たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 part3

パート1

パート2

というわけで2015年までにまとめていた原稿。パート3。

 

○いつも助かっております

 

 

3・私的調査の準備

 

現在天皇陵と治定されている全ての前方後円墳と、幾つかの注目すべき古墳について、綿密な調査を進めました。

調査した前方後円墳は、全国津々浦々、かなりの数に上っています。膨大になった理由は、統計を取る上では、調査対象が増えるほどに説得力を増す結果となることが挙げられます。

 

調査前の確認事項

 

全国には、宮内庁天皇の陵と皇族の墓と指定したもの、江戸時代から治定されてきたもの、または研究者により誰々の墓所であろうと比定された陵墓、宮内庁の陵墓参考地、他に神社や民間伝承が残るなどして、皇族や偉人の陵墓であると伝えられる古墳が散在しています。

それらの全て見渡すと、年代測定の結果5世紀に造られたと分かった古墳に対して、4世紀以前に生きた人物の墓地、と伝わるような矛盾する古墳も、決して珍しくありません。古墳築造年代と被葬者の生存年代の不一致は、天皇陵の研究では特に問題視されています。

また、一人の人物に対し、複数の陵墓が存在する場合も珍しくありません。崇神天皇の時代に活躍したとされる大彦命(おおびこのみこと)が葬られた可能性のある前方後円墳は、全国に4箇所以上あって、どれが正解かはっきりしません。

おにぎりを幾つか並べ立て、梅干しが入っているおにぎりを当てろと言うようなもので、しかも実は全てのおにぎりに梅干しが入って無いかもしれないのです。

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あくまでも陵墓の決定は、殆どの場合は伝承と年代測定結果と推測に頼るのが実情です。そこで調査対象は、以下の条件に合致するものとします。

 

1・中心軸が明瞭に導き出せる古墳(円形は外見上の中心軸が不明)

2・中心軸の延長線上に、被葬者と関係する対象が、複数存在する

3・被葬者名が伝承されている、または有力な説として存在する

4・その被葬者の続柄・出身地・生存時の記録が、何らかの形で残っている

5・前方後円墳以外の被葬者の情報が伝わる古墳のうち、中心軸を導き出せるもの

6・「造り出し」からの中心軸の延長線上に、被葬者と関連する対象が複数ある

7・被葬者の年代と築造年代の乖離が激しくない

 

これにより、全国に無数にある前方後円墳のうち、調査対象とするものは百基以下に絞られました。

 

 

調査の手順

 

 前方後円墳の前方部と後円部の中心軸・造出しの中心軸を導き出し、中心軸からまっすぐ伸ばした線上に、何か被葬者と繋がりのある土地や建物が無いかどうか、虱潰しに探していきます。

また、『延喜式神名帳』記載の式内社に、古墳と関係する神社がないか探索を入念に行います。主祭神などの調査は、主にネットの神社関係サイトを利用させて頂いており、その名は随時掲載しています。

天皇陵の場合には特に、『天皇陵総覧』の測量図をスキャナで取り込み、利用する等により、出来るだけ中心軸が正確に導かれるよう配慮しています。

対象となる古墳の測量図は、市販の歴史本や調査報告書などにも掲載されている場合があるので、それらを収集しました。

測量図が手近な書籍内に見当たらない場合には、測量図が掲載されている書籍をネットで探し出し、図書館で複写と郵送を依頼した場合も多くあります。

また、自治体の役所に問い合わせると測量図を教えて頂けたり、郵送して頂けるといった僥倖もあります。図書館、博物館、役所などに測量図を求める場合には、大抵は申込書や許可申請書を、文書で郵送する手間を要しますが、Eメールのみで許可申請が可能なこともあります。書籍(電子書籍)上に掲載するには、許可を要することが多いです。文書を郵送する封筒と82円切手を多めに用意しました。

国土地理院のネット地図やグーグルマップなど、ネット上の地図を用いて角度を測る作業も怠らず、可能な限り中心軸を正確に求め、解説図を描き起こしています。

倍率の高い地図帳でも表示範囲は限定的となる為、マーキングと線引きが出来、広範囲に表示可能なグーグルマップを利用しました。

線を引くとき注意すべき点があります。ネット地図上で表示される航空写真は、森林に覆われて古墳の形状と中心軸の判別が不能となっているケースがあります。加えて開発行為や長年の風雨・洪水による侵食により古墳が毀損しているために、中心軸が求めにくいこともあります。ネット地図の等高線の場合でも、古墳測量図の等高線と比較してみると、国土地理院のネット地図もグーグルマップも完璧な精度ではなく、古墳測量図の等高線とは誤差が大きく出ていることが分かります。手に入れた測量図の角度を、ある程度は正確にグーグルマップ上に反映させなければいけないのです。この点は特に十分な配慮が不可欠です。

