明けまして別におめでたくありませんでした。
そもそも新年とかどうでもいいし。灰色、曇り空をモットーに引きこもりで生きていきますが。
自称正義による猛烈な悪意が襲いかかってきて、普通の人は死ぬレベルです。不愉快極まって殲滅されればいいのにと思いながら、地道に受け流してやっていこうかと。
○いつも助かっております
江戸時代のスカイツリー
そう言えば一度も行ったこともないし、今後も行かないであろう、東京スカイツリーです。2011年に完成して以来、
「どうも江戸時代からその存在を予見されてたのでは?」という見方がありますね。
その主役は、江戸後期に浮世絵師だった歌川国芳という人が、「東都シリーズ」に描いてる「東都三つ股の圖(図)」。
コレ見るとなんか、気づくことあります。
1・隅田川のほとりの本所(墨田区の西部)に巨大な塔が2つ描かれてる
2・左側の塔が、当時永代橋の東側の佐賀町にあった火の見櫓だとか
3・巨大な塔のほうは江戸時代に何の記録もない
あと気になること・・・
4・船大工の焚き火の煙がやたらとうねってるのは何でか
5・雲が何故か左右対称になってるのが意味深
東京スカイツリーと本所の火の見櫓
火の見櫓は江戸の市街地にはかなりの数があり、街中にタケノコニョッキと聳えていたとか。
高さは高いものではビル4~5階相当で、15~20mになったらしい。
墨田区の隅田川に沿うあたりは本所と呼ばれて、永代橋の近くの本所佐賀町にも高い火の見櫓があったとか。
これが「東都三ツ股の図」にある火の見櫓らしい。
しかし火の見櫓の右側の巨大なタワーは、江戸時代には記録がないみたいです。
ネットでは東京スカイツリーを歌川国芳のイメージを何らかの方法で知り得た結果だとかいう話がぼこぼこ沸いて来ています。
しかしより現実にちかい解釈を望む人々によれば、「当時に江戸の屋敷で掘られていた、井戸堀りの櫓ではないか」という話もまことしやかです。
回答を探すと、
A・偶然スカイツリーに似たなにか
B・特別高い、井戸堀り櫓が描かれた
D・歌川国芳はその時の気分で適当な塔を描いた
E・歌川国芳は何者かにこの塔の存在を知らされて描いた
どれか。
かりに歌川国芳が東京にタイムトラベルしたなら、もっと21世紀の都会的な風景を取り入れた浮世絵を、しっかり残したのではないかと。
そもそも浮世絵師は想像力を発揮して奇抜な絵柄を描くのを取り柄としたじゃないですかー。
だから未来をはっきり見れば、すぐ表現に邁進したんじゃないかと。
しかしそんな浮世絵は、国芳さんどころか過去の浮世絵師は誰も残してないですね。
だから歌川国芳は夢や幻、アカシックレコードに、無意識のうちに触れているのかもしれないですが。
あるいは「何者かに影響を受けた説」もアリそうな話でした。
「三ツ股」に込められたスカイツリー
それは多分、「東都三ツ股の図」というタイトルからも判断できるのですけどね。
何故ならスカイツリーは「下部の構造が三ツ股」だからなのです。地上のエレベーター室の上辺りで、三つの柱が連結して地下に繋がる構造なんですよね。
そして地下深くのナックルパイル・ナックルウォール構造と呼ばれるところも、三つ又になってたりするんですよね。
「ナックル・パイルおよびナックル・ウォール工法」 建築技術性能証明を取得|株式会社大林組のプレスリリース
「東都三ツ股の図」とは、隅田川あたりの地名と、スカイツリーの三つ又の特殊構造に、かけあわせてるんではないかと。
そうなら「東都三ツ股の図」に三ツ股のスカイツリーが描いてあって、当然のようじゃないですか。
船の櫂と煙から導かれるスカイツリー
全体の構図を見たとき、船と煙がやたら幅を利かせてるところは気づくではないですか。
煙はなんか「S」みたいに見えるのは、西洋のよくある隠し絵的な手法ですかね。
それでこの絵がさらに不自然なのは、船のすぐ横で焚き火をしているのに、その上に船の櫂(かい・オール)を3本立ててるところですね。燃えてしまうではないかと。
当時の和船は、櫂も含めて木製だったんです。ここで、なんか歌川国芳はこんな暗号を残した気がしました。
・スカイツリーの頭文字=S
・S+櫂(かい)=スカイ
・櫂の素材=木=ツリー
・3本の櫂=スカイツリーの三つ又構造
「S=秒」で時間をあらわすSI
たちのぼる煙の形を今一度眺めてみれば、
I
S
となっていませんか。煙は下から上に登っていくので、順序的には「S→I」と読めるのですよね。
このSIというのは、メートルとかkgとか身近によくある「国際単位系(International System of Units)のことです。1954年の第10回国際度量衡総会 (CGPM)にてはじめてSIが制定されたとか・・・。
Sの1文字だけでも、時計の「秒」の単位を表してるんですよね。
このISとかS(秒)という時間の概念に関わる文字が、何を意味してるのかというと、もうアレじゃないかと。
この浮世絵が、タイムトラベルに関係しているのであると、言いたいのかもしれないなぁと。
未来にこのあたりに、東京スカイツリーが現れるよという情報を、散りばめているのではないかと。それに付随して、20世紀の時間の単位を含むSIも知っているよと、伝えているのではないかと。
この浮世絵が描かれた江戸後期に、20世紀以降を知る人物がいて、歌川国芳の浮世絵に影響を与えてることを意味するのですが・・・。
歌川国芳自身が知っていたのはもちろん、やっぱり何者かの影響があって描かれたことは、疑ってしまうところです。
W≒ω
あと上空の不自然な左右対称の雲に言及するなら、雲のなかに、ω(オメガ)の形を見いだせることに気づきますかね。
このω(Ω)というのはギリシア文字の24番目で、最後の文字ということから最終局面や終着地点を表しているのですよ。
どっかの神さまが言ってました。「私はαでありΩである」と。この言葉は最初から最後までという意味のほか、αとΩは重なりあい、すなわち前にも後ろにも自在と行き来することも意味するようです。神がいれば、時間旅行もお手の物であるはずですよ。
そのW(ω)が浮世絵の空を覆っているわけで・・・。
・・・・・・・・・・・・
もちろんタイムトラベルなんか、できるわけないだろ的な意見もあったりするわけですが。
それは今だけの話であって、未来には完成しているとしたら、もう未来人などそこら中にうじゃうじゃいますよ。いるとすれば、巧妙にカモフラージュして現地人に成り切ってるのですね。
ともかく歌川国芳は、21世紀の東京スカイツリーの場所も、名前も知ってたんではないかと。彼は何らかの方法で、未来を知り得る立場にあった、そんなふうに感じてしまいました。
あ、「うたがわしい」という疑問符がつくことすらも、歌川国芳は計算ずくだったらしい。何しろ、彼は「うたがわ」なのだから・・・。
人気ブログランキング