たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇

 

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相変わらず、信じても信じなくても、という話が続きます。

 

○いつも助かっております

 

 

 

「宋史」に日本の神様が列挙されてる

 

ご存じですか。「中国正史日本伝2(石原道博編訳」に収録されています。

 

天御中主  天之御中主とわかる
天村雲尊  どなた?天叢雲剣草薙剣?なんで神世七代に?
天八重雲尊 どなたですか状態・・・
天弥聞尊  どなたですか
天忍勝尊  天忍日尊か
贍波尊   ぜんは?どなた
万魂尊   どなた状態
利々魂尊  (; ̄▽ ̄)え?
国狭槌尊  国狭槌尊
角龔尊   角杙尊?
汲津丹尊  おいづに、ういじに
面垂尊   面足尊
国常立尊  国常立尊
天鑑尊   天鏡尊
天万尊   天万尊
沫名杵尊  あわなぎ
伊奘諾尊  いざなぎ
素盞烏尊  鳴ではなく烏を用いている
天照大神尊 あまてらす
正哉吾勝速日天押穂耳 おしほみみ
天彦尊   (; ̄▽ ̄)
炎尊    彦火火出見尊かという
彦瀲尊   彦瀲鵜葺草葺不合尊

なんだか見るからに変な神様の名前が出てくるんですよ。

これは記紀の原初の神、神世七代、神生みを通じて現れる日本の八百万の神のはずなんですが、記紀に登場する神様とぜんぜん違う、または異なった名前の神様が多いですね。。

要するに日本人でも伝承する神の名は違ったし、発音も人によって違ったでしょうし。中国人は、日本の神様の名前を正確に捉えていなかったとも見られます。

 

「時を経過すると、古代の名は変貌してしまう」

「外国人が伝えると、違う名前になってしまう」

 

これ重要です。人名でも同じことでした。

たとえば歴代天皇は「宋書」では、讃、珍、斎、興、武という名前に置き換えられてしまった(九州王朝説では天皇ではないとするとか)。

倭王讃というのは、讃める(ほめる)であるのです。

応神天皇は誉める(ほめる)の字を使って日本書紀では「誉田別」が実名であるので、倭王讃=誉田別(応神天皇)ではないかと考える事はできるんです。

 

神武天皇」というのは淡海三船による8世紀の命名だったのですが、淡海三船が何故、神日本磐余彦尊神武天皇と名づけたか、理由は不明でした。それの答えは明確なように思われます。

 

神武天皇を分解すると神武(Jin-Mu)で、これは(Kan-Mu)(Kan-Bu)と読むこともできるんです。

一方で烏孫の王、昆莫です。

昆莫は漢字の上古音で(Kuen-Mo)ですが、漢音だと昆莫(Kon-Bak)で、神武天皇と全く同じになることに気づきま専科。

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

神武は淡海三船によって、意図的に昆莫の名に合わせられているというわけなのです。え?疑わしいですか。。

では神武天皇と昆莫の皇后の名前が、仮に一致していたらどうですか。え?神武天皇だけにとどまらず皇后名までも?ときたら。まさか・・・。

 

神武天皇の后は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。

一方で烏孫の昆莫の皇后は、江都公主というんですが、本名は劉細君(リュウ・サイクン)というのです。

媛蹈鞴五十鈴媛命江都公主、劉細君・・・・・・ぜんぜん接点が無いですね、残念でしたというのが、従来の短絡的な見方です。

でも媛蹈鞴五十鈴媛命というのは、漢字を充てていることを念頭に置いて見てみると、違った答えが出ます。

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

 

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

一致しているように見えませんか。別の解釈でも。

 

五十 │Go │ To │(五=ゴ、十=トオと読んだ場合)
江都 │Go │ Tu │(江=ゴウと読んだ場合)

五十 │ I │ To │(五=イと読んだ場合)
江都 │E │ Tu │(江=エと読んだ場合

日本語の漢字の読みをした時に、暗号のようにして一致するように、日本書紀では漢字を選んでいるんです。

 

で、子息の名も一致してましたら、どうしますか。

 神武天皇の御子に手研耳命(たぎしみみのみこと)という人物がいます。

耳を手で研いだんですか?いや、そんなんじゃありません。これも本来「たぎしみみ」という音に、漢字を充てているだけです。

で、烏孫の昆莫の王子に、大禄という人がいました。当時の発音だと多分「ダルク」というのです。

 で、これも一致して無いように見えて、却下というのが一般の捉え方になるんだと思います。しかしなにか一つの特徴が見えてくるのですが、烏孫というのは、テュルク系の土地にあるのですよ。突厥、東湖、鐵勒、突騎施。これらユーラシア中央~東部の古代国家は「テュルク」の音写なのですね。テュルクが突厥、東湖、鐵勒、突騎施になってるんです。

で、手研耳に戻ると、これはTa-Gi-Si。突騎施はTur-Gi-Sh。なので完全一致ですよね。要するに手研耳命中央アジアにいて、テュルクの名を持っていたから、手研耳なのだと。これはまず覚えておいてください。

そしてつぎに大禄がダルクなのも、すぐわかりますけど、ダルクとはテュルクであると。

 つまり

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

ということでここでも一致が見られるではないですか。

ちなみに、この神武の息子手研耳命、昆莫の息子大禄、両者とも謀反を起こしているなど、事績としても一致するとか。このへんも重要な情報です。

 

たとえば百済新羅、漢、魏、こうした古代国家の王・后の名前と、神武天皇・皇后の名前を比較してみればわかります。ぜんぜん発音のひとかけらも一致しません。

神武天皇皇后と昆莫夫妻の名前が、どれだけ異常に一致点が多いのか。日本の神様や天皇が中国史書で難解に記録されたのに比べて、烏孫の登場人物と神武天皇一家の名前は、容易に一致していると見られたではないですか。

 

 だから神武天皇烏孫の昆莫と同一人物なんではないかと想像できるのですが・・・。神武天皇は日本にいたのではなく、烏孫に居たことを中国人は記録してた、というわけなんです。これはまだ一部の比較ですが、歴代天皇の比較でも一致しますので、今後明らかとしていきます。。

昆莫は中国の「漢書」「史記列伝」などに登場するのでチェックしてください。

 

 ここまで説明して、「天皇大和民族烏孫起源説」を信じないというのでもそれは仕方ないところです。べつに強制もしないし。

秘密結社だとか日ユ同祖論の先生も、歴史作家の先生も、この点にはまったく触れてないところですし。

歴史解釈は自由ということでー。では。

 

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