たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

意富の神はヘブライの神だったのか(日ユ同祖論)

これはほとんど知られざる、日ユ同祖論のおはなし。

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意富比神社 灯明台 - Wikipedia

 

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意富比

 

先日アイヌの日ユ同祖論についての記事を書いたら、胆振について興味深いコメントいただいたので、それについて。

胆振のアイヌとヘブライとフルとイシンの関係

 

 上古に見られる意富比(おおひ)神社の名が、どうも胆振と同様にヘブライ(イブリー)からきているのではないかという説。

 要するに、

ヘブライ・イブリー → 胆振(いぶり)

ヘブライ・イブリー → 意富比(いぶひ)→いふひ→おほひ →おおひ

こんな感じでまとまってきました。アイヌの方では胆振として残り、大八洲(日本)のほうでは意富比の名で残った可能性はあるかと。

 

ちなみに「意(い)」と読むのは古代中国から伝わる音読みで、「お」と読むのは古代日本の古訓でした。「おおひ(おほひ)」という神社名に、「いぶひ」と読めるように意富比の漢字を当てているのが確実です。

意富比の名を冠するのは船橋市の意富比神社で、景行天皇の頃の創建だとか。景行天皇陵は4世紀後半の築造なので、古墳時代前期頃の創建なのかと。千葉でもなかなか歴史が長いようでした。

 

・・・ところで現時点の祭神と、上古の本来の祭神が入れ替わるというのは、古来よりの神社でよくある話です。しかも祭神は入れ変わって古い祭神は不明となってしまったとしても、神社の名に元の祭神名を残す傾向もあります。

いま意富比神社は天照大神を祭神としてましたが、本来は「意富比神」を祀っていたから、この名が残ってる可能性もあるんではという気がしました。なにしろ日本神話には「意富」がつく神様がちゃんといるからです。

 

さて意富比神社の名の由来については、ウィキペディアを見るとこんなふうにあります。

社名の由来

社名となっている「意富比」の由来については諸説ある。主なものを以下に示す。
・大火あるいは大炊の意で食物神とする説。
・夕日を真正面に受ける高台にあることなどから夕日とみる説
・古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説
・大日の意で、この地方の農民がもとから信仰してきたお天道様(太陽神)とする説[1]

やっぱりというか、日ユ同祖論の話は出てないようでした。

この意富比が胆振と同じでヘブライやイブリーを指すものだという根拠は少ないですが、ただ意富の名を持つ神から、ヘブライ繋がりのヒントは得られます。

 

 

意富の神

 

 太安万侶(おおのやすまろ)編纂の「古事記」などを見れば、意富の名を持つ神や人物は散見できます。ところで太安万侶という人物自体も、この件に繋がりが見えていました。

古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説

 のことです。ここにある意富氏というのが、太安万侶の太氏と同じ「おほ(おお)氏」のことでした。

そして意富の神や人物を見ればこんな感じです。 

 

意富斗能地神大斗乃弁神(おおとのじのかみ・おおとのべのかみ)

・意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)

・意富伊我都神(おおいがつのかみ)

・意富多多泥古(おおたたねこ)

・意富夜麻登久邇阿札比売(おおやまとくにあれひめ)

・意富比垝(おおひこ)

・意富杼王(おおどのみこ)

・意富安万侶(おおのやすまろ)

これらは本来ヘブライ加牟豆美命だったり、ヘブライ多多泥古だったりすると、面白いことになってきますが。しかし根拠が希薄だとか言われてしまいますね。

 

神世七代と呼ばれる八百万の神の中でも原初中の最初の神がいましたが、その中に意富斗能地神大斗乃弁神が含まれていました。

この2柱については、以前にこんな記事かいてました。 

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 

トンデモですが、神世七代にはアトランティスの記憶が入っているのかもしれないと、言う話でした。同時にヘブライの記憶も、あわせ持っているかもしれないなと。

何しろ話の筋が、アトランティスと、「旧約聖書」のエデンの園と、日本神話の神世七代の関わった淤能碁呂島の3者は似ているのだから。

 

 アトランティスエデンの園、淤能碁呂島は同じ場所か

アトランティス アトラス神 蛇(ゴルゴン) 柱    火山

エデンの園   エバ    蛇     生命の樹 回転する炎の剣

・淤能碁呂島   イザナミ  蛇      柱    回転 炎(カグツチ

前回の記事より。 

するとヘブライ人の「 旧約聖書」と日本神話の意富斗能地神の繋がりが出てくるわけです。

 意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)については、イザナギ黄泉醜女に投げつけた桃の神格化です。黄泉の出来事についても、以前こんな解釈してました。

イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論

 

すると意富はイブリーだけじゃなく、「旧約聖書」に登場する原初の人間「イブ」を意図してるのかと言う感じもしました。

 

 

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奇妙な灯台繋がり

 

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アレクサンドリアの大灯台 - Wikipedia

 

ちなみに意富比神社が創建された当時、海水面は4メートルほども高く、関東の内陸の奥深くまで海域は広がりを見せていました。

いま東京湾と呼ばれる海域は内海とか呼ばれ、太平洋に近い海域は走水と呼ばれてました。いまは学術的に古東京湾とか江戸湾とも呼ぶらしいです。

 

明治の頃には今と変わらぬ海水面の高さでしたが、東京湾の埋め立てはされてなかったので、意富比神社のすぐ間近に海があったらしいです。境内には明治のころに灯明台という名の灯台が建設されました。これがどうも奇妙なことに、ヘブライ人とも繋がりがあるようです。

 

古代のヘブライ人はミスルと呼ばれた古代エジプトに居住した時代が長かったのです。このエジプトのアレクサンドリアという港町には、世界の七不思議に数えられていたファロス島の大灯台が建っていました。

この2か所の灯台の特徴を比較すると、以下の通りです。

 

古代エジプトアレクサンドリア「ファロス島の大灯台 

完成:紀元前288~246頃 高さ134m 3層

 

船橋「意富比神社の灯明台」

完成:1880年 高さ約12m 3層

 

運命的な繋がりが、あったとか無かったとか。俺が取り上げた時点で両者は繋がってしまいましたが。

まァ想像でしかない話でした。

 

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イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論

前回

モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

の続きっぽい。 

 

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十の災い - Wikipedia

 

前回は「イザナギの逃走劇とは、モーセヘブライの民の逃走劇(出エジプト)に等しい」という結論を導きました。

つまり先祖の逃走があってこそ、今の世界があるということでした。「逃げるが勝ち」というのはもしかしてイザナギモーセが起源なのかもしれないなと。

人が物事から逃げると嘲笑する風潮っていうのは、勝者の理論かもしれないですが、神様は弱者の立場を応援する傾向があったわけなのでした。

それにしても日ユ同祖論とは、「英単語が漢字に置き換えられたようなもの」ではないかと。漢字化していても、調べれば中身が似たものだとわかってくるみたいな。

 

さて、イザナギの逃走劇が、モーセ率いるヘブライ人(イスラエル人)の出エジプトであるとしたら、それの前後に起きている出来事も同じで然るべきでした。

だからエジプトで起きた「十の災い」も、イザナギの描写に含まれているのではないかと。

 

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十の災い

  

災いの内容について

 

出エジプト記に記載されており、概要は以下の通り[1]。

なお、理由は定かではないがローマ時代にこれらを説明しているフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』と偽フィロンの『聖書古代誌』といった本の記述では4番目の災いに当たるものがヘブライ語の記述とも七十人訳聖書の「犬蝿」とも異なり、「様々な種類の野獣」としている[注釈 1]


1.ナイル川の水を血に変える(7:14-25)
2.蛙を放つ(8:1-15)
3.ぶよを放つ(8:16-19)[注釈 2]
4.虻を放つ(8:20-32)
5.家畜に疫病を流行らせる(9:1-7)
6.腫れ物を生じさせる(9:8-12)
7.雹を降らせる(9:13-35)
8.蝗を放つ(10:1-20)
9.暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
10.長子を皆殺しする(11章、12:29-33)

十の災い - Wikipedia

 古代エジプトモーセとアロンが、神の杖を使って見せた神業というのはこんな感じでした。魔法、魔術といわれるものですが、日本神話でも魔法的な描写はかなり多いようです。

では記紀神話に、モーセらが起こした「十の災い」が、そのまんま入ってるかと言えば、何処にも入ってませんでした。

ちゃんちゃん。おわり。

・・・しかし記紀神話からは、何か十の災いに似通った流れみたいなものは、感じ取れて来るので、まだ終わらせません。

 

 

旧約聖書の十の災いの分類

 

まずエジプトで起きた十の災いを分類してみます。十の災いは、生物の大量発生、気象現象、疫病などに大別できることがわかります。

 

・生物の大量発生系: 2蛙、3ぶよ、4虻、8蝗(いなご)

・気象現象系: 7雹、9暗闇

・病気系: 5家畜の疫病、6腫れ物

・その他: 1川の水が血に、10長子皆殺し

ということに。

目立って生物の大量発生系の神業が最も多く、とくに昆虫が3つを占めていました。気象現象や疫病も複数ありました。

その他、川の水が血になるのは、自然現象に含められるかもしれません。近頃も世界のあちこちで、水が赤くなる現象が報告されてますが、それは有害な工場排水だったり、なんらかの物質の化学反応だったり、生物由来の現象(赤潮や生物の大量死に寄る血液)だったりするわけです。

エジプトの長子だけを皆殺しにしたというのは、自然のチカラでは不可能なことですが、単純な子供が死ぬという話に置き換えれば、病気に含めて良いかも知れないです。

 

これらに似た現象が、記紀神話イザナギの黄泉下りの記述から、出てくるかどうかを探しました。

 

 

苦難

紀元前2,000年頃、エジプトにはヘブライの指導者ヨセフがいました。ヨセフの兄弟と一家は飢饉に苦しんでいましたが、実り多いエジプトへ移住することで飢饉を逃れて当初は優遇され、苦しみと無縁になりました。しかしヨセフがいなくなって数百年後、彼らは奴隷となってこき使われていました。その子孫のモーセ が、時のファラオと対立する場面は、彼らの苦難の歴史を表しました。

それに対して、イザナミが死んだ後、イザナギが黄泉の国へ追いかけて行くと、魑魅魍魎の親分と化したイザナミが。2人が出会う出来事は、イザナギにとっての苦難であり、これらを以てモーセらの苦難に対応させたのではないか考えられました。

なにしろその後、両者とも苦難の地から逃げているのだから。

 

 

