若い頃から、悔しい思いばかりしてました。
悔しい。くやしい、くや、くや?、狗邪、狗邪韓国・・・。
といったふうに狗邪韓国のことが思い浮かんだ。ちょっと狗邪韓国を考察しよう。
○いつも助かっております
悔しかったか狗邪韓国
その狗邪韓国というのは、2世紀前半、朝鮮半島南端にあった、倭人の地でした。「後漢書」とか「魏志倭人伝」に登場しますが。当時は、倭の最北端。
韓国がはいってるから、韓国だという人もいるかもですが。
「魏志東夷伝倭人条(魏志倭人伝)」にある地名なので、倭の領域だったのが明らか。
韓人(三韓)の土地なら、倭人伝ではなく「魏志東夷伝」の「韓伝」に記載があるはずですが、韓伝に狗邪韓国は無いのでした。
それより昔から、弁韓(狗邪韓国より内陸を含む国)や、馬韓、辰韓といった三韓の地域の広範囲に、倭人の地域が存在したようです。
弁辰(弁韓)には弁辰狗邪国がにあり、ここが後の任那の狗邪韓国の名の元になった土地だったよう。
狗邪韓国は「日本書紀」で神代から任那(みまな)の別名でしたが、また別の名に加羅、伽倻がありました。
5世紀以降、任那は新羅に押されて衰退していき、7世紀に「白村江の戦い」がおこって
、任那エリアを含む百済・倭国の連合は、唐・新羅軍に敗れ、倭国の朝鮮半島の足掛かりは完全に消え失せてしまった。悔しかったか、狗邪韓国。
「日本史年表・地図」日本史地図p4より
朝鮮半島の南部の変遷
ad2 辰国、衛氏朝鮮?
巨済島と狗邪韓国
従来から倭人遺跡の出ている慶尚南道・金海市のあたりが、金官伽耶の首露王の土地であり、そこは狗邪韓国の拠点であろうとの仮説が存在しました。
過去の当ブログでもそう書いてるものがありますが、巨済島自体も狗邪韓国の一部だとの認識も捨ててません。
この巨済島、韓国では2番めに大きな島。地理的に見ると日本の対馬に近いです。直線距離でいうと60kmしか離れてない。(東京都心~成田空港の間くらいの距離)
対馬から朝鮮半島に渡る場合、対馬海流が西から東へ向かっていることを考慮する必要がありました。
だから対馬の南端の豆酘崎(つつざき)あたりから西や南西へこぎだすことになると、徐々に北へ向かうと海流や風で流されながら、朝鮮半島南部の巨済島あたりに到着するといった具合。
これは豊臣秀吉による朝鮮出兵のときも、海流の関係で、秀吉の拠点が巨済島に作られたのを見ても納得できます。
ちなみに巨済島の出身らしき巨勢氏が、6~7世紀のヤマト王権の頃は台頭してたりしてました。
実はこの巨済、狗邪や伽耶と同系の地名ではないか、というのは思うところ。
巨済 韓国読み コジェ(geo-je)
狗邪 日本音読み クジャ (ku-ja)、クヤ(ku-ya)
伽耶 カヤ(ka-ya)
加羅 カラ(ka-ra)
似てる。
それで、巨済が狗邪と似てることや、7世紀まで任那と呼ばれる倭の土地があったことが、重なるではないですか。
そんなわけで2世紀にかぎれば、巨済島は倭の狗邪韓国の拠点の1つだったかと。
韓国の巨済市民はじめ、南部一帯は倭人の血を引くと思われるんですけど。
韓国ではあんまりそういう話、しないんですかね。やっぱ反日しとかないと世間が許さないんだろうか。日本もなにかと嫌韓を煽る傾向にあるし。
まぁ俺は今となっては、どうでもいいんですけどね。
俺に意地悪する日本人、いっぱいいるし。要するに自分に敵対的か友好的かで見ると、国籍とか人種なんか割とどうでもよくなる。
ところで巨済島では、弁韓の瀆盧国に比定する見方があるとか。
古来、巨済島は日本と朝鮮との交通の要衝であった。市の公式サイトでは、三韓時代の弁韓の一国で「倭と界を接す」[2]と記された瀆盧国を歴史的淵源に求めている。もっとも、瀆盧国の比定地には諸説あり、巨済島とする説は定説ではない。この島には、新羅時代に巨済郡という名の行政機関が置かれるようになった。
瀆盧(とくろ)国・・・ドクロ国?
