かつての古墳時代の頃には、倭人の有力者の間では装飾古墳が流行っていました。これは鮮やかな顔料を使った壁画のある古墳でして、被葬者の生き様、特徴、信仰対象、好きだったものなどを描いてあるようです。それで装飾古墳には知られざる秘密がまだ眠ってると思いまして、自分なりに解き明かしています。とりあえず今回は竹原古墳です。
○いつも助かっております
竹原古墳とは
装飾古墳として全国的に有名な、福岡の竹原古墳です。完成したのは推定で6世紀後半というから、550~590年代。ちょうど聖徳太子の頃です。ウィキペディアで見ると、こうなってます。
竹原古墳
竹原古墳(たけはらこふん)は、福岡県宮若市竹原にある装飾古墳である。
神社の境内に位置する円墳で、1956年(昭和31年)3月、旧若宮町在野の考古学者によって発見された。墳丘は2段築成で、直径17.5メートル[1]。
石室は横穴式で全長6.7メートル。6世紀後半ごろの優れた壁画古墳として知られ、一対の「さしば」と呼ばれる団扇様の日よけや、龍、馬を曳く人、朱雀などが描かれている。
装飾古墳として歴史・美術史的に高く評価されており、1957年(昭和32年)2月22日、国の史跡に指定された。
ここは個人的に、なにか自分との関連を見出してしまいました。というわけで、特筆するのは運命的だったのかも。
北魏人の墓地だった竹原古墳
壁画については上の動物が青龍で、四神信仰が見られるなど、色んな研究はあるようです。しかし個人的に目を引いたのはこれ。
馬を牽く人の構図は北魏の石刻画象(写真下)に酷似する。かつ馬を牽く人物の服装につき、窄袖の丈の短い着物と太い袴を着て袴に結脚する胡服姿は特に倭人には印象的に映ったに違いない。馬面が龍面に描かれるのも北魏の石刻画象と同じであり違和感がない。それにしても、四神信仰や龍媒信仰などにみる大陸文化の香りは一体何を示唆しているのであろうか。
このサイトの解説によると、竹原古墳の壁画は北魏スタイルであるとか。
たしかに青龍そのものというより、龍と馬が合体した姿です。そして磐井君との関連を指摘していました。・・・北魏?と思って調べてみると。
北魏(ほくぎ、拼音: Běi Wèi、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し華北を統一して、五胡十六国時代を終焉させた。
北魏が鮮卑の拓跋氏より始まったのは4世紀の頃という。おそらく日本では神功皇后の時代、中国で繁栄した騎馬民族系国家だったようです。
龍面の馬を描くことで、この被葬者が北魏出身なことを示しているとか。確かに普通の馬ではなく、ギザギザとした長い尻尾があって龍のよう。
しかし他に北魏をあらわすような要素が、一見しては見当たらないですね。北魏出身という観点を支持して、他の要素はないのか探ってみることにします。
絵文字としての解釈をすすめる
ここでは壁画を巨大な絵文字として解釈していきます。古来より倭人は壁画に絵を使用し、意味を伝えてきたからです。
例えば◎は日を表す絵文字です。日という漢字の成り立ちが◎から始まったことに対応し、古代エジプトのヒエログリフにも対応してます。一般民衆が文字を持たなかった頃、絵で言葉を伝えるのが手っ取り早かったようです。
(1)荒波を超える様子は拓跋の「跋」
中央部をよく見ると、船が描いてあるのですが、馬は当然ながら船で運んだと見られます。馬が少なかった当時の倭にとっては、極めて重要な人物だったにちがいない。しかし船からは北魏の要素は見えない。
沖縄の爬竜(ハーリー)でみられる、サバニという大型カヌーのように見えます。サバニは漕ぎ手が30人を超えるような船で、とにかくスピードが出る。倭人の船は、風をつかう帆船より、スピード重視で大勢乗り込み型が主流だったかも。
この壁画は下に荒波を描いているのですが。
武人が荒波を越える、踏んでるわけです。この絵によって、拓跋氏の「跋」を表していると感じられます。
跋
字源 会意形声。「足」+音符「癶」。「癶(=發、音:ハツ)」はふみつけるの意味を持つ。
意義 ふむ。ふみつける。こえる(越)。跋扈あるく。跋渉もとい。もと(本)。くびす。きびす。かかと。あとがき。書物の最後に書き記す文。
(2)さしばの門構えは拓跋の「拓」
さしばとは、うちわのような飾りのことです。昔の貴人はさしばを従者に持たせ、顔を隠させたとか。日除け効果というのですが、顔を見えづらくしたら、視線を遮ったり狙われにくい効果もあるのかも。
その他、さしばとは家柄を示す、紋章の役割もあったようです。丸い表面には、家紋のようなマークが入っていたりしました。
左右にさしばを置くことで門構えを成し、門を開く意味合いを持たせている。これにより拓跋の「拓(ひらく)」という意味が表されてるんではないかと。
拓
常用漢字表外 ひら-く、ひろ、つ
(3)さしばの紋章は竹の葉で「拓跋」をあらわす
するとさしばの絵柄も、拓跋に関係するとみた。
これはひょっとすると、竹の葉っぱを表した絵なのかもしれないと思いました。この古墳のある地名が、竹原であるから、竹の葉っぱを表していると見るんです。
要するに、竹の葉を描くことによって、拓跋を表しています。
拓跋→タクバツ→タクバ→タケハ→竹原
こんなふうに変遷してるようです。
壁画のさしばの紋章は竹葉であり、拓跋のことだったのだ。まさに絵文字。
拓跋氏出身の被葬者は、おそらく四神や龍面馬を信仰する有力な武人だった。彼は6世紀前半、民と馬を率いて海を渡り倭国に移住してきた。そして福岡の竹原の土地に拠点を持ったのでしょう。その物語を壁画に描かせたというわけです。
おそらくこんなふうな流れで、拓跋氏の拠点になった土地が、竹原になっているんでは。。ご近所の竹原さんもびっくり。
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