たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

  

緯度経度から数秘術が導き出せるのか

 

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地球儀 - Wikipedia

 

緯度や軽度というのは普段まるで意識しないですが。世界で最初に経緯度線が描かれたのは、2世紀の古代ローマの学者プトレマイオスが記した「ゲオグラフィア」の地図だったとか。

このころには西洋では極東の地形は認識されておらず、当然ながら日本が東経135度などという数字に当てはまるとは、誰も知らなかったようです。

初期の世界地図 - Wikipedia

 

東経線や北緯線が日本の古地図に描かれだしたのは、江戸時代の中期ごろだったとか。

そして九州は東経130度、京都は東経135度、江戸は東経139度というふうに、グリニッジ子午線を基準としていまと同様の数値になったのは、1886年のことだったとか。

 

それでなんとなしに緯度と経度を調べてたら、これって数字の一つ一つがなにかに似てるなと思う処があり・・・。それは人間の生年月日ですが。

 

俺の場合は1977年01月30日なのですけども、この一つ一つを足して合算して突き詰めていくのが数秘術の基本にあるとか。

数秘術(すうひじゅつ、英: Numerology)とは、西洋占星術や易学等と並ぶ占術の一つで、ピタゴラス式やカバラ等が有名である。「数秘学」とも言う。 一般的な占術の方法は「命術」で、占う対象の生年月日(西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占う方法である。

数秘術 - Wikipedia

経度を見ると、日本の東経130度19分7秒とかいう地点もあるわけなので。カバラの秘数術な占術は、経緯度にはうってつけなのではないかと。

 

 

数秘術の世界 Modern Numerology Lesson―あなたの人生を導く『数』の神秘

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

キリ番的な緯度と経度

 

 むかしから何かとキリ番という、区切りの良い数字が、重視されていました。

例えばどこかの観光的な施設で、入場者10万人目おめでとうとか言って。キリ番になると何故か記念品が貰えたり名前が残ったりして。なんでかわからないけれど、キリ番は重要らしいですね。

それで世界的に見て、緯度と経度のキリの良い数字というのはわずかにしか存在しないものと分かるのですが。

 

最近の緯度はイギリスのグリニッジ子午線近くの、本初子午線を起点とするらしいですね。

東経0度~180度

西経0度~180度

 

経度は赤道を起点とする。

北緯0度~90度(北極点)

南緯0度~90度(南極点)

 

このなかで要するに緯度のほうのキリの良い数字とは

子午線0度(東経と西経で共通)

東経10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、110、120、130、140、150、160、170度

西経10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、110、120、130、140、150、160、170度

日付変更線の180度(東経と西経で共通)

グリニッジの本初子午線の0度、日付変更線近くの180度は、1本づつしかない。だから合計を数えると世界に36本しかないですね。

 

そして経度のほうでキリの良い数字は、

赤道0度(北緯と南緯で共通)

北緯10、20、30、40、50、60、70、80、90度(北極点)

南緯10、20、30、40、50、60、70、80、90度(南極点)

こちらも両方の0は赤道なので、合計で19本しかないですね。

同一経度線の諸国の人々というのは、ほぼ同じ時間に朝と夜を迎え、意図せず同じ時間帯に食事を取り、仕事をしていたり。または同一緯度線の諸国では、気候条件が似通ったりしますね。

こういうのもある意味で運命的な一致なのかと。

 

 

ゾロ目的な緯度と経度

 

コレに加えて、さらに気になる数字がありました。エンジェルナンバーとかいうやつ。その中でも同一の数字の並び、日本語で言うところの「ゾロ目」ですが。

それで気づく人は気づきますが、このゾロ目のエンジェルナンバーというのは、西洋の占星術とかいろんな占いに用いられたりするわけです。だからもう緯度と経度が占いだとか、カバラに使われていることも想像ができるのです。

 

例えば60進法の緯度でゾロ目を言い表すと、東経33度33分33秒みたいなやつ。

度・分・秒の6桁が揃っている場所というのは、地球上ではかなりレアになってたりします。

東経・西経00度00分00秒(本初子午線)

東経11度11分11秒

東経22度22分22秒

東経33度33分33秒

東経44度44分44秒

東経55度55分55秒

西経11度11分11秒

西経22度22分22秒

西経33度33分33秒

西経44度44分44秒

西経55度55分55秒

この11本しかなかったです。

なぜ11本しかないかといえば、60進法の緯度・経度の場合は、時計と一緒で「分と秒」が使われているので。限界値が59分59秒までということだから。

 

 緯度のほうもゾロ目を割り出すと、

北緯・南緯00度00分00秒(赤道)

北緯11度11分11秒

北緯22度22分22秒

北緯33度33分33秒

北緯44度44分44秒

北緯55度55分55秒

南緯11度11分11秒

南緯22度22分22秒

南緯33度33分33秒

南緯44度44分44秒

南緯55度55分55秒

 この11本しかでてこないのでした。

 

 

北緯と南緯の12桁のゾロ目地点

 

そしてさらにレアな地点も存在してました。それは北緯6桁と南緯6桁の合わせて12桁が全部同じ地点のことですね。

 ちなみにその地点を割り出してみると、本初子午線と赤道が交わる地点を始めとして、

 

 0・東経西経00度00分00秒、北緯南緯00度00分00秒 アフリカのギニア湾、ガーナ沖合

1・東経11度11分11秒、北緯11度11分11秒 アフリカのナイジェリア

2・東経22度22分22秒、北緯22度22分22秒 アフリカのリビア

3・東経33度33分33秒、北緯33度33分33秒 地中海、レバノン沖合

4・東経44度44分44秒、北緯44度44分44秒、ロシア南部

5・東経55度55分55秒、北緯55度55分55秒、ロシア中部のシベリア

みたいな具合に、Xを描くようにして合計で21地点が存在してました。

これらはアフリカ(ナイジェリア・リビアボツワナ)、地中海上、ロシア、大西洋上にしか存在しないので、かなりレア過ぎて誰も気づいてなかったりします。

 

あとは最初の東経・西経の度を3桁の数字にすると、さらに世界にもっと存在するようです。

 東経111度11分11秒、北緯11度11分11秒

とか。

 

 

日本のキリ番のゾロ目地点

 

日本が関係している数字で調べてみると、以下の地点を発見しました。

・北緯30度00分00秒・東経130度00分00秒 鹿児島県口之島東方沖

・北緯30度30分30秒・東経130度30分30秒 鹿児島県屋久島北方沖

・北緯33度33分33秒・東経133度33分33秒 高知県高知市

・北緯40度00分00秒・東経140度00分00秒 秋田県大潟村

・北緯40度40分40秒・東経140度40分40秒 青森県青森市

・北緯44度44分44秒・東経44度44分44秒 北海道オホーツク海

というふうに、日本は意外と多くてレアな土地がありました。町おこしには使えるかと・・・。

 

 

語呂合わせと緯度経度

 

それでこれは深く考えてないですが。ある種の人は緯度経度の10進法と60進法の数も駆使して、語呂合わせと数秘術など色々駆使して未来を占うとか、何かしらの物事と関係させるみたいなこともしている気がしているのです。

時間では使いまくってるようですが。19時3分はいくさ(戦)みたいなもので。そのへんはまた考えたいと思います。

 

 

緯度経度の数秘術で運命的な結びつきが生まれるかも

 

それでこうして地球を緯度と経度を元にして、ぐるぐる回して見ていました。すると、数字がまるっきり同じ地点というのが必ずでてくる事がわかるのですね。

例えば分と秒なら、世界中に同じ数字の地点はいくらでもあったりする。

最初の度を見ると、日本は東経122度~145度、北緯は25度~45度まで幅広いですが。

これと世界を照らし合わせてみた時に、一致するのは

東経122度~145度、北緯は25度~45度 日本列島

東経122度~145度、南緯は25度~45度 オーストラリア

西経122度~145度、北緯は25度~45度 アメリカ西海岸

西経122度~145度、南緯は25度~45度 フランス領ポリネシア

東経22度~45度、北緯は25度~45度 イスラエル・シリアなど中東

東経22度~45度、南緯は25度~45度 南アフリカ

西経22度~45度、北緯は25度~45度 大西洋アゾレス諸島ポルトガル

西経22度~45度、南緯は25度~45度 ブラジル

この地点ではないかと。

近隣諸国や、中国など同一緯度線、ロシアなど同一経度線での結びつきもありますが、それ以外で、運命的に結びつきがでてきたりする「かもしれない」地域になっているのではないかと。

 実際なにかと歴史的にも話題的にも、つながりがあるところが多い気がしました。

オーストラリアは捕鯨問題で。

アメリカは第二次大戦と同盟国で。

フランスは食文化の影響で。

南アフリカ、この国はアパルトヘイト(人種隔離政策)が何より有名ですが。日本人はいつしかある種の人々から「名誉白人」という称号を受けていたとか。今もなにやら名誉白人だから何だかんだと持ち出している、ネットの書き込みが見られたりしますね。この日本人に対する奇妙な称号は、南アフリカに関係してたらしいですね。

黒人のどっかの政治家は、アパルトヘイトは日本人観光客のせいとか言っていたとか。背後で暗躍する日本人の影を見たのですかね。

ポルトガル安土桃山時代以来より、日本でのキリスト教と西洋化の先導者であり、その影響力は計り知れないものがありました。

ブラジルは日本の真裏に位置することで、運命的な結びつきというのは昔から指摘される土地でした。

 

こんなの偶然だ、で済む話かもですが。自分的に無関係にできなかった理由が、以下の話です。

 

  

気になるのは中東のシリアとの運命的な経緯度

 

