東アジアに大乗仏教が伝来して「大丈V~」とか言ってたのは4世紀頃からでした。
最も早かったのは前漢(紀元前1世紀)、その後は高句麗(372年)、百済(384年)、新羅(528年)で、日本は遅れて538年(552?)のことで、欽明天皇の時代でした。
日本に仏教が入ってきたのは6世紀(定説)。これは覚えてますか。
○いつも助かっております
「世界史年表・地図」仏教の伝播図
スマホでパチリ。
「世界史年表・地図」の地図19pの画像をみると、日本の大乗仏教は中央アジアを経てから日本へ入り込んでるのがわかるんですが。中央アジアの烏孫にはネストリウス派キリスト教(景教)が、1世紀の時点で入ってました。中央アジアの西域では、1世紀の段階で景教と仏教と融合を果たしてる筈ですね。
ところで神武天皇は実在なら、いつの人だったかですが。紀元前7世紀から西暦4世紀まで諸説あるんですよ。
前回の記事で、崇神天皇、垂仁天皇が3世紀ということは朝鮮半島の王の年代で表されることは解説したんですが。
垂仁天皇の時代が3世紀末~4世紀前半だったことを証明する方法
というふうに。そもそも「日本書紀」の崇神紀と、「魏志倭人伝」は内容が被るということは拙著「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」で明らかとしたんですが。内容で稚拙なところ、間違ってるところ、いろいろありましたが。
つまり神武天皇は少なくとも1世紀以前というのは確定してきて、おそらく紀元前2世紀頃なのではないかと思ってるのですが。個人的には「神武天皇=烏孫の昆莫」なんすけど。詳しくは過去記事で。
で、実は、「日本書紀」の神武天皇の記述に、仏教や仏陀が登場してるんではないかと思ってるんです。
定説では6世紀以前の日本に、仏教は存在しないわけだから、おかしいですね。なんでなのかと。
「日本書紀」の神武天皇条に、仏陀の名前らしきものが登場してました。
「日本書紀(一)」岩波文庫で確認できます。内容を要約すると、
神武東征の最中、神武天皇の一軍は、熊野で毒気にあたり、身動きが取れなくなってしまうのです。そこに地元の高倉下(たかくらじ)というおっさんが現れます。
高倉下は「天照大神が武甕槌神に命じて、神武天皇の元へ、邪気を払う神剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を降らせた」という夢を見たのです。確認したところ確かに高倉下の倉庫に剣がありました。
神武天皇はこの韴霊剣の霊力によって、毒気を払って勢いを取り戻し先に進むことができた・・・
ということなのです。
韴霊剣の記述には、以下の様な注釈が入っています。
「此をば赴屠能濔哆磨と云ふ」
「韴霊剣=赴屠能濔哆磨=ふつのみたま」と読むことがわかってくるわけなのです。で、赴屠という字を見て、ははぁこれはあれだなと。
たぶん「赴屠」というのは「仏陀」を表す言葉の亜種みたいなものではないかな?という、ふとした直感があったんですが・・・。
これを知るには辞書で「浮屠」を調べます。
デジタル大辞泉 「浮屠」1 《〈梵〉buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。
Wiktionary「浮屠」仏陀(buddha)の漢音訳。浮図と同時代で、仏陀より古い。
「ふと」という発音は一致しているし、「屠」の字も一致してます。
でも「赴」と「浮」の違いがあるのはなんでだろうと思って、漢字の意味を調べると。
「赴」おもむく。あるところに向かって急いでいく。つげる。人の死を急いで知らせる。(学研漢和大字典)
「屠」ほふる。からだをばらばらにして殺す(城内の者を皆殺しにすること)。(学研漢和大字典)
ということで、赴も屠も死を表す言葉でした。赴屠の字を使ったのは、神武天皇の低迷した場所は死者の国という意味合いがあつたのか。
仏陀をあらわす浮屠には「ほとけ」という意味があることに通じてたのです。日本で死者を「ほとけさん」と言うので。
つまり浮屠(ふと)と赴屠(ふと)は「死者」というキーワードで繋がっているのでした。だから神武東征のなかの赴屠には、浮屠=仏陀の名が現れていると見ることができたんですが。
