「魏志倭人伝」に関係して、近頃になり変なことが分かった。
○いつも助かっております
卑弥呼の語呂合わせ
まず現代では数字の語呂合わせが多用されてるのだが、数字の重要性というのは弥生時代後期の卑弥呼の時代でも同じだったかも。
たとえば邪馬台国の女王として知らぬものはいない卑弥呼さま。この人に日本的な数字の語呂合わせを使うと「卑弥呼=135」になる。
卑弥呼に敵対した人物で、狗奴国の卑弥弓呼という人がいたんですが、「卑弥弓呼=1395」になるのですね。これらの数字は本当に意味深としか言いようが無いわけなんですけどね。
卑弥呼 1+3+5=9
卑弥弓呼 1+3+9+5=18
9の倍で18。なので卑弥呼と卑弥弓呼というのは、数字を元にした一対の存在として、古代に認識されてた可能性もあるようなのですけどね。
この2人の結びつきはかなり大きいと考えるべきなのですが。個人的には「日本書紀」に登場する「崇神天皇と武埴安彦」と思ってますが、このへんは拙著に書いたところ。
そういえば、9の倍数には135があったりするのですね。卑弥呼が語呂合わせで135という発想は、卑弥呼そのものが持ってた発想かもしれませんよ。1,3,5,7,9という奇数にこだわってるのも特徴的。
135の特殊性といえば
・135=11+32+53 このような性質を持つ3桁の自然数は他に175, 518, 598のみである。(オンライン整数列大辞典の数列 A032799)
・135=(1+3+5)×(1×3×5) このような性質を持つ自然数は他に1と144のみである。(参照オンライン整数列大辞典の数列 A038369)
こんな特別な数字だからこそ、卑弥呼は135を選んで名前に意味を込めてるのですかね。
唐突に話題は変わって、俺って水瓶座。
水瓶座についてはこんな意見が・・・
12星座【周囲から浮く】ランキング 水瓶座は人と違うことがアイデンティティ! - Ameba News [アメーバニュース]
世の中には、どうしても周囲にうまく溶け込めない人がいます。チームワークを大切にする環境では、過ごしづらいタイプかもしれません。では、どんな人が周囲から浮いてしまうのでしょうか? 12星座ランキングにて紹介いたします。
■第1位 水瓶座……個性的であることがアイデンティティ
水瓶座は、オリジナリティを大切にする人。「人とは違う自分」にプライドを持っていて、人に合わせたりしていたら、アイデンティティが失われてしまうと思っています。そのため、人に逆らうことは日常茶飯事。TPOよりも個性を重視したファッションに身を包み、空気を読まない意見を言うなど、場に溶け込もうという気はほとんどありません。そんな水瓶座に反感を持つ人もいますが、特別な人なのだから好きにさせてあげようと、いつしか認める人も出てくるようになるのです。
・・・俺のことだった。
ぶっちゃけ俺と同じような人は、ほとんど見たことがない。特殊というか異質というか自分だけ蚊帳の外というか異次元だったりする。認めてくれる人は増えるのだろうかねぇ。
そういえば卑弥弓呼、空気が読めない、卑弥呼に逆らう・・・この人は水瓶座だったかもしれない。
東経135度
それでまた話は変わって、
卑弥呼が135で卑弥弓呼が1395であるのは何故だろう?という誰も発想したことがない、本来は考える必然性もない話題に着目してみる。実はこれ、卑弥呼が運命的にこの名をもった、あるいは「タイムトラベラーの影響を受けた」ことを表すかもしれないわけなので注目したいのですよ。
日本列島で135といえば、東経135度。このラインというのは日本の標準時間を定めるときに用いられる、日本標準時子午線だったりしますね。
つまり「倭の女王卑弥呼が135」であり、のちに「日本が東経135度の国」になったのか、という運命的な結びつきは、不思議というか不自然としか言いようがなかったしますね。
そういえばこの東経線、軽度という人為的な子午線の歴史はかなり古いとか。
