たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

漢字になった「ノアの方舟」

巨大な世間にいじめられつつ、今回もテキトーに発想と連想を繰り返してみました。

使ってる辞書は「学研漢和大字典」。

 

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ノアの方舟 - Wikipedia より

 

○いつも助かっております

 

 

 

ノアの方舟

ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。

クルアーン』にも類似の記述があり、「ヌーフの方舟」と呼ばれる(11章 フード)。

紀元前3,000年にさかのぼるシュメールの「ギルガメシュ叙事詩」に、ノアの方舟と似た話があるとか。どんだけ大昔の話なんだ。

 

旧約聖書のノアの物語

 むかしむかしあるところに、アダムの子孫で、真面目なノアさん一家がいました。その頃、世は乱れて、悪がはびこっていました。

 ノアの一家だけは神を信仰していましたが、人々はそんなノアのことをからかって、毎日のように馬鹿騒ぎを繰り返していました。ある日、神がノアに話しかけました。

神様「ノアよ、わたしゃ~愚かな人類を大洪水で滅ぼそうと思うw」

ノア「まじっすかw」

 神の言葉を受け、ノアは巨大な方舟を作り始めましたが、人々は口々にノアを罵倒しました。

町人「山のてっぺんに船作ってるwww」

ノア「みんな、神の怒りの大洪水が必ず起こるんじゃよ」

町人「おい、あいつ頭おかしいぞw」

町人「山上船じじいばーかw」

 そうして、ノアに物を投げつけたりするのでした。方舟が完成すると、地上のあらゆる動物のオスとメスを収容し、大洪水に備えました。

町人「船にヒキコモったwww」

町人「こんな山の上で洪水なんか起きるかばーかw」

 やがて雨が振り始めると、豪雨となって40日40夜も降り続け、地上は水で覆われて、なおも150日間も増水を続けました。こうして、ノア一家以外の愚かな人類は滅亡しました。

 やがて水が引き始めると、ノアの方舟アララト山の山頂に乗っかりました。ノアが鳩を放すと、やがてオリーブの葉っぱを咥えて戻ってきました。そうしてアララト山から、人々と動物は地に満ちていったのです。

つまりノアこそが、人類の祖先であるということに。

 

これに関連する漢字を探す旅。

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・船(ふね)

船という漢字は「舟+八+口」であり、これは「方舟の所有者であるノアには八人の家族がいた」ことから出来た漢字だみたいな話。これは有名で、「エホバの証人」が出処だとか。

まあホントかどうか分からない。もう一つの舟の漢字を見てみます。

 

・磐(いわ)

磐とは普通に発音すれば、岩とか石みたいな単純な鉱物の塊みたいに見られてしまいますよね。ところが神社では「磐座(いわくら)」と言って神社の御神体として見ているのですよ。

なぜか神武天皇諡号は「磐余彦」で、「磐」の字が使われてるのは、神武天皇自体がご神体みたいなものだからですが。

 

磐の漢字は「石+舟+動作」 という3つの構造からなっているので、「岩の上に舟を載せた」という行動だから、どうしても岩山の上のノアの方舟を連想してしまいますけど。

 

磐の字を辞書で引くと、

【磐】いわ

1いわ どっしりと平らに大きくすわった石。いわお。

平らに広がる。平らに円をかく。ぐるぐる回る。

あぐらをかいて、どっしりとすわる。わだかまる。ぐるぐると円を描いて回るだけでたち去らない。

古訓に、「チヒキノイシ」とある。

となっていて、なぜ岩なのにぐるぐる回るのかという疑問点が。

磐については過去に記事でまとめたことがあり。

磐座と飛行物体

 

 この記事ではさらに「磐」「の上の部分「般」についても調べていました。

【般】ハン

1 めぐる めぐらす 中心からまるく平らに広がる。円をえがいてまわる。また、そのさま。

2はこぶ 中心に集めた物を円形に広げることから、物を移しはこぶ。

3かえす かえる もとへもどす。また、もどる。

古訓には「オホフネ」とある。大船のこと。

この記事の結論として、 

磐座には、「イザナギが黄泉の国を塞ぐ」「ぐるぐる回りながら天空へ飛翔する」意味があって、「イザナギが黄泉を塞いで高天原へ戻る」という日本神話の行動原理が反映されてたようなのです。

といってましたが、この記事を書いていたらまた気づくことがあり。

神武天皇に磐の漢字を使ったのは、出自がノアの方舟の舞台であることを表すためかも。

まあ天の鳥船とかそういうのも、ノアの方舟に関係していそうです。

 

・天の磐船

鳥之石楠船神ともいう。

イザナギイザナミが産んだ蛭児を、鳥之石楠船に乗せて流したという。

饒速日命が天の磐船に乗って空をとび、大和の地に降ったという。

鳥之石楠船神 - Wikipedia

 

 

・朕(ちん)

始皇帝「朕は始皇帝である」とかいう朕(チン)。

 

辞書で引くと

朕 われ・わが

1・自分が持ち上げた気持ちで、自分自身をさす場合に用いた古代の一人称代名詞。

2・天子だけが用いた一人称代名詞。

3・表面にあらわれたきざし(徴・兆)

[解字]

もと「舟+両手で物を持ち上げる姿」(中略)舟を上に持ち上げる浮力のこと。

要するに朕とは、天空に持ち上げられた舟だった。

なぜ秦の始皇帝は自分を朕といっていたのか、考えると、

「先祖がノアの方舟神話を継承してきたから」なのではと。これは磐座に関係しているようでした。

で、この始皇帝はどう考えても天皇家と関係してましたが。

 

・白(しろ)と皇(おう)

始皇帝は、最初の皇帝だったのでしたが、じつは「皇」の字もノアの方舟に関係してました。そういえば天皇陛下は「上皇」になるらしいですね。

コノ字、「白い王」と書くので、なんかの日ユ同祖論の本でネタになってました。白人の王だったからだと。

 

皇を辞書で引くとこんなことがあり。

 

1・きみ 開祖の偉大な王の意味。秦の始皇帝が自ら皇帝と称したのにはじまる。

2・天上の偉大な王。

[解字]

(前略)人類開祖の王者というのがその原義。上部の白印は白でなく自(鼻の原字)である

秦の始皇帝については白人説は有力で、イラン系というのがもっぱらですが、辞書を引くと面白いことがわかりました。

ここでちょっと、ノアの方舟の主人公の「ノア」さんについて、世界ではどんな認識がされていたかを調べてみると・・・

ノア(ヘブライ語: נוֹחַ Nóaḥ, נֹחַ Nōªḥ、ギリシア語: Νώε, ラテン語: Noe, アラビア語: نوح Nūḥ)は、旧約聖書・『創世記』5章〜10章に登場するノアの方舟(箱船)で有名な人物。創世記の記述に従うならば、すべての人類の祖先ということになる。

キリスト教正教会では「ノイ」と呼ばれ、聖人とされている

ノア (聖書) - Wikipedia

 

ノア=全ての人類の祖先

皇=開祖の偉大な王。人類開祖の王者というのがその原義

 

完全に一致。

 

しかも皇って、発音が「ノウ(noh)」で、これって「ノア(noah)」に通じるじゃないですか。全部正解じゃないですかね。

 

付け加えると、白っていうのは「もうす」という読みがあって、これって命令形なら「もうせ」でモーセだなと。 モーセの子孫という意味も皇に込められてる気がしますね。

  

・嬴(エイ)

 

始皇帝の姓は「嬴(エイ)」といってましたが、これもなんか関係してるのではと直感が働いたので、調べました。

1・あまる・あまり

4・かつ。賭けや競争でかつ。

[解字] 貝+ふやける。瀛(大きい海)と同系のことば。

ここで重視したいのが、「かつ」ですね。

始皇帝は勝つ」ということは、今度は始皇帝を表す「勝」の字を調べる。

 

・勝(かつ)

 辞書を引くと、

まさる

1かつ

2かち 相手を倒して上に出ること

3たえる がんばる。もちこたえる。

[解字] 朕は舟+両手で持ち上げる姿の(中略)舟を水上に持ち上げる浮力。上にあげる意を含む。勝は「力+朕(持ち上げる)」の会意文字で、力を入れて重さに耐え、物を持ち上げること。「たえる」意と「上に出る」意とを含む。 耐え抜いて、ほかのものの上に出るのが勝つことである。

[古訓] アク

ノアは人々にバカにされ見下されていましたが、 人々の罵声に耐え、洪水に耐えて舟はもちこたえ、アララト山の上に出ました。これをノアの勝利と表現せうに、なんと表現すればよいのか。

勝の字自体が舟を持ち上げる意味だったので、完全に整合してますね。それから注目なのが、古訓の一つに「アク」があったこと。

ノアの方舟というのは、西洋では「アーク」と呼ばれるので、日本語の大和言葉のなかに「勝=アク」が入っているのは、どうみても関連が見えてしまうでないですか。 

おそらく昔の日本人が勝に「アク」という音を当てたのは意図的ですよね。

  

 という風に、漢字にはノアの方舟の情報が含まれていました。ほとんど始皇帝関係だったのは、始皇帝がノアの子孫という認識を持ってたからなのでは。

 

 

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アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

アイヌ民族の研究に横ヤリ入れ。

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 北海道-wikipediaより

 

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先住民かどうか

 

