久しぶりに描いた。
最低限の画力を保持するため・・・。
知的猫さんが掃除してます。
未来には、こういう猫がいるんじゃないかな。
○いつも助かっております
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さて、最近このブログでは烏孫が日本の起源であり、神武天皇は烏孫にいた、という話を頻繁にしてますが、これは本来電子書籍か出版社からの出版という形にする予定でした。でも当面の間は実現しそうにないのでブログで書き溜め、烏孫起源ホームページ(仮)にまとめようと思ってるところです。
これは多分いまの自分にとって、必要なことなのですよ。なんか巨大な何かに急かされているという気さえする。
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仮説としては1990年代の、加治木義博氏の著書がありました。加治木氏の場合、アレクサンドロス大王東征でインドに残された王族の末裔が卑弥呼であるという話でしたが(「新説日本誕生 黄金の女王卑弥呼」1992年)。
一方で加治木氏による卑弥呼は烏孫の末裔とする著作もあり(「新説日本誕生 建国前夜の巨大連邦発見」1993年)いずれにしても卑弥呼の一族はユーラシアの真ん中へんから来ているという仮説でした。
拙著では崇神天皇が卑弥呼と同一と捉え天皇家は中央アジアから来ていると考えるので、一致する所がありまs。
そして2000年台の栗本慎一郎氏の著作物「シルクロードの経済人類学」(2007年)があります。烏孫の建築物の「聖方位」が日本に来ていることなどを理由としていました。
それから明治時代の研究者の佐伯好郎博士という人が、古墳時代に渡来した弓月君は、中央アジアの弓月国からきた説を唱えていました。もっとも佐伯さんの場合には、根源はイスラエルがルーツとしていますが。
この三者とも、日本の天皇家のルーツは、中東や地中海地方まで行っておかしくないと考えていて、加治木氏は烏孫はギリシャ人とかマケドニア人と言っていましたが。
小林恵子氏著書では、天皇のルーツは月氏が起源のひとつだとしてました。
あとはこんな烏孫起源説のブログもあるのですが。
このブログは近年は更新をしなくなっているので、消えてしまうのが心配なのです。やはり天皇家は烏孫に居たことを骨子としていますがボクチソの意見とはやや異なっているようです。
ということでいろいろな本を読むと分かってくるのですが、烏孫が起源という仮説は以前からありました。
今回は烏孫が日本の前衛的な国家だったことを示す証拠を、日本の別名から捉えてみますよ。
日本の別名一覧
和語
- あしはらなかつくに - 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
- あきつしま - 「秋津(あきつ)」は、「とんぼ」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
- しきしま - 「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
- おおやしま - 国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。古事記では順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。
- ほつまのくに
- 「磯輪上秀真国(しわかみの:ほつまのくに)」(日本書紀・神武記)
- くわしほこちたるくに - 精巧な武器が備わっている国の意。
- 「細矛千足国」(日本書紀・神武記)
- たまかきうちのくに
- やまと - 大和国(奈良県)を特に指すとともに日本全体の意味にも使われる。
- みづほのくに - みずみずしい稲穂の実る国の意。
- 「瑞穂国」
- うらやすのくに - 心安(うらやす)の国の意。
- 「浦安国」(日本書紀・神武記)
- ひのいづるところ - 遣隋使が煬帝へ送った国書にある「日出處」を訓読したもの
- 「日出処」(隋書)
漢語「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、扶桑蓬莱伝説に準えた「扶桑」、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に瀛州(えいしゅう)・東瀛(とうえい)と記される[13]。このほかにも、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。「皇朝」は、もともと中原の天子の王朝をさす漢語だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。江戸時代の儒学者などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「帝国」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。大日本帝国憲法の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる。倭漢通用江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』に、倭漢通用の国称が掲載されている。
倭漢通用
江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』に、倭漢通用の国称が掲載されている。
この他にも応神紀で「食国(をすくに)」があると思うのだが、ウィキペディアでは現時点でこれだけ記録してある。
日本の別名は世界でも稀なほど多かったのでしたが、ここに西洋諸国の呼び名であるジャパン、ジャポン、ジパングなど加えたらさらに多くなります。
分類すると何系統で何十種かといったところ。そんなこんなで、ツイッターでこんな風につぶやいた。
これをさらに詳しくまとめるとこうなる。
日本の別名 ローマ字表記
・扶桑 fuso→uso→烏孫
・秀真 shushin→ushin→烏孫
・食国 wosu→烏孫
・葦原 ashi→烏孫
・倭 wa→wu→烏
・烏卵 wuran→烏孫
こういうことではないかと。
さらにいえば烏孫にはyamatuという地名があるし、玉垣内国というのは中央アジアの烏孫の地形を表しているではないですか。
青垣に四方を囲まれているという神武天皇の言葉も当てはまっているようではないですか。
そして元烏孫があった土地に残されている、ヤマトの地名・・・
烏孫はヤマトという別名を持っていたようなのです。この地名については、誰だったか、弓月国に関係して指摘した人が居たと思いましたが、何の著作物だったか。
今回は、日本の別名に烏孫が含まれていること、烏孫の土地にヤマトがあること。が、わかりました。では。
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「偶然など無い、全ては必然だ」誰か言ってました。
古代の日本は朝鮮からの影響受けたとか、日ユ同祖論とか、東アジアの影響とか、そうした従来型の狭い範囲だけ見る研究は、飽きた頃だと思うのですよね。
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じゃこんなのはどうですか
画像クリックで拡大。
仕事の合間に、2日間かけて作っていました。やっと完成。
(2022年3月追記、文字を抜き取ると以下のようになる)
倭の君主号と似通った諸国
倭
大王 ohokimi オホキミ キミ
阿輩錦彌 apaikeimie アパキミ キミ
神 kami カミ カミ
李祜莫離 lieikomolie リコモリ コモ
枯莫離 komolie コモリ コモ
昆莫 kuenmie クンミ クミ
周辺諸国に比べ、似通っている事がわかる。
今後もかつては烏孫が日本の根幹だったこと、中東との密接な繋がりがあったことを、少しづつ明らかにしますので。
暇な時に、烏孫起源説のサイトを制作しています。ホームページビルダー使ってます。この画像は烏孫起源説のサイトに使う予定の画像。
まぁ今の日本人は、古代のことについて、まだ分かってないのかもしれません。だんだん分かってくるでせう。では。
参考
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キルギスのイシククル湖
王号を調べてたのですが、東アジアの古代国家の王号は、全部中東からもたらされているんではないか、という気がしてきました。
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分かりやすい所から見ていくと、
・新羅
朝鮮半島の新羅の王号は「麻立干(マリカン)」という王号を使ってました。知っての通り、新羅の王の先祖は倭人(日本人)です。
ところで中期イラン(前4世紀~8世紀)の頃、イラン地方で王号は、アラム語で諸王の王を示す「melek malkîn 」を使ってたのです。
これは「メレク・マリカン」で、新羅の「麻立干(マリカン)」そのものなんですよ。聖書のヘブライ語でも、諸王の王「מלך מלכים (melekh melākhīm)」でしたので、疑う余地は無いのでは。ということで。
それとも中東と東アジアは距離が離れすぎだから、偶然、王号が同じ発音になったとでも言うのですかね?
・百済
それで百済の方も見てみると「麻立(マリ)」を使ってますので、これは新羅の「麻立干(マリカン)」を簡略したものだと見ることができますよね。
・契丹
契丹の王号は李枯莫離(リコモリ)、あるいは枯莫離(コモリ)といったんですよ。これはどう見ても、「メレクマリカン」の「レクマリ」「クマリ」を漢字に当てているではなですか。そういえば、契丹の神話は日本神話によく似てるというのは知られています(契丹古伝)。倭人の王がいた新羅の「麻立干」、倭人と似た神話がある契丹の「枯莫離」がイラン方面のメレク・マリカンと似ているのは、必然でせう?
