たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

2012-01-01から1年間の記事一覧

倭の諸国分析6

ここで、改めて邪馬台国の位置について、考えてみたいと思います。 全国に邪馬台国候補地は、おそらく100箇所以上あるとみられるのですが、その大部分は日本列島内に位置付けられて考えられていますけれど、海外に邪馬台国の場所を求める見方も少なくない…

倭の諸国分析5

これまでに導き出してきた線の断片を、図案化するとこんなふうになりました。 これはまだ分かりやすい諸国を、線で繋いだだけですが、朧気にではあるけれど、全体の輪郭が浮き出てきているように思います。 ではこれに、新たな解釈を加えてみるとします。 解…

犬の剣士、描いた。 5時間くらいかかった。

倭の諸国分析4

20番から10番までの解釈です。20呼邑国…………長い解説が必要なので後回しにします。 19蘇奴国(ソヌ)……讃岐(サヌキ)の「サヌ」です。「岐」は、新羅城(新羅)、御間城(任那)、茨城等の「城」と同じ、「国」の意味を持ちます。 18対蘇国(ツサ)……対は対馬で分か…

2年くらい前に描いた、荒廃した世界の絵

最近また絵を再開したけど。2年前にしては意外と悪くないと思ったので、こっそり再掲。北斗の拳の世界観をイメージして、背景は文明滅亡後の設定。死神はありきたりなデザイン。荒廃した世界で戦う、うさぎさんたちであった。

倭の諸国分析3

一本の線上に連続的に、線が交わらずに表記することの出来る国の配置は、以下のようになりました。31番から21番までです。 あくまでも私見から導かれた仮説なので、鵜呑みにするのは注意してください・・・。31狗奴国(クナ)………東海地方一帯(久努国造・可…

前方後円墳矢印説

前方後円墳は矢印ではないかと思い付いたのは何年前だったか、奈良県の佐紀盾列古墳群を見て、全部同じ方向を向いているのだなと不思議に思ったのがきっかけでした。 佐紀古墳群の中には神功皇后陵に比定される、五社神(ごさし)古墳があります。神功皇后の…

倭の諸国分析2

最も分かりやすいところから、攻略していきます。三十一国の位置を特定する鍵を握っているのは、30番目の奴国と、31番目の狗奴国ではないかと考えてます。 魏志倭人伝には「奴国あり。これ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴国あり」との記述があり…

倭の諸国分析1

魏志倭人伝には倭の三十一国の名が記録されてます。 三十一国のうち狗邪韓国は朝鮮半島南端部にあり、倭人伝の中に含まれる最初の倭人国で、その狗邪韓国から卑弥呼のいた邪馬台国までの行程は、方角と距離で示されていますが、邪馬台国以降に記録される諸国…

フィリピンの耶摩提(やまと) 2022年改訂版

日本列島から南西に2000キロほども離れた、フィリピン諸島北部最大の島・ルソン島には、古代に倭人が住んでいたかもしれないという、妙な話です。○いつも助かっております 四海華夷総図 四海华夷总图维基百科,自由的百科全书四海华夷总图 - 维基百科,自由…

 東日本は狗奴国だったか

狗奴国と言えば、魏志倭人伝で卑弥呼に反抗する勢力として記録される、倭の三十余国のうち一国です。 狗奴国を、球磨郡を始めとする南九州南部の勢力であった「熊襲」として捉える向きもあります。これは「日本書紀」の記述を前提とすれば、景行紀には九州に…

三角縁神獣鏡の秘密1

1・死者の霊魂と三角縁神獣鏡神鏡とも呼ばれる銅鏡は、主に古墳時代までに重用されたもので、大和王権が権威を誇示するために地方豪族へ分配され、中国人から鬼道と呼ばれた倭人の祭祀に於いては、呪術に欠かすことのできない、祭祀用具の役目も果たしたと…

日本書紀に書かれた魏志倭人伝の卑弥呼

日本書紀の崇神紀には魏志倭人伝にある女王卑弥呼の時代の、倭国の状況が書かれていると考えてます。従来は日本書紀には、魏志倭人伝に該当する卑弥呼の時代の記述は無いとの考えが広く支持されてきたようなのですが、ちょっと従来の定説を覆してみます。魏…

豊城入彦が最初に向かった場所

日本書紀の中で崇神天皇は、息子である兄・豊城入彦命(豊城命)と、弟・活目入彦五十狭芽命(活目命)に勅(みことのり)して、どちらを跡継ぎにしようかと思案した様子が書かれています。結局2人が見た夢の内容で占う「夢解き」をして、将来の役目を決す…

倭人に対する呉・越などの影響

倭人は古来より、中国人の影響を色濃く受けていました。古代の中国人は、倭人にどんな影響を齎したんでしょうか。紀元前8世紀か恐らくそれよりもっと以前から、中国大陸から日本列島への大規模移住、民族大移動は滞ることなく行われていたようです。 渡来人…

