう。

 

ちなみに、豊城入彦命の「豊」とは、『魏志』に登場する倭の女王「壹與(台与/とよ・壱与/いよ)」の名を引き継いでいると発想するのですけれど。つまり女王壹與と豊城入彦命は、親子関係だから、同じ音の名を持っていると考えています。普通に考えても突拍子もない発想なのですが、詳しくは第二章をご覧ください。

 

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ひとまずおしまい。第二章のほうが、すごい展開になる予定。

あと幾つか新事実がわかって、かなり訂正するポイント見つけたので、今後中身が変わるかもです。

 

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電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 part8

中途半端なのもどうかと思うので、豊城入彦命の古墳については最後まで掲載することにしました。

パート1

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豊城入彦命御陵候補地、三王山南塚1号墳の正確な方向を求める

 

そんな風雲急を告げる中で、下野市役所文化財課から『南河内町史 資料編1 考古』の測量図を提供していただきました。

 

当初、三王山南塚1号・2号墳の「分布図」と「測量図」の方位をそのまま元にして、古墳の中心軸を求めて延長線上を調査していました。しかしあまりにも関連地名が少なかったので、おかしいなと首をひねりすぎ、それなりに痛めておりました。

測量図は研究に大いに役だったのですが、どうも先ほど紹介した「五十瓊敷入彦命墓平面図」と同じように、測量図の中の古墳の方位には、ズレがあるのではないかと気づき始めました。

そこで以下では、三王山南塚1号・2号墳の、より正確な方位と古墳の向き・中心軸を求めた上で、具体的な調査へと進めています。

 

  1. 南河内町史」の「分布図」を提供されたが、何かおかしい。記載してある古墳の方角が違っているのではないかとの疑惑浮上。
  2. 地理院地図」の近隣道路の形と、「分布図」を照らし合わせると、「分布図」の方位は合っている様子であった。
  3. もう一枚の「測量図」を見ると、古墳の方向と、方位針の方角が、間違っていることが判明する。
  4. それを元にして「分布図」上の、古墳の正しい方角と方位を求めた。
  5. 後に、下野市役所文化財課より、やや方位が修正されている分布図・測量図を提供して頂いたが、やはり多少のズレがあったので、使うことができなかった。
  6. 当初の「南河内町史」に掲載してある測量図でないと、ほかの研究者が現状と見比べることができないと判断し、従来通り「南河内町史」の測量図を用いた。

 

三王山南塚1号墳の調査結果は豊城入彦命陵に相応しい結果

 

まずは三王山1号墳の調査結果です。1号墳は4世紀初頭の築造で、『南河内町史』では前方後方と判断されています。4世紀初頭という年代は、豊城入彦命の没した年代を考えると十分に有り得る範囲と言えます。掲載している測量図は、前述の通りにできる限り正確に修正した方位を使用しています。

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まず「前方向法則(前方後円墳の方向法則)」では、前方後円墳の中心軸を測り、線を引きます。それがすべての基本線となっており、中心軸を延長した先に、古墳の被葬者に関連する地名が複数箇所存在していることで、被葬者の特定に繋がっていくのです。

三王山南塚1号墳の中心軸の延長線上では、豊城入彦命の名に合致する地名が、想像を超えてずらりと並んでいました。

まず重要なポイントである大きな地名を見ていきます。

 

中心軸からの線は、「豊」を持つ遠江国静岡県)の豊田郡を通過していたと判明しました。豊田郡は現在の浜松市天竜区の、天竜川の流れる山岳地に所在した古郡名です。

ラインの南西の最終地点に紀伊国がありますが、「とよきいりびこ」は「きい(紀伊)」の名を持つ人物であることにお気づきでしたか。(とよ「きい」りびこ)だから、古墳は紀伊方面に向けられていると考えられます。そういったダジャレの要素がソコカシコに取り入れられているのは、おそらく日本古来の伝統なのかもしれません。

北東の最終地点では陸奥国福島県いわき市)の石城郡・石城国造の場所を示しており、これは諡号の「城」を表します。石城郡の付近は奈良時代に一時的に石城国がありました。この付近は豊城入彦命の時代から、石城という地名だったかもしれません。いわき市の夏井川の南方にある豊間村は古くからの村名です。また、線上の最東端のいわき市内に、豊向という地名がありました。これは「豊城入彦命の御陵の向かう先」を意味しているとしたら辻褄が合うようです。

静岡県浜名湖と隣接する猪鼻湖付近には、本城山という山があり、城の名を含みます。

静岡県豊橋市は、明治2年(1869年)6月の版籍奉還により、吉田から豊橋に改称したので、直接的の関係はありませんでした。豊橋の豊とは、豊橋平野を流れる豊川に由来しているのが通説で、この豊もまた豊城入彦命の名に合致しています。

 

豊橋市豊清(ほうせい)に、豊清神社があります。名の由来と祭神は不明でしたが、伊勢市伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社清野井庭(きよのいば)神社の「豊」「清」を併せ持っており、豊清神社では本来は豊受大神を祀っていたかもしれません。しかし豊城入彦命の情報が込められた線上に、寸分も狂わず位置することから、豊清神社は本来「豊城神社」であり、漢字が一字変わって豊清神社になった可能性は捨て去れません。

