たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

西殿塚古墳から引き出せる公開可能な卑弥呼の情報

自宅周辺でどーんだのぼーんだのと騒音がスゴイ。世界が俺を晒し上げ、落とし込む勢いもスゴイ。これはいつも通りですが、電子書籍で発表しようと思ってたこともなかなか進まないのもいつも通り。

今回も一先ず、古代史の仮説をサラっとブログで書いておきます。後で電子書籍で詳しく述べれば良いと思います。

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これは俺の想像に過ぎないのですが。

 

奈良県天理市西殿塚古墳は、女王卑弥呼墓所でした。

有名な「魏志倭人伝」でいうところの、百人が殉死し、径百歩の冢(墓)をつくったという、あれが西殿塚古墳なんじゃないかという話です。

個人的な観点でいえば、卑弥呼の墓は箸墓古墳じゃなかったです。

 

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西殿塚古墳卑弥呼の情報を含んでいる。

 

西殿塚古墳卑弥呼墓所説。これがなんとなく頭に浮かんだのは、2012年の2月に『崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与』を自費出版してすぐのことでした。

そういえば、直後にタイミングを合わせたように、こんな事件が起きてました。

2012年8月

西殿塚古墳が盗掘される

 

この出来事は何故か2013年に公表されました。

【奈良】西殿塚古墳、盗掘される…掘っていた男性は起訴猶予天理市

2013年07月11日

宮内庁が陵墓として管理する奈良県天理市西殿塚古墳(3~4世紀)が昨年8月、 盗掘されていたことが10日、宮内庁書陵部への取材で分かった。
墳丘をわずかに掘っただけで実質的な被害はなかった。

盗掘したとされる男性は墳墓発掘容疑で書類送検されたが起訴猶予となった。

古墳は全長約230メートルの前方後円墳
宮内庁が6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓として管理しているが、研究者の間では邪馬台国の女王卑弥呼の後継者・壱与や初期大和政権の大王の墓とする説がある。

盗掘されたのは昨年8月13日。巡回中の書陵部職員が男性を見つけた。
男性は前方部の頂上部にある「方形壇」と呼ばれる遺構を掘っていたという。
方形壇の下には埋葬施設がある可能性が指摘されている。

http://hosyusokuhou.jp/archives/29411809.html

 

どうもタイミング的に、俺が西殿塚古墳につうて思考を巡らせたことが、西殿塚古墳の盗掘に波及しちゃったような、そんな気がしてならないのですが。

なぜかと言えば、それ以前に西殿塚古墳では、こんなことはなかったから。俺が引っ越した途端に爆発音攻撃が始まるみたいに、それまでなかった「こんなの初めて」が起こってしまうのが俺の人生の日常らしいです。

それに、日付が13日というのは俺の数字なのですよね。まぁそのへんはそっちに置いといて・・・。

 

 西殿塚古墳はこれまでは手白香皇女(たしらかのひめみこ)の墓所と言われてきましたが、手白香皇女は6世紀の人で、西殿塚古墳は3世紀の築造なのです。

だから被葬者は手白香皇女じゃないことは猫でもわかる事実です。今は女王壱与墓という説が出てきて、まことしやかだとか。

とにかく個人的にずっと調べていたところ、この古墳は卑弥呼墓所としか思えなくなってしまい、今に至っています。単なるアマチュア研究者の思い込みの類なのかもしれませんが。

 

立て続けに2014年、こんな記事も出ました。

奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇
2014/4/9付

奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 :日本経済新聞

 どうやら西殿塚古墳箸墓古墳は、似た特徴を持っているようでした。造られた場所も極めて近い位置関係で、築造の年代的にも両者とも3世紀で、非常に近い時代です。

 

この西殿塚古墳がどうして卑弥呼墓所なのかの理由については、一部だけここに記しておきます。全ては電子書籍の方で激安にて提供する予定ですので。

 

全ては「偶然の一致がありすぎる」ことが理由です。

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西殿塚古墳「衾田陵」から引き出せる卑弥呼の情報

 

日本書紀」の岩波文庫版の補注の頁を見ても分かるのですが、古代の支配階層の人々は、用いる文字のひとつひとつに意味を込めていました。それは現代人が適当に言葉を並べて喋るのとは大違いです。

古事記」や「日本書紀」に用いられる漢字の一字一句はすべて検討に検討を重ねて、用いる文字が選ばれているのですね。言葉は言霊で、魂が宿るもの、文字は体を現すもの、たった一文字から呪詛をかけられるもの、神に与えられた道具だと知っていたから。

 