近年になりアイヌ民族が、日本の先住民とか言われてますけど。

沖縄人も、先住民なんだだとか主張して国連も同調してるらしいです。

「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」

 

とか言ってますけど、最新の研究によれば、沖縄人というのは、「日本本土の大和民族から別れて南西に向かった人」が多くを占めるのだそうで。以前は沖縄は東南アジア系だなんて言われてましたが、違ったらしいです。

すると国連の沖縄人は先住民という認識って、どこから来てるんだろ~か。

沖縄の人々、ルーツは「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス ニュース |

 

実は、倭人=日本人自体が、2000年以上前から在住している、先住民と言える民族なのですが・・・。

倭人は大陸系の人種を数多く吸収して成り立ってきたとは言っても。倭人とは、倭の島々に住む、縄文系と渡来人と呼ばれる弥生人を総称したものなので。

 

まだ倭の人口が30万人以下だった弥生時代の頃、「後漢書」の「秦からの移住者数千人」といった記録は有名ですね。 

ぶっちゃけ弥生時代古墳時代における渡来人の割合は、全国の遺跡の状況からみても、弥生時代後期には日本列島総人口の60%~80%を占めたと計算されるくらいだけど、

こうした数字は、「ヤマト王権天皇縄文人派」の人たちは直視しないのだろうか。

弥生時代の渡来人の規模

 

話は戻って、なんで沖縄人が先住民と言っておいて、沖縄人の大元である日本人=倭人(縄文系入ってる)は先住民じゃないんだろう。まあ国連は、変な話に首を突っ込んでましまったようです。

前置きはこのへんにして、本題に。

 

 

古代の地名

 

北海道の先住民らしきアイヌですが。近年のアイヌ民族は何か怪しいですね。アイヌじゃない人がアイヌ民族に入り込んで、アイヌの民族衣装を着て商売してるとかいう話も・・・。

 

そのアイヌ人やのアイヌ住む地域には、別名がいろいろありました。いろいろ探してみると、 

・毛人(もうじん)関東あたりにいたアイヌの呼称。弥生時代

・日高見(ひだかみ)北海道、東北地方の総称。古墳時代

・東夷(とうい)景行天皇が関東のアイヌをこうよんだ。古墳時代

蝦夷(えみし)景行天皇アイヌをこう呼んだ。古墳時代

・俘囚(ふしゅう)北海道東北の反大和王権勢力から帰属した者。奈良時代

・流鬼(りゅうき)樺太島にいた北方アイヌ奈良時代

・後方羊蹄(しりべし)北海道の呼称。奈良時代

蝦夷ヶ島(えみしがしま)北海道、樺太、千島列島の総称。平安以降

・骨嵬(くぎ)大陸の元朝による呼び名。13世紀

・苦夷(くゐ)上に同じ。15世紀

アイヌ アイヌ自身が呼んだ「人間」を意味する。江戸時代以降から

・北州 江戸時代

・十州島 江戸時代

・北海道 明治時代~

 

ここで気になる名前

・流鬼

・流鬼

・後方羊蹄

蝦夷

・骨嵬

・苦夷

ここにアイヌの正体が隠されてるんではと。

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景行天皇

 

ところで、昔のアイヌ蝦夷)は、大和朝廷からフルボッコにされる扱いでした。景行天皇はこんなことを言ってます。

「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」

「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」

日本書紀 上 全現代語訳」より

 

これ、大陸の前漢後漢が、敵対してる遊牧騎馬民族匈奴に対して、景行天皇とそっくりなことを言ってるんです。

それで、東日本の蝦夷には、匈奴という遊牧民族が含まれるという解釈をしてる記事だったので、一度読んでみてください。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

 

 

・後方羊蹄 

後方羊蹄っておかしい。何故かと言うと「古代の日本列島には羊がいなかった」のに、なぜか羊さんの登場。

関東には群馬(羊と馬)、羊太夫なんて人もいましたが。

でも倭人は、大陸に羊がいることは分かっていたのですよ。だから、倭人アイヌが元々「羊を扱う遊牧民」だと認識していたからこそ、羊蹄の名前を付けたんではないかと。

つまりやっぱりアイヌは元々、海を超えてきた大陸の遊牧民族出身なんじゃないかとい疑惑が、ここでも出てきました。

 

そういえば、アテルイなんていうアイヌの指導者がいましたが、中央アジアアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。

アテルイ - Wikipedia

 

ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。

 

 ・ 骨嵬と苦夷

 

 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。

1・アイヌを表す骨嵬

2・キルギス人を表す契骨(5世紀)

3・回鶻ウイグル新疆ウイグル自治区トルキスタン

つまり中国人は、同じ特徴を持つ民族に、同じ字を使っていたのでは。そうするとアイヌキルギスウイグルとにているという認識だったんでは。

 

 この頃のキルギスバイカル湖のあたりにあって、5世紀以前は堅昆の名前を持っていました。

別名には堅昆(けんこん)、居勿(きょぶつ)、結骨(けつこつ)、紇骨(こつこつ)、紇扢斯(こつこつし)、黠戛斯(かつかつし),戛戛斯(かつかつし)、吉利吉思、乞力吉思、乞兒吉思、乞里吉思で、大部分がキルギズ、キルギズという発音。

堅昆 - Wikipedia

 

キルギス人の特徴を見てみよう。

結婚・葬式

結婚は新郎側が羊と馬を新婦側に収めて嫁を招く。富裕者ではその数が100〜1,000にもなる。(遊牧民

文字・言語

古代には「丁零の雑種」とされ、イェニセイ川流域に『イェニセイ碑文』を残し、『新唐書』回鶻伝下に「その文字言語は回鶻(ウイグル)と正に同じ。」とあることから、文字は突厥文字を使用し、言語はテュルク系の言語を話していたことがわかる。また『元史』地理六では「その言語は畏吾兒(ウイグル)と同じ」とある。

人種

新唐書』回鶻伝下に「人は皆背が高く、赤い髪、析面、緑の瞳をしており、黒髮は不祥とした。黒瞳の者は必ず李陵の苗裔であるという」とあることから、黠戛斯人は西方系の人種(コーカソイド)であり、東方系(モンゴロイド)ではなかったことがわかる。中には黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが、これはかつて匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔だとされていた。また、敦煌出土の『ペリオ・チベット語文書1283番』の中でも、キルギス族は「目は水晶の瞳、赤い髪」と記されている。

キルギス人はトゥルク系でコーカソイドということだから、地中海のあたりから来ているらしい。キルギスという名前はたぶんトルコのキリキア、イスラエルのクルクらへんの関連を伺えるのですが・・・。

 

ところで、「アイヌキルギス人が同じなわけないだろう?」

と考えるかもしれませんが。苦夷の「苦」は「くるしい」なのですよ。

あと、アイヌ人は自分たちの住民や部族のことを「クル」と言ってたのが関係してるんようです。キルギスと同じ言語というウイグルを加えて比較すると、

・キルぎす

・ウイグル

・クルしい(苦夷=アイヌ

・クルアイヌの部族)

 

さらにキルギスの漢字には契約の「契」が使われていますが。この契は「ケイ」で、アイヌの古名(クイ、カイ)と同系じゃないですか。

契骨(ケイ骨) キルギス

苦夷(クイ)アイヌ

蝦夷(カイ)アイヌ

  

最後のトドメにキルギス族とアイヌ民族の 民族衣装を比較。

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アイヌのいろんな模様。唐草模様、迷路みたいな模様が特徴的。模様の入ってない衣服もあり。頭に布を巻いたり帽子をかぶることもあるとか。

アイヌ - Wikipedia

つぎにキルギス人の民族衣装。

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柯爾克孜族 より

アイヌにそっくりな模様があり。

キルギスにはいくつかの部族で構成されていたので、おそらく部族ごとに固有の模様があったんでしょう。同じ模様がキルギスアイヌに保存されていたのは、きっとこの模様がとても大切だったから。 

 

 

アイヌ民族の正体についての結論

これよりアイヌ民族の正体について、想像を膨らませます。

 

日本人の男系Y染色体遺伝子はD型というのが大きな部分を占めるそうです。通説ではこれが縄文人の遺伝子だとされます。

縄文人は、キルギス人がいたバイカル湖付近を、拠点にした時代があったそうです。

そうすると、堅昆・契骨のキルギス人にも、縄文人の遺伝子が、もしかしたら含まれるのかも。

彼らキルギス人の本隊は、地中海方面からやってきた、トュルク系言語のコーカソイド人種でした。

しかし、キルギスのなかには黒髪・黒眼の人々もいました。彼らが弥生時代後期以降に東へ旅立ち、日本列島に入って、それが後にアイヌと呼ばれます。

だから、アイヌには、1万年前からいる日本列島の縄文人の末裔、それに加えてキルギス(堅昆・契骨)からのの分派が入っていました。

詳しく言えば、アイヌとは「キルギスの中に入り込んだ、匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔で黒髪・黒瞳の人種」の末裔が、混ざっているということなのかもです。

アイヌは元々、匈奴の後裔だった者も含まれる部族なので、景行天皇が「日本書紀」でアイヌ蝦夷の特徴を匈奴そっくりに語ってるのは、まったくおかしくないことになるんですよ。キルギス人とは別に、匈奴人自体も日本に入りこんだかもしれません。