生物の大量発生

記紀神話を読んでいくと、最初に昆虫の文字が登場するのは、国生みの時の「蛭児・水蛭子」ですが、これは神の名に蛭が使われているのでした。

明確に「昆虫が昆虫のままに登場する」場面は、イザナギが黄泉の世界に入ってからの場面です。

日本書紀」によれば、腐ったゾンビと化したとイザナミの体には、うじが湧いていたと書いています。これにより「生物の大量発生」が表されていました。

 

気象現象

イザナミは、八種の雷神を体にまとっていたと書いてあります。雷という気象現象で、旧約聖書の十の災いの雹が降る出来事に対応しているようです。どちらも雨雲、積乱雲など雲から発生する気象現象です。あるいは「様々な種類の野獣」とは雷神により表されているかも。

 

疫病

イザナミの肉体は腐って虫がわき、まるで疫病の患者の成れの果てみたいな姿でした。これが、十の災いの各種の疫病発生に対応していました。

 

暗闇

イザナミは、地下空間の暗闇のなかにいました。ここで十の災いの暗闇の要素に対応しています。

 

不思議な神技

モーセとアロンは、ファラオに対して、神の杖を用いて十の災いという不思議な技を見せつけました。それに対応させていると見られるのが、イザナギイザナミから逃走する時の描写です。

 蔓草の飾りを投げて葡萄に变化させ、爪櫛を投げて筍(たけのこ)に变化させ、放尿して大河に变化させたなどの魔法の数々で、ゾンビの泉津日狭女軍団から逃げ延びました。

 

 

禍事

 

ここまで読んでみて、「10個ないじゃん」と思ったかもしれないですね。

しかしここは10個とかそういう数で数える出来事じゃなく、全てを1つとして捉えたほうがいい出来事かもしれません。

エジプトの古代名としては、ミスルだとかケムトなんていう呼び名もありました。「旧約聖書」では古代エジプトを「ミツライム」と呼んでいました。

それで十の災いは、原語では「makot mitzraiym」と表記し、英語ではPlagues of Egypt(エジプトの疫病)と呼ばれています。10という数字を用いず、全ての災いを、ひとつの出来事としてひとくくりにしているからです。だから日本で言われているところの「十の災い」とはニュアンスが違うのです。

 

マコト・ミツライム(疫病 エジプト)というのは、なにか日本語的な響きだと思いました。なぜならマコトは「誠」「実」であり、ミツライムという地名も何か日本神話に似た響きを見い出せるから。美豆良、御稜威、見辛い、忌む?

マコトは濁らせればマゴトですが、これは「禍事(まがごと)」を縮めたような響きをもっています。現代人は「禍々しい」と畳語(繰り返し語)でしか使われない「禍」は、日本の古代にあっては「災い、災厄、不幸」の意味で使われました。

疫病と言えば悪性の伝染病のことで、これを古代の日本では禍事の要素に含めて、恐れられていました。

 

要するに比較してみれば、

古代エジプト語 makot(疫病=禍事)

日本語     magoto(禍事=災い、疫病)

というふうに、両者は似通った意味合いを 備えていたのですね。もしかして古代エジプト語が日本語の中に入っているんではないか、そういった仮説に関わる見方です。

とすると古代の倭人の髪型「美豆良(角髪)」というのも、ミツライムの髪型だったから美豆良と言っていておかしくない気がしました。なにしろ古代エジプトの王族や、イスラエル人は、美豆良みたいな髪型をしていたのだから。

 

 

 話の流れの一致

 

ではこれまでのまとめ。話の流れが一致しているところを、答え合わせ。

旧約聖書

日本神話

 

1ヨセフがエジプトへ行く 

1伊弉冊(イザナミ)が黄泉へ行く

 

2ヨセフの兄弟がエジプトへ行く

伊弉諾イザナギ)が黄泉へ行く

 

3両者はエジプトで出会う 

3両者は黄泉で出会う

 

イスラエル人が奴隷になる

イザナミが黄泉に囚われる

 

5十の災い(疫病や不幸)

イザナミの体の状態が疫病や不幸を表す

 

モーセと民のエジプトからの逃走

イザナギの黄泉からの逃走

 

7葦の海の奇跡

7ここでイザナギが生み出した神々の名に、葦の海の奇跡が描写されていた(前回の記事)

 

8新天地(シナイ半島)にたどり着く

8日向の檍原にたどり着き、禊ぎ祓いをする

というふうに旧約聖書のヨセフからモーセまでの物語が、イザナギの出来事に一致するのではないかと。これは日ユ同祖論的に言えば、日本神話は旧約聖書の形を変えて、取り込んでいるという話になりそうです。

しかし日本に入り込んだ他の大民族の神話や、日本列島の出来事や地名と一体化しているために、分かりづらいものに なっていると。そういった気がしています。

 

 

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モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

死ぬほど苦しくなって、もうそろそろ黄泉から醜女のお迎えが来るのかと思っていたら、あれよあれよと3週間生きてます。

ということで、黄泉言えばイザナギイザナミのことを思い出したので、ちょっと日ユ同祖論ネタで。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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The Ten Commandments (1956 film) - Wikipedia

 

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イザナギイザナミに習合された大陸神話

 

かねてより日ユ同祖論では、日本の神代の世界に、旧約聖書の世界観までもが習合されていると言われてきました。 

そこでこんな等式が成り立つのではないかと。

神世=日本列島の出来事+大陸の伝承や祖先の出来事(旧約聖書含む

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

イザナギイザナミというのは特に「イザ」の名を持つことで、イザヤのことだとかいう説があったりしました。しかし名前が似ているだけで、事績の一致は乏しかったのです。

 実際には、イザナギイザナミに習合された大陸の登場人物は、以下のような方々でした。

 

イザナミが黄泉(冥界)へと降っていく神話は、よく指摘されていますが、シュメールのイシュタル(イナンナ)の冥界下りとよく似ているのでした。

さらにイザナギが黄泉から帰還し、左目から天照大神、右目から月読命、鼻から素盞嗚命が生まれた件は、中国の道教の神である盤古の神話そっくりそのままであるし。

ほかにも大陸各地の神話が、イザナギ神話の中に組み込まれていました。たとえばカグツチから見いだせるニムロドだとか。

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

 

そしてイザナミの中には、旧約聖書の主役のひとりだった、モーセが含まれていました。その場面とは、出エジプトにつながる下りです。

 

 

出エジプトと出黄泉の流れ

 

 旧約聖書の、出エジプトの出来事は、以下の構成でした。

エジプト脱出

ヤコブ後のエジプトにおけるユダヤ人の状況(1章)
モーセの物語(2章 - 4章)
・ファラオとの交渉と十の災い(5章 - 11章)
・民のエジプト脱出と葦の海の奇跡(12章 - 15章)
シナイ山への旅(16章 - 19章)

出エジプト記 - Wikipedia

ヘブライ人(イスラエル人)はエジプトで奴隷としてこき使われて不満が鬱積しているなか、モーセが誕生。モーセはエジプトのファラオと対立し、神から授かった杖で十の災いを起こし、エジプトを脱出するときには海を真っ二つに割いて海底を進み、シナイ山へと向かうのでした。

 

一方で「古事記」や「日本書紀」のイザナギの記述を見ても、出エジプトなんかあるわけないと、そう考えてしまいますね。

 

黄泉の流れ(日本書紀

イザナギが、死んだ妻イザナミの後を追って黄泉へ入る

・黄泉のイザナミに再会すると、腐った死体だったので逃走した

・怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄泉日狭女)8人を放ってイザナギを追わせた

イザナギは不思議な力を駆使して逃走する

イザナギは黄泉平坂で出口を塞ぎ、イザナミと別れた

・穢れたと言って日向の檍原で禊祓いをした

 じっと見ていると、浮き上がってくる接点がありました。巧妙に、「日本書紀」のイザナギの記述に隠れているようでした。

 

 

十戒 (字幕版)

 

 出エジプトと出黄泉の比較

 

 

まず、ゾンビみたいな気持ち悪い黄津日狭女(よもつひさめ、古事記では黄泉醜女)が、イザナギを追った場面。

怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄津日狭女・よもつひさめ)8人を放ってイザナギを追わせた

 これが、出エジプトの時に、ファラオが軍隊を出してモーセヘブライの民を追跡した出来事と、重なり合うようでした。

しかもこの時、イザナギは、「海を渡った」ことを示唆させる魔法を使っていました。

一説では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は大樹に向って放尿された。これが大きな川となった。黄津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾尊はもう黄泉平坂につかれたともいう。

日本書紀 (上)全現代語訳p27

 ほーにょー。

 

そして、イザナギが黄泉平坂に到達して、もう一歩で地上に出るというところです。

するとここで、呪怨の伽椰子が知性を残したかのような黄泉大神(イザナミ)と、イザナギが対峙することになりました。

この時にイザナギは色んな神を生み出すのですが、この神々の名を見た時に、モーセ出エジプトの代表的なシーンが脳裏をよぎりました。

 

 黄泉でイザナギが生み出した神々

1・岐神(ふなとのかみ)・・・杖から生まれた

2・長道磐神(ながちわのかみ)・・・帯から生まれた

3・煩神(わずらいのかみ)・・・衣から生まれた

4・開囓神(あきくいのかみ)・・・猿股(褌)から生まれた

5・道敷神(ちしきのかみ)・・・履(くつ)から生まれた

6・道返大神(ちかえしのおおかみ)・・・ふさがる磐

 

これらの神の名が、モーセが起こした海が割れる奇跡に対応しているようでした。

ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ[14]。

モーセ - Wikipedia

 

 この「葦の海を渡った出来事」が、先ほどの「日本書紀」の神々の名前として集約してあったので、解読してみます。

 

(1)・まず杖から生まれた岐神により、モーセが杖を天に掲げた場面を表していました。

ここではモーセ役がイザナギで、追うファラオ軍がイザナミと黄津日狭女軍なのであります。

(2)・帯から生まれた長道磐神が、モーセの杖により、海が割れて出来た、細長い道筋を示していました。

(3)・煩神の煩いとは心を悩ませること。海に出来た長い道を見て、当然ながら人々は煩いを見せます。

(4)・モーセと民は、ぽっかりと開いた海の道に囓(食)われるように、歩き始めたので、ここで開囓神の名が出てきました。

(5)・靴から生まれた道敷神は、まさに海の道を靴で踏みしめて歩く様子でした。

(6)・道返大神は、塞がる磐。つまりモーセ一行は海の道を渡り切ると、道がふさがり、ファラオ軍は海に飲み込まれました。この出来事は黄泉日狭女 が道返大神を超えてこなかったことで示されていました。 

