古代天皇と大和民族の大陸移動について。
天皇皇后両陛下、大和民族の皆様、こんにちは。
わたくし、身辺に異変が起き始めた10代の頃から、古代史の仮説を考え始めました。日ユ同祖論に関連する本をいろいろ読んだのが、きっかけだったでしょうか。
今回は古代天皇と大和民族の大陸移動についての、一大妄想のまとめです。総集編なので、リンクが多いです。
これは個人的に考えた仮説であって、現在通説の「天皇家は日本列島で生まれてずっと日本列島の支配者である」との話とは、違うものになっていますのでお気をつけください。
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○いつも助かっております
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天皇家の起源。それは遥か古代、はるかかなたの土地、シュメールに遡る。
まず日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。
これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。
関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論
A・中東での始まり
シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国→ユダ王国(アッシリア)
概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書のアブラハム~ヨセフ~モーセ~ダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。
アメ
・天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、昔の天皇も「阿毎(アメ」を名乗っていました。現代の日本史研究家は、「天の神だからアメ」と答えます。
実はこれは、シュメールの原初の神「アンシャル(天の中心)」「アヌ(天)」「アヌンナキ(天の多くの神々)」などの「天」のことだった。
日本神話の現初神、天之御中主神とは「天の中心の神」であるが、これは「ゴッド・オブ・アンシャル(天の中心の神)」を単純に日本語に訳しただけに過ぎないんですね。
そういえば、古事記の原文を読むと、「神名天之御中主神」となっているので、これは「シュメー天之御中主神」とでも読むのですかね。「神名:シュメー」。そうすると天之御中主神はシュメールの神だってことを、漢字でそのまんま表しているる気がします。
スメラミコト
したがって、明治時代以来、色んな日ユ同祖論の本で指摘されてきたように、スメラミコト(天皇)の「スメラ」とはシュメールのことだった。天=アン説についても、すでにあるらしい。
日本における俗説と表記
「第二次世界大戦中に、「高天原はバビロニアにあった」とか天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」
シュメール 日本における俗説と表記- Wikipedia
この俗説は合っていたとかんがえられるのですが、個人的に。
・ここにイスラエルのカナンの神である、ヤハウェの三位一体が加わって、造化3神になっているという(「日本の中のユダヤ文化」久保有政著より)。
・古代エジプトの太陽神のアメン・アテンを信仰していたことが大きく影響しました。これはカナンのヨセフらがエジプトへ移住して以降。
シュメールのアン・アヌや、アメン・アテンは、おそらく原初の中東で同じ神なのであり、それがそのまま日本語の「アメ」として合一されて受け継がれてきました。
後に太陽神ミトラを習合。合わせて天照大神(アメ照大神、アミトラス大神)ということになったんでしょう。
国常立
エジプトのピラミッドや、ピラミッド状の何かの叡智が、国常立命として記録されることにもなったようですね。あ、この記事の続きは書くの忘れてますね。
国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?