なんでシリアがあそこまで完膚なきまでに叩き潰されるのかと、ずっと疑問だったのですが。何かの陰謀的なものなら、日本と結びついていておかしくないなと。

それの一つの仮設が、この緯度経度を元にした数秘術による運命の一致、ですかね。

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この比較図を見て分かる通り、シリアと日本の東京は全く同じ緯度経度の数字を示す土地だったんですね。江戸時代の頃から。

(追記ですが、最初意図せずテキトーにこの地点を選んでしまったのですが、どうも10進法表記のほうだと、666が湧き出ていたとか・・・。)

 

シリアが破壊の中心地というのは、過去の第二次大戦との鏡合わせというなら運命的ですが。

もし、日本にこれから来るかもしれない南海地震やら東海地震やら首都直下地震やら極東有事やら、未来の予言的なものだとしても納得できたりしますね。

 

 

それにしても日ユ同祖論的には

 

日本の邪馬台国の中枢は諸説ありすぎて、どこだったかはっきりしません。

しかし西日本で、「九州から近畿のどこかであろう」という話にすれば、多くの歴史・考古学者が納得できる妥協案になるかと思われます。当たり前すぎて。

この「九州~近畿」を緯度経度で表すとこんな具合でした。

北緯31度、32度、33度、34度

東経130度、131度、132度、133度、134度、135度

 

その上で、古代イスラエルユダ王国のことであれこれ思考を重ねるとですね。緯度・経度の一致に行き当たったりするわけです。意味深に感じざるを得なかったりするわけでした。

イスラエルエルサレム中心 北緯31度46分、東経35度13分

シナイ山(セントカテリーナ)北緯28度33分、東経33度57分

エジプトのカイロ中心 北緯30度1分、東経31度12分

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というふうなわけで、緯度経度の数秘術で見てみれば、同じような結果が出ます。日ユ同祖論というのは、なにか運命的なものなのであろうと。 

 

 

数秘術で突き詰めると中央アジアも関係ある

 

つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。

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「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか

 

烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。

烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経緯度的には日本と何ら接点はないようですが。しかし数秘術で紐解くと、

奈良 東経135度(1+3+5=9)

烏孫 東経81度(8+1=9)

と、同じ数字が導かれますね。

烏孫 の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

 

こんな誰も知らない諸々の情報を元にして、過去・未来の出来事というのは、もしかすると占える、垣間見えるかもしれないなと。その可能性にちょっと近づいた自分がいました。

近頃は起きてるあいだじゅうパソコンに張り付いて仕事してるのだけど、なかなか上手くいかない。疲れてしまうし、たぶんライターが向いて無いんじゃないかと思う。

世間からノゾキ見られて使われてるという感覚は、常につきまとっているし嫌になる。元々体は異常体質で、周囲の誰も指摘してくれず、医者も治してくれない人生だったのだが、隣のおばさんに叩かれ過ぎたりストレスが猛烈過ぎて、頭と心臓のほうもおかしくなっているのだが・・・。

自分の未来もなにか見えてこないかと、思いついては探す日々。

 

 

  

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歌川国芳の浮世絵に現れる未来視の暗号

 

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歌川国芳 - Wikipedia

 

明けまして別におめでたくありませんでした。

そもそも新年とかどうでもいいし。灰色、曇り空をモットーに引きこもりで生きていきますが。

自称正義による猛烈な悪意が襲いかかってきて、普通の人は死ぬレベルです。不愉快極まって殲滅されればいいのにと思いながら、地道に受け流してやっていこうかと。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

江戸時代のスカイツリー

 

そう言えば一度も行ったこともないし、今後も行かないであろう、東京スカイツリーです。2011年に完成して以来、

「どうも江戸時代からその存在を予見されてたのでは?」という見方がありますね。

 

その主役は、江戸後期に浮世絵師だった歌川国芳という人が、「東都シリーズ」に描いてる「東都三つ股の圖(図)」。 

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馬込と大田区の歴史を保存する会

 

コレ見るとなんか、気づくことあります。

 

1・隅田川のほとりの本所(墨田区の西部)に巨大な塔が2つ描かれてる

2・左側の塔が、当時永代橋の東側の佐賀町にあった火の見櫓だとか

3・巨大な塔のほうは江戸時代に何の記録もない

 

あと気になること・・・

 

4・船大工の焚き火の煙がやたらとうねってるのは何でか

5・雲が何故か左右対称になってるのが意味深

 

 

東京スカイツリーと本所の火の見櫓

 

火の見櫓は江戸の市街地にはかなりの数があり、街中にタケノコニョッキと聳えていたとか。

高さは高いものではビル4~5階相当で、15~20mになったらしい。

墨田区隅田川に沿うあたりは本所と呼ばれて、永代橋の近くの本所佐賀町にも高い火の見櫓があったとか。

これが「東都三ツ股の図」にある火の見櫓らしい。

 

しかし火の見櫓の右側の巨大なタワーは、江戸時代には記録がないみたいです。

ネットでは東京スカイツリー歌川国芳のイメージを何らかの方法で知り得た結果だとかいう話がぼこぼこ沸いて来ています。

しかしより現実にちかい解釈を望む人々によれば、「当時に江戸の屋敷で掘られていた、井戸堀りの櫓ではないか」という話もまことしやかです。

 

回答を探すと、

A・偶然スカイツリーに似たなにか

B・特別高い、井戸堀り櫓が描かれた

C・歌川国芳東京スカイツリーを夢や幻で見たから描いた

D・歌川国芳はその時の気分で適当な塔を描いた

E・歌川国芳は何者かにこの塔の存在を知らされて描いた

 

どれか。

 

 

東京スカイツリーの幻影を見た国芳

 

かりに歌川国芳が東京にタイムトラベルしたなら、もっと21世紀の都会的な風景を取り入れた浮世絵を、しっかり残したのではないかと。

そもそも浮世絵師は想像力を発揮して奇抜な絵柄を描くのを取り柄としたじゃないですかー。

だから未来をはっきり見れば、すぐ表現に邁進したんじゃないかと。

しかしそんな浮世絵は、国芳さんどころか過去の浮世絵師は誰も残してないですね。

 


だから歌川国芳は夢や幻、アカシックレコードに、無意識のうちに触れているのかもしれないですが。

あるいは「何者かに影響を受けた説」もアリそうな話でした。

 

 

 

「三ツ股」に込められたスカイツリー

 

それは多分、「東都三ツ股の図」というタイトルからも判断できるのですけどね。

何故ならスカイツリーは「下部の構造が三ツ股」だからなのです。地上のエレベーター室の上辺りで、三つの柱が連結して地下に繋がる構造なんですよね。

そして地下深くのナックルパイル・ナックルウォール構造と呼ばれるところも、三つ又になってたりするんですよね。

 

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「ナックル・パイルおよびナックル・ウォール工法」 建築技術性能証明を取得|株式会社大林組のプレスリリース

 

「東都三ツ股の図」とは、隅田川あたりの地名と、スカイツリーの三つ又の特殊構造に、かけあわせてるんではないかと。

そうなら「東都三ツ股の図」に三ツ股のスカイツリーが描いてあって、当然のようじゃないですか。

 

 

船の櫂と煙から導かれるスカイツリー

 

全体の構図を見たとき、船と煙がやたら幅を利かせてるところは気づくではないですか。

煙はなんか「S」みたいに見えるのは、西洋のよくある隠し絵的な手法ですかね。

それでこの絵がさらに不自然なのは、船のすぐ横で焚き火をしているのに、その上に船の櫂(かい・オール)を3本立ててるところですね。燃えてしまうではないかと。

当時の和船は、櫂も含めて木製だったんです。ここで、なんか歌川国芳はこんな暗号を残した気がしました。

 

スカイツリーの頭文字=S

・S+櫂(かい)=スカイ

・櫂の素材=木=ツリー

・3本の櫂=スカイツリーの三つ又構造

 

 

「S=秒」で時間をあらわすSI 

 

たちのぼる煙の形を今一度眺めてみれば、

となっていませんか。煙は下から上に登っていくので、順序的には「S→I」と読めるのですよね。

このSIというのは、メートルとかkgとか身近によくある「国際単位系International System of Units)のことです。1954年の第10回国際度量衡総会 (CGPM)にてはじめてSIが制定されたとか・・・。

国際単位系 - Wikipedia

 

Sの1文字だけでも、時計の「秒」の単位を表してるんですよね。

このISとかS(秒)という時間の概念に関わる文字が、何を意味してるのかというと、もうアレじゃないかと。

この浮世絵が、タイムトラベルに関係しているのであると、言いたいのかもしれないなぁと。

未来にこのあたりに、東京スカイツリーが現れるよという情報を、散りばめているのではないかと。それに付随して、20世紀の時間の単位を含むSIも知っているよと、伝えているのではないかと。

この浮世絵が描かれた江戸後期に、20世紀以降を知る人物がいて、歌川国芳の浮世絵に影響を与えてることを意味するのですが・・・。

歌川国芳自身が知っていたのはもちろん、やっぱり何者かの影響があって描かれたことは、疑ってしまうところです。

 

 

W≒ω

 

あと上空の不自然な左右対称の雲に言及するなら、雲のなかに、ω(オメガ)の形を見いだせることに気づきますかね。

このω(Ω)というのはギリシア文字の24番目で、最後の文字ということから最終局面や終着地点を表しているのですよ。

どっかの神さまが言ってました。「私はαでありΩである」と。この言葉は最初から最後までという意味のほか、αとΩは重なりあい、すなわち前にも後ろにも自在と行き来することも意味するようです。神がいれば、時間旅行もお手の物であるはずですよ。

