たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

紀元前の倭人は「なまず人」だった。出雲の大国主=大なまずの国だったからだ、と納得してたら古代エジプトに繋がる

出雲の国譲り、葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定とも言われる出来事について。わかったことをひとつ。

天照大神は出雲を平定するにあたり、支配者だった大国主命に使者を送って降伏させたんですね。これが出雲の国譲り神話でした。

古事記

天照大御神高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」とし、何人かの神を出雲に遣わした。大國主神の子である事代主神(ことしろぬし)・建御名方神(たけみなかた)が天津神に降ると、大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る。

葦原中国平定 - Wikipedia

 これがいつの出来事だったかは、諸説入り乱れていました。人によれば神代は縄文時代だとか、天照大神卑弥呼だから卑弥呼の時代だとかですね。

 

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出雲の国譲り=狗奴国が邪馬台国に国譲りした出来事

 

個人的な仮説なのですが。

どうもこの出来事は卑弥呼の時代に起きた、西暦180年代の、「倭国大乱」と関係していましたね。

2世紀には朝鮮半島に本拠を置いた倭国、その女王となった卑弥呼が、日本列島の狗奴国攻め入って、九州に倭国を遷都したのが、倭国大乱だと思っています。

つまりここでいう出雲国とは、本州全域を支配した狗奴国のことです。「狗(い)奴(ず)」が出雲ってことで。その名は委奴や伊都などの漢字にも受け継がれていましたが。

九州に本拠を置いた倭の邪馬台国卑弥呼でしたが、本州全体を支配する狗奴国=出雲国と対峙している状態になっていました。しかし邪馬台国のほうが軍事的に圧倒的な優位は明らかだったので、本州の狗奴国は本州を譲ったわけですね。

これが、

1「記紀の神代の出雲の国譲り」

2「記紀崇神天皇の時代の武埴安彦の反乱」

3「魏志倭人伝の狗奴国との対立」

この3つは、違った人物・場面かのように書いてあるのですが、3つは全部一緒で、邪馬台国VS出雲、その後の出雲の国譲りを記録している話ですね。

倭国の本拠地の変遷(推定)

 

 

紀元前4世紀の倭の人々は「なまず人」だったことがわかる

 

どうやら倭人の中には、秦の徐福の民がいるらしいとわかるのが「後漢書」でしたが、ここに変なことが書いてあります。

会稽の海外に東鯷人あり、分れて二十余国と為る。また、夷洲および澶洲あり。伝え言う、「秦の始皇、方士徐福を遣わし、童男女数千人を将いて海に入り、蓬莱の神仙を求めしむれども得ず。徐福、誅を畏れ敢て還らず。遂にこの洲に止まる」と。世世相承け、数万家あり。人民時に会稽に至りて市す。会稽の東治の県人、海に入りて行き風に遭いて流移し澶洲に至る者あり。所在絶縁にして往来すべからず。

後漢書」(中国正史日本伝(1)より

これは2~3世紀の女王卑弥呼より、1世紀の倭王帥升よりずっと前、紀元前4世紀頃の倭国情勢が倭人伝のなかい書いてあるのです。

個人的な推論ですが。ここに出てくる東鯷人とは、縄文系の血が濃かった頃の倭人のことですね。

 

なまず人」ってことだと、「髭もじゃ」で「魚のように海に入る」という特徴をもった、縄文人系の倭人ですのでね。邪馬台国以前、徐福の民流入以前の日本列島の様子が、わずかに記されているようでした。f:id:kl117cr233:20070410153332j:plain

縄文人の遺伝子を受け継ぐというアイヌ人の髭もじゃ。

アイヌ - Wikipedia

 

それで夷洲というのが「中国正史日本伝」だと台湾のことだと書いてますが、夷(ゐ)なので夷=委=倭のことじゃないかと思われました。倭は別名を「タイ国」とも呼ばれた時期があったし、ヤマタイのタイと鯷(テイ)の関連は伺われますし。

澶洲とは朝鮮のことですね。

ここから導くに、倭人こと東のなまず人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。

しかし、髭もじゃで水辺にいることだけが、なまず人と呼ばれた理由ではないのです。

 

 

大国主は大なまずだった

 

なまずという言葉は、どうも古代の日本の神様の名を思わせました。それは大国主命のことです。

彼は若い頃に、大穴牟遅命(おおなむちのみこと)という名前だったんですが。これは濁って「おおなむぢ」とも呼ばれてます。

どうやら「なむぢ」は「なまず」のことですよね。ローマ字表記すると分かりやすいです。

なまず Na-Ma-Zu

・なむじ Na-Mu-Zi

古代の日本語は、子音だけ変えずに母音はランダムになるっていう、古代の旧約聖書のヘブル語・アラム語と似た特徴があったんですね

船(Fu-Ne、Fu-Na)、風(Ka-Ze、Ka-Za)、神(Ka-Mi、Ka-Mu)、雨(A-Me、A-Ma)みたいな感じだったり。

あとは動詞の活用も同じですね。歩かない、歩く、歩くとき、歩けば、歩こうみたいな。

 大国主が大なまずだったことは、記紀からも読み取れました。例えば大国主の奥様は、みんな、なまずの住処の水に関係してました。

 

・須勢理毘売・・・「須」は髭という意味なので、なまず繋がり。「す」はさんずいだから「水勢」で、なまずの住む水を象徴

沼河比売(ぬなかわひめ)・・・沼と河だから同じく水辺、

・多紀理毘売(たきりびめ)・・・滝なので水辺

八上比売(やがみひめ)・・・祀られる神社が売沼神社でこれも水辺

 

それに、大国主といっしょに国造りをした「少彦名命」は、海のむこうから葦舟に乗ってやってきたので、やはり海や水を象徴している神様でした。

紀元前4世紀の頃の日本列島は、髭もじゃで水辺で漁をいとなむ、大国主=大穴牟遅=大なまずの国だったので、「後漢書」は倭人に「鯷(なまず)」の一字に集約しているかもしれないんですよ。

大国主がどうしてなまずなのかについては、これを明確に証明できる情報が、記紀にはちゃんと書いてあるので、後で説明はいります。

 

 

要石は地下の大なまずを押さえ込む結界

 

日本では何時からなのか知らないが、「地底の大なまずが暴れているから地震が起こる」なんて言いますね。

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大鯰 - Wikipedia

昔は大地震が起こるのは、地底の竜が暴れるからだとも言われたそうですが、江戸時代からはなまずのほうが主流になったとか。竜と大なまずは、同じ立ち位置なのは間違いないですね。

