たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった

なんかおかしな出来事に満ちているので、そのことを書こうかと思っていたら、帥升のほうが気になりだしたのでお先に帥升

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外国の歴史書で、最初の名のある倭人は一体誰だったかというと。

後漢書」の2世紀初頭の頃の記録に、倭国王帥升(すいしょう)」の名前が出て来るのが最初。

後漢書倭伝

安帝の永初元年(107年)、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。

「中国正史日本伝(1)」石原道博編訳

 卑弥呼帥升の後の時代に登場します。

帥升がいた西暦107年は今から1900年以上前ですが、歴史の通説ではこの2世紀の頃にも、天皇家の先祖が日本列島を支配していたことになってます。

 

帥升はたった2字で、これだけの情報量しかないのですが、たった2字でもあれば想像を膨らませるには十分でした。

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発音と字義

「学研漢和大字典」によれば、秦代の上古音でも、日本の呉音の「スイショウ」に近いみたいでした。

帥 

意味 ①軍を率いる大将、②最高の指導者、かしら、ひきいる

解字 𠂤(タイ)は堆積物や集団をあらわし、ここでは隊の意。巾は布の旗印をあらわす。

古訓 イクサ、ヒキヰル、アツマル、イクサキミ、イクサタチ、ニハカニ

 

意味 ①升目の単位、②ます、③のぼる

解字 「ます+手」の会意文字で、穀物や液体をますに入れて持ち上げ、はかるさまを示す。

古訓 アカル、アク、イツ、スエ、ススム、ノホル、ヒロフ、ヨシ

 

以上「学研漢和大字典」より

これだけみると、帥升というのは 「大将の升さん」みたいな感じだったかもしれないなと思ったり。

あるいは倭では「イクサキミのススムさん」みたいに言われて大和言葉の名称だったものを、漢字に直訳して帥升になったのかもしれないなと。

 

これに加えて、元帥の「帥」にそっくりな漢字で、師匠の「師」のほうも気になりました。つくりの上方に横棒がついてるかついてないかだけの違いなんですけど。

これはウィクショナリーで調べてみると、


字源
会意。「𠂤(タイ)」+「帀」。「𠂤」は積み重ねること、「帀」はあまねく行動することで、多くの人を集めた集団、また、それを率いる人(藤堂)。「𠂤」は生贄の肉、「帀」はそれをさばく刀で、戦争に際して、先勝を願う祭祀を行なうこと及びその祭祀を行なう人(白川)。

師 - ウィクショナリー日本語版

祭祀で生贄を刀でさばくとか・・・かなり意味合いが変わってくるようでした。

帥、師、どちらにしても左側の𠂤編は生贄という意味がありました。

後漢書倭伝で、「安帝の永初元年(107年)、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う」とありましたが。

 

 生口というのは、解釈としては奴隷のことだというのが通説で、漢の安帝に対して倭人の奴隷を160人、プレゼントしたということが書いてあります。

  倭人はまちがいなく生贄や奴隷を用いた人々だったんではないかと。

 

帥升には生贄の文字が入っているわけですが、実は贄は天子のみに許された文字であったらしいです。

これは崇神天皇の和風諡号「みまきいりひこいにえ」でも最後に「贄」が入っているのが見えますが、自らを神の元に近い贄とした思想が見えますね。

 

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四角形

 

升は「ます」と読むので、日本人はお酒の枡を思い浮かべるしかないですね。


升(しょう)とは、尺貫法における体積(容積)の基準となる単位である。10合(ごう)が1升、10升が1斗(と)となる。その量は時代や地域により異なる。日本では、メートル法採用後の1891年(明治24年)に、立方メートル(立米、m3)を基準にして1升を 2401/1 331 000 立方メートルと定めた(後述)。これは、約 1.803 906 837 リットル (L) に当たる。

 

升は元々は両手で掬った量に由来する身体尺であった。当時の升は 200 ミリリットル程度、現在の升の10分の1程度であった。それが時代とともに大きくなっていき、現在は元々の量の10倍程度になっている。

