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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

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神武天皇 - Wikipedia より

この話は長くなります。

 

日ユ同祖論は、いまだに出鱈目だとかいう主張が強いですね。それにしても日ユ同祖論の研究が始まったのが、明治時代の1878年だとか。

明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)(英語版)は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での英語の著作The Epitome of The Ancient History of Japan(意味は『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年(明治11年) Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan京都)によって始まった。これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」ニューヨーク版失われた10支族の項目に引用されたという。

日ユ同祖論 - Wikipedia

だから、研究が始まってからまだ138年しか経過してない。というのに、日ユ同祖論はデタラメと結論づけちゃってる。これで良いのだ、とか言うのだろうか。

うな重でおなじみのウナギですが。近年まで生態とか産卵場所もわからなくて、いまも謎の生物扱いされちゃっているというのに。評判の良い各地のうな重屋さんでうな重を味わったくらいで、うなぎの全てを知った気になっているみたいなことですが。うな重屋さんは全国にどれだけあるのですか。全てを知った気になるまで、全然足りませんよ。

そもそも奈良時代以前の社会情勢や生活様式など、現代で正確に知られてるのはごく一部なんですよね。ましてや日ユ同祖論は弥生時代以前を中心とした時代なのであって、これが全て解明されて「日ユ同祖論はすでに論破されましたとか完全なる妄想でした」とかありえないと思うんですが。

そもそも、現在まで著名な日ユ同祖論研究者の仮説。かなり多く証拠として提唱されているんですが、俺的な観点からすると「まだ日ユ同祖論は半分しか世の中に出ていない」のではと思うんですけど。これは騎馬民族征服王朝説についても、同じことが言えるんですけど。

ついこの間まで常識だったのに、常識が間違ってましたっていう発表は良くあることだし。すべての仮説を目にしてから、結論を出したほうが良いんではないかと・・・。

 

ところで、俺は幼いころから奇妙すぎる世界に入り込んでいました。とにかく何故か失敗や欠点がとんでもなく多いんですよね。すいませんでした。そのせいで人に過剰にバカにされまくってた人生でした。

そうした中で、なぜか古代史には興味を惹かれたんですよね。それでまあ、学生時代からヒキコモリ。ということもあって、人よりも古代史を研究する時間がたっぷりあったんですけど。37歳までの時点でだいたいまとまったんですが、発表する機会が巡ってきませんでした。

前置きが長くなりましたが。なんでなのか。

研究の一部を、またここに提出しようと思います

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

 

神武天皇の先祖の王名は紀元前のイスラエル・ユダに存在するか

結論から言ってみる。

「日本神話の登場人物と、古代ユダ王国の王歴代名は一致するかもよ」

 

こんな単純明快な日ユ同祖論の証明方法が、存在してたのではないかと。ヨセフ・アイデルバーグさんもびっくりするに違いない。

神武天皇やその先祖がイスラエル・ユダに居たという仮説は、従来の日ユ同祖論にも存在していました。しかし神武天皇以前の神さまの名前との一致、この点に触れている論説がまったくなかったんですよね。ウィキペディアでも紹介されてなかった。

 

ヒントは紀元前7世紀

ヒントになるのは神武天皇日本書紀での実在年代。「日本書紀」では、神武天皇が存在したのは辛酉元年で、紀元前7世紀だと言っているところなんすよ。

ちなみに個人的には「神武天皇=複数人物習合説」をとっています。これは小林恵子氏の著書「三人の神武」でも指摘されてますが。その著書の内容はともかく、神武天皇が複数人物の集合体。この考え方には同意できるところ。

だから神武天皇が仮に紀元前2世紀~1世紀に実在するとしても、別の記録に紀元前660年に即位したとあることもハズレてなんではないかと。なにしろ複数の人物があわさってるんだから。

最初の神武天皇とされる人物は、とある土地に紀元前7世紀に存在したので、「日本書紀」はその通りの伝承を受け継いで、神武天皇は紀元前7世紀の人だと書いただけなんではないかと。

 

日ユ同祖論的には、これを解明するには

「紀元前7世紀の古代イスラエル王国と古代ユダ王国の王名と、「神武天皇のご先祖の名前を比較してみればいい」

という結論に至ったのでした。調べてみて、同じ名前や似た名前が連続していたら、関係性が確認できるということになってくるので。

イスラエル王国は紀元前8世紀の段階でなくなってしまったので、残るは紀元前6世紀まで存続したユダ王国が対象となります。

 

系譜

日本神話の日向三代から神武天皇までの系譜

 天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊火遠理命彦波瀲武盧茲草葺不合尊神武天皇

ユダ王国の系譜

レハブアムーアビヤムーアサーヨシャファトーヨラムーアハズヤーアタルヤーヨアシューアマツヤーウジヤーヨタムーアハズーヒゼキヤーマナセーアモンーヨシヤーエホアハズーエホヤキムーエホヤキンーゼデキヤ

 

 

アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズ 

古事記』天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

日本書紀』彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

ウガヤフキアエズ - Wikipedia

記紀に登場する、神武天皇のオヤジです。「日本書紀」に従うならば、実在年代は紀元前7世紀以前のころ。

名前がやたらと長いのですが、ここに最大のヒントがあると見たわけなんですよ。

要するにこのおかたは、神武天皇と同様、複数人物の集合体なので、やたら長ったらしいのではないかと。

日ユ同祖論的にいうと、イスラエル王かユダ王の名前が連続していることになる。 

つまりこういう結論に至ったんですが。

 

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 アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズの名前と、歴代ユダ王国の王名を見比べていこう。

(1)

まず右側の10代王、11代王、12代のユダ王が、そのまんまウガヤ・フキ・アエズの名前に対応してるみたいでした。この辺を解説。

鵜草(ウガヤ)は10代目のユダ王、ウジヤのことで、音がまんまなのがわかりますね。そう指摘されれば、たしかにウガヤとウジヤって似てるって気づくでしょう。でもこれだけだと偶然よ、なんて言われるに違いない。

(2)

最後の不合(アエズ)は「合わない」という意味。古訓だと「アヘズ」になるのですが、これが12代のアハズ王に対応してます。

「ウガヤ・フキ・アエズ」のウガヤとアエズが合致してるということになりました。これは確率的には66%が一致しているので驚きですね。すると真ん中の「フキ」が11代の、ヨタムに合ってないことが気になってしまう。

(3)

ところがここで古訓を持ち出すと、分かってしまいました。「葺」という漢字は、「学研漢和大字典」によれば、古訓で「ヲサム」といったったんですよ。すると「ヨタム=Jotham」はどうみても「ヨオサム」とも読めることに気づきますね。

「葺=フキ=ヲサム」と「ヨオサム=Jotham」で合致していることがわかるではないですか。

ということで、ウガヤフキアエズとは、10代~12代の3人の王「ウジヤ・ヨタム・アハズ」に完全に対応している名前だったんですよね。これは偶然とか言う範疇を超えていますよ。

(4)

そうすると最初のアマツはそのまんま、9代王アマツヤのことだと見て良いかもしれない。ここまでで9代目~12代目のユダ王の系譜が保存されていたと、わかってくるでないですか。彼らの在位年代にも注目してください。紀元前8世紀で、ちょうど「日本書紀」で神武天皇が紀元前7世紀、だったころと、当てはまるではないですか。

 

しかし問題が発生するのだった。名前にある「日高日子波限建」という部分は、王名に対応していないということになってしまう。さてこれは一体なんなのだろう。

 

日高日子波限建の謎

ということで古訓などを取り入れて「日高日子波限建」考えた結果がこれ。

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(5)

日高日子は、日高も日子も、ひこ=彦(男性)をあらわす言葉で、ここで「大勢」が示唆されてるんではないかと。つまり日高日子のところには1代目~5代目までいるのだが、名前が伝わらなかったんでは。

とすると天津。これは「アメの」みたいな語感ですが、「天の神の系統」というに等しいのですよ。ほかの日本の神様にも、天津を冠する神さまが何人も居ますので。

マツヤ王を表すと同時に、系譜全体が天神系統であることを表す意味合いも持っているんでは。

(6)

波限はハゲンと読めます。関係ないけど、元派遣社員だった自分を思い起こさせますね。これはおそらく6代目のアハズヤなのではないかと。hagがhazに対応しています。g(ジー)とz(ズィ―)の音は似ているということですが、微妙な線。

(7)

「建」の古訓に「イタル」があり、これが7代目のアタルヤに対応していました。

長い年月で名前が変質化しているのですが、似た古訓を持つ漢字に王名を当てはめることによって、名前を保護したんではないかと。

ということでここまでユダ王の系譜がかなりウガヤフキアエズのなかに保存されている様子が伺えました。

 

神武天皇

次に神武天皇について。こんなふうに対応するのではないかと。

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(8)

中東や東欧では「Je」の音は「エ」とか「イェ」とか発音するとか。例えば日本は英語ではジャパンですが、あちらでは「ヤパン」と発音されるみたいに。ということでJehoiakimはエホヤキムとなる。

神武天皇の名前は磐余(いわれ)というのだが、これは古訓で見ると「磐(いは)余(よ)」で「いはよ」と読むことができる。

先程のウガヤフキアエズで13代目の王様まで出てきたので、神武天皇に対応するユダ王は14代目以降ということになるのですが。17代目から、似た名前の王様が3人いることがわかったんですよね。

エホアハズ、エホヤキム、エホヤキンの3人。

 

「Jehoia」に注目してみると、

磐余  I- ha-yo

エホヤ Je-ho-ia

でよく似ていることがわかるではないですか。つまりこの3人のうちの誰か、または全てを、神武天皇に習合されてる可能性が出てきたってことでok。

(9)

神武天皇の別名には狭野命(さののみこと)、昔の発音だと「サヌ」。

エホアハズにも別名があった。それはシャルム。比較してみると

Sa -nu

Sha-llum

シャル→シャヌ→シャノ→サノ という感じだろうか。長い年月、遠い地域を超えた発音の転訛というのは、きっとこんなふう起こっておかしくないですね。

(10)

次に神武天皇の称号にある「始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)」について。始めて天下をおさめた天皇という意味なのだが、キーワードはもちろん「創始者」というところ。