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というふうに、イザナギが生み出した神々の名に、モーセの海の奇跡が封印されていたようではないですか。ほーにょーの出来事と合わせて。

 

 

出来事と人物の対比

 

ということは、イザナギが向かった黄泉とはエジプトのことである可能性が高くなるようです。ここで登場する場面や人物を対比してみれば、

イザナギ・・・・・・・・モーセ

黄泉・・・・・・・・・・エジプト

敵対するイザナミ・・・・敵対するファラオ

追う黄津日狭女・・・・・追うファラオ軍

黄泉平坂・・・・・・・・葦の海

イザナギが生んだ神・・・海の割れる奇跡

 こんなふうにバッチリ対応したではないですか。

 

ではモーセとアロンが神の杖によって起こした、「十の災い」も、日本のイザナギ神話の中に存在するのでは?という点も気になってきました。

 

 その点は、まだ生きてれば次回に。

 

 

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神世七代の埿土煑尊(ういじに)と沙土煑尊(すいじに)からスフィンクスが出てきてコンニチハ。

 

何故か常にメチャクチャな状況に陥りながら生きてる俺ですが、また思いつきました。

スフィンクスが日本神話にいたかも」、という話。

奇想天外で自己満足な話ですが。これにはもう、そのへんの貞子の井戸よりずっと深い訳がありました。

 

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 狛犬という「大陸の動物」を守護にしてる日本古来の神社

 

日本の神社はほとんどが、狛犬を守護としているではありませんか。

通説で、最初期の頃の狛犬というのは、どうやら唐の時代にはあったというから、それは飛鳥時代奈良時代のころだったとか。

そういえば「古事記」「日本書紀」に、狛犬がどこにも出てこないのはおかしいとは思ってました。

現存する日本最古の狛犬というのは9世紀につくられた、教王護国寺の木造狛犬だそうです。石製の場合、東大寺南大門の石獅子が知られ、これが1196年だとか。

狛犬史における重要な狛犬たち

獅子というのは、ライオンのこと。日本はライオンが暮らしていた痕跡はどこにもないので、獅子が外来文化だったことは明らかです。

 

 日本人は昔から、高句麗のことを高麗(こま)と言ってました。

高句麗の前身だったのは濊貊(わいはく)ですが、「貊」の字は狛犬の「狛」と同じだという話。つまり高麗から入ってきたから「高麗犬、高句麗犬」というのが、本来なのかもです。

高句麗の言語は扶余と一緒で、そして倭語とも非常に似通っていたと、言葉を比較するとそのあたりも分かってくるのですが、昔から日本と高麗の関係は深かったようです。

日本語は夫余語か - たっちゃんの古代史とか

しかし高麗犬とは言えども、獅子(ライオン)は、高句麗にも存在してなかったんですよね。つまり高句麗は、狛犬の中継地点なんです。

 

しかも、狛犬というのは獅子(ライオン)に限らなかったんですね。先程登場した教王護国寺狛犬は、片方が獅子でもう片方が一角獣=ユニコーンでした。

狛犬は2匹で一対ですが、「獅子と獅子」の取り合わせな場合と、「獅子と一角獣」という取り合わせもかなり見られるんですね。

これが日ユ同祖論の、有名な1つの証拠としても取り上げられてます。

この一角獣についても、日本の神話には登場することがないし、高句麗にもともと居たという形跡もないです。

すると、獅子も一角獣も、狛犬とは中東・地中海方面の架空の動物の伝説が、極東へと流入してるのは明らかなこと、ここまではわかるかと。 

 

狛犬ってスフィンクスだったのだろうか

 

狛犬は突き詰めていくと元々スフィンクスだったのではないか、そんな仮説があります。

スフィンクスはライオンの体をしていて、四足で座って、ピラミッドを守護している存在だと言われてますね。これがそのまんま狛犬の姿になって、神社の守護となったと。

要するに同じ存在の場合、神社とピラミッドの役割が重なってる。ということは、ギザの三大ピラミッドは、お墓なんかじゃなくて神殿なわけなのですが。

狛犬 →守る →神社(神殿)

スフィンクス →守る →三大ピラミッド(神殿)

 てことになって、ピラミッドとは本来は神殿なのが確かです。

 

するとスフィンクスに、一つの疑問が沸いてきてしまいます。それは、狛犬が一対で2匹がワンセットなのだから、スフィンクスも一対で2匹並んでいたんでは?という仮説。それは考古学的な調査で分かるかもしれないですが。

実はもう一つ、狛犬スフィンクスを結びつける存在を、記紀神話から見つけました。

 

沙土煑尊がスフィンクスっぽいことの話

 

スフィンクスが、実は日本の神話に登場していたとすると、ちょっと話は変わってくるようではないですか?以前こんな記事書いてました。

原初の想像神である国常立尊は、葦牙であり三角形であり、宇宙空間に浮かび上がるピラミッド、地下構造を持つピラミッドのようなものを、示しているのだと言う話。

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国常立・国狭槌・豊斟渟の三神が記録したピラミッド構造

 

原初の神「国常立・国狭槌」の正体がピラミッド+地下構造なことは豊斟渟(クヌム神)が証明する

 調べてみると、記紀とも国常立尊の近くに、スフィンクスっぽいな、そう思わせる神さまがいました。それが 沙土煑尊(すいじに)と埿土煑尊(ういじに)。

 

誰でも気づくことですが、この神2柱は、「煮」を含みますね。

以下、「学研漢和大字典」の字解を引用してまいります。

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これは本来は「煑」と書くんですね。「者+火=煮る」というのは、昔の字体を知らなくなった現代人には想像しにくいです。 

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この煮るですが、「焚(たく)」「炙(あぶる)」と同じ系統でした。

で、「者」というのは、字解によれば焚き木のことだったんです。者も火に関係するとは知らなかったです。

ここから埿土煑尊と沙土煑尊が、スフィンクスになっていくのですが。

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「煑」を分解すると、土、老(老頭)、日、火が出てきますね。

スフィンクスとは、土(石)で出来た老人であり、太陽(日・火)の神ホルスの化身なんですよ。つまり煑の一字で、スフィンクスの特徴が現されていました。ここは序の口です。次。

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埿土煑尊と沙土煑尊っていうのは、こんなふうに泥土、土、土、砂、土、土でできているんですよ。つまり大地の要素は、スフィンクスの材質ですね、ここで現されているのが。次。

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日本書紀」のほうでは、砂土煮

古事記」のほうでは、須比智邇

と書くのですが、これ、ローマ字で書くと、スフィンクスの「スヒン」が現れてくることに気づいてしまったのですよ。偶然じゃないっぽいですよねこれ。

 

スフィンクスの異名と埿土煑尊と沙土煑尊との一致点

 

スフィンクスは、正式な名称のほか、異名もあったんですね。

一般には単に「スフィンクス」と呼ばれることも多い。現代アラビア語では「أبو الهول(Abu al-Haul)」で、「畏怖の父」の意味。発音は標準アラビア語でアブ・ル・ハウル(Abul-Haul)、エジプト方言ではアブル・ホール(Abul-Hool)となる。

ギザの大スフィンクス - Wikipedia

 

古典ギリシア語ではスピンクス(Σφίγξ, Sphinx)といい、スフィンクスとはこの英語読みである。

古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古代エジプト語シェセプ・アンク(szp 3nh, シェセプ=姿・形 アンク=再生・復活の神 「アンク神の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。ただしこの語は神あるいは王の像に対してのみ使われており、合成獣に使われた証拠はない。

スピンクスは女性名詞であり、中国語では「獅身人面像」または「獅身女面像」と訳される。

スフィンクス - Wikipedia

 ウィキペディアによれば、スフィンクスは、アブ・ル・ハウル、アブル・ホール、シェセプ・アンク説もあるとか。

これを見て、ハハア、と思いました。

埿土煑尊と沙土煑尊 の、「煑」と同系の漢字に「炙」があると書きましたが。

これ「炙=あぶる」だから。炙・ハウル、炙ホールって、言い換えて良いわけじゃないですか。

まぁココまで来ると、全部偶然じゃないと思いますが。まだあります。

 

 

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  国常立尊との位置関係で分かる埿土煑尊と沙土煑尊=スフィンクス

 

ピラミッドに対応するのが、葦牙=三角形の形をしていたと「日本書紀」書かれる国常立尊でした。

ならば、国常立尊の横にいる神さまが、スフィンクスってことですよ。だから国常立の隣りにいる、埿土煑尊と沙土煑尊とに白羽の矢が立ったわけですが。

日本書紀神世七代の順番

1 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
2 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
3 豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
4 泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)

 

 古事記神世七代の順番

1 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
2 豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
3 宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)

 こんなふうに。

いずれも国常立尊国狭槌尊豊斟渟尊という三柱セットのすぐ後に、沙土煑尊と埿土煑尊が登場するんです。

これは、古代エジプトには、ピラミッドのすぐ横にスフィンクスがいたことを示すためなのではないかと。

 図にすると、こうなる。 

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 こんなふうに、

日本    エジプト

国常立尊 ピラミッド

国狭槌尊 ピラミッド地下

豊斟渟尊 ピラミッドの所有者(クヌム神及び、クフ・クヌム王)

埿土煑尊 スフィンクス

沙土煑尊 スフィンクス(どちらかが消失)

というふうな対応になっているという想像ですが。

 

気になったところまとめ

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 他にもあったのですが、面倒なので画像でまとめてみました。

蛇形記章 - Wikipedia

 

日本人の原初に古代エジプトがある。

だからこそ、ここまで日本の原初の神のなかに、古代エジプトの要素で満たしていると思うのですが・・・。

ここまで見て、「全部偶然でした」って言ってしまうのが、保守的な歴史観な日本人だと思いますが、どうだったでしょうか。まぁいつもの暇つぶしの妄想ですので、悪しからず。

 

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原初の神「国常立・国狭槌」の正体がピラミッド+地下構造なことは豊斟渟(クヌム神)が証明する

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開(ひら)け、ゴマ(おめ)。

 

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久しぶりにサッと描いてみた。

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○いつも助かっております

 

 

 

前回の記事

国常立・国狭槌・豊斟渟の三神が記録したピラミッド構造

 

これ、信じられない、デタラメと思われたかもしれません。

国常立尊(くにとこたち)と国狭槌尊(くにのさつち)が、「どこか」のピラミッドと地下構造を現しているだなんて。

 