そうすると、アイヌの祖先がキルギスから草原と海を超えて、樺太や北海道に入ったのは、おそらく弥生時代後期~古墳時代の頃までのことなのではないかと。

だから実は、日本のY染色体のD型には、1万年以上前からの縄文系D型と、弥生時代以降にキルギス烏孫を含む中央アジアから入ったD型の、2種類がありました。両者は大きな時代差を経て日本列島で融合している、といっても同じD型なので、現時点で区別がついてないのかもしれないのでした。そんなことあるだろうか。

 

なんてい う、アイヌの古名から導かれた、俺の想像ですけれど。

 

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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1 

の続き。

 

「足」が中東に対応するということは、おそらく倭国は人体で「頭」に対応する場所なのではと考えました。別に中東を貶す意味はなくて、日本語の人体用語に当てはまってるので。

そうすると、足(中東)と頭(倭)の間の胴体は、ユーラシア古代国家のどこなのかと。ヒントになったのは、北東アジア。


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結論から述べると「人体名称大陸古代国家説」 

 

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「人体名称大陸古代国家説」 

倭人は自らのルーツを、人体の部位名として刻み残していたのですよ。

 

おそら弥生時代卑弥呼邪馬台国が倭を支配した頃に、日本語が作り変えられているでしょう。いつしか日本人は、この叡智を忘れ去ってしまったんですよ、俺の世界初の仮説ですが。

これいまからずっと前、30歳くらいの時、世間にぶっ殺されそうになってたピークの頃に原案を思い付いて、ファイルに閉じていました。で、最近やっとまとめる気が出たので、組み立ててみました。

 

 

北東アジア諸国との対応

紀元前3世紀~2世紀頃の東アジア情勢に対応しています。

 

・心臓は高句麗

高句麗(ko-ku-ri)はこころ(ko-ko-ro)という言葉に似てますが、心は心臓。

・肺臓は扶余

扶余は(hu-yo)で、肺(ha-i)に似てる。

・胸は匈奴

匈奴の匈(きょう)が胸(きょう)。

・乳はチチハル

人体で肺の上に乳がありますが、扶余にチチハルという紀元前からの都市があり。

・肝臓は漢

肝(かん)は漢(かん)。

・背は鮮卑

鮮卑は北東アジアの北部。背ん卑。

・頸は韓

頭が倭に対応するから、胴体と接続する頸(首)は朝鮮半島

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お腹より下も、同じ時代(紀元前3世紀~2世紀)までは、中央アジアに対応してたみたいですが。

 

中央アジア西アジア諸国との対応

 

・腹=トハラ

トハラとはトカラ、トハリスタン。中央アジア

ペルシア、パルチアのペル、パルも含むのか。

・腰=月氏

月氏→かっし→こっし→こし→腰

・臍=烏孫

烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視

・玉\(^o^)/)

タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。

・ちん◯\(^o^)/

中国読みの秦(ちん)がちん。マラは不明。縄文語か。

・女陰\(^o^)/

「ほと」はホータン。

・ひざ=波斯(ペルシア)

波斯→はし→ひさ→ひざ。ひじも。

・腿=ペルシア

むかし、中国では桃(もも)の起源をペルシアと言っていたんですよ。そうすると腿(もも)が桃の産出地でペルシアに対応するということに。

そうすると、桃から生まれた桃太郎なんて話にはペルシアから倭へ来たみたいなことで頷けますけど。

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 腕は特殊でした。

 

・腕=ユダ

腕について考えてみますが、これは日ユ同祖論でいえば「ユダ」でしょうね。

ユダがウデ。ユダ、ユデ、ウダ、ウデ、なんか似てます。

ウデというのは考えてみれば、体の足の先から頭のてっぺんまで、まんべんなく移動できる唯一の場所なんですよね。そうするとユダは移動性の民族だから、腕の部分にそう名づけてるって、日ユ同祖論で解釈したら理にかなうわけなのですが。

 ・手=タタール

タタール→おたた→おてて→お手々

ユーラシア大陸のトルコから発祥し日本列島に至るまでアルタイ語族っていわれますが、これに寄り添うようにしてタタールという人々がいました。

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倭国というのはユーラシア諸民族の習合体だったのであり、当然ながら頭にもその情報が入っていました。

 

・ かしら=月氏

月氏→かっし→かしら

・おつむ=烏孫

烏孫→うそん→おつん→おつむ。「烏」の中国上古時代の発音は、ウー、オー。

・まなこ=任那

任那→みまな→まなこ

・みか=三韓

耳の古訓は「みか」。三韓→みかん→みか

・はじめ=波斯

鼻の古訓は「はじめ」。波斯→はし→はじめ。

・くち=月氏

月氏→けっし→くっち→くち。

 

つまり倭の中枢には、こうした人々が入っていたんではと。

過去記事にもありましたが、

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 -

とか。

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まあこれを、偶然とか妄想と片付けても良いわけですが。

俺の妄想によれば、倭の真相に近づくには、日ユ同祖論、天皇騎馬民族王朝説、倭人ユーラシア民族習合説、みたいな、大陸レベルで見ていかないといけないんじゃないかと。

遺伝子的にいえば、中東↔中央アジア中央アジア↔東アジア、東アジア↔倭

というふうに接する地域は、相互に関係してるでないですか。

東へ迎えば遺伝子は変容したとしても、先祖の文化やルーツは記憶していたでしょう。その結果が日ユ同祖論の指摘であり、こんかいの、人体名称大陸古代国家説なわけなんですが。

 

いま「縄文語」とされてる倭の言葉の人体用語は、縄文語じゃなくて、弥生時代後期に弥生人がユーラシア諸国名を当てはめて、倭人のなかに普及させたものが多いんですよ。私的な仮説によれば。

だからいま学者によって常識とか通説って言われて出回っている、古代史をはじめとした世の中の知識は、間違ってるかもしれないなと。

歴史とは、個人の信念とか愛国心とか、誰かのゴリ押しが影響して、決定づけられるところがありますからね。

低学歴の思いつきですが。

 

 おわり。

 

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なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源1

2017年最初の思いつき記事。

 

新年めでたいのかどうかは、人それぞれだと思うのですが、おめでたくなくても慣例的におめでとうと言ったり、初詣に足をはこぶ、律儀で不条理な日本の縮図の正月ですね。 世界を変えたいのに思うように変わらなかったのは、こころがけが足りなかったといえばそうでした。今年は変化を足す一年。

 

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足 

 

足をはこぶ、足りなかった、足す。の足。

そういえば人間の人体の一番下の足って、なんで「あし」って言うのか。定説的な語源を調べるとこう。

「足の語源は諸説あり、正確な語源は不詳であるが、体の汚い部分で「悪し(あし)」の意味からという説や「端(はし)」が転じたとする説が有名である」

足・脚・肢(あし) - 語源由来辞典

 

ぶっちゃけ俺はひねくれているし、常識や正義と言われるものに抵抗する勢力なので。こういう「諸説ある」とか言われるものは勿論、定説とされるものですら、疑って見るしか無いと思いますけど。

 

 

足は重要

 

足は「汚い場所」という考えが、長らく日本人の認識にあったらしいです。そういえば旧約聖書でも「足を洗う」場面が出てきますけど、それは置いといて。

中医学が入ってきてからは、足のウラには全身の臓器や部位に対応するツボがあるとかいう考えが広まって、現代では足とは体のなかでも、ツボの集まる重要な場所だという認識になってきてますが。

足裏健康法 - Wikipedia

足は移動の象徴、仕事の象徴みたいなもので、人によれば人体でいちばん重要なのは足だっていうことで。足が健康じゃないと、どこにも行けませんものね。

 

そんなこんなで足について考えていたら、足の部位っていろいろあるなと。

・足(靴を履く部分) 

つま先、つめ(爪)、ゆび(指)、ウラ(裏)、くるぶし(踝)、かぶと(甲)、かかと(踵)、きびす(踵)

・脚(股下すべての部分)

すね(脛)、ふくらはぎ(脛)こむら(腓)、ひざ(膝)、ひかがみ(膝の裏/膕)もも(腿)

 足という漢字の成り立ちから言うと、膝下全体を足と言うとか。いまでは靴を履く部分だけ足とか言うようになってますが、もはや足ってくるぶし以下という認識に変わってますね。

 

 

アシ

 

アシという音だけとれば、俺的には歴史上では葦原の中つ国だとか、アッシリアなんて思い浮かべたりします。

アッシリア

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アッシリア - Wikipedia

 アッシリアはシュメ―ルから出た王国で、紀元前2,000年から紀元前609年の新アッシリアまで続いたんですね。エジプト、イスラエル、トルコのほうなど中東の広域に拡大してたとか。。

 

 

足とアッシリア

 

普通なら、無関係だと頭ごなしに決定づけて、関連性すら見出さずに素通りしますが。

でも自分としては、いろいろ考えてみたら、どうも足と古代の中東は関係するのではと感じ取ってしまいました。

俺が妄想した足とアッシリアの関係

 

・足 アシ→アッシリア

 アシがアッシに対応

・踝 クルブシ→クルク(カルク)(サマリアイスラエルの古名)

 クルがクルに対応

・踵 キビス→アイギュプトス(エジプトの古名)(aegyptus)

 キビスがエジプトのgypts(ギュプトス)に対応

・甲 カブト→アイギュプトス(エジプトの古名)