魏志倭人伝」で卑弥呼は魏から金印を授かっています。これは有名な志賀島の「漢委奴國王」印とは違いました。「親魏倭王」の金印で、所在は行方不明のままです。

この金印が発見されるのは国内の何処かの巨大古墳の石室からか、はたまた過去の盗掘者から流れ流れて、現在どこかで誰かが密かに所有しているものが、何らかの理由で公開される時がくるのかどうかです。

要するに卑弥呼は魏から金印を受けた特別な人なのですが、この情報も卑弥呼の名に含まれていました。

 

卑弥呼の名は忠実に記せば

卑彌呼

なんですが、この「彌」という字は「公用印」の意味があり、要するに卑弥呼が金印という公用印の所有者であることを表しているんですね。

つまり卑弥呼という名前は卑弥呼自身が考えを重ねて名付けていると思われます。このことは先日の記事でも書いていました。詳しくはこちらで↓

崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム

 

 次に手白香皇女墓所とされている、西殿塚古墳のほうの本来の名称「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」。

「衾」というのは和室のふすまじゃなくて、むかしに用いられた寝具の掛け布団のことです。

単純にこの奈良県天理市中山町のあたりが、かつては「ふすま」と呼ばれる土地で、漢字を衾田としたものが、現在は古墳名だけに残されていると、そう考えて差し支えないです。

万葉集」に収録されている柿本人麻呂が読んだ歌の中で、衾道を通って妻の遺体を引手山(龍王山)に置いてきたという内容の悲しい歌があるのですが、ココに登場する衾道とは西殿塚古墳の近くから引手山へと通っている小さな道のことだったとされていることからも分かります。

 

この衾という変な地名には、じつは卑弥呼の情報が入っているとすればどうですか。そのへんを明らかにしてみます。

 

衾という漢字は、「𠆢=ひとやね」という部首の「今」と「衣」が合わさっています。呉音と漢音では以下の通りに発音します。

呉音:コン

漢音:キン

 

呉音:コン

漢音:キン

今と、金印の金は、全く同じ音です。

さらに今という漢字について「学研漢和大字典」で調べると、解字に興味深ことが書いてありました。

[解字]

△印(ふたで囲んで押さえたことを示す)+一印(とり押さえたものを示す)の会意文字で、囲みとじて押さえるの意味をあらわす。のがさずに捕らえ押さえている時間。目前にとり押さえた事態などの意を含む。 

「学研漢和大字典」より

 まるで西殿塚古墳の石室では、何か「今=金」の物体を、厳重に囲って取り押さえて、衣をかぶって眠っているような、そんな想像が衾の文字から掻き立てられるじゃないですか。

ふすまだ・・・伏す未だ、と言い換えても、意味合いは似てくるようでした。宝物を未だに伏している状態みたいな。

解字では印という文字が2つ出てきて、これは偶然に卑弥呼の彌=印の意味と合っていたのでドキッとしてしまいました。

そういえば「漢委奴國王」の金印も、発見場所は岩に囲まれて大岩を置かれた場所だったとか言っているのと妙にリンクしてます。以下の記事参照。

 ・「志賀島の金印発見劇」は徳川将軍家による演出だった説

 

「西殿塚」にはなにが秘められているのか

 

さらに、西殿塚ってどうして呼ばれているんだろうと気になったので、調べてみました。

西とは五行では白を意味しているのですよね。方位全て言えば、以下のようにあてはまります。

五行の元素と色と対応する神獣

元素 方位 色  神獣

木  東  青  青龍

金  西  白  白虎

火  南  赤  朱雀

水  北  黒  玄武

土  中央 黄  麒麟

西殿塚古墳は、元素は「金」で、やはり金が対応している古墳なことがわかります。手白香皇女は白なのですが、五行に対応するから手白香皇女墓所として伝わったのかもしれません。

ウィキペディアにはこうありました。

金(金行)

土中に光り煇く鉱物・金属が元となっていて、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表す。収獲の季節「秋」の象徴。

西という方位は、申・酉の方角であり、以前に卑弥呼=桃太郎説で指摘した回答と、不思議と一致していました。

百済が桃太郎の名を持っていることから導かれる道筋

 

次に殿について調べると、これも興味深い回答が得られました。

殿 
あら か 【殿▽】
〔「在処(ありか)」の転〕
御殿。宮殿。 → みあらか

 

しん がり [0] 【殿▽】
① 〔「しりがり(後駆)」の転〕 軍隊が退却するとき,最後尾にあって,追ってくる敵を防ぐ役。
② 列・順番などの一番あと。また,最後の人。

 

でん [1] 【殿】
〔「てん」とも〕
① 大きな建物。邸宅。 「 -に入るる事をやめられけるには/平家 6」
法名の下に添えて呼ぶ敬称。

 