また、グーグルマップのメルカトル図法上で線を引くと、地球が丸いために、線の距離が長くなるほどに湾曲する(大圏コースが表示される)ことになり、注意を払う必要がありました。

検索にはアナログ地図帳『ベーシックアトラス日本地図帳』(45万分の1正距円錐図法地図、平凡社)が重宝しました。この地図は地球の丸さと正確な面積・・距離・方位が反映されており、定規で測った直線が、そのまま利用できます。『日本史年表地図』はある程度の古地名を地図上で確認することができます。

カシミール3D」は地名検索に便利です。「国土地理院地図」、『和名類聚抄』のデータなども併用しました。

ネット検索をした後、地図帳を閲覧すると新たに関連地名を発見できたりしますので、アナログの地図は手元にあったほうが良いです。ネット地図も地図帳も、どちらも万能ではないのですが、両者を併せて用いることで、精度が高まることになります。

 

もう一つのポイントは、前方後円墳中心軸の延長線上で、一体何を見れば良いかというところです。被葬者名が伝わっているのであれば、その被葬者の名前と同じ地名が線上に残されている場合があります。線上に位置していれば、随時そこに印を付けていきます。被葬者に関係する宮殿や神社なども同様に。

その地域を代表するような「大きな地名(国名・郡名・山岳名・大河・湖沼の名など)」を見落とさないことが、最も重要と考えます。大化の改新(646年)により律令制の行政区画「五畿七道」が制定されました。また、国郡里制は大宝律令(701年)により定められ、それ以前の郡郷制に成り代わりました。国・郡という大きな単位の地名は、大化の改新大宝律令以前の邪馬台国の時代から、既に存在していた古い地名が、踏襲されているものが多いと考えます。例えば人皇時代以前の神代から、出雲は出雲、九州は筑紫嶋、四国は伊予嶋という地名があったのであり、3世紀の倭の情報を記した『魏志倭人伝』の対海国は対馬国(『隋書』では都斯麻(つしま)国)、一大国は壱岐国、末廬国は松浦郡に対応するなど、日本列島の古地名の例があります。

そして線を引いたとき、陸地の端にキーワードが存在しているケースが多々見られましたので、これも見落とさないようにします。

引いた線に多少の誤差が出ることや、検索結果が不十分な場合については、不徳のいたすところです。地名の由来については、本来は『角川日本地名大辞典』を全面的に利用しなければいけなかったのですが、物理的に無理な状況でした。発見した新旧の関連地名の由来の判断は、ほとんど出来ていません。これらの点は、予めご理解頂きたいと思います。

 

 

測量図の方位針がズレていたなんて

 

古墳の調査結果を公表する前に、どうしてもお知らせする緊急事態が出てきました。前方後円墳は、「測量図」によって方向が理解できます。測量図は古墳の等高線により形状が把握できるので、研究する上で極めて重要な位置を占めます。

「測量図は考古学の専門機関で作られるから、ミスは全くない」

当初はそう思い込んで作業をしていました。しかし調査を進めるうちに、どうしても方位が合わないケースに遭遇してしまったのです。それも一枚や二枚ではありませんでした。以下はブログに記した文章を少し改変したものです。

 

1990年台以前に作られた地図は、やはり昔に遡るほど、地図の製作はアナログ技術に頼るところが大きかったです。それに地図製作にコンピュータを導入したとしても、1990年台では、精度も今ほどではなかった。だから地図上のわずかな計測ミスが普通にあったりしたとか。

産経新聞のニュースにこんな記事がありました。

「日本の面積より精密に 国土地理院、電子化し計算」

記事を要約すると、国土地理院は昭和63年に作られた紙の地図を元にして、毎年全国地図を改変していたそうです。昭和63年時点での国土面積は37万7961・73平方kmとなっていました。

しかし国土地理院が最新のデジタル測量地図を製作してみたところ、平成26年10月1日時点での国土面積は、37万7972・28平方kmと、やや増えていたということです。事実上、国土面積は10平方km以上も増えています。

