たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

台風15号で鉄塔が倒壊する未来を予言していた謎のぐるぐる

先日猛烈な勢いの台風15号が直撃してました。

うちは屋根の工事が終わらなくて、そのさなかに台風が来たのでヒヤヒヤしてました。

ブルーシートをガチガチに固定したのだけど、さすがに風速45~60m級。

ビュおおおおと唸りを上げて森の木々を揺さぶり続け、山の斜面にドオオンとぶつかったりする大風で、ブルーシートが揺さぶられてました。

幸いにも新装した屋根の構造は、割と頑強だったらしくて壊れなかった。

アスファルトルーフィングと安いスレートは屋根を保護、シートは外れなかったので雨漏りはなかったです。

 

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その台風で鉄塔が倒れたとか

 

 

各地で停電とか断水が続いてるとか、家が破壊されたとか色々被害が出てるらしいです。

その中でも千葉の停電は凄いことになってるとか。

何しろ高圧線の鉄塔2つが倒れたから。

 

 

 

 

君津市の長石地区に立ってる、東京電力の鉄塔。これが倒れてしまったやつ。

この鉄塔2つは、高さ50mある巨大なサイズでした。

それで今回も、おかしなところに気づいてしまいました。

 

「鉄塔が、ぐるぐるに向かって倒れてる・・・」

 

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この謎のぐるぐるが気になったので、グーグルマップで場所を調べてみました。

すると、倒れた鉄塔のすぐ近くに、謎のぐるぐる構造物がありました。

最初はミステリーサークルかと思ったけれど、

 

どうみても台風マークです。

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ここは君津市かずさ小糸地区にある、かずさ4号公園。バブル経済期に造成された工業団地につくられた公園の、モニュメントぽいです。

 

かずさアカデミアパーク
かずさアカデミアパークは、千葉県木更津市君津市・富津市及び袖ケ浦市の市街地を母都市として整備されたバイオテクノロジーを中心とした先端技術産業に特化した研究開発拠点である。

 

1987年 「かずさアカデミアパーク推進方針」策定
1990年 上総新研究開発土地区画整理組合設立認可
1991年 起工式が行われる

 

かずさアカデミアパーク - Wikipedia

 

 地理院地図の空中写真閲覧サービスを眺めてみると。

・1990年の航空写真にぐるぐるは無い

・2001、2005年の航空写真にぐるぐるらしき姿

・2009年の航空写真にぐるぐるがある

 

かずさアカデミアパークの概要(木更津都市計画)

公園 地区公園   約 4.0ha  平成 4年12月15日

かずさアカデミアパークの概要(木更津都市計画) - 君津市公式ホームページ

 とあるので、平成4年(1992年)に都市計画でかずさ4号公園の建設が決定、2000年代のはじめに----竣工してることになる。

 

今回倒壊した鉄塔の先に、おあつらえ向きにぐるぐる台風マークがあった。

つまりこれは、こういうことかと。

 

 

東京鉄塔―ALL ALONG THE ELECTRICTOWER

 

 

想像できた鉄塔倒壊事故の真相

 

適当に想像してみた、鉄塔とグルグルの関係はこんな感じ。

 

(1)15年~26年前、鉄塔のそばにぐるぐる台風マークの公園を完成させた

(2)計画決定の1992年「192」で2019「219」、15日で台風15号を示唆

(3)それは鉄塔が台風により倒壊する未来を予言する目的だった

(4)2019年9月9日、台風15号が千葉に上陸(999)

(5)予定通りに台風は鉄塔をぶち壊した

(6)すると15号は目的成就のリモコン台風だったことになる

 

あのぐるぐるは、「台風で鉄塔が倒壊する未来を予言するモニュメント」だったのかもしれない。

どこかの暇な偉い人が、徹頭徹尾やり遂げたのだろう、鉄塔なだけに。

あるいは全ては偶然の産物とでも言うのだろーか。

 

といった風に自由な感じで想像してみる、夏の貧乏なひとときなのでした。

 

 

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2つ目の富士の幻影を見た

9月2日、世間的に残暑厳しい中でお出かけしました。

 

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山奥を出発して平野部に達すると、コンビニで新しいカードを使おうとして問題がでました。
カードの向きが違うと、使えないことに気がつかなかったのです。
コンビニと銀行をさまよい、カスタマーサポートに問い合わせ、やっとの思いでカードを使いこなしました。

そうして炎天下で無駄に長時間も自転車こいでると、汗だくの汗臭の地獄となって反応されたり。
バッテリー切れで帰りの坂道は登山状態になって時間をかけて登るなど散々。
ブルーシートのかかる自宅に帰ると、疲れ果てて昼寝しました。

まぁ、こんなのは人生の些細なヒトコマであって、割とどうでも良いのですが。

 

 

 キリン ウイスキー 富士山麓 樽熟原酒50度 [日本 700ml ]

 


2つの富士山

 

ところで平野部では、影絵みたいな富士山の姿が見られました。
しばし眺めて、写真をパチリ。

おかしなことに、富士山が2つも写っていました。

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右が本来の富士山。
左が幻の富士山。

 

この土地から天に突き出るのは、富士山ひとつだけのハズなのに・・・。

おやおや、富士山も分身の術を使うのか。
俺がちょっと珍しく外出し、チラ見した瞬間だけ、富士山がふたつになるなんて。

しかも富士山の真上に浮かぶ空の雲には「T」と描かれてました。いくら俺がTだからって。

 

そういえば近年は世界中で空に奇妙な風景が映り込むことがあるとか。 

とにかく不思議に思う光景でした。

 

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JAL123便が墜落する瞬間に放送してたテレビ番組が事故を予言してた件

屋根のdiyリフォームは、解体が進まないので丸ノコ使いだした。

スピード上がった。

 

引っ越して、もうテレビを見なくなって、3年目。

スマホヨウツベは見るけれども、ネットでもテレビ番組をじっくり見るなんてのも無い。

生放送を見てると、気持ち悪いとしか思えない。だから生活から完全に排除しました。

 

今もバカだけど輪を掛けてバカ過ぎる子供だった、1980年代の頃。テレビはけっこう好きだった記憶があるのですよね。

それでも日航機墜落事故のニュースは、テレビで見た記憶がまるっきり無いです。がきんちょな頃は世間の出来事なんか、何にも関心がなかったせいか。

 

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大規模な人為的事象には事前に予言や予告が出る

 

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日本航空123便墜落事故 - Wikipedia

 

先日の京アニの火災で。

なんか直前に、事件発生を仄めかす番組があったらしいです。

これについては個人的に詳しく書きませんけど。

見つけたツイッターのコメントの1つ。↓

 

 簡単に言えば、「京アニ火災が起きる前、京アニ火災の特徴を凝縮したドラマが放送されてた」みたいな・・・。

 

・・・・・・

人為的な大事件や大事故や大災害が起きる時には、

事前に予言や予告めいた映像やメディア作品が出ることがあるとか。知っていますか。

アメリカの911テロは、幾つもの映画やアニメで示唆があったのは誰でも知ってることだし。

東日本大震災の場合には、イルミナティカードのなかで予告されてたとか。

 

それで、1985年の史上最悪の航空機事故でも、同じく予告があったのではないかと。

それが以下の動画でわかる。

 

フィッシャープライス 1才からのメガブロック 123トレイン 50ピース DKX60

 

