たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジア の検索結果:

倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 

…かると思いますが。 中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか 神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは (9)すると線刻画の、右下のくねくねも気になりますね。 これ、インダス川とジェラム川の流れに似てます。ここはアレクサンドロス大王が通過したところです。 大王様が通ったところの地形なんですね。おもしろくなってきました。 (10)自分なりに現時点での結論を出すと、こんな感じ。 カスピ海の形がほぼ完璧に…

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

…神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる この記事も参考。地中海地方の天皇と大和民族は、まず烏孫に拠点をつくり、その後に倭国へ拠点を移動してるような気がしてます。烏孫の論文はちょっとづつ進んでます。 神武東征中に神武天皇をたすけた金鵄は、東欧のハンガリー建国神話にも登場してます。ハンガリーの場合には八咫烏と金鵄をくっつけたような、turulという光り輝く鳥(鵄、または鷹)が、アルバート王を導いた。 カラスというのは、元は中東方面の言葉…

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

…も助かっております 中央アジア人 先日書いた記事 魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった これも関係してましたけど。 ・塞曹掾士張政・・・中央アジアのサカ(塞)担当官 ・太守劉夏・・・中央アジア烏孫の王・昆莫の奥さんが前漢の劉氏 ・難升米・・・烏孫の王・難兜靡に似てる 難升米 nan-sho-mai 難兜靡 nan -tou-mi ・都市牛利・・・タジキスタンの都市、塔什庫爾干(タジュクルガン)の音写 塔-什-庫-爾(ru) 都-市-牛-利 ・伊声耆・・・キルギスの…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 

…東は東アジア 近畿は中央アジア 九州は中東 って書いてたら、教諭がわざとらしく「ゲッハッハ!」と大咳を浴びせてきた・・・。 つまりユーラシアが日本に対応する、日本雛形論でいうと、 日向国(九州) ━━━━━━大和国(畿内)━━━総国(関東) 古代イスラエル(中東)━━中央アジア━━━━━扶桑(日本) こういうことになるので。 具体的に言うと、大和国(奈良)に対応するのは中央アジアのどこか? となったら過去記事で書いてましたが。 大和国に対応するのは「烏孫」です。 これとか 関…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった。その1

…東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 みたいなことが関係してると思うのですが・・・。 不思議なのは飛騨と甲斐の関係 世界中に上空から見て分かる「地上絵」があるらしいです。 これは古代から「ナスカの地上絵」だとか、ブラジルの「アクレの地上絵」だとか。最近みた動画によると、南アフリカに「フェルヌークパンの地上絵」とかあるらしいです。 地上絵 - Wikipedia Verneukpan - Wikipedia, the free encycloped…

台・堆・俀・タイ・帯から分かる倭の起源の一端

…でした。元々タイ族は中央アジア~中国にいたんですね。滇王国の滇とはタイの音写で、「タイ王国」なんすかね。 そういえば、よく世界各地の領土問題で「元は住んでいたから我々の土地だ」という理屈が出ますが、タイ族にもあてはめてみたらどうなっちゃいますかね。 大 で、アルタイ山脈の漢字表記が「阿勒泰」というので「泰」とは「タイ族」が元になってるのかと。 ちなみに先ほどのリンクによると、「タイ」の意味は「大」だそうで、「タイ族=大族」という説があるとか。これはあやしい。 つまり倭国=俀国…

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中央アジアの紀元前2世紀、烏孫の王である昆莫。実は昆莫の本名が「イワレビコ」という名前で、「漢書」「史記列伝」に記録されていたとしたらどうしますか。 もしそんなことがあったら、神武天皇の諡号「イワレビコ」なので、昆莫と神武天皇が同一人物か、かなり関係していると見ざるを得なくなります。 ○いつも助かっております 断言法 ・・・「絶対にこうである」「私の意見こそ正解である」というのが「断言法」ですが。 デジタル大辞泉の解説 だん‐げん【断言】 [名](スル)確信をもってきっぱりと…

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

…のは誰か?ヒントはここ。 魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった - たっちゃんの古代史とか 弥生時代後期の倭人(大和民族)に含まれた、大陸の諸民族(弥生人)。4世紀の秦氏よりずっと以前から倭人の中枢に入り込んでた。 ここまで一致していると、「じゃあ中央アジアより西は日本のどこに対応しているの?」というのも気になるところですが、既に大体分かっていますので(自分の中では)。そのあたりも死ぬ前に洗いざらい白状して、寝耳に水な状態が続いてまいります。 人気ブログランキング