でもこれは信憑性があるんではないかと思うわけですが。そのピラミッドがエジプトに今あるものなのか、それとも別の場所にあったものかは、別の話なのですが・・・。

ともかくこれからの話によって、国常立・国狭槌・豊斟渟(とよくむぬ)の三柱の神が、原初の創造神であったこと、これが分かってくる予定です。

ちなみに俺はイルミとか新興宗教みたいな、そういう関係ではないですが、日本史を調べていくと、何故だか結果的にアッチにつながってしまいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 豊斟渟とは何の神か

 

 「日本書紀」を読むと豊斟渟は意外と記述が多いです。それはどうしてかと言えば、別名がやたら多いから。

 

古事記』では、神代七代の二番目、国之常立神の次に化生したとしている。国之常立神と同じく独神であり、すぐに身を隠したとある。

日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。

日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。

第一の一書では、国常立尊国狭槌尊の次の三番目に化生した神を豊国主尊(とよくにぬしのみこと)とし、別名がして豊組野尊(とよくむののみこと)、豊香節野尊(とよかぶののみこと)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)、豊国野尊(とよくにののみこと)、豊齧野尊(とよかぶののみこと)、葉木国野尊(はこくにののみこと)、見野尊(みののみこと)であると記している。「豊」がつく名前が多く、豊雲野神豊斟渟尊と同一神格と考えられている。第二から第六の一書には、同一神とみられる神名は登場しない。

トヨクモノ - Wikipedia

古事記

豊雲野神

 

日本書紀本文

1・豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

一書の別名

2・豊国主尊(とよくにぬしのみこと)

3・豊組野尊(とよくむののみこと)

4・豊香節野尊(とよかぶののみこと)

5・浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)

6・豊国野尊(とよくにののみこと)

7・豊齧野尊(とよかぶののみこと)

8・葉木国野尊(はこくにののみこと)

9・見野尊(みののみこと)

 

雲の1字を重視するなら、この神は雲神というわけです。しかし「日本書紀」の別名の中には雲を使った名が1つだけしかなかったりします。従って雲神という従来の認識は、何だか可怪しいとしか思えません。

それに国常立は原初の神、国狭槌は槌の神、豊斟渟は雲の神という三者三様で関連性の無い並び方は、何か不自然に感じます。実際神世七代は建設者的な神ばかりが集まっているのに比べてみれば、そう思ってしまいます。

神世七代の正体は「建設者」だった1

神世七代の正体は「建設者」だった2

 

重要なのはクムヌ、クモノという音、それに漢字の意味です。

 くも 空気中の水分が細かい粒となり、もやもやとまとって宙に浮かんでいるもの。

解字:云は、たちのぼる湯気が一印につかえて、もやもやとこもった姿を描いた象形文字。雲は「雨+音符云」の会意兼形声文字で、もやもやとたちこめた水蒸気。魂と同系のことば。

 

 くむ、くみとる、分量を量りながら汲む

解字:甚は甘(うまい)+匹(女色)の会意文字で、食と女とに

深入りすることを示す。斟は斗(ひしゃく)+音符(甚)の会意形声文字で、深さや分量を量りながら汲むこと

 

 とどまる 

ひと所に水がじっととまって流れない「渟水」とどめる

 以上「学研漢和大字典」より。

 

「組(くみ)」は水を汲むに通じ、

「香節(かぶ)」は水に「浮かぶ」に通じ、

「浮」はそのまんま水に浮くこと、

葉木」は水がなければ存在できない樹木や葉っぱのこと、

「見野」は水・沼に通じます。

 

というふうに、豊斟渟は、全体的に水に関係していることがわかります。だから雲の神というより、水に関係している神と捉えられるのですよ。

豊齧野尊の「齧」については水には無関係ですが、ある理由から重要性が高いと思われるので、後に登場した時に大注目です。「浮経野」についても。

ではこれらの情報を踏まえて進みます。

 

 

 

エジプトのクヌム神と名前と神格が同一な不思議

 

エジプトにはラーよりも古くから信仰される、クヌムという創造神がいました。

クヌム神は大筋でいうと、以下のような神さまです。

 

クヌム(Khnum, Knum, Chnum, Khunemu)は、古代エジプトから伝えられている創造神の一人。 ナイル川を司る神ともされ、その起源はエジプト神話のラーよりも古いとされる。フヌムとも呼ばれる。

クヌム信仰ではこの神だけが創造神で[要出典]、粘土を捏ねて他の神々や人間などの万物を作り上げたとされる。 また、エレファンティネ(現在のアスワン)の守護神で、そこより南方から来る洪水の管理をしているという。 ナイルの水源には普段、結界が張られており、水位が抑えられているのだが、クヌム神がその結界を破ることによって水が溢れ出し、増水が発生すると信じられていた。 クヌムは人間を創造した神とされ、多産をつかさどるヘケトの配偶者とも言われる。

大ピラミッド建造で知られるクフ王の名前は、クヌム・クフウイ(クフム神は我を守りたまうという意味)である。

主に羊の頭をした人の姿で表される。この羊は角が水平に伸びる種で中王国時代には絶滅してしまっている。

参考文献
ステファヌ・ロッシーニ他『エジプトの神々辞典』矢島文夫・吉田春美訳、河出書房新社(1997年)

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クヌム - Wikipedia

 まあここで、わかったと思いますが。豊斟渟とクヌムの名がにていることが。

まぁ指摘している方もいましたが、国常立・国狭槌・豊斟渟の3点セットがクヌムに関係しているとは思わなかったでしょう。

豊を除いて、名前がにているものを取り上げてみると。

クヌム Khnum Knum Chnum Khunemu Hunum

斟渟 kumu nu

雲野 kumo no

国主 kuni nushi

組野 kumi no

 

クヌムがクムヌになってるのだから、ほとんど大差ない様子。

クムヌクムヌクムヌクムヌクムヌクムヌクヌムクムヌクムヌ

 ↑さてこの中で、クヌムはどこにいるでしょう?紛れてわかりませんね。

 

別の発音で記録が多いのも一致していました。まぁ名前が似てるだけ、それだったら偶然ですね。

でも名前だけじゃなく神さまとしての性格も似た感じがするのです。

・・・その前に気になるのは、クフ王との関係。

 

 

 大ピラミッドの主と言われるクフ王はクヌムの名を持つ

 

ギザの大ピラミッドを作った人はクフ王、そんなふうに習った時代がありました。

クフ王がどうして大ピラミッドの主かと言われるのかは、アラブ人の話が元になっていました。

アラブの伝承の中のクフ

642年、アラブ人がエジプトを征服し、ギーザのピラミッド群に到着すると、彼らも誰がこれを建造したのかという説明を求めた。この時期までにエジプトの住民は誰も古代エジプト語を話せなくなっており、エジプトのヒエログリフを翻訳することができる人間もいなくなっていた。結果、アラブの歴史家達は自分達の説と物語を用意した[13][55]。

クフと彼のピラミッドについて最も良く知られた話は、1430年にムハンマド・アル=マクリーズィー(1364-1442)によって書かれた『街区と遺跡の叙述による警告と省察の書』(Hitat 正式名はal-Mawāʿiẓ wa-’l-iʿtibār fī ḏikr al-ḫiṭaṭ wa-’l-ʾāṯār)に見られるものである。この本はクフについて集められたいくつかの説と神話、特に大ピラミッドについての物が載せられている。クフ自身については滅多に言及しないが、多くのアラブの作家達は大ピラミッド(及び他の物も)はヘルメス神(アラブ名:イドリース、Idris)によって建てられたと確信していた[13][55]。

アル=マクリーズィーは、クフを聖書のアマレク人からとって、サウリド(Saurid)、サルーク(Salhuk)、またはサルジャク(Sarjak)と名付けている。そしてアル=マクリーズィーは、クフは悪夢を繰り返し見た後、ピラミッドを建てたと書いている。悪夢の中で大地は逆さまになって星が堕ち、人々は恐怖で泣き叫んでいた。別の悪夢は、天国から星が堕ちて人々を攫い、二つの巨大な山の麓に連れて行く光景を見せた。クフは、預言者達から大洪水が来てエジプトを破壊するという警告を受け、彼の財宝と知恵の書物を守るために三つのピラミッドをギーザに建てたという[13][55]。

クフ - Wikipedia

ここ十数年の考古学や歴史学によると、今のギザの大ピラミッドは、どうもクフ王が作ったわけでもなく、クフ王の遺骨が見つかったわけでもないし、単なるお墓じゃないという認識が強まっているとか。

まぁ表向き、発掘や探索がぜんぜん進まない、というか発表されないのは変なことですね。

しかし、エジプトの大ピラミッドとクフ王の関係を、完全に否定するのは早いんですけどね。何しろ古代エジプトに居た頃の天皇家の記録を残している「日本書紀」からは、大ピラミッドとクフ王を関連付けているような、そんな情報が出てきてしまったのだから。

 

 

日本のクムヌ神(豊斟渟)とエジプトのクヌム神との一致点

 

エジプトは、古代からエジプトと呼ばれたんじゃありませんでした。

紀元前後にはアイギュプトスであり、ミスルであり、それ以前の大ピラミッドの時代にはケムト、ケメトなんて呼ばれました。

エジプトを漢字変換すると「埃及」で「ホコリが及ぶ」で、まさに砂漠だから砂埃の舞い踊る国を現しているようです。

不思議なのはケムトを日本語解釈すれば「煙た」の「ケムリ」になってホコリとケムリだから、どっちも埃っぽい煙たい感じの関係性を持つこと。運命的なものが感じられました。それはさて置き。

 

豊斟渟尊とクムヌ神を比較すると次のようになります。

1 名前    豊斟渟(クムヌ) クヌム

2 国名    倭        エジプト

3 属性    水        水

4 順位    原初       原初

5 「クフ王」 齧(クフ/古訓)  クフ・クヌム

6 ピラミッド 国常立尊(△)  クフ王の大ピラミッド

7 地下構造  国狭槌尊( □)  大ピラミッドの地下構造

8 「3」   原初の3柱の神  原初の頃の3大ピラミッド

9 羊     豊は「羊羊」   羊頭の神

 上記の1、2、3、4については既述。

 

5「クフ王」 

エジプトのクヌム神が、クフ王の名の中に含まれ「クフ・クヌム」とあるから、クヌム神自体がギザのクフ王の大ピラミッドに関連付けられている、これは明らかです。

では倭の豊斟渟(クムヌ)のほうはどうかといえば、 「日本書紀」一書の豊斟渟の別名に「豊齧野尊(とよかぶののみこと)」が含まれていることがわかりますが、これが実はクフの名を残した名称だったようなのです。