 カブトがギュプトに対応(k-b-tに対するg-p-t)

裏 ウラ→ウラルツアッシリアの北の国/アッシリア領)

 ウラがウラに対応

・裏 ウラ→ウル・ウルク (シュメール・アッシリアの都市)

 ウラがウルとウルクに対応

・指 ユビ→ユダイスラエルの南部)

 ユがユに対応

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 ここに出てくる古代国家は、ぜんぶ紀元前7世紀頃までに登場しますので。ということは日本語の人体の起源というのは、縄文時代じゃないということになってしまいますが・・・。

そういえば思いつきで、葦原の中つ国がもし「アッシリアの真ん中へんの国」ということなら、古代イスラエルユダ王国あたりなんですけどね。 

 

補足、

イスラエルサマリアは、元々クルクとかカルクと呼ばれていた場所。

日本人とユダヤ人の祖先は 同じ「クル族」

 エジプトの語源はアイギュプトス。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

重要な足、人体の端の足に、中東の古代国家名が凝縮されてたんですよ。

なぜこれらの国々だけの名前がついているのかと考えると、

「古代日本に関係する国だけをセレクトされた」んじゃないか、という発想が浮かんだわけですが。

 

これは単なる偶然の与太話なのか?と思ったら、もっと調べてみると偶然じゃない気がしてきました。

中東は足に当たる部分。じゃあ胴体はどこなのか?と考えてみると・・・。

 

つづく。

 

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(日ユ同祖論)倭と伊蘇国に秘められた日ユ同祖論

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半魚人 - Wikipedia より

 

大摩邇の掲示板で書かれてましたが、べつに俺は在日人じゃないし朝鮮カルトではないし、イスラエル人じゃないし、個人的な好奇心から日ユ同祖論を調べているだけですのでー。まあ従来の歴史観だけじゃ、ほんとの日本史を説明しきれないと勝手に思ってますのでー。

大摩邇(おおまに) : (日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

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・「倭=委」 は何故「ユダ」なのか

 

日本の地名の中には、明らかに日ユ同祖論で解けるものまで含まれているのを、ご存知だったですか。

 

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日本の異名で代表的なのは倭国です。

中国は倭の漢字を当てましたが、倭人自身は自らを「わ」と呼んでました。わの意味わかりませんが。

 「倭」という国名は「委」という文字でも使われていました。

この漢字は大和言葉で言うところの「ユダねる」の「ユダ」なんですよね。なんでこの倭人をあらわす漢字に、「ユダ」が当てられてるのでしょうね。謎すぎる件。倭とは「人委」なのでユダ人じゃないかって思うんですが。

古訓だとユツルとかユタカナリなんかもありましたが。

 

それにしても、弥生時代には膨大に漢字が存在したなかで、なんで「わ国」を表す漢字がよりによって「ユダ」なんですかね?

日ユ同祖論で言えば、倭は「ユダ」という国だったから、委の字が当てられている。で通用するのですよ。

 

 

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そういえば「後漢書」や志賀島の金印では倭の「委奴國」が登場しています。金印は「漢委奴國(かんのわのなのこくおう)」と読むのですが。

これは「委奴(イド)」と読めますが、これもユダの転訛だったとすればどうですか。

委奴(イド)=ユダなのであれば、倭という国号に「委」が使われた意味や、ユダと呼んで構わない理由が分かってくるじゃないですか。

それとも偶然なんですかね。

 

そういえば奈良時代に日本の国号が大倭国から、一時期「大養徳国」に改称されていましたが。

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これ、大養徳国と書いて「おおやまとのくに」って読ませてるのですが。養徳にやまとって無理矢理感がハンパない件。

養徳って「ようとく」、「よーど」で、「ユダ」を意識しているんじゃないんですかね。なぜこんな国号にしたのかは、やっぱり先祖があちらで、元々の国号が「倭・委(ユダ)」という認識が影響してるからに他ならないんですが。

これも偶然なんですかね。

 

あと、「後漢書」などによれば、倭人は漁の名人だったそうですね。これについては後ほど関連する記述をします。

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・筑紫のI-S

個人的に邪馬台国であって、その後に奈良に邪馬台国が東遷した「邪馬台国東遷説」を支持しているのですが。

邪馬台国だった筑紫のあたりには、イスラエル(ISRAEL)っぽい名の子音「I-S-R」の羅列が残っているのですよ。それを探ってみます。

 

伊蘇国

むかし筑紫国に五十跡手(いとて)という人がいまして、「筑紫国風土記」によればこの人は高句麗人であり天日矛(あめのひほこ)の子孫でした。

五十跡手は仲哀天皇によって「伊蘇志」という名をつけられて、それを元にして五十跡手がいた国は「伊蘇国」と呼ばれたんですね。ここが後の伊都国であり怡土郡であり、糸島郡糸島市の名の元になっていました。これは「日本書紀」や「筑前国風土記」の仲哀天皇の条出て来る記述。

伊蘇志→伊蘇国

イソってI-Sですね。

伊都国 - Wikipedia

 

恪勒国

筑紫国風土記」によれば、五十跡手(いとて)の別名は恪手(いそて)。I-Sですね。

恪手のいた国は恪勒国(いそろ国)とあるのですよね。I-S-Rですね。

 

伊都国の一大率

魏志倭人伝」の伊都国の元の名は伊蘇国ということになるのですが、ここには一大率という監視機関の本部が置かれていました。一大率って、イダ率ですよね。これもユダが転訛したのでは。壱岐国の別名は一大国なので、壱岐も同じ系統かと。

 

漁り火

昔の日本では、漁のことを「漁り(いさり)・漁る(いさる・いざる)」と言いました。これもI-S-Rなのですね。そういえば漁という漢字は、魚が入っているんですよね。

魚といえば

頭文字の符牒

イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。

 

聖書の魚に関する記述

エスやその信徒を魚で表すようになった経緯を直接確認できる文献はないが、イクテュスは、聖書の寓話に由来するという説もある。12使徒の中でペテロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブヨハネの4人が元漁師であり、聖書には魚にまつわる話が多い。
漁師だったペテロが「これからは魚でなく人間を取る漁師になるのだ」とイエスに諭され、弟子になる(ルカ 5章10節)。
2匹の魚と5つのパンをイエスが奇跡をおこして5000人に食べさせたという「パンと魚の奇跡」(ヨハネ 6章5-13節)。
神殿税を請求されて困っているペテロに、「釣りに行けば捕まえた魚の口に税金分の4ドラクマ銀貨が入っているだろう」とイエスが語った箇所(マタイ 17章27節。ガリラヤ湖畔では今もティラピアを「聖ペテロの魚」 (St. Peter's Fish) と呼ぶ。)。

 

イクトゥス - Wikipedia

漁や魚自体が、イスラエルでは神と使徒を表す言葉だったのでした。

だからこそ、日本で漁を「漁り(イスラ)」といったのだとしたら? 

それとも漁や魚がイスラエルの神・使徒に関係する言葉なのは偶然?

イクトゥスについてはまだ書きたいことがありますが、後ほど。

 

鰰(はたはた)

これに関連して、「鰰(はたはた)も取り上げてしまいますが。

鰰というのは見ての通り、編が魚でつくりが神で、魚神なんですが。

一方で秦氏というのは、一説にはローマ帝国とかヒッタイトだとかイスラエルだとか言われますが、ともかく秦氏は中東系出身だとか。

そうすると、鰰という名前には「ハタハタ氏は魚神を崇める土地から来た人々だ」っていう暗号が込められてるんじゃないかと。たぶん秦氏自身がこの読み方を付けたんですが。

魚の神といったら、中東のキリスト。もしくはシュメールのエンキか半魚人のオアンネスかといったとこなんですよね。まさに秦氏の出身とされる土地に、一致するではないですか。

オアンネスはペルシア湾から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明を授けたといわれている。

半魚人 - Wikipedia

エンキ - Wikipedia

 

伊蘇国つづき

 もう一回伊蘇国の話がよみがえってしまってすみませんが。

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「よみがえる魚」って、明らかにキリストですよね。

そもそも伊蘇はイソでイーシュとも呼ばれたイエス・キリストの名前そのものなんですよね。おそらく高句麗出身の五十跡手さんは、イスラエルのキリストのことを聞き及んで知っていたのでしょうね。あるいは大陸の西から流れてきた景教徒系統の人なのか。

 

だから日本の古代の国号や地名や名前から、日ユ同祖論的なユダ、イスラエル、キリストの要素が取り出せるのは、全然偶然じゃないっていう話なのですが。

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ここまでまとまってきましたが、これらの全てが「偶然だ」を貫き通したり、これでも「倭人縄文人だ!」を貫くとしたら、それはもう信心深い縄文教みたいなものだと思うので、俺としては何も言えないわけなんですが。

日ユ同祖論というのは、奥が深いってことは、分かったかと。

 

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「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

大国主の物語は、あんまり読む機会がないですね。

と思うので「古事記」にある話をわかりやすく、あらすじにしてみました。

 


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大国主の物語のあらすじ

 スサノオが出雲でヤマタノオロチ退治した後、助けたクシイナダ媛とのあいだにオオアナムチ(大国主)が生まれた。

 

