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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

電子書籍化する予定の「前方後円墳矢印説」の冒頭部分 part9 豊城入彦命を祭神とする複数の神社が複合的に三王山南塚を示していた

パート9回でひとまず終わります。電子書籍では全体の一部です。
詳しくはいずれ発表の電子書籍で。まあ順調なら数年以内に。 

パート1

パート2

パート3

パート4

パート5

パート6

パート7

パート8

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豊城入彦命を祭神とする複数の神社が複合的に三王山南塚を示していた

 

この世では複数の事物を散りばめることにより、特定の1つの解答を指し示す例があります。クロスワードパズルはマス目の中のキーワードを埋めていくことで、特定の解答が得られる仕組みになっているが如くです。

これと同様に、日本に古来よりある、特定の種類の神社が、意味ある配置になっており、それによって1つの回答を導き出している場合が存在している、筆者はそう考えました。これが当てはまっているのが、栃木県宇都宮市下野市を中心とした、豊城入彦命を祭神とする複数の神社です。

「三王山南塚1号・2号墳=豊城入彦命陵である」ことを示す矢印のモニュメントは、これまでに調査した結果だけに留まらなかったのです。しかも今回の場合は特大の矢印でした。宇都宮市周辺の豊城入彦命を祀る神社に、今一度注目してみます。

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解説図の通り、これらの神社には規則的な配置が見て取れます。「栃木県の神社」サイトの方によると、栃木県内(下野国)で豊城入彦命を祀る神社は割と少ないそうです。最初に掲載している、関東の豊城入彦命を祀る神社分布図も参考にしてください。

宇都宮二荒山神社は、豊城入彦命の本拠があった特別な神社であり、当初の毛野氏の中心地でもあったことを前提とします。そして二荒山神社の社殿・参道からの延長線を、主軸線とします。この二荒山神社を中央の礎石と考えます。五重塔を建てる時、中央と4つ角に、塔の重要な礎石を配しますが、二荒山神社の周囲には豊城入彦命を祭神とする神社が、規則正しく四角形を描いて並んでいることが理解できます。5つのポイントは左右対称に見える位置関係で配置されており、これは偶然に起こったというよりも意図的に配置しているように見えます。該当しているのは高龗(たかおかみ)神社、今宮神社、鷺宮(さぎのみや)神社、矛(ほこ)神社境内社二荒山神社の4社です。

今度は三王山南塚1号・2号墳の近くに目を落とします。こちらには、3箇所の豊城入彦命を祀る神社があります。白鷺神社相殿、蒲生神社、星宮神社の3社です。こちらも同様に、規則的に三角形が配置されているように見えます。

全体を俯瞰すると、北側の四角形の中心の二荒山神社の社殿から巨大な矢印が放たれ、その先端に三王山南塚1号墳と2号墳が所在していることになるわけです。これらの他に豊城入彦命に関係する神社は、この地図上では存在していませんでした。

宇都宮市から下野市にかけての、全ての豊城入彦命関連神社と三王山南塚1号・2号墳は、「全体で一つの複合体を形成」しており、豊城入彦命の御陵を指し示す矢印として機能していると見ることができるのではないかと考えられたのです。

 

最初の方に掲載した、「豊城入彦命を祭神とする神社と御陵の候補となる古墳図」に再び目を戻します。下野国(栃木県)の豊城入彦命の神社と、上野国群馬県)・武蔵国(埼玉・東京)の豊城入彦命の神社の間には、空白地帯が広がっています。丁度、旧大日川(渡良瀬川)と鬼怒川(衣川)に挟まれた地域のことです。

さらに、下野国常陸国茨城県)の間にも空白地帯があります。空白地帯は旧河川の流れに沿って南方へ伸びています。つまり栃木県の豊城入彦命関連神社は、丁度周辺の関連神社からは、離れ小島のようにして隔離されています。まるでこの宇都宮付近だけを特別視するかのように。

これらの神社は、豊城入彦命の御陵を築造するに際し、全体計画にもとづいて配置されたと考えておかしくないと考えられる所以です。神社、祭神、社殿、伝承、古墳、配置の全てが、計算され、全体計画の下に造られていると見ることができるのです。

複数の豊城入彦命の神社が、「豊城入彦命陵=三王山南塚1号・2号墳」(のいずれか、あるいは両方)であると、1400年近くも指差し続けていたことになります。さまざまな観点から、「豊城入彦命陵=三王山南塚1号・2号墳」である可能性が浮かび上がった、そう言って過言ではないことでしょう。

 

ちなみに、豊城入彦命の「豊」とは、『魏志』に登場する倭の女王「壹與(台与/とよ・壱与/いよ)」の名を引き継いでいると発想するのですけれど。つまり女王壹與と豊城入彦命は、親子関係だから、同じ音の名を持っていると考えています。普通に考えても突拍子もない発想なのですが、詳しくは第二章をご覧ください。

 

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ひとまずおしまい。第二章のほうが、すごい展開になる予定。

あと幾つか新事実がわかって、かなり訂正するポイント見つけたので、今後中身が変わるかもです。

 

 
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