みたび三種の神器についての話。
去年から心臓の動悸、息切れがあり、なんか詰まってるという感覚もあるのですが・・・。数日前なんか体調おかしくて死ぬかと思いました。
爆睡とユンケル心臓薬と生玉ねぎ大量食いで、体調が戻ってきたこの頃です。死ぬ前に、八咫鏡についてまとめておこうと思います。
ていうかユンケル心臓薬効く・・・。
○いつも助かっております
八咫鏡の形とは
いま伝えられてる八咫鏡は、いわゆる銅鏡の種類というのが通説です。
銅鏡は紀元前の古代中国に発祥し、弥生時代中期から、倭国に持ち込まれたものでした。
ネットで八咫鏡をしらべたら、円形で大型内行花文鏡みたいな、一般的な銅鏡の形であるとの通説があります。
ほか、八葉の八角形状になった形体であるとの説がありました。
これについては、いわゆる日ユ同祖論に関連して、表面にヘブライ文字が刻まれてるとかいう話もあります。
以前入手した「日本ユダヤ超文明FILE」によれば、この八咫鏡の表面にはヘブライ語で、「我は有りて有る者」と書いてあるとか。
手元の「ムー 日本ユダヤ超文明FILE」古代文明研究会著、P58より
形についてまとめると、こうです。
1・円形の銅鏡)大型内行花文鏡形みたいなやつ)
3・手鏡型
4・立体の三角錐
と仮説が色々。
ウィキペディアにこうあります。
天照大御神の「御神体」としての「八咫鏡」は神宮の内宮に奉安されている。
神道五部書や類聚神祗本源等によれば、この「八咫鏡」の見分記録には「八頭花崎八葉形也」、「八葉中有方円五位象、是天照大神御霊鏡座也」とある。
この「八咫鏡」は、明治初年に明治天皇が天覧した後、あらためて内宮の奥深くに奉納安置されたことになっている。
この「神宮の八咫鏡」の「最初の姿と大きさ」は、考古学者原田大六によれば、福岡県糸島市にある「平原遺跡出土の大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)と、同じ形状で同じ大きさのものではなかったか」と考察して、それを著書に記している。
これは『延喜式』伊勢大神宮式、『皇太神宮儀式帳』において、鏡を入れる桶代の内径が「一尺六寸三分」(約49センチ)としており、46.5センチの大型内行花文鏡を納めるにはちょうど良い大きさであることから。
原田によれば「御鎮座伝記を読み解いてみると、約三回ほど内宮の火災があり、このいずれかに焼失してしまい(一度だけとは限らないかも、とも)、その時に新たに作り直された八咫鏡は、現在に残る桶代(御神体の入れ物)の大きさから推定して、直径46.5cmの大きさではなくなっている」という。
また、「図象も実際に見て模写するべくもないであろうから、これも変化しているだろう」という[3]。
あるいは近代までに火災で3度も焼けて原型を失い、形もわからなくなったとか。なんという、ずさんな管理。
その挙げ句、いまのまん丸な銅鏡形だったことにして、三種の神器として納められた経緯があるとか。なんて適当な管理。
いま伝わる八咫鏡は完全なレプリカで、壇之浦から引き上げたとか言いますが、沈んだままだとかいう話もあります。
ということもありましたが、日ユ同祖論者は「八葉形の八角形」が本物だとか、まことしやかに語ってたりしますね。
日ユ同祖論を信じてる人は、先程の画像こそが本物だとか、思っちゃったりしちゃったりしてませんですか?