そのW(ω)が浮世絵の空を覆っているわけで・・・。

 ・・・・・・・・・・・・

 

もちろんタイムトラベルなんか、できるわけないだろ的な意見もあったりするわけですが。

それは今だけの話であって、未来には完成しているとしたら、もう未来人などそこら中にうじゃうじゃいますよ。いるとすれば、巧妙にカモフラージュして現地人に成り切ってるのですね。

ともかく歌川国芳は、21世紀の東京スカイツリーの場所も、名前も知ってたんではないかと。彼は何らかの方法で、未来を知り得る立場にあった、そんなふうに感じてしまいました。

 

あ、「うたがわしい」という疑問符がつくことすらも、歌川国芳は計算ずくだったらしい。何しろ、彼は「うたがわ」なのだから・・・。

  

 

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鳩槃荼と件と艮の金神

止めどなく穢れた思考が涌き出て、ぐるぐるループする苦しい日々が続いた。
べつに嫌いでもない人の名が唐突に思い浮かぶと、ののしる言葉が付きまとってはそれを打ち消した。
嫌がらせや嘲りを楽しんでいる無数の人々の悪意が、澱み無くまっすぐに伝わってくる。
無理やり悪人に仕立て上げて粗探しをしては面白がる、そんな汚れた風潮を肌身にずっしり感じる。
頭痛がしたり不眠、あるいは寝すぎなど体のリズムも乱れてる。
本日は昼過ぎの2時まで寝てしまった・・・。

○いつも助かっております



夢や幻想やお伽噺はリアルに隣り合う

せいぜい一富士二鷹三茄子程度の目出度い夢なら、何も問題なかったのに。

・・・子供の頃から俺が見てきた夢があるのですが。
それは世界を闇が覆って空がうすぼんやりな視界のなかで、なにか地獄のような世界を眺めながら、なにか重たい巨大な真っ黒いものと一緒に飛んでいく、というか俺が身に背負って飛んでいくみたいな。重力が何倍にもなったような寝心地で、目覚めると軽いはずの布団がやたら重たかったりしたのです。これは幾度となく繰り返し見てきた夢でした。

あとは大量殺人をしでかす悪夢で、目覚めたら心臓がバクバク状態。実際のことなんじゃなかったのかと、途轍もない不安になったりして、夢だと分かってホッとするみたいなことは幾度もあったり。
先日も何十年も前の夢の続きのように、何故か死体がゴロゴロしている家を散策している夢を見ていました。

自分の子供の頃からの不幸な体質や病気も何故か治されもせず問題ないと言われて悪化し続ける理不尽、連日近所の中学生に罵倒嘲笑されるような出来事、誰も解決に導いてくれば不条理が成せる業なのかと、考えてたのですが。

こういうこと書いてると世間では「このひとコワーイ」「危険人物よ~」とか、好き勝手言うのだろうけど別に仕方がない。
そんなの夢なんだから別に夢でいいじゃないかとか、言われたりするかもだけど、何度も同じ夢を見続けるというのは意味があるようで、無視ができなくなっています。(べつに殺人しようとまで考えませんが)

夢というのは自らの印象的な体験や何気ない体験や願望や不安、表に現れない深層心理、世間に渦巻いている情報、さらに外的に霧のように常に漂っている怨念めいたもの、あるいは電磁波的なものが働きかけて、形作られるものだったりするのだと考えています。

無視できないのは正夢ですね。夢で見たことがリアルに起こってしまう。これは世間でいうところの予言とか、前兆現象とも考えられれはなしで、信心深い人からすると天の啓示、天啓になるようですね。

夢は天啓的な種類もふくめて、じつは「日本書紀」でもたびたび登場してたりしました。それで平安時代の頃まで、日本では重要人物の夢を元にして「夢解き・夢占い」を行って、国の政策を決定したりとか普通なことだったのは、同書物を読むと分かってくる話です。

四十八年春一月十日、天皇崇神天皇)は豊城命(とよきのみこと)、活目命(いくめのみこと)に勅して「お前たち2人の子は、どちらも同じように可愛い。何れを後嗣とするのがよいのか分からない。それぞれ夢を見なさい。夢で占うことにしよう」と。(中略)それぞれ夢を見た。
(中略)天皇は夢の占いをして、2人の子に「兄はもっぱら東に向かって武器を用いたので、東国を治めるのによいだろう。弟は四方に心を配って、稔りを考えているので、わが位を継ぐのによいだろう」といわれた。
四月十九日、活目命を立てて皇太子とされた。豊城命に東国を治めさせた。これが上毛野君・下毛野君の先祖である。

日本書紀(上)全現代語訳」宇治谷孟著p130より

盆の時期、霊魂が枕元に現れたとか言う話はよくありますね。これは幽霊が隣に居る話ではありますが。もしかすると眠りに落ちそうなまどろっこしい時間帯に、そんな夢が視覚に重なり合っているのかもしれないとすれば、それは夢と現実は区切れないものである現れだし。

正夢とか「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」なんていう何かの歌詞を聞いて確かにそうかもしれないなんて感慨に耽ったりするではないですか。そうすると悪夢ですらも、叶うもの、それは正夢になってもおかしくないのであろうと。

その悪夢は前世と関係在るのかとか、予言とか前兆みたいなものだったのかという考えはあったのですが。
近頃ネットニュースを見ていたら、なにか鳩槃荼(くばんだ)、そしてくだん(件)の名が出てきていることに、関係するかなと。



鳩槃荼とは

むかしむかし厩戸皇子なる人がいまして、このひとがのちに「日本書紀」で聖徳太子と呼ひ表される世紀の傑物でありました。
その正体については、以前にこんな記事かいてました。

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 - たっちゃんの古代史とか

遠くの国から来たのではないかと。勝手に考えてるだけですが。


聖徳太子は10人の話を聞き分けたとか、馬で空を飛んだとか、未来を予見する能力があったと言われていました。
「未来記」なる書物を書いたのですが、それは既に一部が伝えられるのみで、散逸しています。一説にはまるまる書写されたものが残っているという話も、出ていたりしますね。どこぞの先生が言ってたりしました。

この本が最初だったのではないかと。
聖徳太子「未来記」の秘予言 (プレイブックス) 新書 – 1991/9/15

この書物の中身についてにはいろんなブログに書いてあるのをかいつまむ程度ですが、黒龍の来訪、都の東方遷移などが書いてあって、これが幕末のペリーの黒船来航と東京遷都をあらわしているとかいう話です。
そして東京遷都から200年のちに、鳩槃荼が来て東京を汚し、八つ裂き状態にするみたいなことも書いてあるとか。まるで「ヨハネの黙示録」か日月神示みたいな終末予言が、飛鳥時代に残されていたのですね。

そこで災厄をもたらすのが、コイツだとか。

Kumbhanda - Wikipedia

鳩槃荼(くばんだ)は、インド神話の魔神で、仏教では護法神(鬼神)の一族である。弓槃荼・倶満拏とも書く。サンスクリットではクバンダ (Kumbhāṇḍa)、パーリ語でクバンダ (Kumbhaṇḍa)。

陰嚢のような形をしていることから陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼と漢訳される。また、人の睡眠を妨げて災難を引き起こすことから厭魅鬼・厭眉鬼とも呼ばれる。
鳩槃荼の形象について説く経典がないことから、鳩槃荼の形象については不明である。

胎蔵界曼荼羅最外院の南方に首から上が馬で体が人間の形をした二神がそれぞれ鼓とばつ鈸(ばつ)を持つ姿に描かれるが、これは緊那羅とする説もある。なお、奈良興福寺では八部衆の一人として一面二臂で武人形の像があり、八部衆の夜叉に当てられる。

カバ(クンバ)は「瓶」を意味し、瓶のような性器をもつとされ、男性を誑かしては精気を吸い取るといわれている。瓶そのものに変身することもできる。

元来は女性しかいないとされていたが、密教では男女の区別があるとされており、身長3mで、黒い肌をした馬頭の人間の姿をした怪物とされた。
鳩槃荼 - Wikipedia

容貌風采は、陰嚢(きんたまぶくろ)とかひどい言われようだったり、瓶とか馬頭とかに別れていました。なんか瓶に入っててそれがバケモノになるとか、試験管で培養実験されて産み出されるバケモノを連想しますが。これは聖徳太子による終末予言の種類ですが、日本の古代史の中で十七条憲法を定めて存在感ばりばりの聖徳太子が、夢のような予言を言い残していたとかは、学校じゃ教えてくれない秘密なのでした。

しかし東京になんでパンダがいるのかも、運命的なきがしました。クバンダなだけに、クパンダ・・・・。


くだんとは


件 - Wikipedia


ところでこの聖徳太子の「未来記」から1,000年のちの江戸時代の後期、八百八町の江戸を含む各地を騒がす、件(くだん)なるバケモノがが現れたとの話が、まことしやかに各地にあらわれていました。

件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる妖怪。「件」(=人+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている[1][2]。

その姿は、古くは牛の体と人間の顔の怪物であるとするが、第二次世界大戦ごろから人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れた。

幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また、件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。

別の伝承では、必ず当たる予言をするが予言してたちどころに死ぬ、とする話もある。また歴史に残る大凶事の前兆として生まれ[3]、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ、とする説もある。

江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある。
件 - Wikipedia

くだんはどうやら人面牛の場合と、牛面人の場合があるようです。それで人偏と牛旁を合わせて件なのだと。
大凶事の予言を的中させてしまうので、これが登場すると恐ろしいという考えが出ますね。しかし考えようによっては人に破滅を事前に知らせているのは、生存率を高める意味であり、実はありがたい存在のように思われます。


