たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

名は体を表すとか。

 

古今東西漢字文化圏では、漢字の持っている意味や成り立ちを重視し、人の子や土地に命名してきたのでした。21世紀でも同じ傾向があり。 最近、土地の開発の際に昔の地名を消してしまって、何の変哲もない「中央」だとか「東」「西」「南」「北」みたいなつまんない名前に変えてしまう傾向があるんですけど。なんなんすかね。

ココ数日、飛騨について考えていました。その結果。

 

斐陀と蛇神信仰

 

中部地方岐阜県は、飛騨の古名を持ってましたが、飛騨について最近気づいたこと。 

飛騨というのは、元は「斐陀」と書きました。斐陀国造、斐陀国。

飛騨と書くと「ひだ」としか読めないんですが、斐陀だと「いだ」の音もあると気づきますね。

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「ベーシックアトラス日本地図帳」より

 

「いだ」というのは蛇と関連付いている言葉だというのは知ってましたか。

【委蛇】いだ

①うねうねと這い回るようなさま。②なよなよとしたさま。③すなおにものに従うさま。④旗のひるがえるさま。

【委】[古訓]ウルハシ

(学研漢和大字典)

 ウルハシとは蛇の異名。倭をあらわす「委」がウルハシなのは意味深なんです。むかし倭国は「委奴国」という名前だったみたいなんですが。

「麗し(うるわし)」というのは美しいことを言うのですが、ヘビが美称に用いられてる理由は、古代倭国の蛇神信仰の名残りだからなんですね。

記紀を見てもわかりますが、神世七代の神にはけっこう蛇神が含まれてるんですよ。崇神天皇は蛇神大物主神を祀ったりしましたし。

 

同書で斐と陀についても調べてみると、

【斐】あや

[意味]左右対称になった模様。模様や飾りが美しい。

[解字]非は羽が左右の両側にそむいたさまを描いた象形文字。「文(もよう)」左と右と対象するもよう。

[古訓]ウルハシ

 ウルハシ

 

【陀】[解字] 蛇と同系のことば

【蛇】[古訓]ウルハシ 

 

つまり斐陀というのは古訓で「ウルハシ・ウルハシ」で、その意味は「蛇・蛇」なんすよね。

ここで忘れていけないのは、「斐」は左右対称の羽がついていること。

つまり斐陀とは本来は「翼ある2匹の蛇」を表してるのですよ。

 

話は戻って「いだ」ですけど。これは弥生時代後期の西暦57年に後漢からもたらされた金印の「委奴国」と関係してるんではないかと。「後漢書」では、

建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

ここに登場する「委奴国」は福岡市の付近で、倭の極南海(最南端)で、この当時は朝鮮半島南部~九州が倭国の領域だったと見られるんですが。とか言ったら韓国人は混乱してしまいそうですが、「後漢書」と「魏書」の倭人伝、韓伝、それに「日本書紀」を見る限りでは任那弁韓と呼ばれた地域が倭人居住域だったのは間違いないでせう。

 

委奴を「いだ」とするなら「斐陀」と同じになってきます。おそらく九州の委奴国は、のちに伊都国と奴国にわかれるんだと思います。伊都国は九州の福岡市付近です。

奴国は福岡市付近と、本州の中部地方にあったんじゃないかと思いますが。それが信濃国美濃国大野郡伊那郡、恵那郡など広域的な「奴=濃・野・那」の地域。

そして委奴=斐陀なので、斐陀国も。

 

この地域が「魏志倭人伝」に出てくる「狗奴国」に対応するとは、「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」と電子書籍「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」でも書いてますけど。

 

翼ある2匹の蛇?古代オリエントメソポタミア研究やアメリカ大陸の歴史を知ってる人なら、ピンと来ますけど。

「翼ある2匹の蛇」

 

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Ningishzida - Wikipedia, the free encyclopedia

ニンギシュジッダ

メソポタミアの冥界の神。

シュメール神話によれば、ニンギシュジッダは、世界をつくった天空神アヌの宇宙神殿を保護する者。翼のある蛇として描かれる。

ドラゴンといっても間違ってないような感じ。東洋の龍には羽がないのは気づくと思いますが。羽のあるドラゴンというのは中東~欧州方面なのですよ。つまり斐陀は西の方面からきていることが考えられますが。縄文時代なのか弥生時代なのか。

それはさておき。

 

飛騨と騎馬民族

 

斐陀のあとは飛騨。

飛騨とは「飛・馬・単」で、「一頭の馬が飛ぶ」んですよね。

日本列島に馬が入ってきたのは、3世紀~4世紀以降となっているんです。

つまり「翼ある蛇の斐陀」が何故か「一頭の馬が飛ぶ飛騨」に取って代わられた様子がわかるんですね~。これはつまり蛇信仰だったのが、馬を扱う文化の集団に変わっていることを意味するのかと。まぁこれが「名は体を表す」から導かれる答えなんですけど。

 

で、最初に奴国があった中部地方が、騎馬民族的な思想に変ったというのは理由あります。中部地方というのは「匈奴系地名」に変遷したからなんですね~。

以前の記事で

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

で書きましたとおり、

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中部地方を中心とした古地名は、「匈奴系地名」だったんすね。

飛騨はHi-Daで、匈奴Hiun-Doと子音の一致が見られますね。

おとなり信濃Shina-Noは、匈奴Xiong-Nuがションヌ、ショナヌ、シナノ ですよ。

京都も匈奴そのまんまですしね。

 

で、これを表すのが「一頭の馬が飛ぶ=飛騨」なんではないかと。

中国の故事「天高く馬肥ゆる秋」略して「天馬」なのですが、これは本来は匈奴の馬を意味していて、「天馬」は「飛騨」に対応してることがわかりますね。

飛=天

騨=馬

こうゆうことだったんではないかと。だから飛騨に騎馬民族が関係してるってことなんですよ。

 

ちなみに匈奴の神話で、「狼を始祖とする」っていうんですが、騎馬民族だった匈奴烏孫突厥などは、みんな狼を先祖としていましたね。

その狼はどこから来たか?

