家形埴輪を見てると、なんかわくわくしてしまいます。そこにはかつてあった未知なる高層建築の姿が垣間見えるからなのです。
家形埴輪から古代が見える
今城塚古墳の埴輪のレプリカ
弥生末~古墳時代には、古墳を飾る埴輪が作られていました。埴輪とは死者を葬送し慰霊するアイテムで、人型埴輪は生贄の代わりに作られたのだだと「日本書紀」に書いてあります。
埴輪の中でも街の様子を知ることができるものが、家形埴輪でした。当時の建物をかたどったもので、住宅だったり神殿のようなものがあり。
現在の茅葺屋根の古民家に良く似てるものがあるし、千木や鰹木がついた、大社造の神社形も見つかったりします。
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しかし気になるのは、極めて特殊な形状の家形埴輪が存在していることです。
家形埴輪の高層神殿が、むかし倭にあったのか
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年2月10日
マヤのティカル神殿みたいな。
北関東の古墳を旅する 壬生地区の古墳群https://t.co/2fQ6SlQWEj
マヤ文明 ティカル2号神殿https://t.co/2hxHIDzjyk pic.twitter.com/XdY8f4eUCL
例えるならマヤのティカルの神殿みたいな高層建築があったり。マヤ文明は倭人が影響してると言われるんですが、まぁ色々似たところはありますし。
他にも古墳時代以前の倭には、逆さ台形、⌛型の奇妙な屋根の形があったりもしました。
佐味田宝塚古墳出土の「家屋文鏡」だとか、銅鏡や土器の表面などに、2階建て建築や逆さ台形の建物が見られますが・・・。
なにか今残ってる日本文化とは、異質な感じを受けてしまうものばかり。これが本来の倭人文化なのかと。
逆さ台形の屋根の茅葺き建築で調べると、インドネシアのトラジャあたりにはあるようです。古代に倭人と同じ様式を継承する人々が、東南アジアにいたのは興味深いとこですが。
当然ながら、古墳時代のそうした建築物っていうのは、朽ち果てて現存してないわけですが。
しかし当時の家形埴輪にある建築の、名残りを残しているものはあるみたいですね。
知られざる古墳ライフ: え? ハニワって古墳の上に立ってたんですか!?
神魂(かもす)神社
神代に創建されたという島根の神魂神社です。
古式の大社造で、室町時代1583年に再建された国宝の本殿。まぁ織田信長ら戦国武将の建物です。
全体的に、弥生時代の様式をそのまんま受け継いでる感じがしました。しかし屋根は逆台形にはなってないようです。
こうした建物って、防腐と防火の対策は徹底してるんですかね。
崇神天皇の頃に創建されたという、奈良県天理市の神社です。むかしの建築様式も残っているようです。
国宝の入母屋造の拝殿です。鎌倉時代初期の1200年頃の建物だとか。
茅葺屋根の上部がさらに反ると、古墳時代以前の⌛に近づく感じがします。
重要文化財の茅葺きの楼門。1318年の建築。屋根は⌛型に近く、古墳時代の2階建て建築の雰囲気はあるようだなと。
美山町(美山かやぶきの里)
伝統家屋を保存している京都の美山町です。江戸時代の茅葺き住宅が18棟もあるとか。
まるで古墳から出てくる家形埴輪のようです。⌛型屋根の様式でした。屋根が巨大で、てっぺんまで3階建てくらいある。
この家に高い基壇つけて、屋根を巨大にしてスマートな感じにすれば、ティカル神殿みたいな感じになるんではないかと。
しかし調べてみたんですが、弥生~古墳時代にあったティカル神殿みたいな建物様式は、すでに消滅して現存していないかもしれないです。
どこかの史跡公園で、復元して欲しい感じもしますが。
・・・・・・・
日本に古民家は150万軒もあり、神社は8万社以上もあるので、茅葺き建築も膨大に残ってるんですね。建て方も含め、保存していって頂きたいと思います。
ぽちられたすかり
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