「齧」これは「かぶ」でこの読みから濁点を抜けばクフに似てる(齧=かふ=kaf・クフ=khuf)わけなのです。しかも齧の古訓が「クフ」だったので、無関係というほうが可怪しいなと、自分的にはそう感じました。

 

6、7、についても上記の通り。

 

8「3」

倭の豊斟渟(クムヌ)は、「国常立尊国狭槌尊、豊斟渟」という3柱あわせて1つの存在なのです。「イーグル・シャーク・パンサー」の3体合わせて太陽戦隊サンバルカンみたいな話。

一方でエジプトのクヌム神ですが、ギザのクフ王に関連付けがされてるわけなので、ギザの三大ピラミッドの「3」で一致していました。

先程のアラブの伝承によると、「ギザの三大ピラミッドは知識を保存するために、全てクフ王(クフ・クヌム)が建てた」ことになってました。これは咄嗟に出たデタラメと言われているのですが、もしかするとギザの三大ピラミッドは「クヌムが造った」という話が根底にあったのかもしれません。

 ということは、ここでやっぱりクヌム神とは、知識の書=エメラルド・タブレットを隠すために大ピラミッドを建造したと言われている、ヘルメスやエノクと同一人物なのではないか?クヌムとクフは混同されて、ピラミッドはクフ王の墓と呼ばれたのではないか?クフ王はエメラルド・タブレットの秘密を全て見たのでは?という疑問が湧いてくるのですが。

この点まとめているブログが以下。

「ヘルメス思想」の謎

 『エメラルド・タブレット』によれば、“上なるものは下なるものに一致し、下なるものは上なるものに対応する”

「ヘルメス思想」の謎より

エメラルド・タブレット=知識の書については、またなんか湧いてくるものがあるので、記事にする機会がありそうですが。 

 

 最後、

 9 羊

 ひつじはシープ、メ~と鳴く動物で、古墳時代以前の日本にはいなかったそうです。クヌム神は羊の顔をしている、では豊斟渟(クムヌ)はどうか?と調べてみても、当初は豊斟渟(クムヌ)から羊の情報をまったく見つけられませんでした。

困ったときの漢字字典というわけで、「学研漢和大字典」を引いてみました。それで豊斟渟から、羊を見つけたときには驚きました。。

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豊の字は、篆書体(紀元前の戦国~秦代)では、「羊羊」の形状を含んでいたのですね。

 

これで豊斟渟(クムヌ)とクヌム神の一致点は全て取り上げました。国常立・国狭槌・豊斟渟の三柱が、なぜかエジプトのピラミッドに関係している、それはわかったのではないかと思います。

しかし国常立・国狭槌・豊斟渟という神々に隠されている真相は、ここに見せているのは一部だけであって、これだけでは留まらないのですけどね。

とりあえず長くなったので、今回はココまで。

 

まぁ想像するのは自由なのです。

 

 

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国常立・国狭槌・豊斟渟の三神が記録したピラミッド構造

 

このブログ、早いもので7年も続けました。

7年も続いたことは、飽きっぽい何も継続できない自分にはスゴイことなんですよね。

そう言えば最近はますます、俺を後押しする勢力より、俺を落とそうとする勢力のほうが勢いが良いみたいですね。

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以前に書いたピラミッドの記事。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

 

 国常立の続きを、今度書こうと思ってたら、随分時間が経過してしまいました。

 では、日本神話の原初の神の秘密の一部をちょっとだけみてみよう。

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これは俺がたまに読んでる「日本書紀1」(岩波文庫)の最初のほう。f:id:kl117cr233:20171229215744j:plain

 「日本書紀」では原初の神を国常立尊国狭槌尊豊斟渟尊の三柱としており、「古事記」が原初の三柱とする天之御中主神高御産巣日神神産巣日神とは、全く異なるのです。

 

○いつも助かっております

 

 

国常立の正体

 

日本書紀」は原初の太陽系が、細かい岩石とガスが交じって回転していた状態を現し、重い物同士が合わさって惑星を形作ったようなことを書いているようです。そして原初の地球が完成した直後にまず最初にあったのが、国常立尊であると言っています。

ここに登場する国常立尊については、男神と言っているけれど、なにか怪しいことが書いてあります。

国常立尊は「状(かたち)葦牙(あしかび)の如し」なので、葦の芽、犬の牙のようにとんがっていると、昔の人はそう記録していたんですね。

△←これ人間じゃないですが、男神と言って後に人間扱いをしたのです。

そこで国常立尊が何故葦牙なのか、どんな葦牙なのかを調べていくと、こうなるのです。

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 大本神論では「国常立尊がこの度に世の立て替えを行う艮の金神である」と、そういうふうなことが書いてあります。

国常立の「常」の字を「学研漢和大字典」で調べると、「布に日月のマークを描いた天子の旗印」とあるから、その後の岡本天明が神降ろしで記した「日月神示」につながっていくのは必然だったようです。

「立」の甲骨文字をみても結局ロケットのような△であり、「日本書紀」が言っている国常立は葦牙という話は、「立」の一字に集約されるが如しです。

さてこれらの国・常・立の要素を組み合わせると、以下のような形状が現れてくるのですよ。

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右か左か両方か、とにかく国常立尊の正体はこんなピラミッドであり、人型にも変身することができる、そう解釈できそうですが。

 

 

国狭槌(くにのさつち)の正体

 

国常立尊の次に登場するのが、国狭槌尊でした。この神は2番めの神なのに、極めて存在感が希薄です。まるで最初に出てから完全に姿を消しています。

それもそのはず、この神はそもそも表に立たない、本来は秘密のベールで隠蔽されている存在でした。このたびベールを剥がしてしまいましょう。

日本書紀」に書いてある文字を解釈してみると、以下のようになります。

f:id:kl117cr233:20171229223524j:plain

 国狭槌尊は、四角を横から挟み込んでいるので、真ん中が狭まっているんですね。大きい人を小さい人が両側から挟み込むという解釈もあるので、これだと三柱の神を表すようでもありました。

 

国常立尊国狭槌尊をあわせると

 

原初の三柱の神は、三位一体なんですね。だから、組み合わせる必要があるのです。

とりあえず、三番目の豊斟渟は後回しにして、最初の国常立尊国狭槌尊を単純に組み合わせます。すると

f:id:kl117cr233:20171229225745j:plain 

こんな形が出てきます。

これって、なんか金みたいです。金字塔とは昔ピラミッドのことを指して名付けられたそうですが。国常立がなぜ「艮の金神」なのかの答えも、ここに関連づいてしまったようで、偶然なのか何なのか。

上半分が、現代人が良く知るエジプトのピラミッドだとして、下の部分は誰も知らないんじゃないかと。

と思いきや、「なんだ、やっぱアメリカは何でも知ってるんだな」という考えが葦牙の如く湧いてくるのですが。それに以前ブログに書いてましたし。

 

 

ピラミッドとの比較

 

以前にこんな記事書いてました。

エジプトの大ピラミッドの地下構造は既に超最深部まで調査されている

 

 ここにある図と比較すると、国常立・国狭槌が、実際にある地下構造なんじゃないか、そんな気がしてきますが。f:id:kl117cr233:20171229230551g:plain

 Alien Explorations: Zecharia Sitchin's Space Rocketfrom an Egyptian Tombにある画像。

まさに国常立+国狭槌や、金字塔の構造ではないですか。布(スカート)が覆いかぶさっているのは、国常立の下の国狭槌の部分でしたね。

あとそうすると、アメリカのこれですね。

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アメリカ合衆国ドル - Wikipedia

 

ピラミッドの下にある、台座がいったい何なのかというのは、何だかわからなかったけれど、この記事を見れば、

アメリカの1ドル紙幣には国常立尊国狭槌尊の関係が、そのまんま描いてある」

事がわかるじゃないですか。

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日本神話はココまで書いていたんだ、そう思うと何だかドキドキします。

つまり「日本書紀」は宇宙の創生から地球誕生、最初の神的な存在だったピラミッドのことも書いてたわけですが。しかしこの「日本書紀」の国常立尊国狭槌尊が、「エジプトにあったのか」や「今のエジプトのピラミッドと同じものか」どうかは話が別なんですけどね。何しろ空中を移動する神なわけなので。

 

で、今回の妄想はここまでにして、次回は3番目の「豊斟渟尊」の正体が、とんでもない奴でした、という話をします。

 

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そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

日本では、小型犬はかわいい、大型犬は怖い。

韓国なら、犬は美味しい・・・「溺れた犬は棒で叩け」(韓国のことわざ?)

 

それはさておき、犬は干支で書けば戌であり、これは「滅」のことだとわかったのが前回でした。

2018年の戌(いぬ)の意味は「滅」だそうな - たっちゃんの古代史とか

 

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犬の語源はエヌなのか

 

犬を使った狩猟の風景は弥生時代の銅鐸にも描かれているので、当時から猟犬として使われていたらしいです。だから犬を「回し者」といって、スパイとしての意味があるのも、おそらく古代からの言い表し方かもしれませんが。

犬は日本の古語で「エヌ」らしいです。エヌがイヌになったのだから、べつに大して変わってないです。

沖縄で犬は「イン」らしいですが、これはエヌがイヌになってインに転訛したってことですかね。それともインが本来の大和言葉の呼び名に近いのか。

アイヌ語では犬は「セタ」だそうで、これは何か、エジプト風味が出てきたなと、思ってしまったわけですが・・・。

朝鮮語は日本語と共通する言葉が多いですが、犬は「ケ(ゲ)」だそうで、これは漢字の犬(ケン)の発音そのままを使っているようですね。

 

 

外国語と共通するのは何故か

 

 ウィキペディアによれば、南米先住民のアイマラ語で犬は「Anu(アヌ)」というので、明らかに日本語と関係してますね。

そもそも南米先住民はモンゴロイドなので、彼らが縄文・弥生の末裔でもおかしくないのですが。

ルーマニア語では犬のことを「 Câine」と言うらしいですが、「Caine」は「カイネ」と読んでいいなら、日本語の「飼い犬」にも似てますよね。

古代の大和言葉で飼い犬と言ってたのかもしれません。「ine」だけでもイヌっぽいし。

何しろルーマニアあたりの東欧は、日本と共通した神話・伝承がいろいろあるのです。言語も似通ったものが多数見つかるわけだし。この点は以前の記事でも書いていました。

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

日本の鬼・ナマハゲと欧州の怪物との繋がり

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

こんな関連記事がありました。

と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。

 

 

古代に「唸り」は犬のことだったか

 