突厥の神話では「西の海からやってきた」って言っているので、地中海・黒海地方にいた民族が、東へ向かった、それが匈奴の祖先ってことなんですよ。

 

更に付け加えると、飛騨に入っているのは、匈奴単于を輩出する「攣鞮氏」ですよ。何故かと言うと。

【攣】レン①ひく

【鞮】テイ①平らな皮革。

攣(ひ)鞮(だ)

ですね?

 

ところで御嶽山(おんたけさん)ですが、これは匈奴のあと突厥が本拠を置いた「ウトケン山(都斤山・鬱督軍山)ですかね。ウトケン山、ウントケ山、オンタケ山なんちゃったりして?

 

 匈奴のルーツとしては、もう目星は付いてますが、ヒッタイトですかね。匈奴ヒッタイトの音写のように見えますし。匈奴は古くから製鉄もしてましたし。

彼らはシュメールの翼ある2匹の蛇の民の末裔なのかもです。なんらかの関係はありそうです。

それから気になるのは「委」と書いて「ユダ」ですよね。深い意味がありそう。こういうのは上古の日本語、古訓、漢字の音読み、訓読み、呉音、漢音を使いこなす日本人じゃないと、解読不能になってるみたいです。

 

地中海地方(ヒッタイト)→匈奴(攣鞮氏)→倭の委奴・斐陀に合流→飛騨→岐阜

ということが想像できますけど。

 

それで「飛騨の口碑」というところで、飛騨こそが高天原で倭の中心だと言っているのですが。おそらく元々は委奴=斐陀が日本列島を統治していた王族の民なのでした。そこに匈奴の攣鞮氏が乗っかってきて、騎馬民族なので飛騨に改称されていることで頷けますね。高天原匈奴の信仰したテングリと結びついていますし。

あらゆる大和民族が、大陸から移ってきて、土着の倭人と融合しているんじゃないか、と考えてよさ気ではないですか。

「名は体を表す」から導いた想像ですが。膨らんでしまいました。では。

 

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春日部連続爆弾テロ事件

最近、家の前で爆弾テロ起こされてます。

10月から都合10日間くらい、我が家の前で小型爆弾が爆発してます。

けっこうイライラ・・・。

 

彼らの目的。

我が家前では頻繁に、不特定多数で執拗に大声で罵声を浴びせてくる連中がいる。絶叫や大声での咳込み、歌をうたう、大爆笑を聞かせ、大声で会話を聞かせる、クラクション。うちの前だけ、いろんな嫌がらせを多発させることによって執拗に精神的な苦痛を与え、イライラさせ面白がる、それによって利益が発生し享受してると見られる。

いわゆる権力が配下の集団をつかって個人を追い込む集ストですが。賭け事にも関係してるらしい。人間競馬っていうらしい。

俺が暴力事件とか自殺衝動を起こすよう、誘導するのも目的と見られる。

 そういえば淡路島。記憶に新しい、平野達彦が大勢から執拗に粘着されイライラさせられ、追い詰められて殺人に至った事件。彼の名前、ローマ字表記にすると俺に似てるので、関連付けられていることが想像できる。目的も同じなんじゃないかと。

 

爆弾テロ実行犯の手口。

近所の爆弾テロ実行犯は、朝の7時過ぎか7時50分過ぎに、爆弾をしかけて炸裂させます。

この爆弾は直径1センチ程度。踏むことで爆発を起こすタイプと見られます。

我が家の前までやって来ると、車道に爆弾をセットし、通行する車が踏むことで炸裂。

火薬を使って発火させ爆弾するので、立派な爆弾です。2~3個セットされると、道路を走る車が踏むことで、パン、パン、パン、と炸裂音がひびく。

実行犯は朝6時50分過ぎか、7時40分過ぎに自宅を出ているでせう。11月5日(木)の場合は、昼の13:38に爆発が発生。この時間帯にうろつくヒマがあったとか。複数犯なことは想像つきます。

これをわざわざ、我が家の前に連日のようにセットしていく。

 

明らかに連続爆弾テロ事件。なので通報しますた。m9( ゚д゚ )

 

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グーグル気象衛星画像にクローン雲が出現?

朝ですが、グーグルの気象を眺めていると、へんなことに気づいたんですけど。

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これですけど。拡大すると

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同じ形の巨大な雲が、2つあるんですけど・・・???

足が生えてるみたいな、細部まで同じ形の雲が2つ・・・。

気象でこんなことがあり得るのですかね。

 

www.tenki.jp

ここのサイトで確認したんですが、

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右側の◯の雲が、足が生えてる雲。左側には無いみたいだ。

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この雲はニュージーランド沖で発生し、ニュージーランド沖で消滅しているらしい。

オーストラリアのタスマニア島の南側には、出てない。

するとグーグルの気象画像にある、タスマニア島南方の同じ形の雲は、いったいなんなのだろう。

 

Japan Meteorological Agency | Satellite Imagery

ここでもよく分からんかった。

 

グーグルの気象衛星は、何を映し出したんだろう?同じものが2つ現れる・・・なにかの前兆を表している?

