昔から日ユ同祖論などがあって、日本の天皇から豪族まで、中東から流れてきた人々であると信じられました。
源平の戦いでお馴染みの平氏(平家)もまた、その種類に含まれているとか。いわゆる「平氏ペルシャ起源説」ですが。
通説によれば平氏ことタイラ氏(古くはタヒラ氏)は平安初期に桓武平氏から始まっているとあります。桓武天皇の子である葛原親王から平氏が始まってました。
つまり通説では、平氏は外国出身ではなく皇族だった。
しかし平氏ペルシャ起源説は、平氏が皇族との話がデタラメであることを前提とするものです。
○いつも助かっております
この仮説の根幹には、いくつかの理由が揃えられていました。
平氏に縁のある厳島神社が、古代ペルシャの様式で建てられてるとか。
古代イランのゾロアスター教は拝火教である一方、厳島神社も鎮火祭という火祭りで知られます。
ペル(平)シャ(氏)
舞楽が胡人(シルクロードの異民族)から伝えられたものだとか。
平清盛が外国人と交易してたとか、色々あるようです。
で、個人的にはペルシャ的要素より、トカラに関係して思いついたものが幾つかあるのです。ちょっと紹介。
タイラ氏の起源はトカラが本命と見る
平氏の平とは「平す(ならす)」という用法もあります。これが奈良盆地が奈良と呼ばれる語源であると、まことしやかです。
桓武平氏を生み出した桓武天皇が拠点にしたのは、奈良の平城京。
奈良(平)から生まれたので、平氏を名乗ったのであろうと、歴史家はこう答えるかもしれません。
しかし平氏の外国からの渡来人起源に関連し、興味深い意味も見つかります。
辞書で調べると、平は「夷」と同義であると出てくるのですよ。
夷とは蝦夷や東夷などに使われ、古代の中国からみた未開の野蛮族のこと。倭人も東夷に含まれました。
先程平氏が胡人と交易をしたことを書いてましたが、「胡」も夷と同じ用法や意味がある言葉です。
西胡とはペルシャ系のソグド人を中心とした集団で、彼らが拠点としていたのがパミール高原の北のフェルガナ盆地、そして東トルキスタンとよばれる西域(中国新疆ウイグル自治区周辺)のあたりでした。
そのそばに、吐火羅(トカラ、トハラ、トハリスタン)という国もありました。
平氏の初期の人物名に、大陸的な要素を見て取れないだろうかと思いついて、ちょっと考えてみました。
葛原親王の子だった高棟王、善棟王、高見王、孫である高望王などの名前みてください。
西胡や吐火羅と地理的に接するところをみれば、タイラ、タクラマカン、タリム盆地などがあるのですが、それらとの共通点が見つかります。
タクラマカン ta-kra-ma-kan
高棟 ta-ka-mu-ne
高見 ta-ka-mi
高望 ta-ka-mo-chi
タリム ta-ri-m
タラス ta-ra-s
平 tai-ra
照玉姫 te-ri-ta-ma
照玉姫については、後にもっと詳しく解説します。
中世までにペルシャから日本へ移動するなら、シルクロードを経由したはず。
多くの平氏ペルシャ起源説を唱える人は、ペルシャ本国から来ていると言ってます。しかし筆者は、平氏の起源は中央アジアや西域にあったと見ています。
ペルシャ人は、シルクロード途中の各地に、拠点をもったことが考えられました。そのどこかの土地の名をとって「タイラ」と名乗ったのかも。
中国の西域(新疆)のタリム(tarim)が語源かもしれない。タリム盆地は西域一帯に広がり、いまではタクラマカン砂漠がある土地。tarim→taira。
またはタラス→タイラス かもしれない。タラスはソグドや吐火羅に近い西突厥の古代都市で、ゾロアスター教の中心都市だった。
しかして平氏の大元として本命視しているのが、トカラです。
このトカラとは日本の南西諸島の吐火羅列島ではなく、中央アジアのトカラ国。トカラに起源を求めた場合、その漢字表記がヒントになります。
トカラ(トハラ)は日本書紀が編纂された昔から、吐火羅と書くわけですが。