しかし自分としては、結局のところ上記の
1・円形の銅鏡)大型内行花文鏡形みたいなやつ)
3・手鏡型
4・立体の三角錐
これら全部、間違いなのではないかと、直感でそんな気がしました。
円形も、八葉形もみんな想像の産物に過ぎないかもしれないなと、思ってしまいました。
その理由は、八咫鏡の名前を解読すると、分かってきます。なにしろ、名は体を表すわけなので。
八咫鏡はユダの鏡だったか
八咫鏡の本来の読みは、ユダの鏡じゃないかというのは以前の記事で書いてました。
judah→yata→八咫鏡
日本人、日本語というのは、複雑な音韻を単純化してつかったり、漢字を無理やり当てはめたり、音が微妙に変化しても気にしない、そんな適当化本位という伝統的な風習があるのです。たとえばヤン・ヨーステンを八重洲にしてしまったみたいな話。
それを検討すれば、ユダの鏡は普通にありそう。
ユダとは勿論、古代ユダヤ王国のことです。
以前に考えた、草薙剣や八尺瓊勾玉の意味と照らし合わせて、むりがないです。日ユ同祖論自体が無理といわれたらそれまでですけど。
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別名の「真経鏡」からわかる形状
八咫鏡という名前からは、八角の八葉形を想像できるので、八咫鏡はやっぱりそういう形なんじゃないの、と考えてしまいます。
しかしこの鏡には別の情報源があるのでした。それが、別名の存在。
真経鏡(まふつのかがみ)
これが、八咫鏡の別名でした。
「経」をウィクショナリーでしらべたら、こうあります。
字源
「經」の略体。「經」は「糸」+音符「巠」の会意形声文字。「巠」は台座を置いて上下に糸を伸ばす様を表す象形文字で縦糸を意味。「經」はそれに「糸」を添え繊維に関する語であることを強調。
意義
縦糸。
経緯
縦方向の。
経線、東経
時間を通じてまっすぐの、常の。
経常
ずっと続く真理、それを記載した書物。
経典、五経
~をへる、~をへて。
経由、経験
治める。
経営、経世済民(→経済)、経綸
四部分類の経部。儒教経典とその注
時間と空間に関連して、真理をあらわす。それが経の字でした。
真経鏡と書けば、真の真理の鏡、みたいな感じになる、これ以上はない至高の鏡であると。
意味はわかりましたが、読み方が重要なようです。
まふつ
ふつのみたまの剣という、武甕槌命が用いラ神剣が神話の時代にあり、「ふつ」とは「2つに断ち切るさま」を現しています。
つまり真経鏡の意味は、真っ二つ。経の字は、縦方向を意図する意味があるので、
「縦に真っぷたつに別れた鏡」の意味があるのですよ。
経は書物なので、「真っ二つに分かれている真の経典」の意味も出てきます。
経は書物であるので、□が真っ二つになっている姿。
図形化すると、□□。
これです。
これが、八咫鏡の真の形ではないかと・・・・・・想像しただけです。
これはありえないとか、言っちゃうひとは、原点に帰ってみよう。
「八咫鏡」という文字の、形状を見ると、
八・・・左右対象鏡うつし
咫・・・四角が2つ→□□
つまり八咫という不思議な名前自体も、左右鏡うつしの□□形を表していたことになるのではないかと。
八咫鏡と真経鏡は、本質は同じなんではないかと。
三種神器 契約の箱
草薙剣 アロンの杖
八尺瓊勾玉 マナの壺
こういう対応だとか、日ユ同祖論では実しやかです。
・草薙剣がアロンの杖だという話はしました。
・八尺瓊勾玉がマナの壺だという話はしました。
いうわけなのですが、では十戒石板はどんな形なのだろうと調べてみると、
十戒石板は左右対象形
十戒石板・・・真経鏡(左右真っ二つの鏡合わせ■■に分かれている真の経典)・・・八咫鏡。
これで、説明が付くのでは無いかと思いました。
まぁ古代に日本にコレが持ち込まれたのかは、定かではないです。なにしろ八咫鏡として伝えられてきたものは、八葉形、もしくは円形の銅鏡だったのだから。
しかし名は体を表すと言うふうに、形状だけは旧約聖書の十戒石板みたいな□□形が伝えられてたのではと。そんな感じが俺の感覚的には読み取れたのですが、果たして真相は?
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