くだんと鳩槃荼と東京

これがどうして東京の前身である江戸でも話が広まったのだろうと考えると、なにか鳩槃荼に関係しているふうに思えてなりませんでした。

ところで、地図を見ると東京都心の皇居のすぐ北側に、東京招魂社=靖国神社が鎮座しています。世界大戦などの英霊を祀っていながら、何かと問題が巻き起こってしまう劇場みたいな神社です。
「魂(たましい)を招く社」と、なにか今回のブログのテーマに沿うこの神社ですが、場所は千代田区の「九段(くだん)」と呼ばれる土地名だったりするので気になりました。神保町から靖国通りに沿っている一帯です。

ここらへんが九段というのは、靖国神社に接する九段坂上から、東の九段下駅にかけて9段の階段の坂道「九段坂」だったことに由来するとか。
それでこの九段坂のすぐ南に江戸城のお堀があり、このあたりは「牛ヶ淵」の名がありました。
偶然に、東京のくだんと牛が一緒になってたんです、かね・・・。


「牛馬(うしうま)」というのは盂蘭盆で精霊棚に備えるものだったり、「牛馬のように働かされる」とか「牛馬童子」とかなにかと一対の存在として考えられてる動物なんですね。
牛のくだんと、馬のくばんだ。名前が似てますね。アナグラムのように入れ替えているような。
災厄に関係してるバケモノという意味でも似てますね。片や災害を起こし、片や予言する役割みたいな。

並び替えると「ばくだん」・・・爆弾?

こういうのが見えてくるので、運命的な結びつきとか、人智を超越する存在はは確かにこの世界にはあるのだろうなと、考えてみたくなるのですが。

>>
くだん   牛
くばんだ  馬
九段    牛
牛ヶ淵   牛
江戸(武家)馬
厩戸皇子  馬<<

鳩槃荼による未来の崩壊を言い出した聖徳太子こと厩戸皇子は、馬小屋で生まれた伝説や、死人の蘇えり伝説が「日本書紀」なかに登場しているのであって、それは明らかにイエス・キリストを意図したものともっぱらの評価です。原始的なキリスト教の思想を守る景教徒(ネストリウス派)だったからではと。

その厩戸(馬屋)を司る聖徳太子が、馬頭の鳩槃荼が未来の東都に現ると言い放ち、日本一武家の馬が多かった江戸に馬の鳩槃荼に似た名前の牛妖怪くだんが度々現れたと話題になり、東京の九段の牛ヶ淵に東京招魂社が建立され、クバンダによく似たパンダが東京のアイドルになっていると。
それは必然的な流れだったのではないかと。


艮の金神と鳩槃荼

あと気になったのは、国常立尊(くにとこたちのみこと)と鳩槃荼やくだんとの関係でした。
ここには日月神示大峠とか、世の建て替えみたいな話も連動しているような感じだなと。

なにしろ日月神示で世の建て替えをする神さまというのが国常立尊とされていて、この神が別名はなんと呼ばれているかといえば、「艮の金神(牛寅の金神)」なのだから。
くだんとは艮の金神が送り出す予言者であり、鳩槃荼とは艮の金神が送り出す大峠の仕事人なのだろうか。知っていてもヘラヘラして何も教えてくれないイジワル人ばかりな中で、何かしら教えてくれるバケモノのほうがまだ人のためになっているような感じでした。

穢れや汚い発想が、街やメディアや作家の作品にに溢れてることに気づくだろーか。
世界はまるで敵対を奨励したかの如くに、対立を見せてるのに気づくだろーか。

それは俺の人生が何か穢れたもの汚いものと認識されたり、敵対する人が続々現れる出来事だらけなのに似ているような。
俺の悪夢というのも、この流れの中に入っているのかもしれないなと。つまり未来にある破滅的な出来事に、反応してるのかもしれないなと。勝手に納得をしているところもあります。

「この人こわーい」それでも別にいいや。

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天比登都柱から見えてくる倭国の人柱文化

人生が崩壊している低学歴低収入の隠遁者です。

それにしても幸福だけど頭がアレな人々による、不幸のどん底に落とす呪術と策略が蔓延っている世界について考えてばかりいてもアレなので、明るい話題で書いてみようと以前から気になってた天比登都柱についてちょっと思いついたことをしたためていたのですが、いつもどおり暗い内容になってまいりました。どうぞ。

 

○いつも助かっております

 

 

 

人口と生口

 

人の口と並べて書けば、それは人間の数を表す「人口」になったりする。これは考えようによっては、なんか奇妙な表現に感じたりするところ。「人数」「頭数」といえばいいところを、ヒューマンのマウスで人口だなんて。

口は食べ物を取り込む口のことで、つまり人口というのは「食事する人の数」なんですね。これは昔の食いしん坊バンザイな中国人が言い出したことらしい。

 

それから「魏志倭人伝」を読んでると「生口(せいこう)」と呼ばれる人々のことが書いてありますね。倭国から魏の国に対して、貢物と一緒に送り届けられていたある種ワイルドな人々のこと。

ポジティブな書物の解釈によっては、生口は留学生だったとか、派遣労働の漁民だったとか言ってるようですが。

しかしこの生口の解釈としては、奴婢や捕虜といった解釈が一般的でした。逆に漢から入ってくる人を生口と呼んでませんからね。倭国は東アジアを制する超大国の漢に対して、生口と呼ばれる奴婢を定期的に収めていたんですね。それは三国時代の魏との関係でも同じだったとか。

 

この生口という人々は、実は倭人も人間扱いしないで用いていたのではないか、とわかる記述が「魏志倭人伝」にあるのですよ。

持衰(じさい)とかいう風習で、倭人は奴婢の生口に対してこんな扱いしてたとか。

持衰

「その行来・渡海、中国に詣るには、恒に一人をして頭を梳(くしけ)らず、(きしつ)を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。これを名付けて持衰と為す。もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、もし疾病あり、暴害に遭えば、すなわちこれを殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。」

中国正史日本伝(1)石原道博編訳p46

つまり生口というのはゴミクズ扱いされて最後は殺されてポイ捨てされも構わなかった、そんな人々のことなんでした。

その生口が何度も魏に献上されていたきろくがあるというのは、弥生時代倭国が奴婢、奴隷階級制度の社会だったことの現れですね。

それが江戸時代の士農工商の下に位置づけられた穢多・非人の身分制度の最初の姿でせうね。

 

ということは生口とは要するに直訳すれば「生の食べ物」であり、言い換えれば「まっとうな身分の人が生きるための贄」であり、それは生贄と書いても違わぬものだったのでは。

 

 

人柱による防衛と壱岐島の関係

 

この持衰(じさい)とやらの役割はまるっきり人柱なのですが。人柱は簡単にいえば生贄を捧げて事業を成し遂げる生命保険みたいなものでした。

 

人柱

人身御供の伝説の一つ。架橋,築堤,築城などの水利,土木工事技術が未発達の時代,柱の強化の目的で,生きている人間を水底や土中に埋めたこと。神の心をやわらげ,人身のもつ霊質が柱に乗移るようにするためといわれる。日本には人柱の伝説が多いが,実際に行われたかどうかは定かではない。 (→人身供犠 )  

人柱(ひとばしら)とは - コトバンク

 

いまでも建築現場では神主の祈祷による地鎮祭がおこなわれて、土地の怪しい神さまに対しては清酒、お米、水、塩、海の幸山の幸が供物とされていますね。

昔はアブナイ土地の場合、これに加えて人間一人が埋められてたというのは、何ともコンクリ詰めみたいなヤクザ稼業を思い起こさせてくれます。

この生贄、人柱となる考え方というのは、昔から国家規模の道路工事や橋工事、お城の工事でも行われてたりしたようです。

 

そして人柱の発想というのは、「大八洲(おおやしま)と呼ばれて神が生んだ日本列島そのものにも適用されてた」んではないかと。

なぜならとある古代の要所的な海域に、人柱的な痕跡が見えてくる島があるからなのです。

 

 

・・・壱岐島

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壱岐島 - Wikipedia

 

壱岐島というのは福岡のほうに近いのに、長崎県に所属してる島です。ここは奈良時代から江戸時代にかけては、西海道壱岐国でした。

「隋書」では対馬國のあとに一支國とあり、「魏志」では対海國(対馬)のあとに一大國とあるのが壱岐国のことです。

手元の「日本書紀」のほうをチラリと読んでみれば、壱岐嶋として、神産みの大八洲のなかにも「一書によれば」として、散逸した別伝で一応含まれていたようでした。

 

 

 別名を天比登都柱という壱岐島

 

この壱岐には不思議な別名が「古事記」のなかに伝わっているのでした。

その名も天比登都柱(あめひとつばしら)といって、国生みの最初の方に登場して、それ意向はぱたりと出てこない名前でした。

比登都とは「ひとつ」のことなので、「天に向かうひとつの柱」といえば淤能碁呂島のでイザナギイザナミがぐるぐる回ってはイチャイチャしたという、天御柱と同じものではないかとする考え方も出てしまうところ。

しかし壱岐を見渡しても、天御柱らしき跡地も伝承もさっぱり出てこないです。

 

そしてこの不思議な名称はどうも、古代の段階で壱岐の名に合わせていたのではないかと、そんな発想も浮かぶのでした。

以下の表は壱岐の別名を比較してみたもの。

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というふうに、それぞれの別名は「ひとつ」に対しての並々ならぬコダワリを見せているようです。

さらに「支(ささ)」という言葉に対しても一致を見せていたり、4種の異名には「き」が含まれていたり、人に関係する漢字(支・大・主)が入ってるといった共通点もあったり。

