たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

崇神天皇の120歳が「短命」の謎2(曖昧に終わる)

最近ヒシヒシと感じてることですが、自分にとっては最早、得意な手品の種を必死に隠す必然性と意味など、とっくに無くなってるに近いんです。どういう意味かは、分かる人には分かる筈なので説明しませんけど。

そういうことで、この人なんでこんなに必死なのか、と申すれば、原稿を本に纏めて出版したいが為なんです。そもそも人が生きることとは、必ず死に至ることで、まず必死、かとも思うんですけれど。だたい人間って幼少の頃から、みんな目標立てて、それを家族友人の前で公言して、それに向かってがんばってるわけでした。実はこちらのブログ書いてる人もそうなんでした。知らなかったでしょう・・・。プロスポーツ選手もそうであれば、サラリーマンも無職ニートの多くもきっと、自分なりにそれなりに毎日が必死なはずですし(日によって必死さの強弱があるにしても)。無職やニートは必死じゃないだろう?という軽はずみな認識は誤認で、前に出たいのに出れない、成功したいのにできない葛藤や後ろめたさ、人に見下される痛みと、日々必死に戦っているわけです。そういえば最近は就職に前向きなニートをレイブルとか呼ぼう運動があるらしいですが。

誰しもその最大目標を隠す意味なんかは、本来無いといえば無いみたいなんですね。ケータイもパソコンすらもない時代の村社会では、隣近所がみんな互いの生活を公開的にしてました。生活を隠そうとすればするほど怪しい人物認定、村八分状態になるのは、現代でも変わらないようですが。最近はソーシャルネットワークとかって、見えづらかったものが見えすぎちゃって困るくらいの勢いで、他人の秘密すら不正に覗ける社会になってるので、冒頭の一文もそんな意味合いを含むんですけど・・・。

ちなみに35歳を過ぎるとニートと呼ばないらしいんですが、どうしてなのかは謎でした。

それで、したためている原稿のテーマはこのブログと一緒で、3世紀の倭国倭人、卑弥呼と崇神天皇の関係、あたりです。進んでいるこの人生の道が上手くいく方向かどうかはともかく、原稿のタイトルも考えてました。されど、どんなに考えても、長ったらしくなってしまうんです。崇神天皇と3世紀の倭人の謎、でいいと思ってたんですけど有り勝ちだなと、多くを却下するたび、タイトルの屍が増すばかりでした。正確な方位を知っていた3世紀の倭人をメインにすると、崇神天皇の話がすっ飛んでしまうなとか、暗中模索と試行錯誤を繰り返してたんです、生意気にも。

結局一番書きたいのは何かなって考えてみると、やっぱり崇神天皇の正体だったんです。あ、すいません、このブログのタイトルの崇神天皇の120歳が短命の謎2と全然関係ないことつらつら書いてんなって思わせて。でもそろそろ多分関係してきます。

それで崇神天皇の正体は、研究者の間でも諸説あると思うんですが、私的には卑弥呼と倭迩迩日百と同一人物だと思っていることはこれまでにも述べてきました。

実は卑弥呼はある理由からアカルヒメとも同一人物だと思ってまして、つまり崇神天皇は結局のところ、卑弥呼であり、女性天皇であり、記紀の中の多くの女性を、習合した象徴的な存在だった可能性を極限まで追求しているんです。

さらにもうヒトカタ、崇神天皇の中に含まれるんじゃないかという女性の倭人をこっそり申し上げますと、それは女王壹興でした。そうして、原稿のタイトルは粛々と◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯に決まったらしいです。(結局隠してるんでは・・・)で、肝心の崇神天皇の120歳が「短命」の謎の続きですが、簡潔に言うと、日本書紀崇神天皇の記述中に魏志倭人伝の壹与までもが含まれるらしいということです。

その詳細については原稿の方に詳しく纏めていっているので、あわよくばいつの日にか、上手く行った暁に、内容を確認していただきたいと思う次第です。それ以外の結果な場合は、こちらのブログに発表することになると思います。