大国主の兄軍団(八十神)はいっぱいいるんだけど、みんな美人のヤガミヒメと結婚したいらしい。兄軍団は1番ダメな奴そうな大国主に荷物を持たせて団体で因幡に行った。

大国主因幡の海岸で、死にそうになってるウサギに出会って助けたよ。助けたウサギは、大国主ヤガミヒメを得て、兄軍団はふられるって予言をした。結局ウサギの言うとおりになったので、兄軍団は嫉妬と激怒モードで大国主を殺そうとしているね。

兄軍団が焼けた巨石を落として、大国主は焼死した。

兄軍団が森に罠をつくって、大国主は圧死した。

でもそのたびに母神が大国主を蘇らせてくれる。それを知った兄軍団は、ますます悪の心を増大させて、大国主を追いかけ回すよ。お前らそんなことしてるからフラれるんだよ。母神は大国主に殺される前に逃げなさいと言って送り出したよ。

 

大国主が向かった先は、根の堅州国のスサノオ邸。

スサノオは逃げてきた大国主を試そうとしているね。蛇のいる部屋に寝かせたり、ムカデとハチの部屋に寝かせたり、大国主のいる野原の火を放ったり。大国主はそのたびに妻になったスセリヒメや、ネズミが案内した地下空洞に助けられて難を逃れたよ。

スサノオに認められて、頭のシラミをとってあげるなどで仲直りした大国主だけど、殺されそうになって腹が立ってたので、スサノオを家に縛り付けて石の蓋をしちゃったよ。

これに怒ったスサノオは、逃げる大国主を追いかけた。逆ギレか。だけどスサノオ大国主の力をちゃんと認めて、出雲の支配権を認めたよ。

大国主スサノオにもらった強い武器で、やってきた兄軍団をフルボッコにしてやった。ざまあみやがれ。

 

スクナヒコナとの出雲の国作りが始まった。出雲は大国主のはたらきで、農業や医療のある豊かな国に成長した。宮殿を建てたけど、これが初代の出雲大社大国主は妻を何人もめとって、子供がいっぱい生まれたよ。

しばらくして天照大神が出雲の国に目をつけて、出雲国を譲れと迫ってきた。大国主天照大神を支配者と認めて、出雲の支配権を譲ったよ。無血開城ってやつだ。その後大国主は隠居生活になりましたとさ。

 

こんな話だったのですが、大国主って集ストに追いかけられて苦労ばっかり。

気になったのが、大国主が受けた仕打ちについて。なんかどこかで見たような気がすると思ったので。

考えてみたら、仏教のアレだった。

 

八大地獄

八大地獄 - Wikipedia

衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。その上の1万9千由旬の中に、下から大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。

これらを総称して八大(八熱)地獄という。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされる。

また、八熱地獄の周囲ないし横に八寒地獄があるともいわれる。

阿含経の説

阿含経(じょうあごんきょう)は原始仏教の経典とされ、それによると地獄は、八熱地獄と十地獄に大別され、八熱地獄に付随する小地獄は全て共通の十六種類であるという。

須弥山世界(仏教における、人間界を含む宇宙の全て)の一番外側を輪のように取り囲む鉄囲山(てっちせん)は内と外の二重構造であり、その間に地獄や閻魔王宮があるとしている。つまり、現在の通説である地獄=地下世界とは異なり、いわゆる「世界の果て」にあるとしている。

二重鉄囲山の間は太陽や月の光が届かない暗黒世界で、僧佉(そうきょ)という大風が常に吹き荒れている。この風はもし人間界に吹いてきたら全てのものを吹き飛ばし粉々にしてしまう威力を持ち、さらに超高熱の炎と悪臭を伴っている。人間界の物に例えるなら、大型爆弾などの爆風や炎、衝撃波あたりがイメージとして適当かと思われる。

現在と異なり、八熱地獄は階層構造ではなく、十地獄ともども世界をぐるりと取り囲む形で配置されている。その名は第一地獄から順に、 (1) 想地獄、 (2) 黒縄地獄、 (3) 堆圧地獄、 (4) 叫喚地獄、 (5) 大叫喚地獄、 (6) 焼炙(しょうしゃ)地獄、 (7) 大焼炙(だいしょうしゃ)地獄、 (8) 無間地獄である。想地獄は現在の等活地獄、焼炙・大焼炙地獄は焦熱・大焦熱地獄に対応していると思われるが、具体的な内容は不明。

 

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地獄 (仏教) - Wikipedia より

八大地獄は犯した罪の内容によって送り込まれる場所だとか。以下の理由で死後に送り込まれる。

(1) 想地獄(等活地獄) 殺生

(2) 黒縄地獄 殺生、盗み

(3) 堆圧地獄衆合地獄殺生、盗み、邪淫

(4) 叫喚地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒

(5) 大叫喚地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語(うそ)

(6) 焼炙地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説き、また実践する)

(7) 大焼炙地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、持戒人(尼僧・童女などへの強姦)

(8) 無間地獄 殺生、盗み、邪淫、飲酒、妄語、邪見、犯持戒人、父母・阿羅漢(聖者)殺害

 

らしいですが。

とりあえず殺人事件を起こしてなければ、これらの地獄に落ちる心配はないという感じみたいですが、人を死追いやるイジメの場合や、間接的や偶発的に殺してしまった場合はどうなるのだろう。

 

 それぞれの地獄がどんな内容なのかを見ていくと、

(1) 想地獄(等活地獄

殺人に加え、虫を殺した者もここに来る。鉄の爪や刀剣で殺し合う。死ぬと蘇らせられ、また殺し合いとなることを繰り返す。

(2) 黒縄地獄

切り裂かれ削られ、焼かれたり、鉄の山に登って落とされると湯に落ちて煮られたり

(3) 堆圧地獄(衆合地獄) 

美人が誘惑してくるが、鉄の山や象の足などに押しつぶされる

(4) 叫喚地獄 

熱湯の大釜で煮られたり、鉄の室で焼かれたり

(5) 大叫喚地獄 

焼かれたり煮られたり(10倍)

(6) 焼炙地獄 

焼かれたり煮られたり(大叫喚地獄の10倍)串刺しにされたり

(7) 大焼炙地獄 

上記の地獄ぜんぶ(焼炙地獄)の10倍

(8) 無間地獄 

まっさかさまに地の底へ落ち続けて2000年、たどり着くと大焼炙地獄の1000倍やられる。

(以下ウィキペディア)背丈が4由旬、64の目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて100本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる

 

 このほかに

・八寒地獄

十六小地獄 (無間地獄) - Wikipedia

 とかいうのがあるらしい。後から付け加えてみた感がすごいのですが。

基本的になるのが八大地獄ということでした。内容は斬殺、圧殺、焼殺、熱殺みたいなかんじなので、そんなに種類は豊富ではない様子。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここで大国主の物語に出てきた、ひどい状況を思い返してみると、

・美人の誘惑

・焼けた巨石で圧殺、焼殺

・兄軍団と殺し合い

・殺されて蘇ってまた殺されてまた蘇ってる

・蛇

・ムカデやハチの部屋

・火を放たれ危うく焼死

・地下空洞

 なんか八大地獄にあるすべての要素が入っているような。

大国主の物語は、仏教の地獄の概念を取り入れているみたいなのですよ。

 

とすると疑問が湧いてきました。

日本神話というのは、弥生時代にはすでに原型があったのではないか、ということは言われていることなのです。

ところが日本に八大地獄を書いた仏教が伝来したのは6世紀の欽明天皇の時代というのが、定説になっているのですよ。

仏教公伝 - Wikipedia

 

仏教成立 紀元前5世紀インド

弥生時代(紀元前)日本神話は存在したとされる

仏教伝来 6世紀

古事記成立 712年

 

もし仮に大国主の神話が、仏教の八大地獄を取り入れているのが事実としたら。

しかも弥生時代にすでに存在したことも事実ならば。

 

中央アジアに仏教が伝播したのが紀元前250年。東アジアに入ったのが西暦100年頃。

大国主神話に八大地獄が含まれるのが本当ならば、

おそらく1世紀から4世紀までの間に、元々あった大国主の神話のなかに、仏教の八大地獄が取り入れられていることになるかもですが。その理由は関連記事で。

個人的には日本神話はユーラシア神話の寄せ集めで、日本列島では4世紀以降に一緒くたにまとめられたと見ているわけなのですが。真相はどうなのか。

 

関連記事

神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは

美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

 

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金の意味 迷いうさぎの意味

今年の漢字は「金」だとか。

 

今年の漢字に「金」…五輪イヤー、3回目 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

表向きでは、「オリンピックの金メダル、政治と金の出来事」などが、金が選ばれた理由らしい。普通の人は、これで納得してしまうに違いないですね。

しかし俺の場合は酷い人生を過ごしてきたせいか、心がひねくれているので、ほかの意味を探してしまう。

 

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うさぎ

 

そう言えば忘れてましたが、迷いうさぎは保護団体に預けることに成功しました。11月1日に迷い込んできているのを見つけ、預けたのが18日ということで。良かったです。それと同時に、新居も一気に決まってしまったのだが、うさぎパワーらしい。

不思議の国のアリスは、うさぎを追いかけて不思議の国へとたどり着きました。これからますます、不思議の世界のスタートなんでしょうか。

うさぎ、ラビット、トビラ、扉。わずかに滞在したうさぎによって、扉が開かれてしまったよ・・・。

 