その大なまずを押さえ込むために、「要石」と呼ばれる石の杭を打ち込んで、大なまずを押さえ込んだとか言う話は、誰でもどっかで聞いたことある話です。

これは実は、東関東の茨城の鹿島神宮や、千葉の香取神宮が発祥地でした。2つの神社には要石と呼ばれる石が地面に置かれているのです。他にも全国に、大なまずの大地震を鎮める要石があるそうです。

ウィキペディアを見ると、

鹿島神宮の祭神武甕槌大神は、大鯰を要石で押さえつけることで地震を鎮めるという。ただしこれは要石が鹿島神宮にあったことによる後代の見付で、武甕槌大神は本来は地震とも大鯰とも無関係である。

大鯰 - Wikipedia

というふうに、鹿島神宮では、武甕槌大神(たけみかづち)が大なまずを要石で押さえ込んだとあり。しかし武甕槌は、地震や大なまずと関係ないと書いてあります。

香取神宮の要石については、ウィキペディアにこうあり。

要石

要石(かなめいし)は、境内西方に位置する霊石。形状は凸型。

かつて、地震は地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていた。要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神として現在にも伝わっている。鹿島・香取の要石は大鯰の頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている。貞享元年(1684年)に徳川光圀が神宮を参拝した際、要石の周りを掘らせたが根元には届かなかったという[26]。なお、鹿島神宮には凹型の要石があり、同様の説話が伝えられる。

香取神宮 - Wikipedia

香取神宮の祭神は経津主大神(ふつぬし)でしたので、大なまずを押さえる役割をしている神は、武甕槌とあわせて2柱いたとわかるんですね。

ここでもう、歴史に興味のある人は分かってしまいましたね。この2柱の神は、大なまずと無関係じゃないってことに。

 

 

出雲の国譲りと要石と大なまずの関係

 

「武甕槌と大なまずと大地震は無関係」とか言っていた、従来の説がありました。

しかしこれは、かぼちゃの種は食べられないと決めつけて、ゴミで捨てちゃうみたいな話です。もったいないし、種は食べられるんだし、もう入れ替えたほうが良いですね。

何しろ大国主=大なむぢ=大なまずに、国譲りをさせる主役を果たしたのが、要石を打った鹿島神宮の武甕槌、香取神宮の経津主、この2柱だったのだから。

大国主は国譲りのあとに幽界の主となるんですが、日本で幽界といえば地底の黄泉なのです。大なまずが地底にいるというのは、まさに大国主=大なまずが地底にいることを意味するものでした。

 

ここまでの幾つか浮揚させてみた要素をまとめると、以下のようになった。

1・大国主は大穴牟遅(大なむぢ)

2・大なむぢは大なまず

3・大なむぢは地底にいる

4・古来より地震が起きるのは大なまずが暴れるからと言われた

5・大なまずに要石を打ったのは武甕槌と経津主だった

6・大なむぢに国譲りを迫ったのは武甕槌と経津主だった

7・だから後漢書倭人を東鯷人(東のなまず人)と言っている

8・紀元前4世紀のなまず人は大国主を崇める人々であった

 

こんな感じで、全部つながってきたわけですが。要石が大なまずを押さえ込むというのは、天照大神の勢力が、地を揺さぶるような力を持った大国主を押さえ込んだことの象徴だったんでsね。

いつしか大国主の話が外れて、大なまずを押さえ込む結界石としての伝承のみが残ったと、今回の調査ではそう結論付けています。

 

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しかし大国主の物語には、間違いなく中東や仏教関係の話が含まれているので、一筋縄じゃいかないのですよ。

例として、古代エジプト人はなまずのことを「ナル」と言ってたらしいことに、関連する話をしますね。

このなまずの名を冠している王「ナルメル王」がいまして、ナルメルを短縮化すると「ナマ」みたいな名前をしていること、そして古代エジプトでは、「なまずは冥界の牧人と話す魚」と信じられていたようなのですね。

参考 Mougo7

すると「なまずで+冥界」なのだから、冥界の主で大なまず大国主神と、まったく同じ意味合いが飛び出して来るわけなんです。

すると縄文人の中で、古代エジプトのナルメル王の流れを組む人々が、大国主王権を誕生させて、それが東鯷人とよばれる王国で20余りに分かれていたと、そう読み解けるわけなのですが。

まぁ、これだけじゃないんですけどね。

 

 関連記事

「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

出雲国の日ユ同祖論を境界線で解いてみた

電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(下)第7章を試し読み2と3

むかしむかしあるところに大国主命が3人以上いました~烏孫と出雲に居た大国主命~

 

 

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そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

日本では、小型犬はかわいい、大型犬は怖い。

韓国なら、犬は美味しい・・・「溺れた犬は棒で叩け」(韓国のことわざ?)

 

それはさておき、犬は干支で書けば戌であり、これは「滅」のことだとわかったのが前回でした。

2018年の戌(いぬ)の意味は「滅」だそうな - たっちゃんの古代史とか

 

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犬の語源はエヌなのか

 

犬を使った狩猟の風景は弥生時代の銅鐸にも描かれているので、当時から猟犬として使われていたらしいです。だから犬を「回し者」といって、スパイとしての意味があるのも、おそらく古代からの言い表し方かもしれませんが。

犬は日本の古語で「エヌ」らしいです。エヌがイヌになったのだから、べつに大して変わってないです。

沖縄で犬は「イン」らしいですが、これはエヌがイヌになってインに転訛したってことですかね。それともインが本来の大和言葉の呼び名に近いのか。

アイヌ語では犬は「セタ」だそうで、これは何か、エジプト風味が出てきたなと、思ってしまったわけですが・・・。

朝鮮語は日本語と共通する言葉が多いですが、犬は「ケ(ゲ)」だそうで、これは漢字の犬(ケン)の発音そのままを使っているようですね。

 

 

外国語と共通するのは何故か

 

