たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる

俺は普通の人が簡単にできることが、なにもできない。

そのことで、普通のことが普通にできる人々に、さんざん嘲笑されて生きてきました。

俺が世の中にいると、人々に悪心を発生させてしまう。迷惑なほうが多い。俺は居ない方がいいとか。

自分に残されたのは、古代史のヘンテコ研究のみ。

これにより、日本の失われた叡智の回復を試み、自身が生きている意味を探求していたのでしたが・・・。

ところで、関東山地の人里離れた山奥に、山林(家屋付き)を探しています。荒れ放題な土地をきれいに管理するし、格安物件はないですか(無料なら尚更良し)。お願いいたします。

 

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縄文時代の遺物というと土偶

 

遮光器土偶はいびつな体型をした奇妙な様相で知られます。その見た目から、宇宙人だとか古代の宇宙飛行士だなんていう突飛な話もありました。

遮光器というのは、北極圏のエスキモーが用いたゴーグルのこと。

 

縄文時代土偶は、紀元前1000年頃のものが多いらしいです。これは従来だと縄文晩期。最近では弥生時代の黎明期は、紀元前1000年まで行くとか言われます。土偶とは、そうした縄文文化弥生文化という2つの文化の結節する時期に、多く作られたとか。

だからもしかすると紀元前1000年より後の遮光器土偶の中には、弥生人が作ったものがあるかもしれない、ということになり、縄文時代弥生時代の区別とは曖昧なものなのだろうと思うのですが。

 

縄文土偶には様々なタイプがあって、グーグルの画像検索窓に「土偶」と入れるとこんなふうに出ますよ。

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無表情な土偶なんですが、最近気付いてしまいました。

土偶が秘めた、未だ知られざる、日本史を揺るがす大きな矛盾点に。

それは、

 

どんなにグーグルで画像検索しても、「縄文時代にはみずらの土偶が存在し無いんではないか」「みずらの割合が1割りに満たないんではないか」という衝撃的な事実。 

・・・これがなんで衝撃的なのか、わかりづらいかもですが、この話を進めると、日本史をくつがえすきっかけの一つとしては充分です。

 

まず日本神話には神代の古くから、「みずら」という、髪の毛を頬の両側に垂らす、特殊な髪型が登場するのです。以下の画像は遺跡から出土した、埴輪のタイプです。埴輪は、みずらがあるものと無いものとに大別されます。

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古事記』を見ると、みずらが最初に登場するのは伊邪那岐命の時代。黄泉の国へ向かったときに、みずらが登場します。

また、須佐之男命(すさのおのみこと)による八岐の大蛇(やまたのおろち)退治の時にも登場。『日本書紀』では天照大神が男装する時、みずらが登場します。

 

日本の神様というのは、伊邪那岐命から天照大神を経て、神武天皇につながっていきます。

だから現在の東京の皇居にご在住の今上天皇陛下のご先祖さまは、神武天皇であり、天照大神であり、伊邪那岐命であります。古代日本国を建国した建国主の末裔なのが天皇陛下なのでした。

通常、日本神話のみずらの記録は、「日本列島の天皇家のご先祖様の髪型のことだ」とかんがえて、疑う人は居なかったです。

そうすると当然、時代としては縄文時代から弥生時代後期頃にかけて、神代というものが当てはまっています。或いは神代とは古墳時代の出来事まで含みます。私見としては縄文時代から仏教伝来頃までが、神代に包括され、大陸の出来事までも神代に含まれます。

 

ところが日本列島でみずらの確認できる土人形、線刻画など探してみると、どうも弥生時代以前には遡らないようでした。

「紀元前1000年頃の縄文土偶に、みずらが見つから無い」

これは真夜中に真っ白い幽霊が目の前に現れるより、ある意味で恐ろしいことでした。

だいたい日本列島上で「みずらの埴輪」が出土し始めるのは、3世紀頃の遺跡からと思われるのです。

しかもみずら状の髪型というのは、実は紀元前のユーラシア大陸に存在していました。

これはユーラシアのみずら状髪型の図

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美豆良の謎から解く日本人のルーツを参照してください。

みずら状髪型の年代を追っていくと、最も古いのは中央アジアアーリア人であると見られました。紀元前1500年頃のみずら状髪型の人形が見つかってます。

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ユダヤ人(古代イスラエル人)のペイオトというみずら状の髪型について調べたところ、旧約聖書モーセ五書レビ記に、ペイオトの髪型が登場しています。モーセは紀元前13世紀頃の人物であるとされているようです、実在ならば。

中央アジアでは5世紀頃、ソグディアナ人がみずら状髪型をしていたことが、ベゼクリクの壁画でわかっています。下の画像は左がソグディアナ人、右が倭人の埴輪。

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東アジアでは『漢書』に夜郎、靡莫、滇の諸民族が「頭髪を椎(ツチ)状に結う」とあり、まさにみずら状の髪型でした。滇は紀元前3世紀ころからあり、皇帝から蛇の金印を授与されていました。これは志賀島で見つかった金印「漢委奴国王印」と同じデザインでした。

鄧至人のみずら状髪型が確認できるのは西暦520年。

 

 

つまり以上の要素から導き出される結論として、

伊邪那岐命天照大神の時代は、みずらの無い縄文時代ではなく、みずらのある弥生時代のほうが相応しい

・日本で明確にみずら髪型の人形が確認されるのは3世紀以降である

ユーラシア大陸にはみずら状髪型が紀元前から存在していた

記紀伊邪那岐命天照大神の頃の記録には、ユーラシア大陸での出来事が合わさっている

 

あるいは日本列島の古代文化・風習・民族の何もかもを日本列島起源だと当てはめたい人々にとっては、以上の結論はトンデモ扱いされるものかもしれず、それでも一向に構わないですが。

 

ところで、みずらは美しい豆が良いと書いて美豆良と書きます。

べつにこの髪型に美しい豆が良いという意味を込めているのではなく、単なる当て字であると思われがちです。しかし美豆良の3文字には、ある一つの明確な意味が込められていたようです。

ユーラシア大陸で最も古い、みずら状の髪型のあったアーリア人の土地が、ミスラ(ミトラ・マイトレーヤ弥勒菩薩)の発祥地であることが、美豆良(みずら)と大いに関係してます。

なぜならば美豆良は、ミズラ、ミトラを示唆しており、倭人のみずらの発祥地をその名で暗示しているからです。

これについては検索したら色々出てきます(検索結果)。

 

私見としては、スサノオと誓約(契約)した太陽神・天照大神の中に、契約の太陽神であるミスラが集合されているでせう。

 

以上が、倭人の美豆良(みずら)の正体であると考えますが、真相や如何に。

 

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