つまりデジタル測量で、より正確な数字が出せるようになり、過去の地図の誤差が浮き彫りとなりました。その結果、棚からぼた餅現象で、日本の国土面積が増えたという記事の内容です。ということで、地図界の神様みたいな存在である国土地理院ですら、今まで多少の誤差はあったことを認めた上で、精度の高い地図を作っているとのことです。

 

最近、古墳の測量図を全国から集めていますが。昔の測量図というのも当然、専門家が作ったとしても、完璧な精度は得られなかったりしました。

「なんかちょっと方位がズレている」測量図というのは、別に珍しくないことです。

例えば平成6年(1994年)に第一刷発行の『「天皇陵」総覧』には、全国の主要な古墳の数十枚の測量図が収録されていて、貴重な本なのですが。

大阪府泉南郡岬町の淡輪(たんのわ)にある五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと)墓、またの名は宇度墓古墳の測量図を見てみます。この測量図は1975年に出版された『古墳の航空大観』にあったものが『「天皇陵」総覧』に転載されたのです。

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よく見ると、文字が右から左に向けて書いてあります。この測量図は1950年以前、おそらく戦前に作られたものであるようです。
現在に比較して建物が少ない様子です。今は都市化が進行している土地も、むかしは田畑ばっかりだったのです。

五十瓊敷入彦命陵についても調査を進めましたが、どうも「前方向法則(前方後円墳矢印説)」をもとに調査してみても、ネットの地図との誤差が目立って、変だと感じておりました。

当初は自分の測量ミスだと思って何度も調査図を作りなおしていたのですが、やっぱり誤差がうまらない。おかしいおかしい。おかしばかりが消費されます。

そんな中、ついに最近になって「測量図のほうが間違っていた」ことを発見したのでした。「なんだ俺が間違ってるんじゃなかったのか」と安堵しつつも素直に喜べません。

こうした測量図のほうが間違っているという、予想外の結果にはなかなかたどり着けないものです。

 

この測量図は、図面の上辺=北、下辺=南となっています。見た感じでは、東西南北が正確なのだろうと、誰もが感じ取ってしまいます。

この測量図を、国土地理院の同じ場所を描いた地図と比較して見ます。「測量図の方位のズレが分かる方法」図を御覧ください。

国土地理院の地図で、古墳の北側の周濠の角度を求めたのですが、東西軸に対して23度の角度です。

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 一方で測量図の道路の角度を同様に調査すると、その角度は18度という回答でした。

地理院地図は、地図の上=北、下=南、右=東、左=西で、デジタル測定なので方位は正確になっています。地理院地図のほうが正しいことは明白なことです。つまり、戦前に作られた五十瓊敷入彦命陵の測量図の方位針の方向が、僅かにズレていた、そのことを発見するに至りました。これは当時に測量図を作成した方も、思ってもみない結果であるでしょう。

そして正確な方位を求めると、図の④コマ目のようになります。地理院地図の23度に合わせてみると、測量図が斜めになってしまいましたが、これが正確な、上辺=北向きの測量図の状態です。実際の方位とは5度も誤差が出ていたことになり、これは学術調査では致命的な誤差になります。

というふうに、ちょっと見ただけでは、測量図の方位のズレは気付きません。遠目では、近くのおっさんの指に毛が生えているか、わからないようなものです。実際には生えていると考えられます。

こうした方位のズレは、五十瓊敷入彦命陵(宇度墓古墳)だけに限りませんでした。『「天皇陵」総覧』に掲載されている測量図の幾つかと、収集してきた測量図にも、方位のズレたものが含まれることを確認しました。

勿論測量図というのは調査の上では必要不可欠で、作ってくれてほんとに助かります、ありがとうございますということは紛れも無い思いであるだけに、困りました。

普通に古墳の資料として掲載するだけなら、全く問題がないことです。しかしプロでも素人でも、学術調査を行う場合、特に前方後円墳の中心軸の延長を探索しているときには、このわずか数度のズレが致命的なエラーになってしまいます。素人の落ち武者風情が偉そうに言って申し訳ございませんけれども。

 

だから今回の作品を出すにあたり、測量図の正確な方位を再度調査していく必要が出てきたのです。測量図の方位のズレについては、以下の解説文と図の中で説明しています。

 

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ではこれ以降でいよいよ、古墳の調査結果となります。

 ・パート4

 

 

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