 ウィキペディアによれば、南米先住民のアイマラ語で犬は「Anu(アヌ)」というので、明らかに日本語と関係してますね。

そもそも南米先住民はモンゴロイドなので、彼らが縄文・弥生の末裔でもおかしくないのですが。

ルーマニア語では犬のことを「 Câine」と言うらしいですが、「Caine」は「カイネ」と読んでいいなら、日本語の「飼い犬」にも似てますよね。

古代の大和言葉で飼い犬と言ってたのかもしれません。「ine」だけでもイヌっぽいし。

何しろルーマニアあたりの東欧は、日本と共通した神話・伝承がいろいろあるのです。言語も似通ったものが多数見つかるわけだし。この点は以前の記事でも書いていました。

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

日本の鬼・ナマハゲと欧州の怪物との繋がり

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

こんな関連記事がありました。

と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。

 

 

古代に「唸り」は犬のことだったか

 

もう一つ気づいたことがありました。

よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。

実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛してイヌルになったのがイヌの語源という説。

そうすると、もしかすると「唸り」がかつては犬を表す言葉だったかもしれませんよね。

 

 

エジプトのアヌビス神がイヌになったのか

 

ここまでエジプト風味が2回登場してきました。

1回目 アイヌ語でイヌはセタ

2回目 日本語の古語でイヌはエヌ

 

実は、もうはっきり言うと、日本語とアイヌ語の犬は、エジプト由来そのまんまかもしれない、という感じはしています。 

 

まずアイヌのセタですが、これはセト神のことです。

セトは太陽神ラーの子、または大地神ゲブの子。オシリスの弟。
ジャッカル、犬、ツチブタなども、セトを表す時に使われる動物だとか。

セト

砂漠と異邦の神であり、キャラバンの守り神である一方で、砂嵐を引き起こしているのも彼であるとされている。神話体系内でもっとも共通する添え名は『偉大なる強さ』。荒々しさ、敵対、悪、戦争、嵐、外国の土地などをも象徴している。ピラミッド文書の一つには、ファラオの強さはセトの強さであるとの記述がある。ヒクソスがエジプトを支配すると、嵐の神であることからウガリット神話のバアルとも同一視され、アスタルトおよびアナトが妻であるともされた。サハラの民に信仰された神アシュ(Ash)とも関連がある。

セト - Wikipedia

セタは犬で、セトも犬なんですよね。これは無視できないなと。

 

つぎにイヌ、エヌですが、これもエジプト風味です。

アヌビス

Anubis, エジプト語ラテン文字転写:inpu, 古代ギリシア語: Ἄνουβις (Ánūbis))はエジプト神話に登場する冥界の神で、リコポリスの守護神。「聖地の主人」(nb-ta-djsr)、「自らの山に居る者」(tpi-dju=f)、「ミイラを布で包む者」(imiut)などの異名を持つ。

エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていた神でミイラづくりの神であり、犬またはジャッカルの頭部を持つ半獣もしくはジャッカルそのものの姿で描かれた。これは古代エジプトにおいて、墓場の周囲を徘徊する犬またはジャッカルの様子を死者を守ってくれているのだと考えられたからである。また、そもそもアヌビスはセトのモデルとなった動物と同じく、ジャッカルや犬と似てはいるが現在は絶滅してしまった別のイヌ科の動物や想像上の動物がモデルであるとする説もある。その身体はミイラ製造時に防腐処理のために遺体にタールを塗りこみ黒くなるのに関連して真っ黒だった。

 

日本で犬はイヌ、エヌ

沖縄で犬はイン

古代エジプトで犬はアヌビス

ラテン語でアヌビスはインプ

 

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こういうことかと。

 

 

犬が霊魂を導くアジアの神話もエジプト起源だったか

 

古来より、遊牧騎馬民族の闊歩した蒙古や中央アジアでは、犬が霊魂を導くという話がまことしやかでした。犬が冥界と現世を繋ぐみたいなことですが、この話の起源もエジプトだったのではと思わせます。 

 

アヌビスはミイラを布で包み、人の魂を冥界へ運ぶ神なんです。

セトが持っている杖は、アヌビスの頭とも言われているので、セトも冥界を行き来できる存在じゃないですか。

先日書いた戌の記事ですが、戌は「滅び」がコンセプトな動物でしたので、人間の死、霊魂、冥界に関係するのは明らかでした。

あとは「日本書紀」で日本武尊が白犬(狼)に導かれる話もありましたが、あれも霊魂を導く話であるようですね。あのあと日本武尊は死へ向かって行く展開だったわけなので。

 

こうしてエジプト→ユーラシア→日本の犬は、全て死者・霊魂・冥界に繋がることがわかるのでした。犬はかわいいだけじゃなかったのです。

戌年とは、「アヌビス年」と言い換えてもおかしくない感じがします。

 

 

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2018年の戌(いぬ)の意味は「滅」だそうな

近頃はまた遠くから爆音が届き出しました。俺に関係する事象が世界で多発中らしい。

神の仕業か、163の仕業か、俺の無意識の超能力か。偶然か。全部か。

 

○いつも助かっております

 

 

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2018年は戌年だそう。

年賀状は毎年わずか1枚書くことはありましたが、もう書く機会もないかもですね。それは俺の体の異常、絶叫されまくる異常な周辺環境、俺に付き纏う異常な世界に直面して、人付き合いも絶滅したことが影響しました。どうもすいません。

そういや~戌って犬のことですが、かわいい犬。そんな風に思うけれど、実は戌の語源は怖い字だったんですね。

 

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戌(いぬ、じゅつ)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第11番目に数えられる。前は酉、次は亥である。
戌年は、西暦年を12で割って2が余る年が戌の年となる。
戌の月は旧暦9月(概ね新暦10月)
戌の刻は午後8時を中心とする約2時間
戌の方は西北西よりやや北寄り(北西微南:北基準右廻り300°)の方角である。
五行は金気(土気ではない)
陰陽は陽である。

「戌」は「滅」(めつ:「ほろぶ」の意味)で、草木が枯れる状態を表しているとされる。後に、覚え易くするために動物の犬が割り当てられた。

犬はお産が軽いとされることから、安産については、戌の日が吉日とされ、帯祝いなどにはこの日を選ぶ風習がある。

戌 - Wikipedia

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ノストラダムス、マヤの予言は当たらなかったし、トカナはいつも滅亡する記事ばっかり書いているのに当たらないですが、

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人類滅亡の検索結果|TOCANA

・・・

本命は2018から2022年までなんじゃないかって言う気がしますね。

 

