たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

diyで屋根修理の準備と28日の爆音

28日夜の、東京電力の鉄塔の高圧線の爆音がすごかった。

 

○いつも助かっております

 

 

 

これが1日、1時間おきに10~30分継続したりすることがあるのですよ。

引っ越しの直後から、時々起こる。幻聴じゃない。

絶対にニュースにならない、非ニュース案件。裏ありすぎ。

 

ドーン!ドドーン!含め、

何故か大騒音は俺が出してることにされ、2年間にわたり近隣の中高年から嫌がらせされまくったのだが。

真相は飛行機が落とす未知の爆音だったり、自衛隊の爆音だったり、あとは高圧線の爆音、近隣がわざとらしく出す騒音だったりするわけなのだが。

で、修理で俺が音を出せば、「ほらやっぱり」みたいにとなりのおばさんが嘲笑い出し、関連付けられ俺のせいで固められる。

不愉快な感じが継続中なわけなのだが。

「あのスゴイ爆音はうちじゃない」

「あの爆音と、俺の家の音は、全くの別モノだ」

「よその騒音なのに、何で俺に抗議するんだ」

「文句あるなら東京電力や政府に言ってくればいいのに」

 

と、こちらがていねいに申し上げても、ボケていたり思考が回らない人は理解ができないらし。

玄関ドアで2年以上も一生懸命、ばたん!ばたん!やり返してるおばさん、何なの。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そんな中でも、こつこつと自宅解体修理の準備は進めてきました。

 

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足場は組んだし、

 

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コンパネは大量に入手したし、

 

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材木も250cm~400cmのツーバイ材を50本以上、

 

ビスも大量に用意したし、

アスファルトルーフィングもスレートも準備できたし、

 

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工具もある程度揃ったし、

 

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丸のこは買ったし、9割準備ok。

 

大工仕事の練習もしていたので。

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こんな具合に。

 

とにかくバリバリ家を解体して、DIYでの再建であと5~10年はもちこたえてくれないかと。

この家の問題は、屋根や床や壁がボロボロになってる部屋があること。

掃除や塗装で、なんとかカビや腐食を排除し維持してたのも、もう限界かと。

なんでこんな廃屋満たんな家を購入しちゃったのかと、後悔も先にたたないんすけどね。あの時は家を追い出されるような形で、すぐ引っ越し先を決めなきゃいけなかったので。予算も厳しかったし。

 

 

10年たった後は、別の家に住んでいたいです。

まぁ近いうちに大地震が来れば、壊れる可能性があるんですけどね、おわた・・・。

 

 

高輪ゲートウェイから発想するスターゲイトの実在性

この話については俺の想像なので、ぜんぜん現実に沿ってないかもしれないです。

しかしエスパーと呼ばれたことがある俺なので(どこで)、想像が何故だか良く当たることがあると評判らしいです(え)。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

山手線の新駅

 

なんか山手線に新駅が出来る。高輪ゲートウェイ駅。

画像や航空写真みると、なんか宇宙船っぽい巨大な建物みたいです。

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ちょうど芝浦水再生センターのゆるキャラ、アース君の視線の先にあるようです。

目と鼻の先に、中央リニア新幹線の品川駅もできるとか。

 

これまで山手線の駅といえば漢字で3~5文字で、秋葉原駅、東京駅、西日暮里駅とか田端駅とかそんな感じだったです。それが令和時代に高輪ゲートウェイと始めてカタカナを導入したとか。

それで何故かこのカタカナが気に入らないとか言って、名称にたいする反対運動も起きてるらしいですね。

他の無数にある路線の、無数にあるカタカナ駅は差し置いて、何故か山手線の高輪ゲートウェイ駅だけが気に入らないとか言う奇妙な話なのですが。

この駅、山手線の30番目の駅だとか。そんでもって新駅の名称は、公募した中で130位で36票が入った名前だったとか。確かに奇妙だし、意味深ではありました。

なお、正式駅名に採用された「高輪ゲートウェイ」は36件で130位であった

高輪ゲートウェイ駅 - Wikipedia

30、130。36=666?いるみなてい的な何かですね。

そういえば俺の誕生日が1977年の1月30日なのですが・・・。

 

 

ゲートウェイって

 

この一悶着してる高輪ゲートウェイという名前、昔高輪が江戸の玄関口(高輪大木戸)だったことに由来するらしいです。

といろいろ調べていると、ゲートウェイというのは、IT用語にも存在しているとわかりました。

ゲートウェイ (gateway) は、コンピュータネットワークをプロトコルの異なるネットワークと接続するためのネットワークノードである。

ゲートウェイ - Wikipedia

つまり高輪ゲートウェイとは、なにか「別の場所に繋がってる」みたいなニュアンスが、含まれている気がしました。

品川駅のマグレブ超電導)の乗り物が隣接することが関係するかもですが。

しかしそれ以上に、「次元の異なる空間にアクセスできる」ような意味合いが含まれているようで、俺の妄想がエスカレートしました。

 

 

映画の中のゲートウェイ

 

ひと昔まえに「ゼイリブ(They live)」というトンデモな映画がありまして、これ過去に何度も見ました。ネットで。

この映画はかんたんに言えば「地球を自在に支配してる宇宙人の存在に気づいちゃたので、戦いを挑んで秘密を暴露する」という中身でした。

They Live (1988) - video dailymotion

 

1:21:05の地下軍事施設の場面

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こんな場面が出てきていました。

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大都市の軍事施設の地下にスターゲイト的な設備があり、そこにビジネスマンが立つと、遥か宇宙の果てまで瞬時に移動できてしまうとかいう、宇宙人の技術。

 

 コレ見ていて、なんか「リング」が思い浮かびました。

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リング 貞子 井戸 テレビ 邪眼 (貞子画像only) Hisashi Asakura (RIO) - YouTube

 

「リング」

1998年1月31日公開のほらー映画。

井戸の底で死んだ超能力者、山村貞子の思念がビデオに念写され、テレビ画面を通じて現実に実体化して呪い殺す話。

 

 

スターゲイト

 

あと忘れてならぬのが「スターゲイト」という1994年の映画。

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Stargate (1994) Official Trailer HQ - YouTube

エジプトで謎の輪っかが発掘され、天才考古学者によりそれがワームホールを作り出して、星間瞬間移動をできるスターゲイト(星間瞬間移動装置)だと判明、軍隊が輪っかを使ってみたら別の惑星にたどり着いて、機械文明と戦うはめになったという話。

 

この映画で地球を表すシェブロン

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スターゲイト - Wikipedia

 

この星間移動装置は、事実を元にした話だったんではないかと、言う人もいます。

youtu.be

 

 

 

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 要するに高輪ゲートウェイって

 

するってーと何かい?宇宙の果てまでひとっ飛びできる高度な輪っかの交通機関がそのへんに実際にあるから、高輪ゲートウェイって名付けられてるってのかい?何言ってやんでいバーロー畜生。

と、思った人も多いかもしれません。

証拠なんか。何1つ存在しないじゃないかと・・・。

 

しかし港区の南部の各地を見ると、なんか意味深な情報が出てきたりするのでした。

 

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港区 (東京都) - Wikipedia

 

まず港区章を見れば、「み」をモチーフにしているとか言ってますが、なんか輪と輪がワームホールで繋がったような形状なのですね。∞みたいな。

あと港区のベイエリアのほう見ると、埋立地に「東京テレポート駅」があったりします。テレポートって、瞬間移動のことじゃないっすか。

港区といえばアメリカ人が大勢住んでるところで、ゼイリブやらスターゲイトやらの主人公はアメリカ人でした。

そう言えば港区のレインボーブリッジは、高輪ゲートウェイのそばなのですが。この橋が、「スターゲイト」の地球を表すシェブロンぽいことにも気づきました。

 

アース君、高輪ゲートウェイ東京テレポートという何か宇宙の移動を表す要素が揃っていて、レインボーブリッジと港区章はスターゲイト的というのは、偶然なのかと。

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港区のスターゲイト的要素

・港区章(ワームホールでの瞬間移動を表すようなかたち)

・高輪ゲートウェイ(高次元の輪っかのゲートウェイ

東京テレポート(瞬間移動)

・港区のレインボーブリッジは地球を表すシェブロンスターゲイト

・アース君が高輪ゲートウェイ駅を見てる

というわけで高輪ゲートウェイは、こうした要素が絡んでこの名前がついてるのかと。

こんなふうに偶然が重なるのは気になるところです。何しろ世の中には偶然というものは、無いらしいので。まぁ、想像の話でした。

 

しかし港区を含めて、日本の大深度地下空間に何があるのか、実際の最先端の科学技術はどこまで進んでるのか。というのは一般庶民じゃ知れないことです。

偉い人は多分知っていて、世界の要所要所で宇宙人が出入りしているというのは、想像するばかりですが。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんか色々と疲れてしまって、きょうは胸が苦しかったりする。