 

JAL123便墜落事故直前に放送された番組が意味深

 

某国営放送局が、123便事故を速報してる番組が、ヨウツベにありました。

これ。

youtu.be

映像の内容は

・戦時中、ロシアの捕虜となったドイツ人の話

・旅客機が不明とのテロップが流れる

・途中から番組は中止され、緊急報道に差し替えられる

 

で、なんかこの動画を見ていると、あれ?っと気づくことがありました。

 

 

(1)0:18「日航機には乗客497人が乗っている」とテロップの出た場面で、大勢の捕虜の行列。

なんか日航機に乗ってた大勢の乗客を、捕らわれた人(捕虜)に見立てているような・・・

タイミングをぴったし合わせているような・・・

なんか、三途の川を渡る123便の乗客のように見えてくる・・・

 

(2)0:37「いちばん上の長女は10歳、末の娘は3歳」

なぜ3人の娘がいる一家を主役にしたのか。

それは順番に数えれば1、2、3で123だからなような・・・

この捕虜の番組を制作した時点では、旅客機のナンバーが123便というのは、わかっていなかったハズなのに・・・

 

(3)1:08 墓地の映像、墓参り

タイミングよく墓地と墓参りの映像が出てきて、まるで大勢の死者を弔うかのような・・・この墜落事故で死者が多数出ることは、製作時には分からないハズなのに・・・

 

(4)上の長女

「上の」は「うえの」

この時点では墜落地点は全く不明だったハズなのに、墜落地点の群馬県の「上野村(うえのむら)」を仄めかしてるような・・・

そういえば、墜落事故が起きる直前の中○根首相は、群馬の軽井沢駅から、東京の上野駅を目指して、新幹線で移動してたとか。

同じタイミングで、123便は東京→群馬上野、首相は群馬→東京上野、という流れがあった。

まるで国は、上野村であることがわかっていて、そのキーワードを散りばめたかのような・・・ 

 

 

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 ・「立ち往生」調べりゃ行き着く国常立

 

 

イライラの語源はイラ、アバヨの語源はアベオだった。古代日本語に古典ラテン語が含まれている件

不思議の要素は日本の国土や俺の存在だけでなく、古代の世界にも詰まってる。そんなことを実感させるのは、古代の言語を眺めてるときです。

 

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古代の日本語には古典ラテン語が入ってる

 

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Classical Latin - Wikipedia

 

日本語はユーラシア語のごった煮が正解なのだと、低学歴的な直感で考えるのですが。以前にも色々と記事にしてました。

ラテン語を学んだことはないですが、どうやらイタリア語やフランス語など、南欧言語の古い形態だとか。古ラテン語は、英語の元になってる古ゲルマン語にも近く、印欧語の祖語に最も近いというレベルの、とにかく古いやつです。

「古典ラテン語」の範囲で言えば、紀元前1世紀から数世紀に限定的になってくる。

その古典ラテン語、じーっと見ていると、どうも日本語とのいろんな一致が見えてきたりして、面白かったりします。筆者なりの解釈で考えてみました。

 

 

古典ラテン語 日本語

 

audeo(あえて行う) aete(あえて)

 あえて申し上げるなら、あえては古典ラテン語のアウデオが起源だったとか。

ago(行う) okonau(行う)

 昔は「アゴなう」と言っていたのかもしれない。

ark(箱)   hako(箱)

 箱にはアークが入ってる。

abeo(立ち去る) abayo(あばよ/さよなら)

 古来より「あばよ」と言って立ち去るのが倭人の決まりだった。じつはこれ、古典ラテン語の「アベオ」が倭人間で流行った結果だった。

aqua(水)  waku(湧く)

 湧き水とはすなわちアクアなのだ。

bos(牛)  ushi(牛)

 ボシ(bos)→オシ(os)→usiという変遷をたどったのかもしれない。

caeruleus(青)  kaeru(蛙といえば青蛙)

 むかし古典ラテン語を使う人々が倭へ入ってきた時、青蛙をカエルレウス、カエルレウスと言っていたので、いつしか青い蛙はカエルになった。

femina(女)  omina(女)

 女の古語おみなは、ふぇみなと比べても違和感ない。

frater(兄弟)  harakara(はらから/兄弟)

 兄弟を意味するフラーテルは、倭へ入るとハラーテル→ハラーカラという古語になったのか。

fluctuat(揺られる) huru(振る)

 揺られることを振ると言ってこんにちに至る。

finis(終わり)  fui(駄目になる/fuinis不意にす)

 不意とは駄目になることで、不意にするは物事の終わりを意味する。だからフィニッシュとは意味として極めて近い印象だった。

ira(怒り)  iraira(イライラ)

 怒りが2度も募ってイライラなのは理にかなった用法だったのだ。

mico(輝く)  iko(威光/輝き)

 威光はミコーだったのか。

mergo(沈める)  shizumeru(沈める)、umeru(埋める)

  「める」とは沈む、埋める意味の怖い言葉だった。

nasus(鼻)  hanasuji(鼻筋)

 ナスジ(鼻筋)が通ってればラテン系かもしれない。

penna(羽根)  hanne(羽根)

 そのまんまで通用する。パネェ。

rus(田舎) rusu(人がいない)

 留守なのは人がいない田舎だから、といって間違ってなかった。

sol(太陽)  sora(空)

 古今東西、ソラといえば太陽なのだった。

subito(急に、ただちに)   subaya(素早)

 すばしっこい、素早いの「すば」は古典ラテン語につながったのか。

 

古典ラテン語の参考

 http://incunabula.sonnabakana.com/ratinapage.html

 

ちょっと自分流に探したのですが。たぶん、これは一部を見つけただけに過ぎないんですけども。

古語をもっと引っ張り出すとさらに一致率は上昇する気がします。

 

 


古典ラテン語文典 中山 恒夫 (著)

 

 

古典ラテン語がいつ日本語に入り込んだか

 

こうした一致は、もう偶然ではありえない量を確保できています。そこでいつの頃、この言葉の融合がどんなふうに起きたのだろうと考えてみます。

時代の候補のひとつは縄文時代以前。

縄文人の先祖が中東あたりにいたときのものであると、考えることもできますね。「旧約聖書」を頼るならばバベルの塔の崩壊以前に、世界の言語が1つだった頃のこと。

縄文人が東南アジアのスンダランド以前、中東にいたのは5万年前とか言います。

 

しかし古典ラテン語は、紀元前1世紀からせいぜい西暦4世紀くらいに流通した言語でした。だからもう一つの仮説では、このキリスト以後に日本に入ってきている可能性が浮かびます。

もし牛の語源がボス(ボス→オス→ウス→ウシ)なのだとすれば、牛が日本に入ってきた経緯も関係していそうです。

なぜなら牛が大陸から海を船で渡り、倭国でも一般的に見られるようになったのは、古墳時代の頃からだったので。

この時に全国的に牛という名前も普及したハズですが、その語源が何故か古典ラテン語由来で訛った名称、ウシだったわけです。

だから他の古典ラテン語も含めて倭に入り込み出したのは、弥生時代後期から古墳時代が一番当てはまるようです。

古典ラテン語を使う南欧系人種の、倭国までの移動ルートはこんなふうに検討しました。

彼らは欧州や中東に起源があって、当然ながら古典ラテン語を駆使するローマ帝国出身も含まれていました。

アレクサンドロス大王の遠征、遊牧騎馬民族の東征といった流れに乗って、ひとまず烏孫月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。

さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。

彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。

 

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聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

などと記事をしたためる間も、自宅の工事は進めて1週間が経過しました。

しかし思ったより屋根解体と再構築の工事は大変です。体力的な問題から1日3~4時間しか工事できないし。あんまり無理すると古典(コテン)と倒れそうですし。

それで2週間の工期の予定が、どうやら4週間になりそうです。ブログも今月も2記事が限界かもです。それではabeo(abayo)。

 

 

diyで屋根修理の準備と28日の爆音

28日夜の、東京電力の鉄塔の高圧線の爆音がすごかった。

 

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これが1日、1時間おきに10~30分継続したりすることがあるのですよ。

引っ越しの直後から、時々起こる。幻聴じゃない。

絶対にニュースにならない、非ニュース案件。裏ありすぎ。

 

ドーン!ドドーン!含め、

何故か大騒音は俺が出してることにされ、2年間にわたり近隣の中高年から嫌がらせされまくったのだが。

真相は飛行機が落とす未知の爆音だったり、自衛隊の爆音だったり、あとは高圧線の爆音、近隣がわざとらしく出す騒音だったりするわけなのだが。

で、修理で俺が音を出せば、「ほらやっぱり」みたいにとなりのおばさんが嘲笑い出し、関連付けられ俺のせいで固められる。

不愉快な感じが継続中なわけなのだが。

「あのスゴイ爆音はうちじゃない」

「あの爆音と、俺の家の音は、全くの別モノだ」

「よその騒音なのに、何で俺に抗議するんだ」

「文句あるなら東京電力や政府に言ってくればいいのに」

 

と、こちらがていねいに申し上げても、ボケていたり思考が回らない人は理解ができないらし。

玄関ドアで2年以上も一生懸命、ばたん!ばたん!やり返してるおばさん、何なの。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そんな中でも、こつこつと自宅解体修理の準備は進めてきました。

 

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足場は組んだし、

 

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コンパネは大量に入手したし、

 

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材木も250cm~400cmのツーバイ材を50本以上、

 

ビスも大量に用意したし、

アスファルトルーフィングもスレートも準備できたし、

 

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工具もある程度揃ったし、

 

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丸のこは買ったし、9割準備ok。

 

大工仕事の練習もしていたので。

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こんな具合に。

 

とにかくバリバリ家を解体して、DIYでの再建であと5~10年はもちこたえてくれないかと。

この家の問題は、屋根や床や壁がボロボロになってる部屋があること。

掃除や塗装で、なんとかカビや腐食を排除し維持してたのも、もう限界かと。

なんでこんな廃屋満たんな家を購入しちゃったのかと、後悔も先にたたないんすけどね。あの時は家を追い出されるような形で、すぐ引っ越し先を決めなきゃいけなかったので。予算も厳しかったし。

 

 

10年たった後は、別の家に住んでいたいです。

まぁ近いうちに大地震が来れば、壊れる可能性があるんですけどね、おわた・・・。

 

 

高輪ゲートウェイから発想するスターゲイトの実在性

この話については俺の想像なので、ぜんぜん現実に沿ってないかもしれないです。

しかしエスパーと呼ばれたことがある俺なので(どこで)、想像が何故だか良く当たることがあると評判らしいです(え)。

 

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山手線の新駅

 

なんか山手線に新駅が出来る。高輪ゲートウェイ駅。

画像や航空写真みると、なんか宇宙船っぽい巨大な建物みたいです。

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ちょうど芝浦水再生センターのゆるキャラ、アース君の視線の先にあるようです。

目と鼻の先に、中央リニア新幹線の品川駅もできるとか。

 

これまで山手線の駅といえば漢字で3~5文字で、秋葉原駅、東京駅、西日暮里駅とか田端駅とかそんな感じだったです。それが令和時代に高輪ゲートウェイと始めてカタカナを導入したとか。

それで何故かこのカタカナが気に入らないとか言って、名称にたいする反対運動も起きてるらしいですね。

他の無数にある路線の、無数にあるカタカナ駅は差し置いて、何故か山手線の高輪ゲートウェイ駅だけが気に入らないとか言う奇妙な話なのですが。

この駅、山手線の30番目の駅だとか。そんでもって新駅の名称は、公募した中で130位で36票が入った名前だったとか。確かに奇妙だし、意味深ではありました。

なお、正式駅名に採用された「高輪ゲートウェイ」は36件で130位であった

高輪ゲートウェイ駅 - Wikipedia

30、130。36=666?いるみなてい的な何かですね。

そういえば俺の誕生日が1977年の1月30日なのですが・・・。

 

 

ゲートウェイって

 

この一悶着してる高輪ゲートウェイという名前、昔高輪が江戸の玄関口(高輪大木戸)だったことに由来するらしいです。

といろいろ調べていると、ゲートウェイというのは、IT用語にも存在しているとわかりました。

ゲートウェイ (gateway) は、コンピュータネットワークをプロトコルの異なるネットワークと接続するためのネットワークノードである。

ゲートウェイ - Wikipedia

つまり高輪ゲートウェイとは、なにか「別の場所に繋がってる」みたいなニュアンスが、含まれている気がしました。

品川駅のマグレブ超電導)の乗り物が隣接することが関係するかもですが。

しかしそれ以上に、「次元の異なる空間にアクセスできる」ような意味合いが含まれているようで、俺の妄想がエスカレートしました。

 

 

映画の中のゲートウェイ

 

ひと昔まえに「ゼイリブ(They live)」というトンデモな映画がありまして、これ過去に何度も見ました。ネットで。

この映画はかんたんに言えば「地球を自在に支配してる宇宙人の存在に気づいちゃたので、戦いを挑んで秘密を暴露する」という中身でした。

They Live (1988) - video dailymotion

 

1:21:05の地下軍事施設の場面

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こんな場面が出てきていました。

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大都市の軍事施設の地下にスターゲイト的な設備があり、そこにビジネスマンが立つと、遥か宇宙の果てまで瞬時に移動できてしまうとかいう、宇宙人の技術。

 

 コレ見ていて、なんか「リング」が思い浮かびました。

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リング 貞子 井戸 テレビ 邪眼 (貞子画像only) Hisashi Asakura (RIO) - YouTube

 

「リング」

1998年1月31日公開のほらー映画。

井戸の底で死んだ超能力者、山村貞子の思念がビデオに念写され、テレビ画面を通じて現実に実体化して呪い殺す話。

 

 

スターゲイト

 

あと忘れてならぬのが「スターゲイト」という1994年の映画。

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Stargate (1994) Official Trailer HQ - YouTube

エジプトで謎の輪っかが発掘され、天才考古学者によりそれがワームホールを作り出して、星間瞬間移動をできるスターゲイト(星間瞬間移動装置)だと判明、軍隊が輪っかを使ってみたら別の惑星にたどり着いて、機械文明と戦うはめになったという話。

 

この映画で地球を表すシェブロン

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スターゲイト - Wikipedia

 

この星間移動装置は、事実を元にした話だったんではないかと、言う人もいます。

youtu.be

 

 

 

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 要するに高輪ゲートウェイって

 