ようするに壱岐、一支、一大という3つが「ひとつ・ささえる・き」という共通の発音や意味を見いだせるのは、天比登都柱に合わせているから、そう考えて差支えないかのようです。 

 

 

 

比登都柱と人柱

 

「日本の海」とか「飛騨の山」みたいに助詞で使う「の」は、古語では「つ」が用いられる場合がありました。

例えば「天つ神」「国つ神」「沖つ島」みたいな用法で。 

 

ならば天の比登都柱の「都」は助詞で「の」であるとすると、

「天の比登の柱」になって、言い換えれば

「天の人柱」

であるかもしれないなと。

 

その昔、壱岐は大陸との交易路の拠点で、「岐」や「支」に表される分岐であったのです。これは地理的、地政学的な分岐なだけでなく、「当時ここを取られたら生きるか死ぬか」と言うくらいの要所だったのは、間違いなかったです。

 

つまり壱岐は「 生き(いき)」なのであり、それは生け贄、人柱と関係するから、天の人柱、比登都柱だったのではないかと。

 

大陸との接点という倭国でも重要な防衛拠点に、呪術的な生け贄のごとき人柱効果を求めて「天の人つ柱」を設置しているのだとしたら。それは倭国にとっての防衛の要としては、なかなか納得出来る話になったりするのですが。

そして天比登都柱という島の別名は一大国であることを踏まえるとひとつ思い浮かびます。当時倭国を検閲し恐れられてたという一大率なる集団が、この島の管理を行っていたのではないか、という想像。

 

 

人柱 書道家が書く漢字Tシャツ

 

ということでまたなんか、掘り返しちゃいけない封印された話を掘り出したのかと・・・。

まぁ昔の倭というのは、いろんな呪いと怨念が渦巻く呪詛の国で、今もあんまり変わらないのでした。

おわり。

 

 

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高千穂の大量殺人事件と天岩戸神話の接点

ちょっと高千穂の殺人事件について思うところあり、まとめてみました。

 

きょうも隣のおばさん、玄関ドアでドッカンドッカン嫌がらせ。騒音を俺が出してると決めつけるのでイライラする・・・とはいえ気になる出来事があったので、考えを巡らせてみました。 

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

 善悪二元論と善悪同源

 

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ルシファー - Wikipedia

  

ところでこの世界は、善悪二元論が幅を利かせてたりするのです。

ネット見てると「悪は滅ぶ」と、書いてるブログを頻繁に見ますけど。・・・無理なんじゃないかと。

なにしろ、人間は誰しも、僅かでも悪心を抱くことがあるのだから。

正義と悪の根底にあるのが、「善悪同源」「正悪同源」なのではないかと、思ったりするので。

結局の所、正義と悪は同じ泉からこんこんと湧いて出ているんではないかと。

 

分かりやすくいえば、「アンパンマンバイキンマン」という正悪の対立構造。昔から当たり前に描かれてきたじゃないですか、桃太郎に対する鬼、坂上田村麻呂に対する阿弖流為戦勝国に対する敗戦国みたいな。

しかしこれはみかん箱の、綺麗なみかんと腐ったみかんの違いを見ているに過ぎない話ではないかと。

これをもっと俯瞰的に見ると、世界が変わってきたりするのですが、それは、

「正悪の対立構造は作者から湧いて出る」という発想ですよ。

 

みかん1個どころか、みかん畑の雑草からダンボール箱まで一括管理し、腐れ具合も自在と操れる感じで、作者が世界を支配しているのです。

作中のヒーローこと正常なみかんと、悪の親玉こと腐ったみかんは、作者の手のひらの上で踊らされてるだけです。作者が正悪の両面を持っているから、正悪の二面が対立し続ける。

だからこの世界という巨大な作品の中で、よく目立つ悪の親玉的な組織を滅ぼしたところで、そんなに代わり映えもしないんではないかと。政財軍の集合体という巨大な正悪混成の作者が君臨する限り。

正悪の対立や悪という概念そのものは不滅であり、善悪の割合の変動や、天を動かし地を揺るがす事象すらも自在に操られているんではないかと。

 

 

そもそも古代の神様も善悪両面を備えた

 

「神様は正しい」とかいうけれど、この言葉は「神が勝利者」と言い換えることができてしまうんですよね。

旧約聖書」を見れば神がどれだけ正義の名の元に圧倒的な力を駆使して悪を滅ぼしている(大量殺戮を行っている)様子がはっきりと描かれてます。

殺しはもっとも重い罪だと断罪される世の中でありつつ、正義の殺しは正当化されちゃう。戦争の殺しは正当化されちゃう。これは古来から信仰が続けられた神様の正体であり、いまも戦争の絶対的な基準だったりしますね。

じつは日本神話でも、「気持ち悪い」という理由で、月読命が善良な保食神をぶち殺してたりしてるんですよね。

イタズラ目的でスサノオが巫女をぶち殺してたり。新天地に出向くと根こそぎ先住民を土人扱いして殺戮するのが当たり前だったりするのですよね。

強いものや勝利者こそが正義だという発想は、古代から日本でもどこでも一緒でした。

もっとも尊いとされる三貴士(みはしらのうずのみこ)すら、記紀神話を読めばむちゃくちゃなことをしていたりしました。まさに神様の世界からも善悪同源は読み取ることができたんですね。

 

・・・低学歴の独り言が長くなってきましたが、今回の主題が、高千穂の大量殺人と天岩戸神話のことだった件を思い出したので、本題に入ろうかと。

 

 

高千穂の6人殺人事件

 

事件の内容は適当にネット検索すればわかります。この大量殺人の背後に見えてくる神さまの存在には、最初からピンときていました。

なにしろ「高千穂」というのは、日本神話の世界に登場して、重視されている土地なわけなので。調べていくとかなり興味深いものが見えてきました。

 

電子書籍の「封印された叡智の回復(1)」では、前方後円墳に秘められた被葬者情報について取り上げていました。

それで高千穂のこの大量殺戮についても、「並んでいるのではないか」という同じ発想ができました。

 

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(1)一家6人殺人事件の現場は高千穂峡の南西の山奥

(2)天安河原天岩戸神社を、殺害現場と結びつける

(3)神話に登場したり名高い神社など重要な地名がずらりと並ぶ

これは全然偶然じゃなかったです。その理由を取り上げます。

 

 

天の岩戸神話の舞台

 

そもそも記紀神話に伝えられる、天の岩戸神話は以下のような話です。

・神代の高天原にて、天照大神スサノオに激しい攻撃をされた

・怒った天照大神は、天香具山のそばの岩戸にこもって世界が暗闇に包まれた

八百万の神が相談して、主要な神々が天岩戸前に集結した

・神々の手により天照大神を岩戸の中から引き出すと、世界に再び光が戻った

・悪役のスサノオを天界から追放した(直後に八岐大蛇を退治して一転ヒーローになっている)

 

この時に天岩戸神話の登場する舞台の名は、簡単に言えば以下の場所でした。

(1)天岩戸・・・・天照大神が引きこもった場所

(2)天安河原・・・八百万神が相談した場所

(3)香久山・・・・八百万神が祭祀具を用意した場所

 

地図を見ての通り、この3要素が高千穂町には揃っているのですね。

それだけじゃなく、なぜか一直線に並んでいたりするのは、全国的に見てもここだけではないかと。。

 

香久山より南西には櫛触神社と櫛触峰があるのですが、ここは天孫降臨神話の舞台となったところ。

荒立神社は創造神で艮の金神でもある国常立尊を祀っている神社だったりします。

その延長線上をたどっていくと、国の名勝として有名な高千穂峡があり、さらに山を挟んで谷あいの棚田が見られる農村地帯に、一家惨殺の殺人事件現場があったというわけです。

 

 

神話の舞台の線上に大量殺戮現場の意味とは

 

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天岩戸神社 - Wikipedia

 

そもそも6人殺害の容疑者と見られる人も亡くなっているらしいので、真相はわかんなくなっていますね。

メディアでは容疑者が一家と険悪度が増して、乱心した結果的な解釈で幕を引きそうですが。実際のところは目撃情報もなし、証拠もないのでわからないのに。

かなり山奥のことだし、実際にはどこかの暗殺部隊が暗躍し、全員を殺して容疑者を仕立て上げて「こつが犯人だった」と決めつけることだって自在にできちゃうのではないかと。

 

しかしこの事件の場合は、天岩戸神話の舞台に関連づいているという毛色が違った部分があったのですね。

だから個人的には容疑者とされている人の犯行とは、断定して見てないです。

八百万の神が相談したという天安河原」とい象徴的な土地も関連づいているので、何らかの組織的な計画の末、何者かが何らかの方法で大量殺戮を起こしたという線で見てしまいますが。

 

作者連中が、これから日本に起こることの暗示として機能させていたり、あるいはそれを起こすための生贄を伴う呪術に関係している気がしますが。

 

 この事件によって表されているところは、

天安河原・・・一連の出来事は計画的である

・天岩戸・・・いったん闇に閉ざされ混迷を極め、後に光が復活する

・荒立神社・・・国常立尊を祭神とする。「大本神論」や「日月神示」で言われるところの艮の金神と同一であり、大峠、世の建て替えをする神という。

・櫛触峰・・・天孫降臨神話の舞台。神が降りてきて天皇家となった

  

 要するに良く言われる世界の破滅的な出来事が、暗示されているのではないかと。妄想するばかりですが。

 

 

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夕日が綺麗だった今日の散歩

  