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。11

赤の表示が、詳細な分析の結果、除外されると判断した神社。当初の遷座地が除外される理由。ウィキペディアの記述に拠る部分が多い。 新たに作成された、検証に必要となる41社。創建当時の年代と鎮座地が明確である「伊勢神宮の内宮」を含めた。 算出した…

崇神紀の「始めての船舶」の謎。

日本書紀の変な記述について。崇神天皇の時代に、「始めて船が造られた」という、奇妙な記事があります。 何処らへんが奇妙なのかはあとで解説するとして、いつもの通り該当箇所を、宇治谷孟氏編訳の「日本書紀・全現代語訳」から引用していきます。日本書紀…

現存最古の神社建築とは?古い神社ランキング 2022年改訂版

現存最古の神社建築について知りたかったので、調べちゃいました。○いつも助かっております 法隆寺最古の木造建築とは、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院の建物郡ということです。 これは日本のみで最古ということでなく、世界的に見ても、建築当時の形をその…

東夷諸国の故国

魏志倭人伝として知られる三国志魏書東夷伝倭人条。東夷伝倭人条でわかる通り、倭人も東夷という枠の中の存在でした。 この魏書東夷伝には倭国のほか、東夷諸国の実情が記録されてます。 東夷伝に先立っては、烏桓伝と鮮卑伝があり、それぞれ魏の北方にあっ…

倭と韓。4

天孫降臨神代の記述で、天つ神による出雲の国譲りが成立し、神によって葦原中国が平定された後、瓊瓊杵尊(ににぎ)の天孫降臨へと繋がっていきます。日本書紀では天孫降臨の直前、瓊瓊杵尊を案内しようとする天鈿女命(あめのうずめ)らの前に、猿田彦大神…

崇神天皇の120歳が「短命」の謎2(曖昧に終わる)

最近ヒシヒシと感じてることですが、自分にとっては最早、得意な手品の種を必死に隠す必然性と意味など、とっくに無くなってるに近いんです。どういう意味かは、分かる人には分かる筈なので説明しませんけど。そういうことで、この人なんでこんなに必死なの…

倭と韓。2

素人の持論展開、続きまして、すみません。現代の韓国の人が、日本人と日本文化の全ての起源は韓国であるようなことを言っているのを、時々見聞きします。 国粋主義や皇国史観的とまでいかなくとも、愛国心に理解を示す日本人からすると、日本の文化が全部外…

倭と韓。3

次に馬韓・辰韓・弁韓という、3つの連合国を構成する国(地方自治体)の地名を見ていきます。魏志馬韓伝に記された55の国爰襄国・牟水国・桑外国・小石索国・大石索国・優休牟涿国・臣濆沽国・伯濟国・速盧不斯国・日華国・古誕者国・古離国・怒藍国・月…

倭と韓。1

魏志倭人伝の中で、倭国の30国が登場してきます。 これらの国はそれぞれが邪馬台国の女王卑弥呼に従属する小国で、またそれぞれに個別の王を擁していました。倭国とは30カ国の連合王国だったのです。それ以前には100余りの小国に分立していたことが後…

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。2

前回(1)の続き。古事記、創世記、イザヤ書を比較すると、符合する点は次の通りになります。書物 土地 柱 建造物 動物の像 古事記 淤能碁呂島 天御柱 八尋殿 ? 高天原の象徴 創世記 エデンの園 回る剣 エデンの土地 ケルビム エデンの象徴 イザヤ書 エジ…

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿1(旧約聖書と、古事記の記述の奇妙な符合点について)2022年改訂版

今回は番外編です。ユダヤ教・キリスト教の正典・旧約聖書と、古事記の記述の奇妙な符合点について、すこし触れています。○いつも助かっております 日本神話とユーラシア個人的に日本神話とは、古代ユーラシア大陸各地に居住した諸国家・諸民族・諸氏部族ら…

倭人の衣服は斑模様?

倭人の着ていた衣服の形状は、古墳から出土する埴輪を見て復元されますが、通常は衣服の色まではわかりません。 埴輪の粘土の色は黄土色、土気色ですが、時折朱色の彩色を施されたものも出土するようです。衣服の色については想像の域を出ることはなく、純白…

崇神天皇の120歳が「短命」の謎1

日本書紀と古事記の翻訳本を、一日に2度3度と手に取るので、おそらく年間で読む回数は膨大になってると思いますが、それでも良くわからないことはわからないままです。今回はその分からなかった話のなかから、ある程度わかってきた「崇神天皇が短命だった…

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。10

垂仁天皇期に天照大神の御神体は伊勢に移され、当初は磯宮と呼ばれる社で、これが伊勢神宮の始まりとされてます。江戸時代に偽書と糾弾され、現在も偽書説が囁かれる先代旧事本紀大成経の中で、伊勢神宮は現在別宮となっている伊雑宮こそが本来の内宮との説…

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。9

前回取り上げた、延喜式神名帳の名神大社51社を、各時代ごとに分類調査していきました。ここでの留意点は、神代の時代から欠史八代にかけて創建された神社は、伝承される創建年代に実際に建てられたかどうかは怪しいという点です。神武天皇の伝承上の即位…