最近はイラストを仕事にしようかと思案中。近頃イラスト描く枚数が増えてきたのだが、ついでに適当に描いた、蕪の妖精。
○いつも助かっております
「日本書紀」によれば
伊弉諾命と伊弉冊命は植物を産み、植物の知的生命体(ククノチなど)を誕生させているのでした。しかしそれは、通常の人間は目にすることができないらしいのだ・・・。
さて、日本語の大陸起源を探っていく上で、参考に成りうる一つの方法を取り上げてみる。
それは
弥生時代~古墳時代頃、明確に大陸から日本列島に入ってきた事物の名前を、大陸の言語と比較検証するという作業。
例としては昔の帰化植物・帰化動物を調べて、日本語の中の知られざる帰化語を導き出スといった具合。
これがなんで有効なのかというと、従来より「これは縄文時代からあるものだ」「これは縄文時代からの日本語だ」と正確な判別もせず信じられているものが多いなか、実際の縄文時代の日本にその事物が存在していない場合もあるわけです。
その場合は、現代日本人がいつの頃からか「これは縄文時代からあるに違いない」と単に思い込んでいるだけに過ぎなかったことになります。
「あいつが騒音出してるに違いない」と決めつけて実際に現場に行ったら、違ってたみたいに、実地調査を行うことで真実が見えてくるといったことです。
特定の言葉が弥生時代以降に始まったということがわかることによって、日本語の中の大陸由来の言葉を発掘することが出来るかもしれず、すると日本語の真実を知る役に立つわけなんです。
弥生時代以降に入っていた事物と語源の仮説
では大陸と日本列島の動物・植物の名称を比較して、語源を想像してみます。
名称 渡来の時代 大陸で似ている名称
梅(ウメ) 飛鳥時代 プフラオメ Pflaume(ドイツ語)
日本文化に馴染んでるウメなのだが、意外や飛鳥時代に入ってきた。ウメはもしかするとゲルマン人の言葉が流入したのかも。
菊(キク) 平安時代 ブンガケクワ bunga kekwa (インドネシア語)
キクは平安時代に中国から入ったらしいけど、ケクワというのはキクに似てますね。キクの名称はインドネシア人がもたらした?そういえば頭塔はインドネシアのジャワ島のボロブドゥール遺跡の思想から来た説があり、関連が出てきた件。
蕪は奈良時代に日本にやってきた野菜で、古事記で「菘菜(あおな)」と呼ばれていて、菜っ葉というのは元は蕪のことなんだとか。つまりポーランド語のナップとの関係が見えてくるんではないか。
茄子(ナス)平安時代 ムナコイソ munakoiso(スオミ語=フィンランド)
ナスとムナコイソのどこが似てるんだと思われますが、ナスは元々「中酸実(なかすみ)」とか「奈須比」「夏実」と呼ばれてたとかいう。そうすると
Na Ka Sumi
mu Na Koi So
と比べて見ると発音の一致点が見えてこないだろ~か?そうすると「中酸実」と呼んでいたのは欧州のナスを表す言葉「ムナコイソ」に近い音を、漢字で表した結果だったのかも。後に「中身が酸っぱい実」という漢字の意味だけが一人歩きをして、発音の由来はすっかり忘れ去られて今に至るということになる。フィンランドの言語と似てるというのは不思議だが、欧州語と上古日本語はわりと似てるものが見られることは、このブログでも過去に度々伝えていますよ。
鶏(カケ) 弥生時代後期 コック cock(英語)
従来ニワトリの古名の「カケ」とは、コケコッコーの「コケ」と同じで、鳴き声から発祥してるという定説だった。しかしウメがゲルマン人由来とするなら、カケも古英語由来でおかしくないことになる。古代5世紀頃のドイツに居たアングロサクソンのアングル人がイングランド人の大元になってるし。アングル→イングル→イングランド。
彼らは東方にも向かっていたんだろう。
猫(ネコ) 奈良時代 Мәче (песи) (タタール語)
ネコは壱岐の弥生遺跡から骨がみつかるので居たそうなのだけど、「古事記」や「日本書紀」に登場しない動物なので、弥生時代には日本の本土にはいなかったぽい。
記紀成立後の奈良時代に中国から入ってきたネコが、日本の本土に定着したとされてる。古名を「ネコマ」といったとか。壱岐で呼ばれていたネコマ、ネコという名称をそのまま本土に持ち込んだのかもしれない。
ウィキペディアで調べてたら、タタール語で猫を「Мәче (песи) 」ということがわかった。
「Мәче (песи) 」のカッコの部分のキリル文字だけ見ていると、ネクのように見えて、なんだかネコっぽい。 これはキリル文字の発音にすると「メチュ、メク」なのかわかりませんが、もしかするともしかするという気がする。