・倭
日本はどうかと見ていくと、あるではないですか。帝(ミカド)、尊(ミコト)、命(ミコト)、皇子(ミコ)は、mikado、mikotoですが、malikanの略と見ることもできます。新羅の麻立干(マリカン)の「麻干」の部分が、ミカ・ミコに対応するんだと思いますけど。
そういえば公家(天皇家側の人々)が使っていた一人称に「麻呂」があったではないですか。柿本人麻呂というふうに人名にも使われていて、公家の象徴として使われたんですよ。麻呂とはたぶん新羅の「麻立干」、百済の「麻立」と語源は同じなのではないかと、麻呂はそんな気がするのでおじゃるのですよね。
帝、尊、命、皇子、麻呂は、「メレク・マリカン」と元は同じだったのではということですが・・・。
それから思いついたのですが、ヘブライ語で「王」は「メレフ(melef)」だそうなのですね。百済の麻立は漢字の上古音では「麻ma-立liep」でメレフそのものですよね。それから日本の天皇(すめらみこと」というのはsumeraなのでメレフの「mera」が入っているではないですか。まぁこれが何を意味するかは、まだ書かないでおこうかと。。
なんで東アジアの東夷諸国が、中東の王号をわざわざ使ったかと思いませんか。これは何故かというと、日本の天皇を含む東アジアの東夷諸国の王族は、みんな「中東方面が出身だったから」と考えられるのですよ。
イランで「メレク・マリカン」が使われ始めた時代は明確に特定されており、紀元前4世紀以降なのですね。ということは。残念なことに、縄文人は記紀神話にはほとんど無関係、ということはありうる気がします。気がするだけ・・・。
参考
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今回は、アマチュア歴史作家で古代史研究家で、自営業で在宅勤務で、モテなくて全然ぱっとしない、たっちゃん古代史とかさんに、古代史について一問一答しています。よろしくお願いいたします。
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Q1 日本の古代史は、伝えられている内容と事実は異なるんですか
そうだと思いますニャー。わかりやすくいうと、記紀の神代と初期の人皇についての記述は、大陸の出来事と日本列島での出来事が、ごっちゃになっています。これは指摘している作家もいますが、完全にマイナーな意見です。証明や証拠が足りてませんし。
Q2 大陸と日本列島の神話がごっちゃになったのはいつですか
崇神天皇(卑弥呼)の頃に、きちんと文字で記録に残す習慣がなかった頃からです。記憶力と口伝に頼ったのでおかしくなりました。それに加えて記紀編纂のころ、編纂者が自分の出自に都合よく書換えてわかりづらくしているみたいです。大陸の出来事なのに、全て日本での出来事にしたり、実際は渡来人なのに日本に最初から居た日本人みたいに書き換えたなどです。それは日本列島の支配者が大昔から天皇だったことにしたくて、支配の地位を盤石にするという目的があったので仕方なかったんです。
Q3 記紀の神代に「大陸の出来事が書いてある」ことは証明できるのですか
電子書籍の下巻に少し書きました。記紀にある記録には、大陸の地名を漢字表記したものが含まれているのです。必ず証明できます。
Q4 具体例や具体的証拠がないと信用できませんが
そりゃそうでしょうね。神代と人皇の時代の境界にいる神武天皇を例にしますと、神武東征の物語は、高句麗・扶余の始祖である東明(朱蒙)の神話と話の構造がまったく同じなのです。つまり大陸の出来事を日本列島に当てはめてるのです。神武天皇は大陸にいました。参考画像
これについては電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(下)」に収録しています。これは一例に過ぎず、膨大に調べつくしています。詳しくは電子書籍に書いてありますが、いずれ書きなおします。
Q5 著名な学者や作家は、日本神話は日本列島の出来事だと言ってますよ?
そうですか。それがホントならそれでも構いませんし。でもまだ証明されてません。拙著などで指摘している「日本神話と大陸神話の相似」について、学者は説明してくれませんし、著名な学者が言うからホントだということも無いと思いますので。
Q6 日本神話が実際は外国神話だと証明されたら、日本が長い間培った伝統が崩壊しませんか
まぁ確かに日本大好きで、日本は日本だけのもの、日本文化は日本で生まれて大陸からの影響は微々たるものだと、思い込んでいる愛国者方には、ショッキングでしょう。でもそれが事実だとしたら、仕方ないのですニャー。
実は日本の崩壊はもう既に始まっているではないですか。日本を動かしているのは多くの場面では、日本人じゃなくなっている現状があるのではないですか。日本は外国に乗っ取られてるのですが。
えっそんなわけないじゃんと思う方は、2020年東京オリンピックのごたごたを見てもわかるではないですか。都知事はアニョハセヨ系民族。ユニフォームは韓国風、ロゴデザインは反日的。日本人は近隣諸国や欧米の外国人に負けちゃったんすよ。もう日本の伝統的崩壊は起きていて、もとに戻ることが難しい状況になった。これは日本人が知らず知らずに誘導・操作されて、自ら選んできた結果なんすよね。
だからその根源的な理由は、日本神話の多くが大陸からの移入、移植してあるというところに行き着くのですよね。元に戻ろうとする弾性力、形状記憶合金はぐにゃ~っと曲げても元に戻るではないですか。それで日本が日本であるためには、どうしても避けられない道だったんですよ。「神の意志による、日本人の中からの反日的集団の炙り出し」と言いますか・・・それで、何の話してましたっけ。
ちなみに俺は左翼でも右翼でもないですので。日本文化は今のまま残ってほしい。大切。でも古代史が間違ってるなら、ほんとのところを探ってほしい。
学会と学者は、否定するのが早すぎました。多数決で決めたら、どんな変な回答でも多数が正答になってしまうではないですか。豆腐の角で頭をぶつけて死ねるわけがないと、大勢で決めつけるのが早すぎたんです。巨神兵を動かすのが早すぎたのと一緒です。豆腐は氷点下の条件では、コンクリート並みの強度を持つことができて、人間が頭をぶつけて死ぬ可能性は十分なんです。そのことを確かめずに豆腐の角で死ねるわけないと早合点しすぎました。騎馬民族が古代天皇家の根幹にありますし、それは証明できます。豆腐の角の復権から始めたらいいでしょ。
Q8 著作物がぜんぜん話題になってませんが
あなたも一々厭味ったらしい人ですね。本について、最初は淡い期待がありましたが、もうそういうのは、あんまり考えてません(悔しいのうw)。自己表現をする、これだけです(キリッ)。
Q9 色んな意味で馬鹿にされてるんですか
ふう。盗聴盗撮ハッキングで情報盗んでニタニタと泥棒行為ばっかりして他人をネタに嘲笑し続けている罪深い連中が、素知らぬ顔で普通の顔して生きてるんですよ。そういう悪人は誰にも責められずにでかい顔して堂々生きてますよ。なんで俺だけ何かと一々大勢から責め立てられて、コソコソする必要があるんですか。(お茶ズズ~)。
もう常識は異常になったし、異常が常識になっているんですよね。例えば食品でも建築でも、問題があるものを問題ないと言っているようなことが日本では横行してるようなこと、誰が見てもわかりますし、ひっくり返ってますよね。低学歴とか臭い人だとか馬鹿にされていても、コツコツと努力をして、ネガティブからポジティブに裏返るんだと思って頑張ってきたんですよ。(お茶ズズズ~)。
Q10 それはさておき、烏孫起源説もマイナーな仮説ですね
どんな世界でも、マイナーから這い上がっていくものではないですか。日月神示でも言ってるではないですか。「動かん富士の仕組、開けて渦巻く鳴門ぢゃ」。このブログでしつこく言ってきたように、烏孫とは神武天皇が本来居た場所です。日本の前衛的国家なのであり、烏孫は「ウズ=渦」なのであり、日本の冥土=鳴門なのですよ。日本=富士の仕組みを解き明かす鍵を握っている存在なのです。今後、烏孫起源説が無視できなくなるかもしれませんよ。
でもマイナーなまま終わっても、「まー良いな」なんて思ったりもします。(///▽///)。
Q11 日ユ同祖論まで行くんですか
著名な作家の方が今後、新しい成果を何も出せなければ、ボクチンの研究結果を全て出すことになるかもしれません(キリッ)。
ありがとうございました。時折関係ない話に飛んでしまいました。
たっちゃんさんの一問一答方式のインタビューは、今後もあるかもしれません。
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大国主命(オホクニヌシノミコト)というのは、おそらく3人以上の集合体なのでした。
そしてそれぞれの大国主命の活躍した舞台は、実は別々の場所だったのでしたが、記紀が編纂される時代に、「日本列島だけが大国主命の舞台」っていうことにされてしまったんです(想像)。
ほかの八百万のあらゆる神が、同じ状況に置かれてしまいました。これは日本のご先祖様が、日本列島を守るために、日本列島だけに神様を集めることを望んだからでは。
そのヒントは、大国主の別名の多さにも現れているでしょう。妄想ですが。
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(1)大国主命のこれでもかという別名の多さ
大物主命
葦原色許男命
宇都志国玉神
顕国玉神
こんなに別名が多い。大国主命は、ソラマメなのか。ちなみに、そら豆は別名が多い。豆だけに豆知識。
それは大国主命が、幾人かの別人格を習合した存在だったからでした。
大国主が2回死んで2回蘇っているのも、神様だからなんでもありだという意見の反面、初代大国主が死んで、その後を別の大国主が継承している出来事を、蘇ったと表現されたことは、十分にあり得るんではと。
名前がコロコロ変わっているのは、大国主命一族の歴代の名前が反映されているからとすれば?