するってーと何かい?宇宙の果てまでひとっ飛びできる高度な輪っかの交通機関がそのへんに実際にあるから、高輪ゲートウェイって名付けられてるってのかい?何言ってやんでいバーロー畜生。

と、思った人も多いかもしれません。

証拠なんか。何1つ存在しないじゃないかと・・・。

 

しかし港区の南部の各地を見ると、なんか意味深な情報が出てきたりするのでした。

 

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港区 (東京都) - Wikipedia

 

まず港区章を見れば、「み」をモチーフにしているとか言ってますが、なんか輪と輪がワームホールで繋がったような形状なのですね。∞みたいな。

あと港区のベイエリアのほう見ると、埋立地に「東京テレポート駅」があったりします。テレポートって、瞬間移動のことじゃないっすか。

港区といえばアメリカ人が大勢住んでるところで、ゼイリブやらスターゲイトやらの主人公はアメリカ人でした。

そう言えば港区のレインボーブリッジは、高輪ゲートウェイのそばなのですが。この橋が、「スターゲイト」の地球を表すシェブロンぽいことにも気づきました。

 

アース君、高輪ゲートウェイ東京テレポートという何か宇宙の移動を表す要素が揃っていて、レインボーブリッジと港区章はスターゲイト的というのは、偶然なのかと。

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港区のスターゲイト的要素

・港区章(ワームホールでの瞬間移動を表すようなかたち)

・高輪ゲートウェイ(高次元の輪っかのゲートウェイ

東京テレポート(瞬間移動)

・港区のレインボーブリッジは地球を表すシェブロンスターゲイト

・アース君が高輪ゲートウェイ駅を見てる

というわけで高輪ゲートウェイは、こうした要素が絡んでこの名前がついてるのかと。

こんなふうに偶然が重なるのは気になるところです。何しろ世の中には偶然というものは、無いらしいので。まぁ、想像の話でした。

 

しかし港区を含めて、日本の大深度地下空間に何があるのか、実際の最先端の科学技術はどこまで進んでるのか。というのは一般庶民じゃ知れないことです。

偉い人は多分知っていて、世界の要所要所で宇宙人が出入りしているというのは、想像するばかりですが。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんか色々と疲れてしまって、きょうは胸が苦しかったりする。

では屋根修理のコンパネと、丸のこなどの道具を通販で入手することにしよう。

 

 

 

ヤマガタがマガダに見マガうモノガタリ

ふとした瞬間に考えること。

今年も墓参りも親戚づきあいもしないのだろうなと。俺みたいなバケモノがいれば迷惑だろうから、潔く身を引きたいわけなのですが。

さらに、これから自分が一人で人知れず死ぬ瞬間や、死んだ後朽ち果てて発見された後、どうなるのか。なにかのサービスに事前に登録してお金を払って予約していれば、孤独死の直後に火葬や散骨などの処理まで対応してくれるのだろうか。

探してみようかと。そんな孤独死対応な良心的サービスないですか。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

ヤマガタ

 

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羽黒山 (山形県) - Wikipedia

 

ヤマガタがマガダに見マガうモノガタリ

(山形がマガダに見紛う物語)

 

子供の頃、山形に頻繁に旅行に出かけてました。お盆の恒例でしたが、やがて引きこもりになってから行く機会もまるで無くなったのでした。

近頃、山形はなぜヤマガタなのかって、考えてました。

それは良く言われるように、山にかこまれた地形だから。山がちな地形だから。
みたいな安直な回答で、済ますこともできる。

ところがちょっと視点と発想を変えてみると、通説が違うふうにしか見えませんでした。

ヒントはヤマガタという名前と、人の横顔みたいに見える山形のイビツなかたち。

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古来の出羽国アイヌ蝦夷の土地だったとか。

古墳時代に奈良の大和王権の支配地となったらしく、かなり多くの前方後円墳が見つかっていたりします。

593年に蜂子皇子(はちこのみこ、はちのこのみこ)が大和の王権による暗殺の手から出羽の地に逃げ延び、三本足の霊鳥(八咫烏)の導きにより伊氐波神(いではのかみ)を祀る羽黒山を開山したとか。

さらに月読を祀る月山、大山祇神大己貴命少彦名命を祀る湯殿山も合わせて開山し、これらが出羽三山と呼ばれて崇敬されるようになったとか。

ちなみに神仏習合本地垂迹(ほんぢすいじゃく)思想では、次のように仏教の菩薩や如来にあてられたとか。

羽黒山 観音菩薩

・月山 阿弥陀如来

湯殿山 大日如来

 ・湯殿山神社 - Wikipedia

んでもって月山、羽黒山湯殿山出羽三山での仏教信仰が篤くなったようです。

7世紀になると呪術者の役小角が吉野の山中で修行中、蔵王権現が現れたので金峰山寺に祀り出したとか言います。蔵王権現は釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の3体の習合ということで、なにか出羽三山御神体とも通じているようです。

和銅元年(708年)、陸奥国日本海側に出羽(いでは)郡が置かれ、飛鳥時代には既には最上郡、飽海郡、村上郡など、いまと同様な郡郷の祖形は完成してたとか。

そのご出羽国羽前国羽後国に分かれ、近代には山形県秋田県になりました。

 

要するに山形が仏教に通じるようになったのは、593年の蜂子皇子が出羽に入った直後からのようでした。

それでこの蜂子皇子というのは仏教を信仰する蘇我氏で、その異国人的な容姿から、インド系のサカ族から出て、若い頃に天皇家帰化したのではないかと考えられます。

以前に記事書いてました。

すると山形の正体は、古代インドのマガダから導かれるんじゃないかと、そんな気がしてなりませんでした。

 

 

マガダ

 

紀元前に釈迦が生まれてから数百年のち、インドの東部に誕生したのがマガダ国でした。(紀元前413年 - 紀元前395年)

調べたところ、この国は仏教が早くから浸透し、世界最初の仏教寺院の竹林精舎、釈迦が過ごしたという霊鷲山(りょうじゅせん)が存在しました。

山形とは仏教で繋がってるわけなのですが、名前を最初見た時にもう理解しました。

「ヤマガタのヤを抜いたらマガタになって、まるっきりマガダだな」と。

でこのマガダ国の地形図を見てさらに「あ」と気づいてしまいました。

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マガダ国 - Wikipedia

 

 これを現代の地図に重ねて拡大してみたのが、以下の図。

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インド東部からバングラデシュにかけての広範囲が、当初のマガダの範囲となってました。中心と成るのはガンジス河の下流域で、西ベンガル、ジャールカンドといったところです。

ちなみにベンガルバングラデシュバングラは元は同じ意味で、中世まであったヴァンガ地方とガウル地方を組み合わせてベンガルにしたらしいです。

ベンガル地方 - Wikipedia

 

 

ヤマガタとマガダ

 

名前が似てるだけじゃなく、意外と国の形も似てるんではないかと、気づくことになりました。以下はヤマガタとマガダを比較した地図。

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なにか全体的に見れば「勾玉(まがたま)」的な形状の両者は、たしかに細部を見ても似ているところがあったりします。

たとえば地図の左側の地形は、全く同じ凹凸をしているし、北側の突起も似通った形状ではないですか。

これはたぶん蜂子皇子や役小角行基といった昔の天才連中が、こんなふうに山形の境界線をマガダ風に決定しているのではないかと、そんな気がするわけですが。

 

 

竹林精舎とベニバナ

 