では屋根修理のコンパネと、丸のこなどの道具を通販で入手することにしよう。

 

 

 

ヤマガタがマガダに見マガうモノガタリ

ふとした瞬間に考えること。

今年も墓参りも親戚づきあいもしないのだろうなと。俺みたいなバケモノがいれば迷惑だろうから、潔く身を引きたいわけなのですが。

さらに、これから自分が一人で人知れず死ぬ瞬間や、死んだ後朽ち果てて発見された後、どうなるのか。なにかのサービスに事前に登録してお金を払って予約していれば、孤独死の直後に火葬や散骨などの処理まで対応してくれるのだろうか。

探してみようかと。そんな孤独死対応な良心的サービスないですか。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

ヤマガタ

 

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羽黒山 (山形県) - Wikipedia

 

ヤマガタがマガダに見マガうモノガタリ

(山形がマガダに見紛う物語)

 

子供の頃、山形に頻繁に旅行に出かけてました。お盆の恒例でしたが、やがて引きこもりになってから行く機会もまるで無くなったのでした。

近頃、山形はなぜヤマガタなのかって、考えてました。

それは良く言われるように、山にかこまれた地形だから。山がちな地形だから。
みたいな安直な回答で、済ますこともできる。

ところがちょっと視点と発想を変えてみると、通説が違うふうにしか見えませんでした。

ヒントはヤマガタという名前と、人の横顔みたいに見える山形のイビツなかたち。

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古来の出羽国アイヌ蝦夷の土地だったとか。

古墳時代に奈良の大和王権の支配地となったらしく、かなり多くの前方後円墳が見つかっていたりします。

593年に蜂子皇子(はちこのみこ、はちのこのみこ)が大和の王権による暗殺の手から出羽の地に逃げ延び、三本足の霊鳥(八咫烏)の導きにより伊氐波神(いではのかみ)を祀る羽黒山を開山したとか。

さらに月読を祀る月山、大山祇神大己貴命少彦名命を祀る湯殿山も合わせて開山し、これらが出羽三山と呼ばれて崇敬されるようになったとか。

ちなみに神仏習合本地垂迹(ほんぢすいじゃく)思想では、次のように仏教の菩薩や如来にあてられたとか。

羽黒山 観音菩薩

・月山 阿弥陀如来

湯殿山 大日如来

 ・湯殿山神社 - Wikipedia

んでもって月山、羽黒山湯殿山出羽三山での仏教信仰が篤くなったようです。

7世紀になると呪術者の役小角が吉野の山中で修行中、蔵王権現が現れたので金峰山寺に祀り出したとか言います。蔵王権現は釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の3体の習合ということで、なにか出羽三山御神体とも通じているようです。

和銅元年(708年)、陸奥国日本海側に出羽(いでは)郡が置かれ、飛鳥時代には既には最上郡、飽海郡、村上郡など、いまと同様な郡郷の祖形は完成してたとか。

そのご出羽国羽前国羽後国に分かれ、近代には山形県秋田県になりました。

 

要するに山形が仏教に通じるようになったのは、593年の蜂子皇子が出羽に入った直後からのようでした。

それでこの蜂子皇子というのは仏教を信仰する蘇我氏で、その異国人的な容姿から、インド系のサカ族から出て、若い頃に天皇家帰化したのではないかと考えられます。

以前に記事書いてました。

すると山形の正体は、古代インドのマガダから導かれるんじゃないかと、そんな気がしてなりませんでした。

 

 

マガダ

 

紀元前に釈迦が生まれてから数百年のち、インドの東部に誕生したのがマガダ国でした。(紀元前413年 - 紀元前395年)

調べたところ、この国は仏教が早くから浸透し、世界最初の仏教寺院の竹林精舎、釈迦が過ごしたという霊鷲山(りょうじゅせん)が存在しました。

山形とは仏教で繋がってるわけなのですが、名前を最初見た時にもう理解しました。

「ヤマガタのヤを抜いたらマガタになって、まるっきりマガダだな」と。

でこのマガダ国の地形図を見てさらに「あ」と気づいてしまいました。

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マガダ国 - Wikipedia

 

 これを現代の地図に重ねて拡大してみたのが、以下の図。

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インド東部からバングラデシュにかけての広範囲が、当初のマガダの範囲となってました。中心と成るのはガンジス河の下流域で、西ベンガル、ジャールカンドといったところです。

ちなみにベンガルバングラデシュバングラは元は同じ意味で、中世まであったヴァンガ地方とガウル地方を組み合わせてベンガルにしたらしいです。

ベンガル地方 - Wikipedia

 

 

ヤマガタとマガダ

 

名前が似てるだけじゃなく、意外と国の形も似てるんではないかと、気づくことになりました。以下はヤマガタとマガダを比較した地図。

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なにか全体的に見れば「勾玉(まがたま)」的な形状の両者は、たしかに細部を見ても似ているところがあったりします。

たとえば地図の左側の地形は、全く同じ凹凸をしているし、北側の突起も似通った形状ではないですか。

これはたぶん蜂子皇子や役小角行基といった昔の天才連中が、こんなふうに山形の境界線をマガダ風に決定しているのではないかと、そんな気がするわけですが。

 

 

竹林精舎とベニバナ

 

山形といえばベニバナが有名だったりしました。県花にもなっているほど生産が盛んで、黄色や橙色が綺麗でベニバナ染めに使われたりもします。

この花は古代のエチオピア原産で、中国から5~6世紀に日本に入ってきた外来植物だとか。それはちょうど聖徳太子や蜂子皇子が存命した頃に重なっていました。

出羽国で栽培が盛んになったのは江戸時代らしいですが、西日本にいた蜂子皇子が出羽に入っているので、当時からヤマガタでも知られた花だったと思われました。

これがどうも、マガダとヤマガタが運命的にも繋がっていたことを証明してしまう要素になるのです。

マガダにあった天竺五精舎のひとつ、竹林精舎はサンスクリット語での名を「Venuvana-vihāra」と言ったとか。


Venuvana-vihāra・・・ベニバナ美原。

そうなのです。マガダの竹林精舎はベニバナで、ヤマガタの名物がベニバナ。名前と形と仏教の聖地、ベニバナでの運命的繋がりが現れてきていたと。

 

 

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 出羽や最上川の由来もインドかも

 

するってーと何かい?

蜂子皇子の仕業によって、古代インドのマガダに名前も形も由来させられたヤマガタは、他にもインド的な要素があるってことかい?

そうです、ありました。

山形の古名である、出羽、これもどうやらインドにちなむ名前かもしれないなと。

平安時代までは、出羽と書いて「いでは」と読むのが通常でした。これ、ひょっとしたらこんな真相が隠されていたかも。

Ide-ha 出羽

Ind-ia インディア

India(インディア)→イディア→イデハ→出羽

 こういうことで、出羽(いでは)とはインディアの音写だったのではないかと、思う次第なのです。

また出羽をデヴァとするなら、サンスクリット語の「神様」の意味になるので、仏教聖地出羽三山にはおあつらえ向きかと。

続いて最上川(もがみ)ですが、定説ではむかし最上川にあった「藻が湖」を由来とするとされていました。しかし全てがインドなことを踏まえると、最上川も本来はマガミ川だったのかと。

モガミ川

マガダ

マガダ川→マガ川→モガ川→モガミ川(毛賀美)

 こういうことかと。

 あと出羽は別名を両州と言ったらしいです。これは意味不明でしたが、マガダに関連していると考えると一目瞭然な感じでした。

「両」は訓読みすれば「ふた」であり、「ぶっだ」、仏陀の意味が密かに込められて「両州」と呼ばれたのかもしれないなと。

 

 

月山がある説明も付く

 

Induとは月のことで、インドと似てるなと発想できます。この発想じつは三蔵法師が発表したのが最初で、この方は「インドの名は月に由来するのだ」と語っていたとか。印度と漢字を当てたのも三蔵法師でした。

それで出羽三山の信仰では、月山の存在感がとても大きいです。この山は月読命を祀っているのでまさに月を象徴していました。

蜂子皇子が月山と名付けたのは、実は月山=インド山で、インドと関連付けてのことだったとすれば、これもまたマガダに由来するとして見てもおかしくないことでした。

 

 

・・・

といった具合にヤマガタはマガダと密接な関連があったという、誰も知らない真相に近づくことができたようです。

と言っても、ほんとのところは蜂子皇子に聞いてみないとわかりません。

 

関連記事

蜂子皇子から知る、蘇我氏=サカ人仮説(1) 

 (2)を書くの忘れた・・・

 

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癒(いやし)の語源と邪馬壱国(病国)から気づいた「卑弥呼のキリスト信仰らしきもの」と言霊の仕掛け