変なことを言いますが、大国主命の内の一人は、中央アジアに居ました。それを証明してみます。
大国主命は出雲を建国をするとき、2つの奇妙な魂に助けられたのでした。
・幸魂(さきみたま)
・奇魂(くしみたま)
想像ですが、日本の先祖は元々中央アジアにありました。烏孫、月氏、サカ、匈奴、バクトリア、などが日本のご先祖の国で、天皇家と日本民族の先祖も、元々あちらにいました。その後に烏孫から日本列島へ移住してきて、先住民、縄文系の人々と融合したと、そう考えられます。
ともかく大国主命が中央アジアにいたことを証明するひとつが、幸魂と奇魂なのではないかという想像なのですが。なぜかというと、
・幸魂=サキ=Sa-Ki=サカ
・奇魂=クシ=Ku-Si=月氏
とすればです。
中央アジアにあった民族が、大国主の出雲の建国に関係していたということになるのです。
この時の大国主命のいた出雲とは
・出雲=Iz-uMo=Uz-Um=烏孫(wusun)
で、出雲が烏孫のことを指していたとしたら、なぜ大国主の話に、烏孫の隣国である幸魂(サカ)と奇魂(月氏)が現れたかは存分に説明がつくでせう。
烏孫、サカ、月氏の3つは中央アジアの土地で、三つ巴となっていたわけですから。
古代中央アジアの図(グーグルマップ使用)
紀元前2世紀、月氏は匈奴の圧迫を受けて、サカ(塞)の地へ移動しますが、烏孫がこれを追いかけ移住します。月氏はこれを嫌がってさらに西の土地へ向かったのが、大月氏となりました。
烏孫は月氏とサカを従えて、現在のカザフスタン東部・キルギス・新疆ウイグル自治区西部のあたりに拡大します。
つまり烏孫はサカと月氏のちからを集結した存在になったのであり、これが出雲(烏孫)に幸魂(サカ)と奇魂(月氏)が合わさっているという不思議な神話になっていると見ているんですが。
(3)つまり出雲は烏孫の分家だった
そういえば大穴牟遅(オホアナムヂ)は新疆ウイグル自治区の「ウルムチ」に大を付けた名前に似ている気がする(オホウルムチ)のは、気がするだけです。
しかも宇都志国玉神・顕国玉神の宇都(うつ)・顕(うつ)とは烏孫のことのような気がしますが、気がするだけ・・・ですかね?烏孫の人だから烏孫国玉神なのでは。
出雲大社は「古事記」によれば「高天原に建てられた社」なので、出雲=高天原ということになっています。日本は要するに、各所に高天原が配置されていたのですが。
出雲大社の巨大な柱は、長いこと「宇豆柱(うずばしら)」と呼ばれていました。つまり出雲大社というのは「宇豆の社」だった名残であると思うのですが。そうすると宇豆は烏孫のことになるんでは。何故かと言いますと。・・・
わたくし、かねてより出雲大社の天井画「八雲之図」に注目していました。何やら雲が、西から東へと流れている絵なのです。8つの雲の絵があって、7つまでが西から東へ流れて、1つの雲だけひねくれ者で、東から西へ向かっているようです。
この天井画を見上げると、脊椎を痛めるような設計になっておりますので、十分に気をつけましょう。。
日本語の「雲」というのは漢字が当てはめられる前は「くも」だったんですよね。出雲は別名を「八雲(やくも)」ともいうので、出雲自体が「くも」の国だったんすよね。
そういえば素盞鳴尊が、歌をよんだではないですか。
八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣作る
その八重垣を
この歌は『古事記』に収録してありますが、この歌と出雲大社の天井画は関係があったのですよ。
で、出雲大社が宇豆で烏孫を示すと言っている根拠は、「くも」からも読み取れるのですが。
じつは烏孫の王の名前が、「くも」だったのですよ。
つまり言うなれば
・国名 烏孫→出雲
・王名 昆莫→雲(出雲、八雲)
・天井画 多くの雲が西から東へ→烏孫の昆莫の民が出雲へ到達
・社 烏孫→宇豆
・近隣諸国 幸魂→サカ、奇魂→月氏
こんなふうに、烏孫の情報が出雲には隠されていたと。
ちなみにですが、ユーラシ東部の東夷の諸国、これらは烏孫の民です。雲が西から東へ向かったことでで表されています。
扶余、烏桓、高句麗、倭といった東夷諸国の支配者は、実は烏孫の王家の末裔だった、そんな感じだと思いますが。
それで日本語と高句麗語が似ていて、キルギスには「日本人とキルギス人は兄弟」という伝承が残っていたことも、全て説明がつくのですが。
・烏孫語→東夷語→倭語
・烏(wu,wo)→夷(wi)→倭(wa,wei)
そういえば出雲の祭祀を取り仕切る、出雲国造家のふぐの名物料理があって、その名も「うず煮」なんですが。なにかと「うず」なんですね。まあこれも、烏孫のことで烏孫煮なんじゃないかと思うわけですけど。
ちなみに、出雲大社は別名を「杵築大社(きずきたいしゃ)」といいますが。なんで餅をつく「杵(きね」で築いた大社なのか疑問に思ったことはないのですか?
