たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジア の検索結果:

欠史八代の孝元天皇「大日本根子彦国牽」が牽牛と高句麗の名を持ってた

…の本では、欠史八代が中央アジアの烏孫の昆莫王から出た後、1~2世紀頃に東アジアの東夷(扶余・高句麗・半島)の土地を通って、倭に移ってきたことを書いてました。 同時に崇神天皇が卑弥呼と同一人物であり、朝鮮半島の倭から九州に渡ってきたということも書いていました。 いわゆるトンデモ本で良いわけなのですが。近頃はなんか、トンデモのほうが真実だったと、明らかになってきてるらしいですね。 これは日ユ同祖論とか、天皇の大陸起源説で、ユーラシア大陸を超えてきたという発想を理解できる立人なら、…

天照大神は純粋に卑弥呼じゃない 複数の時代の神と人を重ねた存在な理由

…されたものとされる。中央アジアの遊牧民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含む。 紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された[3]。 リグ・ヴェーダ - Wikipedia ミトラ 太陽神 契約の神 - mi - tra 天照大神 太陽神 契約の神 a - ma - tera - su こんな風に特徴も名前も一致してるのは、偶然じゃなかったです。 しかしミトラが本来男神なのに、天照大神は女神。これは自身を天照大神の生まれ変わりとした可能…

むかしの烏孫人は倭人と似た衣服を身につけていた

…などの壁画を見ると、中央アジアは概ね、こんな格好だったとか。 サマルカンド 壁画 - Google 検索 この衣服って、昔の日本の衣と袴みたいではないですか。 ヤマトタケル - Wikipedia 古墳時代以前の日本は、埴輪を見ればいろんな形態の衣服がありました。それこそ1つの民族と言えないほどに。 一方で倭の貴族の衣服は、ヤマトタケル像みたいに、こんな衣と袴だったんですよ。これ、着物とは全然違って不思議に思ってませんでしたか。東アジアでも特異な衣服だとは思っていましたが。 …

大陸のタングートと日本の丹後国が関係ある件

…文化に馴れ合ったのが倭人ですので。 つまり、 よくある日本列島雛形論・・・日本の大きな島の全てが世界の大陸に対応 個人的な日本列島雛形論・・・日本に対応する土地はユーラシア大陸が基礎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こうして丹後が日本列島雛形論を証明する鍵だったわけ、なんとなくわかりましたね、独りよがりで。 関連記事 ・古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 人気ブログランキング

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

…が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件 これの続き。 前回はキルギスの王族のお子様、神武天皇一家のお子様の解説をこころみました。 今回は残りの父ちゃん母ちゃん。つまり神武天皇と皇后について解説をしたいと思います。 最近はグーグル翻訳で、世界じゅうの言語の翻訳ができちゃうのです。それで日本語をキリル文字に翻訳するのも簡単。以前はキリル文字だけが表示され、読むことが難しかったのですが、いまは発音は英語表記されるようになってるから、グーグル翻訳は研究にもってこいで…

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

…す 「神武天皇一家が中央アジアで記録されているだって?」 まぁこれは、ちょっと日本の歴史について保守的なかたには、耐えられないかもしれません。日ユ同祖論みたいな証拠もはっきりしない話は。 しかし俺の場合は、別に日本に対する愛国心も希薄な感じだし、しがらみも何もないので自由に発想しております。 天皇家は古代イスラエルにいたのであれば、当然ながら、日本に到達する時には必ず「中継地点」が大陸各地に存在してるわけなのですよ。駅伝競争みたいに。 それがどうやら、中央アジアのキルギス民族…

そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

…神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる こんな関連記事がありました。 と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。 古代に「唸り」は犬のことだったか もう一つ気づいたことがありました。 よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。 実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛してイヌ…

同じ系統だった肥国・兵庫・武蔵

…名の由来があったと分かるのではないかと。 以前の関連記事 ・日向と熊野。同一系地名の仮説が現実に結びついたとか ・大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(1)天香具山編 ・浅間山は阿蘇の名を移植したのか。日本語の噴火を表す言葉はローマ神話のvulcanusを語源としたかも 更に広域的に ・かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ほかにもいろいろあり。 人気ブログランキング