さて、いつものように「学研漢和大字典」で「金」を引いてみる。

すると金属だとかおかねという意味のほかに、「方角では西、季節では秋、星では太白星(金星)」という意味がありました。

気になったのは、金の「解字」に

「今はおさえたふた+一からなる(中略)何かを含んでおさえたさまを示す(中略)土の中に点々ととじこもって含まれた砂金をあらわす(中略)禁(おさえてとじこめる)含、などと同系のことば」

 とあるところだろ~か。

つまり金という文字は、「何か価値あるものを封印したさま」を現す漢字であり、それが現れたのが2016年というふうにも読み解けますね。

だからこそ2016年に金を選んだ、ということかもしれないのだ。何が現れたんだろうか。

「抑えて閉じ込めると金が生まれる」というのは、金という物質の生成過程を昔の人もそう考えたからだと思うんですが、人間に当てはめてたら何か実験の被験者みたいですかね。

そういえば2012年も金だったとか・・・。

 

 それから金といえば俺的にはこれが思いつきました。

金人

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金神(こんじん)とは方位神の1つである。

金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。

金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王の眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。

 

金神は人々に大変恐れられており、江戸時代の末には岡山県地方では、「金神封じ」と称して祈祷を行う修験者もいたり、後述するが、「出雲屋敷」と称して出雲の神々に家を供え、金神から守ってもらおうとした家も多数あったが、金神を強力な神として迎え信仰した者も多い。

 

金神 - Wikipedia より

つまり破壊と滅亡をつかさどる、地獄の羅刹といった具合の金人ではないか。 

 

関連して、こんなのがあり。

 「日月神示・黄金の巻」第59帖

「金で世を治めて金で潰して、地固めして みろくの世と致すのじゃ」

 

「大本神論」を見るとこうある。

「とどめに艮(うしとら)の金神現れて、世の立替えを致すぞよ」

 

艮の金神とは、原初の神さま「国常立尊(くにとこたちのみこと)」と同一の神だとか。最初の神である国常立尊と、終わりの神である艮の金神は同一ということだから、立替えというのは恐ろしいことですね。

まあ「弥勒の世」とか「世の立替え」というものの正体が一体何なのかというのは、これから分かってくるかもですが。

 

そういえば以前に国常立尊に関係してこんな記事かいた。

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

アトランティスと淤能碁呂島は同じ島かという話の続き

 

扉は入口と出口で、始まりと終わりの象徴。

金はゴールド、GOLD、GOAL-D。

2016年の年末、日本は何らかのの扉とゴールを、見すえたのだろうか。

 

 

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(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

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神武天皇 - Wikipedia より

この話は長くなります。

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日ユ同祖論について

 

日ユ同祖論は、いまだに出鱈目だとかいう主張が強いですね。それにしても日ユ同祖論の研究が始まったのが、明治時代の1878年だとか。

明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)(英語版)は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での英語の著作The Epitome of The Ancient History of Japan(意味は『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年明治11年) Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan京都)によって始まった。これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」ニューヨーク版失われた10支族の項目に引用されたという。

日ユ同祖論 - Wikipedia

だから、研究が始まってからまだ138年しか経過してない。というのに、日ユ同祖論はデタラメと結論づけちゃってる。これで良いのだ、とか言うのだろうか。

うな重でおなじみのウナギですが。近年まで生態とか産卵場所もわからなくて、いまも謎の生物扱いされちゃっているというのに。評判の良い各地のうな重屋さんでうな重を味わったくらいで、うなぎの全てを知った気になっているみたいなことですが。うな重屋さんは全国にどれだけあるのですか。全てを知った気になるまで、全然足りませんよ。

そもそも奈良時代以前の社会情勢や生活様式など、現代で正確に知られてるのはごく一部なんですよね。ましてや日ユ同祖論は弥生時代以前を中心とした時代なのであって、これが全て解明されて「日ユ同祖論はすでに論破されましたとか完全なる妄想でした」とかありえないと思うんですが。

そもそも、現在まで著名な日ユ同祖論研究者の仮説。かなり多く証拠として提唱されているんですが、俺的な観点からすると「まだ日ユ同祖論は半分しか世の中に出ていない」のではと思うんですけど。これは騎馬民族征服王朝説についても、同じことが言えるんですけど。

ついこの間まで常識だったのに、常識が間違ってましたっていう発表は良くあることだし。すべての仮説を目にしてから、結論を出したほうが良いんではないかと・・・。

 

ところで、俺は幼いころから奇妙すぎる世界に入り込んでいました。とにかく何故か失敗や欠点がとんでもなく多いんですよね。すいませんでした。そのせいで人に過剰にバカにされまくってた人生でした。

そうした中で、なぜか古代史には興味を惹かれたんですよね。それでまあ、学生時代からヒキコモリ。ということもあって、人よりも古代史を研究する時間がたっぷりあったんですけど。37歳までの時点でだいたいまとまったんですが、発表する機会が巡ってきませんでした。

前置きが長くなりましたが。なんでなのか。

研究の一部を、またここに提出しようと思います

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  

 

神武天皇の先祖の王名は紀元前のイスラエル・ユダに存在するか

結論から言ってみる。

「日本神話の登場人物と、古代ユダ王国の王歴代名は一致するかもよ」

 

こんな単純明快な日ユ同祖論の証明方法が、存在してたのではないかと。ヨセフ・アイデルバーグさんもびっくりするに違いない。

神武天皇やその先祖がイスラエル・ユダに居たという仮説は、従来の日ユ同祖論にも存在していました。しかし神武天皇以前の神さまの名前との一致、この点に触れている論説がまったくなかったんですよね。ウィキペディアでも紹介されてなかった。

 

ヒントは紀元前7世紀

ヒントになるのは神武天皇日本書紀での実在年代。「日本書紀」では、神武天皇が存在したのは辛酉元年で、紀元前7世紀だと言っているところなんすよ。

ちなみに個人的には「神武天皇=複数人物習合説」をとっています。これは小林恵子氏の著書「三人の神武」でも指摘されてますが。その著書の内容はともかく、神武天皇が複数人物の集合体。この考え方には同意できるところ。

だから神武天皇が仮に紀元前2世紀~1世紀に実在するとしても、別の記録に紀元前660年に即位したとあることもハズレてなんではないかと。なにしろ複数の人物があわさってるんだから。

最初の神武天皇とされる人物は、とある土地に紀元前7世紀に存在したので、「日本書紀」はその通りの伝承を受け継いで、神武天皇は紀元前7世紀の人だと書いただけなんではないかと。

 

日ユ同祖論的には、これを解明するには

「紀元前7世紀の古代イスラエル王国と古代ユダ王国の王名と、「神武天皇のご先祖の名前を比較してみればいい」

という結論に至ったのでした。調べてみて、同じ名前や似た名前が連続していたら、関係性が確認できるということになってくるので。

イスラエル王国は紀元前8世紀の段階でなくなってしまったので、残るは紀元前6世紀まで存続したユダ王国が対象となります。

 

系譜

日本神話の日向三代から神武天皇までの系譜

 天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊火遠理命彦波瀲武盧茲草葺不合尊神武天皇

ユダ王国の系譜

レハブアムーアビヤムーアサーヨシャファトーヨラムーアハズヤーアタルヤーヨアシューアマツヤーウジヤーヨタムーアハズーヒゼキヤーマナセーアモンーヨシヤーエホアハズーエホヤキムーエホヤキンーゼデキヤ

 

 

アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズ 

古事記』天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

日本書紀』彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

ウガヤフキアエズ - Wikipedia

記紀に登場する、神武天皇のオヤジです。「日本書紀」に従うならば、実在年代は紀元前7世紀以前のころ。

名前がやたらと長いのですが、ここに最大のヒントがあると見たわけなんですよ。

要するにこのおかたは、神武天皇と同様、複数人物の集合体なので、やたら長ったらしいのではないかと。

日ユ同祖論的にいうと、イスラエル王かユダ王の名前が連続していることになる。 

つまりこういう結論に至ったんですが。

 

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 アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズの名前と、歴代ユダ王国の王名を見比べていこう。

(1)

まず右側の10代王、11代王、12代のユダ王が、そのまんまウガヤ・フキ・アエズの名前に対応してるみたいでした。この辺を解説。

鵜草(ウガヤ)は10代目のユダ王、ウジヤのことで、音がまんまなのがわかりますね。そう指摘されれば、たしかにウガヤとウジヤって似てるって気づくでしょう。でもこれだけだと偶然よ、なんて言われるに違いない。

(2)

最後の不合(アエズ)は「合わない」という意味。古訓だと「アヘズ」になるのですが、これが12代のアハズ王に対応してます。

「ウガヤ・フキ・アエズ」のウガヤとアエズが合致してるということになりました。これは確率的には66%が一致しているので驚きですね。すると真ん中の「フキ」が11代の、ヨタムに合ってないことが気になってしまう。

(3)

ところがここで古訓を持ち出すと、分かってしまいました。「葺」という漢字は、「学研漢和大字典」によれば、古訓で「ヲサム」といったったんですよ。すると「ヨタム=Jotham」はどうみても「ヨオサム」とも読めることに気づきますね。

「葺=フキ=ヲサム」と「ヨオサム=Jotham」で合致していることがわかるではないですか。

ということで、ウガヤフキアエズとは、10代~12代の3人の王「ウジヤ・ヨタム・アハズ」に完全に対応している名前だったんですよね。これは偶然とか言う範疇を超えていますよ。

