さて、最近このブログでは烏孫が日本の起源であり、神武天皇は烏孫にいた、という話を頻繁にしてますが、これは本来電子書籍か出版社からの出版という形にする予定でした。でも当面の間は実現しそうにないのでブログで書き溜め、烏孫起源ホームページ(仮)にまとめようと思ってるところです。
これは多分いまの自分にとって、必要なことなのですよ。なんか巨大な何かに急かされているという気さえする。
○いつも助かっております
仮説としては1990年代の、加治木義博氏の著書がありました。加治木氏の場合、アレクサンドロス大王東征でインドに残された王族の末裔が卑弥呼であるという話でしたが(「新説日本誕生 黄金の女王卑弥呼」1992年)。
一方で加治木氏による卑弥呼は烏孫の末裔とする著作もあり(「新説日本誕生 建国前夜の巨大連邦発見」1993年)いずれにしても卑弥呼の一族はユーラシアの真ん中へんから来ているという仮説でした。
拙著では崇神天皇が卑弥呼と同一と捉え天皇家は中央アジアから来ていると考えるので、一致する所がありまs。
そして2000年台の栗本慎一郎氏の著作物「シルクロードの経済人類学」(2007年)があります。烏孫の建築物の「聖方位」が日本に来ていることなどを理由としていました。
それから明治時代の研究者の佐伯好郎博士という人が、古墳時代に渡来した弓月君は、中央アジアの弓月国からきた説を唱えていました。もっとも佐伯さんの場合には、根源はイスラエルがルーツとしていますが。
この三者とも、日本の天皇家のルーツは、中東や地中海地方まで行っておかしくないと考えていて、加治木氏は烏孫はギリシャ人とかマケドニア人と言っていましたが。
小林恵子氏著書では、天皇のルーツは月氏が起源のひとつだとしてました。
あとはこんな烏孫起源説のブログもあるのですが。
このブログは近年は更新をしなくなっているので、消えてしまうのが心配なのです。やはり天皇家は烏孫に居たことを骨子としていますがボクチソの意見とはやや異なっているようです。
ということでいろいろな本を読むと分かってくるのですが、烏孫が起源という仮説は以前からありました。
今回は烏孫が日本の前衛的な国家だったことを示す証拠を、日本の別名から捉えてみますよ。
日本の別名一覧
和語
- あしはらなかつくに - 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
- あきつしま - 「秋津(あきつ)」は、「とんぼ」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
- しきしま - 「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
- おおやしま - 国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。古事記では順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。
- ほつまのくに
- 「磯輪上秀真国(しわかみの:ほつまのくに)」(日本書紀・神武記)
- くわしほこちたるくに - 精巧な武器が備わっている国の意。
- 「細矛千足国」(日本書紀・神武記)
- たまかきうちのくに
- やまと - 大和国(奈良県)を特に指すとともに日本全体の意味にも使われる。
- みづほのくに - みずみずしい稲穂の実る国の意。
- 「瑞穂国」
- うらやすのくに - 心安(うらやす)の国の意。
- 「浦安国」(日本書紀・神武記)
- ひのいづるところ - 遣隋使が煬帝へ送った国書にある「日出處」を訓読したもの
- 「日出処」(隋書)
漢語「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、扶桑蓬莱伝説に準えた「扶桑」、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に瀛州(えいしゅう)・東瀛(とうえい)と記される[13]。このほかにも、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。「皇朝」は、もともと中原の天子の王朝をさす漢語だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。江戸時代の儒学者などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「帝国」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。大日本帝国憲法の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる。倭漢通用江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』に、倭漢通用の国称が掲載されている。
倭漢通用
江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』に、倭漢通用の国称が掲載されている。
この他にも応神紀で「食国(をすくに)」があると思うのだが、ウィキペディアでは現時点でこれだけ記録してある。
日本の別名は世界でも稀なほど多かったのでしたが、ここに西洋諸国の呼び名であるジャパン、ジャポン、ジパングなど加えたらさらに多くなります。
分類すると何系統で何十種かといったところ。そんなこんなで、ツイッターでこんな風につぶやいた。
これをさらに詳しくまとめるとこうなる。
日本の別名 ローマ字表記
・扶桑 fuso→uso→烏孫
・秀真 shushin→ushin→烏孫
・食国 wosu→烏孫
・葦原 ashi→烏孫
・倭 wa→wu→烏
・烏卵 wuran→烏孫
こういうことではないかと。
さらにいえば烏孫にはyamatuという地名があるし、玉垣内国というのは中央アジアの烏孫の地形を表しているではないですか。
青垣に四方を囲まれているという神武天皇の言葉も当てはまっているようではないですか。
そして元烏孫があった土地に残されている、ヤマトの地名・・・
烏孫はヤマトという別名を持っていたようなのです。この地名については、誰だったか、弓月国に関係して指摘した人が居たと思いましたが、何の著作物だったか。
今回は、日本の別名に烏孫が含まれていること、烏孫の土地にヤマトがあること。が、わかりました。では。
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