炭素14年代測定法というのがありまして、これが厄介なのです。今回はその話。
○いつも助かっております
炭素14💧
自分のような勉強の足りない脳みそだと、どうしても次のような解釈になりました。
「炭素14年代測定法の測定結果は、年代のある一点を示すのでなく、数百年の幅のなかで曖昧に示される」
この解釈は、安本さんの本を読んでみると、特に間違ってはなかったらしい。
安本さんの本に、炭素14年代測定法について、次のような記述があります。
「ホケノ山古墳から出土したものでも、試料によっては、年代測定値が紀元前一三〇年から紀元後三三五年まで、四百六十五年もの年代差が出る」云々
「一個のクルミを二十分割して年代測定すると、測定年代の最大幅は四百年」云々
一説に卑弥呼の墓だと言われる、箸墓古墳の築造年代について、いろいろ調べると面白いことがわかりました。
wikipediaの該当ページを見ると、3世紀説を中心に情報が出てますが、実は炭素14法を元に箸墓古墳の年代を特定すると、研究者の意見が3世紀中葉~5世紀始め頃まで、ばらつきが出ていました。
以下は、古墳の形態や日本書紀の記述、そして土器の形状、出土遺物の炭素14法や年輪年代法などの測定結果、等により導き出された箸墓古墳の年代諸説です。
国立歴史民俗博物館 240~260年
広瀬氏 3世紀中頃
白石氏 3世紀中葉過ぎ
石野氏 3世紀後半の第4四半期 (西暦280~290年)
奥山氏 4世紀
橿考研、安本氏 4世紀半ば(350年頃)
他の説 5世紀初頭(一昔前までは箸墓は五世紀と言われた)
炭素14年代測定法は正確度が高い測定法と謳われる一方で、なんで測定結果にこんなにばらつきがあるんだろうと、素人に毛を生やした程度の脳みそで考えていました。
箸墓は240~400年の間に、多くの説が散らばっているとなると、どの年代を信じるかは、歴史の解釈に対する信念が決めるような話。
たとえば箸墓が卑弥呼の墓だと信じる人は、250年頃としか考えられなくなってきますが。
個人的には箸墓古墳の別称「倭迹迹日百襲媛大市墓」に「市(イチ)」が含まれるのは、壹與(壱与)の壹(イチ)を表すという意味とおもいます。
壱与墓であるのです。
壱与の亡くなった年齢を推定すると、西暦280年頃の築造と思ってるのでずれてはいません。そのへんも本に書きましたですが、真相は如何に。
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