たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

6世紀とされる仏教伝来よりずっと前から日本には仏教が入ってたのは確実

仏教伝来って、6世紀だって思い込んでませんか。教科書にそうあるので。

しかし実際には、弥生時代後期(3世紀)の頃までには、すでに仏教伝来してたんではないかという話です。

 

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日本書紀の3世紀の人物は

 

崇神天皇の時代、疫病と百姓の反逆の出来事が、日本書紀に書いてありました。これが「魏志倭人伝」にある倭国乱と同じであったと考えています。

また諡号など様々な要素が、崇神天皇卑弥呼の同一性を表すようにみえます。

すなわち卑弥呼がいた2世紀末~3世紀前半とは、崇神天皇が治めていた時代となります。

実はこの頃、すでに倭人の中に仏教と原始キリスト教が入り込んでいたのは間違いないと思っています。

何しろ倭はユーラシアの吹き溜まりであって、大陸諸民族の血統と文化を受け継ぐ、集合体が倭人と見られるからなのですが。

 

 

3世紀に仏教が伝来した証拠は「九州の山と伝説」にあり

 

英彦山 - Wikipedia

 

手元に「九州の山と伝説」という伝説の本があるのですけど。これがなかなか面白い本でして、以前に熟読しました。今も時々見ています。

本を開くと、九州では知られる山々についての記述があるんですよ。ここに妙なことが書いてあります

 

英彦山についての記述

p97

伝説によると、まだ日本に仏教が伝来しない時代、人皇十代崇神天皇(一説では西暦紀元元年の弥生時代中期)の御代、すでに日子山権現(権現とは仏の仮の姿)の霊神が、天竺から「東に向かって五つの霊劍を投げたと言われ、

p99

彦山には十の谷と四十九の岩窟があって玉屋神社の岩屋は般若窟ともいわれ、その第一号だという。ここは彦山大権現が垂迹した霊地ともいわれている。昔、十代崇神天皇の御代に八角の水精(水晶ともいう)の石が玉屋の岩屋に現われ、そこから神泉が湧出し、旱魃の中でも水が涸れることがなかったというが、天下に変があるときはこの水が濁ったという。

「九州の山と伝説」p97・p99 天本孝志より

 

阿蘇山についての記述

p115

阿蘇大明神の本地を千手(あるいは十一面)観音としたのは、このためかどうか明らかではないが、異説には神霊池の神は、八大龍王の一神である「和修吉龍王」の来現だとし、また神武天皇の兄が天竺(西方インドの浄土)に生まれ変わった青龍神(浄土東方守護の青龍)だという諸説が語り伝えられている。

「九州の山と伝説」p97・p99 天本孝志より

 

英彦山は日本三大修験山に数えられる名峰で、古くから天狗が住み、仏教にかかわる伝承も残されていたようです。

阿蘇山のほうは巨大な外輪山を持つカルデラ火山で、古くは倭の象徴とされていて、「隋書倭国伝」にも登場するやまでした。

この英彦山阿蘇山に、古くは神武天皇のときや崇神天皇の時、仏教の神霊、すなわち菩薩や如来が到達したという伝承が残っていたようなのです。

これは言い換えれば当時の大陸の仏教徒が九州に入り込み、仏教的な高位の存在と教えをもたらしたみたいなことかと思いました。

これが本当かどうか、確認することは不可能と思ってしまいますが。

実は崇神天皇以前より語り継がれた日本神話の中に、仏教的要素があることが分かっています。「日本書紀」を見ることでも、仏教的な要素は確認されたりもします。

 

 

山と高原地図 福岡の山々 宝満山・英彦山 (山と高原地図 57)

 

 

大国主の神話の中には仏教の地獄を確認できる

 

もうずっと以前ですけども、「大国主の神話の中に仏教の地獄が描かれてた」という内容の記事を書いていました。

大国主の時代というのは、推定3世紀に統治した崇神天皇よりずっと前のこと。神武天皇より前で、実在すれば紀元前の弥生時代中期以前と考えられます。

大国主が体験した不幸な出来事に、仏教の八大地獄に似たものがあったんです。

 

ここで大国主の物語に出てきた、ひどい状況を思い返してみると、

・美人の誘惑

・焼けた巨石で圧殺、焼殺

・兄軍団と殺し合い

・殺されて蘇ってまた殺されてまた蘇ってる

・蛇・ムカデやハチの部屋

・火を放たれ危うく焼死

・地下空洞

なんか八大地獄にあるすべての要素が入っているような。

 

・「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

 

これを仏教の八大地獄に照らし合わせてみると?

・美人の誘惑・・・推圧地獄

・焼けた巨石で圧殺、焼殺・・・黒縄地獄叫喚地獄焼炙地獄

・兄軍団と殺し合い・・・想地獄

・殺されて蘇ってまた殺されてまた蘇ってる・・・想地獄

・蛇・ムカデやハチの部屋・・・無間地獄

・火を放たれ危うく焼死・・・叫喚地獄

・地下空洞・・・無間地獄

 

といった感じなのです。😨大地震や気候変動より怖い地獄だらけです。

大国主の時代に仏教が入り込んでいたのだろうか。

それとも後の時代に仏教の経典が入り込んだというのだろうか。

 

 

神武天皇の御代に仏陀の名が登場する

 

 

さらに神武天皇についての記述の中にも、仏教的な要素が見られたのです。それについても2015年に記事にまとめていました。

神武天皇の時代は諸説あるのですが。崇神天皇の10代前と考えてみると、少なくとも神武の時代は紀元前2世紀と考えているところです。

要点を抜き出しながら解説してみます。

日本書紀」の神武天皇条に、仏陀の名前らしきものが登場してました。「日本書紀(一)」岩波文庫で確認できます。

内容を要約すると、神武東征の最中、神武天皇の一軍は、熊野で毒気にあたり、身動きが取れなくなってしまうのです。

そこに地元の高倉下(たかくらじ)というおっさんが現れます。

高倉下は「天照大神武甕槌神に命じて、神武天皇の元へ、邪気を払う神剣「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を降らせた」という夢を見たのです。

確認したところ確かに高倉下の倉庫に剣がありました。

神武天皇はこの韴霊剣の霊力によって、毒気を払って勢いを取り戻し先に進むことができた・・・

・神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは 

 

この神武を救った韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)には、以下のような注釈があります。

「此をば赴屠能濔哆磨(ふとのみたま)と云ふ」

ここに登場する赴屠(ふと)が仏教に関わるキーワードでした。

 

何かと調べると、恐らく仏陀(釈迦)のことなのではないかと思い当たりました。

デジタル大辞泉 「浮屠」1 《〈梵〉buddhaの音写》仏陀(ぶっだ)。ほとけ。

Wiktionary「浮屠」仏陀(buddha)の漢音訳。浮図と同時代で、仏陀より古い。

浮屠とは - コトバンク

 

それで韴霊は、読みを変えると「ゾウタマ」になるのです。

釈迦の本名といえば、「ゴウタマ・シッダールタ」ですが。

この「ゴウタマ」と掛け合わせるため、この霊という漢字を使っているのではないかと発想したんでした。

なかなか当時としては面白い発想ができてるなと、感心して読み返してみました。詳しくは記事のほうを読んでみてください。

 

 

まとめ

 

というわけで通説の仏教伝来の六世紀より、はるかに昔から仏教は倭の中に溶け込んでいたようです。

正式に認められることは難しいかもですが、教科書の枠内だけにこだわらないお勉強は楽しいと思います。では。

 

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