しんがりとは - 京ことば Weblio辞書

殿が付く古墳は全国に数十もある中で、全国で1番に古いのは西殿塚古墳でした。

ようするに「西殿」と「衾」をあわせれば、金色の宝物を納めた在り処、立派な貴人の宮殿、といった情報が導き出せました。

しかも「高貴な女性が埋葬されてる」と昔から伝わってきたので、これではまるで女王卑弥呼墓所で、金印があると言ってるように思えたりして、いつも通りコーヒーをこぼしていました。

 

  西殿塚古墳の中心軸の先にある日向と熊野那智大社が意味するところ

 

 この古墳は卑彌呼の古墳であろうと最初に思いついたきっかけになったのが、前方後円墳矢印説・・・井上赳夫氏の「前方向法則」の存在です。中心軸を測って、その先に何があるかを調べるという単純な発想で、自身は2012年から研究をはじめました。

西殿塚古墳も単純な気持ちで、手白香皇女の情報が出てくるのかと思って調べたのですが、出てきた情報は違いました。

紀伊半島では有名なのは熊野三山です。そのひとつの熊野那智大社は山間部の那智山麓にある神社で、仁徳天皇の御世に創建されています。

主祭神は「熊野夫須美大神」という聞きなれない神様なのですが、この神の正体は定説上で伊邪那美命イザナミ)ではないかとされていますが、はっきり決まっているわけじゃないです。

西殿塚古墳の延長したレイライン上に、熊野那智大社があったことは今までスルーしていました。しかし先日何気なく熊野夫須美大神について調べていたら、ハッと気づきました。

衾田陵と、熊野那智大社は、大きな関係があったことに。

 

西殿塚古墳 衾田陵    ふすま fu-su-ma

熊野那智大社 夫須美大神 ふすみ fu-su-mi

何故か西殿塚古墳の中心軸のはるか先で、衾に似た名の神が主祭神となってたわけなんです。この2地点は100キロも離れているわけなのですが、同一の名を表しているとしたら、無関係な方がおかしいのではないかと。

 

もうひとつは日向で、西殿塚古墳の先には神坐日向神社だとか、三方五湖日向湖もあり、あとは日向系地名の土地があったりするなど、日向で結ばれていたんです。

これも卑弥呼=日向を示唆する暗号なんではないかと。

 

 以上の要素を元に、こんな仮説が浮かびました。 

a・卑弥呼は3世紀の女王、西殿塚古墳の築造年代は3世紀

b・西殿塚古墳の被葬者をあらわすために、西殿塚古墳の中心軸の線の先に熊野夫須美大神を祀る熊野那智大社を建てている

c・熊野夫須美大神とは、西殿塚古墳に埋葬されている人物である

d・その人物はイザナミという女神にも例えられる通り、女性の高貴な人物

e・西殿塚古墳の中心線の上に、各所に日向を配置して卑弥呼を示唆する

 

卑弥呼が男装した情報も含まれる

 

あともう一つ公開可能な気になるところ。

熊野夫須美大神はイザナミという女神なのに、何故か「夫」が使われているのは謎ですね。なぜかと言えば、


1.成人男子。
2.男性の配偶者。おっと。

夫 - ウィクショナリー日本語版

夫は、成人男子で旦那という意味なんですよ。女神なのに男、これって何か思い出しますね。

古事記」の序文で太安万侶が、崇神天皇という男性天皇を紹介する時、「賢しき后」と書いて、女性の「后」を使って卑弥呼を示唆したみたいな話ですよ。

これは西殿塚古墳の被葬者が熊野夫須美大神=イザナミ卑弥呼であり、男装した人物であることを、夫須美大神の名で表していると考えられるんですよ。

 

卑弥呼が男装して外を出歩いてた、「ベルサイユのばら」のラスカルじゃなくてアライグマじゃないほうのオスカルみたいな人生を謳歌してたんじゃないかってことは、以前の記事にも書いていました。 

卑弥呼は男装して出歩いてた・・・複数の記録に分断された卑弥呼

 

ここで新たに仮説だしますが、熊野夫須美大神とは、衾田に眠る神=卑弥呼のことではないかと。

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西殿塚古墳から得られる卑弥呼の情報は、ここに公表しただけでも、大げさに言ってまだ10%くらいです。

すべて電子書籍にまとめていますので。しかし、内容が膨大になっているので、いつ出るのかわかりません。

 

 ちなみにこのブログもかなり読者が増えたらしく、はてなアクセス解析ではこんなふうになってました。f:id:kl117cr233:20170918013028j:plain最初の頃が50~100だったのと比べたら、雲泥の差。

有難御座異枡。

 

 

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