最近ひとまず体の痛みは殆どなくなってます。リンゴ酢と重曹が効いてるみたいで。
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○いつも助かっております
定説の崩壊
キリスト教(景教含む)は古代中国だけでなく、奈良時代以前の日本に伝わっていました。その証拠は、日本で用いられる漢字だとか大和言葉に残っています。
たとえばこんなサイトがありました。
ということで、確かにこれはアリだなと。
20世紀までに完成していた「従来型の定説」とは、ぶっこれるためにあるみたいなものかもしれないです。最近どんどん新しい事実や仮説が登場していて、定説がどんどんぶっ壊れていますので。宇宙のこと、人体のこと、生物のこと。古代のこと。
これは科学技術の発展や研究の進展のほか、「なにかに気づいて新説を生み出す人」が増えたことに起因するかもですが。
「俺が能無し説」だとか、「俺の不幸は全部自己責任説」も、そろそろ崩壊していていいですね。世の中の陰謀の正体に気づいている人が増えてきているようだし。
定説上で、キリスト教が日本にはじめて伝わった時代は何時か。それはイエズス会の司祭であるフランシスコ・ザビエルがやってきた、1549年となっています。
1549年。ちょうど織田信長、豊臣秀吉、上杉謙信、武田信玄らが群雄割拠する戦国時代です。戦国時代のことは、あんまり詳しくないです。
この定説を誰が立てたのが誰かは知りませんが。実際のところは間違ってるのではないかと。
アダムとイブ(エバ)というのは、誰でも知ってます。旧約聖書の最初の人間。
上記の紹介したサイトでも登場してましたが、アダムとイブを表す漢字や、ほかの主要登場人物は、漢字や大和言葉して残されていました。(学研漢和大字典使用)
・頭(あたま)
あたま a-ta-ma
あだむ a-da-m
音が似ています。意味はどうか。
頭の「頁」
1・人間の頭。首。
2・ページ。書物の紙を数える単位。近代漢語で葉と同じ音であるため、紙を一葉二葉とかぞえるとき、一頁二頁とも書く。
[解字]人間の頭を大きく描き、その下に小さく両足をそえた形(以下略)
なるほ。では「頭」はどうか。
「頭」
1・あたま
2・かしら・かみ。人々の上にたつ人。長。
3・いちばんはじめ。最先端。
まとめると、あたまは「アダム」ににているのは気になるところ。
「いちばんはじめの人」や「人々の上に立つ人」という意味があるので、最初の人アダムに当てはまっていました。
左側の「豆」は高坏のことですが、植物の豆と解釈すると、豆とは土に落ちる命の実であるので、エデンの園にあった「生命の木」を連想するではないですか。
さらに頁=葉も含めると、アダムが登場した時、いちじくの葉っぱ一枚を下腹部に身につけていた状況が重なってくるようです。葉の関連は唐代以降のことらしいですが、それを差し引いても「頭アダム説」は無視できないような。
倭人は頭という言葉を「アダム」として認識してたので、漢字の頭に「アダム=あたま」が当てられているわけなのかもしれません。
・荊(いばら)
1・いばら。木の名。刑罰で、むちうつ時に用いる杖をつくるのに用いた。
3・自分の妻の謙称。
荊とは「イバ」であり、「妻」であり、「刑罰」なんですね。
アダムの妻イブ(エバ)が、神によって刑罰を受けたことを的確に表しているようでした。倭人はイブを表す言葉として「荊」を選んで、これをいばらと読むようにしたのかもしれません。
・白(もうす)
白にはなぜか「もうす(まうす)」という読みがあるんですよね。何故なのか。
1・しろ。しろい。
6・収穫や負担がないさま。
8・もうす。内容をはっきり外に出して話す。また、上の人に真実をもうしのべる。
命令形なら「もうせ」で、モーセそのまんまです。
モーセらユダヤ人が出エジプトをした時、収穫がなかったですね。収穫がない様子を日本語では「徒白」とかいって、白で表すらしいです。食料に困っていたとき、白いマナという謎の食べ物によって、人々の空腹を満たしたらしい。食料確保に負担がなかったですね。モーセは旧約聖書で、神に内容をはっきり外に出して話し、神に真実をもうしのべる人として描かれていたので、やはり白という漢字はしっくりくるようす。倭人は白という漢字に「もうす」を当て、モーセの意味を込めたかもしれないです。
・回(たび)
1・まわる・まわす
4・かえる
6・たび 回数を示すことば。
7・イスラム教に関係のあることをあらわすことば。
[解字]回転するさま。または、小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字(以下略)
こじつけます。
ダビデ王を「回」に込めているように発想してみました。ダビデとは古代イスラエル王のこと。
昔の中国人は「回」の1字を、イスラム系のひとに使いました。つまりウイグルなど中東人から来た人を指していたのでした。
神の神器「契約の箱(アーク)」を納める神殿(エルサレム神殿)を、最初に建てたのがダビデでした。「回る(かえる)」という音には、エルサレム神殿や神をあらわす「エル」が含まれているではないですか。
「回」というのは解字によると、「小さい囲いの外に大きい囲いをめぐらしたさまを描いた象形文字」で、これがダビデの建てたエルサレム神殿の形状をそのまま表しているんではないかと。
ちなみにエルサレム神殿の形状がこちら。
通路や城壁の形状が「回」。
こうしダビデに関係する要素を「回」から見出したむかしの日本人は、回という漢字に「たび=ダビデ」という読みを加えたのではと発想しました。「回=たび」は完全に死語になってますけど。
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漢字辞典を読んでいると、家という漢字に対して「いえす」という読みがあることに気づきました。これってあの方と同じですが。
・家(いえす)
家(いえす)
1・いえ
2・いえ。人が住む建物。
4・王朝をたてた王室
5・いえす。家を構えて住む。
[解字]宀(やね)+豚の会意文字で、たいせつな家畜に屋根をかぶせたさま。
古訓・イヘ
それにしても、なぜ家を「いえす」と読むのかと。
(1)これはイエスが「家畜小屋で生まれた」という伝承があり、それを元にすると、家という漢字によって、日本人がイエスの存在を表していた名残なのでは。
家という字は「大切な家畜に屋根をかぶせた」を表す。昔の家は洋の東西を問わず、家畜と一緒に住んでるのも普通にあったらしいです。それで家という字には家畜の意味が入っているとか。今もお肉は重視されますが、昔から家畜はお金そのもので、家では一番の財産だったのですよね。
家という字の下の部分は豚じゃなくて、家畜のことだそう。だから日本で生誕地が馬小屋だとか厩と言っているより、「家」が表す字義のほうが正確性があるのでは。
それはともかく、6世紀の日本の厩戸皇子(聖徳太子)も、きっとイエス・キリストを知っていたから、自らを厩戸の皇子と名乗ったのでしょうし。
(2)宀(うかんむり)のウ冠って、王冠ですね。イエスは十字架に架けられたとき、「INRI」という罪状を表す板が掲げられていたとのこと。
「INRI」とは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味。イエスがユダヤの王を騙って神を冒涜したことが罪とされて、十字架に架けられたとか。
「家」には王朝という意味があるんですが、これはイエスが古代イスラエル王家のダビデ王の子孫であって、ユダヤ人の王家の人だったという意味に整合していますね。
だからいろんな意味で、奈良時代以前の頃は「家(いえす)=イエス」を表す言葉だったのでは。
こうした漢字に聖書の偉人の意味を加えたのは、昔の日本人でした。
ということで、日本に初めてキリスト教が入ったのは、1549年ではなくて、古墳時代より前のことでした。
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