興味深いのは、新羅時代に裳郡になり、のちに巨済郡になったことでした。
「裳」の解字を見ると、神殿で神官が神に祈る、みたいな。日本でいうと、巫女、巫覡が神に祈る。裳郡、狗邪韓国は、信仰の島だったんすかね。
邪は蛇に繋がるので、巨済島には蛇信仰(大物主信仰)があったのかもしれないです。巨済島の昔話や神話が、知りたいところ。
そういえば以前に指摘しましたが、倭の30国はシンメトリーな配置なんですよ。
これは筆者以外には、誰も指摘してないことでしたが。
対馬海峡を渡ってたどりつきやすい巨済島は、女王卑弥呼も重視したのは当たり前でした。
「魏志倭人伝」で、狗邪韓国の登場位置は倭の1番手。
邪馬台国と敵対した狗奴国は31番目ですが。
・狗邪韓国 1番目
・狗奴国 31番目
意図的な地名の名付けですこれ。意図的にシンメトリーになるよう、狗邪韓国、狗奴国と名付けてある。
誠にありがとうございました。
さらに、
・弥烏邪馬国(弁辰または弁韓)
・弁辰狗邪国(〃)
・狗邪韓国(倭国の最北)
・伊邪国(鹿児島の伊佐)
・邪馬国(個人的に出雲と比定する、八雲=邪馬)
おそらく倭にとって政治的、軍事的に拠点性のたかい城郭都市に、「邪」を当てているのですよ。何故かと言うと、
牙=武器の象徴
阝(おおざと)=城郭
だから。
2世紀当時の巨済島は、いわば江戸時代に西洋情報が集まった出島みたいなもので。倭が大陸情報を集める上でも、かなり重要だったかと。
なにしろ三韓には北方の騎馬民族が入り込んできていて、しかも漢の帯方郡や楽浪郡の漢人、のちの魏、隋、唐などとの交易があり、そこに倭人が入り乱れ暮らす土地だったから。
2世紀当時、大陸の情報は全て狗邪韓国に集まり、巨済島などの港を経て、九州の邪馬台国(のちに奈良の邪馬台国)に伝えられたんですよ。
弁韓は任那・伽耶の前身でしたが、ここはそもそも倭人の拠点でした。
以前に述べてましたが、三韓の伽耶の形が実は九州と瓜二つな時代がありました。弁韓とはベムカで、ヒムカ(日向)と重なる土地なのであると言う解釈できます。
弁韓には弥烏邪馬国がありましたが、これが邪馬台国と無関係無関係なわけないです。
金官伽耶の初代王の首露王が、亀旨峰(クジ峰)の6個の金の卵から生まれたとの神話があるんですが。
日本の日向(宮崎)には、日向三代の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)に降臨したという天孫降臨神話があるんです。
・日向のニニギが槵(クジ)
なのですね。
・伽耶=狗邪
・弁韓(ベムカ)=日向(ヒムカ)
・伽倻の地形は九州
になるのと、セットな関係とわかるわけなんですよ。はやく人間になりたい。妖怪人間ベムカ。
なぜ両地域で似た天孫降臨神話が伝わってるか。それは天皇家と倭人がかつて、任那を拠点にした時期があったからですね。だからその神話の舞台を九州に写しとって共通している。
上にある伽耶の画像を横倒しにすると、九州そっくりなこと、わかります。亀旨峰の位置に、ちょうど宮崎の高千穂の槵觸之峯がくるようになっているんですよ。
日本列島の知名の連鎖構造と、基本がイッチしますね。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリヒコイニエ)。
このかた、「任那城から委奴へはいった」から、そのまんまな諡号をなづけたと思われます。
御間城=任那城
入った
五十瓊(いに)=委奴国(九州)
殖(へ)
崇神天皇の時代、百姓の反逆や疫病があったではないですか。これまさに倭国大乱。
