地名を見てると不思議なものが多いですが、今回は武蔵国の地名についての一考。
○いつも助かっております
男衾(おぶすま)
むかーし埼玉が武蔵国だった頃、男衾郡という土地がありました。現在では地名としてはほぼ消え去って、東武線の男衾駅などでわずかに名残りが見えるのみですが。
この「衾」って、和室に使われる建具の襖(ふすま)のことじゃないです。衾は布団、寝具をあらわす古語でした。
そういえば男衾郡の付近は、古来より古墳がとても多い地域だそうで。
現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
熊谷市(大字小江川、野原、須賀広、千代、柴、板井、塩および江南中央一 - 三丁目の一部。旧小原村)
深谷市(荒川以南の全域。旧本畠村)
古墳群が多い北武蔵でも特に多く、野原古墳群(「踊る埴輪」が出土)、塩古墳群、鹿島古墳群など
と説明があったりします。踊る古墳ってダンシングフラワーみたいに、音に合わせて踊らせてみたら面白そうな気がしました。
それで男衾の地名の由来が気になる所ですが、この地域に鎮座している小被(おぶすま)神社にあるとのこと。
小被神社
小被神社(おぶすまじんじゃ)は、埼玉県大里郡寄居町富田の荒川沿いにある神社。祭神は瓊瓊杵尊。武蔵国男衾郡の式内小社。旧社格は村社。
安閑天皇の代(531年~535年)に、富田鹿が富田村字塚越(現在の大聖山真言院不動寺境内)に祠を建て、小被神を祀ったと伝えられる[1]。
祭神
(主神)瓊瓊杵尊
こちらの神社、日向三代で天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祭神とするとか。小被と男衾、どっちもおぶすまなのですが、読めない、ずるい。
被とは「かぶる」で、衾(布団)との関連性を踏まえ、この漢字が選ばれているのかと。衾とは体に被るものだから。
男が布団を作っていた地域なら、まぁ健全ですけど。それとも男の衾ということで、同性愛的な世界を想像をする人もいるようですが…いやらしい意味ですか?😨
真床追衾が男衾になったか
でこの男衾という変な地名、実際の由来は地元で崇められた小被神ではなく、小被神社の祭神の瓊瓊杵尊にあると思うのですが。
それは「日本書紀」を見れば、以下のような神話があるからです。
瓊瓊杵尊は天照大神の子である天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命との間に天で生まれた[1]。
高皇産霊尊はこの孫を特にかわいがり葦原中国の主にしたいと考えた。そこで天穂日命や天稚彦が派遣され経津主神と武甕槌神によって葦原中国は平定された(葦原中国平定を参照)。
高皇産霊尊は皇孫(すめみま)たる瓊瓊杵尊を真床追衾(まとこおふふすま)で覆い地上に降ろした。これを天孫降臨と呼ぶ[1]。
皇孫は天盤座から天八重雲を押し分けて神聖な道を進み日向の襲(そ)の高千穗峯に天降った。
ここに、小被、男衾に関わる単語が出てくるんです。
瓊瓊杵尊は高千穂峯に降臨する際、「真床追衾」で覆われていたんだと。
たぶん神話に出てきた真床追衾の「追衾(おふふすま)」が、小被(おぶすま)に転訛し、男衾になっているような感じがするんですが。何故かと言うと、
真床追衾 追衾(おふふすま) 瓊瓊杵尊(ににぎ)が使った
小被神社 小被・男衾(おぶすま) 瓊瓊杵尊(ににぎ)が祭神
男衾と追衾は名前が似ている上に、瓊瓊杵尊で繋がっているのは偶然じゃない感じだからですよ。
ところで真床追衾ってなんだろうと調べてみると、天津神の印の1つで、床を追う=覆う、衾(布団)という解釈になるとか。
いわゆる空飛ぶ布団と言っても過言ではないのかと。瓊瓊杵尊は布団に乗って降臨したというのは、なにかファンタジー要素爆上げな印象です。しかも中東の空飛ぶ絨毯の物語との、接点も見出されるところではないですか。
すると小被神社の小被神とは、「真床追衾神」あるいは「瓊瓊杵尊」であると考えられます。
男衾の富田鹿と高千穂
天孫降臨神話の真床追衾を元にして、この土地に男衾と名付けられたと仮定しますね。すると男衾の土地は高千穂に見立てられたのだろうかと、疑問に思いました。
高千穂峯の実際の伝承地は、九州の宮崎県と鹿児島の久士布流多気(櫛触峯)となっています。しかし実は全国には高千穂峯、高天原と名付けられた神話の山の代用地が津々浦々にあり、それぞれ地元民に崇拝されてきました。
男衾もその例と同じく、高千穂として崇拝されたのだろうかと。
それで男衾郡付近の地図で検索かけてみると、高千穂の名を冠する工場があったので驚いたのですが。これは狙ってここに建設したのか、運命的な偶然なのかはわかりませんけど。
男衾郡域には、高千穂や天つ神に関連する地名が、幾つか集まっているようでした。
ハイキングコースのある天神山、自然公園のそばのたかんど山、平安時代に築城された高見山の高見城、鷹巣天神社・・・
特に天神山は男衾の中枢に近く、天神山のそばに小被神社があり、富田鹿の名をもとにするらしい大字富田を冠しているのですよ。だからここが高千穂の久士布流だったとしてもおかしくない感じがします。
まぁ男衾郡の地名が消えているので、明確な高千穂の名も消滅したかもしれません。
ところで小被神社を創始した富田鹿もまた、高千穂と関係するかもしれないです。何故かというと、こんな想像ができたので。
富田鹿→田鹿富→たかふ→高穂→高千穂
男衾と同様に、富田鹿の名も、天孫降臨神話の高千穂の名から取って並べ替えているのではないかと。すると創始者である富田鹿は、天津神を信奉し祀り上げる巫覡、神主のような役職だったのだろうか。
富田鹿は小被神社で、天孫降臨の地の代用地とした天神山に向かい、日々祈願したのかもしれないです。
埼玉の男衾と宮崎の高千穂を結びつけた畠山重忠
ところで人は運命に導かれて、なんて言いますけど。埼玉の男衾と宮崎の高千穂は、運命的な繋がりがあったという話もお伝えしておきます。
武蔵国男衾郡だった深谷市畠山は、秩父氏の一派で鎌倉幕府の武将だった、畠山重忠の産まれた場所で領地だったとか。
男衾生まれの畠山重忠はかつて、宮崎の高千穂神社に参詣したと伝えられていました。
この時に重忠は、地元の秩父杉を持参していて、高千穂神社の境内に植えたのだとか。これがいまも樹齢800年の巨樹として知られる秩父杉です。
巨樹026
— 九州巨樹写真 (@Kyoju_g) 2020年4月1日
”秩父杉”
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井
高千穂神社
樹齢 800年 pic.twitter.com/UMmYPxtpah
樹齢800年
高さ55m
太さ9m
(2022年現在)
高千穂神社でも、男衾に結びついているということで。
ひょっとして畠山重忠は、男衾の小被神社で瓊瓊杵尊が祀られているということで、男衾が高千穂に重ねられた土地であると知ってたんですかね。
それで高千穂神社を訪れ、参拝し秩父杉を植えたのかもしれないです。真床追衾と男衾についても、気づいてたのだろーか。
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