10月にコンビニ行って以来、35日ぶりに遠出した。近頃の自分にとっての遠出は、1時間以上の徒歩か自転車の移動しかない。

1時間以上歩くと、日頃の仕事と嫌なことのストレスも少し晴れるようだった。

いつの間にやら迎えていたらしき紅葉の見頃も、そろそろ終わる時期に差し掛かっていた。雲もない快晴だったので、夕日も綺麗に見えた。

 

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ケヤキかなにか。 

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落石が多い坂道。

 

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ちらっと見える海。 

 

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 夕日。

 

 今日の出来事

・仕事やすんだ

・何ヶ月ぶりかに昼過ぎまで寝た

・洗濯と掃除した

・散歩行った

・棚のDIYの続きした(屋根造りの練習)

 

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

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意富の神はヘブライの神だったのか(日ユ同祖論)

これはほとんど知られざる、日ユ同祖論のおはなし。

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意富比神社 灯明台 - Wikipedia

 

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意富比

 

先日アイヌの日ユ同祖論についての記事を書いたら、胆振について興味深いコメントいただいたので、それについて。

胆振のアイヌとヘブライとフルとイシンの関係

 

 上古に見られる意富比(おおひ)神社の名が、どうも胆振と同様にヘブライ(イブリー)からきているのではないかという説。

 要するに、

ヘブライ・イブリー → 胆振(いぶり)

ヘブライ・イブリー → 意富比(いぶひ)→いふひ→おほひ →おおひ

こんな感じでまとまってきました。アイヌの方では胆振として残り、大八洲(日本)のほうでは意富比の名で残った可能性はあるかと。

 

ちなみに「意(い)」と読むのは古代中国から伝わる音読みで、「お」と読むのは古代日本の古訓でした。「おおひ(おほひ)」という神社名に、「いぶひ」と読めるように意富比の漢字を当てているのが確実です。

意富比の名を冠するのは船橋市の意富比神社で、景行天皇の頃の創建だとか。景行天皇陵は4世紀後半の築造なので、古墳時代前期頃の創建なのかと。千葉でもなかなか歴史が長いようでした。

 

・・・ところで現時点の祭神と、上古の本来の祭神が入れ替わるというのは、古来よりの神社でよくある話です。しかも祭神は入れ変わって古い祭神は不明となってしまったとしても、神社の名に元の祭神名を残す傾向もあります。

いま意富比神社は天照大神を祭神としてましたが、本来は「意富比神」を祀っていたから、この名が残ってる可能性もあるんではという気がしました。なにしろ日本神話には「意富」がつく神様がちゃんといるからです。

 

さて意富比神社の名の由来については、ウィキペディアを見るとこんなふうにあります。

社名の由来

社名となっている「意富比」の由来については諸説ある。主なものを以下に示す。
・大火あるいは大炊の意で食物神とする説。
・夕日を真正面に受ける高台にあることなどから夕日とみる説
・古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説
・大日の意で、この地方の農民がもとから信仰してきたお天道様(太陽神)とする説[1]

やっぱりというか、日ユ同祖論の話は出てないようでした。

この意富比が胆振と同じでヘブライやイブリーを指すものだという根拠は少ないですが、ただ意富の名を持つ神から、ヘブライ繋がりのヒントは得られます。

 

 

意富の神

 

 太安万侶(おおのやすまろ)編纂の「古事記」などを見れば、意富の名を持つ神や人物は散見できます。ところで太安万侶という人物自体も、この件に繋がりが見えていました。

古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説

 のことです。ここにある意富氏というのが、太安万侶の太氏と同じ「おほ(おお)氏」のことでした。

そして意富の神や人物を見ればこんな感じです。 

 

意富斗能地神大斗乃弁神(おおとのじのかみ・おおとのべのかみ)

・意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)

・意富伊我都神(おおいがつのかみ)

・意富多多泥古(おおたたねこ)

・意富夜麻登久邇阿札比売(おおやまとくにあれひめ)

・意富比垝(おおひこ)

・意富杼王(おおどのみこ)

・意富安万侶(おおのやすまろ)

これらは本来ヘブライ加牟豆美命だったり、ヘブライ多多泥古だったりすると、面白いことになってきますが。しかし根拠が希薄だとか言われてしまいますね。

 

神世七代と呼ばれる八百万の神の中でも原初中の最初の神がいましたが、その中に意富斗能地神大斗乃弁神が含まれていました。

この2柱については、以前にこんな記事かいてました。 

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 

トンデモですが、神世七代にはアトランティスの記憶が入っているのかもしれないと、言う話でした。同時にヘブライの記憶も、あわせ持っているかもしれないなと。

何しろ話の筋が、アトランティスと、「旧約聖書」のエデンの園と、日本神話の神世七代の関わった淤能碁呂島の3者は似ているのだから。

 

 アトランティスエデンの園、淤能碁呂島は同じ場所か

アトランティス アトラス神 蛇(ゴルゴン) 柱    火山

エデンの園   エバ    蛇     生命の樹 回転する炎の剣

・淤能碁呂島   イザナミ  蛇      柱    回転 炎(カグツチ

前回の記事より。 

するとヘブライ人の「 旧約聖書」と日本神話の意富斗能地神の繋がりが出てくるわけです。

 意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)については、イザナギ黄泉醜女に投げつけた桃の神格化です。黄泉の出来事についても、以前こんな解釈してました。

イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論

 

すると意富はイブリーだけじゃなく、「旧約聖書」に登場する原初の人間「イブ」を意図してるのかと言う感じもしました。

 

 

謎解き世界史 ふしぎ伝説の真相に迫る! (KAWADE夢文庫)                    

 

 

奇妙な灯台繋がり

 

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アレクサンドリアの大灯台 - Wikipedia

 

ちなみに意富比神社が創建された当時、海水面は4メートルほども高く、関東の内陸の奥深くまで海域は広がりを見せていました。

いま東京湾と呼ばれる海域は内海とか呼ばれ、太平洋に近い海域は走水と呼ばれてました。いまは学術的に古東京湾とか江戸湾とも呼ぶらしいです。

 

明治の頃には今と変わらぬ海水面の高さでしたが、東京湾の埋め立てはされてなかったので、意富比神社のすぐ間近に海があったらしいです。境内には明治のころに灯明台という名の灯台が建設されました。これがどうも奇妙なことに、ヘブライ人とも繋がりがあるようです。

 

古代のヘブライ人はミスルと呼ばれた古代エジプトに居住した時代が長かったのです。このエジプトのアレクサンドリアという港町には、世界の七不思議に数えられていたファロス島の大灯台が建っていました。

この2か所の灯台の特徴を比較すると、以下の通りです。

 

古代エジプトアレクサンドリア「ファロス島の大灯台 

完成:紀元前288~246頃 高さ134m 3層

 

船橋「意富比神社の灯明台」

完成:1880年 高さ約12m 3層

 

運命的な繋がりが、あったとか無かったとか。俺が取り上げた時点で両者は繋がってしまいましたが。

まァ想像でしかない話でした。

 

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小説「首都消失」にまつわる勝手な妄想

これは「自分の存在が世界に波及しちゃってる」に関係する内容なので、否定的に見られておかしくないです。また低学歴がなんか言ってる程度の、変な読み物として取り扱ってください。

 

この傾向の話をすれば、単なる妄想とか与太話であろうとか、「自分が特別だとでも思ってるのか」的に嘲笑されてしまう感じです。

といっても俺の場合、ご承知か存じませんが、生まれる前から全てが特殊な事情で満たされていましたので。無視はできないところなのですよね、個人的に。

 

 

首都消失(徳間書店)kindle版

 

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小松左京

 

一時期ちょっとハマった小説といえば、小松左京のSF作品なのでした。

この人は日本三大SF作家とか言われるくらいの凄腕の破壊論者です。とにかく人類滅亡や日本滅亡ネタにこだわりが半端ないようで、幾度となく日本は滅亡しているのでした。

手元にある滅亡系だと、「こちらニッポン・・・」「復活の日」、短編集の「霧が晴れた時」「ゴルディアスの結び目」なんかに滅亡系が入ってました。

あと読んだことがあるのは「日本沈没」「物体O」でしたが、「首都消失」はまだ読んでなかったです。

外で騒音が鳴るたび、隣のおばさんが毎日毎日床や壁ゴンゴン。ドアでドッカンドッカン、深夜も早朝もゴンゴンゴン・・・俺じゃない音でも俺のせいにされて叩き返されイライイライラ・・・そんな理不尽な仕掛けが酷い上に仕事も意外と大変なせいで、この話題について書くのをすっかり忘れてました。

 

 

首都消失と物体O

 

ともかく気づいたことを書いていこうかと。 この小説が発表されたのは1983年12月~1984年12月のことだとか。

俺はこの頃はまだ6歳くらいだったと思われ、6歳って確か小1?小2?もはや隔世の感も広がってきました。

 

首都消失 - Wikipedia

 

内容を簡単に述べておくと、ある日突然巨大な円形の雲が首都圏を覆って、内部と隔絶されて大混乱。後に地球外生命体の仕業だと判明するという、そんなパニック系SF小説なのでした。この破滅的な雲は作中で「物体O」と呼ばれています。

じつはこの名前、小松左京がこれよりずっと前の1964年に執筆していた「物体O」をモチーフとしている作品だったとか。

1964年の「物体O」は、大阪を中心として本州を覆うほどの謎の巨大リングが出現し、日本を麻痺状態に陥らせていましたが、今度はその東京版でした。

 

さて「首都消失」の作品が、なんで気になるかといえば・・・。自分との接点が色々あるからなのです。

6歳当時から、既に「波及しちゃってる感じ」なのですが。

 

