表面的な印象と、実際の真相は違ってることがあり。
○いつも助かっております
てことで
茨城県那珂市。ここに白河内古墳群2号墳という、ひとつの古墳があり。
7世紀初頭の古墳で、ちょうど推古天皇の時代で、聖徳太子(実在すれば)や小野妹子の時代・・・。
この石室には、水鳥の線刻画があるということらしく、
63.市指定文化財【白河内古墳群2号墳】 | 那珂市公式ホームページ
こんな感じ。
で、全体としては、
このサイトにある写真は「日本の古代遺跡」という本にあるとか。
以下の絵は、サイトの写真を元にして、できるだけ正確に自分で模写してみた、壁画の線刻画。
石室の線刻画には、どうやら水鳥と2本の樹木が刻まれてるとか。これが定説だということでした。でもこの2本の木って、ほんとに木だろうか?枝が少ないような・・・。
とりあえず周辺地図でも見ようかと。
ん~?周辺の地図を見ていると、なにか閃いてしまいましたが。
壁画の樹木と呼ばれてるものですが、実はこれって、、、
「樹木と呼ばれていたもの、実は那珂川と、久慈川の下流部を描いている」とか。
実はこれがビンゴだったりして?木の枝に見えるのは、道路ですね。集落の位置をあらわすのかも。地図を見ると、なんか橋が架けられてるように見えますが、古代に数百メートルの橋をかける技術はなかったと思うので、たぶんこれは飛び石みたいな感じの橋だったんじゃないですかね。平らな巨石を並べて置いたら渡れますしね。あるいは棧橋みたいなもの。
すると水鳥と言われている形状も実は、
「那珂川と涸沼川(ひぬまがわ)の地理的な状況を現していた」ことになるんではないですか・・・。
形が正確ではないから違う?
えー、地図を何も見ないで、ご自身の地元を代表する川の形、国道の形を、10キロほど描いてみてください。描き終わったら、地図と見比べてみて、どうですか。
21世紀になっても、記憶を頼りにして近所の川や道路の形を正確に書くなんて、無理ですよね。
測量技術はあったにしても貧弱な時代、頭の記憶だけで2つの川の輪郭を、これほど正確に描いている。そのことがわかるではないですか。
古墳の被葬者は、生まれ育った地元の地図をそばに置きたかったんですかね。
「白河内古墳群2号墳」の壁画は、間違いなく地図だとすると、問題は水鳥の「足」ですよね。
これはわたくしの超能力により、古代人の記憶を呼び覚まして確認取ってみたところ、
古代人「涸沼川がさ~水鳥に見えッペ?だから足つけてみたんだっぺよ(笑)」
「大勢が表面的に判断する印象と、実際の中身や正体は違っている」
あると思います。
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