経度の記法はアレクサンドリアのエラトステネス(紀元前276年頃 - 紀元前195年頃)とロドスのヒッパルコス(紀元前190年頃 - 紀元前120年頃)によって考案され、地理学者ストラボン(紀元前63年頃 - 23年頃)によって数多くの都市に適用された。しかし、世界地図に一貫性のある経度を使用したのは、プトレマイオス(90年頃 - 168年頃)の著書『ゲオグラフィア(英語版)』(Geographia、地理学)が最初であった。
日本で言うと弥生時代中期に考案されてたらしい。この頃日本列島はヨーロッパでは知られておらず、地図にすら書いてないし、紀元前から中世の段階までは、日本列島は東経135度の国とは考えられてもなかった。
メルカトル図法で知られるゲラルドゥス・メルカトルさんが描いて残した、「Atlas Cosmographicae」という1595年の地図をみると、日本列島は東経170度の位置にあって、日本=極東という印象は昔のほうが強かったらしい。
21世紀現在の子午線はIERS本初子午線というらしく、これはよく知られたグリニッジ子午線とほぼ変わらない位置で、イギリスが東経0度の出発点になってるのですが。
グリニッジ標準時をもとにして、日本が正式に東経135度になったのは、西洋人に日本の位置が確認されて大日本帝国がグリニッジ子午線を導入した1886年からだとか。
つまり明治時代の1886年になってから、ようやく日本は東経135度の国になり、卑弥呼=135と関連付いたことになるんですね。
卑弥呼と卑弥弓呼の支配領域
そういえば卑弥呼の支配領域について、個人的に考えてた発想としては、ツイッターにメモしといた。
ということで、邪馬台国東遷説には狗奴国東遷が影響してたように考えられるわけなんですが。
倭の邪馬台国政権が畿内を掌握したのは弥生時代後期の卑弥呼の頃から、末期の女王壱与の頃だったかと。すなわち崇神天皇の頃。
この頃までに東経135度のあたりが邪馬台国の支配下になって、「九州や中国四国の地名が、畿内より東に移植されている」と考えたわけなのが拙著の電子書籍。
狗奴国というのはおおむね銅鐸文化圏と呼ばれる地域に合致してるので、狗奴(くな)=鐘(かね)国なんじゃないかという仮説もどこかに書いた記憶ありますが。
このあたりにあるかと。探す気力がない・・・。ちなみに以下の記事で今後の予定と書いているが、2以外は実現してないw
そもそも狗奴国とは匈奴国を意図した命名だったことはすでに書きましたが。
つまり信濃・美濃・飛騨・京都、このあたりの匈奴系地名の土地は、元々狗奴国の支配下だったからこそ、匈奴系地名なんではないかと。
で、狗奴国が東日本一帯を支配した結果、地名としても残ってる。
・鬼怒川(関東地方)くな→きぬ
・毛野国(北関東)くな→けの
・北陸道(くぬがのみち)くな→くぬ
みたいな具合。
ここまで語ってようやく狗奴国の王、卑弥弓呼が1395で合っていることの意味が解明するんです。
東経139.5度。
この位置を調べると、北関東の毛野国=狗奴国を通過していることがわかるし、北陸道(くぬが)の位置も通っているではないですか。
つまり「名は体を現す」と言いますが、卑弥弓呼の持つ1395が卑弥弓呼の支配領域の東経139.5度と重なっている様子が見えてくるではないですか。これもまた偶然というか、数奇なことで。
卑弥呼(135) 東経135度 推定される女王卑弥呼の支配地
卑弥弓呼(1395)東経139.5度 推定される卑弥弓呼の支配域の東部
おかしいですね。
明治時代に決まったはずのことは、弥生時代後期にすでに示唆されてたんですよ。偶然というかなんというか。
もしかするとだから卑弥呼はタイムトラベラーの影響を受けた可能性がある気がするんですよね。時間旅行者の波及力によって、未来の情報が古代世界に反映されちゃった、みたいな荒唐無稽な発想が出てきてしまいました。
参考
宇宙は記憶を持っているから、タイムマシンで過去に行き歴史を変えても、改変前にあった宇宙の記録もにじみ出てくるんじゃないか
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