エラーか、それとも。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、

うちの前で、毎朝わざとらしい咳をするのが、近所のおっさんの間で流行っている。

田んぼで野焼きをしていて、焦げ臭い空気は流れてくるが、半径100メートルほどでは、うちの近所のおっさんだけがゲホゲホと勤しんでいる。臭いという演技をしているのだろうか。ゲホゲホすると、お小遣いになるんだろうか。

あるいは毎朝ゲホゲホと、未知のウイルスをばらまいているんだろか。一年中うちの前で、無理やり出すようなわざとらしい咳をしているおっさん数人。働きに出て行った先でもゲホゲホやってるんですか。

中学生は毎朝のようにうちの前だけに爆弾を仕掛けていき、車に轢かれた爆弾は、パン!、パン!パン!と爆音で炸裂。

連続爆弾テロ事件が、我が家前で起きているのである。

幼い子供は狐に憑かれたようにキャーー!キャー!おっぎゃー!と大絶叫。たまに中学生、高校生もうちの前だけ、大絶叫して通り過ぎていく。

車はうちの前だけクラクション、パー、ピー、プー。

近所の国道16号では、ダンプカーが歩道に突っ込み死亡事故。1週間に1人の割りあいで行方不明者発生の防災放送。振り込め詐欺発生は毎日らしい。

そんな光景が日常的でふつうな、春日部市

 

自宅前での人々の暴走について、人に聞いてみると、

「そんなこと、あるわけねーって」

「知らねーよ」

「気のせいよ、うふふ」

 

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中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中央アジアの紀元前2世紀、烏孫の王である昆莫。実は昆莫の本名が「イワレビコ」という名前で、「漢書」「史記列伝」に記録されていたとしたらどうしますか。

もしそんなことがあったら、神武天皇諡号イワレビコ」なので、昆莫と神武天皇が同一人物か、かなり関係していると見ざるを得なくなります。

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・・・「絶対にこうである」「私の意見こそ正解である」

というのが「断言法」ですが。

 

デジタル大辞泉の解説

だん‐げん【断言】

[名](スル)確信をもってきっぱりと言いきること。「絶対に失敗はないと―する」

 

こういうのは、定説から外れた意見を述べてる場合、間違ってるリスクが発生しています。

そもそも断言しておいて、外れてしまい、後で間違ってました(てへ)と、訂正する時のことをまるで考えてないんじゃないかということで、難しい所なんですが。

これはアマチュアの自分自身にも、当てはまってくることなんすけど。

逆に断言しておいて正解だったと証明された場合、さすがと尊敬されることになるんですけど。

 

たとえば歴史じゃなくてオカルトの世界でいうと、

ノストラダムスの予言によれば1999年に世界が破滅する

・マヤの予言によれば2012年に世界が破滅する

・2012年に人類はライトボディになり次元上昇しアセンションする

・マヤの予言によれば正しくは2015年9月に世界が滅亡する

ユダヤの終末論によれば2015年9月に世界が破滅する

・あいつが毎日騒音出してるんだよ(騒音を俺のせいにされた)

 

・・・これらはぜんぶ外れてましたね。マヤの予言なんかは訂正しても外しましたので。なんで彼らは、大々的に外すんだろうか。

 

リスクありすぎなのが断言法である(断言)。

「絶対に破滅する間違いない!」とか言っておいて外れるのだから。

「もしかしたら世界が破滅しちゃうかもよ(外れたらスマソ)」みたいに言っとけば問題ないと思うのですが。

 

断言法の対局にあるのが「推量用法」とかいうもので

「~ではないか」「~と考えられる」「~と推定(想像)する」「可能性がある」「かもしれない」「おそらく」などと推定して可能性を提起するものですが、たぶん歴史作家や研究者でこちらの表現法を好む人のほうが多い、というのは断言法のリスクを知ってるからでせう。

デジタル大辞泉の解説

すい‐りょう〔‐リヤウ〕【推量】

[名](スル)
1 物事の状態・程度や他人の心中などをおしはかること。推測。「胸中を推量する」「当て推量」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まあ関係ない話をしてみましたが、烏孫の昆莫について新たにわかったことがあるのです。こちらがメインの題目。

 

 烏孫の昆莫王は神武天皇と同一人物である。

あえて断言してみましたが、少なくとも可能性はあるということは言えます。

 

いままで神武天皇烏孫の昆莫と同一人物であることについて、適当に研究したことの記事はこちら。 

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

第2代綏靖天皇と、烏孫の軍須靡の名が似すぎている件

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 1

古代の君主号を見ることで分かる天皇と大和民族のルーツ

まあ想像してるだけなので暇つぶしにどうぞう。

 

 で、いままでのおさらいとしては、

 

神武天皇を分解すると神武(Jin-Mu)で、これは(Kan-Mu)(Kan-Bu)と読むこともできるんです。

一方で烏孫の王、昆莫です。

昆莫は漢字の上古音で(Kuen-Mo)ですが、漢音だと昆莫(Kon-Bak)で、神武天皇と全く同じになることに気づきま専科。

神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │

昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │

一致していますよね。

 

神武は淡海三船によって、意図的に昆莫の名に合わせられているというわけなのです。え?疑わしいですか。。

では神武天皇と昆莫の皇后の名前が、仮に一致していたらどうですか。え?神武天皇だけにとどまらず皇后名までも?ときたら。まさか・・・。

 

神武天皇の后は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。

一方で烏孫の昆莫の皇后は、江都公主というんですが、本名は劉細君リュウ・サイクン)というのです。

媛蹈鞴五十鈴媛命江都公主、劉細君・・・・・・ぜんぜん接点が無いですね、残念でしたというのが、従来の短絡的な見方です。

でも媛蹈鞴五十鈴媛命というのは、漢字を充てていることを念頭に置いて見てみると、違った答えが出ます。

鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。

 

鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君  │Ryu │ Sai │Kun │

 