山形といえばベニバナが有名だったりしました。県花にもなっているほど生産が盛んで、黄色や橙色が綺麗でベニバナ染めに使われたりもします。

この花は古代のエチオピア原産で、中国から5~6世紀に日本に入ってきた外来植物だとか。それはちょうど聖徳太子や蜂子皇子が存命した頃に重なっていました。

出羽国で栽培が盛んになったのは江戸時代らしいですが、西日本にいた蜂子皇子が出羽に入っているので、当時からヤマガタでも知られた花だったと思われました。

これがどうも、マガダとヤマガタが運命的にも繋がっていたことを証明してしまう要素になるのです。

マガダにあった天竺五精舎のひとつ、竹林精舎はサンスクリット語での名を「Venuvana-vihāra」と言ったとか。


Venuvana-vihāra・・・ベニバナ美原。

そうなのです。マガダの竹林精舎はベニバナで、ヤマガタの名物がベニバナ。名前と形と仏教の聖地、ベニバナでの運命的繋がりが現れてきていたと。

 

 

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 出羽や最上川の由来もインドかも

 

するってーと何かい?

蜂子皇子の仕業によって、古代インドのマガダに名前も形も由来させられたヤマガタは、他にもインド的な要素があるってことかい?

そうです、ありました。

山形の古名である、出羽、これもどうやらインドにちなむ名前かもしれないなと。

平安時代までは、出羽と書いて「いでは」と読むのが通常でした。これ、ひょっとしたらこんな真相が隠されていたかも。

Ide-ha 出羽

Ind-ia インディア

India(インディア)→イディア→イデハ→出羽

 こういうことで、出羽(いでは)とはインディアの音写だったのではないかと、思う次第なのです。

また出羽をデヴァとするなら、サンスクリット語の「神様」の意味になるので、仏教聖地出羽三山にはおあつらえ向きかと。

続いて最上川(もがみ)ですが、定説ではむかし最上川にあった「藻が湖」を由来とするとされていました。しかし全てがインドなことを踏まえると、最上川も本来はマガミ川だったのかと。

モガミ川

マガダ

マガダ川→マガ川→モガ川→モガミ川(毛賀美)

 こういうことかと。

 あと出羽は別名を両州と言ったらしいです。これは意味不明でしたが、マガダに関連していると考えると一目瞭然な感じでした。

「両」は訓読みすれば「ふた」であり、「ぶっだ」、仏陀の意味が密かに込められて「両州」と呼ばれたのかもしれないなと。

 

 

月山がある説明も付く

 

Induとは月のことで、インドと似てるなと発想できます。この発想じつは三蔵法師が発表したのが最初で、この方は「インドの名は月に由来するのだ」と語っていたとか。印度と漢字を当てたのも三蔵法師でした。

それで出羽三山の信仰では、月山の存在感がとても大きいです。この山は月読命を祀っているのでまさに月を象徴していました。

蜂子皇子が月山と名付けたのは、実は月山=インド山で、インドと関連付けてのことだったとすれば、これもまたマガダに由来するとして見てもおかしくないことでした。

 

 

・・・

といった具合にヤマガタはマガダと密接な関連があったという、誰も知らない真相に近づくことができたようです。

と言っても、ほんとのところは蜂子皇子に聞いてみないとわかりません。

 

関連記事

蜂子皇子から知る、蘇我氏=サカ人仮説(1) 

 (2)を書くの忘れた・・・

 

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癒(いやし)の語源と邪馬壱国(病国)から気づいた「卑弥呼のキリスト信仰らしきもの」と言霊の仕掛け

 

最近は重曹クエン酸効果で体の状態は良かったのだが、ストレス過剰なせいか痛みがでたりした。それで自己治癒力を高めようと、熱いお湯で温めてみたり、色々試しているところ。

不愉快ばっかりでストレスだらけだと、精神的に自己治癒力を高めることは難しくなるらしいです。

治癒の「癒」といえば、邪馬台国倭国大乱を鎮め、癒やしたらしいのが卑弥呼でした。

この邪馬台国卑弥呼は、どうも「病(やまい)」とも無関係では無かったようです。この辺から、想像し難かった西側世界との奇妙な繋がりも見えてきたりしました。

 

○いつも助かっております

 

 

 

アシダカグモ

 

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ちなみに17日に風呂にいた、アシダカグモ。つかまえてビニール袋に入れて観察してみた。

胴体が笑ったおじさんの顔や髑髏に見えるのは、長い年月を経て人の顔に擬態した結果だとか。

この蜘蛛はこんなめちゃくちゃ悪魔的な風貌をしているけれど、人間にとっての害虫を根こそぎ食べるし毒は持ってないので、益虫だったりする。人(蜘蛛)は見た目が9割というけれど、実際は見た目で判断できない。

このアシダカグモは、日本最大級の種類らしい。後ろ足から前足までが100円玉の3倍あって、直径6cmくらいだった。外に逃がしました。

 

 

漢字の黎明の関連付け

 

まだビフォーキリストの時代、漢字が倭の国に入ってきた黎明期。
倭の賢人は、漢字ひとつひとつに、ヤマト言葉を当てはめていったようです。

それは漢や魏と交易するのに、言葉の理解と詔書類が不可欠だったから。

 

倭に対しては、やまと。

人に対しては、ひと。

国に対しては、くに。

この作業は日本の常用漢字2,000字どころか、中国古典に記される常用外も含めて数万字に及んでいた。これを弥生時代卑弥呼の頃にには行っていたのではないかと。想像するばかりです。

おこなったのは誰かと考えれば、卑弥呼などの詔書をしたためるような偉い人が、漢字を読める大陸系スタッフをかき集めたと言って、外れてないはずですね。

最初の漢字を記す文官は、倭と漢の言葉を使いこなす、ハーフな人だったかもしれません。それでいつしか、日本の漢字には同音異義の漢字が多数になってました。

同音異義語というのは一般解釈としてはたまたま同じになったとかいう。
しかし古代には言葉と文字は「言霊」として祝詞や呪詛で使う生きモノでした。
たまたま全ての同音異義語ができたという単純な発想の他、関連付けの結果で同じになったものが多数含まれる、或いは殆どがこれだと考えるようになりました。

たとえば、

 

氷と郡

氷は水の固まり。

郡は村の固まり。

どっちも固まりの意味で同じだから、どっちもこおり。

 

蛙と変

蛙はオタマジャクシから蛙に変化する。

変は変化すること、変えること。

だからどっちもかえる。

 

天と雨と飴

天は空に広がる空間。

雨は空から降る水。

飴は雨つぶのようで、溶かした状態は水たまりのよう。

だからどれもあめ。

こんなふうに考えていくと、漢字が導入されて以降に、言霊を意図して同音異義語の関連付けがされたものが多いのだろうと、理解できてくるのですが。

その一例としてふさわしい言葉に、「いやす」がありました。 

 

 

エスが漢字になっていた

 

「いやす」という日本語を見てみると、気づくこともあったりします。

この言葉、なんだか「イエス」に近い言葉であるなと、薄々目を付けていたので、今回取り上げることにしたのです。

エス yes

イヤス yas(iyasu)癒

 

BC1に生まれたというイエスは、多くの人に教えを説いたり病を癒して信徒を集めた後、ユダヤの王と救世主を自称したのでローマに敵対し、ゴルゴダの丘で十字架に磔にされる罪人となったとか。

