たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件

最近ブログなどで、日本の起源はエジプトにあるみたいな仮説をあちこちで見ますが。

それらのブログをあえてリンクしませんが。俺がリンクすると嫌がる方もいそうな気配がするので。普通の人はそれを見て、真顔で堅焼きせんべいをかじっていたりしますね。

実はこの仮説、正解かもしれません。その根拠は、日本の神様の神格、属性、性格、名前、風習、言語といったものが、古代エジプトにちょっと似ていたりする点が、挙げられたりします。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

以前取り上げましたが

 

過去のエジプト関連記事

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正座は日本固有文化じゃなかった

魏志倭人伝に登場する裸国はハワイ

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淤能碁呂島、天御柱、八尋殿。2

こんな記事もありましたし。

 

 昨今の世界を見ていると、「常識こそがトンデモ思想なのではないか」との疑念は高まるばかり。トンデモの中の真実を追い求めます。

 

 

日本とエジプトの神様の比較

 

ヌン

原初の混沌の海。原初のエジプトの神や、あらゆる存在はヌンから生まれた。

エジプト古代史の研究をしてる倉橋さんのサイト「古代文明の世界へようこそ」に、世界の古い神話の、原初の神や海は、ほとんど「ヌ」であるというふうな記事があったと思ったのですが。ちょっとリンパが腫れてて探せません・・・。

記紀神話で、イザナギイザナミが原初の海をかき混ぜる時、使ったのは天の沼矛でしたけど。この「沼(ぬ)」が記紀神話の原初の海の名前であるとか。エジプト神話の原初の海ヌンに対応するようです。

日本書紀』では沼でなく「瓊(ぬ)」が使われます。瓊というのは「赤い玉」の意味なのですが、そうするとイザナギがかきまぜた原初の海とは、真っ赤に煮えたぎった地球の溶岩ということに?

 

ちなみにこの方の著書「ピラミッド「秘密の地下室」―解読された惑星コード (知の冒険シリーズ) 」は、エジプトのギザの大ピラミッドを始めとする、ピラミッドの大きさは、太陽系の惑星の大きさを完璧に再現しているという内容の本で、非常に面白いです。古代エジプトオーパーツに興味があるかたは必読です。

 

アアル

生産の神アサル(オシリス)が支配する、エジプトにおける葦原の楽園の名。Aaru,Yaaruとも。肥沃なナイルデルタのこと。

日本神話で言えば、アアルは葦原中国(あしはらのなかつくに)に一致するんではないかと。楽園というから高天原か。

 

マアト

エジプトの女神。法と正義をつかさどる。あの世で行われる裁判で、天秤に死者の心臓とマアトの羽を置き、吊り合わなければ悪行を犯した者であるとわかる。悪行を犯した者は、怪物に心臓を食べられてアアルへ行くことができない。

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マアトがもし、日本神話に入り込んだのであればどの神様なのかと思ったら、やはり女神である天照大神(オオヒルメ)の中に習合されたのではないかと。

 

そして実は「神」という漢字が、マアトと天秤の神話に、深く関係しているように思いました。『学研漢和大辞典』から引用して話を進めます。

 

「申」の字はいなずまの象形文字だそう。でも元の形を見ると、

「∈│∋」

の形をしていて、真ん中の支柱の両脇に手が添えてあるから、まるで天秤のように見えますね。

申は「申す」ことで、神の言葉。ほかにも、天秤との奇妙な符合があります。

「申」の古訓は「かさぬ、かさねて」であり、「重」に関係していました。天秤は重しがあってのことですから。

 

一方で「礻(しめすへん))は元の形は「示」。神霊が降下する祭壇を描いた象形文字とありますが、これは明らかに天秤の形ですね。神とは道を示す存在であるからですかね。

そもそも「示」の古訓に「あらはる」があるのですね。もしかすると「あらはる」とは、天秤の裁判の後に行くことのできる、アアルのことではないかと。示の字により、天秤とアアルを示してたのではないかと。

 

そして「神」という文字自体の古訓に「おもし」があります。まさしく天秤の重しに関係してるでないですか。

物を量る道具「秤(はかり)」の古訓は「おもし」で、神と同じでした。「量る」と書いた場合、量とは元は天秤を表す文字でした。

 

まとめると、

・「示」は天秤の形で、古訓には「あらはる」=アアル(天秤の裁判)

・「申」は天秤の形「∈│∋」で、古訓には「重ぬ」

・「神」の古訓には「重し」

 

・時量神(ときはかしのかみ)

古事記』に登場する神。イザナギが黄泉の国から脱出し、禊ぎをした時、袋が変身して現れた神。

黄泉の国というのは、地底世界、地獄。この神話の場合、イザナギが出た地上世界は高天原であるのです。そうすると、イザナギは黄泉から黄泉平坂を上って、高天原へ到達したことになります。

