たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

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○いつも助かっております

 

 

 

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

 

実は烏孫と日本の歴史は、似たところがある

 

とかなんとか言ってると、トンデモ仮説扱いされてしまうところです。

しかし、これについてまじめに研究した本が既にあるのです。栗本氏の本「シルクロードの経済人類学」。

この本では、天皇大和民族烏孫起源を述べてますが、具体的に日本神話のどの神や人物が日本に関係するか、述べられてたかどうか、ど忘れして記憶になかったので、本を読み返しました。

すると烏孫のあったセミレチア(キルギス付近)が、天皇氏族や蘇我氏を始めとする、一部の日本人の故郷であると書いてありました。

そこから2~4世紀頃の日本列島に、正方位や弥勒信仰と共に、天皇蘇我氏の一族が移動してきて、日本を統治した、そんなような内容でした。ともかく烏孫について研究した数少ない日本語の書物なのでした。

 

ということで、ここでは烏孫と日本の起きた出来事の設定は、とても似ているところが多いという点を指摘しておきます。特に神武天皇の記録について、「漢書」「史記列伝」の烏孫に似た設定が見られるので。

勿論これは私見としてなので、思い込みや決め付けといえばそうかもしれないのでご注意を。

既にまとめたものの中から、少しばかり、かいつまんで見ていきます。

 

国の位置

烏孫の前身の国(烏孫の王昆莫の父の国)は、匈奴の西にあった

神武天皇は日本列島の西(日向の高千穂)にいた

烏孫のあった場所は、秦氏の出身地という弓月国の場所。弓月国自体、烏孫の後裔)

 

神と呼ばれた王

烏孫の昆弥(王)は匈奴単于により、神と呼ばれた。

神武天皇は神のつく天皇であり、和風諡号も「神日本磐余彦(神倭伊波礼毘古)」。

 

王号

倭の王号は大王(オオキミ・オホキミ・キミ)

烏孫は昆弥(発音はクンミで短縮すればキミに近い)

 

動物に助けられる王

烏孫の昆莫は子供の頃、鳥と狼に助けられた(これは騎馬民族の神話)。

神武天皇は鳥(八咫烏・金鵄)に助けられた。神武伝説に狼は登場しないが、天照大神に助けられており、大神(おおかみ)が狼を示唆する。

 

大移動

烏孫の昆莫は月氏の本拠のあった敦煌付近から、天山山脈の北方へ大移動した。

神武天皇は九州の日向から奈良盆地へ大移動した。

 

息子が王位を奪うために反乱

・昆莫の息子、大禄は王位を奪うため反乱を起こした。

神武天皇の子、タギシミミは皇位を奪うため反乱を起こした。

 

理解できましたか。要するに神武東征伝説には、烏孫の昆莫の物語が組み込まれているのだと。これほどに国王の事績同士が似通う例は、倭の近隣諸国の王と比較してみても、まず見当たらないです。

日本の初代天皇神武天皇は、中央アジア烏孫の昆莫と同一人物だった・・・

まぁほんとなら、天皇陛下も世の中の偉い人もびっくりですけど。

 

ここに述べたものは私見であるし、ごく一部分の一致を持ちだしたにすぎないので、日本の歴史に烏孫が組み込まれていることや、昆莫と神武天皇が同一人物という、決定的な回答ではないでせう。

勿論、神武天皇が架空の存在としたり、日本列島に実在したと考えることは、人それぞれの自由な発想でせう。日本古来の伝承を大切にする人は、この烏孫起源は頭ごなしに、気に入らないものかもしれない。

 

・・・でもなんか似てる。

この烏孫史と日本史の奇妙な一致が、偶然や無関係とは言いがたい決定打は、闇の組織に殺されずに来年も生きてれば、完全な形で披露できるかもしれんです。

 

おわり

 

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