いわば崇められた後に不条理に貶められた人で、後に復活したことで神格化をされていました。


日本語の「いやす」のポジティブなほうには「癒(いやす・いやし)」があって、これが何か妙にイエスに似ていたりする。

他に「療(いやす)」「医(いやす)「薬(いやす)」があり、上記の4つは全て心身を治療することだけに関係していますね。

 しかも「薬」の場合は「くすり」と読むのが意味深でした。

薬→くすり→Kusuri→Csri

キリスト→Christ

薬=iyasu・chsuri

薬はなにか、イエスキリスト的な「いやす・くすり」が入っていたようです。

 

一方でネガティブな方を見てみる。

すると、「卑(いやしい)」、「賎(いやしい)」などがあったりしますね。

 

「癒・医・療(いやす・いやし)」⇔「卑・賤(いやしい)」と並べてみると、どちらも「いやし」を含んでいて、なんだか対義語のような関係にも思えたりします。

まるで癒し系から罪人に落とされた、イエスの人生を表すようにも感じられるではないですか。「癒→賤」

 

さらに「癒」には「いえる」の読みがあるのも意味深でした。なぜならキリストのいたイスラエルでは神様のことを「エル」とか呼んでいたから。

イスラエルとかいう名の意味も「神(エル)と戦う(イスラ)」らしいですね。

 【癒】

意味:病気や傷がなおる、なおす

いやす・いやし イエス

いえる エル

 

 

 ふわふわおたまじゃくし

 

癒の中国上古・中古音との関連

 

これが偶然でなくて、漢字の意味に対して「いやす」という訓読みを「作成した」結果ではないかと思える理由が、癒の上古音にありました。

「癒」の字について、「学研漢和大字典」で引いて気がついたことです。

この字典は言語学者藤堂明保がまとめたもので、数万字の漢字一文字づつに、大陸での各時代の音韻まで掲載しています。

上古音(周・秦)

中古音(隋・唐)

中原音韻(元)

現代北京語

 と言った具合に。

 

「癒」の項目を見ると、上古音では「ジュー(diug)」という音で、中古音では「ユ(yiu)」、中原音韻は「iu」、現代北京語は「u(yu)」というふうに変遷していることがわかりました。

ここでなぜ癒が、キリストに関連づいているかの補足が成り立つわけなのです。

それは上古音では、「癒(ジュー/diug)で、ジューといえばjewish(jew)でユダヤ人を意味している言葉だったから。

中古音の「ユ(yiu)」も、ユダヤのユなのですよね。

そういえば、漢字を作った人々のなかには、古代イスラエル人が含まれていた説があって、けっこう知られていますし。

 

というわけで、「癒」には他に訓読みが無いし、イエス的「イヤシ」で確定していて、中国ではジュー(ユダヤ人)と読んでいた。イエスとジューが組み合わさっている漢字だったんですよ。

こうなってくるとやはり古代、「癒」という文字をいやし(イエス)と読ませるように、倭の賢人、卑弥呼が作り上げたのではないかと、低学歴的に発想したくなります。

 

 【癒】

意味:病気や傷がなおる、なおす

・いやす・いやし(Iyasu)→Yes(イエス

・いえる(Ieru)→El(エル)

・中国上古音 dieu(ジュー)→jew(ユダヤ

 

 

 倭国の邪馬壱国は病国

 

魏志倭人伝」や「後漢書倭伝」にあるとおり、倭国大乱(倭国乱)で女王卑弥呼が擁立されると、その未曾有の殺し合いはピタリと止んだとか。

まるで病んだ人を、瞬時に薬で癒したかのように。

要するに卑弥呼は救世主であり、特効薬だったのだろなと。

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「中国正史日本伝(1)石原道博編訳p112より

 

日本書紀」の崇神天皇の条を見れば、疫病が蔓延し百姓が反逆する事態が続いたとあるので、「卑弥呼の時代の倭国大乱=崇神天皇の時代の疫病と反乱」で間違いなしと見ています。

手元の岩波文庫の「日本書紀(一)」を見ると、

五年に、国内に疫病(えやみ)多くして、民(おほみたから)死亡(まか)れる者有りて、且大半(なかばに)半(す)ぎなむとす。

六年に、百姓流離(さすら)へぬ。或いはそむくもの有り。其の勢、徳(うつくしび)を以て治めむこと難(かた)し。

日本書紀(一)」岩波文庫 p276~278

 

それで古代の中国の歴史書を見れば、おかしな記述があります。

よく知られる「邪馬台国(邪馬臺国)」の「やまたい」ではなくて、実は「やまい国」が使われていました。

やまい国(邪馬壹国=邪馬壱国)。

ニュースとかではヤマタイ国ばっかりで、ヤマイ国のほうは滅多に使われず、知らない人のほうが多かったりします。

なんで倭の首都が「やまい」なのかは不思議なことです。まるで邪馬台とは違う別物の国のようで。ヤマイモの国だったのかと思ったら大間違いでした。

これも実は「日本書紀」の崇神天皇の時代、「疫病が蔓延した」ことと整合する名称でした。このことは、以前に出していた電子書籍の拙著にも記していたところです。

 

要するに倭が疫病が蔓延する「やまいの国=病国」になったこと、これを表すために「邪馬壱国(病国)」と書いていたのであろうと想像するばかりです。 

 

【病】

①やむ・やまい からだが弾力を失って動けぬようになる。転じて広く、病気になる。また、病気のこと。

②からだが硬直して動けないさま。

③うれい つらいこと。くるしみ。心配。また、欠点。

④やむ・くるしむ つらく思う。困って悩む。

古訓 カシク、ナラフ、ヤマヒ、ヤマフス、ヤム、ヤモヘル、

 

「学研漢和大字典」より

 病の状態は倭国大乱の様子に似ていますね。邪馬壱国(邪馬台国)が登場する場面はまさに倭国が病んでいたこと、それがやまい国で現していておかしくなかったです。

このことは、百科事典にも乗っていないですが、学者のかたは考えてみたほうがいいです。かなり整合する話なので。

昔は病をナラフと読んで、ナラを含んでいることも、かつて北部九州の邪馬台国の別名がナラであり、後に畿内が奈良となったことに通じているようです。

そういえば甘いものを食べ過ぎると病気になるのはもう知られている事実です。病(yamai)が「amai(甘い)を含んでいるのも、「甘い食べ物は病気につながる」ことを倭人も良く知っていたがためかもしれないです。

 

 

卑弥呼の名に「いやし」と「いやしむ」と「えやみ」が含まれる

 

まとめると、卑の意味より以前に、卑弥呼は音を重視した気がしました。

卑の音だけ重視すれば、「いやし(癒し)」でありつつ、また同時に「卑しい」という相反するものを含んでいました。

そこから卑弥呼がキリストについても把握して、下手すると信仰心を持って取り入れていたのではないかとの疑念が浮かびました。

卑弥呼が「himiko」で「imiko(忌み子)」を含んでいることも、これに関係しているようです。

あとは卑弥呼の名自体にも、「えやみ」が隠されているような感じも気になります。卑弥は「いやみ」であり、「えやみ」だから。

卑弥→「卑(いや)弥(み)」→えやみ→病(やまい)→邪馬壱国」

言葉遊び的なものが、言霊の根幹にあることは疑いようがないです。

こういった関連も含めて、病の国の意味を込め、邪馬壱国の名を使っていたのではないかと。

そうするとやっぱり「魏略」で最初に倭人のことを詳しくまとめた魚拳なる人物とは、おそらく倭人に近い人物で、卑弥呼と協力して倭人伝の基礎的情報をまとめたのではないかと考えてしまいます。