任那国の蘇那曷叱智、新羅王、崇神天皇、扶余王の同時代の王名は関連付けられている

…登場する倭人の出身は中央アジアだった 須佐之男の佐之を入れ替えると、須蘇那男。 蘇那・・・佐野尊。神武天皇。佐野曷叱智。 そういえば「新撰姓氏録」に神武天皇の兄「稲飯命」は新羅王の祖であると書いてますね。稲飯命 - Wikipedia あ。蘇の古訓に「イヌエ」とあるのはイネのことか。倭というのも女が粟を持った形。 そういえば、崇神天皇は「御間城入彦五十瓊殖」で、「御間城=任那」「五十瓊殖=イニエ(イニウェ)」。で蘇那曷叱智は「任那」の「蘇(イニエ)」なので。 御間城(任那)入…

古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか

…東のE系から分岐して中央アジアに来てるとか。 あるいは、5万年前に中東→チベットという移動があった後、3000~2000年前にも中東→チベットという民族の移動があって、区別がついてないということかも。 それで神話やら遊牧民やら国名やらが似通っていることの説明がつくんですけど。 中央アジアの羌・烏孫・月氏はメソポタミアから来ている 羌は遊牧民なのでしたが、すぐちかくには烏孫と月氏がありました。 羌は青海、月氏は当初は祁連山脈の北に、烏孫は最初は敦煌の南あたりでした。図で表すとこ…

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

…佐之男/すさのお)は中央アジアで伝承されてたんではないか・・・。と思わせる神話がウイグル族にのこされていました。 それは何故かといえば大和民族の中枢に入った人々が、中央アジア出身だったからなのですが。そもそも素戔嗚命とはsusanowoで、s usan no wo「烏孫の王」な気がするのは気のせいかどうか。 日本国内に実在した素戔嗚命と、習合(合体)してるんだと思いますけど。 日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさ…

後漢景帝の孫である「江都王劉建」は日本書紀の「事代主神」だったか

…。 日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ - たっちゃんの古代史とか めでたしめでたし。 つまり、 江都公主劉細君=冨登多多良伊須須岐比売(比売多多良伊須気余理比売) なんですけどね。想像ですが、ここまで、いいですかね・・・。 冨登多多良伊須須岐比売の父親は、「日本書紀」によると事代主神(ことしろぬしかみ)となってるんですが。「古事記」だと「大物主神の化身である丹塗矢」みたいになってるので意味不明で変なのですが。 事代主 - Wikipedi…

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

…ないかと。 ちなみに中央アジアに実際に3世紀頃、トルギッシュという国がありましたが、説明するまでもなくテュルク系遊牧騎馬民族の国でしたが。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (3)烏孫と天皇は、二代目意向の名前も一致する これはこちらの記事で既に紹介しました。 第2代綏靖天皇と、烏孫の軍須靡の名が似すぎている件 - たっちゃんの古代史とか ということだったのですが、記事から内容をコピペすると、 第2代天皇は綏靖天皇。 諱(本名)は「日本書紀…

神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは

…と、日本の大乗仏教は中央アジアを経てから日本へ入り込んでるのがわかるんですが。中央アジアの烏孫にはネストリウス派キリスト教(景教)が、1世紀の時点で入ってました。中央アジアの西域では、1世紀の段階で景教と仏教と融合を果たしてる筈ですね。 ところで神武天皇は実在なら、いつの人だったかですが。紀元前7世紀から西暦4世紀まで諸説あるんですよ。 前回の記事で、崇神天皇、垂仁天皇が3世紀ということは朝鮮半島の王の年代で表されることは解説したんですが。 垂仁天皇の時代が3世紀末~4世紀前…

日本列島からメソポタミアへ縄文人の移住はあったかを確かめる方法

…により伝来 玉ねぎ 中央アジア原産、江戸時代に伝来 トマト 南米アンデス山脈原産、1660年代頃に伝来 ブロッコリー地中海地方原産、幕末に伝来 茄子 インド東部原産、平安時代に伝来 にら 中国北部・モンゴル・シベリア原産、弥生時代に伝来 人参 アフガニスタン原産、16世紀に伝来 ねぎ 中国西部・中央アジア原産、弥生時代に伝来? 白菜 中国原産、江戸時代以前に伝来 ピーマン 南米原産?、明治初期に伝来 小麦 中央アジア・イラン原産、弥生時代中期に伝来 レタス 西アジア・地中海地…

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

…はほんとは「烏孫王の中央アジア東征だった」を人物名や地名から検証してみます。「記紀の出来事は日本で起きた」と考えて、そこから出ない人は、変な人もいるものだと、見ておいてください。 ○いつも助かっております 堅昆と剣根 「日本書紀」では、神武東征が完了した頃、「剣根(つるぎね)」っていう変な名前の人が出てくるんです。 「神武東征はほんとは烏孫王の中央アジア東征だった説」で解釈すると、これは「剣根(ケンコン)」と読みます。剣根という漢字を当ててはいますが。 中央アジア史を見ると、…