この名も実は、烏孫に関係していたんですよ。餅つきで「キネ」に対するのは「ウス」だからです。烏孫と出雲が一対になった存在を表すために、ウスに対してキネを付けたんです。
(4)少名毘古那神はサカ人だった
ということは大国主の相棒の少名毘古那の正体も、判明することになりました。つまり大国主と少名毘古那は、大に大して対義語の小(少)で大小を揃えているのは明らかですが、それ以上の意味がありました。
少(suk)の1字が、サカを表しているとすれば、幸魂がサカであるのと同じことだと、わかってくるではないですか。サカの人という意味だったのがいつしかスクナビコナという意味不明の名前になったんではないかと。
少名毘古那が「酒の神」というのも、「サカの神」が誤解されたとすればどうですか。
すると奈良県の酒船石の正体も見えてきますね。本来は「サカ・匈奴(フナ)・石」で、サカ人と匈奴人が力を合わせて造った石であろうと。
『古事記』を見ると少名毘古那は「天羅摩船(あまのかがみのふね」に乗って、大国主のところへやってきていました。かがみとは「ガガイモ」のことだと『新版古事記現代語訳付き』にはあって、割れたガガイモは船の形になるから、これを表しているのだとか。ところがどっこい、よっこらせ。なぜ「羅摩」で「かがみ」と読むのか、意味不明ですね。
これは「羅摩=ローマ」のことで、少名毘古那がローマ帝国風の風貌をしていたから羅摩の字を当てているんではと思いました。古代ローマ帝国領の中東の人々は、積極的に中央アジアへと移住していたことは史実であるのです。
またあるいは「カガン(可汗)」というのは中央アジアの王を意味する言葉であるから、少名毘古那とはまさしく中央アジアに居たことを意味しているんでは。
これでもう、大国主の母である奇稲田姫命の「奇(くし)」の意味もわかってくるではないですか。奇稲田姫命は月氏稲田姫ということで、月氏の姫だったわけです。するとその夫の素盞鳴尊もまた、中央アジアより西の人物ということになってきますが。
大国主の妻の一人、沼河比売(ぬなかはひめ)の出身地は高志国(こしのくに)で、これは一般に北陸の越国(越前、越中、越後)を指すのですが、中央アジアの出来事が日本列島と重ねあわせられているがために、この場合の高志は月氏のことであるようです。
(6)ヤマタノオロチの神話は中央アジア月氏の土地のギリシア神話だった
奇稲田姫命が月氏稲田姫だとすれば、囚われの身となった土地は中央アジアの月氏の土地となるでせう。ヤマタノオロチ伝説とは中央アジアにいたギリシャ人が月氏の土地にもたらし、日本神話に融合されたと捉えられるのです。
ヤマタノオロチの風貌はまさしくギリシャ神話にでてくる、ヒュドラそのものであるのは、中央アジア月氏の土地にはかつてギリシャ人が居住していたことが影響してました。古にやってきたギリシャ人、アレクサンドロス大王に率いられたマケドニア人然り。
ギリシャ人が中央アジアにヒュドラの神話を持ってきた、月氏が受け継いだ、大物主命の話となった、それが日本列島へ入り込んでいるということだと考えらたのです。
するとヤマタノオロチと戦ったスサノオの中には、ヒュドラと戦ったヘラクレスが合わせられていると見ることが出来ます。それはつまり日本の先祖に月氏やギリシャ人がいたことに他ならないんです。
(7)大国主命はどことどことどこの大国主命が合わさっているか
ここで重要なのは、大国主命の中には、異なる地域の複数の人物が合わせられていることです。最終的に出雲の一人の大国主として確立されているのです。
・日本の出雲の大国主命
まず出雲に居た◯代目の大国主が、大国主のモデルであることは確定的です。従来は大国主といえば出雲にいた一人の人物を表すと考えられてきたでせう。出雲の国づくりの出来事は日本列島での出来事であるし、国譲りの出来事も同様でしょう。
これまでの考察によって中央アジアにいた大国主の先祖が、大国主のモデルに成っていたことはわかりましたが。
・地中海地方にいた大国主命
ヘラクレスとヒュドラのギリシャ神話が、中央アジアに送られ、素盞鳴尊の出来事として習合されたのでした。つまり素盞鳴尊の息子である大国主命の神話も、元はギリシャを含む地中海地方にあったっとして、見ることができたんです。これについてはまたあとで。
烏孫は出雲に分家を送っただけでなく、大和の中枢に入り込んでいたと考えています。天皇家自体も、烏孫を根幹として、日本列島の支配者の子孫と融合を果たした存在なのでした。
しかし歴史の表舞台から烏孫の記憶は消されてしまいました。烏孫の記憶はウスくなり、やがてウソと言われ、消えウセました。日本語のなかの否定的な言葉に烏孫の音が含まれているのは意図的であるでせう。
今後、もう少し詳しい話もいずれしますので。結果的には、日本の古代史を根底からぶっ壊すことになってしまいますが、仮にほんとのことなら、遅かれ早かれいずれ表面に現れて然るべきだと思いますし・・・。
いまはこの「日本烏孫起源説」を単なる妄想と思っているひとも、このブログを読んでいると、いずれもっと具体的に、日本の本来の正体が烏孫であることが、分かってきますので。では。
参考
など。
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太陽にまとわりついてたアレ。
巨大おたまじゃくし・・・これ、木星くらいの大きさです。
太陽→ ◯
木星→ 。
地球→ .
このくらいのスケール感。
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触手を伸ばして太陽に連結してた、このキモい真っ黒な物体
「プロミネンスの輪っか」だとか「ラジャ・サン」とか「アンドロメダの宇宙船」だとか「ニビル」?はっきりしない。
黒い竜巻の部分は、太陽の表面で起きた竜巻現象だとして、現象を認めてる天文学者もらしいのですが。
太陽からものすごいスピードで去っていく黒い球体の部分は、公式的には学者の誰もが言及を避けているようです。
地球で当てはめると、地球の地上からわずか0.1秒程度で、月よりもはるか彼方へ飛んで行くくらいの、猛スピードなんですが・・・?。
H2Aロケットは月まで行くのに2日必要なんですけど。こんな動きを出来る人工物はいまだに地球上には存在しませんし。
こんな黒い球体が太陽系にあるなんて・・・?
人間は昔から、悪魔の星があると想像を巡らせていたらしいです。
いずれにしても人間にはよくないものだと解釈されているとか。ラジャサンについて近年になり誰が最初に関連を言い始めたのかわかりませんが、飛鳥昭雄氏だとかいう説が。
ラジャサン
NASAは、この未知の暗黒天体をコードネーム「ティシュヤ」と名付けたという。
ティシュヤとはヒンドゥー教の経典『ヴィシュヌ・プラーナ』に登場する謎の星で、人類の終末を予告するものだ。別名を「大王の星:ラジャ・サン」という。
なんか2000年にはNASAで知られてたとか。
それ以前、はるか昔のインドでは、何故かラジャサンという天体が知られてたらしい。これはラジャ・サンなのか。
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実は近年に発表された小説、漫画には、この真っ黒い物体や、「破滅をもたらす暗黒の星」のことではないかと思われる、謎の星が登場している作品もあるのです。それは不思議なことに、NASAが知ったという西暦2000年より以前の、1960年台からのことでした。
1960年のNHKの人形劇で、星新一原作では、「他の星に接近してあらゆるものを引き付けては放り飛ばすゴムまり星」が登場してるみたいなんですが。
「意思を持って他の星に動いて近づく」イメージとしてはラジャサンですよね。
『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(藤子不二雄)1983~1984年
魔界(まかい)映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』に登場。舞台の魔法世界中では単なるおとぎ話とされてきたが、その正体が他の惑星であり、悪魔は異星人であったことが確認された。
ドラえもんの魔界大冒険の画像撮影してみた
「魔界大冒険」によると、魔界星が近づくと巨大地震、巨大台風、世界の終わりがやってくるという。
ちなみにこの作品の大魔王デマオンについては
強大な魔力を持つ魔界の王。心臓に銀のダーツを撃ち込む以外に倒す術はない。しかし心臓はデマオンの体内にはなく、「デモン座のアルファ星」と呼ばれる星に偽装して魔界星から離れた場所に隠しており、それを知らずにダーツを投げたドラえもんたちは一度敗れている。なお、2007年に公開されたリメイク版は、デマオンの心臓は、「魔界星に浮かぶ赤い月」になっている。
「魔界大冒険」の原作では、魔王デマオンの心臓はハートの形の小惑星なのですよ。
うーむ先日の冥王星=冥府=地獄の星の表面にハートマークがあったのと、「魔界大冒険」の魔王の心臓はハートの星、という類似。
しかもアニメでは魔界星に浮かぶ赤い月がデマオンの心臓になっているという。まさしく、
藤子不二雄氏は1980年台の段階で、冥王星の模様のことと、木星サイズの暗黒惑星のことを知ってた様子ではないですか。イルミナティは高度な情報源を持ってるみたいですね。俺個人のことについてはデタラメばっかりなのに。
で、この他にもあったのですよ。
『2001夜物語』「悪魔の星」(星野之宣)1984~1986年
21世紀初頭に海王星軌道のはるか外側で発見された新惑星ルシファー(魔王星)は、太陽に拮抗しうる質量を備えた反物質星であった。それは強大なエネルギー源となり、人工ブラックホールを利用した超空間航法「ミュー駆動」による瞬時恒星間飛行が可能になった。
巨大おたまじゃくしが「ミュー駆動による瞬時恒星間飛行をしている」と解釈できるではないですか。不思議ですね。NASA発表の西暦2000年より前に、巨大暗黒惑星の情報を得ていた人たちがいるのは。
『地獄星レミナ』(伊藤潤二)2005年
▼第1話/おぞましき星▼第2話/美少女狩り▼第3話/疫病神▼第4話/舌の影▼第5話/舐める星▼最終話/果てしない真空▼読み切り/億万ぼっち●主な登場人物/麗美奈(大黒博士の一人娘。星の名に元になったことで一躍スターになるが…)、大黒博士(「ワームホール」から出現した未知の惑星を発見。その星の名を、娘にちなんでレミナと名付けた)●あらすじ/我々の宇宙と別の宇宙をつなぐ「ワームホール」から出現した未知の惑星。その発見者である大黒博士は、一人娘・麗美奈の名にちなんで「レミナ星」と名付けた。この異次元惑星の発見は絶賛され、麗美奈も芸能界デビューを果たすなど、一躍時の人となる。だが、レミナ星が惑星を次々と消滅させ、地球消滅の危機が伝えられると、群衆の態度は一変し、ついには大黒親子の命が狙われる事態に…(第1話)。
伊藤潤二の漫画の地獄星レミナ、まさしく暗黒のラジャサン?長く伸びた触手というか舌といい、巨大なサイズであることと言い・・・。まるで作者はラジャサンを知ってる かのように書いてますが。実際にこんな見た目の生命体だったとしたら恐ろしい。
ところで「惑星が生きている」、「惑星型生命体」という発想は、誰が最初にもたらしたんだろう。
パンスペルミア説といって、生命は宇宙で生まれたみたいなのを考えると、宇宙の星自体も生命体であっておかしくなかったんですが。
1960年の星新一原作の『宇宙船シリカ』は、惑星が自分の意志で動いているということで、惑星型生命体の走りですが。これ以前にもあったのかな?