 

卑弥呼の名は、しゃもじで前方後円墳を含み、徐福の意味を※、キリストの概念を取り入れ、倭国の邪馬壱国の病んだ歴史とキリストまでも組み込んでいる、そんな複合的な役目をもたせている。

まさに呪術を以て倭に君臨した卑弥呼は、其の名前自体が大いなる言霊なのだなと納得した話でした。

 

関連記事

旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語

魏略の魚豢は卑弥呼に近い倭人だったかも 

 

 

富士山の語源が徐福さんだったことの証明

 

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富士山 - Wikipedia

 

南海トラフ地震

 

なんか最近、南海地震のニュースばっかりですね。

なんかい地震ニュースやってんだろう。だじゃれ。

 

南海トラフのニュースは、何故かメディアがあんまりにも煽りまくっている件。

そういや最近の政府発表では、南海トラフ巨大地震の想定死者数を、23.1万人とか言ってるらしい。

23万人なら切りが良いのに、何故か「.1」をくっつけて「231」にしてるのが、超絶意味深。

太鼓の達人」の隠し音楽で、悲鳴が続くのと同じくらい意味深だと思いました。231。123神示。◯月31日なのだろ~か。

 あと韓国のサッカーの選手が、トロフィー踏んづけていました。On the trophy状態ですが、これも多分示唆で、スイッチOn the 南海Torafuなのかもしれないと。

そんな想像を膨らませつつ、日々暇を見ては自宅修理と補強してますが・・・隣のおばさんに嫌味を聞かされ叩かれつつ。

 

○いつも助かっております

 

 

 

富士山の語源

 

あと、どこかの学者によればもう噴火するのは確実と言われる富士山ですが。

こんな数字があるの知ってますか。

・日本一

・3,776m

・223(ふじさん)

・二二八八れ十二ほん八れ

・333(富=画数13、士=画数3、山=画数3)

一番下の333は近頃に、発見したのですが。

富士山の名前というのは歴史上で何度も変遷があったので、その時に画数333を並べようという意図が働いて、選ばれた文字なのかもです。

 

ところで富士山の名前の定説は、こんなのがあるとか。

「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論がある[注釈 7]。その他の語源説として、マレー語説、マオリ語説[9]、原ポリネシア語説等がある。 明確に「富士山」と表記される過程においては駿河国に由来するとするものがあり[10]、記録としては都良香の『富士山記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。

富士山 - Wikipedia

・ふじ(山の斜面)が富士山になった

・フンチヌプリ(アイヌ語)からフジ山になった

富士郡の山だから富士山になった

・・・全部間違ってるのではないかと。

 

富士山は古代から色んな別名で呼ばれました。

・福慈山

・不死山

・不二山

・不尽山

・富士山

・蓬莱山

古来、日本は瀛洲(えいしゅう)と呼ばれて、仙人が住み不老不死の薬がある地とされ、同時に富士山は蓬莱山であると考えられていたとか。

それで「竹取物語」の原文では、富士山が不死の山であると書かれ、「賢人(士)に富む山」だから富士と呼ぶ、みたいな感じで書いてあったりします。

富士山には、蓬莱山の伝説が関わっているとなれば、もう、富士山には間違いなく秦の始皇帝に仕えた天才方士、徐福が関係しているとしか言えない気がしました。

 

徐福がなぜ東方を目指したのかは、歴史書に明記されています。

史記』巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず[1]、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかったとの記述がある。

東方の三神山とは、渤海の先にある神仙が住むとされた島で、蓬莱・方丈・瀛州(東瀛とも)のことであり、蓬壺・方壺(ほうこ)・瀛壺とも称し、あわせて「三壺」という。のち日本でも広く知られ、『竹取物語』でも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記されている。[2]。蓬莱や瀛州はのちに日本の呼称となった[2]。魏晋南北朝時代の487年、瀛州は行政区分として制定されている。

徐福 - Wikipedia

徐福が目指した東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲)とは日本のことですね。

 

それで富士山は蓬莱山であると、昔から言われていたのですが。徐福については、以前にブログのほうでも色々妄想しました。

卑弥呼が信奉し、名前に徐福の意味が含まれること

卑弥呼以前の倭人の王、師升もまた徐福の名を元にした名であること

・歴代天皇も密かに徐福に心酔したこと

 だから日本列島の山に、そんな偉大な除福の名が刻まれていたって、全然おかしくないと気がつくべきでした。

これは富士と徐福の漢字を読み解いても、理解できるところがあります。

 

 

富士山とは徐福山だったか

 

まず富士山と徐福は、何か似ているなと感じてたのですが、それは「畐」が一致しているからでした。

富士

徐福

こう並べてみると、全然違うようですが、入れ替えて単純化すると、どうなるか?

富士 

福徐→礻畐彳余→畐示

 ここで、

富士(ふじ)

畐示(ふじ)

にすれば、

 

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 徐福→福徐に並べ変え、右側の旁の示だけを抜き取って読めば、「畐示(ふじ)」になるわけなんです。

 

さらに共通項はありました。

富士と徐福は共に 「畐」を含むのですが、これはお酒の入った瓶、とっくりです。

字源 会意形声。「宀」+音符「畐」、「畐」は酒をたたえた瓶の象形で、そのようなものが建物の中に多くある様。「福」と同系。

意義 とむ。ゆたか。金持ち。とます。ゆたかにする。とみ。財産。(日本)富士山。

音読み 呉音 : フ 漢音 : フウ

富 - ウィクショナリー日本語版

徐福の福は礻(しめすへん)、これは示で神を拝むときの祭壇、そこにとっくりに入ったお酒を表す 畐というわけです。

富士山がお酒に関わる文字「畐」を使っているのは意味不明でしたが、徐福との共通点と考えるとしっくり来ます。

富士山の頂上が八神峰で、富士山本宮浅間大社では木花咲耶姫命と瓊々杵命を祀る、神域に含まれていることは古来より知られた話です。

 

 

次に「士」の意味をみれば、

字源 説文解字には、一から十、即ち全てを知る意の会意とされるが附会であろう。「牡」等に見られるとおり、男性の陰茎の象形(藤堂)、又は成人を意味した小型の鉞の象形とも(白川)。

士 - ウィクショナリー日本語版

 この白川というのは白川静という漢文学者で、漢字の元になった甲骨文字は呪術的なものだとかいう説を出しているようです。読んででみようかと。

この「士」には、一から十までを知る、全てを知る意味で「士」が使われてました。

一方で徐福とは方士と呼ばれる身分の人で、仙人の方術、医療、占卜、医療、学問などあらゆる分野に通じる「士」だったんですね。

 

竹取物語で、

「士(つわもの)らを大勢連れて、不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を「ふじの山」と名づけた。

竹取物語 - Wikipedia

という内容になっていて「士」が登場するのも、「不死薬」が登場するのも、方士徐福が蓬莱の不老不死の仙薬を求めて旅立ったことに、あまりにもピッタリ符号する話だったのです。