古事記の方を見ると

劉細君   r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気  ra-i - su - ki

 

 一致しているように見えませんか。別の解釈でも。

五十 │Go │ To │(五=ゴ、十=トオと読んだ場合)
江都 │Go │ Tu │(江=ゴウと読んだ場合)

五十 │ I │ To │(五=イと読んだ場合)
江都 │E │ Tu │(江=エと読んだ場合

日本語の漢字の読みをした時に、暗号のようにして一致するように、日本書紀では漢字を選んでいるんです。

 

で、子息の名も一致してましたら、どうしますか。

 神武天皇の御子に手研耳命(たぎしみみのみこと)という人物がいます。

耳を手で研いだんですか?いや、そんなんじゃありません。これも本来「たぎしみみ」という音に、漢字を充てているだけです。

で、烏孫の昆莫の王子に、大禄という人がいました。当時の発音だと多分「ダルク」というのです。

 で、これも一致して無いように見えて、却下というのが一般の捉え方になるんだと思います。しかしなにか一つの特徴が見えてくるのですが、烏孫というのは、テュルク系の土地にあるのですよ。突厥、東湖、鐵勒、突騎施。これらユーラシア中央~東部の古代国家は「テュルク」の音写なのですね。テュルクが突厥、東湖、鐵勒、突騎施になってるんです。

で、手研耳に戻ると、これはTa-Gi-Si。突騎施はTur-Gi-Sh。なので完全一致ですよね。要するに手研耳命中央アジアにいて、テュルクの名を持っていたから、手研耳なのだと。これはまず覚えておいてください。

そしてつぎに大禄がダルクなのも、すぐわかりますけど、ダルクとはテュルクであると。

 つまり

神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク

 

もうひとつ。

第2代天皇綏靖天皇

諱(本名)は「日本書紀」によると「神渟名川耳」っていうのですよ。

古事記」では「神沼河耳」で、「かんぬなかわみみ」、「かむぬなかはみみ」。

 

この名前、烏孫の昆靡名(王名)にありました。

烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、

神渟名 kan-jou-mei日本書紀

神沼  kan-sho古事記

軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)

神渟名をカンジョウメイと音読みした場合、なんでこんなに似てるんですかね。。

「渟」は音読でジョウ。

 

さらに軍須靡には別名があって、「岑陬(ジンゾー・またはジンス/ジンシュ)」っていうのですが、これも神渟名川耳の中にちゃんとありました。

神渟 jin-jou

神沼 jin-sho

岑陬 jin -zou(jin-su/jin-shu)

神渟でも神沼でも、岑陬と一致させることができるんです。こんな偶然は無いんじゃないかと。つまり必然なんじゃないかと。

中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ - たっちゃんの古代史とか

この2つの記事を合わせた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ではここから、今回さらにわかったこと。

昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。

これは日本の漢字の読みでは「りょうきょうび」なんですが。

 りょうきょうび。りょうきょう?・・・琉球ってもしかして、もしかする?沖縄に神武天皇がいたという仮説があるらしいんですよね。すると、(1)烏孫の猟驕→(2)沖縄に伝播で猟驕が琉球→(3)沖縄に神武天皇がいた説完成、みたいな感じかもしれませんが。

 

それにしても神武天皇諡号や諱に当てはめてみても、ぜんぜん一致しませんね。それで一度は断念してたのですが、先日わかりました。

猟驕靡というのは、ある解釈法を用いることで、神武天皇の名前と一致しているようでした。

まず神武天皇諡号、別名、尊称を全て提示してみます。

神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)古事記
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)日本書紀
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)日本書紀
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)古事記
狹野尊(さののみこと)日本書紀
彦火火出見(ひこほほでみ)日本書紀

こんな感じになります。他にもあるかもですが。

そして、昆莫の本名である「猟・驕・靡」の漢字の意味を調べると、

・・・


りょう【猟〔獵〕】[漢字項目]
常用漢字] [音]リョウ(レフ)(呉)(漢) [訓]かる かり
1 狩りをする。狩り。
2 さがし求める。あさる

猟(リョウ)とは - コトバンク

「学研漢和大字典を引くと、古訓に「カサヌ」がありました。

 

 驕・・・

きょう【驕】[漢字項目]

[音]キョウ(ケウ)(呉)(漢) [訓]おごる おごり
おごり高ぶる。

驕(キョウ)とは - コトバンク


威張る(いばる)/おごる/付け上がる(つけあがる)/高ぶる(たかぶる)

おごるの類語・シソーラス - 類語辞書 - goo辞書

 

・・・

び【靡】[漢字項目]

[音]ビ(漢) [訓]なびく
1 他の力に従う。なびく。「靡然/風靡」
2 衰える。「萎靡(いび)」
3 はでで美しい。「猗靡(いび)」
4 おごる。ぜいたく。

靡(ビ)とは - コトバンク

 

 関係する言葉が出てきました。

 

猟 カサヌ・・・ サヌ  狹野(サノ、サヌともいう)

驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)

 なびく・・・ ビク  毘古(ビコ)、彦(ビコ)

 

つまり烏孫の昆莫の「猟驕靡」で、神武天皇の「狹野・伊波礼毘古」に合致しているように、見えてくるのですが。多少の誤差はあっても。

漢人が、烏孫の昆莫の名前「サノ・イワレビコを漢字に翻訳して、「猟驕靡」という漢字を当て、「漢書」「史記列伝」で猟驕靡の名が使われているということが考えられるのですよ。そうすると烏孫の言語は日本語に似てるということになりますけど。