 

最近は重曹クエン酸効果で体の状態は良かったのだが、ストレス過剰なせいか痛みがでたりした。それで自己治癒力を高めようと、熱いお湯で温めてみたり、色々試しているところ。

不愉快ばっかりでストレスだらけだと、精神的に自己治癒力を高めることは難しくなるらしいです。

治癒の「癒」といえば、邪馬台国倭国大乱を鎮め、癒やしたらしいのが卑弥呼でした。

この邪馬台国卑弥呼は、どうも「病(やまい)」とも無関係では無かったようです。この辺から、想像し難かった西側世界との奇妙な繋がりも見えてきたりしました。

 

○いつも助かっております

 

 

 

アシダカグモ

 

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ちなみに17日に風呂にいた、アシダカグモ。つかまえてビニール袋に入れて観察してみた。

胴体が笑ったおじさんの顔や髑髏に見えるのは、長い年月を経て人の顔に擬態した結果だとか。

この蜘蛛はこんなめちゃくちゃ悪魔的な風貌をしているけれど、人間にとっての害虫を根こそぎ食べるし毒は持ってないので、益虫だったりする。人(蜘蛛)は見た目が9割というけれど、実際は見た目で判断できない。

このアシダカグモは、日本最大級の種類らしい。後ろ足から前足までが100円玉の3倍あって、直径6cmくらいだった。外に逃がしました。

 

 

漢字の黎明の関連付け

 

まだビフォーキリストの時代、漢字が倭の国に入ってきた黎明期。
倭の賢人は、漢字ひとつひとつに、ヤマト言葉を当てはめていったようです。

それは漢や魏と交易するのに、言葉の理解と詔書類が不可欠だったから。

 

倭に対しては、やまと。

人に対しては、ひと。

国に対しては、くに。

この作業は日本の常用漢字2,000字どころか、中国古典に記される常用外も含めて数万字に及んでいた。これを弥生時代卑弥呼の頃にには行っていたのではないかと。想像するばかりです。

おこなったのは誰かと考えれば、卑弥呼などの詔書をしたためるような偉い人が、漢字を読める大陸系スタッフをかき集めたと言って、外れてないはずですね。

最初の漢字を記す文官は、倭と漢の言葉を使いこなす、ハーフな人だったかもしれません。それでいつしか、日本の漢字には同音異義の漢字が多数になってました。

同音異義語というのは一般解釈としてはたまたま同じになったとかいう。
しかし古代には言葉と文字は「言霊」として祝詞や呪詛で使う生きモノでした。
たまたま全ての同音異義語ができたという単純な発想の他、関連付けの結果で同じになったものが多数含まれる、或いは殆どがこれだと考えるようになりました。

たとえば、

 

氷と郡

氷は水の固まり。

郡は村の固まり。

どっちも固まりの意味で同じだから、どっちもこおり。

 

蛙と変

蛙はオタマジャクシから蛙に変化する。

変は変化すること、変えること。

だからどっちもかえる。

 

天と雨と飴

天は空に広がる空間。

雨は空から降る水。

飴は雨つぶのようで、溶かした状態は水たまりのよう。

だからどれもあめ。

こんなふうに考えていくと、漢字が導入されて以降に、言霊を意図して同音異義語の関連付けがされたものが多いのだろうと、理解できてくるのですが。

その一例としてふさわしい言葉に、「いやす」がありました。 

 

 

エスが漢字になっていた

 

「いやす」という日本語を見てみると、気づくこともあったりします。

この言葉、なんだか「イエス」に近い言葉であるなと、薄々目を付けていたので、今回取り上げることにしたのです。

エス yes

イヤス yas(iyasu)癒

 

BC1に生まれたというイエスは、多くの人に教えを説いたり病を癒して信徒を集めた後、ユダヤの王と救世主を自称したのでローマに敵対し、ゴルゴダの丘で十字架に磔にされる罪人となったとか。

いわば崇められた後に不条理に貶められた人で、後に復活したことで神格化をされていました。


日本語の「いやす」のポジティブなほうには「癒(いやす・いやし)」があって、これが何か妙にイエスに似ていたりする。

他に「療(いやす)」「医(いやす)「薬(いやす)」があり、上記の4つは全て心身を治療することだけに関係していますね。

 しかも「薬」の場合は「くすり」と読むのが意味深でした。

薬→くすり→Kusuri→Csri

キリスト→Christ

薬=iyasu・chsuri

薬はなにか、イエスキリスト的な「いやす・くすり」が入っていたようです。

 

一方でネガティブな方を見てみる。

すると、「卑(いやしい)」、「賎(いやしい)」などがあったりしますね。

 

「癒・医・療(いやす・いやし)」⇔「卑・賤(いやしい)」と並べてみると、どちらも「いやし」を含んでいて、なんだか対義語のような関係にも思えたりします。

まるで癒し系から罪人に落とされた、イエスの人生を表すようにも感じられるではないですか。「癒→賤」

 

さらに「癒」には「いえる」の読みがあるのも意味深でした。なぜならキリストのいたイスラエルでは神様のことを「エル」とか呼んでいたから。

イスラエルとかいう名の意味も「神(エル)と戦う(イスラ)」らしいですね。

 【癒】

意味:病気や傷がなおる、なおす

いやす・いやし イエス

いえる エル

 

 

 ふわふわおたまじゃくし

 

癒の中国上古・中古音との関連

 

これが偶然でなくて、漢字の意味に対して「いやす」という訓読みを「作成した」結果ではないかと思える理由が、癒の上古音にありました。

「癒」の字について、「学研漢和大字典」で引いて気がついたことです。

この字典は言語学者藤堂明保がまとめたもので、数万字の漢字一文字づつに、大陸での各時代の音韻まで掲載しています。

上古音(周・秦)

中古音(隋・唐)

中原音韻(元)

現代北京語

 と言った具合に。

 

「癒」の項目を見ると、上古音では「ジュー(diug)」という音で、中古音では「ユ(yiu)」、中原音韻は「iu」、現代北京語は「u(yu)」というふうに変遷していることがわかりました。

ここでなぜ癒が、キリストに関連づいているかの補足が成り立つわけなのです。

それは上古音では、「癒(ジュー/diug)で、ジューといえばjewish(jew)でユダヤ人を意味している言葉だったから。

中古音の「ユ(yiu)」も、ユダヤのユなのですよね。

そういえば、漢字を作った人々のなかには、古代イスラエル人が含まれていた説があって、けっこう知られていますし。

 

というわけで、「癒」には他に訓読みが無いし、イエス的「イヤシ」で確定していて、中国ではジュー(ユダヤ人)と読んでいた。イエスとジューが組み合わさっている漢字だったんですよ。

こうなってくるとやはり古代、「癒」という文字をいやし(イエス)と読ませるように、倭の賢人、卑弥呼が作り上げたのではないかと、低学歴的に発想したくなります。

 

 【癒】

意味:病気や傷がなおる、なおす

・いやす・いやし(Iyasu)→Yes(イエス

・いえる(Ieru)→El(エル)

・中国上古音 dieu(ジュー)→jew(ユダヤ

 

 

 倭国の邪馬壱国は病国

 

魏志倭人伝」や「後漢書倭伝」にあるとおり、倭国大乱(倭国乱)で女王卑弥呼が擁立されると、その未曾有の殺し合いはピタリと止んだとか。

まるで病んだ人を、瞬時に薬で癒したかのように。

要するに卑弥呼は救世主であり、特効薬だったのだろなと。

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「中国正史日本伝(1)石原道博編訳p112より

 

日本書紀」の崇神天皇の条を見れば、疫病が蔓延し百姓が反逆する事態が続いたとあるので、「卑弥呼の時代の倭国大乱=崇神天皇の時代の疫病と反乱」で間違いなしと見ています。

手元の岩波文庫の「日本書紀(一)」を見ると、

五年に、国内に疫病(えやみ)多くして、民(おほみたから)死亡(まか)れる者有りて、且大半(なかばに)半(す)ぎなむとす。

六年に、百姓流離(さすら)へぬ。或いはそむくもの有り。其の勢、徳(うつくしび)を以て治めむこと難(かた)し。

日本書紀(一)」岩波文庫 p276~278

 

それで古代の中国の歴史書を見れば、おかしな記述があります。

よく知られる「邪馬台国(邪馬臺国)」の「やまたい」ではなくて、実は「やまい国」が使われていました。

やまい国(邪馬壹国=邪馬壱国)。

ニュースとかではヤマタイ国ばっかりで、ヤマイ国のほうは滅多に使われず、知らない人のほうが多かったりします。

なんで倭の首都が「やまい」なのかは不思議なことです。まるで邪馬台とは違う別物の国のようで。ヤマイモの国だったのかと思ったら大間違いでした。

これも実は「日本書紀」の崇神天皇の時代、「疫病が蔓延した」ことと整合する名称でした。このことは、以前に出していた電子書籍の拙著にも記していたところです。

 