1968年の筒井康隆の『にぎやかな未来』の一遍「星は生きている」は、一つの生命体が星全体を覆っていて、という話でしたが。
1961年のソ連の作家による『ソラリスの陽のもとに』(スタニスワフ・レム)も関係するかもですが。人間が居住できる地球型惑星が発見され、科学者は研究に向かいますが、広大な海自体が意思を持つ巨大な生命体で、科学者は知性をもつ海の怪異に悩まされるという話でした。
あら、これと似た話は日本の小説で見たな~という気がしていたのですが、、小松左京の「星殺し(スター・キラー)」(1970年発表)だと分かりました。これも地球型惑星で海が意思を持っていて、訪れた調査隊を悩ませ・・・という内容でまったくよく似ていたのです。小松左京は「ソラリス」を知っていて、別のラストシーンを書きたかったんではという感じも受けますが。ラストシーンとは「星殺し」のタイトルそのままです。
うーむ。ところでエジプト神話に、これが登場しないのはおかしいと思って調べたのです。古代エジプト人が、これを知らないはずはないと。
そこでまず気づいたのがこれ。
ウィキペディアより(右側がアポピス)
アポピスは闇と混沌を象徴し、その姿は主に大蛇として描かれる。太陽の運行を邪魔するのでラーの最大の敵とされる。アポピスは世界が誕生する前の、ヌンに象徴される原始の水から生まれた。もとは太陽神としての役割を担っていたが、それをラーに奪われたため彼を非常に憎み、敵対するようになった。
太陽にまとわりついて、黒い本体(闇)から出てくる、ウネウネとした触手(大蛇)を持っているとすれば、ラジャサンに完全に当てはまっているようです。
ここで重要なのは、アポピスが「太陽の動きを邪魔して自由に動く惑星」かのように表現されていることです。ラジャサンと呼ばれるものが、自由に動く惑星だとしたら完全に一致ではないですか。
絵を見ると分かるんですが、アポピスの蛇としての体の後ろに、しゃもじ型の樹木がありますね。樹木の葉の部分は円形をしていて、大蛇が樹木に住んでいる、大蛇と樹木はワンセットみたいですが、これはアレの形を比喩しているとしたら頷けるところはあります。
これと同じものはゾロアスター教にあって、
善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神アフラ・マズダーに対抗し、絶対悪として表される。創世神話によれば、世界の始まりの時、創造神スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユと出会ったという。そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユは「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造したという。ヴェンディダード (Vendidad) 第1章によると、アフラ・マズダーが光の世界を創造するとすかさずアンラ・マンユは対抗すべく冬、病気、悪などの16の災難を創造したという。アンラ・マンユはさらにアフラ・マズダが創造した世界を破壊し、被造物を殺戮すべく悪竜アジ・ダハーカを生み出したのである。
この世が始まる前の戦いでアフラ・マズダに敗れ、深闇に落とされるが、徐々に勢力を盛り返し、再びアフラ・マズダと戦うとされている。実体はないが、この世に現れるとき、ヘビやトカゲといった爬虫類の姿で出現するとされる。配下は大魔ダエーワやアジ・ダハーカなど。英雄スラエータオナがアジ・ダハーカを退治しようとするが、剣を刺してもそこから爬虫類などの邪悪な生き物が這い出すため、これを殺すことができなかった。そのため最終手段としてダマーヴァンド山の地下深くに幽閉したという説話もここから来ている。つまりアジ・ダハーカはアンラ・マンユの力の結晶として生み出されたということである。
まさしく人類の終末を予告する暗黒の星ぽいですね。「本体に剣を刺すと爬虫類が這い出す」とは、黒い本体からうねうねした触手(舌)が出てるイメージですし。
古代エジプト人が知っていたなら、古代の日本人も何らかの形で伝承を受け継いでいたんではないかと思って調べたのです。記紀神話でいうと、太陽神・天照大神に従わない、天津甕星(天香香背男)が、もしかして?みたいな気もしますね。
こうなってくると、宇宙船説やニビルというよりは「惑星型生命体」の信ぴょう性が、かなり高くなってくるように思いますがどうなんですかね。
今まで、ラジャサンを他の物体に結びつける見方は無かったと思うので、この記事が解明のヒントになればと思います。
まだよくわかりませんが、たぶんこれから再び、巨大おたまじゃくしの動きがあるんだと思いますので、期待しています。
地球に接近してきたら、どうなっちゃうんですかね。
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この世界は、自然の摂理だけでは説明がつかないことがわかつた。得体のしれない何かが、世界だけでなく宇宙までも動かしていることがわかつた。それは俺の人生に干渉し、好き放題やらかしていることがわかつた。
ここに作家を幾人か登場させますが、べつに彼らのファンというわけではありませんです。世界と自分のことを知るためには、戦後から執筆されている幾つかの小説を読んで置く必要があつたのです。
それの意味は現時点で分かる人はわかると思うが、このままの状態で時が刻まれると、今はわからない人もいずれ分かる時が来ることになっていると思う。
○いつも助かっております
「エッジ」
鈴木光司の小説「エッジ」の初版は、電子書籍版の奥付によれば2008年、2012年ということになっていました。2012年といえば、世間は俄にマヤの予言による「人類滅亡」の4文字に注目していた年です。この年は「人類はアセンションするぞ~」と言っているスピリチュアル作家も数多く出ていましたが、現実には人類にこれといった変化は起きませんでした・・・。
「エッジ」の内容を簡単にネタバレすると、
「2012年に宇宙が崩壊を始めるが、宇宙の何かの意思によって、人類は過去へ避難することで存続していく」
というものだったんですが。宇宙は一寸先は「無」だったったけど、人類を過去に戻すことで、未来を存続していく可能性は残したと。最後のページで、崩壊とは違う未来が待っていることが予見されていました。
宇宙が崩壊するときの描写としては、星が消滅するという描写、変わるはずのないπ(パイ)の数値に規則的な数字が現れるなどがありました。物質的には地上の各地で人々が消えていくのと共に、巨大な地面の消失現象によるクレーターの出現が伊豆で起こり、アメリカのカリフォルニアで深さ2千メートル、長さ450キロのエッジ(亀裂)が出来上がるなど、地球上の物質の消滅が各地で起き始めるのでした。
現実でも起きてる巨大なエッジ(亀裂)出現
こうした地上でのクレーターの出現、亀裂の出現は、近年も世界中で実際に頻発したのは知ってましたか。
・2011年7月 メキシコ・チャルコ 長さ1.5kmの亀裂
・2014年9月 メキシコ・ソノラ州 深さ8m、長さ1.2kmの亀裂
・2014年11月 アメリカ・オレゴン州 長さ数十kmの亀裂
ロシアやグアテマラでも、巨大すぎるシンクホールがボコボコ出現していますが、世界中では毎年無数のシンクホールや亀裂が出現してるとか。それは地下水による地下の侵食だとか、大地震による断層の出現もあり。
普通のことだ、自然現象だといえばそうかもですが、人類滅亡と頻繁に予言される時代に、巨大な破壊があらわれると、なんか関係しているのではと思ってしまうではないですか。
「ベルセルク」
世界を支配するゴッドハンドと呼ばれる超常的な存在の中に、新たな「闇の鷹=フェムト」が加わったのが1990年台の終わり頃(?)でした。2000年台になり、「千年王国の鷹編」に入りますた。欧州を異民族クシャーンが攻め、クシャーンの「ガニシュカ王=終わりの魔獣(世界の理を終わらせるもの)」とフェムトの力によって「見えなかった怪異が見えるようになった世界」へと世界は変化を遂げ、世界は「光の鷹=フェムト」の支配へと進んでいるという描写があったのですが・・・。
これを現実に解釈すると、
1990年代の後半、フェムトに対応するような新しい何かが、世界に生まれている?