「古事記」で最初の神は天之御中主神でしたが、「日本書紀」で原初の神は国常立尊になっていますよね。これは要するに記紀では、一番最初の神について真っ向から意見が食い違っているということで。原初の神はシュメールかエジプトかで、別れたんでしょうかね。
イザナギとイザナミ
最初の男女という意味で、アダムとエバに対応しているのだが、そんな単純なものでもないです。イザナギというのは、旧約聖書のアダムからモーセまでの役割を果たしている模様。
出エジプトで十の災いが起き、エジプト軍に追いかけられた様子は、イザナギが黄泉を脱出する時に幾つもの試練があり、黄泉大神と黄泉醜女に追いかけられたことに対応します。
ウガヤフキアエズ
・神武の父である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)。
この意味不明の名前は実は、「ウジヤ・ヨタム・アハズ」という3世代のユダ王を習合した存在。「葺」の古訓はヲサムであり、ヨタムはヨオサムとも読めるので同じになります。詳しくは以下の私の記事で。
(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた
神武天皇
紀元前7世紀の神武天皇は、同じ紀元前7世紀のユダ王国の「エホアハズ・エホヤキン・エホヤキム」という3人のユダ王を習合した存在。
・磐余とは「イハヨ」と読めるが、これがエホヤに対応している。神武の幼名狭野の「狭」とは3人という意味があり、時代も人数も一致する。
・ウガヤフキアエズと神武天皇が、ユダ王国の系図の一部を写したものであることによって、ココまでの解釈「記紀の天津神と神武天皇の舞台は中東」についての証明のひとつになります。
(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた
・しかしながら、日本の神々には「縄文人の神」も習合されている。これは後にしるします。
・しかしながら2。これに加えて九州に居た、天皇家に近しい有力豪族の物語も、神武天皇の物語の一部になった模様。
これら舞台は本来西アジアの中東でしたが、後に日本列島の九州地方に当てはめられているんです。ではBへ続きます。
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B・アレクサンドロス大王の時代
ユダ(アッシリア・ペルシア)→パルミラ(ヒムカ)→アレクサンドロス大王領→ヒルカニア(ヒムカ)→バクトリア
アレクサンドロス大王の時代に、カナンの土地からユダ王家の末裔が、中央アジアへと向かっているようです。その出来事が、神武東征の記録として日本列島に当てはめられたと考えています。
アルダバゾス
アレクサンドロス大王東征記で、アルダバゾスという人物が出て来ます。もしかするとこの人、ユダ王家から出た人かもしれないです。アレクサンドロス大王に従軍し、東のバクトリアへと移動しています。アルダバゾスはカスピ海南の沿岸の、ヒルカニアという土地にいて、ペルシアでもっとも高貴な王族の末裔というふうに、大王から評されているのですね。そうするとイスラエル王朝かユダ王朝の末裔という以外には無いと考えられますので。おそらヒルカニアとは「ヒムカニア」(日向ニア)で、神武天皇出発地の一つになっています。
この区間は神武東征では、九州~大阪までの区間として記録が残っています。
アレクサンドロス大王神武天皇説については、
神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相: 神仙組外典【新世紀創造理念】天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!
飛鳥昭雄・三神たける著で2010年に出てるらしいです。これはまだ読んでませんね。
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・C 烏孫の時代
バクトリア→難兜国→烏孫(月氏の土地)→烏孫(イシク湖)
紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。
昆莫
・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみられます。また、昆莫一家の名前も一致しています。詳しくは関連記事で。
中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか
以下この記事の要約
神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │
昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │
一致していますよね。
鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。
鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君 │Ryu │ Sai │Kun │
古事記の方を見ると
劉細君 r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気 ra-i - su - ki
神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク
烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、
神渟名 kan-jou-mei(日本書紀)
神沼 kan-sho(古事記)
軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)
昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。
猟 カサヌ・・・ サヌ 狹野(サノ、サヌともいう)
驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)
靡 なびく・・・ ビク 毘古(ビコ)、彦(ビコ)
・中央アジアの烏孫とは、日本列島では大和(奈良)に当てはめられている。だから烏孫の後継国の弓月国と同じ名前の「弓月岳」が奈良にあるなど、地名が一致するわけです。
神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる
ちなみに月氏とは葛城氏(月氏→がっじ→がっじょ→葛城)であり、記紀においては「エウカシ・オウカシ(オウ月氏・オウ月氏)」のこと。で、神武東征の終局場面が中央アジアであることが月氏の名で示されていました。
「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏
日ユ同祖論系の本で、中央アジアの経路を詳しく書いてる本はあるようですが、烏孫に触れている人はあんまりいないようです。
栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学」は天皇家は烏孫起源と言っていますが、昆莫を神武天皇と書いた本はなくて、このブログだけです。
この区間は神武東征における、大阪~奈良盆地の区間として記録が残っています。
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D・欠史八代の時代
烏孫→南匈奴の土地を東進→扶余→高句麗→馬韓・弁韓
欠史八代というのは実在せず、歴史から欠けているので欠史八代の天皇なわけですが、これは間違っていました。日本列島には存在しなかったですが、ユーラシア大陸に存在していました。
第二代天皇の綏靖天皇から第5代までの天皇は、烏孫に留まっていましたが、第六代の孝安天皇の時代から、中央アジアの烏孫から極東へ移動を開始しました。
各天皇の諡号には、東夷諸国の名前が暗号化されて残されていました。これはそれぞれの天皇が留まった諸国の名前を表しているのです。あたりはすでに電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」のなかに書いています。
古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2
。( ゚д゚)ポカーン。
歴代 諡号 記紀の和風諡号 含まれる古代国名
(下段古事記)
07 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊 太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)
大倭根子日子賦斗邇 賦斗邇=扶余・匈奴
08 孝元天皇 大日本根子彦国牽 国牽(クニクル)=高句麗
大倭根子日子国玖琉 国玖琉=高句麗
09 開化天皇 稚日本根子彦大日日 大日日=大半跛(はへ、弁韓の中心国)
若倭根子日子大毘毘 大毘毘=大半跛
10 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖 御間城=任那、五十=委奴、伊都
御真木入日子印恵 御真木=任那、印=委奴
孝霊天皇については、「ホツマツタヱ」で「孝霊天皇の東征」として記録があり。
ホツマツタヱのなかで、孝霊天皇は奈良盆地から出て、富士山のふもとまで進んでいる。しかしそこから奈良へ引き返したという話は出てこない。つまり東へ旅立ったまんま、孝霊天皇の話が終わってるのが不思議。
実は富士というのは大陸の扶余(扶示:ふじ)を言い換えて暗号としてあるのだ。だから、出発地点である昆莫の土地烏孫は、大和国(奈良)となり、孝霊天皇の終着地点は扶余になるということだと考えたのですが。
E・崇神天皇が弁韓から九州へ移動
崇神天皇とは卑弥呼と壱与の習合体であることについては、著書「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」に一部を書いています。
邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由
倭国の本拠地の変遷(推定)
魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった
妄想まとめ画像
まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。
・天津神と縄文人神の融合
縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。
火焔土器 - Wikipediaより
縄文人が用いていた土器のなかで、圧倒的に多いのが、炎を模したような形状の火焔土器です。火の神を表現したような釣手土器もあります。
釣手土器 - Wikipedia
こうしたものは実はカグツチなのではないかと考えられるのですよ。
アグニは日本でカグツチとなっているので、カグツチという発音の中に、アグニを見つけることが出来るわけなんです。まあ想像ですが。
ka-gu-tu-ti
a-gu-ni
日本で悪いことは「アク、アク人」というのだが、ここに縄文の神アグニが入っていますね。超古代拝火教の縄文系の人々は、大和民族に悪と断罪され追いやられていました。その場面がイザナギが、カグツチを斬り殺す場面に現れてるではないですか。
ただし縄文系の人々は、大和民族の中にも入り込んで同化しています。記紀神話ではカグツチの子孫、例えば経津主命、武甕槌命などが、活躍する場面が多々見られますが。まあこれも中東の出来事を合わせてると見られますが。アイヌって火の神
ちなみにカグツチの中には、旧約聖書のバベルの塔を建設した、火の象徴たるニムロドが含まれているので、完全に同一じゃないですので。これについては別の記事で。
記紀神話は日本列島とユーラシア大陸の神話・出来事・人物の融合
記紀神話とは、舞台が中東・中央アジア・日本という複数で起きた出来事を習合し、日本列島だけで起きたかのようにまとめ上げているものだから、とてもわかりにくいんです。
日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。
中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話
日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)
Q7 騎馬民族征服王朝説は完全に否定されてる状況ですが?
学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。
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このあたりまで、電子書籍にまとめたい(希望)。
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