(4)

そうすると最初のアマツはそのまんま、9代王アマツヤのことだと見て良いかもしれない。ここまでで9代目~12代目のユダ王の系譜が保存されていたと、わかってくるでないですか。彼らの在位年代にも注目してください。紀元前8世紀で、ちょうど「日本書紀」で神武天皇が紀元前7世紀、だったころと、当てはまるではないですか。

 

しかし問題が発生するのだった。名前にある「日高日子波限建」という部分は、王名に対応していないということになってしまう。さてこれは一体なんなのだろう。

 

日高日子波限建の謎

ということで古訓などを取り入れて「日高日子波限建」考えた結果がこれ。

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(5)

日高日子は、日高も日子も、ひこ=彦(男性)をあらわす言葉で、ここで「大勢」が示唆されてるんではないかと。つまり日高日子のところには1代目~5代目までいるのだが、名前が伝わらなかったんでは。

とすると天津。これは「アメの」みたいな語感ですが、「天の神の系統」というに等しいのですよ。ほかの日本の神様にも、天津を冠する神さまが何人も居ますので。

マツヤ王を表すと同時に、系譜全体が天神系統であることを表す意味合いも持っているんでは。

(6)

波限はハゲンと読めます。関係ないけど、元派遣社員だった自分を思い起こさせますね。これはおそらく6代目のアハズヤなのではないかと。hagがhazに対応しています。g(ジー)とz(ズィ―)の音は似ているということですが、微妙な線。

(7)

「建」の古訓に「イタル」があり、これが7代目のアタルヤに対応していました。

長い年月で名前が変質化しているのですが、似た古訓を持つ漢字に王名を当てはめることによって、名前を保護したんではないかと。

ということでここまでユダ王の系譜がかなりウガヤフキアエズのなかに保存されている様子が伺えました。

 

神武天皇

次に神武天皇について。こんなふうに対応するのではないかと。

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(8)

中東や東欧では「Je」の音は「エ」とか「イェ」とか発音するとか。例えば日本は英語ではジャパンですが、あちらでは「ヤパン」と発音されるみたいに。ということでJehoiakimはエホヤキムとなる。

神武天皇の名前は磐余(いわれ)というのだが、これは古訓で見ると「磐(いは)余(よ)」で「いはよ」と読むことができる。

先程のウガヤフキアエズで13代目の王様まで出てきたので、神武天皇に対応するユダ王は14代目以降ということになるのですが。17代目から、似た名前の王様が3人いることがわかったんですよね。

エホアハズ、エホヤキム、エホヤキンの3人。

 

「Jehoia」に注目してみると、

磐余  I- ha-yo

エホヤ Je-ho-ia

でよく似ていることがわかるではないですか。つまりこの3人のうちの誰か、または全てを、神武天皇に習合されてる可能性が出てきたってことでok。

(9)

神武天皇の別名には狭野命(さののみこと)、昔の発音だと「サヌ」。

エホアハズにも別名があった。それはシャルム。比較してみると

Sa -nu

Sha-llum

シャル→シャヌ→シャノ→サノ という感じだろうか。長い年月、遠い地域を超えた発音の転訛というのは、きっとこんなふう起こっておかしくないですね。

(10)

次に神武天皇の称号にある「始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)」について。始めて天下をおさめた天皇という意味なのだが、キーワードはもちろん「創始者」というところ。

で、ユダ王国の19代目の名前の意味を調べると、「主は設立する」という意味だったのですよ。つまり設立した者という意味が、神武天皇とエホヤキンには共通してたわけです。

(11)

f:id:kl117cr233:20161210153540j:plainこれは狭野さん(神武)の「狭」の字ですが、せまいを表す「狭」の異字体であり、意味は同じです。

「学研漢和大辞典」を引くと、解字にこんな興味深い記述がありました。

「夾は、大きな人の両わきを、小さな人がはさんださまを示す・・・」

つまり「狭」という字は明確に「3人の複数形」をあらわしている漢字ということになるのですね。神武天皇複数説に、信憑性が増すのではないかと。その3人とは実のところ、まさにエホアハズ、エホヤキム、エホヤキンの3人なんじゃないかと。

この3人は「在位年数が短い2人」が、「在位年数の長いエホヤキム」を挟み込んでいるではないですか。なんでここまで一致するのかというのは、「日本書紀」編者の舎人親王にたずねてみたいとこ。

「サノ」という名前に漢字を当てるなら、「狹い」とかいうマイナスイメージな漢字じゃなくて、他の良い意味の漢字でもよかったのに、咲野とか。これはあえて複数形を表す漢字を、舎人親王は使いたかったのではないだろうか。

マイナスな漢字を使っているという意味では、卑弥呼も同じだったのでは。マイナスイメージにはちゃんと理由があるというわけだ。

(12)

このお三方、紀元前7世紀頃の人だったので、紀元前7世紀の神武天皇に、年代的にもぴったり。

まとめ画像。

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ちなみに13代目~16代目はすっ飛ばされたらしい。

 

東へ向かって旅をしたユダ王

ではこの3にんのユダ王は、神武天皇のように東へ向かってをしたのか?と調べると、東へ向かって旅をしていたことが判明しました。

 

・エホヤキムは3年間バビロンのネブカドネザルに仕えた。つまりユダ王国の東方のバビロン(イラク)へと行っている

エホヤキム (ユダ王) - Wikipedia

・エホヤキンは彼の財宝もろともバビロンへ連れて行かれた。エホヤキンは残りの生涯を捕囚として生きた。

エホヤキン - Wikipedia

 

この人達が、複数の神武天皇の最初のグループだと考えるのですが。連行されていったということで、新天地を求めて旅立った神武東征とは趣向が違ってますね。

おそらく神武天皇が東へ向かったという話の根幹としては、紀元前4世紀にユダ王族がアレクサンドロス大王の東征に従軍して、中央アジアヘ向かった出来事が反映されていると見られますが。

 

つまり神武天皇古代イスラエル系でありユダ王系を経ている

既存の日ユ同祖論では、天皇家はダン族だとかエフライム族だっていう考えが圧倒的に多いのですが。俺的にも以前はエフライム族なんじゃないかということで、こんな記事書いてましたが。

 ・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも

 

こうしてウガヤフキアエズの名前からは、ユダ王朝の系譜が取り出せたということは、ユダ王が根幹にあるのはまちがいなさそう。

ただ、上の記事でもあるように、神武天皇諡号にはエフライムの名も入っているように見えるのですよ。

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実際のところはイスラエルとユダは、神武天皇という存在のなかで「一体化してる」のではというのが、今のところの結論ですが。だから両方の特徴を備えてるってことで。

 

ウガヤフキアエズがいた土地の名は

神武天皇ウガヤフキアエズは、当初は同じ場所にいました。親子だったので。

 その場所はいったいどんな名前なのかを調べてみると

鵜戸神宮

宮崎県日南市にある、ウガヤフキアエズを祭神とする神社。ウドは Udoでユダの音ににているので、ウガヤフキアエズがユダ王というのに符合してくる。

そういえばこの神社には潮干瓊(しおひるたま)・潮満瓊(しおみつたま)という神宝が伝わってるのだが、これについてはこの記事

国常立尊とエジプトのピラミッド・・・「超古代のある物体」を表現している?

 

・吾平山

アヒラというのは実はエフライムの「エフラ」のことだと思うのだが。埋葬地はエフライムの土地なのだろうか。 神武天皇の奥様の、吾平津媛というのも同じです。

 

関連する記事 

日本雛形論には、イスラエルユダ王国烏孫の「形状」が、日本列島に投影されてたっていう話。あとアレクサンドロス大王に従軍した地中海系王族が、烏孫の昆莫の先祖であり、卑弥呼天皇家の先祖だっっていう話。

倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論

ほかにもあり。

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ウガヤフキアエズ鵜戸神宮や、神武天皇の高千穂宮が、なぜ日向の国でなければならなかったのか?それは日向がイスラエル・ユダ連合王国の形を模したものだったから。

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相

 

日本と古代イスラエル・ユダの地域の王号が、リンクしてる話。

古代の君主号を見ることで分かる天皇と大和民族のルーツ

 

ヤタガラスはユダガラスだった話

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

 

ユーラシア大陸東征の出来事が、日本列島に当てはめられて神武東征と呼ばれてるっていう話。

ユーラシア の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

 

 まあこんな感じ。自分の中では。

  

 

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経津主命とタカトリ山の謎

 

そういえば、ようやく引っ越しのめどが付いてきました。これについてはあとでブログに書きますけど。まあ俺はもう、なんか疲れちゃったので・・・5年後は、死んでるかなw

 

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○いつも助かっております

 

 

 

タカトリ山と経津主命

 

日本に数えるほどしかない「タカトリヤマ」(高取山・鷹取山)。これがなんか興味深かったりします。

タカトリヤマを調べていると、へんな事実がわかってきたのですが・・・。全国のタカトリヤマの位置をプロットすると、こんなふうな感じ。

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赤い丸が高取山。赤い四角が鷹取山。緑の丸が経津主命の関係地。

 

日本神話を知っている人であれば、経津主命のことはなんとなくわかるでしょうが、簡単に解説すると、 

経津主命(ふつぬしのみこと)