・ちょうど戌=滅=2018年だし。

北朝鮮がミサイル火星やら、工作員を大量に船で送り込んできてるし。

朝鮮半島が戦争に行きそうで、日本も核ミサイル飛ばされる可能性あるし。もう米朝戦争、日朝戦争の可能性は高いとか。

天皇陛下退位で新天皇即位で改元が2019年だし。

・南海地震東海地震、東北沖地震、首都直下型地震はいつ起きてもokというし。

・中国が尖閣諸島の実効支配、はじめておかしくないし。実際そうなったら日中戦争ですね。

イスラエルと中東がなんか戦争始めそうだし。そういえば、イスラエルが第3神殿を建設し始めた時にゃ、キリストがすでに復活しているそうですね。同時に世界大戦も始まってますが。

・漫画のアキラの内容では、東京オリンピック2020年で当たってましたが、もしそれだけじゃないとすると、漫画の大破壊は2019年という設定だったので、これから怖いってことで。

・ニビルが来たとか、太陽が2つとかどうとか言ってるし。

イルミナティカードで日本が沈むカードがあるし、日本で核兵器炸裂カードがあるし。

・漫画を読めば俺をネタにして、破滅的な内容ばっかりだし。

・引っ越したばかりの5月から、住んでる家にドーンと旅客機が上空を飛ぶたびに衝撃音、バンバンバンバンと高圧線の爆発音は聞こえだして止まらないし。

・隣の変なおばさんに勘違いされて毎日深夜も早朝もバンバン叩かれて安眠妨害されるし。俺じゃないのわかってくれないし。自分が大音量出すのはいいと思ってるらしいし。

シンゴジラ。あれは、鎌倉から東京までが破壊される内容でしたが。あれも関係していますね。

・そう、最近はメディアが、色んな危険なサイン出し始めたの知ってますか。ネットの写真を見ればあちこちにキノコ雲、キノコ雲、核物質マーク、○○(双円)が隠しマークで含まれていますよ。トカナもこれから核戦争が始まるとか言ってますね。

 

戌が本格的な「滅」の号砲かってかんじで、これらは、全部つながっているんですかね。数年前からともいいますが。

まぁ「戊(つちのえ)」と書けば、植物が生い茂る絶頂期みたいな感じですが、なにが絶頂なのですかね。終わりは始まり、滅びるものあれば茂るものあり、と。

  

あ~あどうなるのやら。

 

 

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自分が超能力者かどうかを知る

自分が超能力者かどうか、人間には超能力があるかどうか。

自分で分かる方法ないだろうか。って色々探しているのですが、証明方法がわかりませんでした。

とりあえず軽いものなら動かせるんじゃないかと思って、紙で試してみましたところ、

 

youtu.be

これって、どうなんだろうか。風?それともサイキック?

もし超能力だとしても、「近距離の物理的な無接触の可動現象」は些細なレベルかと思いますが。

 

・・・実は、俺に纏わる「謎の力」の真髄は、「遠距離の物理的超常的な無接触の可動現象」が99%を占めているような気がしてならないわけですが。

そのへんの話は、またいずれ。

 

○いつも助かっております

 

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グーグル翻訳 

Whether you are an ESP player or not.
Whether there is supernatural power for humans.
Is there a way to understand by yourself?

I am looking for various things, but I did not understand the certification method.
For the time being, I tried it with paper, thinking that I could move it if it was light.

I wonder how this is. Wind? Or is it psychic?
Even if it is super power, I think that the physical mobility phenomenon of short distance is a trivial level.

Actually, the essence of "the power of a mystery" that accompanies me is that it seems that it seems that "the physical supernormal moveable phenomenon of a long distance" accounts for 99%.

The story of that story, again.

 

 

この布団乾燥機買ってみたら、ヒーターにも使えた。狭い部屋なら布団乾燥しつつ、部屋も適度に温まるので良かった。

 

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流海(霞ヶ浦)と龍ケ崎と常陸国から解ける龍神信仰の秘密

 

霞ヶ浦は流海だった

 

日本で2番めの大きさだとしか習わない、東日本最大の湖、霞ヶ浦かすみがうら)。しかしここ、今から1,000年も遡れば、東京湾同様に海域でした。

昔は何という名前だったのか調べると、いまよく知られているのは香取海という名称。これは香取海が、利根川(昔の鬼怒川)のほとりの香取神宮を包み込むように寄り添って、この地域は昔から香取神社信仰の土地だったからですね。

ほかに浪逆海(なさかのうみ)という古名が出てきたところで「あっ」と思ったのは、現在、霞ヶ浦の南東に、「外浪逆浦(そとなさかうら)」という小さな水域があるから。

他に、鬼怒川の注ぐあたりは榎浦(榎浦流海)だとか言う名前もあったようです。

そしてどうやら香取海の全域は、共通して「流海(ながれうみ)」と呼ばれていたということも最近知りました。

霞ヶ浦 - Wikipedia

 

おなじみFlood Mapsで調べてみると、

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水深をプラス3メートルくらいにすると、こんな感じになり、これが1,000年前の平安時代以前の流海の再現に近いと考えられました。 

ちなみに、縄文海進の時代は、海水面が今より+数十m、弥生海進では現在より+3~5mに達したとのことですが。以前認識間違っていましてすいません。

 

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龍ケ崎は岬の名だった

 

茨城県の南部には、龍ケ崎市という都市があります。龍ケ崎市の地名の由来では、ウィキペディアにこんなふうにありました。

 由来

平安時代末期、この地の地頭に任ぜられた下河辺政義が、鎌倉時代源義経の姻戚であったことから、領地を没収された後、氏を龍崎と称したことが由来とされる。

龍ケ崎市-wikipedia

龍崎という氏名が、龍ケ崎の由来だという説。

しかし、この地名は変だなと思っていたのですが。何故かと言うと龍ケ崎の「崎」というのは、岬と同様に、本来は海岸線の尖った地形に付けられる名だから。

 

それで、おそらく龍ケ崎というのは、従来の地名の由来は完全に間違ってる、そう思うわけなんですが。龍ケ崎とは、流海のほとりにあった崎(岬)だったから、龍ケ崎と呼ばれた、そう考えてみました。

そこで、流海の周辺にある、埋もれた地名を探してみました。するとこんな感じ。

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むらさき色がむかしの流海、赤いラインがいまの龍ケ崎市です。その東側には鳩崎、江戸崎、阿波崎、岩ヶ崎、神崎、などがあったんですね。