しかも崇神天皇は太安万侶によれば「賢后」で、調べると女王としての特徴がいろいろ見つかりました。詳しくは過去の記事で。
個人的には、崇神天皇は卑弥呼だった、女性天皇だったとかんがえますよ。
・<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説)
なんで犬なのか
ところでなんで狗邪韓国は、狗(犬)なのかと考えるのですが。
・ジャッカル(犬)を冥界の神とした古代エジプト
・犬は死者の魂を迎える冥界の犬としたのは匈奴
・狼から祖先が誕生したとの神話を持つアシナ(阿史那氏)、突厥、ウイグル
・狐を冥界の使いとした倭人
まぁ、ジャッカル、狼、狐、犬、、、みんな同じイヌ科イヌ属の動物ですね。昔の人は細かいことは良いんだ、イヌっぽければ良いんだという感じだったようでした。
神社は「入り口で犬を守護とする」習わしがありましたが、おそらく弥生時代からあったようです。
それでは、倭の入り口である狗邪韓国は?
最初の国に狗=犬を用いたのだから、「狗邪韓国は、神社の狛犬と同じ守護の役割」だと理解できてしまいます。
そう、狗邪韓国は倭国の防衛拠点だから、犬だった。
逆に狗奴国の反乱は、間違いなく飼い犬の反逆だった・・・そのへんは過去記事にあるからいいとして。
これは卑弥呼の出生地というか、卑弥呼と同族、または卑弥呼がいたことを記念する土地のようです。。
狗邪韓国の狗という漢字は、なんか意味深なのです。
狗を「学研漢和大事典」で引くと、こうあります。
狗
呉音ク 漢音コウ
「いぬ。愛玩用のこいぬ。(中略)
卑しいもののたとえとして用いることがある。
解字犬+句(小さくかがむ)の会意兼形声文字」
学研漢和大字典p819
ようするに狗は、卑弥呼に卑が使われるのと同じく、「卑しい」という意味がある漢字なのでした。狗が卑しい・・・可哀想。
そして「邪」が邪馬台国と共通することで、邪馬台国との関連が示唆されるようですね。
それで先ほど述べたように「邪」の右側は阝(おおざと)ですが。城郭に囲まれた村(邑)を意味していて、なんか倭人伝にある、卑弥呼の城郭に囲まれた居城を想起しますね。戦乱が警戒される軍事地域、狗邪韓国(任那)を表すに相応しい字が、邪でした。
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巨済と狗邪と火星の戦士
クジャというのは、インドのサンスクリット語で「火星」を意味するとか。
火星は古代ローマでもインドでも戦士、戦いの神だっていうのは、日本の古代にはない話かもですが。実はあったりして・・・。
インド占星術では、クジャドーシャと導き出されると、結婚運が最悪なんだとか。
狗邪韓国、大陸の玄関口、倭の最前線、戦乱の先鋒。城郭都市。まさに戦士クジャとしてふさわしいような。
じつは狗邪韓国のあった任那は、「三国遺事」などによれば、古代インドから王族が入り込んだ土地だったんですよ。
アヨーディヤーとの関連
『三国遺事』をはじめとする朝鮮史書では、金官国の初代首露王の妃は、阿踰陀国(サータヴァーハナ朝)人の許黄玉であり、第2代居登王の妃も許黄玉についてきた泉府卿申輔の娘の慕貞であり、第3代麻品王の妃も許黄玉についてきた宗正監趙匡の孫娘の好仇である
それでサンスクリット語が土地に浸透して、おかしくなかったわけで。狗邪、クジャもその一種だったかと。
後に狗邪韓国も任那も朝鮮半島から消滅しましたが、やっぱり結婚運が悪いクジャドーシャな土地だったんですかね。
今回も無駄に長くなりました。
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