「升」という文字は柄杓の中に物を入れた形をかたどったものである。そこから量を量る「ます」の意味、およびそれによって量られる容積の単位を意味するようになった(これとは別に、柄杓で物を掬い上げることから「のぼる」の意味もある)。後に容器の方は「升」に木篇をつけて「枡」と書き分けるようになったが、実際にはあまり区別されていなかったようである。上述のように、1升という量があってそれを量る枡が作られたのではなく、先に物を量る枡が定められ、その量が「升」と定められた。

升 - Wikipedia

 

これは四角形、立方体を意味する漢字です。

すると歴史上でも四角形や立方体を表す、神が住むモニュメントみたいなものがあったと気づくのですよね。

それは方丈。

 

方丈 - Wikipedia

方丈

方丈(ほうじょう)は、
1.  1丈四方の面積を指す。またその広さの部屋や建物の事で、「方」には四角形の意味(例:方墳、正方形など)が在り、「丈」の長さをもつ「方」ということ(本項目で記す)。
2. 古代中国において、仙人が住む島とされた東方三神山(蓬萊・瀛州)の一つで、神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる。方壷(ほうこ)とも呼ばれる[1]。


大きさ

1丈は、10尺であるので、1方丈は、約3.030m 四方ということになる。その面積は、100平方尺であり、約9.1827 m2である[注釈 1]。

京間(6尺3寸×3尺1寸5分 = 約1.9091 m ×約0.9545 m )の四畳半の一辺は、約2.8636 m であり、その面積は約8.2004 m2 であるから、1方丈は京間の四畳半の1.12倍程度の広さである。     

建物

方丈は簡単に構築でき、また簡単に解体する事ができたため、僧侶や隠遁者に愛用された。鴨長明の『方丈記』は、方丈の庵で書かれたことによる題名である。

また『維摩経』に書かれているように、維摩詰の方丈を訪れた文殊菩薩とその一行がその狭い空間に全員収ることができたという逸話から、仏教においては方丈に全宇宙が内在しているという考え方が生まれ、そこから寺院の住職が生活する建物を特に方丈と呼ぶようになった。室町時代中期以降は仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担う建物となった。今日の日本の曹洞宗においては住職本人のことも方丈と呼ぶ慣わしがある。

方丈 - Wikipedia

現代の学者は、宇宙は自然と楕円形に近いかたちになったと認識していますよね。

ところがむかしの仏教徒は、「宇宙が四角い」と認識していたんですよね。知的生命の手が加わらなければ不可能な四角い形状、それが宇宙であると考えていたなんて、なんか意味深ですね。

 

帥升という人が、四角形や立方体を象徴する漢字「升」を使っている のは、中国人からみても、数字の単位、四角形の家など、規則的で知的な要素が垣間見える人物だったからに他ならないと思われます。

これは秦の徐福の存在を思わせるには十分な感じ。なぜかというと徐福はあらゆる知識を詰め込んだ生き字引、歩く百科事典みたいな人だったからですよ。

 

以前の記事。

神武天皇が派遣した天富命、始皇帝の下から旅立った徐福は奇妙な一致を見せる

方士というのは、 

 

方士

中国古代の方術を行なった人。方術とは,卜筮,医術,錬金術などをさす。『史記』の「封禅書」と「秦始皇紀」に初めてその名がみえる。戦国時代の後期から燕や斉の地方を中心に不老不死の仙薬について説いた人で,その説を秦の始皇帝漢の武帝も信仰した。この呼称は三国時代まで使われ,晋代に入っておもに「道士」といわれるようになった。

方士(ほうし)とは - コトバンクより

 

集合知、物知り博士、生き字引、賢者みたいな存在が、まさに除福だったわけなんですよ。

 

と、書いていたように、徐福と帥升の間には、賢者としての共通点がよく見えてきてしまいましたから。

 

それに徐福と帥升の字を見比べると、両者は意外な共通点で繋がっていました。

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とっくりとマス

・お酒を入れる容器   徐福の「畐(とっくり)」

・お酒を飲む・測る容器 帥升の「升(ます)」

 

まあ弥生時代当時の升というのは、柄付でひしゃくの形をしてたものだから、上にある絵とは一致しないですが・・・。

 

徐福と天富命は共に「畐(とっくり)」でつながっていたのと同様に、徐福と帥升も「お酒繋がり」だったとか。

 

 徐福の血統と知識を受け継いだ、倭の権力者、帥升

こうして見ると、なんか帥升に対する見方も、違ってきてしまいました。

 

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