ニビルは蛭児なのか素戔嗚尊なのか

…ジプト、シュメール、中央アジア方面の神話・出来事などを記録していると考えてるのですが。 そこで、もしシュメールで知られていたというニビルが存在するなら、日本書紀や古事記にも出てきていないかと思うのですよね。 なぜならば記紀神話は、太陽=天照大神、地球=淤能碁呂島、月=月読命、金星=天津甕星、などの重要な恒星・惑星・衛星のほか、遠方のひこぼしなどの恒星・すばるなどの星団、ほかに彗星なども記録していたわけなので。 それに加えて、中国の惑星の知識を得ていたならば、倭人も火星、木星、…

崑崙山の西王母が日本と古代イスラエルを結びつける(日ユ同祖論)

…いる、月氏や突厥など中央アジアの遊牧騎馬民族が居住したところです。 とくにアルティン山脈はテングリ(天)の神が住まう場所として、遊牧騎馬民族の信仰対象となっていた山です。 テングリ - Wikipedia すると西王母が、遊牧民のテングリに関係があるのかと考えたのですが、これがドンピシャで正解だったようでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 西王母の拠点が何故か古代イスラエル王国にあったとか 古来より中国では西王母の拠点は崑崙山で決まっていましたが、実はもう一か所…

<烏孫起源説>中国二十四史ではどうして倭だけ「倭人」と表記するのか

…った、西域と呼ばれる中央アジア地域のことも、東夷の倭人のことも、同様に見識を深めている人でした。 魏の国の都だった洛陽の皇帝の宮殿には、しばしば倭人が朝貢しに訪れていたし、地理志編纂者の陳寿は、東西南北の蛮夷と接する機会もあり、実際倭へ赴いていなくても、洛陽で倭人から話を聞く機会はありました。だからこそ魏志倭人伝も完成させることができたのだと想像します。 だから陳寿は、東西の民族の違いを見分ける目を持っていたので、倭人のなかに西域人が入り込んでいれば、きっとそれも気づいたに違…

神武天皇が派遣した天富命、始皇帝の下から旅立った徐福は奇妙な一致を見せる

…るんではないかと。 歌舞伎や浄瑠璃などの伝統芸能で昔の演目を繰り返すこと、天皇の即位の儀である大嘗祭では古代の儀式を再現すること、そうしたものに近いのではないかと。 もう一つ加えるなら、個人的には、ユーラシア大陸と日本列島の雛形論が、天富命の話にも入り込んでいるのではないかと考えてしまいます。 関連記事 ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます 人気ブログランキング

竹取物語の「かぐや姫」はそもそも「月の姫」という意味だったかも

…た。中国の青海省から中央アジアにかけて拡大していた月氏。 近頃、月氏というのはギリシャの音写ではないかという発想があるのです。 天照をアマテラスと書けば、ギリシャ神話の月の女神、アルテミスに似てくるのも、偶然ではないですね。必然かと。 かぐや姫の物語にそっくりな話がチベットに残っていると、ウィキペディアで見ました。これは月氏の土地だったチベットに、月氏の物語が残ったんではないかと。元々、竹取物語は、月氏の話だったものが、倭に入り込んだのではという考えも浮かんでいます。 関連記…

福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

…進出していました。 中央アジアのバクトリア(のちの大月氏の地)、タリム盆地の西域諸国(歴史的に月氏の地)、甘粛省や青海省土地(のちの小月氏の地)を経ていることが、壁画の靫=月で表されてるのではないかと。 そういえば思い出した。 日本の奈良県と、神武東征記録に月氏系の地名や人物名が、とにかく多いことについての記事はこちら。 ・神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる ・蕨 蕨は縄文時代からある植物で、倭人やアイヌの絵柄にもよく使われてい…

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

…らはじまり、真ん中は中央アジアの烏孫や月氏を経て、東は扶余や呉や三韓を通って倭に到達したと考えていて、過去記事もこんなのがあります。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ この梶山古墳の地図というのは、妄想している経路とぴったり合うものなのではないかと。 西のミカドと輪(倭人)は、シルクロードを経て、東に移転しているんですよ。 それを2つの△と◎と魚の進行方向とシルクロードの地図で表した、っていうことです。 出発点となるのが西はエジプト、古代イスラエ…