要するに倭が疫病が蔓延する「やまいの国=病国」になったこと、これを表すために「邪馬壱国(病国)」と書いていたのであろうと想像するばかりです。 

 

【病】

①やむ・やまい からだが弾力を失って動けぬようになる。転じて広く、病気になる。また、病気のこと。

②からだが硬直して動けないさま。

③うれい つらいこと。くるしみ。心配。また、欠点。

④やむ・くるしむ つらく思う。困って悩む。

古訓 カシク、ナラフ、ヤマヒ、ヤマフス、ヤム、ヤモヘル、

 

「学研漢和大字典」より

 病の状態は倭国大乱の様子に似ていますね。邪馬壱国(邪馬台国)が登場する場面はまさに倭国が病んでいたこと、それがやまい国で現していておかしくなかったです。

このことは、百科事典にも乗っていないですが、学者のかたは考えてみたほうがいいです。かなり整合する話なので。

昔は病をナラフと読んで、ナラを含んでいることも、かつて北部九州の邪馬台国の別名がナラであり、後に畿内が奈良となったことに通じているようです。

そういえば甘いものを食べ過ぎると病気になるのはもう知られている事実です。病(yamai)が「amai(甘い)を含んでいるのも、「甘い食べ物は病気につながる」ことを倭人も良く知っていたがためかもしれないです。

 

 

卑弥呼の名に「いやし」と「いやしむ」と「えやみ」が含まれる

 

まとめると、卑の意味より以前に、卑弥呼は音を重視した気がしました。

卑の音だけ重視すれば、「いやし(癒し)」でありつつ、また同時に「卑しい」という相反するものを含んでいました。

そこから卑弥呼がキリストについても把握して、下手すると信仰心を持って取り入れていたのではないかとの疑念が浮かびました。

卑弥呼が「himiko」で「imiko(忌み子)」を含んでいることも、これに関係しているようです。

あとは卑弥呼の名自体にも、「えやみ」が隠されているような感じも気になります。卑弥は「いやみ」であり、「えやみ」だから。

卑弥→「卑(いや)弥(み)」→えやみ→病(やまい)→邪馬壱国」

言葉遊び的なものが、言霊の根幹にあることは疑いようがないです。

こういった関連も含めて、病の国の意味を込め、邪馬壱国の名を使っていたのではないかと。

そうするとやっぱり「魏略」で最初に倭人のことを詳しくまとめた魚拳なる人物とは、おそらく倭人に近い人物で、卑弥呼と協力して倭人伝の基礎的情報をまとめたのではないかと考えてしまいます。

 

卑弥呼の名は、しゃもじで前方後円墳を含み、徐福の意味を※、キリストの概念を取り入れ、倭国の邪馬壱国の病んだ歴史とキリストまでも組み込んでいる、そんな複合的な役目をもたせている。

まさに呪術を以て倭に君臨した卑弥呼は、其の名前自体が大いなる言霊なのだなと納得した話でした。

 

関連記事

旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語

魏略の魚豢は卑弥呼に近い倭人だったかも 

 

 

富士山の語源が徐福さんだったことの証明

 

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富士山 - Wikipedia

 

南海トラフ地震

 

なんか最近、南海地震のニュースばっかりですね。

なんかい地震ニュースやってんだろう。だじゃれ。

 

南海トラフのニュースは、何故かメディアがあんまりにも煽りまくっている件。

そういや最近の政府発表では、南海トラフ巨大地震の想定死者数を、23.1万人とか言ってるらしい。

23万人なら切りが良いのに、何故か「.1」をくっつけて「231」にしてるのが、超絶意味深。

太鼓の達人」の隠し音楽で、悲鳴が続くのと同じくらい意味深だと思いました。231。123神示。◯月31日なのだろ~か。

 あと韓国のサッカーの選手が、トロフィー踏んづけていました。On the trophy状態ですが、これも多分示唆で、スイッチOn the 南海Torafuなのかもしれないと。

そんな想像を膨らませつつ、日々暇を見ては自宅修理と補強してますが・・・隣のおばさんに嫌味を聞かされ叩かれつつ。

 

○いつも助かっております

 

 

 

富士山の語源

 

あと、どこかの学者によればもう噴火するのは確実と言われる富士山ですが。

こんな数字があるの知ってますか。

・日本一

・3,776m

・223(ふじさん)

・二二八八れ十二ほん八れ

・333(富=画数13、士=画数3、山=画数3)

一番下の333は近頃に、発見したのですが。

富士山の名前というのは歴史上で何度も変遷があったので、その時に画数333を並べようという意図が働いて、選ばれた文字なのかもです。

 

ところで富士山の名前の定説は、こんなのがあるとか。

「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論がある[注釈 7]。その他の語源説として、マレー語説、マオリ語説[9]、原ポリネシア語説等がある。 明確に「富士山」と表記される過程においては駿河国に由来するとするものがあり[10]、記録としては都良香の『富士山記』に「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。

富士山 - Wikipedia

・ふじ(山の斜面)が富士山になった

・フンチヌプリ(アイヌ語)からフジ山になった

富士郡の山だから富士山になった

・・・全部間違ってるのではないかと。

 

富士山は古代から色んな別名で呼ばれました。

・福慈山

・不死山

・不二山

・不尽山

・富士山

・蓬莱山

古来、日本は瀛洲(えいしゅう)と呼ばれて、仙人が住み不老不死の薬がある地とされ、同時に富士山は蓬莱山であると考えられていたとか。

それで「竹取物語」の原文では、富士山が不死の山であると書かれ、「賢人(士)に富む山」だから富士と呼ぶ、みたいな感じで書いてあったりします。

富士山には、蓬莱山の伝説が関わっているとなれば、もう、富士山には間違いなく秦の始皇帝に仕えた天才方士、徐福が関係しているとしか言えない気がしました。

 

徐福がなぜ東方を目指したのかは、歴史書に明記されています。

史記』巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず[1]、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかったとの記述がある。

東方の三神山とは、渤海の先にある神仙が住むとされた島で、蓬莱・方丈・瀛州(東瀛とも)のことであり、蓬壺・方壺(ほうこ)・瀛壺とも称し、あわせて「三壺」という。のち日本でも広く知られ、『竹取物語』でも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記されている。[2]。蓬莱や瀛州はのちに日本の呼称となった[2]。魏晋南北朝時代の487年、瀛州は行政区分として制定されている。

徐福 - Wikipedia

徐福が目指した東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲)とは日本のことですね。

 

それで富士山は蓬莱山であると、昔から言われていたのですが。徐福については、以前にブログのほうでも色々妄想しました。

卑弥呼が信奉し、名前に徐福の意味が含まれること

卑弥呼以前の倭人の王、師升もまた徐福の名を元にした名であること

・歴代天皇も密かに徐福に心酔したこと

 だから日本列島の山に、そんな偉大な除福の名が刻まれていたって、全然おかしくないと気がつくべきでした。

これは富士と徐福の漢字を読み解いても、理解できるところがあります。

 

 

富士山とは徐福山だったか

 

まず富士山と徐福は、何か似ているなと感じてたのですが、それは「畐」が一致しているからでした。

富士

徐福

こう並べてみると、全然違うようですが、入れ替えて単純化すると、どうなるか?

富士 

福徐→礻畐彳余→畐示

 ここで、

富士(ふじ)

畐示(ふじ)

にすれば、

 

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 徐福→福徐に並べ変え、右側の旁の示だけを抜き取って読めば、「畐示(ふじ)」になるわけなんです。

 

さらに共通項はありました。

富士と徐福は共に 「畐」を含むのですが、これはお酒の入った瓶、とっくりです。

字源 会意形声。「宀」+音符「畐」、「畐」は酒をたたえた瓶の象形で、そのようなものが建物の中に多くある様。「福」と同系。

意義 とむ。ゆたか。金持ち。とます。ゆたかにする。とみ。財産。(日本)富士山。

音読み 呉音 : フ 漢音 : フウ

富 - ウィクショナリー日本語版

徐福の福は礻(しめすへん)、これは示で神を拝むときの祭壇、そこにとっくりに入ったお酒を表す 畐というわけです。

富士山がお酒に関わる文字「畐」を使っているのは意味不明でしたが、徐福との共通点と考えるとしっくり来ます。

富士山の頂上が八神峰で、富士山本宮浅間大社では木花咲耶姫命と瓊々杵命を祀る、神域に含まれていることは古来より知られた話です。

 

 

次に「士」の意味をみれば、

字源 説文解字には、一から十、即ち全てを知る意の会意とされるが附会であろう。「牡」等に見られるとおり、男性の陰茎の象形(藤堂)、又は成人を意味した小型の鉞の象形とも(白川)。