欧州を攻める異民族クシャーンとは、アジアに古代に栄えたクシャーン朝をモチーフにしており、おそらく現実では、近年のISISの台頭を表している?
終わりの魔獣は「世界の理を終わらせる」とあるので、ここに終末思想が含まれてる。おそらくこれが、マヤの予言の人類滅亡と関係したのかもしれない。この後にベルセルクの世界は、「見えないものが見える世界」に変わった。
巨人が目覚めることによって、人類が滅亡の危機に瀕することが示唆されているとか。巨人はベルセルクの使徒とか、終わりの魔獣みたいな役割?
鳥山明原作。破壊神ビルスが39年ぶりに眠りから覚め、宇宙の星が次々破壊され始める。あら。これって、「進撃の巨人」で巨人が目覚めて破壊、「エッジ」で星が消えるのみたいな・・・?
大友克洋の漫画「AKIRA」は1982年から連載が始まった。AKIRAの設定では2020年に東京オリンピック開催が決定しているが、2019年に超能力少年アキラの復活により、東京は壊滅する。
現実では2013年9月、東京オリンピックが2020年に開催されることが決まった。つまり破滅的な漫画と同じ展開になってしまったので、2019年に何か怖いことが起こるとか?
冥王星探査衛星「ニュー・ホライズンズ」
冥王星に、NASAの太陽系外縁天体観測衛星「ニューホライズンズ」が到達しましたが。
ニューホライズンズが出発したのは、2006年1月19日。
この頃自分が何をしてたか、9年前というと、つきまといに罵声を浴びせられるだけのヒキコモリニートかな?( ;∀;)
2006年の1月30日にも軌道修正。1月30日が入っていたのは興味深い。
2015年の 1月15日に冥王星観測開始したとか。
2015年の7月14日に冥王星に最接近(冥王星の地上から13,695km)で地表面を撮影。最近写真が公開されたのがこれ。
冥王星という名は、英名である「プルート」に由来してるらしいです。プルートの発見と、名前が決まったのは1930年のことでした。べつにそれほど大昔というわけでもなかったようです。
プルートこと冥王星の「冥」とは冥界、冥府、地獄のことで、冥府の王ハーデスの世界のこと。ニューホライズンズは「新しい地平線」を意味しているので、冥府の王の下に到達したことで、人類の新しい世界の幕開けを意味してるとすれば、なにか怖い?気がする・・・。
ニューホライズンズが2015年に冥王星に到達することは、2006年の段階で決まってたのは、なにか人の人生に例えれば、決まったレールの上を予定通りに通過したみたいな話。しかも2006年の段階で、予定の調整が何度か行われていました。人間に当てはめてみたら、最初から人の誘導と操作を元に、決まった人生を歩まされるということで、考えてみるとトゥルーマン・ショーみたいなものではないかと。
2015年に、ニューホライズンズが、「冥王星=冥府=地獄から、新しい世界を生み出す」と、暗喩している、予言していると考えることもできるのですよね。
あれ、これってベルセルクの千年王国の鷹編で、「終わりの魔獣から新しい世界が誕生した」のとリンクしてるっていうことに?つまり現実に終わりの魔獣が現れるのは、これからということに? そして終わりの魔獣が現れた後から、千年王国が始まるという。
ちなみにベルセルクでフェムトの世界となる「千年王国の鷹編」の「千年王国」ってなに?というと
「千年王国は、キリスト教終末論の一つ。終末の日が近づき、神が直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になったと説く。千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する」
「以下は患難前携挙説の説明である。「まずキリストが空中に再臨し、クリスチャンを空中にひきあげ(携挙)、その後大きな困難が地上を襲う(患難時代と呼ばれる)。患難期の最後にハルマゲドンの戦いが起こり、そのときキリストは地上に再臨し、サタンと地獄へ行くべき人間を滅ぼし、地上に神が直接統治する王国を建国する。千年が終わった後に新しい天と地(天国)が始まる。」
ベルセルクは、キリストの再臨、ハルマゲドン、千年王国の始まり」を描いているとみられ。じゃキリスト再臨が現実に起きるということで、調整されてるのかもしれんですが・・・。
そういえば・・・
http://morinobouchoutei.com/?p=2423
読売新聞:両陛下、傘差さずに供花…宮城「千年希望の丘」
2015年03月13日 19時41分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150313-OYT1T50092.html
天皇、皇后両陛下は13日、第3回国連防災世界会議の出席と東日本大震災の復興状況視察のため、空路で宮城県に入られた。
この日は、岩沼市の人工防潮丘「千年希望の丘」を訪問。津波襲来時の避難場所として震災がれきを埋設して整備した丘で、近くには同市の震災犠牲者155人の名前が刻まれた慰霊碑がある。両陛下は冷たい雨が降る中、傘も差さずに慰霊碑の前に進み、白菊の花を供えられた。
さらにバスで周辺の整備状況を視察。天皇陛下は、丘の高さや機能を質問され、皇后さまは、丘のあずま屋が非常時のテントになるとの説明に「幕が張られると寒さがしのげますね」と安心したように話されたという。
その後、天皇陛下は仙台市のホテルで、同会議で来日したトルクメニスタンのベルドイムハメドフ大統領と会見された。陛下が皇居の外で外国の元首と会見されるのは初めて。東京で日程の調整がつかなかったためだという。
天皇陛下は、千年王国を希望とのことではないか。しかも今年になってなぜか。
う~む、世界の偉い人、イルミナティは破滅と再生を望んでおり、ということは人類の破滅的な出来事と、救世主の出現も織り込み済みであることになるし、フィクションと現実はリンクしている、としか言えない。
しかもここに取り上げたのは、ごく一部だけなのです。
作家の連中は、共通した「崩壊と再生」というイルミナティの概念を中心に据えて、同じテーマを込めて作品を書いていることは間違いはないとおもう。
つまり世界では、これからとんでもない何かが起きるのかもしれないと、作家は共通して言いたい様子なのでしょうが。こうしたサインは色んな所に現れてますが。
まぁ、この話は単なる個人的な想像に過ぎないんですがー・・・。
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聖徳太子の話題がツイッターにけっこう流れてきてましたので、気になっていました。最近の教科書は聖徳太子じゃなくて、厩戸皇子とか呼ばれて聖徳太子の呼称は控えられてるらしいです。実在性が疑わしいとかで。
以前取り上げた蜂子皇子と知り合いだったそうで、日本書紀にもかいてありますが。
聖徳太子は実在した、実在しなかったとは以前から論争があったのですが。架空の人物説だとしても、モデルになった人物はいた、それが廐戸皇子だという話になってると思うんですが。
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ということで、聖徳太子の話ですが、「聖徳太子中央アジア人説」ってあるんですが知ってますか。
小林靖子著「本当は恐ろしい万葉集」からも概要は読み取れますよ。本の内容から引用するとこうです。
ササン朝ペルシアのホスローⅡ世(五九〇~六二八)は突厥と親交し、版図を西に広げようと六一七年から六一九年にかけてエジプトまで遠征した。このホスロー二世の冠が同時代の西突厥の達頭(タルドウ)、私の推測する聖徳太子の冠と酷似しているのである(『聖徳太子の正体』)。
つまり小林氏によれば聖徳太子の正体は、西突厥の王族、達頭という人物だったということなのです。
「聖徳太子の正体」という本に詳しく書いてあるそうです。まだ読んだことがないので詳しく存じませんが。
達頭というのは達頭可汗という西突厥の可汗(王)で、阿史那氏の出身なんですが、栗本慎一郎氏の『シルクロードの経済人類学』によると、昭和の著名な歴史学者だった白鳥庫吉は、「阿史那氏は烏孫の後衛」であると考えていたとか。
つまり烏孫の後衛の西突厥の達頭が、日本へやってきて聖徳太子(厩戸皇子)になったと、いうことがこれらの著書から導き出されました。