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

…てきましたし。 でも中央アジア、とくに中央アジアの烏孫の存在を匂わすヒントは、たしかに奈良盆地に残されていのですよ。 そして今回は、奈良盆地に「イシク湖」があった件について。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 大和湖(奈良湖) その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆地には巨大な湖がありました。 それは歴史的には「大和湖」とか「奈良湖」と命名されているそうです。かなりマイナーな存在。 以前に作った地図があったと思い出して、探したら2012年の記事にあっ…

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

…頃、インド北方および中央アジアの一部を領有した王。 バベルの塔では「人々が出会って建設をはじめ」、「神と出会った」んですよね。インド北方の王の名前を出すことで、舞台がユーラシア大陸の西方だったことを印象づけているようです。 具 ①そなわる・そなえる おぜんだてがそろう。⑤ともに バベルの塔は、「崩壊のお膳立てがそろった場所」なのですね。とするとバベルの塔の崩壊は、最初から決まってたんですね。 土 ①つち ⑦五行の一つ。方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓で…

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

…ところです。 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。 関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 A・中東での始まり シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国→ユダ王国(アッシリア) 概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書のアブラハム~ヨセフ~モーセ~ダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。 アメ ・天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、…

アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

…指導者がいましたが、中央アジアのアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。 アテルイ - Wikipedia ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。 ・ 骨嵬と苦夷 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。 1・アイヌを表す骨嵬 2・…

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

…紀~2世紀)までは、中央アジアに対応してたみたいですが。 中央アジア~西アジア諸国との対応 ・腹=トハラ トハラとはトカラ、トハリスタン。中央アジア。 ペルシア、パルチアのペル、パルも含むのか。 ・腰=月氏 月氏→かっし→こっし→こし→腰 ・臍=烏孫 烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視 ・玉\(^o^)/) タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。 ・ちん◯\(^o^)/ 中国読みの秦(ちん)が…

「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

…ことも事実ならば。 中央アジアに仏教が伝播したのが紀元前250年。東アジアに入ったのが西暦100年頃。 大国主神話に八大地獄が含まれるのが本当ならば、 おそらく1世紀から4世紀までの間に、元々あった大国主の神話のなかに、仏教の八大地獄が取り入れられていることになるかもですが。その理由は関連記事で。 個人的には日本神話はユーラシア神話の寄せ集めで、日本列島では4世紀以降に一緒くたにまとめられたと見ているわけなのですが。真相はどうなのか。 関連記事 ・神武天皇紀になぜか仏陀と仏教…

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

…王の東征に従軍して、中央アジアヘ向かった出来事が反映されていると見られますが。 つまり神武天皇は古代イスラエル系でありユダ王系を経ている 既存の日ユ同祖論では、天皇家はダン族だとかエフライム族だっていう考えが圧倒的に多いのですが。俺的にも以前はエフライム族なんじゃないかということで、こんな記事書いてましたが。 ・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも こうしてウガヤフキアエズの名前からは、ユダ王朝の系譜が取り出せたということは…

日本列島雛形論は4種類あると発想できたわけですが

…東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・酒船石は「サカ匈奴石」な証拠 こういう感じで。 3・「古代イスラエル・ユダ連合王国の形」を、ユーラシア大陸中央部の烏孫、扶余、日本列島の九州、出雲、機内、関東、北海道の一部、に投影している。 (電子書籍で九州系地名と呼んでいるものも実は同じか) 日本の根幹には日ユ同祖論がある、という話は以前からありました。 しかしじつは、「日本の地域の形状自体が、古代イスラエルユダ連合王国の形で表されていた」という発想です…

なぜ日本語のデブ系語彙がヨーロッパ語と共通するのか

…を2回繰り返すのは、中央アジアの呼び方に似ていますよ。やはり中央アジア系の人がもたらした名残が、シシにはあるのでは。 「家畜」をグーグル翻訳 ・フランス語 bétail betaが含まれる ・ブルガリア語 добитък(dobitŭk)bituが含まれる ・マケドニア語 добиток(dobitok)bitoが含まれる 日本語のbutaに近い呼び名が、欧州では家畜という意味だったのですよ。これは弥生時代には本来家畜という意味で入ってきたブタが、いつしか豚という特定の動物を…