これらは、流海があった頃、海に突き出た突端の地形「崎・岬」だったので、崎が付いているというわけでした。龍ケ崎もそれに含まれていました。

ほか、稲敷市では、陸地が橋のようにになっている場所には、古渡と呼ばれる地名があって、これもおそらく流海があった昔の名前ですね。渡し舟屋があった場所なのだろうと。

あと、同じく稲敷市で、いまは陸地ですが、むかし島だったであろう場所には、浮島の名前がありました。

これらはflood mapで+3mのレベルで登場しているので、まぁむかしの流海の海岸線としては、ちょうどいいのかと思いました。

 

流海とは龍海なのか?常陸との「龍」つながり

 

別の疑問も湧いてくることになりました。

流海というのは「ながれうみ」「りゅうかい」と読めるんですが、流れ海に隣接して龍ケ崎があったということは、元々流海とは、「龍海」と区別がなかったのでは?龍の海だったのではないか?と。

龍とはドラゴンですが、インドのほうで龍のことを「ナーガ」と言っていますね。朝鮮半島の南端の伽耶は倭系が主体だと見られますが、ここは金官伽耶首露王の時代に、インドの商踊随国の王女が嫁いだとかいう話がまことしやかです。

だから弥生時代の末期頃に、おそらく龍・竜を「なが」と表す言葉が、日本語に入って来ていて、おかしくないな、と。

 

そう思った理由ですが、「学研漢和大字典」で「長(なが)」の字を引くと、「名のり」には「たつ」が含まれているからなんですね。

(名のりとは、古来より名前に用いられてきた漢字の読み方。)

「たつ」とは龍・竜の日本語読みのことであるので、「なが=たつ=龍」という解釈は、昔の日本人もしていたようです。

 

 流海のある場所は、古代から常陸国(日立国)で、現在のほぼ茨城県でした。と考えていくと、繋がりが明確に見えてくるんですよ。

 

龍・竜(たつ)日立・常陸・神立・楯縫神社

流(りゅう) 流海

龍(りゅう) 龍ケ崎

竜(りゅう) 竜ヶ峰

ナーガ(竜) 那珂郡那珂川・流れ海

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要するに、常陸国(日立国)や流海のあたりは、むかし(弥生時代後期~奈良時代頃)に龍神信仰があったのかと。 それが「龍・竜・たつ・なが」などで表されているという感じがします。流海なんか、そのまんま「流(ナーガ)海」なんじゃないかと。

同時に常陸国は国常立神との関係も濃厚なのですが、今後はこの辺についても調べてみますので。

 

そういえば寒い中、米朝戦争が始まるとか始まらないとか。日本も危険極まりないですね。まぁ俺なんか火星ミサイルで死にたいタイプですけどね。

 

 

 

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琵琶湖の命名した人は不明だけど実は行基が命名者だったかを考えてみた

前回の記事でも指摘しましたが。

琵琶湖というのは元々「淡海(あわうみ、あはうみ)、近江(おうみ)」と言っていたのが、いつしか琵琶湖(びわこ)という別名も付けられちゃったわけなんですね。 

いまでは淡海なんて言う日本人は皆無。みんな琵琶湖、琵琶湖。

せっかく西側の淡路島と淡海で「あわあわセット」で、くっつければ同じ形だって言われたものを。あえて別モノにしてしまうとか・・・。

と考えていたら、命名者として、行基の名前が浮かんできたのが前回の記事だったんですよ。

 

行基命名した琵琶湖」

この可能性について、もう少し深く考えてみました。

 

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高砂市時光寺の四天王 ウィキペディアの画像使用。

 

○いつも助かっております

 

 

ものすごい行基

 

行基が琵琶湖の命名者として浮上した理由は、いくつかあるのです。まず取り上げたいのがこれ。 

行基開基の寺院

下記は史料によるもので、近畿地方に所在する。全国には、青森県から宮崎県まで約600寺の行基が開基したとの伝承の寺院があり、これらは史料にない追慕による伝承である[15]。

大修恵院高蔵(大阪府堺市南区高倉台
枚方院(大阪府枚方市伊加賀)
檜尾池院(大阪府堺市南区檜尾)
大庭院(大阪府堺市南区大庭寺)
家原寺(大阪府堺市西区家原寺町)
神鳳寺(大阪府堺市西区鳳北町)
鶴田池院(大阪府堺市西区草部)
大野寺、大野尼院(大阪府堺市中区土塔町、土塔が現存する)
深井尼院香琳寺(大阪府堺市中区深井)
清浄土院(大阪府堺市堺区湊、大阪府高石市
萩原寺大阪府堺市東区日置荘原寺町、萩原神社の神宮寺としてかつて存在した)
愛染院(大阪府堺市北区蔵前町1578)
善言院川堀、善言尼院(大阪府大阪市西成区
難波度院、枚松院、作蓋部院(大阪府大阪市西成区
沙田院(大阪府大阪市住吉区
呉坂院(大阪府大阪市住吉区長狭町)
高瀬橋院、高瀬橋尼院(大阪府大阪市東淀川区
大福院御津、大福尼院(大阪府大阪市中央区御津寺町)
久修園院(大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目)
薦田院(大阪府枚方市伊賀)
報恩院(大阪府枚方市樟葉)
狭山池院、狭山池尼院(大阪府大阪狭山市
極楽寺大阪府泉大津市昭和町6番地付近)
 石凝院(大阪府東大阪市日下町)
清浄土尼院(大阪府高石市
林昌寺(大阪府泉南市信達岡中395)
山崎院(大阪府三島郡島本町
久米田寺 (大阪府岸和田市池尻町)
恩光寺(奈良県
生馬仙房(奈良県生駒市有里町)
隆福院、隆福尼院(奈良県奈良市和田町
服寺 (奈良県奈良市南京終町など)
菅原寺喜光寺奈良県奈良市菅原町)
頭陀院菩提、頭陀尼院(奈良県大和郡山市矢田町)
長岡院(奈良県奈良市疋田町)
法禅院檜尾(京都府京都市伏見区深草
河原院(京都府京都市
大井院(京都府京都市右京区
大雲寺(京都府京都市左京区岩倉)
吉田院(京都府京都市左京区吉田神楽岡町)
菩提寺泉橋院(京都府木津川市山城町上狛)
泉福院、布施院、布施尼院(京都府京都市伏見区
龍王寺(雪野寺)(滋賀県蒲生郡竜王町川守41)
極楽寺滋賀県彦根市極楽寺町
船息院船、船息尼院(兵庫県神戸市兵庫区
瑠璃寺(兵庫県佐用町)
揚津院(兵庫県川辺郡猪名川町
昆陽施院 (兵庫県伊丹市寺本)
 