・ 日本書紀』の神産みの第六の一書では、伊弉諾尊軻遇突智を斬ったとき、十束剣から滴る血が固まって天の安河のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。

葦原中国平定では武甕槌神とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしている。

経津主神 - Wikipedia

この天の安河というのは、安本美典氏の著「天照大御神卑弥呼である」によれば筑紫(福岡)の夜須郡の安川だということでした。

個人的な考えとしては、安川が経津主命の生誕地「天の安河」という話には概ね賛同できるんですが、実はたぶん歴史的な卑弥呼の時代の史実を反映しているのにくわえて、「大陸神話を日本列島に投影した結果も含む」と考えられるんですが・・・。

出雲の印は、ここが出雲の国譲りの舞台となったところ。

関東地方の千葉県北部の香取神社は、経津主命が東へ赴いて本拠としたらしきことが、故事に見えます。

フツヌシと香取の関係については、『日本書紀』一書に「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」とあり、「檝取(楫取、かとり) = 香取」に祀られることが記されている。また『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)で「経津主神云々、今下総国香取神是也」、『延喜式』(延長5年(927年)完成)所収の「春日祭祝詞」でも「香取坐伊波比主命」と記されている。

香取神宮 - Wikipedia 

さらに奈良県の印については春日大社なのですが、ここには

春日大社の社伝

社伝では、768年(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。

春日大社 - Wikipedia

武甕槌命は、鹿島神宮から鹿に乗って春日大社に来たとかいいますが、こういう伝説というか神話が存在しているということで。

 

これでわかったと思うのですが、「緑色の経津主命ポイントは、タカトリ山に囲まれている傾向にある」ということなんですね。タカトリ山は、経津主命に関係するんですかね。

 

名称の一致

これは別に偶然じゃないというのは、名前からも分かってくるんですが。

経津主命の別名はいくつかありました。

1・経津主命(ふつぬし)

2・斎主神、伊波比主神(いわいぬしのかみ)

3・香取神(かとりのかみ)

3番目は香取神宮香取神社の祭神であることからです。香取神宮は伝えられるところでは、神武天皇18年の創建と、神代と言っても良い頃の創建でしたが。

もともと香取神という名前も有していたから、後に香取神宮という名の神社になったという感じもありますけども。

で、タカトリ山(高取山・鷹取山)というのは、どうも「カトリ」の名を持っているようではないですか。つまり経津主命=香取大神の関係地は、タカトリ山に囲まれている、そんな傾向ははっきりと見えてきていますが。

この全国のタカトリ山は、おそらく経津主命に関係しているのではと。経津主命=香取神を守護としていたために、タカトリ山によって有力地を囲っているのでは。

 

古代倭国の本拠地としては

筑紫平野吉野ヶ里遺跡、平塚川添遺跡などあり、邪馬台国の有力地。なのでタカトリ山に囲まれている。

・奈良はヤマト王権の中心地なので、タカトリ山に囲まれている。

・関東はヤマト王権奈良県と同じ地名が付けられている土地(拙著電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」参照)で、関東毛野氏=豊城入彦命の本拠なので、タカトリ山に囲まれている。鎌倉幕府の鎌倉も含まれるらしい。

出雲国はかつての本州の大国主の本拠地だったところなので、タカトリ山に囲まれている。

・東北のタカトリヤマも、おそらく有力地だった(かつて九州系地名が名付けられたり、日本の中央の碑があったりするので)。経津主命は東北の蝦夷討伐時代にあっては、武甕槌命とならび称される軍神として、崇められてたんですよ。半円形に取り囲んでいるのは出雲と関連付けている意味がありそう。出雲の地名が出羽に投影されてるので。

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以上のように古代の倭の有力地は、すべてタカトリ山に囲まれていたということは、邪馬台国の有力なヒントになるんでは。

 

自分としては、邪馬台国の土地として、気になるのがやっぱりここですよ。タカトリ山がもっとも集中している、天の安河(安川)と吉野ヶ里遺跡、平塚川添遺跡のある筑紫平野

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もう少し詳しい内容で、「封印された叡智の回復」のなかに納めるので。

 

 

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苦労と疲労が困憊中・・・迷う引っ越しと迷いうさぎ

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不思議の国のアリスWikipediaより)

 

 

ぶっちゃけもうここでの生活には、限界が近いのかもしれないです。それに加えて、迷いうさぎが俺の悩みのタネとなったので。

 

・・・・・・・・・・・・・・・
○いつも助かっております

 

 

とにかくストレスがソコカシコから連日連夜、怒涛の如く掛けられ続ける。頭がどうにかなってしまいそうなところ、必至で押さえつけて生きてきますた。

とにかく俺はいろんな苦労が次々襲ってくるようなんですが。これは自分が招いた原因と、第三者による陰謀めいた要素があるのだが・・・。その点は以前の陰謀系記事にありますので、読んでおいてください。

 

 

俺が受けてるストレス

こんなのがあり。

・俺じゃないのに何故か俺のせいにされて罵声を浴びせられる

・自宅前や周辺で小中学生に代わる代わる奇声や罵声を浴びせられる(俺じゃないことが原因だったりするので不条理ですが。親が指示出してたりして)

・兄軍団が意地悪するのだが・・・

・収入が増えない(がんばっているのだが・・・)

・自宅前に爆弾を仕掛けていく高校生がいるのだが(癇癪玉やらロケット花火やら)

・臭いに付きまとわれている(野焼きの臭い、近所の臭い料理まで俺のせいにされるので不条理ですが)

・自分の体臭コントロールがむずかしい(こんな体質が珍しいというなら障害者認定されておかしくない)

・自宅前ゲホゲホ(うちの前だけゲホゲホわざとらしく咳を出していく老若男女がいる)

・俺の想像と出来事が世界に波及している(これは2ちゃんねるで書いていたのだが、スレを立てると瞬殺されるらしい。よっぽどまずい内容じゃないと、こういった対応はされないのであるが・・・)大本教では、「大本で起きたことが日本で起こり世界で起こる」といってるみたいなのだが、「俺に起きたことが日本で起こり世界で起こる」が事実ならどういう意味を孕んでいるのだろ-か。

・そっくりさんが登場する(世間を賑わす話題の人物は、周囲のそっくりさんだったりする)

・有名人が俺をネタにしている

・盗撮されて嘲笑されてる(これはそのままの意味で、非常に苦痛)

 

他にもあるのだが・・・追い出し・追い詰め、娯楽として、こんなにひどい仕打ちを長年受け続けてるのだが、彼らはまだやり足りないらしい。強欲か。

この中に信じられないようなことも含まれているのだが、俺の近くに居住してたり、俺を知ってる人ならおおむね信じられるでしょう。

 

ツイッターで起きたことをメモするのは、意地悪してくる人がネット上で自分のことを書かれたら嫌がって、仕掛けたい気持ちを減少させる効果があるかな~?という僅かな期待をかけてのことなんですが(あると思うのだが)。

エスカレートする嫌がらせを軽減させることができたら、ストレス回避につながりますし。

 

 

迷いうさぎ問題

 

迷いうさぎが来てから、状況は悪くなった、というのも出費がかさむという問題が出てきてしまったからなので。俺は銀行預金は500万円も持っていないし、在宅業務で手にする金額もすくない。ギリギリの生活の中で、急にやってきた迷いうさぎを保護してしまった。落ち度?

かわいそうだから助けたかっただけなんだが・・・。迷いうさぎを見捨てることができなかったんですよね。

 

ということで集ストによるストレス過剰で精神的な苦痛がマックス、それに伴う体の不調、元々の体の異常、お金が足りなそうな危機感、今後の不安、など諸々の事情を考慮すると、やっぱり俺は山奥に引きこもってストレスなく、在宅業務やっていたいという気持ちが大きくなってるんですよね。

 

 そこでとりあえず迷いうさぎをどこかの保護施設に預けられないかと考えたのですが、どうもうまくいかないようでした。このままだと埒が明かないということに。とにかくうさぎがほしいという方には差し上げますので。

そこでもし迷いうさぎを誰かに預けられなければ、新居につれていくという選択肢が。

( ゚Д゚)

そこで問題になるのが、新居探しでした。なかなか見つからないし、遠くて見に行けないしで、先延ばしになってきたのですが。

しかしもう限界が近い今日此の頃になってきたので、思い切って探しに行ってしまおうか、そう考えるとじゃあ自宅のうさぎは放置していくのか、という話に陥ってしまったのでした。

車ない。人の密集が怖くて交通機関に乗りたくない。兄に頼れない。

そこで俺が考えている予定とは、とりあえずレンタルなんとかで自力で山奥の候補の家を見てくる。去年も旅行をしたが一応5泊の旅は完遂できたし、行けることは行けるだろう。俺が新居候補を見に行っている間、うさぎは近くのペットホテルに預けてみることにする。ぶっちゃけ俺のうさぎじゃない捨てうさぎなのに、なんでホテル暮らしという贅沢させなきゃいけないんだという葛藤はあるのだが、とりあえず俺と迷いうさぎが双方とも生きるにはこうするしかないらしい。 

大金を使うことになるし、人前で恥をさらすことになるかもしれないが、これ以上なにが落ちることがあるのかというところだし、仕方あるまい。

俺と関係する人には、人生のわずかな時間だけかかわっていただきますので。そんなわずかな時間でも、嫌ですかそうですか。じゃ準備しなきゃ。

 

 

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