ひとまずここまで。
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三王山南塚を示す豊城入彦命の神社は他にもあった
神社の社殿(本殿・拝殿)と参道の向きは、一説には日の出や南中高度に達する方向に向けられるものが多いと言われます。
ここでいう「南向きの神社」とは、「本殿が北にあり、拝殿が南にある神社」を言います。本殿(北側)の神様が、参拝者の拝殿(南側)を向いている状況を「南向き」と現しています。
東京都府中市の大國魂(おおくにたま)神社のサイトに「神社の豆知識─何故本殿は北を向いているのか」と題して回答がありました。それによると、大國魂神社は永承6年(1051年)までは南向きに建築されていた社殿を、源頼義が北向きに改めたとのことです。力の及びにくい辺境の東北地方までも、神威により統治するという朝廷の狙いがあったとのことです。さらに大國魂神社の回答によると、通常の神社は南か東を向いているとあり、「天子南面す」の如く玉座は南方の太陽に向けられていたとか。確かにこうした「神社は太陽を向いて建てられる」という捉え方も、特に天照大神の配下にあった神を祀る神社では普遍的なことであろうと思います。
しかし奈良県の大神神社の場合には、拝殿は西を向いています。大神神社拝殿は、何故西を向いているのか、太陽では説明が付かないですね。これは三輪山と大神神社の祭神・大物主神が、元は出雲の支配地=西から来たことに由来するかもしれません。
著者は今回、関東地方における豊城入彦命関連神社を全て調査しました。すると厳密に言うと、これらの神社は北を向いたり南を向いたり、あっちを向いたりこっちを向いたり。前方後円墳と同様に、一方向に定まってはいませんでした。豊城入彦命の神社は3世紀末から存在していたと見られ、全国に20万社を超える全神社の雛形であるはずで、20万社の全ての方向は豊城入彦命の神社同様、同一方向では無い筈です。
明確な回答としては、神社の社殿の方角とは、太陽に向けられることがある一方で、前方後円墳と同様、祭神や先祖と関係のある土地を指し示している、矢印の機能があると見ておかしくないと言えます。
神社の向きによって特定の意味を知らしめている状況としては、既述の通り、豊城入彦命の拠点だった宇都宮二荒山神社の社殿と参道が、下野市の三王山南塚1号・2号墳を示す例が代表的です。これにより豊城入彦命の御陵の場所の情報を、長らく保存してきた可能性が浮上したばかりです。
そういえば冒頭から、豊城入彦命についての情報が続いてきました。豊城入彦命に関係する古墳と神社は、封印された叡智を繙く上での具体例を、幾つも包括しているためです。
そして、豊城入彦命の御陵が三王山南塚であることを証明する方法が、宇都宮二荒山神社の他の神社にもありました。
三王山南塚の周辺の、「豊城入彦命を祭神とする複数の神社の社殿と参道が、三王山南塚2号墳を指し示している」という状況に辿り着いてしまったのです。
図面は豊城入彦命を祭神とする神社分布図の中から、三王山南塚付近を拡大したものです。見て分かるように、三王山南塚の北方、南方に位置する、近隣の豊城入彦命を祭神とする神社の社殿と参道だけが、三王山南塚に向いていることになります。
群馬県や埼玉県に、50社余りも膨大に立地していた、祭神を豊城入彦命とする神社には、三王山南塚の方を向く神社は皆無の状況も把握できました。
「逆面白山神社」
宇都宮市北部に位置するこの白山神社の社伝については、前項で既述しました。白山神社の社殿はほぼ南向きであり、社殿の向きを延長すると、ほぼ三王山南塚2号墳の位置を指し示している状況を確認することができました。白山神社はあらゆる面で、大変重要な地位を占めていたことになります。
矛神社の境内社である二荒山神社にて、豊城入彦命を祀っていました。調査をすると、矛神社の社殿は、三王山南塚2号墳のほうに向けられていると判明しました。
「桑原神社」
茨城県常総市に位置している桑原神社の社殿は、北北西に向いており、そこから線を延長すると、ほぼ三王山南塚1号墳の位置を示していました。少し位置がズレているのは、年月の経過で社殿が少し傾いたり、誤差が生じている可能性を考えます。あるいはこれらの僅かなズレは、単なる誤差であるか、畏れ憚(はばか)って正中を外しているのかもしれません。いずれの豊城入彦命の神社にしても、三王山南塚1・2号墳の位置に向けられていると見て間違っていないと考えます。
「佐志能神社」
茨城県笠間市の佐志能神社の社殿は、およそ40キロも離れた西北方面の宇都宮二荒山神社の社殿方面に向けられていました。距離を踏まえると、二荒山神社に向けた社殿の角度の誤差は僅かなものです。佐志能神社では祭神を豊城入彦命としているのと共に、社殿の方角でも豊城入彦命の本拠地を示し、豊城入彦命に対する信仰を体現しています。
インターネット社会となり、航空写真や地図から社殿の向きを調査することが容易になってきました。例えばそれは砂漠に埋もれた古代エジプトのピラミッドを、グーグルマップの航空写真から発見できるようになっているのと同様です。
今後、今まで分からなかった古代日本人の叡智、極意が明かされていくとすれば、インターネットを用いた調査によって明らかとなる割合が大きくなりそうです。
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ここから山王山南塚が豊城入彦命の墓所であることの核心に至るのですが、長くなったのでとりあえずここまでにしておきます。
続きはいずれまた。
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