吐火羅はどうも、タイラ(古語でタヒラ)と読めると気が付きました。
比較してみると、
吐火羅
トカラ
トハラ(別名)
吐火羅
タイラ
タヒラ(古訓)
ト 吐 タ
ハ・カ 火 ヒ・イ
ラ 羅 ラ
こんな具合に、吐火羅はタイラ(タヒラ)と読める。これは割と自信あります。
平氏の移動は大陸のトカラ人の移動を元にしたか
以前に日本列島は九州を中東と仮定し、関東を東アジアに見立てている大陸の雛形であると解説しました。
以下の地図のような感じで。
・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相
平氏が存続していた数世紀間にわたる拠点の移動についても、これに合わせているようです。
まず奈良の都が、桓武平氏の始まりでした。奈良は古代ユーラシアでいうと、西域と烏孫に対応されたと見ています。
すると奈良の桓武平氏がまず関東の坂東平氏を立ち上げた理由も、説明がつくことです。トカラ系の移民が大陸の奈良と対応する西域から、東の日本に移動したことを、日本列島での移動で表しているのだろうと。
日本書紀には、西暦645年、吐火羅国から舎衛など数人が、日本に渡来した記録があるのですが。
作家のなかには、舎衛という人はペルシャの王族であっったと解釈する人もいます。トカラは一説に月氏系といわれ、月氏はペルシャからの流れがあるともいうので、トカラとの関係があるのは事実です。
その他にもトカラやペルシャ系の人々が、飛鳥時代に日本に流れて大きな影響を残しているのは、日本書紀から読み取れますので。
日本ではお盆の風習が残ってますが、お盆とはペルシャ、ソグド、吐火羅などあちら方面の、ゾロアスター教徒の風習であるのです。
つぎに平氏が三重に移動し伊勢平氏を立ち上げたのは、おそらく日本から西域方面に吐火羅人の移動があったことを示したものです。
それは西暦660年、日本に来ていた乾豆波斯達阿(けんづはしだちあ)が、吐火羅に帰るという出来事を表しているかと。
西域には烏孫にナラという土地があり、烏孫の南方は紀元前のころ、イッセドネスという国が存在する場所でした。
ナラは日本の奈良、イッセは日本の伊勢に対応するようです。
吐火羅人舎衛らの移動 吐火羅→日本→西域(イッセドネス)
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照玉姫はトカラ系だったか
葛原親王の妻だった照玉姫というのは、個人的に平氏のトカラ起源の根幹を成す人物です。
照玉姫こそが、トカラ系の人物であり、すべてのペルシャ起源説の中心だった、というのは想像の話ですけども。
このかた、葛原親王が京を離れるときに一緒に旅立つも、病気になって相模国(神奈川)で没したという話が伝わっているとか。
上臈塚(じょうろうづか)はなにかジョウロを連想させますが。ジョウロ(水差し)はポルトガルからの外来語であり、元はアラビア語のジャッラーだったとか。
まさか照玉姫の別名が上臈(ジャッラー)で、砂漠のオアシスではお宝であった、水差しを意味するのかなどと深よみしてしまいました。
照玉はテルタマ、テリタマ、teritama、なんかタイラやタリムの音を含むようです。
それより何より、照玉という名前が、吐火羅人の舎衛と共通することが注目点でした。
照玉 ショウオウ sho-o
舎衛 シャエイ sha-ei
ショーオウ、シャーエイ、なんか酷似。
おそらく8世紀の葛原親王の妻の照玉姫は、7世紀の飛鳥時代のトカラ王族の舎衛の流れを受け継ぐ人だった。それで舎衛と照玉の名が、似通っているのだろうと考えています。
そうであれば、平氏がトカラ的、ペルシャ的な要素を持つ最大の理由は、照玉姫にあると言っていいのであります。
あらたな扉(吐火羅)が開かれました。
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