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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

古事記 地名 大和民族 日本書紀 烏孫

 

前回の「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た 

 

騎馬民族はこなかった」と断言する先生が多い昨今なので、騎馬民族は来たとか言ってると「何いってんのこの人、あたまおかしい」みたいに思われます。

専門家が綿密に調べた結果、騎馬民族の証拠が無かった、だから騎馬民族は来なかったと、早々に決めつけられてしまってます。

いまの日本で騎馬民族が来たかどうか、という話題は、もはや「来てない」で結論付けられてこれ以上なにも変えないぞと、固めてガラスのケースにしまわれて飾り付けてるような気配です。 

でも、まだ結論を出すのは早すぎますよ。2000年代まで日本に氷河は存在しないというのが、偉い専門家先生の定説だったんです。ところが2009年以降に富山県の皆様が標高3000メートルの立山を調査したら、なんと氷河が見つかっちゃったんです。

国内初の現存する「氷河」を立山連峰で発見!|立山の雪|とやま雪の文化|富山県

つまり偉い先生が「無い」といったら無いが常識なのであり、別の偉い先生が「ある」と言ったら「ある」が常識に変わった。常識はひっくり返ってしまったんですが。 

いま騎馬民族について、偉い先生方の多くは、「来てない」と断言してずいぶん時が経過してるんですが、これも覆ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 

今回はさらに騎馬民族が日本に来たという、誰も知らない証拠を提示します。

今回は騎馬民族の「月氏」(がっし、げっし、ゆえじ)について。

 

とりあえず今のところ知られてる、月氏の歴史。 を書こうとしたんですが、長くなるので簡略化しました。

(1)紀元前3世紀から、ユーラシア大陸匈奴の南~南西に、月氏がありました。

月氏は現在の中国の敦煌のあたりに拠点を構え、当初は匈奴を圧迫する力を持っていました。

月氏はイラン系コーカソイド(白人種)が起源であると言われていますが、アジアに来たので、民族的にはモンゴロイドと入り混じっていました。

つまり月氏は、中東→タリム盆地敦煌と、西から東へはるばる移ってきていたのでした。

 

(2)匈奴の圧迫を受けて、月氏のうち大月氏の勢力がキルギスへと移住すると、隣にいた烏孫月氏の後をおいかけてキルギスの土地へ入りました。

月氏烏孫に攻められて嫌がって、さらに西のバクトリアの地へ向かい安住の地としました。これが大月氏。一方で敦煌の付近に残ったものが小月氏

これ以降、烏孫はいまのキルギスの土地に本拠を構えるようになりました。

 

(3)烏孫の土地には、4世紀以降から、「弓月国」という名が現れます。これは日ユ同祖論ではユダヤ人の国であり、これが仲哀天皇応神天皇の時に来日した秦氏であると言います。

実際むかしの書物「日本書紀」や「新撰姓氏録」には弓月からの功満王・弓月君(融通王)の親子による、大勢の渡来が記録してあります。一説に数万人とも20万人とも。彼らは秦の始皇帝の子孫だと名乗ってました。

弓月の名で分かる通り、月氏の「月」を持っていることから、弓月国と弓月君は、月氏に関係するとも言われていました。

 しかし弓月国の功満王と弓月君らの正体については、以下の考察をしました。

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波多は匈奴転訛であり、太秦(うずまさ)の太も匈奴転訛、秦(はた)も匈奴転訛であると。これだけ弓月関係には、匈奴の発音が込秘められてたというわけですた。

そして京都の太秦(うずまさ)ですが、『日本書紀』で元々は「禹豆満佐」と書いていました。

「禹」は元々は「伏羲と女媧」を意味していて、これは紀元前1000年以前よりミャオ族の神だったと言われるんです。しかしその姿形からシュメール起源であるとか、イザナギイザナミと同じ神であるとも言われるんですよ。

しかもウズマサの「ウズ」とは騎馬民族烏孫(ウズ)の意味を含んでいるように思いますし、豆満というのは北朝鮮白頭山から中国・ロシア国境を経て日本海に注いでいる川の名前ですので、無関係なことは考えられません。

要するに「禹豆満佐(ウズマサ)」と「弓月」という言葉には「匈奴烏孫月氏3国の土地=弓月国から、白頭山の豆満川を経て来た」という知られざる秦氏の移動ルートが、暗号として含まれているかのようです。功満王という名前の「満」が「豆満」と一致するのもそうした理由からです。

しかも弓月(ゆづき)の名を見ていると、こちらにも烏孫が入っている気がします。

弓月=yuzuki→yuzu=uzu=usu=烏孫

さらに弓月君の別名「融通王」とは「yuzu=uzu=usu=烏孫」で、実際のところは「烏孫王」なのではないかと。まぁこの烏孫については別の機会でもまた触れます。

想像ですけど、月氏烏孫匈奴があわさったのが「弓月国」と見ていいのではと考えました。

秦氏はそんな弓月国からはるばると白頭山へやってきて、そこから新羅百済を経て、さらにはるばると日本の畿内(近畿)へと入ってきたことになります。

 

・・・ 

じつは月氏が来たとの仮説は、以前から著名な研究者の中にも見られました。そのなかの代表的な本『三人の神武』(小林恵子著)にこうあります。

「東西に分裂した中央アジア遊牧民月氏族のうち、中国南部や東南アジアへ南下した月氏がいた。彼らは胡人といわれ、ペルシア系の文化を持っていたが、そのうちの一部が百年以上の後、東南アジアから黒潮に乗って奄美大島に到着し、さらに大隅半島を北上、北部九州に現れた。この月氏族が『記紀』にいう宮崎県の高千穂峰に天降った神武である。(中略)一部は東上して、すでにあった葛城氏を併呑して奈良盆地に定着し、ナガスネヒコ勢力になった。(中略)これら月氏族が列島から半島に現れたのは、奴国の建国間もない一世紀中頃のようである。」p14