行基が掘削指導した貯水池
昆陽池昆陽池公園内)(兵庫県伊丹市
久米田池(大阪府岸和田市) - 久米田寺と隣接する。
狭山池(大阪狭山市) - 日本最古のダム式貯水池(溜池)を改修した。

行基が架橋指揮した橋
泉橋(木津川)
山崎橋(淀川)
行基橋[16](福岡県沖端川

摂播五泊

摂津から播磨にかけて、五つの港(摂播五泊)を整備した。
河尻泊 - 尼崎市神崎町
大輪田泊 - 神戸市兵庫区神戸港
魚住泊 - 明石市大久保町
韓泊 - 姫路市的形町
室生泊 - たつの市御津町室津

 

伝承
開基伝承にとどまる寺院
高讃寺(愛知県常滑市阿野)
弥勒寺(愛知県東海市大田町)
円通寺(愛知県大府市共和町)
浄源寺(愛知県瀬戸市岩屋町)
岩屋観音(愛知県豊橋市大岩町)
東観音寺(愛知県豊橋市松原町
普門寺(愛知県豊橋市雲谷(うのや)町)
大聖寺岡山県美作市大聖寺
仁比山地蔵院(佐賀県神埼市神埼町的1688)
慈恩寺山形県寒河江市
黒石寺(岩手県奥州市
弘明寺(神奈川県横浜市
 
行基による開湯伝説がある温泉
日本全国には行基が発見したとされる温泉が数多くあるが、歴史史料には行基が温泉開湯した史料はなく伝承であるが、これにより、薬師如来の国家的な信仰を大衆的なものへと浸透させた[17]。

有馬温泉
湯河原温泉
作並温泉
東山温泉
芦ノ牧温泉
草津温泉
藪塚温泉
野沢温泉
渋温泉
湯田中温泉
山代温泉
 山中温泉
吉奈温泉
谷津温泉
蓮台寺温泉
三谷温泉
木津温泉
関金温泉
塩江温泉
鹿教湯温泉
 
行基行基は古式の日本地図である「行基図」を作成したと伝承があり、最古の「行基図」とされるものは、延暦24年(805年)に下鴨神社に納められたものがあるが、その後日本図は江戸時代まで行基図と呼ばれることがあった。


行基が拓いた伝承の滝能勢の本瀧(本瀧寺内)(大阪府豊能郡能勢町野間中718)

行基 - Wikipedia

以上は行基の建設した施設のわずかな一部にすぎません。

なんと彼が建設に携わった寺院の数、およそ「600」・・・。

 

行基奈良時代の単なる仏教の僧侶じゃなく、朝廷に抵抗しまくってまで庶民を救った革命家。中央からは、ならず者、目の上のたんこぶ的な扱いされたけど、当時の庶民はみんな行基の味方をしていたんですね。それで朝廷も、彼の影響力を恐れて手を出せなかったわけなんですね。まぁ、いまこんな人はいませんね。

行基は全国の600の寺院、多数の池、橋、温泉の開基者であり建設者であり、命名者だった・・・。行基に関連する寺院だけでも600を超えてるということで、全ての施設を含めたら1,000に近いのか、超えてるのかといった感じですが。一人が行った事業の数としては、ほんとに途方もなく。

だから琵琶湖についても、行基がいとも簡単に改名しちゃっておかしくないんですよ。それは巨大な淡海ですら、行基が意のままに変化できますよっていうアピールみたいなものかもしれないので。

 

ちなみに垂仁天皇は池や溝を数多く掘らせ、その数800にのぼったとか。

そう言えばインドで1億5,000万人の仏教徒を導いている、佐々井秀嶺さんの行いは、行基に似てるかもしれませんけどね。

 

琵琶の渡来は7~8世紀

 

琵琶って日本に昔からありますが、じつは琵琶は大陸から渡来した楽器でした。7~8世紀に入ってきたというから。ちょうど奈良時代行基の頃に、琵琶湖の名が付いているようですね。 

日本最古の琵琶としては、奈良の正倉院に当時の琵琶がそのまんまで保存されているのは見事すぎます。

行基の生きた年代は、天智天皇7年(668年)~天平21年(749年)ということで、7~8世紀。行基の生きていた頃に、ちょうど淡海はが琵琶湖と名付けられてました。

 

琵琶湖と行基

 

ネットの情報によると、行基は琵琶湖の洪水を防ぐため、瀬田川(淀川)の開削工事もしているようですね。ということで当時から琵琶湖は、行基の庭でした。

当然ながら琵琶湖の周辺には、行基が創建した寺院が数多くあります。

そのなかのひとつに、琵琶湖に浮かぶ竹生島の、「巌金山宝厳寺」がありました。

宝厳寺神亀元年(724年)、行基が弁財天を祀ったのが最初という説、または平安時代の「竹生島縁起」によれば、天平10年(738年)に行基が四天王を祀ったことが寺院の始まりとあるようなんですね。 

宝厳寺 - Wikipedia

 

行基が、琵琶湖の竹生島で、四天王を祀った

ここで前回の記事の内容に触れますが。

琵琶湖ってなんで卑弥呼なのだろう・・・から衾田陵に繋がっていく

 

琵琶というのは

王王王王

匕匕巴

と書いているじゃないですか。

琵琶とは、王王王王と書いて、四天王と読むわけなのです。

だから、琵琶に四天王の意味を込めた人がいる。それを行ったのは、琵琶が伝わったのと同じ時代、琵琶湖を含めて絶大な権力を持ち、四天王を祀る大人物だった、行基しかいないではないかと。

そもそも淡海や近海という名は、古代の天皇の先祖が名付けたといって過言でないところですが、それを改名してしまうことは、抵抗者である行基の行動理念にぴったり合致するではないか、と。 

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四天王。ウィキペディアの画像使用。

四天王(してんのう[注釈 1]、サンスクリット語:चतुर्महाराज caturmahārāja[要出典])は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んで、仏教を守護する四つの神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)のこと[1]。四大王(しだいおう)ともいう[2]。

四天王 - Wikipedia

四天王かっこいい。

 

そういうわけで琵琶湖の命名者は、行基でもおかしくないなーという話でした。 これは昔に忘れ去られた記憶かと思いますが。或いは俺の想像の賜物なので、本当のところはわかりません。

 