士 - ウィクショナリー日本語版

 この白川というのは白川静という漢文学者で、漢字の元になった甲骨文字は呪術的なものだとかいう説を出しているようです。読んででみようかと。

この「士」には、一から十までを知る、全てを知る意味で「士」が使われてました。

一方で徐福とは方士と呼ばれる身分の人で、仙人の方術、医療、占卜、医療、学問などあらゆる分野に通じる「士」だったんですね。

 

竹取物語で、

「士(つわもの)らを大勢連れて、不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を「ふじの山」と名づけた。

竹取物語 - Wikipedia

という内容になっていて「士」が登場するのも、「不死薬」が登場するのも、方士徐福が蓬莱の不老不死の仙薬を求めて旅立ったことに、あまりにもピッタリ符号する話だったのです。

 

 

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まとめると

 

富士山

・富(ふ) 畐=お酒のとっくり 

・士(じ) 士=全てを知る者

・富士は不老不死の薬を焼いた山(竹取物語

・蓬莱山(古名)

 

徐福

・福(ふ) 畐=お酒のとっくり

・徐→余→示(じ)

・徐福は方士=全てを知る者

・不老不死の薬を求め蓬莱山を目指した者

 

完全に一致。

徐福さんは中国人の先祖でありますが、「後漢書」にある通り倭人の先祖でもあり、下手すると倭国の文明の開祖と言える人でした。

富士山が除福だなんて言ったら、中国嫌いな日本人は気に入らないかも知れないですが。

富士山の語源は、徐福さんです。

 

 

※ちなみに「フジ」という発音の語源は別かもしれません) 

 

 関連記事

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話 

卑弥呼・壱与は徐福の血筋だと漢字で表されてるらしい

後漢書の倭人帥升は徐福の子孫でもおかしくなかった 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あ

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ちなみにこのブログの訪問者数。

はてなブログアクセス解析で見ると、最近は普通に1日あたり1,000人を突破してるのですが。ブログのカウンターも、500を超えるの普通。

日本の全ブログのうち、1日500アクセスを超えるのは3%未満らしいのです。いつの間にかこのブログ、日本の上位3%に入ってたんだなと。

ブログのPV数が1日50PVあれば上位20%のブロガーらしい | アルパカタログ

感慨深い。年収は200万円にも届かないけど。

 

 

平城京の名前の由来が平塚だったかもしれない件

ていせつ、たいせつですか。

定まった説と書く定説は、正解も含まれるけれど、間違いも含まれているようだから。

 

20年前の教科書と今の教科書の同じ歴史的出来事を、読み比べてみれば分かります。20年前の定説がまるっきり違う解釈になっていたりする。

早合点や鵜呑みして落ち着く前に、ちょっと考えてみたら、ホントの答えが出るかもしれないので、いろいろ検討するのが習慣づいていますが。

 

「何と(710)素敵な平城京

「鳴くよ(794)坊さん平安京

「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府

 

最近の鎌倉幕府の始まりについても教科書では定説が覆っていて、「いい箱(1189)作ろう鎌倉幕府になっているとか。

 

○いつも助かっております

 

 

 

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そういえば今日(5月20日)、先日購入していた単管パイプで、屋根修理の足場を組み立てました。

真面目にパイプを組んでいる途中、隣のおばさんがずーーーっと何か言いつつ台所やドアでガンガンと叩き返してくるので、切れそうでした。悪魔の悪戯か地獄の2丁目あたりかと思いました。

20日ころは深夜も朝もゴンゴンゴン壁を叩かれ過ぎたりして、イライラが募っているところでした。世界には俺を怒らせることに躍起になる人がいるらしい。バーベキューにでも躍起になってればいいのに。

 

 

平城京は「ならのみやこ」と読んだ

 

ところで奈良時代とは、710年の平城京建設から、桓武天皇平安京に移転する794年までとするのが一般的だといいますね。

この時代区分には、仏教的な天平文化大宝律令という独自の概念が影響してるらしい。

それで、なんとも素敵だったらしい平城京は、音読みでは「へいぜいきょう、へいじょうきょう」が使われます。

どうして平城京と呼ばれたのかの定説は、「平らにする」を意味する「平す(ならす)」が語源だとか色々言われています寝。

それを補足するように、平城京と書いて「ならのみやこ」と読む正倉院の書物があり、別名で奈良京や寧楽京もあったとか。

しかし「ならす」という動作を語源にするというのも奇妙な感じがする。

 

 

ところで安本先生

 

邪馬台国は筑紫の朝倉で、卑弥呼の居城は平塚川添遺跡

・筑紫の地名が奈良盆地に移された(筑紫と奈良は地名が全くおんなじだから)

邪馬台国は筑紫から奈良盆地に移転している(邪馬台国東遷)

 

そう断言してるのが安本さんですが、別に個人的に信奉してるとかそういう訳ではないです。物的証拠(地名)を備えている、信じられる仮説だなと思って色々参考にしています。

筑紫=元奈良(首都)

 

だから地名が一緒

この仮説を元にすると、平城京(ならのみやこ)の名の由来も分かる気がしてきました。

何故かと言うと、筑紫にあった平塚川添遺跡が、奈良盆地平城京の名に対応している可能性があるからです。 

 

 

平塚は古地名か

 

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これを知るには平塚川添遺跡の平塚とは、古地名かを調べる必要がありました。

明治22年の町村制以降の際に、平塚村の名が出ていました。この時に平塚村など幾つかの村が集まって福田村が誕生していました。

江戸時代には福岡藩秋月藩の藩領として、平塚村の名があります。

下座郡 - Wikipedia

 

というわけで平塚村は少なくとも江戸時代にはあった古地名でした。平塚川添遺跡という大きな集落があったからには、奈良時代より前から平塚と呼ばれていた可能性は高そうです。

ただ想像と違っていたのは、平塚村の場所が下座郡だったこと。実は平塚川添遺跡は卑弥呼の居城なら、上座郡ではないかと考えていたので意外でした。

これは幾つか理由があるのではないかと。

上座郡下座郡は、古墳時代以前は元々「座郡(あさくら郡)」だった

・当時の座郡には、上・下の区別がなかった

・座郡の中心の平塚川添遺跡は、時の権力者が住まう上座的な役割だった

古墳時代の頃に平塚川添遺跡が埋め立てられ、単純な区分けとして下座郡のほうに入れられた

 これは想像した仮説ですが。

 

座といえば、 

 

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平塚京と平城京 

 

筆者的には平塚川添遺跡とは崇神天皇の瑞籬(みずがき)宮と同様であると捉えるのですが、地名としても弥生時代の後期~末期頃に、平塚があったような感じもしました。

 

それは平塚という地名を音読してみるとわかります。

 

呉音 チュウ

漢音 チョウ

塚 - ウィクショナリー日本語版

日本語では清音が濁るのは一般的で、茶屋はぢゃや、釣りはづり、時計はどけい、というふうに。江戸時代の草書では、濁点を省略していたりするので、清音と濁りの区別すらも曖昧でした。

それでこの塚は、「チョウ」を濁って「ヂョウ、ジョウ」と読んでも良いことになります。

 

だから音読みしてみれば

平塚(へいぢょう)村

平城(へいぢょう)京

 と、全く同じになってしまいます。 

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筑紫平野の地名が、奈良盆地に移された。

それならば筑紫平野の平塚の重要な都市の名も、奈良盆地に移されて平城京となった。

これもまた真理ではないかと。

 

平城京命名者(時の天皇元明天皇?)は、平塚川添遺跡のことを聞き及んでいて、それほど重要だったからこそ、「へいぢょう」の名を使ったのではないだろ~か。

何故へいぢょうが重要だったか?それは卑弥呼がいた場所だったから。

この平城京の建設者が、斉明天皇の意思を継いだであろう元明天皇だったことで、それは確信に変わります。

以前の記事

皇極天皇(斉明天皇)が意識した女王卑弥呼と女王壱与

崇神天皇の桑間宮と池から想像できた吉野ヶ里遺跡の正体

 

奈良の平城京の名の由来は、福岡の平塚川添遺跡だった説。

これは偶然では済まされないのではないかと。勝手に考えているだけです。

 

 

太陽と月と日本の139

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太陽 - Wikipedia

 

 

39はネガティブなだけじゃなかった

 

近ごろは人の運命っていうものの真相が、ちょっとだけ把握できるようになった。

人生は他人に左右され、生かされ殺され、時には人為的に犯罪者に落とされてしまうという現実が。・・・・と言っても信じない人はいるかもですが。

個人や集団に対する心理作戦、メディアによる大衆コントロール、電磁波的な科学のちから、それと結びついた呪術や魔術の行使。

そういったものが前提にあって、支配者の思い通り方向性の決定がされてしまう。それが世界の現実なのであろうと。

そしてその運命みたいなものは、ある程度は自分で抑えられる、変化できるということも、分かってきてるのですが。

 