主要な登場人物は、当然ながら名前が「達」だったりしました。主人公が朝倉達也で、首相代行の名前も小室達夫だったりするのです。

あとはなにか6歳当時の自分じゃ想像もつかない、未来の自分に関係する名前や地名が連発してたと、最近になって気づいたもので、なんだろなと。

そのあたりはあらすじからも見えてくるのですが。

 

  あらすじ

S重工顧問で理学と工学の二つの博士号を持つ大田原剛造は、S重工中央研究所と城南医大の協力を得て、横浜新道が国道16号線とクロスする地点付近で“雲”の調査を行う。調査には、朝倉の高校・大学の先輩で、北九州のローカル紙『西部新報』の編集局次長格であり、たまたま伊豆の総理別荘を取材しに来ていた田宮も同行する。“雲”は竹槍を突き刺してもはじき飛ばされ、拳銃の銃弾すらもはじき返した。

その晩、厚木中央研究所に近い厚木基地で、外務省国際連合局の堀江局次長の同席のもと、自衛隊在日米軍との緊急予備会談が開かれた。在日米軍側は日本側に対し、早急な日本政府の再建を求める。寝酒を求めて厚木中央研究所を訪れた堀江は、そこにいた田宮に事情を話す。田宮は事態の深刻さに発奮し、翌日、古巣のA新聞関西本社に赴き、日本政府再建のための奔走を始める。

“雲”発生から10日ほどして、緊急全国知事会議が名古屋で開かれ、全国知事会副会長である小室兵庫県知事を臨時首席代表とする「臨時国政代行会議」が樹立された。

一方、“雲”からは強力な粒子ビームが発射され、上空を飛行していた飛行機や人工衛星が被害を受ける。アメリカが“雲”の軍事利用を画策、ソ連では日本の外交官が拘束されるなど、日本に対する外圧も強まっていく。

翌年1月、三八豪雪の状況に酷似した異常寒波が日本列島を覆う中、ソ連が北海道近海に大艦隊を送り込む。だが、そのさなかに根室沖で巨大地震が発生し、ソ連艦隊は津波により打撃を受ける。

“雲”出現から4か月ほど経った3月末、“雲”の国際調査が行われ、“雲”は地球外の知的生命が送り込んできた自動的観測装置である可能性が高い、という結論が発表される。そして4月初め、“雲”は現れた時と同じように、突然姿を消した。

首都消失 - Wikipedia

 

 

出回り始めた2019年にまつわる色んな告知的な警告

 

出回りなだけに、デマわりならどれだけ良いことか。しかしアメリカの同時多発自演テロ「911」は、何十年も前からメディアで予告されていたという噂も周知の事実だったりしますが。要するに人為的、陰謀だったとか。

あらゆるメディアって、なんか予告や予言が大好きな業界でした。これから実際に起きる出来事について、前もってほのめかしたりするのですよ。

これ実は、日本の東日本大震災でも、色々でていたんではないかと。

そして2019年に来る(かもしれない)という、未曾有の地獄絵図でも、前もって予告的な告知的な警告が出回って久しいのじゃないかと。そういう話してる人は、ネット上にもけっこういるようです。

小松左京の「首都消失」もこれと同様の予言的な役割かもしれないです。しかも次回やってくる災害の予言・告知的な出来事には、いろんな伏線も張られてるのですよ。

 

天皇陛下の退位

2019年の4月に今上天皇が退位しちゃうらしいです。「2019年に東京で一つの時代の終りが来る」という出来事は紛れもなく歴史の事実として刻まれるのでした。「首都消失」や「アキラ」に合わせてるとか、そういうことかは知りませんですが。

 

 銀座に登場した津波告知

 これは去年だったかと思いますが、銀座の街に東日本大震災のとき東北沿岸域を襲った津波の高さ表示が出たんですね。16か17メートルらしいですけど。なんで東京の銀座なのかと疑問だったのですが、首都消失を前提とした予告だったと考えるとしっくり来ますね。

 

・東京が更地になったポケモンゲーム

先日なんかのネットニュースでみましたが、 ポケモンの東京の画面から建物が消失して、ぜんぶ更地になってたらしいです。

 

・新国立競技場完成

漫画の「アキラ」のなかでも新国立競技場を建設してましたが、これも2019年でした。漫画では完成をみることなく、東京もろともアキラ君のサイキックパワーにより崩壊しました。

 

・いろんな漫画や小説で東京が崩壊している

近頃は東京や日本の、破滅をともなう内容の漫画や小説はすごく多いです。これもなにか今の時代に合わせているようで看過できないところ。

 

・Qは9?

近頃はネットの陰謀系サイトみてると、やたら「Q」がでてきますね。知らんですけど。キューは日本語では「9」で、形もQとqと9は似た者同士で、「kyu」という発音も一緒なのですね。結局は「Qは日本語のkyuに絡めて9」を言いたいのかもしれないですね。 じゃあ2019の日本がキーワード?

 

これらと、「首都消失」や「アキラ」を組み合わせてみると、なんかしっくりとくるものがありますね。

 

 

俺ってなんなのか

 

 ところでなんで一々、世の中の事象と俺という一個人を関連付ける必要があるの?と言われてもアレですが・・・。

人生を振り返るとやりたい放題にイジメられてきたので、俺って別に重要人物でもなさそうですし。単純にそういうスイッチなのかもしれないです。

首都消失」の主人公の達也が俺と実際のところ関連付けされてるか、地名や登場人物に俺と関わりがあるか、波及したかどうかは置いといて。

 

何よりも達也が物体Oと呼ばれる破滅的な雲に遭遇した年齢が、気になってしまったんですよ。

映画では主人公の朝倉達也の年齢は42歳でした。俺がその年齢になるのは、2019年なんですよね。もう来年のことなんですよね。

罠にはめられ、イジメられまくってたらもうそんな年齢になってました。

2019年という年で気になるのは、漫画の「AKIRA」でもそうでした。アキラでネオ東京が壊滅するのも、2019年でしたので。偶然ってスゴイなと。

・・・2020年のオリンピック、あるのかな?と。

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Akira (manga) - Wikipedia

 

やたら妙な出来事に関連づく、おのれの不気味で意味不明な存在感というのは、これまでも書いてた通りです。

生まれる前から決まってたらしき俺の運命

変なことばかり起こる日常

気になる映画「予言」と俺にまつわる数字

俺にまつわる陰謀の証明

「日月神示で動いてる日本」の痕跡を探す・・・日航機墜落事故の御巣鷹山(高天原山)と俺

謎の超能力者ってマジで言ってるんだろうかと考える泡沫の日々

 

これ全部みると、やっぱり俺の人生はヘンなのがわかりますが・・・。

自分の考え方が突拍子もなくヘンなのですね。別に本気に捉えなくて良いです。へんな読み物としてみてもらえれば。 

 

自分の存在が世界に波及しちゃってる系の話は、単なる妄想とか思い込みの範囲で捉えるのが至極一般的な捉え方ではありますが。

はたまた、これは大いなる意思の計画に基づいて、自分が物事の秘密を明かすキーパーソンになっているのかと、そんな思想に入る人も居ると思いますが。 信じるかどうかは人それぞれです。

 

しかし東海地震、南海地震東南海地震、首都直下地震、富士山大噴火、鬼界カルデラ大噴火ナドと、色々破壊的な自然災害が起こるぞ起こるぞと言われてきているので。

誤差も考えないといけないのですが、2019~2020年あたりは果たしてどうなってるのかと。当たるも八卦当たらぬも八卦と言った感もあり、起こるかどうかは八卦で占ってみたいところです。

 

以上、波及についての妄想でした。 

 

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「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

中国には「ヤマト」という地名が彼方此方に散在している・・・それをグーグルマップで調べ尽くしたのは、2012~2014年頃でした。

それで2014年出版の電子書籍に、その地図を入れていました。

 

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電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」より

 

野馬図(ヤマト)、野場吐(ヤマト)、邪瑪吐(ヤマト)・・・

明らかにヤマトみたいな地名が大量です。古代に扶余や匈奴のあった範囲と重なるようでした。

内蒙古自治区の架瑪吐は「カマト」なのでは?と指摘されそうですが、現地で「ジャマト」の音が残ってきていたと考えられて、そういえば倭の邪馬台は「ジャマト」と読めてしまうので、ここに取り上げていました。

楊木屯はヤンムトンですが、ヤマトに漢字を当てて転訛したかもしれないので、取り上げてみました。

 

 

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消えていくヤマト

 

しかし不思議なことに、調べるほどに地図上で年々、ヤマトの地名が減っていくような気がしていました。ヤマトは暗殺されてしまうのだろ~かと。

それで2018年段階では、これらの地名はグーグルで確認できるだろうかと。調べました。

 

もし見つからない場合でも、既に4年前に座標と英語版マップのアルファベット地名も全部メモしていました。だからグーグルマップに座標を入れることで、確認できる地名もあります。

 

吉林省

・楊木屯1 https://goo.gl/maps/qNa1nZirEoy

・楊木屯2 https://goo.gl/maps/HwtzpvotMby

・楊木屯3 https://goo.gl/maps/7HrmNYpcUim

 

遼寧省

・腰木闘 検索で非検出

・養馬大(養马大)検索で非検出

・野馬套海(野马套海)検索で非検出

 

河北省

・伊瑪図(伊玛图)https://goo.gl/maps/Q35ga9zHhMy

・伊瑪図鎮(伊玛图镇)https://goo.gl/maps/T49NMrrFBGn

 

内蒙古自治区(東部)

