日本各地の白髪山・白髪岳
この山々が何故、白髪山と名付けられたのか。特に記録が残されていないので、長い間意味不明でした。
○いつも助かっております
白髪山古墳から謎の解読
白髪の爺さんがいたから白髪山なのか、程度の推測しかできません。しかし前方後円墳矢印説では、白髪山の謎が解けてしまいます。
解読するには、清寧天皇陵と治定されている「白髪山古墳」を調べます。
『「天皇陵」総覧』より。
この測量図から導かれた前方後円墳の中心軸を、遠方へ伸ばします。
すると
青い線が中心軸の延長線です。
その先には白髪山がありました。
白髪山古墳は、白髪山を示していたということです。
さらに緑色の線は、白髪山古墳・白髪山・白髪岳を結びつけたライン。
見事に線上に並んでいます。
これはつまり白髪山古墳の被葬者(清寧天皇)が、幼い頃から白髪だったために、「白髪武」という諱を名付けられたことを、古墳の方角と山の名で明確にしているのです。
前方後円墳矢印説により、これまで判別が不能だった、全国各地の前方後円墳の真の被葬者を導き出すことが可能です、
被葬者の魂が救われることに繋がるということかもしれないです。
この古代倭人が残した未知なる叡智発見の詳細は、今後も随時解説します。
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追記(2014年10月15日)
前方後円墳矢印説については、井上赳夫氏の著書「増補・日本古代史の謎は解けた!」で「前方向法則」として登場しています。
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