すると烏孫の昆莫は、神武天皇であり、神武天皇烏孫に居たのが真相なんではないかと。それで淡海三船は昆莫に合わせて「神武」としたんではと。いろんな要素を組み合わせて考えると、そんな気がするだけですが・・・。

これは、やっぱ偶然ですかね。

 

といった感じのところも、歴史論文にちょっとづつまとめてますので、生きてたら公開します(無料で)。

 

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日本書紀・孝徳紀で随所に登場する鼠を語る爺さんの存在感

孝徳天皇(7世紀前半)の時代について「日本書紀」ではおもしろい記録があるんですよね。ギャグか、という気がしないでもないです。

 

元年冬十二月九日

天皇は都を難波長柄豊碕に移された。老人たちは語り合い、「春から夏にかけて、鼠が難波の方に向かったのは、都遷りの前兆だった」と言った。

 

二年九月

この年、越国の鼠が昼夜連なって東に向かって移動した。

 

三年十二月

渟足の柵を設けて柵戸(きのへ、柵に配置した屯田兵)を置いた。老人らは語りあって、「このところ毎年鼠が東へ向かって行くのは、柵が造られる前兆だったか」といった。

 

五年春一月一日

夜、鼠が倭(やまと)の都に向かって走った。紫冠を中臣鎌足連に授け、若干の増封をされた。

 

五年十二月八日

大阪磯長陵に葬った。この日皇太子は皇極上皇を尊んで、倭河辺行宮(やまとのかわらのかりみや)にお移し申された。

ある老人は語って、「鼠が倭の都に向かって行ったのは、都を移す前兆だったのだ」といった。

 引用文献「日本書紀(下)全現代語訳」宇治谷孟

 

なにか起こるたびに、鼠の移動に関連付ける爺さん。

編者の舎人親王の周辺に、こういう老人がいたのですかね。

ところで「日本書紀」のほかの記録で、これほど鼠が登場する時代は無いんですよ(強いてあげれば大国主の頃にもある)。

 

むかしは何か事が起こるたびに、これはなにかの瑞兆、吉兆、前兆、前触れ、凶兆、しるし、お告げだとか言ったようで、「日本書紀」では盛り沢山ですよ。ほかにも「これをこうして、こうなったら良いことが起こるだろう」みたいな誓いを立てて願掛けを行ったのが普通だったみたいです。

旧約聖書」も確かそんな感じがありましたが。

 

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日本書紀の天皇の時代に見られる超常現象

体のあちこちが痛いことがあり、近ごろは電子書籍の執筆は滞り、論文は少しづつ進み、お仕事は減らすといった具合ですが。

ブログを書き溜めてるのは、ブログ記事をまとめると、原稿のアイデアが浮かぶということもあるからなので。

それにしても、世界でも身近な日常でも、変なことばかり続いてませんかね。変なことが起きて、気づく人と気づかない人がいるみたいですが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ホントか嘘か、昔から超常現象はあったみたいです。

「神代」では、天界から神が降りるふうな記述があるように超常現象だらけなのですが、神代以降の天皇の時代でも、そういった傾向があるので不思議です。

日本書紀」には地震・洪水・落雷などの災厄と同様に、多く見かけることが出来ますが、妙な出来事なだけに「そんなことあるわけないで症」と一蹴してしまうこともできますれども。

たとえば「日本書紀(下)全現代語訳」の天皇の時代を見てみると、以下のようにいろいろあります。

 

欽明天皇

十四年夏五月一日(あるいは七日か)

河内国から、「泉郡の茅渟の海中から、仏教の楽の音がします。響きは雷の音のようで、日輪のように美しく照り輝いています」と知らせてきた。

これを天皇が取らせると楠木であり、楠木で仏像二体を造らせ、それが吉野寺にあるとか。

 

推古天皇

二十年十二月二日

皇太子(聖徳太子)は使いを出して、飢えていた者を見させられた。使いが帰ってきて、「飢えていた者はもう死んでいました」といった。皇太子は大いに悲しまれた。そしてその場所に埋葬し、塚を築かれた。数日後、皇太子は近習の者に語って、「先日道に倒れていた飢えた人は、普通の人間ではあるまい。きっと聖者だろう」といって使いをやって見させられた。使者が帰ってきて言うのに、「墓の所に行って見ましたら、墓は動いておりませんでしたが、あけて見ると、屍は無くなっておりました。ただ衣服だけがたたんで棺の上にありました」といった。

キリストの復活の伝説を取り入れたか、という。景教が入ってきた影響。

 

二十六年

河辺臣えお安芸国に遣わして船を造らせた。山にはいって船の材を探した。たいへん良い材があったので切ろうとした。そのときある人が、「雷神の宿る木です。切ってはなりません」といった。河辺臣は、「雷神とはいってもどうして天皇の命に抗することができようか」といって、多くの幣帛(みてぐら)を捧げて、人夫を使って切らせた。すると大雨となり落雷した。

 

二十七年夏四月四日

近江国から、「蒲生川に何か不思議なものが浮かび、形は人のようにも見えます」と言ってきた。

 

二十七年秋七月

摂津国のある漁父が、堀江に網をはっていた。何かの物が網にかかった。その形は赤子のようでもあり、魚でも人間でもなく、何とも名づけられなかった。

 

三十五年春二月

陸奥国で狢(ムジナ)が人に化けて、歌をうたった。

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(この絵は ムジナ - Wikipedia 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「狢」より)

ムジナというのはアナグマハクビシンだというが古来は妖怪の類をいったとか。

 

舒明天皇

九年春二月二十三日

大きな星が東から西へ流れ、雷に似た大きな音がした。人々は「流れ星の音である」といい、あるいはまた「地雷(つちのいかづち)である」といった。

僧旻(そうみん)は「流れ星ではない。これは天狗(あまつきつね)である。その吠える声が雷に似ているだけだ」といった。 

 