三王山南塚が豊城入彦命の御陵とした場合、「豊」地名が9地点、「城」地名が8地点合致することになります。

「入」は常陸国茨城県常陸大宮市)の入本郷、栃木県茂木町の入郷、それに浜名湖畔の本城山の南方にある入出など、4地点が挙げられます。

利根川の流れを横目に見る、埼玉県羽生市常木。羽生スカイスポーツ公園に隣接する常木神社の祭神は、調査してもわかりませんでした。しかしこれについても「豊城神社」がいつしか常木神社に転訛していておかしくないようです。羽生市の付近は、豊城入彦命を祭神とする神社の集積地に含まれているからです。

武蔵国(埼玉県比企郡)の都幾(とき)川は、豊城を「とき」と呼んだ音に思われます。7~8世紀に創建された、都幾山の東山麓に所在する慈光寺の山号が、都幾山であることが、この山名と河川名の由来という話です。三王山南塚1号墳は、この都畿川方面を通過することを想定していました。一方で都幾川の語源については、「清めることを意味する「斎(とき)」から来ていると考えられている」(埼玉県立川の博物館 『かわはくNo.29、2007年7月号』、ウィキペディアより)という情報もありました。何はともあれ、都畿川は元々「豊城川」であったという連想も可能です。

 

こうした豊城入彦命の名に関係する地名が、幾つも並んでいるという結果が出たことにより、三王山南塚1号墳が豊城入彦命の真の御陵であることが示されていると考えられました。おそらくもう少し気合を入れて探索すれば、さらに多くの関連地名が見つけ出せますが、全身に乳酸が溜まって疲労困憊なせいか、気合が足りませんでした。

4世紀初頭という古墳の築造年代は、私が最初に考えていた豊城入彦命の死没年代に合致しています。妹の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の陵墓が、奈良盆地のホケノ山古墳(3世紀半ば)であるならば、兄妹の時代はある程度整合していますし、崇神天皇の時代(壱与の時代)とも一致します。その場合、豊鍬入姫命はかなり短命だったことになります。

全長46メートルという規模は、天皇の第一皇子としては、若干の物足りなさを感じます。しかしながら中心軸の延長線上の地名の羅列、毛野氏の地理的な位置、豊城入彦命の神社の分布、古墳年代、二荒山神社の社殿と参道の先に所在することなど複合的に考慮すると、豊城入彦命の御陵の候補地として相応しいと考えます。その場合これらの地名は、豊城入彦命の名に関係する方向に中心軸を向け、造営と共に新規に地名を付けていったと考えられます。 

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或いは三王山南塚2号墳が豊城入彦命陵か

 
隣接している三王山南塚2号墳からも、豊城入彦命の情報を取り出すことができました。2号墳は3世紀末に築造された全長50メートルの古墳です。『南河内町史』の「周辺図」からは、元は前方後方墳であったとの知られざる情報を得られます。しかし纏向型の前方後円のようでもあり、東側にある出っ張りは造り出しのようにも見えます。後円部に造り出しがあるケースは、近隣にある行田市の埼玉古墳群の稲荷山古墳でも確認できます。

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中心軸を測り線を延長していくと、大きな地名では東北端に陸奥国から一時期独立した、石城国の名が挙げられます。この名は石城郡の名同様であり、この地域は豊城入彦命が存命中から「石城」だったと想像するばかりです。

関東では武蔵国(埼玉県)入間郡入間川に当たりました。これらにより名の「入」を表しています。ちなみに現在の荒川の川越~東京区間は、古代には入間川に含まれていた区間でした。川口市より東南の荒川放水路は、大正時代~昭和初期に掘削された人工河川です。現在のさいたま市岩槻区を流れる元荒川が、古代の荒川の本流でした。

延長した線が、4つの城山を通過していたことも、偶然には感じられない興味深い結果です。最南端には伊豆半島の真城(さなぎ)山。中世以前の謎の城砦跡があると言われますが、豊城入彦命の「城」を元にしているのかもしれません。

こちらは「豊」地名は少なく、北端に豊前・豊後という大分県地域の名を冠する地名が2つあるだけでした。「城」は4地点。「入」は6地点。全体として1号墳よりも関連地名が少ないようでした。

とはいえ、1号墳、2号墳の延長した線上では、いずれも豊城入彦命の情報を数多く残していたことになります。僅かでもずれると、豊城入彦命の関連地名が出てこなくなるので、この結果は無視できないと言えます。どちらも豊城入彦命の御陵候補地に成り得ると考えます。かた一方は豊城入彦命の奥方か親族の古墳としてもおかしくなさそうですし、2つともが、豊城入彦命墓所兼記念碑としての意味合いがあるかもしれません。

そして三王山南塚1号・2号墳のいずれか、あるは両方が、豊城入彦命の御陵であることを示唆する古代の情報源は、他にもありました。

 

つづく。次回で最後。

パート9

 

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