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

…した。 塞というのは中央アジアのサカの中国表記なのですよ。 なんで倭人との対応に、サカ人担当者が当てられたのかは、従来の考えではまったく説明できないことです。この人は塞(サカ)の言語を駆使できたと思われます。 倭人にサカ人担当官が当てられたのは、それなりに意味があったと考えたほうがいいです。後半で理由を書きます。 太守劉夏 魏志倭人伝に登場する、倭の担当する地方官です。烏孫の王、昆莫の奥さんが劉細君であるのと、劉夏さんは倭へ派遣されているのは、関係していると見るべきかもしれま…

中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇

…。要するに手研耳命は中央アジアにいて、テュルクの名を持っていたから、手研耳なのだと。これはまず覚えておいてください。 そしてつぎに大禄がダルクなのも、すぐわかりますけど、ダルクとはテュルクであると。 つまり 神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク ということでここでも一致が見られるではないですか。 ちなみに、この神武の息子手研耳命、昆莫の息子大禄、両者とも謀反を起こしているなど、事績としても一致するとか。このへんも重要な情…

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

…。彼の先祖はおそらく中央アジアらへんに居たと思うので。この人の名前の船とは匈奴のことなんじゃないかと想像できますし。 それはさておき、「古事記」の孝元天皇の記述に登場する地名と人物を、ちらりと見てください。 ・軽の堺原宮(かるのさかひはらのみや)孝元天皇の宮殿 ・伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)孝元天皇の妃 ・比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)孝元天皇の御子 ・波邇夜須毘売(はにやすびめ)孝元天皇の妃 ・建波邇夜須毘古命(たけはにやすびこのみこと)孝元天皇…

日本の別名からもわかる「日本の前衛国家は烏孫」

…と同一と捉え天皇家は中央アジアから来ていると考えるので、一致する所がありまs。 そして2000年台の栗本慎一郎氏の著作物「シルクロードの経済人類学」(2007年)があります。烏孫の建築物の「聖方位」が日本に来ていることなどを理由としていました。 それから明治時代の研究者の佐伯好郎博士という人が、古墳時代に渡来した弓月君は、中央アジアの弓月国からきた説を唱えていました。もっとも佐伯さんの場合には、根源はイスラエルがルーツとしていますが。 この三者とも、日本の天皇家のルーツは、中…

むかしむかしあるところに大国主命が3人以上いました~烏孫と出雲に居た大国主命~

…? (2)大国主命が中央アジアに居た頃 変なことを言いますが、大国主命の内の一人は、中央アジアに居ました。それを証明してみます。 大国主命は出雲を建国をするとき、2つの奇妙な魂に助けられたのでした。 ・幸魂(さきみたま) ・奇魂(くしみたま) 想像ですが、日本の先祖は元々中央アジアにありました。烏孫、月氏、サカ、匈奴、バクトリア、などが日本のご先祖の国で、天皇家と日本民族の先祖も、元々あちらにいました。その後に烏孫から日本列島へ移住してきて、先住民、縄文系の人々と融合したと、…

聖徳太子は中央アジアから来た・・・西突厥の王族だった?

…ております 聖徳太子中央アジア人説 ということで、聖徳太子の話ですが、「聖徳太子中央アジア人説」ってあるんですが知ってますか。 小林靖子著「本当は恐ろしい万葉集」からも概要は読み取れますよ。本の内容から引用するとこうです。 ササン朝ペルシアのホスローⅡ世(五九〇~六二八)は突厥と親交し、版図を西に広げようと六一七年から六一九年にかけてエジプトまで遠征した。このホスロー二世の冠が同時代の西突厥の達頭(タルドウ)、私の推測する聖徳太子の冠と酷似しているのである(『聖徳太子の正体』…

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏 2022年改訂版

…。 「東西に分裂した中央アジアの遊牧民月氏族のうち、中国南部や東南アジアへ南下した月氏がいた。彼らは胡人といわれ、ペルシア系の文化を持っていたが、そのうちの一部が百年以上の後、東南アジアから黒潮に乗って奄美大島に到着し、さらに大隅半島を北上、北部九州に現れた。この月氏族が『記紀』にいう宮崎県の高千穂峰に天降った神武である。(中略)一部は東上して、すでにあった葛城氏を併呑して奈良盆地に定着し、ナガスネヒコ勢力になった。(中略)これら月氏族が列島から半島に現れたのは、奴国の建国間…