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

…ます おなじ 今回は中央アジアに日本と同じ地形・地名があるっていう変なことをテーマにします。 そういえば、ココ数日のブログの閲覧者数。 先月から500前後で、ずっとなだらかな訪問者数でした。ほそぼそ続けていたんですが、16日はブログのカウンターで1000超え、ブログ管理画面のカウンターで2000超えた。3日連続で1000超えということにもなり、なにか熊本地震の発生と時を同じくしているような・・・。 こんなに増えたのは初めてだったんで、感動したんですよね。人気ブログからすると1…

神武天皇の倭国では山椒を知っていて、卑弥呼の倭国は山椒を知らず・・・

…用いられているので、中央アジアでも昔から広まっていたのかもしれない。 山椒についての日本最古の記録は、「古事記」「日本書紀」と「魏志」にみることができるんではないだろ~か。 「日本書紀」の山椒 長髄彦との二度目の戦いで、金鵄が舞い降りて長髄彦軍を幻惑し力を削いだので、天皇軍は勢いづいた、そのときの来目歌とよばれる歌があって、 「ミツミツシ、クメノコラガ、カキモトニ、ウヱシハジカミ、クチビヒク、ワレハワスレズ、ウチテシヤマム。 天皇の御稜威を負った来目部の軍勢のその家の垣の元に…

日本語の大陸起源 事物と言葉の歴史的経緯から探ってみる

…は歴史的な出来事で、中央アジアにギリシャ人の国「インド・グリーク朝」があったんです。 インド・グリーク朝 - Wikipedia 彼らが弥生時代後期以降に、東アジア人種との混血をしながら日本まで向かい、いつしかブスの「b」が外れてウス、ウシといっていたものが日本語の中で定着したということは、考えられるわけなのですよ。おそらく烏孫を経由して倭に入ってると考えてるのですが。 これはたぶん日本語の顔面系ネガティブな意味である「ブス」の由来がギリシャ語の牛=ブスなんじゃないかという発…

神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか。

…、西海(地中海)から中央アジアへ移住し、窮地を狼に救われ発展した物語なのですよ。 おそらく烏孫も同様に、地中海から中央アジアへ至っているんですよ。「西から東へ」という烏孫の人々の移動ルートがここで明確に存在するんですよ。 日本の古代天皇家が烏孫に関係してるなら、日本神話のなかに「狼を先祖」とする話しがあってしかるべきことになるわけなんですが。 しかも神武天皇と昆莫の同一性を指摘するなら、神武天皇の先祖は狼という話があるはずだが、それは無い? と思っていたら、関係する話しがあっ…

倭と中央アジアに確認できる長脛と安日

…日と全く同じ名前は、中央アジアにも存在していました。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 倭の安日彦 安日彦(あびひこ)は中世日本神話に伝わる伝説の人物の一人。安日王とも。 鎌倉~室町期成立の『曽我物語』に蝦夷の祖を流罪にされた鬼王安日とする伝承が記載されている。長髄彦の兄とされ、彼と共に青森県の弘前に逃れたとも、単独で津軽地方に流されたとも伝わる。ただし古事記や日本書紀に安日彦の名は乗っていない。 ちなみに文献学的には、長髄彦の兄とする記録よりも、「安日…

神武東征は紀元前666年に出発し紀元前660年に完了したことになってるのは何故か

…に「塩土翁(塩椎神)=シオの土地の爺さん」がいて、「日本列島はユーラシアの雛形」になってることや、古代の日向国と大和国の地形からも見えてくるわけなのですが。 倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 つまり想像すると、神武天皇の日本列島東征=大陸東征だったと。 神武天皇は畿内まで向かったが、関東までは達していないんです。このことは、 神武天皇は古代イスラエルから中央アジアまで向かったが、東アジアまでは到達してないことを意味してるのですよ。 過去記事を参照。 人気ブログランキング