もう一つ気づいたことがありました。

よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。

実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛してイヌルになったのがイヌの語源という説。

そうすると、もしかすると「唸り」がかつては犬を表す言葉だったかもしれませんよね。

 

 

エジプトのアヌビス神がイヌになったのか

 

ここまでエジプト風味が2回登場してきました。

1回目 アイヌ語でイヌはセタ

2回目 日本語の古語でイヌはエヌ

 

実は、もうはっきり言うと、日本語とアイヌ語の犬は、エジプト由来そのまんまかもしれない、という感じはしています。 

 

まずアイヌのセタですが、これはセト神のことです。

セトは太陽神ラーの子、または大地神ゲブの子。オシリスの弟。
ジャッカル、犬、ツチブタなども、セトを表す時に使われる動物だとか。

セト

砂漠と異邦の神であり、キャラバンの守り神である一方で、砂嵐を引き起こしているのも彼であるとされている。神話体系内でもっとも共通する添え名は『偉大なる強さ』。荒々しさ、敵対、悪、戦争、嵐、外国の土地などをも象徴している。ピラミッド文書の一つには、ファラオの強さはセトの強さであるとの記述がある。ヒクソスがエジプトを支配すると、嵐の神であることからウガリット神話のバアルとも同一視され、アスタルトおよびアナトが妻であるともされた。サハラの民に信仰された神アシュ(Ash)とも関連がある。

セト - Wikipedia

セタは犬で、セトも犬なんですよね。これは無視できないなと。

 

つぎにイヌ、エヌですが、これもエジプト風味です。

アヌビス

Anubis, エジプト語ラテン文字転写:inpu, 古代ギリシア語: Ἄνουβις (Ánūbis))はエジプト神話に登場する冥界の神で、リコポリスの守護神。「聖地の主人」(nb-ta-djsr)、「自らの山に居る者」(tpi-dju=f)、「ミイラを布で包む者」(imiut)などの異名を持つ。

エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていた神でミイラづくりの神であり、犬またはジャッカルの頭部を持つ半獣もしくはジャッカルそのものの姿で描かれた。これは古代エジプトにおいて、墓場の周囲を徘徊する犬またはジャッカルの様子を死者を守ってくれているのだと考えられたからである。また、そもそもアヌビスはセトのモデルとなった動物と同じく、ジャッカルや犬と似てはいるが現在は絶滅してしまった別のイヌ科の動物や想像上の動物がモデルであるとする説もある。その身体はミイラ製造時に防腐処理のために遺体にタールを塗りこみ黒くなるのに関連して真っ黒だった。

 

日本で犬はイヌ、エヌ

沖縄で犬はイン

古代エジプトで犬はアヌビス

ラテン語でアヌビスはインプ

 

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こういうことかと。

 

 

犬が霊魂を導くアジアの神話もエジプト起源だったか

 

古来より、遊牧騎馬民族の闊歩した蒙古や中央アジアでは、犬が霊魂を導くという話がまことしやかでした。犬が冥界と現世を繋ぐみたいなことですが、この話の起源もエジプトだったのではと思わせます。 

 

アヌビスはミイラを布で包み、人の魂を冥界へ運ぶ神なんです。

セトが持っている杖は、アヌビスの頭とも言われているので、セトも冥界を行き来できる存在じゃないですか。

先日書いた戌の記事ですが、戌は「滅び」がコンセプトな動物でしたので、人間の死、霊魂、冥界に関係するのは明らかでした。

あとは「日本書紀」で日本武尊が白犬(狼)に導かれる話もありましたが、あれも霊魂を導く話であるようですね。あのあと日本武尊は死へ向かって行く展開だったわけなので。

 

こうしてエジプト→ユーラシア→日本の犬は、全て死者・霊魂・冥界に繋がることがわかるのでした。犬はかわいいだけじゃなかったのです。

戌年とは、「アヌビス年」と言い換えてもおかしくない感じがします。

 

 

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福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

何ということでしょう。毎日の膨大なストレスで、若干ハゲが加速してきました。

 

さて、前回の記事は鳥取県だったんですが、今回は福岡県の古墳から、古代地図を引き出して見たいと思います。

 

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○いつも助かっております

 

 

ちんしきつか

 

屋形古墳群

珍敷塚古墳、原古墳、鳥船塚古墳、古畑古墳の4基の円墳で構成される。現在、墳丘が残っているのは、古畑古墳と原古墳のみである。昭和61年(1986年)2月25日に国の史跡となった。

珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)

奥壁と壁の腰石のみが残り、墳丘は古い時代に破壊されたと考えられる。壁画には点と線を多様に使った絵が書かれている。

屋形古墳群 - Wikipedia

 最初は誰でも「ちんしきつか」と読んでしまうのが通過儀礼らしき珍敷塚古墳。ちんしきちんしき・・・とリズミカルに何度か口ずさんでいると、シーチキンになってきました。この古墳の年代は、古墳時代後期(6世紀)だとか。

何が一体珍しいのかというと、古墳石室の壁画です。

 

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3時間くらいかけて描いた、壁画の写し。

 

これに何が描かれているのか、一般的な解釈を捉えてみたら、こんな感じ。

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左から、太陽、船をこぐ人、烏(からす)、靫(ゆき)、靫、靫、蕨(わらび)、蛇、兵、盾、蛙、猪、太陽、烏、船着場

一般的にはこんな解釈がされています。

 

これはこの古墳被葬者にとって、思い入れの深いもの、動物、何らかの物語を描いたと言われています。いずれにしても昔の倭人が、倭の筑紫(福岡)あたりの思い出の光景を描いた、そういう認識が一般的。

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ところで、一番左側のここについては、別の解釈があります。

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エジプト考古学の吉村教授が、珍敷塚古墳の壁画は、エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画と全く同じテーマで描かれていると述べています。

『ファラオと死者の書古代エジプト人の死生観 (小学館ライブラリー1994/05)吉村作治

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 『ファラオと死者の書』 吉村 作治 | 考えるための書評集 より

 

確かに全く同じように太陽、船、右側の舳先の鳥という題材がすべて揃っているわけなので、納得できるところはあります。

 

じゃあ、

「珍敷塚古墳の左端は、エジプトなんだ」

と考えて、壁画を見ていったらどうですかね。ここからは珍敷塚古墳の左の船と太陽の部分はエジプトだという前提で話をススメます。

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珍敷塚古墳の壁画で気になるのは、登場する人や動物の進行方向が、全部足並みを揃えて右向きという点にもあります。進行方向を矢印で示してみました。

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こんな風に。船の人、船の烏、船の方向、蛇、兵、蛙、猪、船着き場の烏・・・すべてが右向きなんですよね。

左側の太陽と船の位置を出発地として、船着場のある場所が到着地であると考えていけば、壁画全体で何を表しているかは朧気に見えてきました。

 

つまり壁画の中で、太陽の船のある場所はエジプトです。

壁画の一番右側が到着した土地であり、現在の珍敷塚古墳の位置であるということ。

途中の靫(ゆき)は、ユーラシア大陸の途中の中継地点、国を起こしたのか、とどまったのかということです。弓矢や点々が、国に満ちた人の数を表しているでしょうね。

全ての人や動物が、右方向を向いているということは、左のエジプトが「西」であり、右の船着き場の到着地が「東」で、船着き場は倭の筑紫(福岡)の珍敷塚古墳のあたりなことを、意味していると読み取れますね。

 

前回は

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

で、壁画のイクトゥスから古代天皇家大和民族が中東から移住してきた、そんな結果を読み取れました。

今回のこの壁画も「珍敷塚古墳に葬られた倭人(の先祖)の移動を示しているユーラシア大陸の地図だ」っていうことが、なんとなく見えてくるわけなんですよ。

では1つ1つの要素を細かく見て行っちゃいます。

 

・蛇

蛇というのは古来から世界中で信仰対象となっていた動物でした。古代エジプトでは、ハヤブサの頭部を持って、図上に太陽円盤を乗せた太陽神ラー。太陽円盤を取り巻くのは蛇なのであり、蛇とは古代エジプトでは太陽と権威の象徴たる動物で、ファラオは王冠にヘビの頭のウラエウス(蛇型記章)を取り付けていました。

 蛇形記章 - Wikipedia

 日本のイザナギイザナミは元々は蛇神だったのではないかという説があり。ナガとは蛇であり、ナミとはギザギザの波形(~~~~)だし、ミは巳ということで蛇を表しています。原初には天の沼矛をかき回し、天御柱の周囲を回転する様子があって、これらがギリシャの2匹の蛇がからまった蛇ケリュケイオン、シュメールのニンギシュジッダ、中国の伏儀・女媧と共通するモチーフでもあるのですよね。

参考記事

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

 ということで蛇神信仰は、西のエジプトから、東の倭へ到達している可能性は、この壁画から見えるかもしれないことです。蛇の進行方向は西のエジプトから、東の倭となっているわけなので。

そういえばこんな記事も

・極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件

 

 ・靫

弓矢を入れて背負う、ランドセルやリュックサックみたいな道具、それが靫。ゆぎ、うつぼ、箙(えびら)、矢筒(やぐない)ともいうとか。

壁画の中では3つの靫があって、東へと進むにしたがって靫の大きさも弓矢の数も点々の数も増しているようです。これは東へ進むごとに、エジプトから出発した勢力が増していったことを意味するでしょう。

エジプトから出発した民というと、やっぱりモーセ出エジプトをした、古代イスラエルの民ってことなんじゃないかと。だから珍敷塚古墳の一族の先祖はやっぱりアッチ系なんじゃないかと思ったりしますが。

靫の形状は何故か漢字の「月」形をしているのは、「月氏の土地を通った」ことを表しているようです。月氏は大陸の中央から漢の近くにまで、進出していました。

中央アジアバクトリア(のちの大月氏の地)、タリム盆地の西域諸国(歴史的に月氏の地)、甘粛省青海省土地(のちの小月氏の地)を経ていることが、壁画の靫=月で表されてるのではないかと。

そういえば思い出した。

 

日本の奈良県と、神武東征記録に月氏系の地名や人物名が、とにかく多いことについての記事はこちら。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

 ・蕨

蕨は縄文時代からある植物で、倭人アイヌの絵柄にもよく使われています。蕨文、蕨手文と言われます。これは倭固有ではなくて、エジプトや中央アジアでも古くから用いられたデザインで、蕨文の模様は古代から世界共通だったのですよ。