で、ユダ王国の19代目の名前の意味を調べると、「主は設立する」という意味だったのですよ。つまり設立した者という意味が、神武天皇とエホヤキンには共通してたわけです。

(11)

f:id:kl117cr233:20161210153540j:plainこれは狭野さん(神武)の「狭」の字ですが、せまいを表す「狭」の異字体であり、意味は同じです。

「学研漢和大辞典」を引くと、解字にこんな興味深い記述がありました。

「夾は、大きな人の両わきを、小さな人がはさんださまを示す・・・」

つまり「狭」という字は明確に「3人の複数形」をあらわしている漢字ということになるのですね。神武天皇複数説に、信憑性が増すのではないかと。その3人とは実のところ、まさにエホアハズ、エホヤキム、エホヤキンの3人なんじゃないかと。

この3人は「在位年数が短い2人」が、「在位年数の長いエホヤキム」を挟み込んでいるではないですか。なんでここまで一致するのかというのは、「日本書紀」編者の舎人親王にたずねてみたいとこ。

「サノ」という名前に漢字を当てるなら、「狹い」とかいうマイナスイメージな漢字じゃなくて、他の良い意味の漢字でもよかったのに、咲野とか。これはあえて複数形を表す漢字を、舎人親王は使いたかったのではないだろうか。

マイナスな漢字を使っているという意味では、卑弥呼も同じだったのでは。マイナスイメージにはちゃんと理由があるというわけだ。

(12)

このお三方、紀元前7世紀頃の人だったので、紀元前7世紀の神武天皇に、年代的にもぴったり。

まとめ画像。

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ちなみに13代目~16代目はすっ飛ばされたらしい。

 

東へ向かって旅をしたユダ王

ではこの3にんのユダ王は、神武天皇のように東へ向かってをしたのか?と調べると、東へ向かって旅をしていたことが判明しました。

 

・エホヤキムは3年間バビロンのネブカドネザルに仕えた。つまりユダ王国の東方のバビロン(イラク)へと行っている

エホヤキム (ユダ王) - Wikipedia

・エホヤキンは彼の財宝もろともバビロンへ連れて行かれた。エホヤキンは残りの生涯を捕囚として生きた。

エホヤキン - Wikipedia

 

この人達が、複数の神武天皇の最初のグループだと考えるのですが。連行されていったということで、新天地を求めて旅立った神武東征とは趣向が違ってますね。

おそらく神武天皇が東へ向かったという話の根幹としては、紀元前4世紀にユダ王族がアレクサンドロス大王の東征に従軍して、中央アジアヘ向かった出来事が反映されていると見られますが。

 

つまり神武天皇古代イスラエル系でありユダ王系を経ている

既存の日ユ同祖論では、天皇家ダン族だとかエフライム族だっていう考えが圧倒的に多いのですが。俺的にも以前はエフライム族なんじゃないかということで、こんな記事書いてましたが。

 ・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも

 

こうしてウガヤフキアエズの名前からは、ユダ王朝の系譜が取り出せたということは、ユダ王が根幹にあるのはまちがいなさそう。

ただ、上の記事でもあるように、神武天皇諡号にはエフライムの名も入っているように見えるのですよ。

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実際のところはイスラエルとユダは、神武天皇という存在のなかで「一体化してる」のではというのが、今のところの結論ですが。だから両方の特徴を備えてるってことで。

 

ウガヤフキアエズがいた土地の名は

神武天皇ウガヤフキアエズは、当初は同じ場所にいました。親子だったので。

 その場所はいったいどんな名前なのかを調べてみると

鵜戸神宮

宮崎県日南市にある、ウガヤフキアエズを祭神とする神社。ウドは Udoでユダの音ににているので、ウガヤフキアエズがユダ王というのに符合してくる。

そういえばこの神社には潮干瓊(しおひるたま)・潮満瓊(しおみつたま)という神宝が伝わってるのだが、これについてはこの記事

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

 

・吾平山

アヒラというのは実はエフライムの「エフラ」のことだと思うのだが。埋葬地はエフライムの土地なのだろうか。 神武天皇の奥様の、吾平津媛というのも同じです。

 

関連する記事 

日本雛形論には、イスラエル・ユダ王国と烏孫の「形状」が、日本列島に投影されてたっていう話。あとアレクサンドロス大王に従軍した地中海系王族が、烏孫の昆莫の先祖であり、卑弥呼天皇家の先祖だっっていう話。

倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論

ほかにもあり。

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ウガヤフキアエズ鵜戸神宮や、神武天皇の高千穂宮が、なぜ日向の国でなければならなかったのか?それは日向がイスラエル・ユダ連合王国の形を模したものだったから。

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相

 

日本と古代イスラエル・ユダの地域の王号が、リンクしてる話。

古代の君主号を見ることで分かる天皇と大和民族のルーツ

 

ヤタガラスはユダガラスだった話

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

 

ユーラシア大陸東征の出来事が、日本列島に当てはめられて神武東征と呼ばれてるっていう話。

ユーラシア の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

 

 まあこんな感じ。自分の中では。

  

 
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