「オオモノヌシこそ東南アジアから北上した月氏族であり、私が第二次東遷のモデルと考える人物である」p45

 「本来葛城氏は犬戎、オオモノヌシは胡人系の月氏」p46

ナガスネヒコ(長脛彦)とは珍しい名だが、『山海経』(大荒西経)には、西北海の外、赤水の東に、「長脛」の国があると記している(中略)西北海をカスピ海、赤水をヴォルガ河と仮定すると、その東はまさにスキタイの発祥の地である」p46

「葛城氏=オオナムチ勢力=月氏」p49~50を要約

 

とまあこんな感じでした。  

加治木義博氏の著書では、烏孫が九州に入ったことになっており、栗本氏は天皇家中央アジアのセミレチア地方(烏孫)から来たといってます。

月氏烏孫が来たという根拠はなにか、というと、従来研究ではそれは確かにやや希薄な印象を受ける証拠に過ぎないです。

しかし「長脛」が西アジアのスキタイの国だったとするなら、長脛彦という人物がなぜ長脛の名を持っているのか、その理由は太安万侶は知っていたに違いないのです。長脛彦の名からも、騎馬民族が日本に影響したとの可能性は見えてきました。

騎馬民族の流入について、学会の本流としては「具体性が無い」と言われて却下されてしまいがちですが、月氏が明確に日本史に入り込んでいるという、誰も知らない証拠は既に発見済みです。

 簡単に言ってしまえば、その手がかりは『日本書紀』にあります。

これは本にして発表するつもりだったんです。でもちょっと他のことが忙しくて、間に合わないかもしれないということで、とりあえずブログで公開しておきます。

 

初代の天皇神武天皇の記録に目を通します。

今まで分からなかった日本史の中の烏孫月氏の存在が、神武紀の中に包括されている様子を見て取れます。

まず登場人物の名前に注目する必要がありました。

神武紀には数多くの人物が出てきますが、近畿地方に入ってから以降の登場人物は、それほど多くありません。その中でも、以下の人物に注目してみます。

 

長髄彦(ながすねひこ。地域の豪族)

・名草戸畔(なぐさとべ。女賊)

・櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひ。神武天皇より前に九州から東征を果たした人物)

・兄猾(えうかし。神武天皇に抵抗した豪族)

・弟猾(おうかし。神武天皇に強力した豪族)

・三炊屋媛(みかしきやひめ。長脛彦の妹)

・居勢祝(こせのはふり。豪族)

玉櫛媛(たまくしひめ。事代主神の妻)

 

 このリストを見て、もしかしてお分かりになっただろうか?

神武紀に登場する人物のうち、これらの人物は、「ひとつの共通するキーワード」を持っているのです。では解釈を交えます。

 

長髄彦(na ga-su ne-hiko)

・名草戸畔(na-kusa-to-be)

・櫛玉饒速日命kusi-tama-nigi-haya-hi)

・兄猾(eu-kasi

・弟猾(ou-kasi

・三炊屋媛(mi-kasi-kiya-hime)

・居勢祝(kose-no-hafuri

玉櫛媛tama-kusi-hime)

 

もうわかったんではないですか。

これらの人物はみんな「月氏」の名を踏襲しているのです。 

 

神武紀の地名も見てみれば、明らかなことでした。

・名草邑(なくさむら) これは「名月氏邑」

・穿邑(うかちむら) これは「う月氏邑」

・長脛(ながすね) これは地名であるから「な月氏ね」

・臍見(ほそみ) 臍は「月偏」の地名

・葛城(かずらき) 葛城は「ガッジョー」と読めるので月氏を元にした名

・橿原(かしはら) これは「月氏原」

 

どうだろう。もゥ完全に分かってしまいましたが、日本の歴史には月氏が深く入り込んでおり、日本の地名自体も、月氏を元にして名付けられているということになります。

これを踏まえて、前回の匈奴の地図に、月氏の版図を書き加えてみるとこうなってくるのです。

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覚えていますか。ユーラシア大陸では、月氏匈奴の南~南西に位置していたのです。日本列島に対応させても、これが不思議と当てはまっていました。

 

そうすると、『古事記』の謎が一つ解けることになりました。

なぜ四国の徳島=阿波国のことを、『古事記』では「大宣都比売 (おおげつひめ)」と呼んでいるのかという謎。

大宣都は、「大月」なのであり、ユーラシア大陸の大月氏の土地に阿波が対応しているから、この名が名付けられていたということなのです。

そして丁度大陸のサカの土地に当てはまるのが「大阪」であることも、頷けることになります。

 

・・・

勿論こうした仮説については、偉い学者先生は誰も話していません。低学歴でイジメられエキスパートで、クルクルパーのわたくしが主張している程度ですので。今後書籍化を進めていくのですが、この記事にある情報はまだ一部だけです。さらに月氏が日本史に入り込んでいる証拠を突きつけてまいります。

しかも拙著を読んだことがあるなら覚えておいでかもですが、ここに登場した「神武東征伝説」とは、「本来はユーラシア大陸を舞台としていた」、と話していたことを。そうすると何故かアレクサンドロス大王の東征を、この地図に重ねてみると分かることがあるのですが・・・。

もう勘の良い人は気づいていますね。

果たして大和民族と天皇とは、一体なんなのか?

なにがトンデモなのか?

これに関連した日本史の驚くべき秘密の解明は、もう間近に迫ってますので。では。

 

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