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散歩してきた 11月25日

11月25日土曜日、朝からボンボンボンボン、西方で爆音が鳴っている中で、散歩に出発。

09時47分。出発と同時にボンボンボンボン。 

お隣は未だ、近隣の爆音・騒音は俺が叩いて出してる音だと思い込んでいるらしく、深夜もバンバンバンバン壁を叩いてくるのだが、俺が出してるわけじゃないのに一体何なんだ。


○いつも助かっております

 

 

 

行きはずっと上り坂、帰りはずっと下り坂。

 

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ここで10時丁度。若干、紅葉してる。

 

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ボンボンボンボン。ここより北で鳴ってました。

 

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冠石。

 

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むかしからの名所らしい。

 

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風流な竹林。

 

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ゴミ捨て厳禁。この看板の横に、↓

 

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おい警察の人、新たに見つかった不法投棄現場ですよ。

ダンプカーが杉の木にぶつかったらしく、杉が傾いていました。

 

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不法投棄内容。

住宅廃材、みずみずしさの残る農作物の葉っぱ、どろ、ゴミ、なんでもあり。

 

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お堂も近くなってきた場所に、この岩を包み込む樹木の根っこ。なにかアンコールワットのような遺跡を思わせます。

この先で引き返した。10時30分。

10:47、ボンボンボンボン。遠くで鳴ってる爆発音。

 

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帰り道に見つけた、たこの木。うねうねと動き出すんではないかという、たこ足の見事さ。他にも変な木はあったけど本日はここまで。

 

11時13分、自宅着。

12:00、13:00、兎にも角にもボンボンボンボン。

 

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琵琶湖ってなんで卑弥呼なのだろう・・・から衾田陵に繋がっていく

 

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琵琶湖、むかしは淡海、近江と書いて、あわうみ、おうみ、ちかつおうみと呼ばれたのですが。

今回は琵琶湖と卑弥呼の関係について。

 

○いつも助かっております

 

 

琵琶湖

 

元々淡海、近江でよかったものを、歴史上で誰かが琵琶湖と言い出して、それが元で今も琵琶湖なんですね。

琵琶って、7世紀に海を渡って来た、外国生まれの楽器なので、これを名付けたのも渡来人、というか古代の帰化人ぽいですね。

 

この文字が不思議なのは、王王王王と4つの王様が連なっていること。

その下の部分は「比巴」。

 

巴とは

 意義

はらばいになる。

まとわりつく、からみつく。

待ちこがれる。

古代の地名(国名、郡名)、現在の四川省東部重慶近辺をいう。

(日本)ともえ、渦巻き文様。

巴 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B4

はらばい、まとわりつく、渦巻き、というのを見ると、どう見ても蛇ですよね。

別の字で書けば「巳」。

 

它、巳、巴

みんな同根な感じ、しますね。

 

 

・匕

琵の比は片方だけで書けば匕(さじ)ですね。

匕というのは、以前の記事でも書いたのですが。

卑弥呼の「卑」は「しゃもじ」を表す字でありました。

 ・しゃもじの女王卑弥呼

 

これを元にしてこんな話も出ました。

<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説)

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したがって、琵琶湖は、「匕巳湖」なのであって、これは要するに卑弥呼なんですよね。

 

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 そもそも卑弥呼は「へみこ」で蛇(へみ)の子、

琵琶がとことん王王王王な意味も、卑弥呼がとことん女王だから、で通じるのですよ。

 

しかし何故、淡海、近江を琵琶湖に改名したのかは、琵琶湖に卑弥呼の名を残す理由があったとしか考えられないことです。

果たして琵琶湖に卑弥呼の何があるのか?と調べると、

琵琶湖の深度103.58メートル

1035

ひ みこ

・・・これは、偶然なのか、必然なのか。

 

 

竹生島

 

淡路島の北方に、竹生島(ちくぶじま)っていう小さな島があるんですよ。

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ここ、ウィキペディアによると、

古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。


滋賀県教育委員会埋蔵文化財センター (2009年3月). “近江水の宝 竹生島 (PDF)”. 滋賀県. 2016年5月13日閲覧

竹生島 - Wikipedia

 

すげー・・・・・・

なにがすげーかというと、「奈良時代行基が四天王像を安置した」と記録にあることですよ。

すなはち、琵琶湖という名称は行基による命名で、「琵琶に四天王(王王王王)を込めている」ことがはっきりするじゃないですか。

これも電子書籍の「封印された叡智の回復」に書きますが・・・。

 

それで、この竹生島では、元々神社が祀られていたんです。

その名を「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」と・・・・・・

・・・

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)


創建

社伝では、雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建という[1]。

近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。

概史

天智天皇による志賀宮(近江宮)創建の際、宮中の守護神として祀られたといわれる[1]。

神亀元年(724年)、聖武天皇の夢に天照大神が現れ、「琵琶湖に小島があり、そこは弁才天(弁財天)の聖地であるから寺院を建立せよ」との神託があったので、行基を勅使として竹生島に遣わし寺院(宝厳寺)を開基させたという。また、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝し社前に天忍穂耳命大己貴命を祀ったといわれるほか[2]、行基弁才天の像を彫刻して本尊としたと伝わる。

 

ここで、個人的に気になる名前が出てきました。

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)

卑弥呼の琵琶湖の、神の島が「夫須麻(ふすま)」ですよ。

以前こんな記事かいてました。

 

西殿塚古墳から引き出せる公開可能な卑弥呼の情報

この記事を簡単に説明すると、

西殿塚古墳は元々「衾田陵」(ふすまたのみささぎ)と呼ばれた

卑弥呼は3世紀の女王、西殿塚古墳の築造年代は3世紀

西殿塚古墳の被葬者をあらわすために、西殿塚古墳の中心軸の線の先に熊野夫須美大神を祀る熊野那智大社を建てている

・熊野夫須美大神とは、西殿塚古墳に埋葬されている人物である

・その人物はイザナミという女神にも例えられる通り、女性の高貴な人物

西殿塚古墳の中心線の上に、各所に日向を配置して卑弥呼を示唆する

これと合わせると、

 

・琵琶湖は匕巳湖で卑弥呼を示唆する

・琵琶湖で重要なのは竹生島の都久夫須麻神社である

・琵琶湖にうかぶ竹生島の都久夫須麻神社は、衾田陵、夫須美大神と同じ「ふすま、ふすみ」

・浅井姫は殺された卑弥呼であり、竹生島卑弥呼の首である、では胴体は?