十二年二月七日

星が月の中に入った。(凶事とされる)

 

皇極天皇

二年十一月一日

(山背大兄は)ついに子弟妃妾(うからみめ)と諸々に自決してなくなられた。おりから大空に五色の幡や絹笠が現われ、さまざまな舞楽と共に空に照り輝き寺の上に垂れかかった。仰ぎみた多くの人々が嘆き、入鹿に指し示した。するとその幡・絹笠は、黒い雲に変った。

幡というのは仏教で用いられたパターカーのことだそう。

幡 - Wikipedia

絹笠というのは百済から入ってきた唐傘のことで、和傘ともいう。

傘 - Wikipedia

 空中に四角形や円形の物体が浮かんでたんだろうか・・・。

 

四年春一月

岡の峯続き、あるいは河辺、あるいは宮寺の間に、遥かに見えるものがあり、猿のうめくような音を聞いた。ある時は十ばかり、ある時は二十ばかり、行ってみると、物は見えなくて、なお鳴きうそぶく音が聞こえた。しかしその姿を見ることは出来なかった。

──古い本に、この年、京を難波に移し、板蓋宮が廃墟となる兆しであるとした。人々は、「これは伊勢の大神のお使いである」といった。

これは蜃気楼だという。

 

斉明天皇

元年夏五月一日

大空に竜に乗った者が現われ、顔かたちは唐の人に似ていた。油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方から、生駒山の方角に空を馳せて隠れた。正午頃に住吉の松嶺の上から、西に向かって馳せ去った。

 

七年五月九日

天皇は朝倉橘広庭宮にお移りになった。このとき朝倉社の木を切り払って、この宮を造られたので、雷神が怒って御殿をこわした。また宮殿内に鬼火が現れた。このため大舎人や近侍の人々に、病んで死ぬ者が多かった。

宮殿内の鬼火とは霊魂なんだろうか。この頃からヒュ~ドロロな感じである。

 

秋七年八月一日

皇太子(中大兄)は天皇の喪をつとめ、帰って磐瀬宮につかれた。この宵、朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた。人々は皆怪しんだ。

 鬼というのは蝦夷か粛慎のような異民族かとも。

 

天智天皇

十年十二月十七日

讃岐国の山田郡の人の家に、四本足のひよこが生まれた。また宮中の大炊寮に、八つの鼎(釜)があり、それがひとりでに鳴った。ある時は一つ鳴り、ある時は二つ、ある時は三つ一緒に鳴った。またある時は八つ共一緒に鳴った。

 

 あと月食や彗星の記録もかなりあるようです。こうした点に注目しても面白く、すらすら読めます。

引用文献 「 日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)」宇治谷孟。はオススメ。

 

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グーグルアースで謎のライン

 

いつも見ているグーグルアース。

縮尺を変えると気象の様子が映ります。

 

ユーラシア大陸に白い点線が入った。

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ユーラシア大陸からインド洋にかけての範囲。

なんだか。

 

過去にはこんなことがあったとか。

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http://www.news.com.au/lifestyle/real-life/bueau-of-mereology-cant-explain-mysterious-patters-on-radar-system/story-e6frflri-1225848774377

 

単なるバグか、それとも電波ゆんゆんといった感じですかね。

 

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関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

 

このブログに表す妄想の内容を、もう少し精査検討して、低学歴の論文に加えていきますので、宜しく。

 

以下は大本の出口王仁三郎が口にしていたという「日本雛形論(日本は世界の縮図)」を発展させたものです。

従来の日本雛形論では、本州にユーラシア大陸、九州にアフリカ大陸、北海道にアメリカ大陸などと、似た形を合わせていたと思うのですが、このブログでは古地名同士の結びつきを優先して考えています。

調査を進めるにあたっては、漢字表記で対応させてみること、そしてローマ字表記にすると見えてくるものがあります。また、最も大きな自治体の単位である、国・郡や、国造(くにのみやつこ)県主(あがたぬし)といった単位を優先して見ていく必要があります。

 

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作成した対応図です。図上には分かりやすいところを表示したのみです。実際には以下の通りに、かなりの一致が判明しています。

 

関東地方の対応

大陸  日本列島

鄒牟ーー牟邪志(むざし)国造 牟で鄒牟(朱蒙)をあらわす

扶余ーー武蔵(ぶぞう)国

チチハルーー知々父国造・秩父郡

扶桑ーー総(ふさ)国

大倭ーー安房(あわ)国

新羅ーー新羅(新座)郡

高句麗高麗(こま)郡 高句麗王族末裔、若光の移住地

高句麗ー車評(群馬郡 句麗→クル→車→群馬

馬韓ーー馬来田(うまくた)国造

百済ーー久良岐郡(久多良岐)

東夷ーー夷隅(ゐすみ)郡 東夷とは扶余・高句麗三韓倭人

東胡ーー多胡郡・多賀郡

月氏ーー河内郡(下野)・久慈郡葛飾郡 月氏東夷に入り込んでいる

漢ーーー神奈川

魏ーーー甲斐 魏をギイとすれば甲斐となる

 

2世紀~5世紀頃のユーラシア大陸地名を日本列島に移動して、日本列島をユーラシア大陸の雛形としているのですが、当初は民族も該当地にそのまま移動していたかもです。

 こちらも参考

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

 

中部地方はこちら

匈奴中部地方に対応することについてはこの記事が詳しい。

騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1

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酒船石は「サカ匈奴石」な証拠

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 こんな記事も関連

日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった

 

近畿地方の対応

 