ちなみになんで仏陀が古代中国で浮屠と呼ばれて、「浮屠=ばらばら死体が浮く」意味があるのかといえば、ブッダのサンスクリット語の意味として「体解した人」が含まれてるからかもしれませんよ。「体で理解すること」を体解というのだと思うんですが、体解を「ばらばらに分解する」と誤訳した結果、「屠」の字を当てたかもしれないんで。
で、仏陀というのは釈迦のことなんですが、釈迦は本名を「ゴウタマ・シッダッタ」と言うんですが、ここでまたピンと来たんですが。
韴霊というのは、訓読で「ふつのみたま」と読む。なんでこんな難解な漢字を当ててるんだろう?という疑問はあったので、韴霊を音読してみたりといろいろ試してみました。
「韴」はソウ、ゾウというのが呉音・漢音。すると、韴霊は「ゾウタマ」と読めることがわかって、つまりこれは釈迦の本名の「ゴウタマ」を示唆してるんじゃないかと。だとすると・・・。
そして気になったのは高倉下の名前ですね。これも釈迦の関係です。
高倉下はタカクラジ、音読みでは「コウソウゲ」ですが、釈迦の出身地はコーサラというんですよ。だから「高倉(コーソー)」が「コーサラ」に対応してるってわけです。「下」というのは、そうなるとシッダールタのことなんじゃないかと。
(下=した=シッダ)ということは
韴霊=ゾウタマ=ゴウタマ=釈迦
赴屠=浮屠=仏陀
高倉下=コーサラ国・シッダールタ
となるではないですか・・・まぁ想像なんですけど。「韴霊剣=赴屠能濔哆磨」と「高倉下」という人が登場する、熊野での短い言物語の中に、釈迦と仏陀の名と仏教の教えを込めたというわけだったんですよ。長い年月で発音が変容していることはあると見られます。
で、これだけじゃなくて神武天皇の熊野での低迷の出来事、これ自体に仏教の教義が込められてると分かったので、簡単にご説明。
初期の仏教のあり方
簡単に言うと、
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった。
仏教においては、迷いの世界から解脱しない限り、無限に存在する前世と、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。部派では「天・人・餓鬼・畜生・地獄」の五道、大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり、悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。
解脱を見ると、
仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す。
仏教はこういう意味があるんすよ。「自分自信の苦悩からの開放を目的とする。苦しい理由を知って解消することで、苦しさから逃れられる」と。。
で、神武天皇の東征で「韴霊剣=赴屠能濔哆磨」が登場した場面をもう一度振り返ってみると。
神武東征の最中、神武天皇の一軍は、熊野で毒気にあたり、身動きが取れなくなってしまうのです。そこに地元の高倉下(たかくらじ)というおっさんが現れます。
高倉下は「天照大神が武甕槌神に命じて、神武天皇の元へ、邪気を払う神剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を降らせた」という夢を見たのです。確認したところ確かに高倉下の倉庫に剣がありました。
神武天皇はこの韴霊剣の霊力によって、毒気を払って勢いを取り戻し先に進むことができた・・・
永遠につづくかのような苦しみの渦からの解脱が、神武東征のこの場面中にあらわされてるじゃないですか。
日本に仏教が渡来した定説は6世紀。この神武天皇の物語は紀元前2世紀頃とするなら
・・・日本に仏教伝来する前に、仏教的な輪廻と解脱の教義と、仏陀、釈迦という名の3点セットが、もれなく神武天皇の伝承に中に入ってた・・・てことになるんですよ。
果たして「日本書紀」の舎人親王と「古事記」の太安万侶」は、ここまで理解していたかどうかは分かりませんが。。
(追記)やっぱり舎人親王は仏陀・釈迦の本名などの情報を漢字に込めているのであり、全て理解していたのではないかと考えられます。
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