 

その心は、

各地の「ふすまの秘密(衾田陵・夫須美大神・都久夫須麻神社)」を解くことにより、卑弥呼の本来の墓所「衾田陵」が割り出されるようになっている。

 

「ふすま」で全てが繋がるという、そういう展開は予想外でした。そもそも琵琶湖が卑弥呼だって思いついたのも今日だし。

 

まあ、俺の妄想なのですが。今回はココまで。

 

 

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同じ系統だった肥国・兵庫・武蔵

日本列島の地名の連鎖構造とは

 

これは極秘事項ですが、日本の地名というのは、連鎖構造だったようなのです。

それはおそらく漢字が本格導入されだして、漢字を翻訳し、大和言葉に漢字を当てるようになった、弥生時代末の卑弥呼・壱与の時代から始まっていたことでした。

2014年に電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」でも出していますが、この電子書籍については書き直す予定でいます。

 

電子書籍のなかでは、誠に身勝手な具合で以下のように決めていました。

「九州系地名」

沖縄島・九州地方・近畿地方・関東地方、青森付近、北海道石狩平野付近が同じ地名を名付けられた土地。

「中国四国系地名」

奄美大島付近、中国・四国地方中部地方、東北地方南部、北海道南部、北海道東部が同じ地名の連鎖構造で、これを中国四国系地名としました。

この2つが交互に連鎖構造を生み出していたというわけで、これが古代からあったのではないかということです。

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ウィキペディアの地図に書き加えた。

 

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肥国と兵庫の関係

 

一例として、九州の肥国と、近畿の兵庫の関係を出しますが。

肥後というのは元々は肥国=ヒノクニと言いましたが、古墳時代律令制時に上半分と下半分で分けて、肥前・肥後といったんですね。

肥国=肥前・肥後

肥前長崎県佐賀県

肥後=熊本県

だいたいこのへんが当てはまっています。

 

九州という島自体、もともと日向という名称だった時代があったようです。

何故かと言うと古事記を見れば、肥国=建日向豊久士比泥別(たけひむかとよくじひねわけ)で、九州の西側にも日向の名があり、筑紫国にも日向という地名が残っているためですね。

九州全体が日向と呼ばれると同時に、筑紫、肥国、豊国、熊襲国などという名称もあったようです。

 

ここから本題ですが。肥国、肥後、日向という名称を、ローマ字に置き換えます。

日向はヒムカのほか、ヒュウガという読みもあるのでこちらを採用します。

肥国 Hi-Goku

肥後 Hi-Go

日向 Hi-Go

にごって読むと、こんなふうに全てが「ヒゴ」みたいな名称になるんですね。古代の天皇家は、あえてこうなるように漢字を選んだようです。要するに九州全体が日向だったことが分かるのですが。

ここではひとまず、肥国と肥後だけを元にしていきます。

  

肥国と兵庫の関係

 

 

肥国や肥後、日向の名前を近畿の兵庫と比較すれば。

肥国 Hi-Goku

肥後 Hi-Go

 

兵庫 Hyo-Go

兵庫は、肥国・肥後と対応しているのでした。

九州の西側の肥国、近畿の西側の兵庫、というふうに位置関係も似ています。

というふうに、音を対応させてるのが分かってくるんですね。

 

ところで、兵庫というのは、言い換えれば「兵の庫」で、武器庫を表していますね。実際兵庫では、大化の改新の時に播磨の国境を守るための「兵庫(つわものぐら)」が置かれたことが、兵庫の由来だとか。

それにしても武器庫や兵舎なんて、弥生時代古墳時代から全国にあったはずなのだから、それを広域的な地域全体の由来にしちゃうなんておかしな話ですね。

ほんとの由来は、肥国や肥後に対応する土地だったから、肥国や肥後の音を元にして、兵庫と名付けたのではないかと想像するばかりです。

 

兵庫と武蔵の関係

 

武蔵、それはいま埼玉県、東京都、神奈川北東部が合わさっていた土地のこと。

どうしてタイトルにあるように、肥国・兵庫と、発音の一致がみられない武蔵が関係するのかですが。

これもまた、「九州系地名」で解くことができました。

兵庫・・・兵の庫(くら)

武蔵・・・武の蔵(くら)

ということで、まったく似た意味の地名だったんですね。

位置関係としても、近畿の西側の兵庫、関東の西側の武蔵と、合っていました。

 

図にすると、以下のように。 

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これで、肥国、兵庫、武蔵の3つが、同一系の地名だった、そんな地名の由来があったと分かるのではないかと。

 

以前の関連記事

日向と熊野。同一系地名の仮説が現実に結びついたとか

大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(1)天香具山編

浅間山は阿蘇の名を移植したのか。日本語の噴火を表す言葉はローマ神話のvulcanusを語源としたかも

更に広域的に

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

ほかにもいろいろあり。

 

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前方後円墳の本が完成したら前方後円墳型の太陽が現れて死者の日だった件

兄がなんか知らないが、用事があるとか言ってうちに来た。

それで久しぶりにこの町の市役所に行く機会があって、そしたら案の定なんか予定調和で、遠くの方の職員の人々が、わざとらしい咳やくしゃみを聞かせてきて。嫌味ったらしい放送を流し・・・あとになってイラッときた、そんな日でした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

先日発表した、電子書籍の新刊「封印された叡智の回復(1)は、前方後円墳の話がメインになってるのです。

電子書籍の新刊、やっとでました

 

完成したのが11月1日、アップロードが2日深夜なので、初版発行は11月2日と記載したのですが。アマゾンでは発売日が11月1日のままでした。

 

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ところで11月1日に起きた現象。 

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 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171101-00001544-weather-soci.view-000

 

11月1日

ダルマ朝日って言うらしい。

にしても、前方後円墳型の太陽なわけなので。

自然現象が、俺の予定にぴったり合っているのか、なんなのか。

 

 11月2日

グーグルを見ると、

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この日は死者の日らしい。こんなの聞いたこともない。

しかし古墳の本の発表が死者の日というので、なにか運命的なものなのか、俺の予定に合ってるのか何なのか。

 

そういえば、うそこメーカーで、11月は俺がバンザイする月だというのが書いてあったんですよね。

謎の超能力者ってマジで言ってるんだろうかと考える泡沫の日々

 

まぁ確かに電子書籍がやっと完成ということで、6年越しで、それも当たってたのかと。うそこメーカーなんか全然意識してなかったのに。何なのか。

 

 

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