大陸  日本列島

月氏ーーー河内(かわち)国  月氏→かっち→かわち

烏孫ーーー宇陀郡宇治郡和泉国 usun→uzun→uda・uzi・izumi

サカーーー大阪(烏瑳箇) 大サカという感じ

タジクーー丹敷(たじき)戸畔 丹敷は日本書紀では「にしき」だが

キルギス紀伊国

タリムーー鳥見(とりみ)山

タクラマカンーー高倉下

イッセドネスー伊勢 天山山脈の東

トハリーー針間国

堅昆ーーー剣根 堅昆は烏孫の北東の国、剣根(けんこん)

アフガンーーー淡路 af-gan=af-gi 

イシクーー磯城郡・石切

カブールーーカブラ崎 古事記のみに登場 kabul=kabula

アルサケスーー荒坂津(あらさかつ)アルサケス朝は紀元前248年成立 Arsaces=Arasacats

難兜ーーー那智 熊野那智烏孫の初代王・難兜(nantu)が那智(nati)に反映

丹波ーー吐蕃

釈迦ーーー釈迦ヶ岳

月氏ー大宣都 徳島は阿波というが、別名を大宣都比売という(古事記

バルハシ湖ー琵琶湖 Balk-Hasは、Bi-Haで対応する

 

アフガニスタンと淡路の発音の一致については思うところがあって、

「アーリア人の始まりの土地・アフガン(af-gan)」を、日本神話では

「大和民族の始まりの土地・淡路(af-gi)」だというふうに置き換えていると見えますけども。そう見える気がするだけですので。

 

奈良県南方の吉野郡には、釈迦や仏教に関係する山が幾つかあるのです。一部だけ表示していますが、これは大陸の釈迦と仏教の誕生地に合わせていると見られました。

 

まあ想像が膨らんで止まりませんが、この「新日本雛形論」が、もしかしてひょっとして真実だとしたら、日本史学で培われてきた日本史解釈の本道「日本の歴史は日本列島起源」みたいなところは完全に否定というか破壊する方向になってきますが。もし日本の地名や民族の起源が、ほとんどユーラシア大陸の紀元前~紀元後の諸国・諸民族にあるのがほんとだったら仕方がない。相手にされないかもしれませんが、このあたりを烏孫起源説にからめて、好き放題に論文書いちゃっていますのでー。

俺は別に左翼とかではない、日本文化保存部なのですが、日本が古来よりシルクロードの終着地だったり仏教の受け入れたみたいなものが示している、本当の意味というのは、こういったことだったのではと考えるのですけども。

 

このような一致を作り出したのは誰か?ヒントはここ。

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった - たっちゃんの古代史とか

弥生時代後期の倭人(大和民族)に含まれた、大陸の諸民族(弥生人)。4世紀の秦氏よりずっと以前から倭人の中枢に入り込んでた。

 

ここまで一致していると、「じゃあ中央アジアより西は日本のどこに対応しているの?」というのも気になるところですが、既に大体分かっていますので(自分の中では)。そのあたりも死ぬ前に洗いざらい白状して、寝耳に水な状態が続いてまいります。

 

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フランツ・カフカの変身とニューネッシーと毒虫小僧

俺が生まれた1977年。

この年の大きな出来事としてはこんなことがあったんですが。

 

ニューネッシー

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写真はニューネッシーウィキペディア)の英語サイトより。

 

ニューネッシーとは、1977年4月25日午前10時40分(現地時間)、日本のトロール船「瑞洋丸」(2460トン、乗員87名)が太平洋上(ニュージーランドクライストチャーチより東へ約50km離れた海域)で引き揚げた、巨大な腐乱死体。

 

全長約10メートル、重さは1800キログラム、首の長さは1.5メートル。撮影された5枚の写真は多数のマスコミに大きく取り上げられ、その形態が首長竜に似た姿をしていたため、ネッシーにちなんで、ニュー・ネッシーと名づけられた。

瑞洋丸が商業漁船であり、「巨大な死体を積めないこと」と「激しい腐敗臭」を理由に、死体のヒゲ状物数本を除き、引き揚げられて1時間後に、死体は再び海中に投棄された。引き上げた瑞洋丸の船員の多くは「あの腐臭は、いかなる魚のそれとも異なっていた」と証言している。

ニューネッシー - Wikipedia

このニューネッシーバルト海ソ連(ロシア)のコリトン島で保存されてるっていう飛鳥昭雄説があるらしく、単なるウバザメなら保存する必要もないのですよね。だからもしかするとロシアがこれを保存したとすれば、その理由は、「本当にプレシオサウルスという恐竜だったから」ということなんですが。すると実は、世紀の大発見だったということなんですね。ほんとなら。

この事件は周到に準備された、人の手が加わった事件だと思う。その理由は本編の最後に述べますね。

 

ニューネッシー発見の前年、1976年に発表された漫画がある。

 

毒虫小僧

1976年に発表されたホラー漫画。作者は日野日出志

主人公は日の本三平。父親は日の本太郎。三平は病弱で、なにをやっても駄目な子で、嫌われ者だった。

三平は昆虫が大好きだったのだが、ある日自分の体から、謎の毒虫を吐き出す。毒虫の毒が回った少年は、脱皮して完全に毒虫の姿になってしまう。

追い出され、街でひどい目に遭う毒虫三平は、やがて社会に対する復讐を始める。自分をいじめた人間を殺しまくる日々となった。

ある日懐かしい良い匂いをかいだ三平は、地面を掘ってそちらの方へ向かうと、そこは実家だった。全てを思い出して人間の心を取り戻した三平だったが、父親に発砲されて重症を負い、地中へと逃げこむ。

傷を負った三平は、太平洋のかなたへと流されていった。

 