そして栗本慎一郎氏は、天皇は烏孫があったセミレチアから来ていると言っていますし、もっと遡るとメソポタミアに遡りうると指摘していますが。
天皇と大和民族の先祖は、中央アジアの付近から来ているという認識の学者の著書はいくつもあるのでした。古代の天皇や聖徳太子が中央アジアから来たと主張していると、そんなこと、あるわけないだろボケという意見が強くあります。
でも何が本当かは、これから何らかの形で証明が果たされるんではないかと期待しております。
もしこれらが本当なら、中央アジアの烏孫の末裔である聖徳太子が、中央アジアの烏孫から日本へ先に到達していた天皇の下へやってきたのは、必然的であったと、そう考えることもできます。
聖徳太子が中央アジアから来たであろうことを示す証拠が他にもあることには、実はすでに気づいていました。廐戸皇子の名前から、ちょっとした推測が可能だったのでした。。
厩戸と聖徳から導かれる中央アジア
「廐戸」って変な名前ですが、なんでこの漢字じゃないといけなかったのですかね。実は、
「廐」は音読みで「キョウ」と読むのです。「戸」は「と、ど」ですが。
そうすると、「廐戸皇子=キョウド皇子」になるのですよ。キョウドと言ったら「匈奴」のことなんですが。
つまり廐戸皇子は、匈奴皇子の異名を持っていたのではないかと。それを廐戸の字で誤魔化しているふうでもあります。まさか聖徳太子が匈奴人だった?(いいえ違います)
それから、聖徳太子の「聖」ですが、これは古訓で「サカシ」です。
サカ+カシで、「サカ」と「月氏」という中央アジアの遊牧騎馬民族の名前が含まれてるではないですか。
すると、
「徳」は現在の日本語ではtokuで、紀元1世紀前後の漢の時代の音に近いのは「tok」でした。これを踏まえるすと、さらに答えに近づく気がします。
突厥というのはturkから派生した名称なのですが、そうすると突=tur 厥=kなのですよね。つまり徳(to-k)は、突厥(tur-k)の音が反映されてるのではないかと。
「聖」にはサカ、月氏の情報、「徳」には突厥の情報が、「厩戸」には匈奴の情報が含まれてたんですよ。
いずれも中央アジアに君臨した歴史的国家でしたので、聖徳太子=厩戸皇子が何処から来たか?を2つの名前によって暗示してたんではないかと・・・。妄想ですけど。
小林氏の仮説に当てはまるではないですか。聖徳太子が西突厥から来た説は、無視すべきではないと思います。
そういえば蜂子皇子と聖徳太子は仲良しだったらしいのですが。なぜなのか?それは両者とも中央アジアから渡ってきているからとすれば。
蜂子皇子から知る、蘇我氏=サカ人仮説(1) - たっちゃんの古代史とか
徳島
そうすると聖徳太子の「徳」持っている、四国の徳島とは一体なんなのか?という疑問の答えに近づく気がしませぬか。徳島が仮に「突厥の島」→徳島ということになれば。以前取り上げた画像に、書き加えてみれば。
これは書き加えた画像ではありませんが。
四国の徳島が突厥、すると阿波、淡路、淡海といった「アハ・オホ」は、トハリスタンから出て西突厥の後に中央アジアを支配した「エフタル」の「エフ」じゃないですか。っすると香川県は可汗(カガン)なのかと。
ちなみにウィキペディアによると、エフタルには
嚈噠(ようたつ、Yàndā)、囐噠(さったつ、Nièdā)、挹怛(ゆうたつ、Yìdá)、挹闐(ゆうてん、Yìtián)
という別称があり、イダというふうだと、中央アジアにいたユダヤ人の国であるかもしれませんが、これ、ほんとかもですが。。
日本にも関係ありそうな予感はあります。日本の別名が一時期「大養徳国」になったことがあり。
養徳は嚈噠、挹怛、挹闐に関係があり、ユダの音写ということも。大和朝廷の正体というのは、一筋縄の考え方では、知ることはできそうにないです。
話は戻って、四国の阿波にエフタルが関連しているとの発想は、実際に証明が可能だったんです。
達頭可汗の時代(6世紀後半))に、なぜか西突厥には「阿波可汗」という人物がいたのですよ。阿波といえば、四国の徳島の阿波ではないですか。中央アジアの西突厥になぜか日本の地名と同じ阿波という人がいて、徳島=阿波である。つまり
突厥(tur-k)、阿波(apa)、エフ(eph)
は、一致しているんですよね。不思議なことに。なんで西突厥の可汗は、日本の阿波という漢字を用いていたのか?
烏孫の後衛である天皇のいる日本列島の情報が、烏孫の後衛である西突厥の阿史那氏のところに届いていたから。そして日本列島がユーラシア大陸の雛形であるとの情報まで、西突厥に伝わっていたからとしたら。
と、妄想してみました。
以下ご参考に。
王号
倭の王号は大王(オオキミ・オホキミ・キミ)
烏孫は昆弥(発音はクンミで短縮すればキミに近い)
動物に助けられる王
・烏孫の昆莫は子供の頃、鳥と狼に助けられた(これは騎馬民族の神話)。
・神武天皇は鳥(八咫烏・金鵄)に助けられた。神武伝説に狼は登場しないが、天照大神に助けられており、大神(おおかみ)が狼を示唆する。
大移動
・烏孫の昆莫は月氏の本拠のあった敦煌付近から、天山山脈の北方へ大移動した。
息子が王位を奪うために反乱
・昆莫の息子、大禄は王位を奪うため反乱を起こした。
これは「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(下巻)」の続きとして書く予定だったんですが、なかなか思うようにいかないので、とりあえずブログに書き溜めております。
んなことあるか妄想癖~と言われそうな具合が、真実だった。それが古代の日本だったんですが、ちょっと。
なにしろ「日本の天皇と大和民族の歴史は日本列島が根幹」と言って硬化している日本の歴史学会は、この回答を殆ど出してくれないので低学歴のワタクシが調べるしかないという。
聖徳太子の頃の知識人は、みんな知ってたのでしょうけど。まだ説得力に欠けているかもしれないので、今後もさらに調査を進めすすめます。
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人生があまりに、くだらないバカバカしいので、好きなことして生きてますが。電子書籍はちょっとづつ進んでおり、土地も家も手に入れますが、そのことについてもいずれー。
○いつも助かっております
いま噴火してます浅間山は、日本屈指の火山
大昔から火山活動が活発で、何度も記録が残っています。古くは黒斑期という2万1千年前から、火山が噴火してたらしいです。
詳しくは浅間山 - Wikipedia で。
文書の記録としては
685年(天武天皇14年3月:飛鳥時代)『日本書紀』に白鳳地震の5ヶ月後、信濃国で灰が降り草木が枯れたとする記述があり浅間山の噴火とされたが、具体的に浅間山と記述されているわけではなく、風向きから寧ろ西方の例えば新潟焼山や焼岳などの噴火の可能性もあるとされる。
(ウィキペディア)
こんな古くから。
噴火記録を見ると、
噴火記録(太字は被害記録があるもの)は685年、1108年、1281?年、1427年?、1527-1528年、1532年、1596年、1598年、1604年、1605年、1609年、1644-1645年、1647-1649年、1651-1652年、1653または1655-1659年、1669年、1704年、1706年、1708-1711年、1717-1718年、1720-1723年、1728-1729年、1732-1733年、1754年、1776-1777年、1783年(天明の大噴火・鬼押出し)、1803年、1815年、1869年、1875年、1879年、1889年、1894年、1899年、1900年、1901年、1902年、1904年、1907年、1908年?、1909年、1910年、1911-1914年、1916年、1917年、1919年、1920年、1921年、1922年、1927年、1928年、1929年、1930年、1931年、1932年、1934年、1935年、1936年、1937年、1938年、1939年、1940年、1941年、1942年、1944年、1945年、1946年、1947年、1951年、1952年、1953年、1954年、1955年、1958年、1959年、1961年、1965年、1972年、1973年、1982年、1983年、1990年、2004年、2008年、2009年、2015年
こんな感じでした。