この時量師神は「量」の字を使ってますね。つまり時量師神は、時を司る天秤なのです。

 

最初のマアトについて、もう少し詳しく見てみる。

ウィキペディアの記述をコピペすると、

女神マアトの「真実の羽根」を天秤の一方の皿に、他方の皿に死者の心臓を置き天秤に掛け心臓が軽く釣り合いがとれれば、長く危険な旅を経て永遠の楽園であるアアルに至ることが出来る。古代エジプト人は死者の霊は心臓にあり、生前の悪事は心臓に染み出て残ると考えた。悪事をはたらき心臓が重く釣り合いがとれない場合は霊が宿る心臓はアメミットに貪り喰らわる「第二の死」の裁きを受け、霊はアアルに至る事は出来ない。

天秤の審査を経た霊はアアルに着くまでの長い旅の途中に多くの危険に遭遇する。アアルに着くと一連の関門を通らなければならず、神への供物の数量に従い或る者は15、或る者は20箇所など幾つかの関門を通過する。此所を刀を持った悪霊に護られながら通ると言われる。死者の書にはアアルに至るまでの危険回避や対処の指南も書かれた。

ウィキペディア マアト

 

つまり天秤が吊り合わなければ、地獄行きなのです。地獄とは下界なので、天秤が下がった片側が怪物のいる地獄です。

逆に天秤の上がったほうが天界アアル。以下に、高天原と黄泉、アアルと地獄の図解を表してみました。

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イザナギの黄泉の神話は、死者の黄泉の世界に残るか、地上の高天原へ出るか、イザナギが天秤にかけられる審判を受けた、という内容で、骨子はマアトの天秤に似てます。

 

>天秤の審査を経た霊はアアルに着くまでの長い旅の途中に多くの危険に遭遇する。

この長い旅の途中の多くの危険の部分は、イザナギが黄泉平坂という天秤の坂をのぼっている途中、黄泉醜女と大勢の黄泉の軍隊が追いかけてきて何度も危機を迎えるところに符合します。

 

>アアルに着くと一連の関門を通らなければならず、神への供物の数量に従い或る者は15、或る者は20箇所など幾つかの関門を通過する。

15箇所、20箇所という関門の数についても同様。

イザナギが黄泉から脱出して、高天原葦原中国)の筑紫の日向の橘の小門のアハキ原という河原で禊ぎ祓いをしたときのことです。イザナギが禊ぎ祓いをした箇所は全部で22ヶ所であり、この時に22柱の神が生まれています。これとアアルの20箇所の関門がよく一致するようです。

イザナギから天照大神が生まれたのですが、天照大神は元々オオヒルメという太陽神と同一視されます。『日本書紀』ではオオヒルメはイザナギが黄泉へ向かう前に、高天原に現れていました。

 

ウィキペディアの黄泉のページにこんな記述が。

 

逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時
(訳)逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に至りし時

 

口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂の坂本に着いたとき」となるが、この「坂本」は坂の下・坂の上り口を表している。それゆえに、イザナギは黄泉比良坂を駆け下りてきたということが示唆される。すなわち、黄泉の国は必ずしも葦原中国に対して地下にあるわけではないと分かる。

ウィキペディア 黄泉

黄泉とは地下にあったかもしれないし、上にあったかもしれないらしい。不思議なことですが。しかし天秤の道であるとすれば、イザナギが進むと天秤の坂道は、上向きだったものが下向きになりますね。黄泉平坂が上り坂、下り坂、どちらにも解釈できるのは、天秤の道だったからです。

要するに、黄泉神話とは古代エジプト神話のアアル・マアトの天秤の話そのもの韃靼ではないかという想像の話でした・・・。

 

ところで~、黄泉は新約聖書では「シェオル」とか「ハデス」というとか。

ハデスについて、ウィキペディアにこんなふうにあります。

 使徒言行録2章27節、31節では、詩篇16篇10節のシェオルがハデスと訳されている。これは、死後の世界をさしており、肉体的な死と神の最後の審判との間の中間状態を指している言葉である。

ハデス

 

エジプト神話の、マアトの天秤で裁かれると、アアルか地獄へ行くことと、全く同じところから派生している解釈なのが、ハデスのようです。

記紀神話の、黄泉と黄泉平坂と地上世界の関係も、ハデスとまったく似た印象です。

 

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31日追記・・・

そして何より、イザナギが通った黄泉平坂という名前。

平坂って変じゃないですか。平らな坂。坂って傾斜しているはずで、平らなものじゃないですよね。

ほんと変。

では、「平らだけど坂」なのはな~んだ?

答えはやっぱり天秤、シーソーみたいに、可動式の道。

可動式の黄泉の道、それを「黄泉平坂」と4文字で表してたと考えられたのです。

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これだけに留まりませんでした。

たぶんつづく。

 

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