 「少年が毒虫の姿になってしまう」これはフランツ・カフカの「変身」そのもののように見えますけど。

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変身 (カフカ) - Wikipedia

日本が明治45年(大正元年)だった、1912年に執筆された。主人公のグレゴール・ザムザが、ある日を境に巨大な害虫になってしまう話。

 

この作品の影響は大きく、1971年以降にマンガや特撮番組で絶大な人気となる、石ノ森章太郎の「仮面ライダー」は、フランツ・カフカの「変身」をモチーフとしているとか。

特撮ヒーロー番組『仮面ライダー』で、主人公が人間からヒーローキャラクターに姿を変えることを「変身」と呼ぶのは、本作品の題名に由来する

あらすじ(一部

ある日、優秀な科学者にしてオートレーサーでもある大学生・本郷猛は、世界征服を企てる悪の秘密結社・ショッカーに捕われてしまう。その能力に目を付けたショッカーは、アジトで1週間に渡って本郷をバッタの能力を持つ改造人間に改造する。しかし、本郷は脳改造される寸前、ショッカーに協力させられていた恩師・緑川博士に助けられてアジトから脱出。

それ以降、仮面ライダーとなった本郷は、ショッカーが送り出す怪人達を次々に倒していく。

仮面ライダー - Wikipedia 

 

ついでに、

1976年の毒虫小僧そっくりな漫画が、手塚治虫作品にあるみたいです。

ザムザ復活

主人公の名前など、フランツ・カフカの短編小説『変身』からの借用が見られる。
あらすじ野生動物が絶滅の危機に瀕する未来。野生動物保護区では死刑になる犯罪者を世界中から集めては野生動物に改造し、代用とし保護区に放っていた。ザムザは優秀な飼育員だったが、ライオンに改造された犯罪者の女性と恋に落ちてしまい、このシステムの非道性に気付いたが、所長に捕まり、クズ人間としてゴミ処理用のイモムシに改造されてしまう。本来は数か月で死亡するイモムシだったが、ザムザは長生きし、やがて羽化すると所長に復讐を果たす。

メタモルフォーゼ (手塚治虫) - Wikipedia

ザムザというより、明らかに日野日出志の毒虫小僧のほうに似てますけどね。どっちがオリジナルなんだろか。

これに似た、昆虫人間の復讐をテーマとした作品としては1958年の映画「ハエ男の恐怖」ですね。

ハエ男の恐怖 - Wikipedia

この映画は後の1986年に「ザ・フライ」としてリメイクされてますね。

ザ・フライ - Wikipedia

そういえばスパイダーマンも、蜘蛛に咬まれてスーパーパワー得たとか。

人間が虫になってしまうという内容の本家はフランツ・カフカなんですかね。

ま、そんなことはどうでも良いんですけどね。

 

 

1976年、日野日出志が毒虫小僧を発表、毒虫小僧が太平洋へ流されていった翌年、

1977年、太平洋上でニューネッシーが発見されている。

 

なんか繋がっているように見えませんかね・・・。

まさか俺も関係するとか。

 

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常陸国風土記の「美萬貴天皇」とは卑弥呼のことか

崇神天皇卑弥呼とする明確な資料は無いんですが、なんとなく分かることはあります。

たとえば「常陸国風土記」。

この中で崇神天皇を、「美萬貴天皇」と記しているんですよね。

 

日本書紀」  御間城天皇

古事記」   御真木天皇

常陸国風土記」美萬貴天皇

 

これは美萬貴と書いて「みまき」なのですが、なんか別の読み方ができるような漢字になってますね。美はbiの音があるので、これで卑弥呼と比較するとこうなるんです。

美萬貴 Bi-Ma-Ki

卑弥呼 Bi-Mi-Ko

 

卑もbiと読めることに注目。

子音を一致させて、母音を変化させるのが古代の倭の漢字の使い方としてあったと思うんですけど。あるいは母音を一致させて、子音を変化させても構わないとかですね。

たとえば

伊都(i-to)は仲哀紀では伊蘇(i-so)ですし。

末盧(matu-ro)国は松浦(matsu-ura)ですし。

月弓(tsuki-yumi)は月夜見(tsuki-yomi)など。

 

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沖ノ島 - Wikipediaより

 

日本書紀」で、玄界灘対馬海峡を宗像三神に支配させたのは、天照大神でした。宗像三神とは天照大神と素戔嗚命のあいだに生まれた神。

 

魏志倭人伝」で、玄界灘対馬海峡を対海国(対馬)などに支配させたのは、卑弥呼でしたね。

つまり玄界灘対馬海峡の支配者は、天照大神の末裔である天つ日嗣=天皇でなければいけないではありませんか。

このことは「日本書紀」でもちゃんと言われてるんですよ。「お前たち三柱の神よ、海路の途中に降り居て、天孫を助けまつり、天孫のためにお祀りをされよ」と(「日本書紀全現代語訳」より)。

普通に考えたら、玄界灘対馬海峡の支配者で、大倭王である卑弥呼は、天皇であるべきなんですよね。

 

玄界灘対馬海峡の支配者卑弥呼魏志倭人伝

玄界灘対馬海峡の支配者は天照大神の子孫の天皇日本書紀

(゚∀゚)(ピコーン)!

 

美萬貴天皇崇神天皇)と卑弥呼の発音を似せているのも、こうしたポイントを踏まえると、見えてきませんかね。崇神天皇の正体が、女王卑弥呼であることが。

常陸国風土記」の編者は、こうした情報を知っていて美萬貴を用いたように見えます。

だから「古事記」序文で、崇神天皇を「后」と言って女性天皇を表してるんだと考えられるのですけど。

 

ま~これも偶然でも構いませんけどね。

 

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