タタール人はトルコから北東アジアまでの北のシルクロードに沿った広大な地域で遊牧騎馬民族として居住していたので、彼らが古代にネコをエジプト方面から東アジアへもたらすことに貢献したことは事実だと思う。
そういう意味でネコは元々タタール語で、満州あたりの「Мәче」が壱岐に達した頃には訛ってネコになってたことはあるかもしれない。
「牛」は、弥生時代後期以降に入ってきたんです。縄文時代には牛は日本列島に生息していなかった。だから「うし」という呼び名も無かった可能性があるんですけど。
しかし大陸の遠いところにいた牛という動物に、大陸人が「うし」という名称をつけて使っていたなら、その遠いところの大陸人の子孫が、日本列島に「うし」という呼び名を持ち込んだが可能性が出てくるわけなんですよ。
牛の家畜化の歴史は紀元前6,000年頃の西アジアということだから、大陸から日本列島にいつかの段階で齎されたのは確実視できる情勢です。
ブスがウシになったかも
ギリシャ語で牛のことを「ブス」というんです。これ日本語だと別のネガティブな意味でも使われますけど、「bus」なので「us(ウス)」が入っているではないですか。日本語の進化のなかで、ウスがウシに転嫁してなんにもおかしくないです。
ギリシャ人が弥生時代に大陸を東へ向かったことは歴史的な出来事で、中央アジアにギリシャ人の国「インド・グリーク朝」があったんです。
彼らが弥生時代後期以降に、東アジア人種との混血をしながら日本まで向かい、いつしかブスの「b」が外れてウス、ウシといっていたものが日本語の中で定着したということは、考えられるわけなのですよ。おそらく烏孫を経由して倭に入ってると考えてるのですが。
これはたぶん日本語の顔面系ネガティブな意味である「ブス」の由来がギリシャ語の牛=ブスなんじゃないかという発想にも繋げられることなんですが。ブサイクのことをブスというのは、古代には本来「牛みたいな顔」を意味してたんではないかと。
これは頭が悪いことを「馬鹿」といって馬と鹿を持ち出してることからも説明が付くわけなので。
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ドイツ語、ポーランド語、スオミ語(フィンランド)、英語、タタール語、ギリシャ語・・・。一部だけ取り上げてみたのだが、こうしてみると日本の動植物には弥生時代以降の大陸由来のものがあり、名称はヨーロッパ由来のものが多いように見えてくるではないですか。
これらの帰化動植物が単独で海を渡って日本列島に入ってきたわけはなくて、人間と一緒に、他の事物と一緒に入ってきていると考えるわけなのですよ。すると大陸の欧州方面からの影響は、今の日本人が考えている以上にあったと思っていいんではないかと。例としては、闘鶏というのは明らかに大陸から入ってきたものですし。
闘鶏
闘鶏の始まりはギリシアにあるとされ、アイリアノスによると、テミストクレスがペルシア軍との戦闘を控えたギリシア軍に道端で戦う鶏を示し、彼らを鼓舞した。ギリシア軍が勝利するとその功績を称え、公的行事として毎年闘鶏を行うよう定めたという。ギリシア・ローマの文献には闘鶏がたびたび登場し、プラトンも闘鶏に熱中する人々の姿を『法律』の中で描写している。
日本では古来は占いに使われたとされる。平安時代の頃より鶏合(とりあわせ)と呼ばれ宮中や貴族において3月3日に行われるようになった。
闘鶏といえば奈良県に古名があったと記憶してた。これだった。
たぶんturkeyに漢字を当てて、闘鶏としたのではないかという気がする。 ニワトリの古名がカケであり、古英語を色濃く残すように見える。闘鶏国造は祖先を神武天皇の皇子・神八井耳命としているわけなので、神武天皇の子孫が大陸から日本列島へ入ったことや、ニワトリが大陸から日本列島に入ったこと、turkeyとかけあわせ闘鶏としたこと、などいろいろ絡んでくる気がするわけですが。
ということで、ここに取り上げたのは一部の動植物でしたが、あらゆる事物について詳しく調べればもっと分かることがありますよ。
大和民族は単一の縄文人から続く単一民族ではなくて、寄せ集め民族だとということも、遺伝子、言葉、文化から理解されるわけですが。
過去の関連記事はこちら。
・日本語のまじない(majinai)と、英語のmagicの語源は同じ?
・神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか
参考に。
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