ところで自分を取り巻いてる世界で、93や39というのが良く目立つ現実がありました。

それで何か93のイメージとして「臭(93)」が結び付けられて行ったんです。どうしても穢れやネガティブな方面の数字としてしか、感じ取れなくなるほどで。

39や93がやたら頻繁に自分の目の前にあらわれる現実があるのに、普通な解釈では「偶然そうなっている」としか言わないのです。

病院に何件行っても蓄膿を治されず、長年にわたり悪化していたので、93(臭い)。その臭いを揶揄して見せているのだろうと、そっちのほうに考えざるを得なかったです。

 

しかしやがてそんな穢れやネガティブの方向は、ごく一部の印象操作を受けた結果だったことに気がついたりしました。

そんなみみっちい出来事より、はるかに巨大な存在あることに気がついて。近頃は39から、ネガティブな意味を若干遠ざけることになりました。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

太陽と地球と月の39、139

 

ネットの情報をあさっていたら、この39、93という数字は、太陽と地球に深く結びついているのだと、それを知りました。

とくに関連が強いと見られるのが、恒星である太陽、その惑星である地球、その衛星である月、という3つの星。

その太陽系の39の不思議とは、簡単に述べるとこう。

 

・地球~月の距離の390倍が、地球~太陽の距離

・太陽の大きさは、月の390倍(1億5,000万km)←何故か上と一致

・太陽の直径は139.1万km

 太陽の大きさは?

 

地上から見ると、太陽と月の大きさがまったくおんなじに見える。その理由が、この太陽~地球~月の3者間にある、偶然に一致した2つの390倍という数字にあったわけです。

それで地上からは完璧な皆既日食が見えたりするので、この太陽系自体が、得体の知れない知的生命、あるいは神の意思によって作られていると、そんな話もあったりします。

それでここに登場している139、39という数字ですが、これが何故か日本に関係していたりします。

 

 

東京の139

 

以前に緯度経度と運命の結びつきに気がついて、こんな記事かいてました。

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり 

 

それで日本を象徴する東京というのは、

・首都

・皇居

天皇

 この3つが揃っていて、東経139度に所在してたのですね。

ちなみに俺の育った土地もそんな139度線上にあったりしました。

こういう関連記事があります。 

俺にまつわる陰謀の証明

 

 

富士山と東京を結ぶ139号沿線の謎

 

あとは日本を象徴するといえば、「一富士二鷹三茄子」の富士山。この富士山も、何故か139が人為的に関連付けられていました。 

「国道139号」

この道路は富士山の真南の富士市に起点があり、そこから自殺の名所な青木ヶ原樹海を過ぎ、富士五湖を過ぎ、山梨の大月の関東山地を超えて東京都の奥多摩町までつながってるんですね。

東京がわの起点になっているのは奥多摩湖なのですが、その地点は深山橋で、この橋がなんと東経139度00分00秒でした。

しかもこの国道、総延長距離が139.1kmで、実際の距離は136.9kmで、延伸をした年が1993年だったり。なんでこんなに139で合わせているのだろう?

まるでなんかの陰謀みたいじゃないですか。

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そういえばこの富士山の樹海には、日本一の溶岩洞窟がひっそりあるらしいですね。その名も三ツ池穴。この洞窟の総距離が、何故か2139m。

ちなみに富士山は木花咲耶姫コノハナサクヤビメ)を主祭神とする、富士山本宮浅間大社があるのですが。

木花咲耶姫は、日向三代瓊々杵尊ニニギノミコト)の妻で、瓊々杵尊とは太陽神天照大神の孫神にあたるのですね、つまりニニギは太陽神です。

要するに富士山本宮浅間大社は、太陽神夫妻を祀っているということで、富士山が太陽の山であることを表していたりするんですよ。

あとはこんな気になるところも。

9087 39813

コノハナ サクヤビメ

九無八七 三九八一三

と、なんか語呂合わせが出来る神様なのが意味深ですね。

ここに39が含まれていました。

 

まとめると、富士~東京の国道139号にはこんな情報が入ってました。

 

国道139号線

・富士山(太陽信仰・日本の象徴)~大月~東京(日本の象徴)の間

・139.1km(総延長)

・136.9km(実延長)

・1993年(延伸の年)

・2139m(富士山の日本一の溶岩洞窟)

・39813(富士山の神サクヤビメ)

・東経139度00分00秒(東京都の起点奥多摩町の深山橋)

なんで国道139号は、日本の象徴で太陽神夫妻(39813)を祀る富士山のふもとから、月を象徴する大月を通り、象徴都市の東京を結びつけているのだろう。

なんで東経139度に通っていて、国道139号で、距離が139km(136.9km)で、1993年に延長されたんだろう。

なんで139号線の沿線には2139mの洞窟があるのだろう。

なんで太陽の直径や月との関係をあらわす139や39の数字に、富士~大月~東京がぴったり合うのだろう。

ともかくこの国道139号線が、首都東京と富士山、果ては太陽と月と日本を結びつけているものであるのは確実かと思いますが。

・・・などと疑問が湧いたりしました、どうでもいいですけど。

 

ちなみに日本語で931(きゅーさい・くさい)を解釈すると、「臭い」のほかに「救済(きゅーさい)」または「救世(きゅーせい)」が含まれているのも意味深なかんじがします。

あとは日航機墜落事故の舞台となった、高天原山御巣鷹山が、標高1,639mだったりするのは何故だろうと。

 

 

 卑弥呼と139

 

 この卑弥呼は日本で最初に大々的に記録されている女王であったりと、なにかと凄い存在感があったりします。

このかたどうも、高天原の太陽神である天照大神の、化身的な存在だったのではないかと。卑弥呼は日巫女、つまり日=太陽の巫女であることから、太陽神崇拝の中心的な人だったのは明らかですね。

ところで日本語の語呂合わせで、135(ひみこ)、あるいは139(ひみこ)になるのです。

ここで卑弥呼と太陽との繋がりには、天照大神という神を介したものだけでなく、科学的に計測した数字も含まれていたことが判明するのですね。

 

・地球~月の距離の390倍が、地球~太陽の距離

・太陽の大きさは、月の390倍(1億5,000万km)

・太陽の直径は139.1万km

・太陽の巫女である卑弥呼の語呂合わせは135、139

卑弥呼邪馬台国は北部九州(東経130度)奈良(東経135度)

邪馬台国の位置は、最初の邪馬台国筑紫平野、のちに奈良盆地に移ったという東遷説を支持)

 

こんなふうに、よくもぴったり。 太陽と卑弥呼に、39と139が結びついていますね。

これってやっぱり偶然合っているのかと。

はたまた2~3世紀の卑弥呼が、未来に計測される太陽のkmの数字や東経の数字を何らかの方法で知って、それを語呂合わせで暗示していたのかと。

能力的な、巫覡の力?

それともやっぱり卑弥呼は未来視をした?

未来を知る人物と接触をしている?

そんな過去と未来の接触が実際にありそうなことは、「東都名所絵図」を見れば分かってきたりしますが。

 

・・・

 

日本の象徴的な場所は太陽と地球と月のつながりと同じく、139、39に魅入られている。東京と卑弥呼には、何か得体の知れない仕掛けがある。

そう感じ取れた5月でした。

 

追伸・・・

そういえばこの記事を書いている途中だった昨日の早朝、近年稀に見るほど酷い金縛りに遭遇。前日から幽体離脱ポイ感覚があり、やはりかといった感じで起こりました。その金縛りは夢の中で動けないぞと言った夢として実感してたのですが、その夢が醒めてもリアルで金縛りが継続しているという具合。2つの世界での金縛りを連続で味わっていました。ひどかった。 

 

関連記事

歌川国芳の浮世絵に現れる未来視の暗号 

卑弥呼が135だったのと日本が東経135度の国なことの運命的な結びつき 

「東経ヒミコ度」が示唆する運命の存在 

 

 

  

魏略の魚豢は卑弥呼に近い倭人だったかも

なんか、令和時代って、アレですね。

変換できない。

礼和、例話、例羽、れいわ、レイワ、reiwa・・・・・

 

令和が、禾口→ネコ

という解釈がツイッターで話題ですね。もうネコの時代が確定らしい。

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ところで「れいわ」って、たつやに似てますね。

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 ・・・カオスな未来が浮かんで来ますよね。

令和と書いておいたほうが良いですね、ネコですけどね。

 

コレ書いてたら雷が、ピカッ!ドドドドーン!と鳴った。

雷の、お礼は(礼和)、要らねーですよ。本日も雨。連日のように雨。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

魚豢と卑弥呼

 

