このブログに表す妄想の内容を、もう少し精査検討して、低学歴の論文に加えていきますので、宜しく。
○いつも助かっております
日本雛形論を発展
以下は大本の出口王仁三郎が口にしていたという「日本雛形論(日本は世界の縮図)」を発展させたものです。
従来の日本雛形論では、本州にユーラシア大陸、九州にアフリカ大陸、北海道にアメリカ大陸などと、似た形を合わせていたと思うのですが、このブログでは古地名同士の結びつきを優先して考えています。
調査を進めるにあたっては、漢字表記で対応させてみること、そしてローマ字表記にすると見えてくるものがあります。また、最も大きな自治体の単位である、国・郡や、国造(くにのみやつこ)県主(あがたぬし)といった単位を優先して見ていく必要があります。
作成した対応図です。図上には分かりやすいところを表示したのみです。実際には以下の通りに、かなりの一致が判明しています。
関東地方の対応
大陸 日本列島
鄒牟ーー牟邪志(むざし)国造 牟で鄒牟(朱蒙)をあらわす
扶余ーー武蔵(ぶぞう)国
チチハルーー知々父国造・秩父郡
扶桑ーー総(ふさ)国
大倭ーー安房(あわ)国
馬韓ーー馬来田(うまくた)国造
東夷ーー夷隅(ゐすみ)郡 東夷とは扶余・高句麗・三韓・倭人等
東胡ーー多胡郡・多賀郡
月氏ーー河内郡(下野)・久慈郡・葛飾郡 月氏は東夷に入り込んでいる
漢ーーー神奈川
魏ーーー甲斐 魏をギイとすれば甲斐となる
2世紀~5世紀頃のユーラシア大陸地名を日本列島に移動して、日本列島をユーラシア大陸の雛形としているのですが、当初は民族も該当地にそのまま移動していたかもです。
こちらも参考
中部地方はこちら
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近畿地方の対応
大陸 日本列島
烏孫ーーー宇陀郡・宇治郡・和泉国 usun→uzun→uda・uzi・izumi
サカーーー大阪(烏瑳箇) 大サカという感じ
タジクーー丹敷(たじき)戸畔 丹敷は日本書紀では「にしき」だが
タリムーー鳥見(とりみ)山
タクラマカンーー高倉下
イッセドネスー伊勢 天山山脈の東
トハリーー針間国
堅昆ーーー剣根 堅昆は烏孫の北東の国、剣根(けんこん)
アフガンーーー淡路 af-gan=af-gi
イシクーー磯城郡・石切
カブールーーカブラ崎 古事記のみに登場 kabul=kabula
アルサケスーー荒坂津(あらさかつ)アルサケス朝は紀元前248年成立 Arsaces=Arasacats
難兜ーーー那智 熊野那智。烏孫の初代王・難兜(nantu)が那智(nati)に反映
釈迦ーーー釈迦ヶ岳
大月氏ー大宣都 徳島は阿波というが、別名を大宣都比売という(古事記)
バルハシ湖ー琵琶湖 Balk-Hasは、Bi-Haで対応する
アフガニスタンと淡路の発音の一致については思うところがあって、
「アーリア人の始まりの土地・アフガン(af-gan)」を、日本神話では
「大和民族の始まりの土地・淡路(af-gi)」だというふうに置き換えていると見えますけども。そう見える気がするだけですので。
奈良県南方の吉野郡には、釈迦や仏教に関係する山が幾つかあるのです。一部だけ表示していますが、これは大陸の釈迦と仏教の誕生地に合わせていると見られました。
まあ想像が膨らんで止まりませんが、この「新日本雛形論」が、もしかしてひょっとして真実だとしたら、日本史学で培われてきた日本史解釈の本道「日本の歴史は日本列島起源」みたいなところは完全に否定というか破壊する方向になってきますが。もし日本の地名や民族の起源が、ほとんどユーラシア大陸の紀元前~紀元後の諸国・諸民族にあるのがほんとだったら仕方がない。相手にされないかもしれませんが、このあたりを烏孫起源説にからめて、好き放題に論文書いちゃっていますのでー。
俺は別に左翼とかではない、日本文化保存部なのですが、日本が古来よりシルクロードの終着地だったり仏教の受け入れたみたいなものが示している、本当の意味というのは、こういったことだったのではと考えるのですけども。
このような一致を作り出したのは誰か?ヒントはここ。
魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった - たっちゃんの古代史とか
弥生時代後期の倭人(大和民族)に含まれた、大陸の諸民族(弥生人)。4世紀の秦氏よりずっと以前から倭人の中枢に入り込んでた。
ここまで一致していると、「じゃあ中央アジアより西は日本のどこに対応しているの?」というのも気になるところですが、既に大体分かっていますので(自分の中では)。そのあたりも死ぬ前に洗いざらい白状して、寝耳に水な状態が続いてまいります。
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