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

…紀頃の前漢の時代には中央アジアから満州に至る、広大な土地を支配していました。 彼らは馬に乗りカッポカッポと闊歩しました。匈奴の勢いは長く続きましたが、4世紀にはアジアから姿を消し、他の民族と同化してしまいました。 実は日本列島に、匈奴はかなり早い段階から入り込んでいたのでした。 以前に書いたブログ記事こちら~ 日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった - たっちゃんの古代史とか このブログから、すこし抜粋してみます。 ・日本書紀の記録から 蝦夷の生活様式と風貌、それに気質を調…

蜂子皇子から知る、蘇我氏=サカ人仮説(1)

…中枢の大和民族には、中央アジアから来た人々が含まれた・・・。 と言っても、普通は中央アジアって遠すぎだから、そんなに影響のある人が来たなら証拠見せろと、わかめられます・・・わめかれます。 栗本慎一郎氏の著書を読んだことがあれば、取っ付き易いです。 中央アジアのセミレチア(烏孫)から草原のシルクロードを通って倭へ入ってきた天皇家。中央アジアのサカが渡来し蘇我氏となった。クルガンと古墳の相似。彼らが作った中央アジア的な飛鳥の遺跡・・・中央アジアと日本で共通する聖方位の宮殿・・・。…

美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる

…いくと、最も古いのは中央アジアのアーリア人であると見られました。紀元前1500年頃のみずら状髪型の人形が見つかってます。 ユダヤ人(古代イスラエル人)のペイオトというみずら状の髪型について調べたところ、旧約聖書のモーセ五書のレビ記に、ペイオトの髪型が登場しています。モーセは紀元前13世紀頃の人物であるとされているようです、実在ならば。 中央アジアでは5世紀頃、ソグディアナ人がみずら状髪型をしていたことが、ベゼクリクの壁画でわかっています。下の画像は左がソグディアナ人、右が倭人…

日本の野菜は殆ど外国原産だったんですよ 2022年改訂版

…により伝来 玉ねぎ 中央アジア原産、江戸時代に伝来 トマト 南米アンデス山脈原産、1660年代頃に伝来 ブロッコリー地中海地方原産、幕末に伝来 茄子 インド東部原産、平安時代に伝来 にら 中国北部・モンゴル・シベリア原産、弥生時代に伝来 人参 アフガニスタン原産、16世紀に伝来 ねぎ 中国西部・中央アジア原産、弥生時代に伝来? 白菜 中国原産、江戸時代以前に伝来 ピーマン 南米原産?、明治初期に伝来 小麦 中央アジア・イラン原産、弥生時代中期に伝来 レタス 西アジア・地中海地…

正座は日本固有文化じゃなかった

…ほうです。あと古代の中央アジアでも、正座は普通だったとか。 エジプトに正座の起源があるのか で、私見としては、正座の本来の起源はエジプトなんじゃないかと考えてたんですが。確かめるべく、エジプトの遺跡のレリーフ(浮き彫り)に正座を求めて、検索してみると、こんなのがあった。 紀元前1270年のネフェルティティ墓の壁面のレリーフにも見られる、マアト(翼のある女神/ma'at)は、正座した姿で描かれることが多い。 egypt maat - Google 検索 正座か立膝かといった感じ…

日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった 2022年改訂版

…のでした。 5世紀に中央アジアで白匈奴(エフタル)が出現しますが、歴史上で6世紀頃には、中国大陸から匈奴の名は消えてしまう、これは歴史の定説です。 と思いきや、実は匈奴は日本列島の蝦夷の中に入り込んでいた、としたら、匈奴の郷土が新たに判明したということになり、にわかに匈奴まつりが始まってしまいます。 東日本の蝦夷は中国史書「宋書」では「毛人」とあって、通説的には縄文人の末裔だとか、アイヌ人のことだとかで、別名を毛野氏と言いました。 毛野氏というのは群馬、栃木、埼玉付近の豪族で…

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

…代天皇、神武天皇は、中央アジアの烏孫の昆莫と同一人物だった・・・ まぁほんとなら、天皇陛下も世の中の偉い人もびっくりですけど。 ここに述べたものは私見であるし、ごく一部分の一致を持ちだしたにすぎないので、日本の歴史に烏孫が組み込まれていることや、昆莫と神武天皇が同一人物という、決定的な回答ではないでせう。 勿論、神武天皇が架空の存在としたり、日本列島に実在したと考えることは、人それぞれの自由な発想でせう。日本古来の伝承を大切にする人は、この烏孫起源は頭ごなしに、気に入らないも…