最初に卑弥呼のことを魏に伝えたのは、「魏志倭人伝」の陳寿という人じゃかったとか。

魏志倭人伝の元になった書物に「魏略」があり、これを記したのが魚豢(ぎょかん)なる謎の人物でした。魚の缶だと、サバ缶やサンマ缶が昔からの売れ筋らしいですね。

歴史的には劉表と顔見知りで、魏に仕えていた文官であった、裴世清が知っていた、倭について詳しく書いた最初の人だと、そのくらいしか情報が無かったりするのでした。

 

ところで卑弥呼という名は「卑しい」が使われているから、中国が倭を貶めるために「卑しいという忌み字を当てた」というのは定説のようでした。

しかし卑弥呼という名前は卑弥呼自身が考案したのではないかと、近ごろはずっとそんな気がしています。何故なら卑弥呼の名前からは、崇神天皇との共通点が見えてきたりするから。

そして何故かこの魚豢と卑弥呼の間には、因縁があるような感じがしました。

 

まず魚豢というのは、

魚・・・お魚

豢・・・豢う(やしなう、養う)

豢 - ウィクショナリー日本語版

 という意味なんですね。

 魚を取って生活を養う人、それって「魏志倭人伝」に出てくる倭人の描写に似ているような気がする。

「男子は大小となく、皆黥面文身す。古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆自ら大夫(だゆう)と称す。夏后少康の子、会稽(かいけい)に封ぜられ、断髪分身、以て蛟竜(こうりゅう)の害を避く。今倭の水人、好んで沈没して魚蛤(ぎょこう)を捕え、分身しまた以て大魚・水禽(すいきん)を厭(はら)う。」

魏志倭人伝」 石原道博編訳p45

 

メモ

蛟龍・・・海の害獣

魚蛤・・・魚やはまぐり

水禽・・・水鳥

 この一文と、魚を養う魚豢さんが、倭と同じ「委」の編を持つ「魏」の皇帝に仕え、倭の記録を残したことは、良く整合している気がしますね。

魚豢が倭系の人だったとしてもおかしくないかと。

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 「魏志倭人伝」 石原道博編訳p108

 

 

卑弥呼と魚豢

 

あと、意外なことに、卑弥呼と魚豢の関連も伺えたりしまっす。

豢は「やしなう」であると書きましたが、下の部分は豕(いのこ)といって、猪や豚のことです。

 

それでなにが共通するかといえば、卑弥呼の名を見てみれば、

卑を「いやしい」と書いて「やし」を含んでいますね。魚豢と同じように。

「呼」は「お」とも読める漢字で、ようするに「弥呼」は澪(みお)とも読めてしまう。澪とは水の尾、水路のこと。「弥」は端から端まで渡ること。

 

まとめると、

魚豢

魚=おさかな(水の中)

豢(やしなう)→やし

 

卑弥呼

弥呼=澪(水路)、弥=渡る

卑(いやしい)→やし 

という風に、魚豢と卑弥呼の間には、水とやしの関係性が見えて来たりするのです。

ここで「やし」とは何かという疑問も出てきますが、2人の間には確かに共通点が見つかりました。

ここからは、卑弥呼という水路を泳ぐ魚が、魚豢といった印象を受けます。

 

魚豢が倭のことを詳しく書いてたり、卑弥呼の情報をいち早く「魏略」に書けたのかは、「魚豢が卑弥呼と繋がる倭人で、魏に出張していた」で説明がついたりするわけです。

 

 

中国の書物によれば、倭人渤海の北から~朝鮮半島~日本列島まで広範囲に住んでいました。地中海のフェニキア人みたいな存在だったようでした。

フェ 倭 肥

ニ  奴 の

キア 国 国

 

「キア」とは国という意味

 で、倭とフェニキアの関係は漢字の使い方からも読み取れます。

倭人はどうも大陸情勢を逐一収集していたようで、大陸の倭人コミュニティが活用されて、常に邪馬台国に情報が集結していたようですね。

ともかく魚豢はそうした情報網の統括的な役割で、倭人の代表として魏の中で情報発信役をしていたと。そんな想像はできたわけです。

 

 

美味海鮮・漬魚セット 7種14切 おいしい漬け魚のセット 

これ美味しそうじゃないですか。玄米ごはんのお供に。

 

 

2019年の春散歩で気がついたこと

先日(15日)に久しぶりに散歩した。

心臓の動機が酷くなってたのであんまり無理してないですが。

それでこの世界について、ちょっと気くことがあったりしました。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

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ナイスビューを実感できる数少ないポイント。

 

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樹々のトンネルみたいな感じになる林道。

 

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これまた空の青さと新緑。

 

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空を見上げると樹木の天井。

 

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木は上に伸びるという法則を無視して、ひたすら横に伸びていく樹木の枝々。

 

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道端にはワラビっていうかクサソテツ。太陽系のスパイラルな法則に従って、スパイラルに広がる。これの新芽がブラックホール的に渦を巻いたコゴミで、美味しかったりする。

 

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断崖の上にはこれまた芸術的な樹林。のぼって景色を確かめてみたいのだが・・・。

 

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夕方日が落ちて来たので引き返す。日光も、枝で遮られると直視ができる。何事も直視はしないほうが精神衛生上は良いのかもしれない。

 

と言った感じ。

 

この土地には昔からの寺院があるのに関係して、森のなかには古道も埋もれてる。

それで国土地理院の航空写真によってこの辺りの地図を見ると、戦後の頃までは誰かの土地で、山の上には広範囲に畑が広がってたようだった。いま通っている道は1960年代に作られたらしい。

ただ残念なことに、ここは上から下までゴミだらけ。なんでそんなにゴミを捨てたいのかわからないけど、この道はドコまで行ってもゴミだらけ。

サビた空き缶を見ると、それはもう1980年代頃に流行ってたジュースだったりする。レトロ大好きな人がそんなアンティークなゴミを見れば、拾ってみたくなるかもしれない。林道を歩けば、なんでそんなにゴミを捨てるのかと小一時間考えさせられたりする。

綺麗な写真には写せなかった、汚い風景。綺麗なものには必ず汚い要素が入ってる。

むしろ周囲を穢して意地悪な薄汚い世界にしないと、じょうずに進めない種類の人間が多いのかも知れない。

文化も、言葉遣いも、物質も、通りすがる自然も、人の精神すらも薄汚れた世界なのは、汚して生きやすさを求めた結果なのかもしれない。

この林道もそんな綺麗な風景と一緒に、人の息苦しい世界を表現して俺に見せてくれてるらしい。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

近ごろまた、卑弥呼のことも気づいたことがあったりしました。卑弥呼っていうのは、日の巫女とか解釈があるのですが、忌み子に関係している説です。

なんで卑弥呼のことがこんなに気になるのだろ~か。

これはまたいつか。 

 

 

崇神天皇の桑間宮と池から想像できた吉野ヶ里遺跡の正体

崇神天皇の話がしばらくなかったのですが、久しぶりにひとつ。

この前に佐賀の吉野ケ里遺跡の話をまとめていて、ちょっと気づいたことがあったんですよね。

いつも古典やネット情報をかき集めては、想像と洞察を繰り返して答えを導き出しています。当てずっぽうの作り話みたいですが。俺の当てずっぽうも意外と当たっちゃうこともありますのでね。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

1・崇神天皇というのは、卑弥呼が男装した姿

 

もう何年も前に思いついたこの説、流行ってませんが、いまも一貫しています。

その内容は、

 

(1)崇神天皇太安万侶がまとめた「古事記」の序文では「后(きさき)」と高貴な女性的な扱いになっている

(2)卑弥呼は日御子・日巫女で天照大神の生き写し的な女王となったが、天照大神素盞嗚命と対峙するにあたり角髪(みずら)と武装で男装した

(3)天照大神卑弥呼に倣った神功皇后も、新羅出兵で角髪を結い武装し男装した

(4)ならば卑弥呼天照大神神功皇后と同じく、角髪を結い鎧を着ることで男装したことになる。だから太安万侶は、崇神天皇のことを「后(女)」と書いている

(5)崇神天皇の和風諡号の「印」とは公用印であり、卑弥呼の「弥」と同じ意味を持つ。

(6)古事記崇神天皇諡号が「御真木入日子印恵」で「日子印」は並び替えると「日印子」で「卑(日)弥(印)呼(子)」になる。

 (7)「魏志倭人伝」に弥馬升の名が出ているが、これが崇神天皇の「御間城」であり、男装の姿かもしれない。

 

ちなみに魏志倭人伝に登場する邪馬台国の位置は、九州の第1邪馬台国畿内の第2邪馬台国=1つの邪馬台国としてしまっているようです。

だから文章の邪馬台国までの距離や方角の説明がおかしい具合だったりするのです。これは又別の機会に。

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神功皇后 - Wikipedia 

男装した神功皇后。「日本書紀」には、神功皇后卑弥呼とを同一視する解説がある。しかし実際の神功皇后の実在年代は、4世紀であることが判明している。

 