で、この壁画に描かれているのは、実際には蕨じゃなくて、中央アジアの国を表すものかもしれません。

渦はウズで突厥烏孫を呼んだ音が「ウズ」だったので、2つのウズがあることは、2つの烏孫を表していますね。烏孫は歴史上で、少月氏の土地に難兜靡が建てた烏孫が最初にあって、後にキルギスのイシク・クルのほとりに昆莫が烏孫を建てたということで、2つの渦がここで表されているのがひとつ。

もうひとつは、この蕨手文みたいな地形が、中央アジアに実在することから、正体が見えてくるのではないかと。これについてはまた今度。

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それで、出た結論がこれ。 

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(1)まずセン・ネジェムの壁画によって、珍敷塚古墳の被葬者の部族が、古代エジプトから出てきた(モーセ率いる古代イスラエル人の「出エジプト」の出来事?)ことをあらわしている。

(2)全ての人や動物を右向きにすることで、西のエジプトが出発地点であり、東へ向かったことを意味している。 

(3)月の形をした靫により、月氏の領域=中央アジアに拠点を持ったことをあらわしている。

(4)渦によって烏孫(ウズ)をあらわしている。また蕨文の形状は中央アジアタリム盆地天山山脈、バルハシ湖の領域を表している。

(5)蛇は長い道のり。

(6)盾はトンであり、中国の唐(トン)と同じ。だから中国大陸を渡ってきたことを示している。またはトルコ系の遊牧民で、極東まで到達したタタルが倭まで来ているから、それを表している。盾の古語は「たた」なので、タタルを表すのに丁度よい。

(7)蛙は、中国に「月に蛙がいる」との神話があり、中国を通ったことを意味する。または扶余の金蛙王のことで、蛙は水棲だから海を泳いで渡ってきたことを意味する。

(8)猪は「いぬしし」で、倭の最初の国「委奴国」(いぬ国)に到着したことを示す。

(9)輪(◎)により「倭」をあらわしている。

(10)八咫烏が出発地点から船人の道案内をし、到着地である倭の船着き場にもいることで、はるかエジプトから渡ってきた民であることを表している。個人で渡ってきたというより、先祖代々を経ての記憶を描いているのだとおもう。

(11)セン・ネジェムの古墳の年代は、ラムセス2世(紀元前1314頃 - 紀元前1224年)の頃。月氏は紀元前3世紀から西暦1世紀。烏孫は紀元前2世紀から西暦5世紀。扶余は紀元前2世紀から西暦5世紀。委奴国は西暦1世紀。珍敷塚古墳は6世紀。

 

月氏烏孫、扶余、委奴国と通ってきたとすると、紀元前5世紀~西暦1世紀頃の移住で、やはり居住期間に、かなり世代を重ねているのでは。

 

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というふうに、珍敷塚古墳の壁画から、色々な情報を読取ることができたわけなんです。

重要なのは、この珍敷塚古墳と全く同じテーマの壁画が、他にも複数存在しているということ。倭人のかなり多くがエジプト方面から端を発し、中央アジアを経て来ていることを、表していますね。

どうして古代エジプトのセン・ネジェム古墳の壁画を、左端に描いたのかの理由が分かってくるではないですか。壁画の真ん中と右側を、見るべきだったのであると。考古学の先生も、この壁画全体を見直してほしいですね。

 

遺伝子として残っていないのは、東アジアでの交配が、かなり進んだからということなのですね。あるいはよく言われるように、Y染色体のD系というのが中東系の遺伝子であるから、いま「縄文人の遺伝子」といわれているものが、実は「紀元前5世紀から弥生時代末期・古墳時代にかけて移住してきた倭人モーセ古代イスラエル人→烏孫人・月氏人)の遺伝子」なんじゃないですかね。

とすると何で、弥生時代の大陸奥地から渡って来た遺伝子が、縄文時代に大陸から渡ってきた遺伝子だという風に言われているのか?という疑問が出てきてしまいますが。

まあ低学歴の仮説ですけど。

 

この記事と完全に整合する内容の記事を、先日書いてた。

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

こちらも合わせて読むと理解が早いです。

 

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古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

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古代天皇大和民族大陸移動について。

 

 天皇皇后両陛下、大和民族の皆様、こんにちは。

わたくし、身辺に異変が起き始めた10代の頃から、古代史の仮説を考え始めました。日ユ同祖論に関連する本をいろいろ読んだのが、きっかけだったでしょうか。

今回は古代天皇大和民族大陸移動についての、一大妄想のまとめです。総集編なので、リンクが多いです。

これは個人的に考えた仮説であって、現在通説の「天皇家は日本列島で生まれてずっと日本列島の支配者である」との話とは、違うものになっていますのでお気をつけください。 

 

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○いつも助かっております

 

 

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 天皇家の起源。それは遥か古代、はるかかなたの土地、シュメールに遡る。

まず日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。

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 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

 

 

A・中東での始まり

シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国ユダ王国アッシリア

概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書アブラハム~ヨセフ~モーセダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。

 

アメ

天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、昔の天皇も「阿毎(アメ」を名乗っていました。現代の日本史研究家は、「天の神だからアメ」と答えます。

実はこれは、シュメールの原初の神「アンシャル(天の中心)」「アヌ(天)」「アヌンナキ(天の多くの神々)」などの「天」のことだった。

日本神話の現初神天之御中主神とは「天の中心の神」であるが、これは「ゴッド・オブ・アンシャル(天の中心の神)」を単純に日本語に訳しただけに過ぎないんですね。

そういえば、古事記の原文を読むと、「神名天之御中主神」となっているので、これは「シュメー天之御中主神」とでも読むのですかね。「神名:シュメー」。そうすると天之御中主神はシュメールの神だってことを、漢字でそのまんま表しているる気がします。

 

スメラミコト

したがって、明治時代以来、色んな日ユ同祖論の本で指摘されてきたように、スメラミコト(天皇)の「スメラ」とはシュメールのことだった。天=アン説についても、すでにあるらしい。

日本における俗説と表記

第二次世界大戦中に、「高天原バビロニアにあった」とか天皇呼称の古語「すめらみこと」は「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した」

シュメール  日本における俗説と表記- Wikipedia

この俗説は合っていたとかんがえられるのですが、個人的に。 

 

・ここにイスラエルのカナンの神である、ヤハウェの三位一体が加わって、造化3神になっているという(「日本の中のユダヤ文化」久保有政著より)。

古代エジプトの太陽神のアメン・アテンを信仰していたことが大きく影響しました。これはカナンのヨセフらがエジプトへ移住して以降。

 シュメールのアン・アヌや、アメン・アテンは、おそらく原初の中東で同じ神なのであり、それがそのまま日本語の「アメ」として合一されて受け継がれてきました。

後に太陽神ミトラを習合。合わせて天照大神(アメ照大神、アミトラス大神)ということになったんでしょう。

 

国常立

エジプトのピラミッドや、ピラミッド状の何かの叡智が、国常立命として記録されることにもなったようですね。あ、この記事の続きは書くの忘れてますね。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

古事記」で最初の神は天之御中主神でしたが、「日本書紀」で原初の神は国常立尊になっていますよね。これは要するに記紀では、一番最初の神について真っ向から意見が食い違っているということで。原初の神はシュメールかエジプトかで、別れたんでしょうかね。

 

イザナギイザナミ

最初の男女という意味で、アダムとエバに対応しているのだが、そんな単純なものでもないです。イザナギというのは、旧約聖書のアダムからモーセまでの役割を果たしている模様。

出エジプトで十の災いが起き、エジプト軍に追いかけられた様子は、イザナギが黄泉を脱出する時に幾つもの試練があり、黄泉大神と黄泉醜女に追いかけられたことに対応します。

 

ウガヤフキアエズ

・神武の父である鵜葺草葺不合命ウガヤフキアエズ)。

この意味不明の名前は実は、「ウジヤ・ヨタム・アハズ」という3世代のユダ王を習合した存在。「葺」の古訓はヲサムであり、ヨタムはヨオサムとも読めるので同じになります。詳しくは以下の私の記事で。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

神武天皇

紀元前7世紀の神武天皇は、同じ紀元前7世紀のユダ王国の「エホアハズ・エホヤキン・エホヤキム」という3人のユダ王を習合した存在。

・磐余とは「イハヨ」と読めるが、これがエホヤに対応している。神武の幼名狭野の「狭」とは3人という意味があり、時代も人数も一致する。

ウガヤフキアエズ神武天皇が、ユダ王国系図の一部を写したものであることによって、ココまでの解釈「記紀天津神神武天皇の舞台は中東」についての証明のひとつになります。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

 

 ・しかしながら、日本の神々には「縄文人の神」も習合されている。これは後にしるします。

 ・しかしながら2。これに加えて九州に居た、天皇家に近しい有力豪族の物語も、神武天皇の物語の一部になった模様。

 

これら舞台は本来西アジアの中東でしたが、後に日本列島の九州地方に当てはめられているんです。ではBへ続きます。

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B・アレクサンドロス大王の時代

 ユダ(アッシリア・ペルシア)→パルミラ(ヒムカ)→アレクサンドロス大王領→ヒルカニア(ヒムカ)→バクトリア

アレクサンドロス大王の時代に、カナンの土地からユダ王家の末裔が、中央アジアへと向かっているようです。その出来事が、神武東征の記録として日本列島に当てはめられたと考えています。

 

アルダバゾス

アレクサンドロス大王東征記で、アルダバゾスという人物が出て来ます。もしかするとこの人、ユダ王家から出た人かもしれないです。アレクサンドロス大王に従軍し、東のバクトリアへと移動しています。アルダバゾスはカスピ海南の沿岸の、ヒルカニアという土地にいて、ペルシアでもっとも高貴な王族の末裔というふうに、大王から評されているのですね。そうするとイスラエル王朝かユダ王朝の末裔という以外には無いと考えられますので。おそらヒルカニアとは「ヒムカニア」(日向ニア)で、神武天皇出発地の一つになっています。

 

この区間は神武東征では、九州~大阪までの区間として記録が残っています。

アレクサンドロス大王神武天皇説については、

神武天皇を生み出した「ファラオ=アレクサンドロス」伝説の真相: 神仙組外典【新世紀創造理念】天の岩戸開きとニギハヤヒの復活!