 

 

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まとめると

 

富士山

・富(ふ) 畐=お酒のとっくり 

・士(じ) 士=全てを知る者

・富士は不老不死の薬を焼いた山(竹取物語

・蓬莱山(古名)

 

徐福

・福(ふ) 畐=お酒のとっくり

・徐→余→示(じ)

・徐福は方士=全てを知る者

・不老不死の薬を求め蓬莱山を目指した者

 

完全に一致。

徐福さんは中国人の先祖でありますが、「後漢書」にある通り倭人の先祖でもあり、下手すると倭国の文明の開祖と言える人でした。

富士山が除福だなんて言ったら、中国嫌いな日本人は気に入らないかも知れないですが。

富士山の語源は、徐福さんです。

 

 

※ちなみに「フジ」という発音の語源は別かもしれません) 

 

 関連記事

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話 

卑弥呼・壱与は徐福の血筋だと漢字で表されてるらしい

後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あ

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ちなみにこのブログの訪問者数。

はてなブログアクセス解析で見ると、最近は普通に1日あたり1,000人を突破してるのですが。ブログのカウンターも、500を超えるの普通。

日本の全ブログのうち、1日500アクセスを超えるのは3%未満らしいのです。いつの間にかこのブログ、日本の上位3%に入ってたんだなと。

ブログのPV数が1日50PVあれば上位20%のブロガーらしい | アルパカタログ

感慨深い。年収は200万円にも届かないけど。

 

 

平城京の名前の由来が平塚だったかもしれない件

ていせつ、たいせつですか。

定まった説と書く定説は、正解も含まれるけれど、間違いも含まれているようだから。

 

20年前の教科書と今の教科書の同じ歴史的出来事を、読み比べてみれば分かります。20年前の定説がまるっきり違う解釈になっていたりする。

早合点や鵜呑みして落ち着く前に、ちょっと考えてみたら、ホントの答えが出るかもしれないので、いろいろ検討するのが習慣づいていますが。

 

「何と(710)素敵な平城京

「鳴くよ(794)坊さん平安京

「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府

 

最近の鎌倉幕府の始まりについても教科書では定説が覆っていて、「いい箱(1189)作ろう鎌倉幕府になっているとか。

 

○いつも助かっております

 

 

 

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そういえば今日(5月20日)、先日購入していた単管パイプで、屋根修理の足場を組み立てました。

真面目にパイプを組んでいる途中、隣のおばさんがずーーーっと何か言いつつ台所やドアでガンガンと叩き返してくるので、切れそうでした。悪魔の悪戯か地獄の2丁目あたりかと思いました。

20日ころは深夜も朝もゴンゴンゴン壁を叩かれ過ぎたりして、イライラが募っているところでした。世界には俺を怒らせることに躍起になる人がいるらしい。バーベキューにでも躍起になってればいいのに。

 

 

平城京は「ならのみやこ」と読んだ

 

ところで奈良時代とは、710年の平城京建設から、桓武天皇平安京に移転する794年までとするのが一般的だといいますね。

この時代区分には、仏教的な天平文化大宝律令という独自の概念が影響してるらしい。

それで、なんとも素敵だったらしい平城京は、音読みでは「へいぜいきょう、へいじょうきょう」が使われます。

どうして平城京と呼ばれたのかの定説は、「平らにする」を意味する「平す(ならす)」が語源だとか色々言われています寝。

それを補足するように、平城京と書いて「ならのみやこ」と読む正倉院の書物があり、別名で奈良京や寧楽京もあったとか。

しかし「ならす」という動作を語源にするというのも奇妙な感じがする。

 

 

ところで安本先生

 

邪馬台国は筑紫の朝倉で、卑弥呼の居城は平塚川添遺跡

・筑紫の地名が奈良盆地に移された(筑紫と奈良は地名が全くおんなじだから)

邪馬台国は筑紫から奈良盆地に移転している(邪馬台国東遷)

 

そう断言してるのが安本さんですが、別に個人的に信奉してるとかそういう訳ではないです。物的証拠(地名)を備えている、信じられる仮説だなと思って色々参考にしています。

筑紫=元奈良(首都)

 

だから地名が一緒

この仮説を元にすると、平城京(ならのみやこ)の名の由来も分かる気がしてきました。

何故かと言うと、筑紫にあった平塚川添遺跡が、奈良盆地平城京の名に対応している可能性があるからです。 

 

 

平塚は古地名か

 

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これを知るには平塚川添遺跡の平塚とは、古地名かを調べる必要がありました。

明治22年の町村制以降の際に、平塚村の名が出ていました。この時に平塚村など幾つかの村が集まって福田村が誕生していました。

江戸時代には福岡藩秋月藩の藩領として、平塚村の名があります。

下座郡 - Wikipedia

 

というわけで平塚村は少なくとも江戸時代にはあった古地名でした。平塚川添遺跡という大きな集落があったからには、奈良時代より前から平塚と呼ばれていた可能性は高そうです。

ただ想像と違っていたのは、平塚村の場所が下座郡だったこと。実は平塚川添遺跡は卑弥呼の居城なら、上座郡ではないかと考えていたので意外でした。

これは幾つか理由があるのではないかと。

上座郡下座郡は、古墳時代以前は元々「座郡(あさくら郡)」だった

・当時の座郡には、上・下の区別がなかった

・座郡の中心の平塚川添遺跡は、時の権力者が住まう上座的な役割だった

古墳時代の頃に平塚川添遺跡が埋め立てられ、単純な区分けとして下座郡のほうに入れられた

 これは想像した仮説ですが。

 

座といえば、 

 

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平塚京と平城京 

 

筆者的には平塚川添遺跡とは崇神天皇の瑞籬(みずがき)宮と同様であると捉えるのですが、地名としても弥生時代の後期~末期頃に、平塚があったような感じもしました。

 

それは平塚という地名を音読してみるとわかります。

 

呉音 チュウ

漢音 チョウ

塚 - ウィクショナリー日本語版

日本語では清音が濁るのは一般的で、茶屋はぢゃや、釣りはづり、時計はどけい、というふうに。江戸時代の草書では、濁点を省略していたりするので、清音と濁りの区別すらも曖昧でした。

それでこの塚は、「チョウ」を濁って「ヂョウ、ジョウ」と読んでも良いことになります。

 

だから音読みしてみれば

平塚(へいぢょう)村

平城(へいぢょう)京

 と、全く同じになってしまいます。 

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筑紫平野の地名が、奈良盆地に移された。

それならば筑紫平野の平塚の重要な都市の名も、奈良盆地に移されて平城京となった。

これもまた真理ではないかと。

 

平城京命名者(時の天皇元明天皇?)は、平塚川添遺跡のことを聞き及んでいて、それほど重要だったからこそ、「へいぢょう」の名を使ったのではないだろ~か。

何故へいぢょうが重要だったか?それは卑弥呼がいた場所だったから。

この平城京の建設者が、斉明天皇の意思を継いだであろう元明天皇だったことで、それは確信に変わります。

以前の記事

皇極天皇(斉明天皇)が意識した女王卑弥呼と女王壱与

崇神天皇の桑間宮と池から想像できた吉野ヶ里遺跡の正体

 

奈良の平城京の名の由来は、福岡の平塚川添遺跡だった説。

これは偶然では済まされないのではないかと。勝手に考えているだけです。