 

2・崇神天皇こと卑弥呼筑紫平野佐賀平野含む)にいた説

 

福岡の朝倉の平塚川添遺跡が卑弥呼の居城の可能性がある。この仮設は、安本美典さんが以前から提唱したものでした。筆者もこれは正解に含まれていると感じていました。

それで卑弥呼邪馬台国の範囲は、筑紫平野のかなり広範囲だったと考えるようになりました。しかも卑弥呼崇神天皇の同一性を踏まえると、思いつくこともあります。

 

(1)北部九州と奈良盆地の地名が、古代において全く同じだった。これは北部九州にかつて首都ヤマトがあったから(安本美典説)

(2)卑弥呼の居城というのが、個人的に言えば崇神天皇の、磯城の瑞籬宮(みずがきのみや)と同じ。

(3)瑞籬宮は「古事記」では水垣宮であり、水の垣根。つまり水の環濠を伴う居城だったのが明らか。

(4)それなら環濠のない奈良の瑞籬宮伝承地は、デタラメ。奈良と同じ地名を持つ福岡の、朝倉の平塚川添遺跡でしっくりと来る。

(5)当ブログの過去記事にあるとおり、卑弥呼の政治手法に倣った斉明天皇は、宮殿を筑紫平野の平塚川添遺跡に近い朝倉の高台に建てた。これは卑弥呼の居場所を知っていたがため。

(6)福岡に磯城瑞籬宮の「磯城」という地名は無いが、福岡は古来には筑紫城(ちくしき)だった。

(7)上座郡(かみつあさくらのこおり)と下座郡(しもつあさきらのこおり)の「座」は、古訓で「しき」だった。ので、これが磯城に対応してる。

(8)福岡の朝倉のあたりを上座郡というのは、そこが王の上座(かみざ)、つまり女王卑弥呼崇神天皇の居城だったから。

(9)奈良盆地邪馬台国をそっくり東遷した姿であり、三輪山も瑞籬宮伝承地も、写し。万葉集」には三輪山を移動したという、一見意味不明な一句が見つけられたりするのですが、これは三輪山を中心とする邪馬台国を東に移したことで説明がつく。

 

上記については、何回読んでみても整合する話だと、自分なりに感じ取ってます。

したがって元の邪馬台国卑弥呼崇神天皇の居城は、九州の福岡の筑紫平野にあった平塚川添遺跡なのだと。そんな具合に考えると、パズルのピースもあるべき溶け込んでいくわけなのですが。

そしてこれを裏付けるかのようにいたしましとぇ。「日本書紀」を読むと、崇神天皇の居た実際の場所は、佐賀や吉野ケ里と書いてるのではないかと、それを思い当たりました。

 

 

崇神天皇の3つの池 

 

崇神紀を読んでみると、このかたが居所の近くに3つの池を造ったとあります。

江戸時代以来の定説では、いずれの池も畿内奈良盆地や、大阪平野にあったのではとされていました。

A・依網(よさみ) 定説地は大阪府堺市池内

B・苅坂(かりさか) 定説地は不詳

C・反折(さかおり)別名を軽酒折池、定説地は奈良県橿原市大軽

この3つ。

 

しかし邪馬台国の地名が九州から畿内に移されているとすれば、これら3つの池も元々は、筑紫平野あたりにあったものだと考えられるんですよ。

するとこの前の吉野ヶ里遺跡の話が、リンクしてきたりする感じです。

 

 

崇神天皇のもう一つの宮殿「桑間宮」が吉野ケ里遺跡

 

日本書紀」の翻訳本によっては、記述が飛ばされてしまったりするのですけど、崇神天皇は実は2ヶ所に居城を構えていたことが書いています。

1・磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)

2・桑間宮(くわまのみや)

 

最初の崇神天皇磯城瑞籬宮こそが卑弥呼の居城と同一で、平塚川添遺跡の可能性が高い説明はしました。

問題は崇神天皇のもうひとつの居城、桑間宮。

 

桑間宮というのはくわまですが、古訓にすると「くはま」だったりします。

桑はカイコの好物となる植物のこと。養蚕やら機織りなどの産業もあった土地なのだろうと。そんな感じも受けます。

桑という漢字は「又又又木」とあり、これは「ジャク」で、葉っぱの大きい木のことなんだとか。

桑間がジャクマだとすると、短縮して「ジャマ、邪馬」になって邪馬台国の一部なのかと思ったりしました。 

それから日本語の特性というのは大和言葉でもすでに顕著なのですが、音訓を入り乱れて使うのです。

たとえば古い地名にもある「筑」を参考にすると、筑紫(ちくし)だったり杵築(きづき)だったり。「大」の場合は大和(やまと)だったり大神(おほかみ)だったり。

そういえば天孫(てんそん)は大和言葉では「すめみま」、日本武尊(にほんぶそん)は「やまとたけるのみこと」で、読みはどっちでも使えるみたいな感じです。

 

だから桑間宮も、もしかすると訓じてくわまと読むのではなく、音読みが正解かもしれなかったりするのです。

桑間を音読みしてみると「ソーゲン(so-gen)」

でこれがおそらく「佐賀(sa-ga)」に対応するのであろうなと。

桑間 ジャクマ→ジャマ→邪馬→邪馬台国

桑間宮 ソウゲン(so-gen)→佐賀(sa-ga)宮

 

吉野ケ里遺跡はアテネ=アシネ(吉野・エシノ)の写しでアクロポリスであり、倭名は桑間宮であったと。そう解釈してみました。

そうすると、「日本書紀」で桑間宮とワンセットになってる、3つの池の場所もやっぱり佐賀なんだろうなと。そんな発想が出てきておかしくなかったりします。

 

 

ゾンビランドサガ

 

 

3つの池の解釈

 

前回の記事でも、吉野ヶ里遺跡のあたりはやたら「ヶ里」地名が多いっていう話が出ました。これは佐賀の古代史のガリ勉ならばご存知らしいです。

そういえば、ここは古代には神埼郡でした。あと3つの池のうち2つまでが「サカ」を含むのは偶然じゃないですね。

佐賀というのは、古い地名では「サカ」だったと見られます。

さらに依網池というのは、これは実は吉野ヶ里の地名に関する名称なようです。

A・依網(よさみ) 

B・苅坂(かりさか) 

C・反折(さかおり)別名を軽酒折

 

 以上の情報から3つの池を解釈すると、以下のようになったりします。

 

・桑間宮・・・桑間(so-gen)→佐賀(sa-ga)宮

これは発音的にも一致するはず。

 

A・依網池・・・依網(yo-sa-mi)池→吉野(yo-si-no)池

ヨシノがヨサモになってヨサミになったかも。いずれにしても「吉」に当てはまる「依(よさ・よし)を使ってるのは意味深なこと。

 

B・苅坂池・・・苅→ヶ里、坂→佐賀、神埼(kamu-saki)→苅坂(kari-saka)

カリ(ガリ)とサカ(坂・佐賀)のありえない一致。カムサキとカリサカは似てる。

 

C・反折池・・・反(さか)→佐賀

ここにもサカがあるのは、全部を佐賀に合わせているとしか思えない。 

 

というふうに、結局は4つとも全部、佐賀と吉野ケ里に対応していました。

これは偶然ではないだろうと。

あと反折については、恐らく反(そる)+折(おる)で、「高千穂の添山峯(そほりのやまのたけ)」だとか、曾富理神(そふり・そおりのかみ)に関連があるのではと考えられたりもします。

 何しろ吉野ケ里遺跡の隣接地をよくよく眺めてみたら、辛上(からかみ)という集落があったりするので。朝鮮半島の倭地出身かもしれない卑弥呼が、加羅神、韓神を祀っていてもおかしくないなと。

 

 

3つの池は佐賀の吉野ケ里遺跡にあったのか

 

それでこの3つの池は、佐賀のどこにあったんだろうと言う話。

もう古い池なので埋まっていたり、田園に変えられていたり、名前が変わっていたりするのではと考えられました。

しかし、吉野ケ里遺跡を航空写真で眺めていると、気が付きました。

3つの池の場所は、吉野ケ里遺跡なのかもしれないと。

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吉野ケ里遺跡というのは、細部までも弥生時代の様子を復元しているらしいですね。なんか、おあつらえ向きに池が3つあったりするのは、古代のとおりに復元している結果なのかと、そう思ったりしたのですが。そのへんは確認が取れてません。

 

この記事で解釈した「崇神天皇の3つの池は吉野ヶ里のあたり」を示すかのように、運命的に吉野ヶ里に3つの池が揃ってたとでも言うのか・・・。

 まぁ全部、筆者の想像なんですけどね。

 

 

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