だから今回浅間山が噴火しても、地元の人からすれば別に珍しくもないことだとか。しかし今回の噴火は、自分の行動と重なっていることもあり、少し気になっていますが。
このページに、こんな興味深い文章がありました。といっても何の興味もない人は、普通はスルーしてしまうでしょうけど。
信仰と伝承
「あさま」は火山を示す古語とされる。富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われる。浅間山も多くの山々と同じく、古くから信仰の対象となっており、浅間神社(通常の浅間神社とは祭神が異なる)が鎮座している。
つまり浅間山は富士山の浅間神社信仰の山であるということでした。富士山と浅間山の神様は同じなのです。これも興味深いですが、個人的興味は別の所です。
「あさま」は火山を示す古語とされる
これ。ほんとなら、全国の火山は「あさま」だったのかと・・・。
でも調べるとそんなことはなく、熊本の阿蘇山、群馬・長野の浅間山、北海道の有珠山、この3つの火山には当てはまっている気がします。
その理由はこんな風に。
阿蘇 a-so
浅間 a-sa-ma
有珠 u-su
発音が一致しているということで、わかってくると思いますが。
なんでこの3つだけが、あさ、うすと似通った名前になってる火山なのかは、電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上)」に目を通した人ならなんとなくわかると思いますが。
九州系地名と呼ばれるもので解読できるということを。
九州、近畿、関東、青森、北海道中央部は、同一地名の土地なのであり、
ここに九州の阿蘇山、関東の浅間山、北海道の有珠山が対応しているから、ピタリと一致してたのですよね。
これは日本の九州系地名の一致例ですが
詳しくは「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上)」で。
この本、今あらためて読み直すと欠陥だらけです。いずれ直して無料で公開と販売していきたいと考えてますが・・・。
そういえば。
阿蘇山は熊本県にありますね。熊本は昔からある地名です。それで、「熊に阿蘇」なのを記憶してください。
群馬の語源は「車(くるま)評、車郡」でした。つまりこちら「車に浅間」。
つまり、
熊 ku-ma a-so 阿蘇
車 kur-ma a-sa-ma 浅間
つまり山岳名のみならず、地名としても一致させてあったのですね。
古代に浅間山は、関東地方における阿蘇山の代わりとして見られていたということなのではと。想像ですが。
そういえば。
日本で古来、火山や噴火のことをなんと呼んでいたか、ですが。調べてもわからなかったのですが、古来噴火の時には「灰が降った」とか「火を噴く」とは言っていたようですが。噴くというのはそもそも火山活動を表す言葉でした。
江戸時代には「噴火」という言葉があったようでした。
「噴く」の古語を「学研漢和大字典」で引くと、「ハク、フキクタス、フク、フフク」とあって、やはり昔は「○○山が火を噴いた」「○○山が灰を噴いた」といって噴火したことを表したんではと思います。
それで言語学者や言語学研究してる人は、縄文時代からの言葉であると考えるのが普通だと思いますけど。でも、この発想は違ってるかもしれませんよ。
何故かと言うと・・・
で、世界の言語を調べるとわかってくるのですが。
火山のことをヨーロッパでは、
英語 ヴォルケイノー volcano
独語 ヴルカーン vulkan
仏語 ヴォルカン volcan
伊語 ヴルカーノ vulcano
西語 ボルカーン volcân
露語 ヴゥルカーン вулкан
ポ語 ヴゥカオン vulcão
オ語 ヴルカーン vulkaan
(※西語=スペイン語、露語=ロシア語、ポ語=ポルトガル語、オ語=オランダ語)
と言ってるのですよ。このヴォルケイノー、ヴォルカンみたいなのをひとつひとつ発音してみると、ぜんぶ同一系統の言葉だとすぐわかってきますけど。
これらの火山を表す言葉は、
※ローマ神話のウルカヌスVulcanusという火と鍛冶の神に由来
してるとのことです。日本で言うと火の神は軻遇突智だとか、木之花咲耶姫。鍛冶の神は金山彦、金山媛、天目一箇神など知られますが。
日本語はしばしば濁音と入り混じってますね。
「ぶくぶく」は泡が吐き出される、噴き出す意味で使われる擬音です。
これ、「噴く噴く」のことなんですよ。だから「噴く」の「ふく」は「ぶく」と濁音化するということです。
東北地方のズーズー弁があるように、日本語は濁る場合と濁らない場合があったようでした。
fukuはbukuであり、場合によってはvukuだったかも。
これを踏まえて上記の欧州言語と比較してみると、
英語 ヴォルケイノー vol-cano
独語 ヴルカーン vul-kan
仏語 ヴォルカン vol-can
伊語 ヴルカーノ vul-cano
西語 ボルカーン vol-cân
露語 ヴゥルカーン вул-кан
ポ語 ヴゥカオン vul-cão
オ語 ヴルカーン vul-kaan
日本 ぶく vu-ku(bu-ku)
日本 ふく fu-ku
日本 ふかす fu-ka-su
つまり日本語の火山活動を表す噴くは、欧州の火山=ヴォルケーノと同じところに起源を持っているという可能性は無いと言い切れませんね。「l・r」は日本語では省かれる傾向にあるのは、昔からだったんですかね。すると日本語の「噴く」はローマ神話のvulcanusを語源として、紀元前に日本列島に入り込んでいるんだとしたら。
欧州や中東の鍛冶(金属器精錬)の歴史はヒッタイトかメソポタミアか、古代エジプトからと言いますが。鉄利用の歴史を見てみると、
鉄利用の歴史
古代今のところ製鉄技術が普及し始めたのは紀元前25世紀頃のアナトリアと考えられているが、鉄の利用自体はそれよりも古い。メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年頃のウルク遺跡から鉄片が見つかっている。また、エジプトのゲルゼーからも、ほぼ同時期の装飾品が見つかっている。これらの鉄器はニッケルの含有量から隕鉄製と考えられている。鉄利用の開始は更に有史以前に遡ると思われるが、詳細はわかっていない。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20 - 18世紀頃のアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。
古代・中世前期日本
鉄器は紀元前3世紀頃 青銅とほぼ同時期に日本へ伝来した。当初は製鉄技術はなく輸入されていた。
青銅は紀元前1世紀頃から日本で作られるようになり、製鉄は弥生時代後期後半(1 - 3世紀)頃から北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や備後の小丸遺跡(三原市)で開始され、それから時代が下り出雲地方や吉備でも製鉄が行われるようになった。
拙著にも書いてますが、日本神話には度々製鉄と鍛冶の場面が登場してますが、じっさいの日本列島で製鉄が行われた痕跡というのは、紀元前はとても希薄なのですね。
製鉄場面が登場する日本神話の舞台とは、大陸なんじゃないかという話ですが。
つまりvulcanusが元になって「噴く」が日本語に入って用いられているとしたら。弥生時代の日本語というのは、中東、欧州、アジア、縄文人の言語が混ざり合いつつある過渡期で、そのころにbulcaが噴くとして定着し始めたのではと。妄想ですけど。
以前にまとめた記事
・日本語のまじない(majinai)と、英語のmagicの語源は同じ?
「灰」について調べるとこんな事実も。
英語 灰 ash
オ語 灰 asse浅間 asa-ma
阿蘇 aso
日本語の火山の古語としての「asama,aso)」に通じる、英語のash。
「灰色」について調べる
日本語 灰色 ハイ
パイがハイになってるだけという・・・。
日本語=弥生時代に中東欧州言語にユーラシア各地の言語が合わさった複合言語。ということで。
低学歴の妄想でしたが、先生方でもたまにいるでしょうし、こういう考えは。もっと大和民族の正体を見極めたいと思います・・・。
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