飛鳥昭雄・三神たける著で2010年に出てるらしいです。これはまだ読んでませんね。

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・C 烏孫の時代

バクトリア→難兜国→烏孫月氏の土地)→烏孫イシク湖

紀元前2世紀、バクトリアの東にあった難兜国から出た難兜靡王が、東の月氏国へ向かって烏孫を建てました。匈奴に滅ぼされましたが、後継の昆莫が再び烏孫を建て直します。紀元前2世紀の烏孫の昆莫までが、神武天皇として記録されました。

昆莫

・昆莫とはkun-moであり、これが漢風諡号「神武(kan-mu)」の元になっている。諡号の撰進をした淡海三船とは、中央アジアにいた天皇家の真相を知っていたとみられます。また、昆莫一家の名前も一致しています。詳しくは関連記事で。

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか

 以下この記事の要約

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

古事記の方を見ると

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

 

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

 

昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。

猟 カサヌ・・・ サヌ  狹野(サノ、サヌともいう)

驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)

 なびく・・・ ビク  毘古(ビコ)、彦(ビコ)

 

中央アジア烏孫とは、日本列島では大和(奈良)に当てはめられている。だから烏孫の後継国の弓月国と同じ名前の「弓月岳」が奈良にあるなど、地名が一致するわけです。

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

 

ちなみに月氏とは葛城氏(月氏→がっじ→がっじょ→葛城)であり、記紀においては「エウカシ・オウカシ(オウ月氏・オウ月氏)」のこと。で、神武東征の終局場面が中央アジアであることが月氏の名で示されていました。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

 

日ユ同祖論系の本で、中央アジアの経路を詳しく書いてる本はあるようですが、烏孫に触れている人はあんまりいないようです。

栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学」は天皇家烏孫起源と言っていますが、昆莫を神武天皇と書いた本はなくて、このブログだけです。

この区間は神武東征における、大阪~奈良盆地区間として記録が残っています。

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D・欠史八代の時代

 烏孫南匈奴の土地を東進→扶余→高句麗馬韓弁韓

欠史八代というのは実在せず、歴史から欠けているので欠史八代天皇なわけですが、これは間違っていました。日本列島には存在しなかったですが、ユーラシア大陸に存在していました。 

第二代天皇綏靖天皇から第5代までの天皇は、烏孫に留まっていましたが、第六代の孝安天皇の時代から、中央アジア烏孫から極東へ移動を開始しました。

 

天皇諡号には、東夷諸国の名前が暗号化されて残されていました。これはそれぞれの天皇が留まった諸国の名前を表しているのです。あたりはすでに電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」のなかに書いています。

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

。( ゚д゚)ポカーン。

歴代 諡号  記紀の和風諡号   含まれる古代国名
       (下段古事記 

07 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊  太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)
       大倭根子日子賦斗邇 賦斗邇=扶余・匈奴

08 孝元天皇 大日本根子彦国牽  国牽(クニクル)=高句麗
       大倭根子日子国玖琉 国玖琉=高句麗

09 開化天皇 稚日本根子彦大日日 大日日=大半跛(はへ、弁韓の中心国)
       若倭根子日子大毘毘 大毘毘=大半跛

10 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖 御間城=任那、五十=委奴、伊都
       御真木入日子印恵  御真木=任那、印=委奴

 

孝霊天皇については、「ホツマツタヱ」で「孝霊天皇の東征」として記録があり。

ホツマツタヱのなかで、孝霊天皇奈良盆地から出て、富士山のふもとまで進んでいる。しかしそこから奈良へ引き返したという話は出てこない。つまり東へ旅立ったまんま、孝霊天皇の話が終わってるのが不思議。

実は富士というのは大陸の扶余(扶示:ふじ)を言い換えて暗号としてあるのだ。だから、出発地点である昆莫の土地烏孫は、大和国(奈良)となり、孝霊天皇の終着地点は扶余になるということだと考えたのですが。

 

E・崇神天皇弁韓から九州へ移動

 崇神天皇とは卑弥呼と壱与の習合体であることについては、著書「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」に一部を書いています。

邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である理由

 倭国の本拠地の変遷(推定)

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

 

 

妄想まとめ画像

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まあこれ以外にもルートはあったことだろう。秦の除福ルートとかね。

 

天津神縄文人神の融合

縄文人の神とは、数万年前に縄文人がアーリアの土地に居た頃から、日本列島に到達した後も、縄文人の信仰のなかに残ってきたようです。その代表的な縄文人の神が、火の神アグニでした。

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火焔土器 - Wikipediaより

縄文人が用いていた土器のなかで、圧倒的に多いのが、炎を模したような形状の火焔土器です。火の神を表現したような釣手土器もあります。

釣手土器 - Wikipedia

こうしたものは実はカグツチなのではないかと考えられるのですよ。

アグニは日本でカグツチとなっているので、カグツチという発音の中に、アグニを見つけることが出来るわけなんです。まあ想像ですが。

ka-gu-tu-ti

a-gu-ni

日本で悪いことは「アク、アク人」というのだが、ここに縄文の神アグニが入っていますね。超古代拝火教の縄文系の人々は、大和民族に悪と断罪され追いやられていました。その場面がイザナギが、カグツチを斬り殺す場面に現れてるではないですか。

ただし縄文系の人々は、大和民族の中にも入り込んで同化しています。記紀神話ではカグツチの子孫、例えば経津主命武甕槌命などが、活躍する場面が多々見られますが。まあこれも中東の出来事を合わせてると見られますが。アイヌって火の神

 

ちなみにカグツチの中には、旧約聖書バベルの塔を建設した、火の象徴たるニムロドが含まれているので、完全に同一じゃないですので。これについては別の記事で。

 

記紀神話は日本列島とユーラシア大陸の神話・出来事・人物の融合

記紀神話とは、舞台が中東・中央アジア・日本という複数で起きた出来事を習合し、日本列島だけで起きたかのようにまとめ上げているものだから、とてもわかりにくいんです。

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日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)

Q7 騎馬民族征服王朝説は完全に否定されてる状況ですが?

f:id:kl117cr233:20150712073400p:plain学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。

 

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 このあたりまで、電子書籍にまとめたい(希望)。

 

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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1

2017年最初の思いつき記事。

 

新年めでたいのかどうかは、人それぞれだと思うのですが、おめでたくなくても慣例的におめでとうと言ったり、初詣に足をはこぶ、律儀で不条理な日本の縮図の正月ですね。 世界を変えたいのに思うように変わらなかったのは、こころがけが足りなかったといえばそうでした。今年は変化を足す一年。

 

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○いつも助かっております

 

 

 

足 

 

足をはこぶ、足りなかった、足す。の足。

そういえば人間の人体の一番下の足って、なんで「あし」って言うのか。定説的な語源を調べるとこう。

「足の語源は諸説あり、正確な語源は不詳であるが、体の汚い部分で「悪し(あし)」の意味からという説や「端(はし)」が転じたとする説が有名である」

足・脚・肢(あし) - 語源由来辞典

 

ぶっちゃけ俺はひねくれているし、常識や正義と言われるものに抵抗する勢力なので。こういう「諸説ある」とか言われるものは勿論、定説とされるものですら、疑って見るしか無いと思いますけど。

 

 

足は重要

 

足は「汚い場所」という考えが、長らく日本人の認識にあったらしいです。そういえば旧約聖書でも「足を洗う」場面が出てきますけど、それは置いといて。

中医学が入ってきてからは、足のウラには全身の臓器や部位に対応するツボがあるとかいう考えが広まって、現代では足とは体のなかでも、ツボの集まる重要な場所だという認識になってきてますが。

足裏健康法 - Wikipedia

足は移動の象徴、仕事の象徴みたいなもので、人によれば人体でいちばん重要なのは足だっていうことで。足が健康じゃないと、どこにも行けませんものね。

 

そんなこんなで足について考えていたら、足の部位っていろいろあるなと。

・足(靴を履く部分) 

つま先、つめ(爪)、ゆび(指)、ウラ(裏)、くるぶし(踝)、かぶと(甲)、かかと(踵)、きびす(踵)

・脚(股下すべての部分)

すね(脛)、ふくらはぎ(脛)こむら(腓)、ひざ(膝)、ひかがみ(膝の裏/膕)もも(腿)

 足という漢字の成り立ちから言うと、膝下全体を足と言うとか。いまでは靴を履く部分だけ足とか言うようになってますが、もはや足ってくるぶし以下という認識に変わってますね。

 

 

アシ

 

アシという音だけとれば、俺的には歴史上では葦原の中つ国だとか、アッシリアなんて思い浮かべたりします。

アッシリア

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アッシリア - Wikipedia

 アッシリアはシュメ―ルから出た王国で、紀元前2,000年から紀元前609年の新アッシリアまで続いたんですね。エジプト、イスラエル、トルコのほうなど中東の広域に拡大してたとか。。

 

 

足とアッシリア

 

普通なら、無関係だと頭ごなしに決定づけて、関連性すら見出さずに素通りしますが。

でも自分としては、いろいろ考えてみたら、どうも足と古代の中東は関係するのではと感じ取ってしまいました。

俺が妄想した足とアッシリアの関係

 

・足 アシ→アッシリア

 アシがアッシに対応

・踝 クルブシ→クルク(カルク)(サマリアイスラエルの古名)

 クルがクルに対応

・踵 キビス→アイギュプトス(エジプトの古名)(aegyptus)

 キビスがエジプトのgypts(ギュプトス)に対応

・甲 カブト→アイギュプトス(エジプトの古名)

 カブトがギュプトに対応(k-b-tに対するg-p-t)

裏 ウラ→ウラルツアッシリアの北の国/アッシリア領)

 ウラがウラに対応

・裏 ウラ→ウル・ウルク (シュメール・アッシリアの都市)

 ウラがウルとウルクに対応

・指 ユビ→ユダイスラエルの南部)

 ユがユに対応

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 ここに出てくる古代国家は、ぜんぶ紀元前7世紀頃までに登場しますので。ということは日本語の人体の起源というのは、縄文時代じゃないということになってしまいますが・・・。

そういえば思いつきで、葦原の中つ国がもし「アッシリアの真ん中へんの国」ということなら、古代イスラエルユダ王国あたりなんですけどね。 

 

補足、

イスラエルサマリアは、元々クルクとかカルクと呼ばれていた場所。

日本人とユダヤ人の祖先は 同じ「クル族」

 エジプトの語源はアイギュプトス。

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重要な足、人体の端の足に、中東の古代国家名が凝縮されてたんですよ。

なぜこれらの国々だけの名前がついているのかと考えると、

「古代日本に関係する国だけをセレクトされた」んじゃないか、という発想が浮かんだわけですが。

 

これは単なる偶然の与太話なのか?と思ったら、もっと調べてみると偶然じゃない気がしてきました。

中東は足に当たる部分。じゃあ胴体はどこなのか?と考えてみると・・・。

 

つづく。

 

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