・雅馬托(雅马托)https://goo.gl/maps/7NZQKiL1YE52

・雅馬吐(雅马吐)https://goo.gl/maps/f8xwZ7ayPXK2

・野馬図(野马图)検索で非検出

・雅瑪図瓊査(野马图瓊査) 検索で非検出

・架瑪吐(架玛吐)https://goo.gl/maps/UQ9zrKHX7dz

・一馬吐溝(一马吐沟)https://goo.gl/maps/SMMRXuFJMqB2

 

ここまでが電子書籍で紹介した範囲でした。偶然だよで片付けても、別に構いませんけれど。

しかしこれより西側にも、大陸のヤマトは並んでいたので、偶然説は無くなってきました。

 

これより西側のヤマト地名

 

四川省

・邪馬台 https://goo.gl/maps/rjXUfUWkyL12

 

青海省

・野馬台(野马台) 検索で非検出

 

新疆ウイグル自治区

・雅馬特(雅马特)検索で非検出

・野瑪多山 検索で非検出

・亜馬台果潤烏蘇(亚马台果润乌苏 yamatai)https://goo.gl/maps/GmN81W5LrET2

・雅瑪図(雅玛图)検索で非検出

・牙馬特 検索で非検出

 

一部のみ掲載。 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

酷いです。グーグルマップでは中国のヤマトやヤマタイが、ほとんど消去されていたりします。せっかく何年もかけてメッシュ探索を行った成果だったのに。

俺が出してる騒音じゃなくても執拗に叩き返してくる隣のおばさんくらい酷い。

 

中国の詳細な地図が入手できたら、発見できそうですが。

しかし中国にヤマトに邪馬台までもがあるとは、なかなか興味深いところじゃないですか。

 

そして2年前までに調査済みのヤマト地名の地図がこちら。

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 これがメッシュ探索の成果でした。いずれ烏孫起源説の電子書籍に使おうと思ってましたが、なんか無理そうです。

 

個人的な見解は既に過去の記事でも書いてますが。 

bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる

と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。

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ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひとつ「想像力」という知的能力を踏まえた話するだけなので、専門知識を持ってるかたも参考にとどめてください。

今の科学技術というのは、表向きの役割のほうは明確化していますが、「裏の役割」というのは余り語られないのです。スマホもテレビも車もインターネットも、実際は意地汚い裏の役割だってあるはずです。身近に機械があるだけで、情報収集やイジワル目的で、盗撮とか盗聴とか尾行とか遠隔操作とか、好き勝手に使われちゃっちゃり。

表向きは安全とされる食品だって、実際は「人減らし」の目的という裏の役割があって毒物と変わらなかったりするかも・・・。

低学歴の貧乏人的に言えば、最先端の学問すらも、おんなじなんじゃないかという気がしています。医学、天文学歴史学、遺伝子学・・・表向きには公表されない研究成果って、どのくらいあるのですかね?

今の遺伝子学で、表向きの基礎的に提示される日本人の遺伝子の解釈は、1万年前後に入ってきた縄文人だとか紀元前3,000~飛鳥時代以前に入ってきた外国人=渡来人が根底にあるとか言いますね。

 しかしこのヤマト地名マップは、いわば表沙汰にならぬ裏ルートをよく表されたものです。縄文人や渡来人とは全く別系統の話で、すなわち天皇家とそれに付随してきた大陸系ヤマト民族が移動するたび、その土地にヤマトを名付けてきて、倭まで到達してるのです。学会とか専門家は完全に否定する、トンデモと言われちゃうほうです。

2世紀頃の天皇家ルートが、ユーラシアのヤマト地名ではないかと。そういうことをブログでずっとまとめてきていますが。

なんで烏孫なんだ、2世紀なんだと言えるのかといえば、それは烏孫の昆莫の後継の王族が、おそらく東へ移動を開始したのが2世紀前半頃と見積もれて、邪馬台国卑弥呼崇神天皇(自説)が九州に上陸したのもこの頃だからです。

詳しくは過去記事で。

 

妄想ですけど。  

 

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胆振のアイヌとヘブライとフルとイシンの関係

 

 胆振ヘブライ

 

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アイヌ - Wikipedia

 

胆振(いぶり)って変な地名だなと思ってました。燻り(いぶり)とか、燻り出し(いぶりだし)のいぶり。

胆振支庁というのは北海道の南部にある地域。

胆振の観光名所でいえば、洞爺湖だとか有珠山昭和新山だとか。都市で言えば苫小牧、登別、室蘭といったところ。あと気になる地名では、ホロホロ山、オロフレ山、ハッタオマナイ岳とか。変な山が多いです。

これらの地名は全部アイヌ語を元にしてるらしい

 

この前もブログに登場した飛鳥時代斉明天皇の頃、胆振鉏(いぶりさえ)という蝦夷が登場するのが最初で、後に胆振国(膽振國)となってますが、彼らは古墳時代以前からいたのではないかと。

 

この胆振というのが、イブリー(ヘブル・ヘブライ)の名を受け継いでいるのではないかと。これがネット検索で、2チャンネルの日ユ同祖論に出てくるのですが。

胆振

イブリー 

IVRY 

ヘブライ 

以前は「アイヌユダヤ起源説」とか言われて実しやかだったのですが。今は日ユ同祖論自体を全否定する風潮が強いらしいです。

遺伝子的に違うとか、あっちから来てるわけないという先入観が影響するので。

 

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振から出てくるフル

 

胆振とIVRYという、表面的な発音だけが一致すれば偶然だけど。しかし複数も日ユ同祖論に符合していたなら、ちょっと無視できなくなるのです。

 

世界大百科事典 第2版の解説
カナン【Canaan

パレスティナおよび南シリアの古代の呼称。イスラエルの民は,エジプトを脱出した後シナイやネゲブの荒野を彷徨(ほうこう)していたころ,神から約束されていながらまだ手にしていない〈乳と蜜の流れる地〉としてあこがれた。前2千年紀の初めころから,エジプト人はこの地方をレテヌRetenu,そしてその住民を〈アジア人〉と呼んでいた。しかしトトメス3世の時代(前15世紀前半)には,エジプト語の文献は同じ地方に対しフルHurruという名称も使用するようになる。

カナンとは - コトバンク

 パレスチナ地方、いまのイスラエルだとかヨルダンの地域ですが、ここは古代イスラエルユダ王国ヘブライ王国と重なっています。

紀元前15世紀ころには、このへんはフル(huru)と呼ばれていたとか。

これが胆振の「振(フル)」だとすると。胆振がIVRYでヘブライなのと整合してますね。なんで胆振鉏のアイヌは、胆振の漢字を当てられたんですかね。

 

 

胆振から出てくるイシン

 

つぎに胆振という名全体でみますが。いぶりというのは訓読みですね。

じゃ音読みにすると、「イシン」なんですね。これで分かることも有りました。

イシンで古代ヘブライに関連する歴史的名称があったんですね。

 

イシン(シュメール語: I3-si-inki[1], Isin)は、紀元前20世紀に繁栄したメソポタミア南部の都市である。シュメール時代のイシン王については知られておらず、「イシン王朝」といえば、ウル第3王朝の衰退に乗じて独立を果たした南部メソポタミアのアムル人国家「イシン第1王朝」のことを指す。都市神はグラ(Gula。Nintinugga, ニンイシンナとも)。

紀元前2017年にイシン第1王朝

紀元前1157年にイシン第2王朝

ちょうどヘブライの時代ですね。

イシン王朝はシュメールのマルドゥク神を崇拝していたのですが。

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 マルドゥク

バビロニア - Wikipedia

 

 この胆振が音読みすれば「イシン(胆振)」であり、イシン王朝の名を意図するとすれば?

イシンは紀元前1,000年頃からアッシリアの一部となっていますね。アッシリアはカナンの地も支配下に置いていたので、フルの名を持っていることも、地理的・民族的にも整合しているようですね。

不思議じゃないですか。なんで胆振鉏のアイヌは、胆振の漢字を当てられたんですかね。

 

 

頭ごなしに否定できない低学歴

 

低学歴的な観点で、これは果たして、頭ごなしに否定しても良いものなのかという考えは、以前からあったのですが。

 

「遺伝子的に違うから古代のヘブライ人はアイヌと無関係だ」というのは、完璧な理論じゃないんですよね。

なぜかというと、

異民族のリーダーが、とある民族に自分たちの伝統文化を受け継がせること・・・これは、過去にずっと起こってきたことなのですよね。

日本人が洋服を着ているのだって、文明の利器を利用してるのだって、同じですからね。明治当時の西洋人の遺伝子は日本人に入ってなくても、当時の西洋文化は脈々とつながって今も日本人は西洋服にかぶれているのだから。

 

それがアイヌに起こっていたとすれば、

ヘブライ人がアイヌにIVRYの伝統を受け継がせた結果、胆振(IVRY、フル、イシン)の名が残っている」として、なんらおかしくないのだし。

当時の伝道者の遺伝子が残らなくても、記憶は受け継がれたことになるのだから。

これは日ユ同祖論全般に言えることですが。

全てを遺伝子だけで語ろうとする、遺伝子学の人はどうかしてましたね。

 

それに、何しろ一般ピーポーは、デタラメの歴史、科学技術、医学、天文学を、知らぬ間に世界の支配者から押し付けられ、それを世界の常識なのだと、疑いもなしに理解させられちゃっているのだから(想像)。

それを元にすればひょっとして、間違った遺伝子の解釈を押し付けられているというのも、滑稽じゃない気がしましたね。

なにしろ、医学や天文学と同じく、一般人じゃ遺伝子の本質を確かめようがないですからね。御用学者のやりたい放題じゃないですか。

気がしただけですけどね。

  

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